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第四章
「えっ、どうした!?」
「指揮を止めたぞ」
「演奏も歌も止まったぞ」
「一体何があった」
「どうしたんだ」
「マエストロはいるぞ」
指揮台を見ればトスカニーニは立っていた。
「別に何ともないぞ」
「一体どうしたんだ」
「何があったんだ」
「皆さんお聞き下さい」
トスカニーニはここで騒然となっている観客達に向かって話した。
「ここで演奏は終わりです」
「まだ途中じゃないか」
「それでもなのか」
「どうして終わるんだ」
「説明してくれ」
「マエストロはここで筆を絶たれています」
プッチーニがそこで世を去ったことを言うのだった。
「だから今日はここまでとさせてもらいます」
「そうか、マエストロがそうだからか」
「今日は終わりか」
「ここでなのか」
「翌日からは最後まで演奏させて頂きます」
トスカニーニはここまで言って指揮台を後にした、そしてそこで劇場内に照明が灯った。これを受けてだった。
観客達も静かに帰った、誰も文句は言わなかった。それどころか口々にこんなことを言っていた。
「流石だな」
「ああ、流石マエストロだ」
「音楽をわかっておられる」
「並の指揮者ではない」
「そのことはわかっていたが」
「いや、お見事だ」
「粋と言うべきか」
こう言うのだった。
「あの人だからこそ出来るな」
「普通は今日最後まで演奏する」
「しかし初演ではあえてそうした」
「それが出来るとはな」
「尋常ではない」
「見事なものだ」
誰もがトスカニーニを褒め称えた、そして。
次の日からは結末まで演奏された、それはプッチーニの弟子が穂作しトスカニーニが編集したものだった。それが演奏された時歌劇場は拍手と歓声に包まれた。
この話はイタリアのみならず世界中で話題になった、当然ムッソリーニの耳にも入り彼はこう言った。
「実に彼らしいそして素晴らしい行いだ」
「マエストロプッチーニへの敬意を見せたですね」
「素晴らしいことでしたね」
「そうだ、流石だ」
ムッソリーニもこう言うのだった。
「こう言うしかない」
「そうですか」
「ではですね」
「このことはですね」
「私は何もしない、ただ讃えるだけだ」
それだけだというのだ。
「マエストロをな」
「わかりました、では」
「その様に」
周りもムッソリーニに応えた、そして実際にだった。
ムッソリーニはトスカニーニに何もしなかった、党の歌を演奏しなかったことにも初演の時途中で指揮を止めたことにも。そのうえでトスカニーニに以後イタリアでの活動を許しもした。
トスカニーニとムッソリーニの仲が険悪であったことは事実だ、だがトスカニーニはイタリアで活動が出来たしムッソリーニも彼の活動を妨害はしなかった。そしてこのトゥーランドットにまつわる話は歴史にある通りだ。今も上演されているこの名作にはこうした歴史もある。そのことを頭の中に留めつつ観て聴くと尚更名作が映えるから不思議である。
ここで 完
2021・2・12
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