知恵の実について
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第一章
知恵の実について
アダムとイブが楽園を追放された話は多く知られている。
「知恵の実を食べてですよね」
「そうだよ」
イタリアのカノッサのある教会で勤務しているマルコ=グレオリは教会に来た少女ミレッラ=ステッラ奇麗な金髪で黒い目のあどけない顔の少女に話した。初老で白髪の神父とは実に対照的な外見である。
「アダムとイブは楽園を追放されたんだ」
「そうですよね」
「その知恵の実を食べて」
そうしてというのだ。
「二人は楽園を追放されてね」
「二人の子孫である私達もですね」
「全ての人間はね」
まさにというのだ。
「楽園にいないんだ」
「残念ですね、そしてその知恵の実は」
「これだよ」
神父はミレッラに微笑んだままあるものを差し出した、それは何かというと。
真っ赤な林檎だった、その林檎を差し出して少女に話した。
「林檎だよ」
「林檎が知恵の実ですね」
「そうなんだ、この林檎を食べてしまってね」
そのせいでというのだ。
「アダムとイブはだよ」
「楽園を追放されたんですね」
「私達人間はね」
「残念ですね、けれど私林檎大好きです」
ミレッラは自分の好みも話した。
「とても甘くて」
「そうだね、私も林檎は好きだよ」
神父もその通りだと答えた。
「美味しいからね」
「そうですよね」
「美味しくてね」
それにとだ、神父はさらに話した。
「栄養が沢山あるからね」
「食べるといいんですね」
「いつも食べていると元気になるよ」
「だからですね」
「アダムとイブは林檎を食べて楽園を追放されたけれど」
キリスト教ではそうなっているがというのだ。
「私達が食べることはね」
「いいんですね」
「そう、とてもね」
笑顔で言うのだった、そしてミレッラにその林檎をプレゼントしミレッラはその林檎を食べた。その林檎はとても甘く美味いものだった。
ミレッラは林檎や他のものを食べつつ成長していった、そうして植物学者になってある日ミルトンの失楽園を読んでいたが。
読破してからだ、勤務している大学の同僚にこう言った。
「失楽園のことだけれど」
「ミルトンのだね」
「アダムとイブが食べた知恵の実は何かしら」
「何って林檎じゃないか」
同僚は即座にこう答えた。
「もうこのことは常識じゃないか」
「そうね、そう言われているわね」
「世界の常識じゃないか」
あの知恵の実が林檎であったことはというのだ。
「もうね」
「いえ、それがね」
ミレッラは大学の中の喫茶店で若い男性の同僚と共にコーヒーを飲みつつ話した、大人になった彼女は知的できりっとした顔立ちになっている。小柄だがスタイルもいい。
「林檎の描写が違うのよ」
「描写?」
「失楽園の中でのね」
書かれているそれがというのだ。
「どうもね」
「そうだったんだ、僕も失楽園は読んだけれど」
「イタリア語ね」
「そちらの訳でね」
「私は最初それで読んで当時の英文でもよ」
そちらでもというのだ。
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