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ハッピークローバー

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第五十八話 祭りが終わってその四

「そう思える様なね」
「作品なのね」
「教科書の作者の紹介で代表作に河童とかあったでしょ」
「ええ」
 一華はまた答えた。
「芋粥とか鼻とか蜘蛛の糸とか」
「歯車とか或阿呆の一生とか」
「あったわね」
「河童とか歯車とか或阿呆の一生は末期の作品で」
 それでというのだ。
「でも読んでるとね」
「頭おかしんじゃないかって」
「そう思う様な」
「そんな作品なの」
「狂気ってあるでしょ」
 富美子はさらに言った。
「人間には」
「それはね」 
 一華も否定しなかった、酔っている顔で答えた。
「やっぱりね」
「その狂気がよ」
「芥川の末期の作品にはあるのね」
「何か色々な悩んでいたらしくて」
 母親が発狂し自身も遺伝でそうなるのではと恐れていたとも創作の行き詰まりを感じていたとも言われている。
「それでね」
「末期はおかしくなっていたのね」
「だから自殺もしてるのよ」
「そうなのね」
「そう、その自殺する前の作品だから」
 年代で言うと大正十三年から自殺した昭和二年になる。
「物凄いわよ」
「その狂気が」
「だから覚悟して読んでね」
 こう言うのだった。
「いいわね」
「読むとしたら」
「特に歯車なんてね」
 この作品はというのだ。
「もう一人の自分が出たとかね」
「ドッペルゲンガー?」
「そう、それが出たとか」
「あれ人が死ぬ時に出るのよね」
 一華もこのことは知っていてすぐに言った。
「その人が」
「他の人が自分がその時いた場所と別の場所で見たとかね」
「書いていたの」
「これをドッペルゲンガーの話だって言う人がいるけれど」
 富美子はこう話した。
「けれどね」
「それはなのね」
「違うみたいよ」
「ドッペルゲンガーじゃないの」
「ドッペルゲンガーって自分が見るのよ」
 そうしたものだというのだ。
「他の人が見るものかっていうと」
「違うの」
「だからね」
 そうしたものだからだというのだ。
「これはね」
「違うのね」
「そう思うわ」
 富美子としてはというのだ。
「あくまで私がそう考えているだけれど」
「そうなのね」
「ええ、多分違うわ」
「というか自殺する直前だったのよね」 
 かな恵は五人の中で一番飲んでいる、それでまさにぐでんぐでんになる寸前の顔になって言うのだった。
「じゃあもう精神状況なんてね」
「相当やばいわね」
「そんな状況だから」
 その時の芥川はというのだ。 
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