――ボクは、元々は中層ゾーンの平凡なプレイヤーだった。
このデスゲームが始まり、怯えながら命がけの日々を過ごす毎日ではあったが……それでもレベル1のまま《はじまりの街》に居留まる事を良しとしなかった、たくさんのプレイヤーの内の一人だった。
《攻略組》と呼ばれる、トッププレイヤー達には遠く及ばないものの……第一層に未だ留まり続ける約六千人ものプレイヤー達とも違う、全プレイヤー中で平均的な強さの場所に位置する、そんな中途半端なレベルの数多くの戦士達の一人だった。
命の危険は絶対に冒さない。けれど、そこそこの経験値とコルを稼げ、かつ日々の暇つぶしになる平和なクエストをこなす、そんな能天気で気ままなグループの一員だった。
それらのクエストをこなしていく片手間や休憩中に、動物好きであったボクは単身、鼻歌交じりに森の中や獣道に足をよく運んでいた。
なにをするのかというと……まず『耳を使って』モンスターを見つけ出し、草むらで身を隠しながら……そのモンスターが気に入れば、その傍に木の実などのエサを投げ込んでやっているのだ。
すると彼らは、一様にそれに一瞬びっくりするものの、辺りを警戒しながらもそろそろとエサに近付き……そして嬉しそうな顔でパクッと食べてくれるのだ。
相手はあくまでモンスターなので、姿を見せてしまえばたちまち驚いて逃げてしまうか、最悪牙を剥いて襲ってくる。しかし、こうしてこっそりお情けを与えてあげれば、仮想世界でも彼らはしっかり応えてくれるのだ。
ボクにとっては、それが、堪らなく嬉しかった。
これが……ボクのこの世界で唯一の趣味であり、唯一心が和らぐ一瞬だった。
この世界で生きていくうえで、これだけでボクは満足だった。
そりゃ、ボクもこの世界に幽閉されて、辛い思いもさんざん味わってきた。
……もう現実世界には帰れない。つまり、もう大好きなお母さんに会えないかもしれない……そう思い知らされて一日中、宿のベッドの中でずっと泣きじゃくったことも何度もあった。……既に他界している、今でも大好きなお父さんに、こんな形で会いにいくのかと思うと……申し訳なくて悲しくて仕方がなかった。
……けれど、こんな世界でもボクはボクとして、今を生きていけている。
そう実感できているからこそ、ボクはこのMMORPGでの1プレイヤーとしていられていたのだ。
…………あの時が、来るまでは。
◆
――……そもそもボクがこのゲームに興味を持ったのは、大多数の人の動機であろう完璧な仮想世界での『冒険』や『戦闘』ではない。
ゲーム自体は携帯端末の暇つぶし程度のそれしかしたことなかったボクが……このSAOの世界に飛び込んだ理由はただ一つ。
――この世界の、不可思議な動物達と触れ合ってみたい。
ただ、それだけだった。
なぜ第一にそう思ったのか。それを説明するには、ボクの生い立ちから説明しなければならないだろう。
現実世界でのボクは……子供の頃から、友達と呼べる人が誰一人として居なかった。
……その原因は明らかだった。
ボクは、日英ハーフである母と純日本人の父の間に生まれた、4分の1だけ英国の血が混じった、クォータと呼ばれる血筋の子という稀有過ぎる生い立ちを経歴に持っていた。それに加え……金の髪や翠の瞳は英国のそれだが、輪郭と肌色は日本幼子のそれというあまりにピーキーな顔立ち、そしてトドメに親譲りの極めて端麗な容姿が決定打となった。
このような外見は、アジア特有である性別的に閉鎖的なコミュニティ構築を美徳としている、妙な人付き合いをする彼らからしてみれば、異端……イレギュラー因子以外に他ならないようだった。
簡単に言うと、詰まるところボクは……男子女子どちらからも接せられにくく、非常に肩身の苦しい立場にあったのだ。
さらに言ってしまえば、ボクは……全ての男子からは興味と奇異の、女子からは妬みと嫉みの視線だけをひたすらに浴びせられ続けるという……ある意味では注目の的であった。……もちろん、完全に悪い意味で、だが。
生粋の日本生まれ日本育ち、日本語以外はむしろ喋れないというボクだというのに……中身は彼らと何の変わりも無いのに、外見がこうあるというだけで、彼らはボクに一定以上の距離を執拗なまでに保ち続けた。
それに悩み、悲しみもしたが……けれどもボクは決して寂しくはなかった。
学校から帰れば、ペットサロン店である我が家に居る……お客からお預かりしているたくさんの動物達がいたからだ。
その子たちは、こぞってこんなボクになついてくれた。そしてボクが友達が出来ない事に悩んでいると、なかなかどうして勘繰りの鋭いペット達は、慰めてくれるように一段とボクに構ってくれるようにせがんでくれたのだった。
……確かに、人の友達が出来ないのは寂しい。
けれど、ボクにはこんなに優しいこの子たちが居る。
……だから、それで満足だった。
そしてある日。
ボクは未だ慣れぬパソコンを使い、いつも利用しているネット通販サイトからペット用品を取り寄せようとしていた時。
……ふと目に入った、ファンタジーな動物が描かれたサムネイルのネット広告が気になり、何気なくクリックした。そして表示されたのは――
《ソードアート・オンライン 公式サイト》……なるものだった。
「…………?」
ボクは首を傾げつつ、そのサイトの概要を知るべく、様々なページに目を走らせ……
「…………わぁ……!」
そしてボクは、一つのページに……心を奪われた。
《SAOの世界観》の《モンスター一覧》というページだった。
完璧な仮想世界。そしてそこに生息する……現実には存在しない、架空の数多の動物達。
まさに夢に描いたかのような姿の……逞しくてプリミティブ、時には可愛らしくファンシーで、はたまた恐ろしげでグロテスク、中には幻想的かつキュアーで、そして神秘的でファンタジーな…………全てが魅力的で、ユニークなモンスター達。
それらを見、隅々まで読み込んだ時点でボクは……無意識の内に《ベータテストプレイヤー募集》のページにマウスを動かしていた。
そうしてボクは……《SAO》に出会った。
◆
……そしてボクは今日も、日々の生活に必要な『コル』と《趣味》の更なる探求に必要な『経験値』の為に、とある収集系クエストに挑戦していた。
このクエストは、モンスターの存在しない第二十二層の、とある小さな村の村長に話しかけることで発生する。その内容は、村長にクエストを受注したその日までに、この階層で採れる《風鈴キノコ》というキノコを納める、という実に一般的なクエストだ。
キノコは毎日、この階層の森の中でたくさんポップする為、難易度も決して高くはない。
しかし今、このクエストは知る人ぞ知る人の中だけで、秘かに人気を博していた。なぜならば……
このクエストは『報酬である経験値とコルが、納めたキノコの数に大きく影響する』からだ。
そして大量にキノコを納める事に成功した時の報酬が、これがなかなかおいしい。流石に最前線の迷宮区での戦闘とのそれには遠く及ばないが、命の危険を一切冒さずのびのびと楽しめるクエストでこの報酬は、中層プレイヤーにとって実に魅力的なものであった。
しかもこのクエストは『
連結パーティで挑戦可能』かつ『どんなに人数が増えても個人の報酬は分割されない』という、破格の親切設計っぷり。
従って、このクエストを知る中層プレイヤーはこぞって村で人手を募ってはレイドパーティーを結成し、一人一人散開していく形で階層中の森の中に散り散りになり、一日中総出でひたすらキノコをかき集めるのだ。そして日が沈む頃を見計らい、山の様に詰まれたキノコを村長に納め……そして全員に潤沢な報酬が与えられ、小さな村で盛大に打ち上げの宴が催されるのだ。
そういった日々が、一部の中層プレイヤーの日常だった。
……そしてボクも、その内の一人だった。
今日も今日とて、ボクは一人山の中を散策しながら風鈴キノコを探しては採っていく。
「……あっ、あった……!」
針葉樹の根元に、初見ではやや見つけづらいものの、今では見慣れたガラスのような半透明のキノコを摘まみ、慎重に引き抜く。
風鈴の名が付くその通りに、軽く振ってやればチリリンと、メニューを指で呼び出した時と似た涼やかな効果音が鳴る。
食べると、音の割りに不思議とパサリと乾いた触感で、味も寒天のようにほとんど無い。なのに、なぜこんな無味キノコをあのNPC村長は大量に欲しがるのだろうか……などと益体もないことをキノコを指先で弄びながら考えていると。
――ズボッ、ズザザザザ……!
という、聴き慣れぬ音がボクの耳に届いた。
「え? な、なに……?」
ここから十数メートルほど離れた木々の先だ。
背に担ぐ巨斧の柄に右手を添えながら、恐る恐る駆け寄ってみると……
なんとその場所に、ぽっかり直径一メートルほどの、奥底が見えない程の深い穴が斜めに開いていた。
「トラップの跡……?」
どう見ても典型的な落とし穴タイプのトラップの跡である。
SAOでは、フィールド迷宮区内問わず所々、あらゆる形でトラップが仕掛けられている。ややポピュラーすぎて逆に少し珍しいが、これもこのゲームに存在するれっきとした罠の一つだった。
この罠にかかったものはウォータースライダーのように穴の斜面を滑り落ちてしまい、穴底に閉じ込められてしまう。その穴底は決まって土に囲まれた小さな空間になっており……さまざまな待遇が落ちてきた者を待ち構えている。
そのほとんどの場合はモンスターの群れだったり、剣山の穴底が待ち受け、即死は無いにしろ結構なダメージは避けされないというなかなかに痛い目にあう。また、結晶無効化空間が発生したりして、そうなったらその効果が切れるまでひたすら待つか、メッセージ等でフレンド等に救援を請うしかないという状況に陥ったりさせられるのだ。余談だが、ごく稀に落ちた先にはトレジャーボックスの山があった、などという情報も小耳に挟んだことがあるが……
そして、遅れながらもはたと気付く。
この階層のこんな森の中でトラップを踏むなんて、自分と同じキノコ狩りに来たプレイヤー以外にはあまり考えられない事だった。
「だ、大丈夫ですかーっ?」
真っ暗闇の穴の奥底に向かって声を張るが、ヒュォォォ……という深淵からの不気味な風音が返ってくるだけで、声の返答は無い。
キノコ狩りレイドパーティのチャットログやメッセージ受信記録を見てみるが、今のところ変化は無い。だとすると……
もしかしたら……今この地下では、落ちたプレイヤーが待ち構えていたモンスターの大群に襲われている……!?
――た、助けなきゃ……!!
そう思った時には、
「今行くからねっ!!」
と叫び、ボクは斧を背から引き抜き、穴の中に飛び込んでいた。
◆
トラップ穴の斜面は通常の地面の斜面よりも潤滑度が高くシステム設定されているようで、一度滑り落ちたら自力では這い上がれないのは目に見えていた。それは今ボクが滑り落ちている速度然り、未だ奥底に辿り付けないこの穴の深さ然りだった。
ビョウビョウと勢いのある風がボクの髪を激しくなびかせ始めて、たっぷり20秒は経ったかという頃に、ようやく奥底が見え始めた。
ボクは斧の柄を強く握り……着地に備え両足にも力を込める。その両足に地面がいよいよ切迫し――
「……だいじょ――あだっ!?」
カッコよく救援に駆けつけるつもりが、予想以上の滑り落ちる勢いに、穴底に付いた途端両足でのストップが効かず、あろうことかビタンと前のめりに思い切り転んでしまった。か、カッコ悪い……。
しかし、緊迫する今はそうも言っていられない。その落胆も一瞬で済ませ、目の前で繰り広げられているであろう激戦に備え、すぐさま立ち上がりガシャリと大斧を構える。
……しかし、
「…………え?」
予想していなかった光景が、ボクの目の前に広がっていた。
思いの外狭い、直径およそ3メートル・畳にしておよそ4畳半ほどの、不定形の土に囲まれた小さな地下空間。
その地面に自生している、淡く発光している不思議な植物の影響で仄かに明るい、この空間には……
……なにもなかった。
ボクの目の前には、モンスターの大群も、助けを求めるプレイヤーも、ましてやトレジャーボックスの山すら無かった。あるのは狭い空間と土に岩、淡い光とただの僅かな植物オブジェクト。それだけだ。
……だとすると、一体誰がこのトラップに――
「…………?」
その時だった。
ボクは気づいた。
穴の出口に立つボクの視界の死角。真左の足元一メートル先に、僅かな気配。
――すぐ足元に、なにか、居る。
反射的にその場所に首を捻り、目を動かし……
「―――――」
視界が、純白に染まったかと思った。
そう思えたほどに、白く、穢れない小さな存在が、そこにあった。
その白さを神秘的なものと裏付ける、仄かに青く煌く毛。そこにアクセントのように燦々と灯る紅い目。
そんな姿を有する、一匹の、仔馬。
「キミは――」
――――こうして、ボクは《ミストユニコーン》と出会った。