ずいとん坊
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第一章
ずいとん坊
昭和の四十年頃のことである。徳島県にずいとん坊という狸がいた、この狸は大声を出すのが好きだった。それでよく人にも大声の出し比べを挑んでいた。それこそ明治の一新の前からいる古狸でこの県が阿波という名前の頃からいる者だ。
兎に角声の出し比べが好きでどっちかが声を出せなくなるか大声を聞いて気絶するまで勝負を続けていた。
そのずいとん坊はよく仲間達に言っていた。
「わしの趣味だ」
「大声を出すのはか」
「美味いものを食って酒を飲んで腹鼓を打ってな」
そうしたことも趣味でとだ、明治になってからハイカラになってシルクハットとタキシードそれにズボンとシャツに蝶ネクタイでお洒落をしている長十郎狸通称シルクハット狸に対して言った。
「そしてな」
「大声を出すことがか」
「わしの趣味でな」
「生きがいか」
「喧嘩はせぬが」
それでもというのだ。
「これは好きだ」
「それで今もか」
「声を出してな」
そしてというのだ。
「それだけでもよいが」
「勝負もだな」
「好きだ、しかし最近わしの声が大き過ぎるとな」
「我等も言っておるしな」
「人もだな」
「そうだ、それが寂しい」
ずいとん坊はシルクハットと共に酒を飲みつつ述べた、肴はこの前独逸から来たという捕虜の人間が作って世に知らしめたソーセージである。
「実にな」
「最近はか」
「そうだ」
どうにもというのだ。
「だからな」
「それでか」
「最近勝負をしてくれる者を探している」
「勝った方が酒を奢るな」
「そうした勝負だ」
その酒を飲みつつ答えた。
「わしは命を取るつもりはない」
「そうだな」
「ただ勝ちたいだけだ」
大声の出し合いの勝負をしてというのだ。
「それだけだ、しかし最近な」
「相手がおらぬ」
「それが実に残念だ」
こう言うのだった。
「何処かにおらぬか」
「お主は鉄砲や大砲と勝負をしても勝てる」
「左様、そこまで大声を出せる」
「だったらな」
それならと言うのだった。
「新幹線と勝負をしてみるか」
「飛行機?何だそれは」
「最近出て来た列車でな」
「列車ならわしの大声の方が上だぞ」
その音を聞いて述べた。
「普通にな」
「いや、それがな」
実にとだ、シルクハットはずいとん坊に答えた。
「これがかなりな」
「凄い音か」
「そうらしいぞ」
「そんなに凄い音を立てるのか」
「東京から大阪を行き来しているらしい」
その新幹線が走っている場所の話もした。
「何でもな」
「では大阪に行けばか」
「新幹線を見てな」
「その音と勝負出来るか」
「そうらしいぞ」
「わかった、ならだ」
ずいとん坊はここまで話を聞いて言った。
「これからだ」
「大阪に行くか」
「人に化けてな」
そのうえでというのだ。
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