ドリトル先生とタキタロウ
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第十一幕その十
「あの人達は自分はいいと思っていてもね」
「それでもだよね」
「人にそれを押し付けるからね」
「よくないわよね」
「それは」
「よくないよ」
先生は実際にと答えました。
「幾ら自分が素晴らしいと思っていてもね」
「皆そうとは限らないから」
「誰もがいいとは思わないから」
「それでよね」
「強制はよくないね」
「そうだよ、強制をする位なら」
それならというのです。
「何もしない方がいいよ」
「どう素晴らしいかはお話しても」
「自分もそうだから他人も絶対にっていうのはね」
「本当によくないね」
「それは」
「そうだよ、よくないからね」
だからだというのです。
「そこはちゃんと守らないとね」
「全くだね」
「菜食主義でもね」
「それは守らないとね」
「駄目だよ、そして宮沢賢治さんはね」
あらためてこの人のお話をするのでした。
「そうした無理強いはね」
「しなかったんだね」
「菜食主義の素晴らしさをお話しても」
「それでも」
「結構独特な人でもあったそうだけれど」
それでもというのです。
「無理強いはね」
「しなくて」
「そうしたことはしなくて」
「菜食主義についてもそうで」
「ちゃんとしてたのね」
「そうだよ、信仰についてもね」
こちらでもというのです。
「それでお父さんと揉めたこともあったけれど」
「無理強いはしなかったのね」
「こうしたことはよくあっても」
「それでも」
「そうなんだ、ちなみに日蓮宗だったよ」
その宗派はというのです。
「この人は」
「ああ、鎌倉時代の人だね」
「過激なことを言っていて」
「それで幕府も攻撃して」
「一回死罪になりかけたんだね」
「そうだよ、その日蓮宗を信仰していて作品にも影響が見られるけれど」
それでもというのです。
「無理強いはね」
「しなくて」
「それでなんだ」
「そうした意味でもいいんだね」
「あの人の作品は」
「強制は本当にないね」
宮沢賢治の作品はというのです。
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