大坂の草履取り
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第一章
大坂の草履取り
大野修理治長はまさに豊臣家の執権であった。
城の内外のことを取り仕切り日々豊臣家の為に心を砕いていた。その為自身の屋敷に戻ることは少なく。
大坂城の中にある己の宿所にて休むことが多かった、朝早くから夜遅くまで己の務めに励んでいる為であった。
その中で宿所にも屋敷にもついてきている草履取りで米村権右衛門という者がいた、色黒であるがよく気が利き頭の回転も早く何が会っても怯えることはない。治長はその彼を見て家臣達に言った。
「あの権右衛門という者実によいな」
「はい、確かに」
「言われてみますと」
「もの覚えがよく頭の回転もあり」
「肝もあります」
「中々の出来物かと」
「そうであるな、ならな」
治長は周りの者達に述べた。
「あの者武士に取り立てわしの傍に置こう」
「そうされますか」
「侍としますか」
「そうされますか」
「それもかなりの身分のな」
只の武士ではなくというのだ。
「そうしたい」
「幕府との戦は避けられぬかも知れませぬ」
「だとすれば一人でも多くの者が必要ですな」
「それではですな」
「権右衛門もですな」
「取り立ててな」
そうしてというのだ。
「その才器と肝をな」
「役立ててもらいますか」
「戦に」
「そうしてもらいますか」
「そうするとしよう」
こう言ってだった。
この米村権右衛門は武士となった、大坂の者達はその話を聞いてすぐに思った。
「これは前の右府様と太閤様の様だ」
「前の右府様は太閤様を草履取りから取り立てられた」
「修理様も同じか」
「優れた者は誰でも取り立てられるか」
多くの者が感服した、大坂の陣の前にこうした話があった。
大坂の陣が起こっても米村はよく働いた、それで治長は彼を信頼し傍に置いた。そうして冬も夏も戦ったが。
夏の陣で豊臣家がどうしても滅びるという状況になり治長は何とか真田幸村達に主君豊臣秀頼とその子国松を託した、幸い秀吉の正室の実家である岸和田の木下家も密かに手伝ってくれて秀頼達の無事は確かなものに出来た。
秀頼達を苦し淀殿の自害を見届けるとだった。
治長は米村を呼んで彼に頼んだ。
「そなたにわしの娘を託したい」
「殿の姫様をですか」
「お主なら託せる」
米村の確かな人柄と才気それに勇気を見込んでのことだ、これまでのことで彼には才覚や肝だけでなく忠義に満ちた誠実な人柄もわかったのだ。
「だからな」
「それ故にですか」
「そなたに託したい」
米村、彼にというのだ。
「いいな」
「それでは」
「任せた、わしはここで腹を切る」
治長は米村に微笑んで述べた。
「右大臣様は真田殿に託した、国松様もな」
「真田殿でしたら」
米村もそれならと頷いた。
「十勇士もいますし」
「間違いなくな」
「右大臣様をお護り出来ます」
秀頼、彼をというのだ。
「それがしも安心しました」
「国松様は木下殿が匿ってくれる」
「北政所様のご実家が」
「そうなる、最後の最後でここまで出来た」
治長は微笑んで述べた。
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