豚女房
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第二章
「やはり」
「家がない家族もないではどうしようもないだろう」
「だからですか」
「うちで暮らすといい」
こう言って女を家に入れた、女の名は愛花といい彼の女房の様な女中の様なものとして暮らしはじめた。
だが愛花はあくまで草履を脱がない、重太はそれが気になって彼女に言った。
「草履は脱がないのか」
「脱げないのです」
愛花はこう答えた。
「これは私の身体なので」
「だからか」
「どうしても」
「草履が身体か。いや」
ここで重太は察した、だがその察したことは言わず。
それでもいいとして彼女が草履を脱がないのをよしとした、そうしてだった。
やがて女房の様な女中の様な立場から後妻に迎えることにした、それを子供や孫達に話したが彼がそのまま達観した様に世を去ることをどうかと思っていた彼等はそれならいいとした。だがそれでもだった。
彼等は愛花が草履を脱がないのを不思議に思った、このことは最初の重太と同じでそれを彼に話した。
「あの人を家に入れるのはいいにしても」
「結婚するにしても」
「いい人だし」
「いいと思うけれど」
「それでもどうしてなんだ?」
「あの人は草履を脱がないのかしら」
「それがどうにも」
こう言うのだった。
「どうしても脱がないし」
「それだけがどうも」
「あれさえなかったら」
「お祖父ちゃんからも言ってくれたら」
「言うことはない」
重太は自分の子供や孫達に笑って答えた。
「別にな」
「ないのかい?」
「いつも草履でも」
「それでも」
「あんなにおかしいのに」
「それでもなの」
「わしがいいと言うからいい」
これが重太の返事だった。
「だからな」
「このままか」
「愛花さんはあのままか」
「草履を履いたままか」
「それでいいか」
「わしはそれでいい。だからお前達も納得してくれ」
こう言ってだった。
重太はいつも草履を履いている愛花と一緒に暮らしていった、そうして傘寿になったところでだった。
遂に寝たきりになった、愛花はその彼につきっきりで世話をしたが彼女は彼に対してこんなことを言った。
「どうも私も」
「そろそろか」
「その様です」
「そうか、これまでよくしてもらった」
こう言うのだった。
「とても。有り難う」
「そう言ってくれますか」
「そうだ、ではな」
「貴方を見送らせてもらってから」
「あんたもだな」
「そうさせて頂きます」
「あんたも長く生きたな」
「はい」
床の中の重太の枕元で頷いた。
「その最後にあなたと会えて」
「一緒になれてか」
「よかったです」
こう言うのだった。
「まことに」
「わしもだ、ではな」
「見送らせてもらいます、それから」
自分もと言うのだった、そしてだった。
重太は大往生を遂げた、愛花だけでなく子供や孫それに曾孫達に囲まれて世を去る彼の顔は実に穏やかなものだった。
それは彼の葬式が終わって暫くして後を追う様にして世を去った愛花も同じだった。だが死ぬと瞬く間にだった。
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