ピッチャーと扇風機

「複雑骨折が普通だぞ」
「俺の選手生命は終わってましたか」
「そうだ、一歩間違えるとな」　
　それでというのだ。
「終わっていたぞ」
「危なかったですね」
「そうだ、俺の言葉に怒ったか」
「正直言いまして」
　平松は素直に答えた。
「頭に血が上って目の前が真っ赤になりました」
「それでか」
「もう我を忘れて目の前にあるものなら」
「何でもよかったか」
「それで殴りましたが」
「それでも扇風機は止めろ」
　こう言うのだった。
「本当にどうなっても知らないぞ」
「今度から気をつけます」
「ああ、しかしそれもピッチャーか」　
　土井はここでこうも言った。
「頭に血が上るものか」
「気が強いとやっていけないからな」
　別当もこう言った。
「俺も驚いたがこんなこともあるんだろう」
「そうですか」
「ああ、そうかもな」　
　こう言うのだった、平松は以後怒っても流石にこうしたことはしなかった。
　だが後日だった、平松は引退してからだった。
　中日の試合を観ていたがグラウンドが騒がしくなっていた。
「星野さんは相変わらずですね」
「ああ、怒るって言ってからな」
「ああですね」　
　観れば中日の監督である星野仙一が審判達に怒って抗議していた、野球ファンの多くが知っている光景である。
「怒るんだよ、けれど本気だからな」
「演技でなくですね」
「怒るからには本気でな」
「怒ってですね」
「抗議しているんだよ」
「あの人はそうした人ですね」
「そうなんだよ」
　平松は共に観戦している新聞記者に話した、そして。
　抗議は終わったがベンチに戻ってから。
　星野はベンチで動いていた扇風機をだった。
　右手で思いきり殴って壊した、これにはだった。
　ベンチにいたナインも観客達も驚いた、それは記者も同じで平松に仰天して話した。
「あの、仙さん今」
「ああ、扇風機殴ったな」
「それで壊しましたね」
「俺も昔やったがな」
「昔ってあの時のことですか」
「ああ、本気で怒ってるけれどな」　
　それでもとだ、平松だけは冷静に話した。
「あれはな」
「ないですね」
「ピッチャーだからな」
　それでというのだ。
「ああしたこともな」
「するんですか」
「そうなんだよ」
　平松は記者にはこう言った、そして。
　試合の後で星野と飲んだがここで星野は笑って言った、同じ一九四七年生まれの二人は親しく話していた。
「抗議の後俺扇風機殴ったけれど」
「観たぞ、凄かったな」
「ヒラさんと同じことしたな」
「俺がヤクルトに打たれた時だったな」
「ああ、ヤクルトあの時優勝したな」
「そうそう、あの時俺ヤクルトに打たれてな」
「怒ってだったな」
　星野は飲みながら話した。
「土井さんに怒られて」
「それで目の前が真っ赤になってな」
「気付いたらだったな」
「扇風機ぶん殴ってたんだよ」
「それで扇風機壊してたな」
「その時の土井さんの驚いた顔ってな」
　平松も飲みつつ話した。
「なかったな」
「そりゃそうなるな、俺だってな」
　星野はその平松に笑って話した。