八条学園騒動記
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第六百四十八話 牛を観つつその十二
「海鼠は」
「そうなんだな」
「はい、しかしヴィーガンの人達は」
「その海鼠もな」
「召し上がられないですね」
「他の海の幸もな」
そうだというのだ。
「だから海でもな」
「暮らしていけないですね」
「そうなる、それこそ禅宗のな」
仏教のそれのというのだ。
「お坊さんにならないとな」
「極端なヴィーガンは無理ですか」
「しかしこちらも頂いたものは何でも食べる」
お布施で貰ったものはというのだ。
「そうするからな」
「お肉でもですね」
「自分で獲ったりするのは駄目だが」
「それでもですね」
「頂いたものはな」
それが肉や魚でもというのだ。
「残さないで食べる」
「それは絶対ですね」
「食べないより残すことがだ」
その方がというのだ。
「禅宗のお寺だとな」
「問題ですね」
「そうだ」
「ではヴィーガンでは」
「お寺でもな」
禅宗のそこでもというのだ。
「暮らしていけるか」
「無理ですね」
「まさかお寺で喚くか」
極端なヴィーガン思想をというのだ。
「それはな」
「普通は出来ないですね」
「する方がおかしい」
その方がというのだ。
「心を穏やかにする為のお寺でだ」
「喚くなぞ」
「言語道断だ」
「だからですね」
「そんな場所でだ」
「喚くなぞ」
「愚の骨頂だ」
ダンはこうも言った。
「心を穏やかにしてな」
「そうしててですね」
「修行をすべきでだ」
「他の人達がどうであっても騒ぐことは」
「禅宗のお寺では誰もしない」
そこにいる僧侶達はというのだ。
「というか本当に禅宗のお寺でもヴィーガンかというと」
「違いますね」
「大事なことは粗末にしない」
食べものそれに命をというのだ。
「そうしたことがだ」
「大事ですね」
「そうだ、命を本当に大事にするならな」
「残さないことですね」
「俺はそう思う」
ダンはセーラに話した、そしてだった。
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