姥桜
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第一章
姥桜
北条美代子は七十八歳である、髪の毛はすっかり白くなっており顔も皺だらけだ。面長の優しい顔立ちで目の光も穏やかだ。
夫に先立たれて三年経ち家で長女夫婦そして孫達に囲まれている、そんな中で末の孫の仁康まだ五つの彼にこんなことを言われた。
「お祖母ちゃん結婚しないの?」
「結婚?」
「うん、しないの?」
美代子にあどけない顔で聞いてきた。
「そうしないの?」
「お祖母ちゃんはもう七十八だからね」
孫にこう返した、この孫は末娘の末っ子でもう結婚していて子供もいる孫の中で一番幼い。その孫に笑って返した。
「もうしないよ」
「そうなんだ」
「そんなことをしても」
それでもというのだ。
「もう長くないからね」
「お祖母ちゃん百歳まで生きないの?」
「生きれたらいいけれどね」
笑って返した。
「けれどね」
「それでもなんだ」
「どっちにしても先は長くないから」
高齢だからだというのだ。
「それでね」
「結婚しないんだ」
「お祖父ちゃんが死んだし」
夫がというのだ、五十年連れ添った彼が。
「もうね」
「そうなんだ」
「お祖母ちゃんはもう一人でいいよ」
孫に優しい笑顔で話した。
「死ぬまでね」
「結婚しないんでいいんだ」
「もう結婚は充分したしね」
その五十年の間、楽しいことも辛いこともあってその全ては今は思い出となっていることを振り返りながら話した。
「いいよ」
「そうなんだ」
「そうだよ、お祖母ちゃんはね」
末の孫に笑って話した、そしてだった。
朝早く起きてラジオ体操をしてだった。
朝ご飯を食べてテレビを観て息子の嫁と一緒にお昼を食べて午後の散歩に出てそれからはまたテレビを観て晩ご飯を食べて入浴して寝る。そうした日々を繰り返し。
余生を過ごしていた、だが。
ある日テレビを観てだ、美代子は嫁の恵美に尋ねた。はっきりした顔立ちで顎が尖っていて波がかった黒髪は長い。一六〇を超える背でいつも活発に動いている。
その彼女にだ、テレビに出ている若い涼し気で長身の俳優を観て問うた。
「恵美さん、この人は誰かしら」
「この若い俳優さんですか」
「ええ、目も奇麗で眉も恰好よくて」
その俳優の外見を具体的に話した。
「お洒落で随分いいわね」
「小田切定っていうんです」
「小田切定っていうの」
「はい、最近売り出し中の俳優さんで」
恵美は義母にその俳優のことを話した。
「人気急上昇中ですね」
「そうなのね、こんな格好いい人いるのね」
テレビの中の彼を観つつ言った。
「私は観たことないわ」
「そうなんですか」
「これまで色々な俳優さん観てきたけれど」
それでもというのだ。
「こんな男前で恰好いい人は」
「観たことがないですか」
「もうね」
こう言うのだった。
「本当に」
「そうですか」
「ええ、覚えておくわ」
こう言ってだった。
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