魔法使い×あさき☆彡
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第十八章 明木史奈救出作戦
1
冬の夜。
月の明かりと、汚染された空気とで、あまり星は見えないが、晴れ渡った空の下。
部屋着のスエットだけで、なにも羽織りもせず、アサキは走っている。
治奈の家へと、向かっている。
徒歩で数分、公園を通り抜けたところにある、天王台駅近くのお好み焼き屋だ。
たどり着いた。
広島風お好み焼き あっちゃん。
夜の九時であり、まだまだ営業時間中のはず。
ガラス戸から明かりや、お客さんの声が漏れている。
治奈の、父と母が、働いているのだろう。
娘の史奈が、至垂徳柳の手の者に拉致されたことなど、なにも知らずに。
きっと治奈ちゃんは、お父さんたちを心配させまいと、裏側の住居側玄関から出てくるだろう。
と、瞬間的に判断したアサキが、横の細い道から回りこもうとしていると、ガララピシャッとガラス戸を開け閉めする音が、その方向から聞こえてきた。
建物の横道から、部屋着姿の治奈が、すっかり気が動転した様子で飛び出してきた。
間に合った。
怒りと焦りから、衝動的にマンションを飛び出してしまったが、連絡手段であるリストフォンをうっかり置いてきてしまったものだから、もしも治奈が既にどこかへ行ってしまっていたら、会うのが難しくなるところだった。
「治奈ちゃん!」
声を掛けると、治奈はびくっと肩を震わせる。
すぐにアサキだと気付くと、
「アサキちゃん!」
ぐしゃぐしゃになった泣き顔で、アサキへと近寄った。
涙に鼻水に、いつも明るく淡々としている普段からは考えられない、治奈の顔である。
「ど、どうしよう。アサキちゃん、どうしよう。フミ……フミがっ。ど、どがいすればええんじゃろ」
「落ち着いて、治奈ちゃん。まずは須黒先生に相談しようよ」
アサキも、リストフォンを忘れて飛び出すほど動揺していたが、治奈のこの姿に、少し冷静さを取り戻していた。
そうだ、わたしより治奈ちゃんの方が辛く大変なんだ。
気を強くもって、大切な友達を支えてあげないと。
弱々しく、治奈はこくり頷いた。
と、唐突に、治奈の左腕、リストフォンが振動した。
腕を上げ、画面を見ると、映っているのはカズミの顔であった。
カズミは一瞬目を見開くと、ぷいと視線をそらした。
あまりにみっともない治奈の顔に、見ること気まずさを感じたのだろう。
でも、そっと視線を戻して、
「アサキもいるのか。連絡つかねえと思ったら。リストフォン忘れてんじゃねえよ。あのさ、いま先生と……」
喋っている最中のカズミの映像が、縮小しながら左端にスライド、空いた右半分に、須黒美里先生の顔が映った。
「話は、昭刃さんから簡単に聞いたわ。みんな、すぐうちにきて!」
二分割画面の右側、須黒先生は緊迫した顔でいった。
真剣な顔をしているが、この事態に対してまるで狼狽えていない。
焦りは感じるが、それ以上に冷静を感じる。
長い間、魔法使いとしてヴァイスタと戦い場数を踏んできた強さや、教師としての責任で、治奈を無駄に不安にさせないようにと、不安を裏に押し殺しているのだろう。
「分かりました」
アサキが、治奈のリストフォンを覗き込んで、先生の映像へと応えた。
「治奈ちゃん、行こう!」
顔を上げた赤毛の少女は、泣いているばかりの親友の手を掴み、引いて走り出す。
引かれるまま、半ばうつむいたまま、一緒に走る治奈であるが、その足取りは当然ながら元気なく、反対にアサキを引っ張ってしまう。
「ほら、もっと速く走って!」
「分かっちょるけど。……フミ……酷い目に、遭わされていたらどうしよう。もし、殺されて……」
「そういうこといわない!」
アサキは、金切り声を張り上げた。
「ごめん。……ほじゃけど、ほじゃけど」
「絶対に、大丈夫だから」
微笑んだ。
かなり無理のある笑顔だったが。
でも、絶対だ。
絶対にフミちゃんは無事だ。
絶対に。
「ありがとう。アサキちゃん」
ずっ。また治奈が、鼻をすすった。
2
それから数分後。
アサキと治奈の二人は、須黒先生の暮らす五階建てマンションに到着した。
二人とも、膝に手を当てぜいはあ息を切らせている。
エントランスの階段前には、真っ赤な自転車いわゆるママチャリが横倒しされている。カズミの、アントワネット号だ。
アサキと治奈の二人は、息が整うのを待たず中へ入る。
オートロックドアを開けて貰い、エレベーターでマンションの四階へ、通路へ。
以前、この通路でヴァイスタと激しい戦闘をしたことがあるが、現在は息遣いが聞こえそうなほどに静まり返っている。
「おせえよ!」
一番奥の玄関ドアが開いて、カズミがひょこりと顔を覗かせた。
「ごめん」
アサキは謝りながら、素早く靴を脱いで中に入った。
蒼白な顔で、治奈も続く。
リビングのテーブルで、須黒先生が、ノートブック型の端末を真剣な表情で操作している。
「適当に座ってて」
画面から目を離さずに、さらりという先生であるが、
このリビングも、繋がっている和室も、大小様々な物がまるで片付けられておらず、いわゆるゴミの山、酷い状態であった。
以前にここへきた時も同様で、みんなで隣の部屋にすべての物を押し込んで、とりあえず(相対的に)綺麗な部屋を作ったのだ。
当然、今はそんな余裕はない。
床の空いたところに、いわれた通り適当に腰を下ろした。
「先生は、なにをしているの?」
アサキは、カズミへ尋ねた。
呼んでおきながら一心不乱に端末を操作している、須黒先生の姿を見ながら。
「リヒトの機密情報にアクセスしてんだよ」
「え、出来るの? そんなことが。メンシュヴェルトの一般回線でしょ?」
以前アサキは、大鳥正香から聞いたことがある。
メンシュヴェルトの情報網は、一般と上層用とで、論理回線ではなくそもそもの物理回線が異なっていると。
亡くなった樋口校長、確か組織内での立場は東葛地区のエリア支部長であったか、少なくとももあのクラスでないと、利用端末を与えられないはずだ。
「なんでも校長がさ、元情報部の技術員だったらしくて、いざって時のためこっそり色々と施してあって、いま操作してる端末も、その一つなんだってよ」
「え、え、で、でも、そしたら須黒先生がっ」
校長も、どこまでの技術力を持っていたのかは知らないが、リヒトを探ろうとした結果、ああなってしまったわけではないか。
リヒトの仕業だという、確証はないけれど。
でも、危険なことに変わりない。
「まあわたしも、リヒトを疑う者への見せしめのためと、令堂さんの精神をより追い込むために、殺されるんでしょうね」
須黒先生は、まったく目をそらさない。
テーブルに置いた端末の画面を見続け、両手の指で、空間投影キーボードを叩いている。
「そんな……」
ショックを受けるアサキであるが、でも樋口校長のようなことは起こらない、と断言出来るものでもない。
そもそもそう思ったから心配の声を上げたのに、自分で自分のいっいることが混乱してきた。
「斧で頭を割られるか、腹を裂かれ内臓を掻き出され……」
独り言のように続ける、須黒先生の言葉に、
「あまり物騒なことさらりというなよお、先生! 自分のことだぞ!」
カズミがイラついて、拳をテーブルに叩き付けた。
ようやく須黒先生は、キーを打つ手を止めると、顔を上げた。
眼鏡のフレームをつまみながら、カズミの顔を見た。
「他人事じゃないわよ。今後、昭刃さんと明木さんだって、令堂さんを追い込むための餌にされることだって考えられるんだからね。わたしたちグループ全体を、リヒトの敵だということで処分しようとすることだって考えられるんだからね」
「……まあ、そうだよな。現に、あたしたちどころかその家族までが、治奈の、妹までが、攫われて、命の危険にさらされてんだからな」
「その通り。でも、こちらとしては、なんの罪もない女の子の命が不当に脅かされているわけで。メンシュヴェルトは本来、世界を救うための組織なわけで。だから、なんであれ絶対に譲れないことだと思うの、今回のことは」
眼鏡のレンズ、その奥に見える先生の目には、決心というのか、覚悟というのか、とにかく躊躇いは微塵も感じられなかった。
少しの沈黙の後、画面へと向き直ると、またキーを叩き始める。
叩きながら、ぼそり、口を開く。
「そもそも向こうが売った喧嘩、降り掛かる火の粉は払わなきゃならないし、こちらの身の安全を考えると、ここまでことが運んだなら、もう一気に決着をつけるしかない」
にやり、不敵な笑みを浮かべた。
不安も多々あれど、なればこそ、ということだろう。
「ごめん、みんな!」
治奈の大声。
床に擦り付けるくらいに、深く頭を下げていた。
「治奈、ちゃん……」
掛ける言葉が出ずに、つい名を呼んでしまったアサキであるが、その気持ちは、アサキには充分理解出来た。
自分の妹が誘拐されて、それを助けるために危険を冒してまでメンシュヴェルトやリヒトの情報網へアクセスしようとしている。その危険というのは、先生だけでなく、アサキや、カズミにまで及ぶかも知れないのだから。
「顔を上げてよ、治奈ちゃん。……フミちゃんだって、わたしたちの大切な友達なんだよ」
ようやく掛ける言葉が浮かんで、アサキは優しく微笑んだ。
といっても、かなり強張っていたかも知れないが。
治奈は、申し訳なさそうに顔を上げると、涙を拭った。
ふふっ。硬いか柔らかいか自分では分からないが、とにかくアサキは、もう一回笑った。
笑った瞬間、思い出したように背筋を張って、
「あ、そ、そうだ、カズミちゃん! あ、あの、いま、フミちゃんは?」
至垂徳柳とのやりとり途中で激高して、部屋を飛び出してしまったから、その後の状況がよく分かっていないのだ。
「そうだよなあ。ったく、あんな大事なやりとりの途中で、リストフォンを置いて出て行くバカがいるかよ」
カズミは呆れた表情で、アサキの鼻の頭を突っついた。
「ごめん」
怒りとか悲しい気持ちとか、フミちゃんが殺されちゃうという焦りで、頭が真っ白になって、どうしたらいいか分からなくって、気付けば自宅を飛び出して、治奈ちゃんの家へと走っていたのだ。
「東京の、リヒトの関東支部だよ。こないだ行ったとこだ」
アサキが、超魔道着を着た応芽と戦ったところ。
応芽の、最後の地になったところ。
そこに、史奈はいるというのだ。
「どういうこと?」
「どうもこうもねえよ。至垂のクソ野郎、もうとっくに開き直っているから、ストレートな手段に出てきたんだよ」
「わたしたちを誘い出すために、誘拐したってこと?」
「そうだよ。ふざけやがって。準備が整ったら、さっそく乗り込もうぜ」
「いや、それは無茶だよ。相手は、なにを仕掛けているのか分からないんだよ」
ゆるせないのは、わたしだって同じ。
わたしだって、血が逆流するような気持ちだ。
怒りと悲しみ、焦りに頭がぐちゃぐちゃ。
一刻も早く、フミちゃんを助け出したい。
だけど、勇気と無謀を履き違えては、為せるものも為せない。
誘拐、ということは、すぐに殺してしまうとか、そういうことはないはずだ。
須黒先生の作業が終わったら、対策を練って、それからだ。
我々は仲間だが、他には誰を信じてよいのか分からない。
だから、わたしたちだけでやるしかない。
だからこそ、考えなしに動いてはいけない。
と、怒りと焦りをぐっと堪え、努めて冷静でいようとするアサキであるが、
「はあ? 無茶は承知の上だよ! この赤毛! フミちゃんの命がかかってんだぞ。な、治奈」
むしろ、カズミの気持ちを、逆なでしてしまったようであった。
だが、誰が思っただろうか。
意見振られた治奈が、
誰よりも狼狽し、なりふり構わず妹を取り戻したいと願っているはずの、治奈が、
「これは、誘拐事件なんじゃ。警察に、相談しよう」
元気なく、涙目で、このような言動に出るなどとは。
「おいおい、治奈までかよ! お前の妹だろ! 誘拐じゃろから警察じゃけえとか、そんな普通の手段が通じる相手じゃねえこと、分かってんだろ?」
「ほじゃけど! ほじゃけど……みんなに迷惑は」
「迷惑かけているのはわたしだよ!」
アサキは、両の拳をぎゅっと握り、大声を張り上げた。
ぽかんとした顔になっているカズミと治奈に、アサキは、一転小さな声になって、ぼそり。
「たぶんあの人の狙いは、わたしだ。……わたしに、そんな力なんかないというのに」
至垂の目的は、超ヴァイスタを作り上げ、「絶対世界」への扉を開くこと。
超ヴァイスタ候補として、ターゲットにされているのは、現在のところアサキだ。
彼のすべての行動は、そのための布石なのだ。
布石、といっても彼は柔軟に、その時々のことを巧みに利用しているだけであるが。
「だから、フミちゃんが連れ去られたのは、どちらかといえばわたしのせいなんだ。ごめん、治奈ちゃん」
アサキは深く頭を下げ、床に擦り付けた。
先ほどの治奈に、勝るとも劣らないほどに。
「あ、いや……か、顔、上げて、くれんかの、アサキちゃん」
どんな態度を取ればいいのか、治奈は、すっかり混乱してしまっている。
だが、二秒、三秒、進むにつれた、僅かではあるが、すっきりした顔になっていた。
「アサキちゃんがそういってくれたことで、少し気持ちが楽になった。ありがとう」
微笑み、アサキの手を握った。
「確かにさ、至垂の本来の目的はアサキにあると思うぜ。でも別に、アサキが悪いわけじゃねえし。気にすんなよ。つうか真面目なんだよなあ、お前たちはさあ」
カズミは苦笑しながら、二人の肩をぽんと叩いた。
と、すぐに苦々しい真顔になって、
「ただ一つ、間違いなくいえることは、あの野郎はあたしのダチの家族にまで手を出しやがったってことだ。この落とし前は、きっちりつけてもらう」
「いや、そこはやはり警察に相談すべきじゃろ」
ぶれない治奈であるが、カズミの反応は、先ほどと異なるものだった。
ぷっ。
と吹き出したのである。
「治奈、お前……まあそうなるのも当然かも知れないけど、嘘がさ、極限にまで下手クソになってるよ」
「嘘なぞついとらん。フミが大切じゃからこそ、慎重に行動せにゃいけん」
「メンシュヴェルトもリヒトも、国家の作った非合法組織。トップが堂々こんなことしてるのに、警察もクソもない。……治奈、お前さあ……一人で、あいつんとこに乗り込もうと思っているだろ?」
いわれて、治奈は無言であった。
しばらくして、小さく、はっきりと頷いた。
「フミは絶対に助けたい。絶対に。ほじゃけえ、関係のないみんなを巻き込みたくない。最初は混乱して、どうすりゃええのか分からなかったけど」
「治奈……」
視線をそらしがちな治奈を、見つめているカズミ。
カズミが、ゆっくりと手を上げた。
上げたと見えたと思ったら、
パン、
と大きな音が鳴っいた。
カズミが、頬を張ったのだ。
思い切り。
渾身の力を込めたかの打擲に、自分の頬に手を当てて、しばしあ然とする治奈。
横で見ているアサキも、自分が打たれたわけでもないのに、同じ顔になっている。
ぼろり。
治奈の目から、これまでにない大粒の涙がこぼれた。
と、カズミが、震える親友の身体を抱き締めていた。
背中に腕を回して、強く抱き締めていた。
強く、そして優しく。
「ごめん、殴って。……水くさいよ。……仲間だろ?」
吐息のような、カズミの声。
治奈の、大粒の涙が、さらにぼろり、ぼとり。
く、と呻くと、大きな泣き声を上げ始めた。
「な、仲間じゃからっ……カズミちゃんも、アサキ、ちゃんもっ、た、大切な、仲間、じゃからっ、ぼじゃから、うち……」
えくっ、としゃくり上げると、そこからはもう意味ある言葉は一切出ず、幼児、いや赤子のように、感情のまま泣き続けるだけだった。
カズミの身体を、抱き締めながら。
「じゃあみんな、結局はおなじこと考えている、ってことでいいのね?」
須黒先生の声。
空間投影キーボードを叩きながら、一瞬たりとも画面から目を離さずに。
「まあどう考えても、まだ可能性があるのは、こちらから乗り込むことだからね。だからいま、リヒトのセキュリティシステムを調べているところなんだけど」
「本当に、それだけしか、ないのかな」
「令堂さん、あなた、自分が素直に呼び出しに応じれば、少なくとも明木さんの妹さんは無事でいられる、って思っているでしょう?」
「可能性は、充分にあると思います」
だって、狙いは自分なんだから。
「至垂の現在の目標は、令堂さんを絶望に追い込み精神を破壊、超ヴァイスタを作り上げること。でも、その過程で、他の誰かがヴァイスタになっても、それはそれで面白い。そこからなにか起こるかも知れないし、令堂さんがより深い闇へと追い込まれることに違いはない。……となると、せっかく手に入れた、そう導くための道具を、おいそれ手放すはずがない。……まっとうに向こうの要求なんか飲んでいたら、どこのタイミングかは分からないけど、妹さん、フミちゃんは、殺されるよ」
殺される……
だから乗り込もう、とそんな話をカズミがずっとしていたというのに。
治奈も結局は、そのつもりでいたことが分かったというのに。
自分だけは、認識が甘かったのだろうか。
あらためて先生から発せられた言葉が、ぐさりと深く、胸を貫いたのである。
3
リビングの中央に置かれたテーブルの上、空間上に、コンピュータ映像がくっきりと浮かんでいる。
最新の空間投影技術によって、コンピュータの平面画像を、どの角度からも同じように見ることが出来るのだ。
現在映し出されているのは、建造物の情報である。
リヒト、東京支部の。
フロアマップが左上。
右や下に、セキュリティシステムについてのデータが細かく記されている。
須黒美里先生が、手元の端末をタッチし、画面上のポインターを動かして、集まった三人の少女たちへと説明をしている。
「えっと、この部屋は、その渡したキーカードで簡単に開くはずだから。それと、こことここ、A通路とD通路、Aは警戒厳重だけど、魔法使いではなく一般の警備員だけだから、むしろこっちの方がいいと思う。それとこの……」
リヒト支部へと侵入し、明木史奈を救出するため、須黒先生が打ち立てた作戦。
その、落とし込みをしているところである。
すべて予定通りであることを想定したAプランは、完全隠密行動。
誰にも気付かれずに、史奈を救出する。
だが、なにを考えているのか分からない老獪な至垂徳柳が相手だ。
だから、
メインプランCとD、途中分岐のサブプランなどは、戦いになることも想定している。
カズミたち魔法使い同士でも話し合って、机上の論としてなら着々と、機に臨み変に応じる自信や心構えが出来つつあった。
ただ、やはり基本は、見付かることは厳禁。
とにかくAプランを進めることを努力しなければならない。
戦いも想定している、といっても、至垂の目的を考えると、絶望への駒である史奈をすぐに殺すとも考えにくい。そんな希望的観測からの判断に過ぎない。
例えば、もしも至垂が、侵入されたことに激高して打算勝算を無視した行動に出たならば、この救出作戦は、すべてが無に帰すかも知れないのだ。
ただそれは、現在でも同じこと。
なにがどうであれ最悪の結果になる、ということだって有り得るわけだが、それでは進まない。とにかく、自分たちのやることを信じるしかない。
「だいたい、こんなところかしら。全部、頭に入った?」
アサキ、治奈、カズミ、三人はこくり頷いた。
「……あの所長、以前から強引なところが色々と噂されていたけど、一応は善人面はしていた。ところが、ここ最近のあの態度。それどころか、こんな幼稚で下劣なことを、堂々と仕掛けてきて……もしかしたら、超ヴァイスタや、『絶対世界『』の、なにかを掴んだのかも知れないわね」
「なにか、って」
アサキがおずおずと尋ねる。
「さあ。超ヴァイスタを作るためのあと一押しがなんなのか、確信を得たとか。分からないけど」
「一押し……確信……」
ごくり。
アサキは唾を飲んだ。
飲んだけど、まだなにか引っ掛かっている感じがして、不快な顔でもう一回、飲み込む唾もないのにごくり喉を動かした。
そうかどうかは分からない、といっているにも関わらず、須黒先生の言葉が重くのしかかっていたのである。
無理もないだろう。
至垂が考えている超ヴァイスタの素体とは、すなわちアサキのことなのだから。
ヴァイスタになる気など毛頭ないとはいえ、至垂がその気でいることに違いはない。だって、本人がアサキに面と向かって、そう宣言しているのだから。
「もしかしたらね。その一押しを確実にするため、今回のようなことをして、こちらの心を乱そうとしているのかもね。……だから本当はね、令堂さんは行かない方がよいのかも知れない。でも、いざという時に、令堂さんほど頼りになる戦力はないし」
「ここで待ってるだけの方が気が狂います。大丈夫です。わたし、なにがあろうとも超ヴァイスタなんかには、絶対になりませんから。仕掛けてくる絶望なんか振り払って、必ず希望を掴んで、帰ってきますから」
アサキは膝の上で、ぎゅっと両の拳を握り、強気なのか弱気なのか自分でも分かっていない微妙な笑みを浮かべた。
「今の先生の言葉だけど……アサキさ、お前の力を借りたいのは山々なんだけど、やっぱりここに残った方がいいんじゃねえのか」
カズミが困惑の浮かんだ申し訳なさそうな顔で、アサキへと提案する。
「いったでしょ。その方が気がおかしくなっちゃうよ」
「分かった。……もしもお前が、野郎の思惑にはまって、ヴァイスタだなんだの、そんなのになりかかったら、あたしは容赦しない。躊躇いなくぶった斬って、昇天させるからな」
「その時は、お願い。……ならないけどね」
笑った。
カズミもつられて苦笑し、アサキの肩を軽く叩いた。
「なっても意外と無害な気がするよ。バカ過ぎて」
「ならないってば! ……だからみんなで、力を合わせて、必ずフミちゃんを助けよう」
「だな。そして、至垂のクソ野郎を、顔面がマタンゴになるくらいにボッコボコに殴ってやる」
そう。
作戦は、史奈を助け出すだけではない。
それだけでは、まったく意味がないのだ。
単純な話、至垂がまた同じことをする。
より慎重に、狡猾に、大胆に、悪質に。
対するアサキたちは、一個人。
普通の生活を行わなければならないわけで、持久戦では不利に決まっている。
一気に、勝負を決するしかないのだ。
史奈を助け出して、とりあえずの後顧の憂いを断ったならば、そのまま電光石火で至垂の身柄を拘束する。
そして、幹部に対して、これまでの悪事を白状させるのだ。
おそらくこれまでのことは、至垂個人の暴走であろうから。
ゲーム世界の魔王軍ではあるまいし、そうそう悪の組織など作れるはずがないのだ。
幹部が至垂しだれの飼い犬である可能性も、否定は出来ない。だが、全員ということもないだろうし、少なくとも一枚岩ではないだろう。
希望的観測の多分に交じる考えではあるが、協力者が誰もいないなどということは、ないはずだ。
「あそこ、土地が物理的に『扉』に近いから、常に注意をしてね。なにを利用して、どう仕掛けてくるのか、まったく分からないから」
須黒先生のいう「扉」とは、本州の半分を使った超巨大な五芒星の、中心地のことだ。
そこには霊的な作用の凝縮した力場が存在しており、真実の世界へと繋がる場所であるとされている。
そこへヴァイスタが辿り着くことにより、「新しい世界」という現象が生じ、この時空は消滅する。
歪んだ世界そのものが、やり直しを願うためだ。
だがそれは、本来の「新しい世界」ではない。
導き手がいないため、世界が滅ぶのだ。
超ヴァイスタがそこへ辿り着いた時に、導き手となって、本来の「新しい世界」である、「絶対世界」への道が開かれる。
そのような霊的場の、物理的座標が東京都、平将門の首塚のある大神社の地下。リヒト東京支部の、すぐ近くなのである。
「もちろん注意しますよ。至垂のクソ野郎に、ほくそ笑まれるのも癪ですからね。……向こうのセキュリティも、対策も分かったし、作戦も立てたし、そんじゃちょっくら行ってこようぜ! アサキ、治奈!」
カズミは立ち上がると、ぶんっと右拳を突き出した。
4
「ちょっと慌てないでよ昭刃さん」
「まあだああ、なあんかあるんですかああああああ?」
燃える決意にまた水を差されて、カズミは、ぷつっと血管切れそうな顔になった。
「建物の情報を調べて教えるだけなら、離れていても出来たことだわ。何故わざわざ、ここへきてもらったと思う?」
「何故です? つうかもったいぶらないでよ先生、こっち焦ってんだからさあ」
「あ、もしかしたら……クラフト、ですか?」
アサキの言葉に、先生は眼鏡の奥でにこり目を細めた。
「そりゃそうよ。さっき魔法使いとの戦いも想定した話をしたわけだけど、どうやって戦うつもりでいたの?」
須黒先生は、椅子に座ったまま腰を屈めて、足元のバッグに手を入れた。
取り出したのは、三つのリストフォン。
銀と赤、
銀と紫、
銀と青。
通信が距離され、変身や魔法力調整など、機能が一切働かなくなってしまったので、先生に預け、調査をお願いしていたものだ。
それが、戻ってきたのである。
「機能、回復したんじゃろか?」
治奈の問いに、須黒先生はにこりと、でも少し寂しげに、頷いた。
「樋口校長も、天国から一緒に戦ってくれているからね。……残しておいてくれた資料を見て、バックアップ回線で魔道着をダウンロードして、わたしと校長しか知らないサーバーに格納したのよ」
「つまり……」
カズミの喉が、ごくりと鳴った。
「組織の回線を通さず、変身が出来るようになる」
「待ってましたあ!」
指をパチンと鳴らした。
「いや、確かにね、どうしようかなとは思っていたんですよ。魔法使いと戦うことになったら、生身で渡り合えるのなんて、変態のアサキしかいねえから。これで、こいつの足手まといにならずに済みそうだよ」
カズミは嬉しそうに、赤毛の少女、アサキの肩を叩いた。
「わたしも、みんなが変身出来るのなら心強いよ。一人で戦うなんて怖いし」
「はあ? 無敵の魔法使いがなにいってやがんだよ」
心底ほっとしているアサキの顔、その鼻を、カズミはぎゅうっと摘んだ。
「いたたっ。それいうのやめてよ、カズミちゃん。……弱いよ、わたしは」
鼻摘まれて鼻声なのがなんであるが、でも、心から、そう思う。
自分は、弱い。
だからこそ、強くありたいと常に願っているだけだ。
「でも、これまで通りに変身出来るんですか?」
アサキが、カズミの指を摘んでどかしながら、須黒先生へと尋ねる。
「変身は、問題ないはずよ。だけど着ていない時の、サーバー内でのダメージ修復は、これまでの何倍かの時間が掛かるみたい。だから、出来るだけ戦いにはならないように。もしもそうなった時も、あまり無茶な戦い方はしないでね」
「分かりました」
もともと、分かっている。
今回に限らない。
戦いなんて、ないに越したことはないのだ。
同じ人間同士。
本当なら、ヴァイスタの脅威に対し、助け合わなければいけないのだから。
「さっきの回線の件といい、この件といい、樋口校長は、こうした事態を予想していたんでしょうか」
「そうね。だからこそ至垂の暴走に不意を突かれた格好になり、準備を焦ってしまい、殺された。……もしも今回の件を解決しそこなったら、わたしたちもきっと同じ運命を辿るんでしょうね」
リヒトに逆らう者への、見せしめのために。
アサキだけは、別であろうが。
超ヴァイスタの実験のため、ずっと巨大水槽の中で、無数のパイプを繋がれて、そんな生活を送ることになるのだろう。
肉体はそのままで、意思を完全に消されるかも知れない。
リヒト所長からしたら、自分に歯向かう存在だからだ。
「辿らねえよ、そんな運命。こっちには大魔法使いアサキがいるし、あたしらもこうして変身出来るようになったんだし。なにがあろうと絶対に負けねえんだ! そんじゃ、クラフト受け取ったし、二人とも行くぞお!」
「ちょっと待って。慌てないでっていってるでしょ。もう一つ、大切なお話があるのよ」
「はあ……なんすか、もお……」
込める気合をいちいち削がれて、カズミは肩を落とし、げんなり顔である。
「でもそれは外。行きましょう、みんな」
須黒先生はそういうと玄関で靴を履いて、通路へ出た。
「外になにがあんだあ? 秘密武器かあ? 変形する大型バイクとか」
「とにかく行ってみようよ、カズミちゃん」
三人の少女たちも、上着を着て、靴を履いて、通路へ出る。
先生の後をぞろぞろ続いて、通路、階段、エントランス、外。
「お前ら!」
まず飛び出したのは、カズミのびっくりした大声であった。
そう、彼女らのよく知る人物が二人、エントランス前に立っていたのである。
5
「お前ら!」
カズミの驚いた顔、大きな声。
よく知った二人が、エントランスの階段を降りたところに立っていたのである。
大柄な身体に、特徴的な、銀と黒の髪の毛。
元リヒトに所属し、メンシュヴェルトへの特使派遣が決まりながらも、ごたごたでウヤムヤになっている、嘉嶋祥子。
天王台第二中学校の魔法使いリーダー、万延子。
この二人が、肩を並べて、待っていたのである。
「超強力な助っ人よ。潜入作戦である以上は、少数精鋭で動くしかないから、これ以上の助っ人はいないと思うわ」
「まあ、押し掛けの助っ人だけどね。アキビンちゃんの妹さんが誘拐された、って話を、須黒先生から聞いてね。ショーパンを誘ってきちゃったんだ。須黒先生は、危険だからって断ったんだけど、聞かず押し通しちゃった」
そういうと万延子は、恥ずかしそうに鼻の頭を掻いた。
「ぼくも、東京支部はそれほど詳しくはないけど、多少は地の利があると思うし。……本当は、特使という立場を利用して、メンシュヴェルトとリヒトとの間を上手く立ち回って、至垂の野望阻止のため隙を窺うつもりだったんだけど。なんだかもう、それどころじゃない事態になっちゃったからね」
「ありがとう。二人とも」
治奈は涙目で、深く頭を下げた。
「気にしないの、アキビンちゃん。妹さん、絶対に救い出そうね」
万延子は、優しい笑みを浮かべた。
「敵の情報は、もう二人には送ってある。わたしも行きたいけど、魔法も使えず、足手まといになるのが分かっているから。ここでサポートをするわ」
こんな安全な場所でなにを、とは誰も思わないだろう。作戦に失敗したらどうなるかを考えれば。
むしろ、教師として、メンシュヴェルトの上司として、より重圧は強いともいえるだろう。
そんな、不安と重責の混じった表情で、やや俯きがちだった須黒先生であるが、決心したように、拳を握り、きっ、と顔を上げた。
そして、いったのである。
いつもの、送り出す時の声掛けの言葉を。
「絶対に生きて帰ること。わたしは、笑顔の報告しか受けない」
それは、なんだか、魔法の言葉であった。
アサキにとって。
いつもの言葉であるというのに、久し振りに聞いたせいか、こんな状況下で聞いたせいか。
なんだか、なんでも願いがかなう、魔法の言葉であった。
治奈も、カズミも、きっと同様であったのだろう。
「はい!」
三人は、元気よく、強く、返事をしたのである。
「絶対に、生きて帰れ? ははっ、少なくともわたしは大丈夫でえす。唯一の三年生ですし、天二中のリーダーですからねえ。といっても、リーダーの自覚なんかないけどお」
自慢なのか自虐なのか、万延子、ふふふんと澄ました顔だ。
「お前さあ、死亡フラグおっ立ててんじゃねえよ。バカか」
カズミに突っ込まれて、万延子はぎゃーっと悲鳴を上げた。
「おーっ、そ、そ、そういうこというのかあキミはあ! キバちゃん、キミはあ!」
おろおろうろたえる万延子の様子に、カズミはぷっと吹き出した。
「……事情を知って、雰囲気をなごませようとしてくれてんだろ? ありがとな。こいつの妹を人質に取られて、あたしたち実はかなり動揺しててさ。さすが、第二中のリーダーだよ。……よろしく、頼むぜ」
カズミはゆっくりと、真っ直ぐと、右腕を伸ばした。
苦笑しながら万延子は同じように腕を伸ばし、
二人は拳同士を、こつんとぶつけ合わせた。
どちらからともなく、にっと不敵な笑みを浮かべた。
遠くから、ライトの灯り。
灯りはだんだん強くなり、一台の、黒い乗用車が通り過ぎた。
どこででも見掛ける、ごく普通の乗用車であるが、アサキは、なんとなく視線を追わせ、去り去る車体をそのまま見続けていた。
「よく気付いたね、令堂さん」
祥子が、そんなアサキの様子をじっと見ていた。
「やっぱり、リヒトの?」
「そう。背広組の、誰かかな。……魔法使いではない者も、そこら辺ウジャウジャいるんだよ。別に珍しいものじゃないんだ」
「へえ」
「リヒトの背広なんか関係ねえよ! これからトップを、至垂をブッ潰すんだからな!」
カズミが言葉吐き捨てながら、去り行く自動車を見て、拳で殴るような仕草を取った。
アサキは不安げな表情で、その去り行く自動車を、まだ見つめていた。
本能が、嫌な予感を覚えていたのだ。
だがそれはあくまで予感に過ぎず。史奈が人質に取られているという、はっきり認識している緊急事態に、気のせいだと思い込むことにしたのであるが。
カズミの言葉、実は、関係なくなどは、なかった。
アサキの直感こそが、正しかったのである。
この時、この自動車を追わなかったことにより、アサキは、地獄の猛火に焼かれた方がましというほどの苦しみを味わうことになる。
だが、それはまだ先の話である。
6
「今度こそ、行ってきます!」
カズミは、真顔でこくり頷く須黒先生に見つめられながら、リストフォンを着けた左腕を立てた。
カーテンを開く動作で腕を横に動かして、一歩、足を踏み出す。
すっ、
とカズミの身体が薄く、半透明に、いや夜の闇に溶けて、ほとんど見えないほどになっていた。
異相同位空間、略して異空、同じ場所でありながらまるで異なる空間へと入ったのだ。
カズミの身体が。
なお、うっすらとはいえ、異なる空間にいる者が見えるのは、彼女たちが魔力を鍛錬しているからであり、普通は見えない。
素質のある、十代女性であろうともだ。ある程度は訓練で磨かないと、魔力の目は開花しない。
アサキは、訓練なしで初めから、次元境界の向こうが見えていたが、これは例外中の例外なのである。
「絶対にフミちゃんを救い出し、戻ってきます」
アサキも、リストフォンを着けた左腕を立てた。
圧倒的な魔力量を体内に宿し、制御する術も身に付けたアサキにとってはもう、異空への移動にクラフトの制御補助は不要だ。
だが、戻ってきたクラフトの機能を試してみる意味で、リストフォンを立て、異空へのカーテンを開いた。
赤毛髪が、闇に溶け透明になり、カズミの横に立って、こちらを向いた。
「笑顔で、報告をするけえね。必ず」
少し強張った顔の、治奈。
決心と恐れ、不安の混じった、硬い笑みを浮かべながら、異空へ入った。
続いて、祥子が、さらに万延子が、カーテンを開いて、
一歩、前へ。
夜で暗いからこそ、白い、
色調の完全に反転している、
道路や建物の形状が、歪みに歪み、
腐臭に満ちた、
狂った世界、
異空へと、
ここにいる、須黒先生以外の全員が、こうして足を踏み入れたのである。
現界に残っているのは、須黒先生ただ一人。
異空の側から見ると、先生の方こそが、透明なフィルムが間に敷かれているかのように、薄く、ぼやけて見える。
異空の側で、五人、
アサキ、治奈、カズミ、祥子、延子、
無言のまま、小さく頷き合った。
「変身!」
同じタイミングで全員が、リストフォンを着けた左腕を振り上げ、叫んだ。
腕を下ろしながら、側面にあるスイッチを押した。
「魔法使いアサキ!」
赤と白銀の魔道着を着た、アサキの姿が、そこにあった。
「魔法使いカズミ!」
青と白銀の魔道着を着た、カズミの姿。
「魔法使い治奈!」
紫と白銀の魔道着、治奈。
「魔法使い祥子!」
銀と黒の髪の毛の、嘉嶋祥子。それに合わせたかのように銀と黒、中世騎士風の魔道着である。
「魔法使い延子!」
白い上着に、薄水色のふんわりしたスカート。
万延子の、第二中の特徴であるスカート型の魔道着だ。
所属異なる魔法使い五人の、一斉変身である。
「さ、次は飛翔魔法か。……上手く飛べるかな」
不安そうな顔のカズミである。
第三中学校の魔法使いは、アサキ以外みな飛翔魔法が苦手なのだが、特にカズミは自信がないのだ。
「大丈夫、なにかあれば、わたしがサポートするから」
赤毛赤魔道着の魔法使いは、不安を取り除くよう優しく笑った。
「頼むぜ。……でもなんか、悔しいなあ。泣き虫ヘタレなアサキが、今じゃすっかり遠い存在だよ」
「いまだって泣き虫だよ。みんながいるから、わたしだって頑張れるんだ」
わたしの、本心からの言葉だ。
いま無理して頑張っていることも。
性根はどこまでも弱く、泣き虫であることも。
弱い自分、弱くいられる自分に戻るためにも、もうちょっとだけ頑張らないと。
わたしの日常を、取り戻すためにも。
「よし、呪文唱えるぞ。唱え間違えるなよお」
一番自信のないカズミが、だからこそということか率先して、緊張した顔で呪文を唱えようとするのだが、しかし、
「待って、先生がなにか訴えてる!」
アサキの言葉に、四人は、現界側にいる須黒先生の、うっすらと見えている姿へと顔を向けた。
真っ白な闇夜、
その向こうに、ぐにゃぐにゃに歪んだ半透明の膜。
その向こうに、ぼんやり浮かぶ須黒先生。
身振り、手振り、アサキのいう通り、なにかを必死に訴えようとしている。
上を見て欲しいようだ。
と、アサキが首を少し上げた、その時である。
ブーーーーーーーーー
祥子と延子、二人のリストフォンが激しく振動した。
emergency
どちらのリストフォンにも、同じように表示されている。
出現警報に、そして、須黒先生の警告。
考えるまでもなかった。
だから、瞬間的にみな反応が出来ていた。
赤黒い光の弾丸が、天から落ちてきたが、みな、一瞬の躊躇もなく、後ろへ飛のいていた。
自分たちの立っていた地面へ、光弾が落ち、爆発。
アスファルトが、粉々に砕けて飛んだ。
ぶん
ぶん
音がして、二発目、三発目、四発目、雨霰と降り注いだ。
「じっとしてて!」
アサキは両手を高く上げた。
しゅるり、と手のひらから生じた、薄青い光の五芒星が、回転しながら大きくなり、少女たち全員を覆い隠した。
どん
どおん
五芒星の超巨大シールドに落ちた光弾が爆発し、低い音と共に地をぐらぐらと揺らす。
光弾も収まり、役目を果たした巨大五芒星が、ふわっと風に溶け消えた。
巨大な、影。
真っ白な、つまり漆黒の、巨大な影が、彼女たちの足元に広がっていた。
上空に、とてつもなく大きな物体が浮かんでおり、それがこの影を落としているのだ。
「ザーヴェラー……」
アサキの、上擦った声。
瞬時に覚ったからこそ、飛びのいてことなきを得たというのに、アサキは、あらためて名を声を出さずにいられなかった。
「なんで、こんな時に!」
カズミが舌打ちした。
「しかも、しかも……なんなんじゃ、この大きさは!」
治奈が驚き叫ぶのも、当然だろう。
数ヶ月前に、アサキたちはザーヴェラーと戦った。
生まれたての可能性が高い個体であったが、それでも、とてつもなく巨大。そう思っていた。
だが、いま上空に浮かんでいるそれは、その比ではなかった。五倍、いや十倍はあるだろうか。
全長二百メートルはあろうかという、文字通り、桁外れの大きさだったのである。
7
震え上がって当然の、規格外の大きさだ。
だというのに、不思議とアサキは、恐怖を感じていなかった。
怖いはずなのに、怖くなかった。
自信であるのか、能力を読む直感力が育ったのか、早く史奈を助けねばという焦りと覚悟の故か、冷静、でもないが、恐怖はまったくなかった。
「大丈夫。わたしに任せて」
力強く微笑むと、力強く地を蹴った。
飛翔。
赤毛をなびかせ、アサキは飛び上がった。
ぶん
ぶん
数百メートルの上空から、アサキを目掛けて、ザーヴェラーの赤黒い光弾が撃ち出される。
すうっ、と円弧を描き避けたアサキは、続いて襲う光弾を手の甲で難なく払いのけた。
返す手のひらを、青白く輝かせて、右手に持っている洋剣の先端から根本へとエンチャント魔法を施していく。
ザーヴェラーの高さを遥か越えると、
今度は、遥か下にいるザーヴェラーへと飛翔。つまり落下の勢いを魔法で加速させた。
「やあああああああああああ!」
頭上へ振り上げた、青く輝く剣。
天も割れよ、地も砕けよとばかり、雄叫びを張り上げながら、思い切り振り下ろした。
熊と蚤ほどもサイズが違うというのに、その桁外れに常識外の巨大ザーヴェラーが、頭から、尾まで、見るも簡単に両断されていた。
二つに分かれても、なお巨大な物体が、浮力を無くし、落下を始めた。
と、見えたその瞬間、
ぼしっ
巨体がすべて、きらきら輝く粒子になり、空気に溶けて風に消えた。
まだ溶け残っている、金色の雪の中を、アサキは地上へと落下、着地した。
見守っていた仲間たちの前に立つと、剣を腰の鞘に収めた。
これだけのことをしてのけたというのに、少しも息が乱れていない赤毛の少女に、
「すげえなあ、ったく……」
カズミは、驚愕の態度を隠せなかった。
「噂に聞いた時、一人でどう倒したんだろうって疑問だったけど、いやはやなんとも、まさかここまでとはね」
常識を根本から覆すアサキの強さに、万延子も笑うしかないといった様子である。
「いや、あん時のアサキよりも格段に物凄えよ。……でもまあ、学校制服のままで超魔道着のウメに勝ったくらいだからな。変身すりゃあ朝飯前ってことか」
腕を組んでカズミ、うんうん頷き自分を納得させている。
「本当は、こんな力いらないけどね。倒したり壊したりの力なんか、嫌だよ。……でもいまだけは、必要だよね。フミちゃんを助け出すためにも。そして至垂所長のやろうとしていることを、食い止めるためにも。それじゃあみんな……行こう」
アサキの声に、四人は頷いた。
飛翔魔法を唱えて、全員、遥か上空へ。
風吹く異空の上空で、アサキと治奈、カズミの三人は、あらためて頷き合った。
これが決戦になること、平和への一歩が確実に築かれることを、心から願いながら、アサキはぎゅっと拳を握った。
顔を上げて、前方を見据える。
こうして五人の魔法使いは、東京へと向けて、飛んだのである。
人質に取られた明木史奈を救出するため。
そして、リヒト所長である至垂徳柳と、対決するために。
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