ドリトル先生とめでたい幽霊
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第十一幕その十一
「それでこんな凄いもん広まるんかって思ったら」
「あっという間だったね」
「皆に広まったね」
「日本でもそうだったね」
「それで四十年代にはカラーテレビが出て来て」
「やっぱり皆観る様になったね」
「しかも万博もあった」
織田作さんは笑顔でこちらのお話もしました。
「花の万博もあったしな」
「大阪にとっていいことに」
「それもあって」
「大阪は増々賑やかになった」
「そうだったね」
「それで球場もあったな」
こちらのお話もするのでした。
「今はなんぱパークスになってるけどな」
「ああ、あそこもだね」
「大阪球場だね」
「あの球場もあったね」
「大阪には」
「あれも出来た時はえらいハイカラな球場で」
その大阪球場はというのです。
「そこの選手もよかったんや」
「野村さんとか杉浦さんとか」
「あと広瀬さんだよね」
「穴吹さんや岡本さんもいて」
「凄く強かったんだね」
「鶴岡親分もよかった」
監督さんもというのです。
「残念ながら今は九州の方に行ってもうたけどな」
「今のソフトバンクだね」
「すっかり福岡のチームになったわね」
「今じゃもうね」
「そうなってるわね」
「それで日本橋はアニメやゲームの場所になってあちこち変わったけど」
それでもとです、織田作さんは言いました。
「私の馴染みの店や場所も残ってるしな」
「自由軒とかいずも屋とか」
「それに夫婦善哉も」
「織田作さんそうしたところを巡ってるのね」
「今も」
「道頓堀も行ってるし大阪の隅から隅までな」
それこそというのです。
「巡ってうどんとか串カツとかたこ焼きも楽しんでるで」
「それで大阪の人ともだね」
「会って見ているのね」
「そうなんだね」
「そやで、大阪は今も大好きや」
そうだというのです。
「そして大阪の人達もな」
「大好きなのね」
「今も尚」
「そうなんだね」
「もうここ以外にはおれんわ」
大阪以外の場所にはというのです。
「そやから私はな」
「これからもですね」
「ここにおるで」
こう先生に答えました。
「そうするで」
「やはりそうですか」
「ほんま大阪やないと」
それこそというのです。
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