ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~
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第83話 サインとサイン
前書き
取りあえず正月休みに書き溜めた分だけ追加します。
本格的な戦闘は、次の次くらい。
宇宙歴七九〇年 一月一〇日 ハイネセン 第一軍事宇宙港
フィッシャー先生の年越し補講後、修正を入れた行動計画案がモンシャルマン参謀長から爺様を通して宇宙艦隊司令部と第八艦隊司令部に送られ、それぞれから最終承認を得て五日。若干の計画変更はあっても第四四高速機動集団旗艦部隊は『エル=ファシル帰還船団第一陣』の護衛として、予定日通り出発することになった。
世間の注目も報道陣も、民間宇宙港の方へ集中している。軍事宇宙港の出発ロビーのモニターには、疲れを見せつつも意気揚々と顔を上げて荷物を背負いシャトルへと乗り込んでいく帰還民たちの姿が映し出されている。
「第一陣九八万人とはいえ、一八〇余隻の民間貨客船と二〇〇隻の巨大輸送艦を、八〇〇隻近い軍艦が護衛するのは過剰というしかないだろうがな」
去年の三月同様、俺を見送りに来てくれたグレゴリー叔父は呟くように言った。本来であればグレゴリー叔父の第四七高速機動集団も『再訓練』を名目に出動する予定であったが、それは以前の訓練結果から流れて見送り側にいる。同じようにレーナ叔母さんは今にも泣きだしそうな顔をしているし、イロナも祈るような眼でこちらを見ている。ラリサはその二人を尻目に
「去年、ヴィク兄ちゃんお土産忘れたでしょ。別に林檎じゃなくてもいいから、エル=ファシルのお土産送ってね!」
と去年よりも幼さが抜けた笑顔で手を振っている。やはり肝っ玉というか、ある意味腹の座ったラリサが姉妹では一番軍人に向いているだろう。ラリサに小さく手を振ってそれに応えると、そのラリサの横に立っているイロナの、俺に向ける視線が急に険しいものに変わっていた。正確には俺の左後ろあたりを睨みつけるような感じで……
「ボロディン少佐、そろそろ」
振り返ればそこには、昨年同様に一部の隙の無い敬礼姿のブライトウェル伍長待遇軍属が立っていた。しかしひょろっとした背の高い少女だった去年とは違い、顔からは完全に幼さが駆逐され、ジャワフ少佐らに日々鍛えられた体つきは一回り大きくなっている。今回もまた自分の貯金の半分を母親に、もう半分を食材購入費に充てており、見せてくれた彼女の通帳の中身は見事にゼロだった。
そしてイロナに睨まれているのに気が付いた彼女は、整った眉をほんの僅かに動かしただけで、お手本のような回れ右をイロナに見せつけた。俺が改めて一家に敬礼し彼女の後を追うと、果たしてブライトウェル嬢は首を前に傾けて苦笑していた。
「……何がおかしい?」
滅多に笑うことのないブライトウェル嬢の微笑みに、俺は気味悪くなって問うと、左手で涙を拭いながら嬢はそれに応えた。
「ボロディン家のお嬢様から、あぁもはっきりと敵意を見せつけられるとなんだかおかしくって……声の大きい活発そうなお姉さんの方は、今日はご不在なんですか?」
「アントニナは貴官と同い年で、フレデリカ=グリーンヒル嬢と一緒に去年士官学校情報分析科に入学した。だから今日は来ていない」
「あぁ、そうなんですね……」
ブライトウェル嬢の口調が一気にツンドラ方向に変化したのを、ウィッティをして鈍いと言われ続ける俺でも流石に理解できた。一六歳とは思えない狼のような剣呑さ。人には見えない舌が彼女の上唇を這っているように感じるのは、きっと気のせいではないだろう。
「どうやら今年の八月から楽しい日々が、私を待ち構えているような気がします」
「……随分と自信たっぷりだな。もう合格した気でいるのか?」
あえてその剣呑さを諫めるつもりで挑発的に俺がそう問うと、嬢は一度俺の顔を見て足を止めた後、小さく肩を竦めてから応えた。
「第四四高速機動集団の充実した家庭教師陣のご指導は、世間一般の予備校とはレベルが違いますし……これで落ちたら死ぬくらいの覚悟で勉強してますので」
「そこまで覚悟することか?」
「どんなに事を尽くしても完全はないのは少佐殿がいつも仰っている通りですが、その覚悟がないと私のような怠け者は現状に甘んじてしまいそうなので」
「どの学科を受験する?」
「戦略研究科と陸戦技術科と情報分析科です」
「それは……」
それは女性が受験する学科としてはやや異端な選択だ。情報分析科は上級オペレーターや航路管制や、原作のフレデリカ同様に上級幹部の副官といった職種もあるので女性の志願者も合格者も多い。女性の軍人と言ったら、まず情報分析科か、後方支援科か、法務研究科か、というのが定番だ。
陸戦技術科は地上軍の幹部士官の養成が主であって、女性の合格者は毎年片手の指以下と言っていい。四〇〇〇人以上入学する同盟軍士官学校でも陸戦技術科は定員四五〇名。もうなくなってしまった戦史研究科と、戦略研究科に次いで募集人数が少ない。特に体力カリキュラムが激烈で、三年次までは共通科目もありなんとか乗り切れても、四年次以降の実習・演習で脱落し、転科するか退校する候補生がかなりいる。
戦略研究科は卒業した自分が言うのもなんだが保守的で古典的な集団だ。地球時代から一〇〇〇年は経過しているにもかかわらずずっと変わらない男性エリート中心主義。性差などないと言いながら自由惑星同盟軍創立以来、統合作戦本部長・宇宙艦隊司令長官・制式艦隊司令官に女性が着任したことはない。後方勤務本部長や統合作戦本部下内勤の各部長クラスにはそこそこいるのにもかかわらず、戦闘部隊指揮官で『大将』になった女性は、『名誉ある英雄』だけだ。
そして士官学校の受験システムにも問題がある。
筆記試験内容は全学科共通。筆記試験の点数に応じて入学席次が決められる。三つまで併願は可能で、席次上位者の希望順に各学科が埋められていく。上級幹部への近道である戦略研究科を第一志望にする人間が多い故に席次は早々に埋まっていき、第二志望である戦術研究科など別の学科に流れていくことになる。そして席次が上から埋まっていって三つの志願学科のいずれにも入れない場合は、士官学校教育部が志願者の傾向を見て割り振りすることになる。
正直に彼女の学力は一〇年前の俺と大差がない様にも思えるから、戦略研究科にもかろうじて合格できるのではないかとは思うのだが、確実とは到底言えない。仮に戦略研究科に合格したとしても、彼女が一体何者になりたいのか、俺には全く想像できない。
その上で第二志望が陸戦技術科だった場合、筆記試験とは別に基礎体力試験が課される。ジャワフ少佐やディディエ中将に鍛えられているのでこれも問題ない、と思いたいが体力自慢の同期ですら、『完全実力主義』という壁にぶち当たって相当に消耗して、俺にこっそり泣き言を漏らしたくらいだ。少佐や中将に義理立てしたということかもしれないが、義理立てで将来を決めているなら何が何でも阻止しないといけない。
結局、女性軍人としては無難なカリキュラムの情報分析科が、嬢にとっては一番しっくりくる学科だと思うが、一学年上に同い年のアントニナとフレデリカ=グリーンヒルがいるというのが最大の難点だ……
「後方支援科や法務研究科は選択肢になかったのか?」
「ないわけではありませんでしたが、三つしか志願できない以上、選択肢は限られます」
「……圧力があるなら正直に言えよ?」
「ディディエ中将閣下はお優しい方です」
別にディディエ中将からと言ったわけではないのだが、本当のところ圧力があったのかなかったのか、ブライトウェル嬢の答えではわからない。ただフィンク中佐達のような軍艦乗りになりたいというわけではない、ということしか俺の乏しい頭では分からないのだが……
◆
エル=ファシル星系迄の帰還船団の航海は順調そのもの。航行速度が不揃いな貨客船と軍艦の集合体とはいえ、軍事航路を優先的に航行している上に、恒星フレアや流星群といった障害については事前に調査済みであるし、幸いにも突発的な天災・人災にも遭遇していない。航法コンピューターの抜き打ち検査を行っても問題はなく、航路管制センターからも「良き航海を祈る」としか言ってこない。人災の最たる宇宙海賊も、八〇〇隻の軍艦が護衛する船団に喧嘩を売ってくるほど命知らずではない。
FASの訓練も順調だ。敢えて燃料を半員数にして出動し、エル=ファシル星系に到着するまで各艦が都合三度訓練を実施した。ミスがあっても全て取り返しがつくものであって、カステル中佐も珍しく上機嫌。時折船団側から、高速集団内で頻繁に行われるFAS訓練に対して「軍艦側の補給系統に何か問題があるのではないか?」と懸念と問い合わせが来るが、それを笑っていなしている。
ジャムシード星域カッファ星系で二四時間、エルゴン星域シャンプール星系で二四時間。民間船側の応急修理と補給と休養の後、帰還船団は一隻もかけることなく一月二七日。エル=ファシル星域エル=ファシル星系へと到着を果たした。ヤン=ウェンリーと共にこの星系を脱出してから一八箇月。三分の一以下とはいえ、エル=ファシル住民の一年半に及ぶ避難生活は終わりを告げた。
「またここに来るとは、二箇月前まで思いもしなかったぜ」
エル=ファシル宇宙港航法管制センターで、軍側との引継ぎを前日に控えたエルヴェスタム『管制士長』が、艦隊側からの立ち合いとして同席した俺を、センターの下層展望室に誘った。
三〇〇万人の住民がいた頃、この展望室は眼下に惑星エル=ファシルを展望できるスポットとして、それなりに賑わっていたという。特に日曜・祝祭日となれば若い家族連れやカップルで溢れていて、彼ら相手に商売するレストランや売店も多くあったそうだ。勿論最低限の要員しかいない現在は店も開いていないし、人影すらない。
そんな場所に俺を連れてきたということは、誰にも聞かれたくない何か言いたいことがあるんだろうと思って視線で話を促すと、エルヴェスダム氏は頭を掻きながら言った。
「軍事作戦を進めているんだろ? 帰還船団を隠れ蓑にして」
「ええ、まぁそうです」
「第四四高速機動集団だけじゃねぇ、もっと大規模な兵力を動員する軍事作戦だ。イゼルローン要塞攻略は去年失敗に終わっているから、そこまで行くわけじゃねぇだろうが」
「そうですね」
「脅迫されている俺の仕事は、第四四高速機動集団の艦艇データを宇宙港航法管制センター内で一時的に星系内にいるように偽装することと……ほかに何をすればいいんだ?」
「三〇隻ほど停泊しつつも積み荷を降ろさないまま離脱する巨大輸送艦を見逃してもらうこと、ですね」
不正と言えば不正だ。軍がこのまま航法管制センターを管理しておけば、『適当に』処理できる話だが、軍属から航路局に戻ることになるエルヴェスダム氏がやれば犯罪になる。勿論作戦終了次第、内容は公表されず『不起訴処分』にはなるだろうが、露見すれば一時的とはいえ氏が汚名を被ることになる。
「なんだ、その程度か。そっちが自航式のジャマーとその管制権を俺に用意してくれれば、大したことじゃない。俺が統制官であるうちなら、まず半年は誤魔化せる……それほど長期的な作戦か?」
「いえ、四月中旬には勝敗がついているでしょう」
それを意外に早いと思ったのか、エルヴェスダム氏は三白眼を丸くして俺を見つめる。一応今の彼の身分は軍属で、機密保持という点からはあまり好ましくはないが、民生部門の通信手段が限られている現状で彼が露骨に作戦情報を帝国軍に漏らすことはもはや不可能だ。もし漏らしたとしてもすでにダゴン攻略本隊はシヴァ星域に達しており、帝国軍が本国より増援を呼んだとしても時間的に間に合わない。
「……いつも思うんだが、職業軍人というか、士官というのはどうしてそんなに命知らずなんだ?」
「と、言いますと?」
「四月中旬といえばあと三箇月もない。死ぬかもしれないって言うのに、どうしてそう平然としていられる」
「別に平然としてはいないと思いますが?」
旗艦エル・トレメンドの艦内でも、ストレスで胃薬を手放せない士官や逆に過食症になる士官だっている。死に対しては誰だって臆病になるものだ。一度死んだことのある俺が言うのもなんだが。
「俺が言いたいのは、アンタやヤン=ウェンリーみたいな奴のことだ」
そういうとエルヴェスダム氏は大きく溜息をついた後、三重窓の縁に腰かけ軍のシャトルが降下し始めた惑星エル=ファシルを見下ろした。
「ヤン=ウェンリーはきっと覚えちゃいないだろうが、俺はリンチの野郎が逃げ出す前に一度会っている。その時に奴は、俺に防衛艦隊の陣容を聞いてきたんだ。簡単にレーダーとトランスポンダーの情報を渡してやっただけだが、受け取った奴の顔色は全く変わってなかった」
時折その言葉に舌打ちが混じる。
「まるで逃げ出すのは了解済みといった表情だ。四〇〇〇隻近い帝国軍が星系内を遊弋していて、逃げ出す船団は海賊撃退程度の軽武装しか積んでない客船が数隻で他は非武装って有様なのに、なんで平然としていられる」
「ヤン=ウェンリーはそれなりに肝が据わっている男ですからね。すべて計算づくでしょう。だから彼は『英雄』なんです」
実際のところ、そんなことを考える暇もないほどにヤンの脳味噌はフル回転していたと言ったところだろう。英雄と呼ばれることを忌み嫌うヤンではあろうが。
「『英雄』ね。なりたいとも思わんが」
「なりたくてなるものではないですからね」
「アンタはどうなんだ? 『英雄』になりたいのか?」
「なりたいと思った途端に、死神とお友達になれますよ。ごめん被りますね」
「……よくわからんな。じゃあなんでアンタは熱心に軍務以外にも尽くすんだ? モンテイユ氏もロムスキーさんもアンタの献身には一目も二目も置いている。出世欲や名誉欲が目的でなくて、そうしてそこまでする?」
それは究極的には一〇年後、自由惑星同盟が金髪の孺子に滅ぼされない為。その為の出世も目的の一つではある。だが……
「エルヴェスダムさんと同じですよ。英雄になりたくてエル=ファシルの支援活動をしていたわけじゃないんでしょ?」
「流石に命を天秤にかけて、人を殺してまで支援活動をしようとは思わねぇよ」
「そこは職業の違いと思っていただければ」
「訳が分からねぇな。本当に職業軍人って奴は」
首を振るエルヴェスダム氏を、俺は微笑みの仮面で見据える。本来であれば彼のような反応がまっとうな人間のあるべき姿だろう。だが残念なことに人の命がかなりお安くなっているこの時代においては、かなり異端ではある。
もっともイゼルローン回廊の向こうには、姉を皇帝に奪われる理不尽に立ち向かう為に、数千万人の犠牲者を出して宇宙を奪おうとまでするとんでもない奴もいるが、それに比べればはるかにマシだ。マシだと思いたい。
「ボロディン少佐。頼みがある」
そういうとエルヴェスダム氏はジャケットの胸ポケットから、少し縒れた例の手紙を取り出し開いて俺に手渡す。
「これにアンタのサインも追加してくれ」
「それで価値が上がるとは思えないですが?」
「価値のあるなしは他人ではなく、俺が決めるからいいんだよ。来月にはこの世からいなくなるかもしれない奴の証ってのを、貰っておくのも悪くないと思ってな」
ホレホレと目の前で揺らす例の手紙を俺は受け取り、ヤンの隣にある狭いスペースに自分の名前を書き加えて返した。
「縁起でもないことを言いますね」
俺が溜息交じりにそう応えると、エルヴェスダム氏はしてやったりといった表情で俺に言った。
「だいたい縁起を担ぐような玉じゃないだろ、アンタは」
後書き
2023.01.29 投稿
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