雲は遠くて
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
183章 日本の 雅(みやび)は世界の文化のモデルになると信也は思う
183章 日本の 雅は世界の文化のモデルになると信也は思う
5月23日の日曜日の朝の8時ころ。梅雨入り 発表もないのに 曇りや 雨が多い。
昨夜、川口信也は 録画しておいた NHKの『100分 de 名著・伊勢 物語』を見てた。
ゲスト 講師は 小説家の 高樹 のぶ子さん。
高樹さんは、日本の美の源流をよみがえらせた
傑作『小説・伊勢物語・業平』を 書いた ばかり。
『伊勢物語』は、雅 (みやび)という 日本 古来の 美意識を 大切にして 生きたという
実在の歌人・在原業平といわれる 恋多き 男が 主人公だ。
在原業平は、天皇家と血筋がつながっていたが、父の願い出により、
在原姓を賜って 臣籍にくだり、皇族の 身分ではなくなった。
これを 臣籍降下 という。
「 業平の歌は、業平という人間の息吹を感じさせます。
彼は恋の人である前に歌の人である・・・これも私が導き出した結論です。
業平が生きた時代から、すでに千百年の時が経っています。
しかし同じ創作にたずさわる者として、業平の歌、心情、そして美学には、
共鳴するところが数多くありました。
そんな私なりの共感や解釈もお話ししながら、平安の恋と歌の旅に、
みなさんをお連れしたいと思います。」
そんな 高樹さんの 言葉が、信也が 持っている NHK テキストに ある。
源氏物語の 主人公の 光 源 も、この 在原業平 が モデル だと いわれる。
業平が 良き 歌人になれた 最も 大きな 要因は
「雅」とは 何かを 知っていたことにあると、高樹さんは 語る。
信也は その「雅」に 大変 興味が あった。
ネットの 辞書には「雅」に、こんな 説明が ある。
雅は 日本の 伝統的な 美的 理念の 1つである。
雅 は「優雅さ」「洗練された」「礼儀 正しさ」、
時には「甘く 愛する人」などの 意味と 解釈される。・・・と。
高樹のぶ子さんは 『伊勢物語・在原業平・恋と誠』という 本で、こんな 説明をしている。
「『雅』とは何でしょう。その本質に『きよらかな あはれ』があると 書きましたが、
具体的には なかなか見えてきません。<中略>
少なくとも、きらびやかで 優雅 という 狭い 概念 だけでは 足りません。
業平の生き方、人間性、対人関係を見るとき、ようやく『雅とは何か』が見えてきます。
相手を とことん 追いつめない、早々に 決着をつけない、
短絡的に 勝者と敗者を分けてしまわない。
そのような一見曖昧にも見える振るまい。考え方、余裕のある性格を、
私は『雅』と考えます。
そこには相手を思いやる『哀れ心』があります。
上から下を見るときの『哀れみ』ではなく、
相手も 自分も やがて 消えていく 身だというという 諦念が潜んでいるのです。
相手の自分の主張の違いを、どちらが正しいかと ギシギシすり合わせ、
せめぎ合うのではなく、余裕を置いておく。
わからないものを、わからないまま残しておく。<中略>
このような考え方は、現代においては なかなか 難しく、近代的な合理主義、
科学的な視線で見れば、好い 加減で 怠慢、事なかれ主義に見えてしまいます。
けれど平安の世では、それが可能でした。
なぜかと言えば、人間が知りえないことが たくさんあったからです。
怨霊、生き霊、呪詛、穢れなど、
目に見えない恐怖がたくさんあり、夜の闇でさえ 濃く 深く、
人間にとっては魑魅魍魎が蠢く世界でした。」
信也は、「すげえ、文字だ」と思いながら、ネットで、魑魅魍魎 を 調べる。
「魑魅魍魎とは、人間に害悪をもたらす化け物という意味のこと。
英語では demon や evil spirit などと表現される。
魑魅魍魎の語源は、自然界に潜む妖気や霊気から生まれる邪悪な霊である。
魑魅の語源は山の化け物や山の神であり、
魍魎の語源は川や沼に住む水の化け物や水の神である。」と ある。
この 本では 高樹さんは 「貴種流離が日本 芸術を作った」
というタイトルで、こう 語る。
「業平は権力や地位より、歌に生きることを選びます。権力を得られなかったから
歌と女性に向かったのでは、なく自らの意思で そうしました。
権力の危うさを知っていたからです。
この貴種流離が、日本特有の芸術を作った。日本の美意識を清らかなものにした。
万物にあられを感得し、生々流転、無常を世のことわりと認識し、
水の流れに 人の世を 悟った。
このように書いてみると、権力から 離れることで 美を発見した
鴨長明や西行、良寛さんや松尾芭蕉まで浮かんできます。
業平が そのトップランナーであったと考えても、大きくは間違っていないでしょう。
<中略>
業平は恋の成就に失敗し、挫折感の中で『自らを用なき者』と知ります。
この失意を経て、一段と高い歌人にステップアップしたと思われます。
つまり 挫折こそ 大きな恵みになったわけです。
そもそも 権力や地位やお金で女性を得たい、とする恋心は、
どんなに本気であっても打算が混じっています。
けれど 業平の恋は、相手が身分が高く、人生を賭けなければ 手が出せません。
賢い人は 手を出さない相手です。
純粋さと 愚かさは 紙一重、業平は 紙一重を生きて、結果は オーライで、
最後は自分の人生に満足して死にました。
彼の幸せの理由のひとつは、女性を信じることができたことにあります。
女性を信じられるから、自分の人生を歌を、一人の女性に
委ね 預けることができました。
それが『伊勢 物語』を世に残した、と 私は考えます。」
信也は、『貴種流離』を、ネットで調べると、こうあった。
「 高貴な 生まれの人が、青年期に達してから 肉親と別れ 辺境を さすらう。」
信也は、雅という 日本の 伝統的な 価値観に 感動した。
その理由の1つには、大脳生理学の研究をする
大島 清・京都大学 名誉 教授の 本の 影響も あった。
大島 教授は「現代社会の行きづまりは、男性の脳の 限界でもある 」と 警鐘を鳴らす。
彼の 著書『女の脳・男の脳』では、男女の脳の違いを、こう 語る。
「女性が 大脳辺縁系を 満足させなければ 我慢ができないのに対し、
男性は 大脳辺縁系の部分の不満を 新皮質でカバーできると 述べたが、
これは どういうことか もう少し 深く 観察してみよう。
もちろん、男性にも生理的欲求や 安全の欲求、あるいは所属と愛の欲求がある。
男性も セックスを強く望むし、自ら 安全でいたいと思う。これは自明のことである。
しかし、男性はそれ以上に 新皮質の部分での 承認の欲求や 自己実現の欲求が強い。
大脳辺縁系の不満にあえて目をつぶっても、新皮質の満足に賭けずにいられない。
たとえば家庭にあって、妻は家庭の幸福を願い、家庭の平和(安全)と
自身の精神的『愛と性の充足』を求める。
これに対し、夫は社会という戦場のなかで奮闘し、『他者からの評価』を求め、
『自己実現』を めざす。そのためには、家庭の平和(安全)や
性の充足は、結局、二義的な 問題になってしまう。
つまり、女性の場合は、生理的 欲求 → 安全 欲求 → 愛の 欲求 といった 形で
脳の 指令が 働いて行く。
いい換えれば、大脳辺縁系 → 新皮質の 順で ボトムアップ的に
行動するのに対し、
男性の場合は、新皮質 → 大脳辺縁系 といった 形、つまり、
トップダウン的に 行動することが 往々にしてあるということである。
いわゆる 家庭の 崩壊 現象は、男性と女性の対立、相克から
出発するのが 一般的だが、これは 男性と女性が 宿命的に内包する難問であり、
構造的な差、つまり『大脳の指令の方向性が逆』だということに起因するといえる。」
そして、大島清・京都大学 名誉 教授 は『男の脳は欠陥脳だった』という本で、
現代社会に 次のような 警鐘を 鳴らしている。
「男がつくてきた 『社会』は、さまざまな矛盾や混乱を引き起こし、
女が守ってきたはずの家庭も またぁ空洞化が進んできた。
社会の 行き詰まりは 男の脳の 限界を示している。
男の脳はつねに闘い続け、社会と歴史を動かしてきたが、
行き詰まってしまえば それは 脳が限界に達したということだ。
男の脳だけでは 状況が 切り開けなくなった ということだ。
<中略>
男の脳は 敵を倒し、獲物を求め続けてきた。行動に論理的な裏づけを求め、
生きることそのものにも意味を見出そうとしてきた。
夢や富や美しさを追いかけ、その目的のためなら すべてを犠牲にしてきた。
戦争も思想も科学も芸術も、あえて極論すれば そういった男の脳が
中心になって切り開いた世界だ。
その結果として 現代社会がある。豊かさに満ち あふれ、かつ激しい競争の社会だ。
物質的には恵まれても、心安らぐことの少ない社会だ。」
・・・相手を 思いやる 心 も 雅だよな。
相手を思いやる、余裕のある 心 が 雅だよな。
わからないものへの 謙虚さが 雅を生みだしたんだし。
相手を とことん 追いつめない 心の 余裕とか、
早々に 決着をつけないで、
短絡的に 勝者と敗者とか 決めたりしないで、
正しいとか 間違いとか だって、すぐに 決めない。
簡単に 自己中心になって、正 邪 や 善 悪 を 分けてたりもしない。
オレは、これからの日本文化 は、この独特の「 雅 」を大切にして、
人間 や 自然を 愛したり、詩歌や 芸術を 愛したりしていくことが大切だと思うよ。
「 雅 」を大切にして、世界中で 幸福な 社会を作っていけばいいと思う。
日本の 雅は、世界の文化の 希望の モデルになると思うよ・・・
そんなことを、川口信也は、カフェオレを飲みながら 思った。
☆参考文献☆
<1>『伊勢物語・在原業平・恋と誠』高樹のぶ子 日経プレミアシリーズ
<2>NHK テキスト『100分 de 名著・伊勢 物語』
<3>『女の脳・男の脳』大島 清 祥伝社
<4>『男の脳は欠陥脳だった』大島 清 新講社
≪ つづく ≫ --- 183章 おわり ---
ページ上へ戻る