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コモンズの王 ジャックアトラス

作者:ふれれら
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Jack Atlas - The King of Commons -

第1章 レッド・デーモンズ・ドラゴン・スカーライト

scar とは、傷跡のこと

右腕に刻まれた傷は
過去にデュエルで負った傷と
まことしやかに噂されている

しかし、そのデュエルが
いったい、いつ、誰と
行われたものであるか

誰ひとりとして、知らない


  ◇  ◇   ◇


【コモンズの孤独な王】

 シティの頂点たるジャックアトラスは。キングとなった今も、ただ。
 虚しさに身を焼かれて、渇いていた。

(足りない、何かが。俺はいったい、誰を求めている)

 シンクロ次元、コモンズとトップスのあわいに立つ男は。
 月夜の下で、待ち焦がれていた。

 ここは、ゾーンの介入が無かった一つの分岐点。
 ゼロリバースの存在しなかったこの街で。孤高の王者、ジャックアトラスは、月夜を待ち、待ち、待ち続けて。しかし未だ、終生のライバルたる不動遊星に出会えなかった、一つの、すれ違った未来だった。
 十六夜アキにも、龍亞にも、龍可にも、ブルーノにも。いつかどこかの次元で集った奇跡の絆は。未だ、集わぬ。互いの名も知らぬまま。
 ファイブディーズと呼ばれた伝説の者たちは、歴史の狭間に道を違えたまま。
 コモンズに独り生まれ落ちたジャックアトラスは、孤独だった。たとえようもなく、孤独であった。

(あま)の先。あの美しい世界に、いま俺はいる。返さなければならないと、カードの舞い降りたあの先へ。そうすれば出会えると、天啓のように信じた。俺の魂が告げていた。誰を求めているのかも分からぬまま。なのに、どうだ。俺は未だ、たった独りだ)
 時折、疼く気がする右腕。何もない肌の上に空目する、幻視のような赤い幾何学紋様。理由も分からない焦燥。まぶたの裏にちらつく、星屑のモンスター。
 何も持たずに生まれたコモンズの身でありながら、「喪ったまま」だと、魂は今も叫んでいる。
「どこだ……。どこに、」
 夜風に冷やされ、手に取る魂のカード。力ある灼熱の竜。角の折れた瞳が、ジャックに何かを訴えかけ続けている。
「レッドデーモンズ、お前も、喪ったままなのか」
 折れた剥き出しの角を持つ火竜は、無言で何も応えない。
 胸に宿った燃える魂は、灰を被った火種のように燻って、ジャックの身を焼いている。
だが、未だその片鱗を、ジャックは消えてしまった霞のように、掴めないままなのだ。

 魂が叫ぶ。無言の慟哭を、ずっと。
 だが、それを何と声にして良いか、───誰の名を、呼べば良いのか、判らないのだ。

「あーっ、やっぱり! ジャックアトラス、本物!」
 月夜を裂いたのは、甲高い声の珍客。後ろでカシャンとカメラの音がして、煩わしいパパラッチの類いかと眉を顰めて振り返った。

 そのとき。
 ジャックは、雷に打たれたような衝撃を受けた。

「大チャンスなんだからぁ! お願いっ、取材させて下さい‼︎」

 がばっと勢いよく頭を下げ過ぎて、女の分厚い眼鏡が落ちる。
 一転、大慌てで地面に這いつくばって、落ちた眼鏡を探し始めた女に、ジャックは、ぎこちなく拾って、手渡してやる。
 ぱっと喜色を浮かべて顔を上げた女は、華やぐような無防備な笑顔をジャックに見せて、「ありがとう!」となんのてらいもなく。笑った。
(見つけた…!)
 ジャックアトラスは、理由も根拠もなく、魂が告げるまま、稲妻のようにそう思った。身を焼く嵐のような衝動だった。

「お前…名、は」

 声がわずかに震えた。
 輝く大きな瞳が、ジャックの紫水晶色の瞳を映し込んで。きょとん、ときらめいて。あふれるように笑った。
「カーリー! カーリー渚‼︎」

 その記者に。ジャックアトラスは、天啓のような恋をした。




【愛を知った王が、愛する女のために社会を変える、物語】





 なあ、ジャック。
 魂は、繋がっている。

 どんな遠く、どんなに離れても。
 きっと超えていける。そう信じている。

 別の()()へ──ブルーノの居る未来へ。
 別の次元へ──ゾーンたちが居る次元まで。

 この声が。時を超えて、次元を超えて。
 届くと、信じている。オレは、この街で、いつまでも未来へ叫び続ける。

 オレは、ここにいる。この街で、みんなを待っている。
 魂は、決して忘れない。───絆は、消えない。



 頬の、マーカーのような模様を。満面の笑みの形に彩って。
 星空の街で笑った男の名前を、知っている。確かに、知っていた。

 聴こえている、ずっと。どこか遠くの場所から、星屑のささやきのように。
 空から、自分を信じる絆が、背を押して、立ち上がれと呼んでいる。

 低い声が、彩る。名前を。
『これがオレたちのラストランだ』

「───ぅ、せい」
 ハッと、自分の声で目を覚ました。
 ガバリと飛び起きた途端、夢の名残がするりと指の間をすり抜ける。唇が紡ごうとした名が何だったか、またも逃した。
 夢の中身を今日も思い出せないまま、ジャックはコモンズの一室で朝を迎えた。

 ジャックは頭痛を追い出して(かぶり)を振った。見慣れぬ質素なソファと染みのある天井に、思い出す。そこが昨晩、文字通り押し掛けるように泊まった女の部屋であることを。
 背後のキッチンから、トントンと拙い包丁の音と、朝の匂いが流れてくる。差し込む朝日と相まって、穏やかな時間を作り出していた。
 朝の陽射しは柔らかく、心地良い空気は少し埃っぽいのに妙に温かくて。
 既視感に、寝ぼけ眼をついと細めた。トップスの完璧な空調管理には無い生活感と、懐かしい埃っぽさ。久方ぶりの、よく知るコモンズの。
 そして、懐かしいマーサハウスに似た、包み込むような優しい空気であった。

「できたっ。……あ、起こしちゃった?」
 エプロンも付けず、髪をくくっただけの格好で、女は振り返った。
 ジャックに笑いかけた女は、化粧っ気もなく服も質素で、だが妙に温かく、ジャックの前へ皿を持って来た。
 不恰好な目玉焼きが二つ、不慣れそうに並んでいた。
「全くビックリしたんだから! 『キング、ジャックアトラス家出!』なんて、記事になったら格好付かないんだから!」

『俺のことが知りたいのだろう。だったら、その目で見てみろ』

「今この瞬間から俺は宿無しだ、なんて女の子の家に押し掛けるなんて、案外キングも俗っぽいっていうか、行儀が悪いっていうか、意外というか」
「デッキに賭けてソファで寝るだけだと言っただろう……だが、俺が言うのもなんだが、許諾するお前もお前だと思うぞ。コモンズなら、朝には身包み剥がされて無一文でも、文句は言えん」
「文句言う暇もなくホントにソファに陣取って寝ちゃうんだもの! あ。首、寝違えたりしなかった? そのソファ、激安セールで買ったやつだから寝にくかったでしょ」
「お人好しすぎるぞ。だいたい、俺はコモンズの生まれだ。ソファの上など冬の路地に比べれば天国だぞ」
 他愛ないやり取りは、つい昨日出会った相手のはずなのに、ひどくしっくり馴染んだ。
 矛盾する行動に、自分でも驚いていた。デュエルの他に、自分にこんな火のような衝動が燃えているとは、思ってもみなかった。

 喪いたくなければ、片時も手放すな。
 もう一人の自分が、何処かからそう言っている気がしたのだ。
「不思議ねえ」
 心を読んだようなタイミングで女が言うので、ジャックは思わず顔を上げた。
 女はきょとんと、化粧っ気のない頬を指で押さえながら、首を傾げていた。
「何だか、なんとなく、大丈夫な気がしちゃったんだから」

 ぶわりと、衝動が燃えた。
 女の無防備な背中に、思わず手を伸ばしかけた、瞬間。
「あーッ‼︎」と女が大声を上げたので、ジャックはキングらしからぬ引き攣った顔で、ギョッと手を伸ばしたまま跳ね上がった。
「編集長に連絡するの、すっかり忘れてたんだからぁー‼︎ 怒られるー‼︎ 電話電話! 携帯! どこー⁉︎ ……え、何やってるの?」
「…………何でもない」
 コーヒーか何か寄越せ、と。行き場を無くした手で目元を覆う。それに女は、
「それどころじゃないんだからぁー‼︎ キッチンにインスタントあるから勝手に出して飲んでー‼︎」
 と、部屋中ひっくり返す勢いで、元々散らかっていた部屋をさらに散らかして、リビングをしっちゃかめっちゃかにしていた。使い古しの靴下やら洗濯物やら、女子としてあるまじき物が空を飛んでいる点については見なかったことにする。
 ジャックはため息一つで、騒乱と化したリビングを離れた。遠慮なく勝手にキッチンを漁って、目的のコーヒーで心の安寧を図ることとする。戸棚の奥で干からびていた、謎の物体は乾物なのだと思うことにして、バシッと戸を閉めた。
 リビングで跳ねバッタ宜しく、携帯片手に頭を下げている女を見やって、コーヒーを啜った。
 安っぽく懐かしい味がした。トップスの一流品から見れば泥のような、なのに妙に温かく、鼻腔を擽る香り。この空気のせいかもしれない。ここはトップスというにはあまりに埃っぽく、ジャックの生まれ育った場所に近かった。
 今の騒乱でピラッと煽られて、足元に滑り込んだ一枚の原稿用紙を、ジャックはなんとなく手慰みに手に取った。
 さらりと斜め読みして読み飛ばしかけたそれに、けれどジャックは、コーヒーを啜る手を止めた。
「……『ノブレス・オブリージュ』?」
 熱心に書き込まれた取材メモ。お世辞にも達筆とはいえない癖のある字。
 けれど、情熱を持ってまとめ上げられた記事だった。

 それは、何の変哲もない、シティ外れの工場長にインタビューした記事だった。だが、会ったこともない老人の暖かさが滲み出るような、優しい文章であった。
 小さな町工場、跡継ぎのいない零細工房。だが従業員に慕われ、コモンズからも隔てなく採用を受け入れるそこは、稼ぎはパッとしなくとも笑顔にあふれ、笑い声が絶えない。
 そんな工場の長の老人が、自分の指針だと微笑んで語ったのが、先の聞き慣れぬ言葉だった。
「……『上に立つほど、分け与えぬ傲慢を知らねばなりません。本当に価値のあるものは、分ければ分けるほど、増えるものなのですから』……」
「あっ…!」
 携帯を切ったらしい女がこちらを、正確にはジャックの手の原稿用紙を見て、ぶわっと赤くなった。
「わっ、わっ、わっ、それだめ!」
 まるで、幼い少女が恋文を見られたような反応だった。
 先ほど靴下を空に飛ばしていた女とは思えぬ初々しい反応に、ジャックはひょいっと走ってきた女をかわして、記事を女が届かぬ頭上に掲げた。ますます赤くなった女は「返してってばー!」とぴょんぴょん跳ねた。
「だめだめ! それボツなんだから!」
「なぜだ」
「へ?」
「だから、なぜこれがボツなのだと聞いている。良い記事だ」

 女は、変なポーズで中途半端に手をバンザイしたまま、ジャックの前で固まった。
 ひょうきんな彫刻のように固まった女に、ジャックがひとつ、顔の前で手を振った。女はズレ落ちかかったメガネの下で、ぱちんと大きな瞼を瞬かせた。
 目の中に星が灯ったように、一瞬でキラキラと輝いた。
「っ、そうでしょ⁉︎」
 嘘のように表情を明るくして、ぐいっとジャックに顔を近づけた。
 ジャックは心臓が跳ねた。女は高揚した頬で、無防備に笑った。
「これね! このおじいさんね、本当に良い人で、慕われてて、素敵で優しい人だったんだからぁ! ほらっ、特にここ、この場所のねっ、」
 早口で駆け出すように記事について語り出した女は、瞳をキラキラさせて、嬉しげに、幸せそうに微笑んでいた。ジャックは、横顔から目が離せなかった。
 聞き取りきれないくらいの早口が次々生まれて、けれど、ゆっくり、笑顔は萎んで、最後はジャックの手からそっと記事を抜いて、小さく畳み直して、しょぼくれたように俯いた。
「でも、だめだって。売れないからって。もっとこの街で注目されて、羨望の的になるような、成功者の記事を持って来いって。こんな潰れかけの工場の話を誰が読むんだって、言われちゃった」

 胸が潰れるような哀しい声を出して、ズレた眼鏡を直した女は、一転、明るく声を上げた。無理しているとすぐ分かる、繕った明るさだった。
「でも、まだまだ諦めないんだから! 生活もかかってるしね! ごめんね無理言って取材受けてもらっちゃって! キングに取材できるなんて光栄なんだから! なんたって凄い確率だよね、キングに偶然会って取材受けて貰え……」
「ジャックだ」

 ピタッ、と、無理をした早口が、途絶える。
 ジャックは静かに、カップの底に残った苦い残りカスも綺麗に飲み干して告げた。
「『キングの取材』より、俺の取材がしたいのだろう。この記事を書いた記者は、そういう物好きだと見た」
 どかっとソファに腕を組んで座り込んで、無言でぐいっと女に空のカップを押し付ける。
 こぼれ落ちそうに目を見開いた女が、驚いたように口を開けて、固まった。
 フン、と不遜に鼻を鳴らした。下手な慰めよりも、ジャックはふんぞり返る方を選んだ。
「どうした。さっさと持って来い。俺の話が聴きたいのではなかったか」

 女の表情が、じわじわほころんで、笑みの形に移ろっていくのを見てとって、ジャックは、自分の選択が正しかったことを知る。
 女は「うん!」と、今度は作り物でない明るい声を出して、パタパタとキッチンへと駆け出した。
 二人分のコーヒーがすっかり冷めるまで、ジャックは、トップスに来てから初めて、長い長い、昔語りをした。
 女は、ずっと。メモを片手に、静かに、真摯に聴いていた。


 最も古い記憶はコモンズの路地。
 寒さに震えて、新聞で暖を取ることを覚え、雨を凌げる場所を求めて野良犬のように這ったこと。
 ゴミ箱を漁って何度も吐いたこと。
 雑誌は食えたものではないが、新聞と靴ならかろうじて飢えを凌ぐのに役立ったこと。作業場の廃棄を漁るのを覚えては、追い返されたこと。
 盗みも少なからずやったこと。捕まって折檻されて何度も歩けなくなったこと。
 骨折は死に直結するため、受け身には細心の注意を払わねばならなかったこと。脱臼を繰り返し嵌める術は自力で得たこと。それでもコモンズの中では、マシな部類だったこと。
 天から降ったカードに、希望を得たこと。
 やがて地区のシスターに拾われて、人間らしい食物と愛を与えられて、目が溶けるほど泣いたこと。
 そこで同じ境遇の子供たちと生活を共にしたこと。シスターはマーサといい、零細の中で孤児院を営む人格者であったこと。
 あらゆる全てはそこで与えられたこと。文字を知りカードを読めるようになったのが全ての源であること。
 マーサと週に一度やって来る牧師に、聖書を説かれたこと。最初は馴染めず反発して、何度も抜け出して尻を叩かれたこと。
 あるとき、空腹に耐えかねて、店のリンゴを盗み出して捕まったこと。
 マーサが、往来で、はばからず土下座して、赦されたこと。
 衝撃だったこと。育ての母のその姿が、腹を割かれるより苦痛で、己が情けなかったこと。二度と盗みはしないとマーサに誓ったこと。
 与えられたそれが、育ての母の愛だと、ようやく知ったこと。
 マーサのミサを抜け出さなくなったこと、聖書を繰り返し読むようになったこと。
 ジャックという名は、うっすら覚えていて自ら名乗った物だが、ファミリーネームは孤児院で与えられたこと。
 アトラスとは巨神の意で、栄養不足で小柄だったジャックの成長を願い付けられた物であること。その甲斐あってか、現在一九〇センチを超える体躯を見るたび、名付け親のマーサがとても喜ぶのが、ひどくむず痒いこと。
 トップスに来てからのジャックの報奨金は、ほとんど育った孤児院に回しているが、マーサは一部しか受け取らないこと。
「必要な時が来るから、その時に使いなさい」と言われた金の使い道を見つけられず、持て余していること。マーサは今、腰を悪くして療養中と人伝に聞き、心配であること。しかし、そう簡単に里帰り出来る身分でないジレンマが、ひどく煩わしいこと。
 トップスに来てから、ずっと誰かを捜している気がすること。小さい頃から繰り返し、痣のような赤い模様と、不思議な夢を見ること。
 生まれてから、ここに至るまでの。
「コモンズ生まれのジャックアトラス」という男の、歩んで来た道の全てを。
 ジャックは、淡々と語り、そして女は、静かに耳を傾けていた。

 とても記事には出来ぬようなこと、売るには向かぬ些細なことまで。ジャックは、淡々と、己の走って来た人生の全てを口にした。
 こんなにも己のことを話したのは初めてだった。まかり間違っても、出会ったばかりの行きずりの女に話すことではない。おまけに相手は記者だ、いくようにも面白可笑しく書き立てることができるだろう。キングという輝かしい地位に不釣り合いの薄汚れた話は、ゴシップにこそ向きはすれ、女の所属する新聞社には向かぬものばかりだ。
 けれど女は何一つ笑わず、落ちる言葉を一つ一つ静かに書き留めては、声なき相槌で、急かすことなく全て聴いていた。
 ジャックが話しきり、ふう、と疲れた息を吐いて、すっかり冷えたコーヒーの最後を飲み干したとき。カタン、と置いたテーブルから、女はそれを受け取って、コポコポと新しいコーヒーを淹れて静かに差し出した。
 ジャックがそれをコクン、と飲み干してカップを置いたとき、初めて女が口を開いて、ただ静かに「ありがとう、ジャック」と告げたのが印象的だった。

 三杯目のコーヒーは、じんわり冷めるまで、自然なことのように、ジャックが代わりに求めた女の生い立ち話に費やされた。
 ジャックに比べれば、女が語ったことは少なかった。
 それは、女が少し話すのが辛そうだったからで、ジャックが無理に続きを急かさなかったからだった。けれど女は、ジャックの話にせめてもの等価にと、生い立ちの深い部分を隠さなかった。
 目は生まれつき弱視で、コンタクトでは賄えないこと。高額の手術を受ければ可能だが、両親にその金は無かったこと。
 それは、両親がトップスに位置しながら、ひどく良心的で助け合いを旨とするゆえに、この街で酷く生き辛かったことに起因すること。良心的な父母は、連帯保証人として多額の借金を負ったこと。数年前事故死した両親が遺した財産で、トップスともコモンズとも言い難い、中堅的な暮らしをしていること。

「わたしは、トップスの落ちこぼれだから」

 苦く笑った女は、ずいぶん遅い昼飯にカップラーメンを用意した。
 すっかり話に費やされて陽は傾いて、二人の腹がようやく空腹を訴えたからだった。
 二人して安い割り箸ですすって食べた。ひとこと「美味い」と言ったジャックに、女が「でしょ、私の御用達なんだから」と笑った。

 女は箸を置いて、夢を語った。
 売れる記事より、あたたかで人を励ますような記事を書きたいこと。
 このトップスの競争の風潮はどうしても馴染めないが、そんな中で自分らしく頑張っている人を応援するのが好きなこと。
 取材して記事を書き終えたとき、見本誌を見て笑ってくれるインタビュー相手の顔を見るのが、何より好きなこと。

「がんばってる人を応援すると、私もちょっとだけ頑張れるような気がするの。それが私の幸せなんだから」

 微笑んだ女は強い芯があって、やはりジャックは、同情よりもそれに惹かれた。
 首を傾げて問う女が、手入れをしていないガサガサの唇で静かに問い返した。
「ジャック、あなたの夢は?」と。
 腕を組んだジャックは、ソファに沈み込んで、目を閉じて考え込んだ。
「俺の夢、か」
 つくづく珍しい女だった。キングとして頂点に立つジャックは、シティの羨望と嫉妬の的。次のリーグ目標を聞かれたことはあっても、夢を尋ねられたことなど無かった。
 そもそもジャックはそれすら、他の記者に尋ねられた時は煩わしいと応えなかったが。

「そうだな、ずいぶん前から、捜している」

 繰り返し見る、幻のような夢の向こうに、その答えがあるのだろうか。

 女は、ふわりと柔らかく微笑んで「早く見つかるといいね」と声にした。
 不思議と、背中を押される柔和な声だった。
「ねえ、ジャック、ちょっと待ってね」

 そうして陽が傾いて、夕陽が射し始めた部屋の中で。また女はガタガタと部屋をひっくり返して、物を探し始めた。
 女は記者らしくリビングの奥に小さな書斎を持っていて、それを一つ一つ吟味して、何かを捜しているようだった。
「あった、これ!」
 長い黒髪をふわりと翻して笑った女は、ジャックに二冊の本を持ってきた。
 広げた片方は、分厚い学術書。もう一冊は、星が描かれた絵本だった。

「それって、星の声かもしれないんだから」
「星の声? 何だそれは」

 女は、ジャックが話した、戯れのような夢の話を笑わなかった。

 小さな頃からジャックが繰り返し見る夢。右腕に空目する、赤い不可思議な模様。
 美しい星の竜と、知らないのに知っている気がする、顔の分からない男。
 時折出てくる双子の子供と、バラの香りの女のこと。導かれるように出会った、この灼熱の竜のこと。
 一笑に付されてもおかしくない話を真剣に吟味して、この本を持って来たらしかった。

「童話なの。世界の向こうには別の自分がいて、魂は繋がってる。時々、迷子になった向こうの世界の声が、星のまたたきになって落ちてくるんだって」
「別の世界の、別の自分……?」
「ジャックは小さい頃に歌ったことない? 『星の瞬きがおちてくる、せーりゅうおうさまの声が降る♪』って」

 パチン、とジャックの瞼の裏で音が弾けた。
 脳裏に浮かんだのは、コモンズのマーサハウスで同期の子供の、中でも女子が鞠を突きながら歌っていた手毬唄だった。

「別の世界、別の次元は本当にあるんだって。トップスの物理学者の中には、真剣に研究している人もいるんだよ。私には良く分からなかったけど、前に取材させてもらった研究者さんのお友達が専攻してて、この本を譲って貰ったの。えっとね、」

 びっしり埋まった本のページを一つ一つ捲って、目を細めて目的の何かを捜している女の真剣さに、ジャックは、胸の奥を引きずられるような、熱を感じた。

 ジャックは、思った。やはり、この女だ、と。
 自分が捜していたのは、きっとこの女だったのではないか、と。
「あった! そう、この論文、不動博士(・・・・)! 粒子力学の権威で、エネルギー工学の転用で表彰されてるの。ジャック、話を聞いてみたらどうかな、もしかしたら、なにか、」
「ッ‼︎」
「えっ、ジャックどうしたのっ?」
 女の手首を上から押さえて見入った。
 女が同時に触れていたタブレット。ずらりと並んだ白衣の科学者。中心で賞状を持って柔らかく笑う、若い科学者の男性。右隣には妻らしき女性、そして、その隣に。
「……‼︎」

 夢に出てきた、ジャックとそう歳の変わらない青年が。
 照れくさそうに、父に肩を抱かれて、笑っていた。

 不動遊星。
 トップスの工学大学を飛び級で卒業し、父のもとで研究に勤しむ、将来を期待された若き才能あふれる青年だった。


  ◇  ◇   ◇


第2章 Starlight junktion

スターライト・ジャンクション
星の交差点

junction とは
まったく異なる道を進む存在を
結びつけ、接続し、交わらせる
交差点のこと。
転換点。ターニングポイント。
また、この場合は
junktion が正しい表記である。

鉄くずが結ぶ、星の絆
出会いまで、あと少し


  ◇  ◇   ◇


【トップスに生きる、不動遊星】

 トップス最大の国立図書館は騒めいていた。
 白いロングコートを惜しげもなく翻し、降り立ったキング、ジャックアトラスの姿は、トップスの市民たちにザワザワと迎え入れられた。遠巻きに騒つく静かな喧騒を、けれどジャックは意に介さず、目的の場所を目指して足を進めた。
 腕時計とメモを確認して、ジャックが向かった先。伝記と思想書のコーナーだ。
 手に取った目当ての本を、立ったままパラリ、またパラリと捲って、半刻ほど経った頃だろうか。降り立った影に、ジャックは顔を上げた。
「失礼。邪魔をしてしまった」

 立っていたのは、灰色の髪を後ろに撫でつけた中年の男だった。
 トップスらしくノリの効いた服で、手を後ろに組んで立った男に、ジャックは興味を失ったように、視線を外した。
「フランスの貴族制度に興味がおありで?」
「別に、気まぐれだ。たまにはデュエルから離れてみるのも刺激になるかと思っただけだ」
「キングはコモンズの御生まれでありながら教養がありなさる。やはり天は二物を与えるということですかな」
「馬鹿を言うな。天賦で字が読めれば苦労は無い。教育は育ての親の血と汗の結果だ」
「と、言いますと」
「……俺たちの育ての親のシスターは、識字は生きる血肉だと常に言っていた。食うも必死な中で、鉛筆を買い、聖書を与え、字を教えた。コモンズの生まれでも、ゴミ溜めの仕事以外に、いつか必ずまともな職を持てるようにと。俺の同胞の識字は、育ての親の血と汗の結果だ」
「そうですか、それは大変失礼を口にしたようです。申し訳ない」
 深々と頭を下げた男に、ジャックはようやくパタン、と本を閉じて顔を上げた。
『ノブレス・オブリージュ』と書かれたその思想書を手に、ジャックは頭を下げる男に視線を落として問うた。
「名は」
「レクス・ゴドウィンと申します。この裏の国立研究院のエネルギー学科で、兄と共に研究をしております」
「……カーリーが言っていたのは、あんたか」
「初めまして、キング。お会い出来て光栄です。僭越ながら、わたくしが不動博士の元へ道案内をさせて頂きたく存じます」


 綺麗に整えられた廊下を進んで、奥まったセキュリティを超えた先。
 ノックの音に応えて、ガラガラと慌ただしい音が、雪崩のように発生した。

「えっ、もうそんな時間かい⁉︎ 参ったな、まだ用意してないや、ちょっと待って!」
 わたわたと慌てた声と、「イタッ!」と何かにぶつかったような悲鳴がした。 
 会う前からカーリーと同じフィーリングを感じる。ジャックは親しみを感じたと同時にげんなりした。
 キュイ、とオートロックが開いて、「アイタタ」と頭をさすった男性が、フロアの向こうから顔を出して、ふんわり優しげに目元を笑ませて握手を求めた。
「初めましてジャック君。僕が遊星粒子工学の不動です」
「不動先生、それはちょっと失礼では……」
「えっ? あっ、ごめん、息子と同じくらいだと思ったらつい。気を悪くさせてしまっただろうか?」
「いや、今日は教えを受ける身だ。突然のアポイントを受けて頂き、感謝する、不動博士」
「そうか! 良かった。よろしくね。さっそくだけど、二十三次元工学、いわゆる『異次元研究』に興味があるんだって?」
 ワクワクと少しはしゃいだ子供のように、親しみある笑顔で部屋の奥へ誘った男性の、その、面差しは。

 どこか、ひどく、懐かしくて。
 何故だろう、ジャックは泣きたくなった。
 懐かしいものを見つけたような気持ちと、誰かにこれを教えてやりたかったような、複雑で懐かしく、胸の奥を絞られる哀愁だった。



 不動博士には、二時間ほど話を伺うことが出来た。
 ジャックが持つのは、デュエルの腕と最低限の識字に、トップスに来てから独学で学んだわずかばかりの知識だけ。
 それは目の前の博士どころか、この大学に通う最も出来の悪い生徒にすら劣るだろう。コモンズとトップスの間には、それだけの格差がある。重々承知だっただろう博士の話は、存分に噛み砕いて夢を語る、若き科学者の熱意にあふれたものだった。
 コモンズだからと侮ることなく、ジャックの理解できる範囲を見極め、広げ、自学の余地とヒントと、そのための幾つかの蔵書を添えたもの。間違いなく、ジャックが受けた教育の中で最高峰の物だった。
 まるで、教授が本当に息子に知恵を与えるような温かさに満ちていて、わずか二時間の間に、博士の人柄はジャックにも存分に伝わった。
 この男に教えを受ける者は幸せだな、と写真で見たこの男性の息子を思った。
 もしも、自分に父が居たら、こんなふうであっただろうかと。埒もないことを思うくらいには。
「と、この事象から、別次元は決して夢想ではなく、現実的な可能性を示唆するものだ。よく似た事例は各地で確認されていてね、ジャック君、ぜひあとで、その本の引用書も覗いてみると良い。そう、それ、その三番目の物が分かりやすくて、とても興味深い。ここからモーメントに代わる新たなエネルギーの発生、転機を探るのが、我々の次の研究課題なんだ。ああ、話し足りないな。参っちゃうね、立場があると出なきゃいけない会議も多くなっちゃってさ。妻と子の所になかなか帰れなくて参るよ」
 面会の終わりを告げる事務員に返事をしながら、不動博士はジャックに握手を求めた。
「ごめんね、もう行かないと。調べていて疑問があったらメールしてくれて構わないから。なかなか返事を返せないかもしれないけど、必ず返すから。アドレスはさっき渡した名刺の……」
 微笑む博士に教えを受けた二時間は、ジャックの血肉になるだろうと感じた。
 ジャックは形だけではなく、心の底から敬意を持って、こうべを垂れた。
「ありがとうございました、不動博士」
「そんな、こっちこそ楽しい時間をありがとう。ああそうだ、良かったら中庭に寄って行ってくれないかい? この時間なら、うちの息子が休憩に入っているはずだから」

 ドクン、と心臓が鳴動した。

「研究熱心なのは良いんだけど、うちの子の周りってみんな僕くらいの年代のおじさんばっかりでさ。ジャック君くらいのお友達と遊ぶチャンスがなかなか無くってね。親馬鹿かもしれないけど、心配で」
 愛情深く笑った不動博士は、ふんわりジャックへ微笑んで、目を細めた。
「あと、これは僕の勘なんだけど、ジャック君とうちの子は、気が合いそうな気がするんだ。……うん? いや、全然似てないかな。でも、親の勘、ってやつだよ」
 最後までジャックをキングではなく、変わらない一生徒として平等に接した、恐らくジャックの知る知識を当てはめるなら『良識ある大人』の見本のような人だった。



 中庭に出れば、目的の人物はすぐに分かった。

 黒地に赤のラインのタンクトップの背中。強い日差しを避ける屋根の下で座り込んで、赤いDホイールを、工具片手に一心不乱に弄っている。
 ジャックの心臓がドクンと跳ね上がった。

 強烈に瞼の裏に映る、既視感。この男を知っていた。きっと、ずっと。

 喉が強烈に渇いた。
 懐のデッキが熱を持った。ごくり、と陽射しの下で、唾を飲み込んだ。
 デッキが、求めて、どくん、どくん。
 ふう、と影の中で汗を拭った人影が、ふっと、こちらに気付いて振り返って、驚いたように目を見張った気配がわかった。
 影の中で、男がこちらを見上げて、立ち上がる。

「初めまして、キング」
 息が止まった。低いその声は、幾度も夢の中で聴いた声に相違なかった。
 どくん、心臓の奥が、熱い。

 影の中から、握手が差し出される。
 一歩前に踏み出して、陽の下に顔を出したその男は。見間違おうはずもない。ずっと、ずっと夢の中で捜していた男だった。
 夢の中の男の顔を、ジャックは今、ようやく、初めて知った。

「不動遊星です」

 柔和に微笑んだ男は、不動博士にそっくりの笑い方で、拙くジャックを迎えた。幸せそうで人の良さそうな、満たされて育った空気に包まれた男だった。


 キングがこの研究所に顔を出す、というのは噂程度に聞いていたそうだ。
 だが、まさか直接話をすることになるとは思わなかったと、男は自販機の前で、ペットボトル片手に照れくさそうに笑った。
「不動博士には、世話になった」
「あれで、息子には凄く厳しいんですよ」
 はにかむように頬を掻いた男の仕草は、ジャックの夢の中とは一致しなかった。
 だが、その声だけは、聞き違えようが無いほど同じで、ジャックは夏の陽射しにくらりと酩酊しそうだった。
「大丈夫ですか?」
 気付くと男は、鞄からもう一本ミネラルウォーターを取り出して、差し出していた。
「すまんな」
「いえ、今日は、酷く熱いですから」
「……敬語」
「え?」
「いらん。不動博士が言っていたが、同い年ぐらいだろう。今日の俺はキングでなく、一介の博士の教え子だ、敬語を使われる理由が無い」
「キング、」
「今日はキングではない、と言った」
 酷く、夏の暑さだけでは足りない乾きが、ジャックの喉を焼いていた。ジャックは、受け取ったミネラルウォーターを一気に仰いだ。
 理由も分からない焦燥が、何かを求めて渇いていた。

 男は、驚いたように、目を大きく見開いた。
 そうして、少し照れ臭そうに、だが、ぐっと年相応に双眸を緩めた。
「ジャック」

 男が口にした途端、喉の渇きが、水を得るように癒されていく。
 ジャックは、ああ、これだ、と思った。やはり、間違ってはいなかった。
「ああ」
「オレ、あんたと、話がしてみたかった」
「奇遇だな、俺もだ、……遊星」
 口にした途端、ずっと捜していた名を見つけたと思った。

 遊星は、青い瞳を静かに燃え上がらせた。カバーを掛けたDホイールに触れる。
 バサリと銀の布が取り払われたとき、その下に、燦然と輝く赤いDホイールが、乗り手を求めて陽射しを弾いた。
「ジャック、オレとデュエルしてくれ」


  ◇  ◇   ◇


 バイクのエンジン音を聴きながら、スタート地点で二人は並んだ。

 休日のライディングデュエルグラウンドは、ホールの客席を空にして、観客のいない二人だけのドームと化した。
 キングたるジャックが申請すれば、いつでも空けられるレーンだった。

「贅沢だな、初心者にはもったいない」
「ライディングデュエルは初めてだと言ったな」
「ああ、ずっと惹かれていたんだが、縁がなくてな。機械弄りは得意だったから、いつか自分のDホイールで走ってみたいと思っていた」
「走れば良かろう。それだけチューンナップされたDホイールを持ちながら、なぜいままで走らなかった」
「……笑わないか?」
「言ってみろ」
「……誘われたことはあったんだが、何か、違う、と感じていた。別の『だれか』と走ってみたかった。ジャックと会ったとき、不思議だが、ずっとこれを待っていたような気がしたんだ」

 ピ、とカウントが始まる。

 遊星が赤いメットを被って、手袋をする。
 その姿に、グラつくほど強烈な既視感を覚える。ジャックもまた、メットのゲイザーを下ろした。
「奇遇だな、」
 3、2、1。ギュンッ、と二台のホイールが同時に回転する。
「俺も、このときを待っていたッ‼︎」


 ライディングデュエル、アクセラレーション!

「「デュエル‼︎」」


【ジャック VS 不動遊星】


 デュエルモードオン、オートパイロット・スタンバイ

 合成アナウンスが、フィールド魔法の起動を告げる。ジャックと遊星の宣言が重なり、スタジアムに響き渡った。
「スピードワールド―ネオ、発動!」

 瞬間、世界が塗り変わる。
 風が支配する。この高揚は筆舌に尽くしがたい。まして今、この男の前では。
「先行はくれてやろう、チャレンジャー!」
 ジャックが、興奮気味に朗々と声を上げた。

 加速する。スタジアムを外周する筒状レーン。
 この半透明の曲壁を、エンターテイナーたるジャックは自在に駆け上がる。
 白のDホイールが、疾走しながらぐるんと後ろを向く。そのまま見事に逆向きに車体を安定させたジャックは、追う遊星をひたりと視線で捉えた。
「かかってこい、遊星!」
「オレの、ターン‼︎」
 遊星が加速し、あえて減速したジャックを追い抜く。最初のコーナーを取ったのは、遊星。【先攻】の表示が遊星に移る。
 今ここに、観客はいない。がらんどうのスタジアムに、いるのはジャックと遊星だけ。ここは、自分たちだけのスピードの世界だ。


 ─── ターン1 ───


 遊星が、素早く最初の布石を打った。
「モンスターを裏守備表示でセット!」
 鋭くカードをセットした遊星に、ギラギラと食いつくような目で見据えられる。
 慎重な一手でありながら、間違いなくジャックのライフを削り取る意思を秘めている。
「どうだ遊星、スピードの世界は!」
「……ああ」
 言葉は少なかったが、目が雄弁に物語っていた。スリルとスピードに取り憑かれた者のたまらない興奮がそこにあった。
「ジャック、お喋りはいいだろう。答えは、デュエルで返す」

 ジャックは高揚した。そこにいたのは、穏やかで寡黙な青年ではなかった。
 瞳に青い炎をギラギラ燃やす、貪欲なデュエリストがそこにいた。

「いいだろう! 誘いに乗ってやる、オレのターン!」
 魅せてやろう、キングのデュエルを。
 きらめくドロー。フェイズが移り、モニターの表示が『ターン2』に切り替わった。アクセルを踏み込み、ジャックはカードを振り上げた。
「現れろ、王に仕えし一つ目の巨人! レッド・サイクロプス!」
 ジャックの声に呼応して、巨人が隆々と筋肉を見せつけながら飛び出した。
 一つ目と真っ赤な角で威嚇し、足を踏み鳴らす。遊星は、動じもせずにモンスターを見据えていた。ジャックの口角が引き上がった。
「レッド・サイクロプスで、裏守備モンスターを攻撃!」
 見定めよう、この男がいかなるデュエリストかを。
 巨人が赤い角で突進し、伏せモンスターに腕を振り下ろす。
 一瞬で叩き潰されたそのモンスターは、ボルトヘッジホッグ。ネジを背負った、茶色のハリネズミ。
「初めて見るカードだな」

 ジャックは目を細めた。なんの変哲もない下級モンスター、のはずだった。
「だが、妙に懐かしい。なんだろうな、この感覚は」

 たった攻守800のノーマルカード。
 遊星が動じない所を見るに、破壊されるのも折り込み済みだったはずだ。普段なら、さらなる力で押しつぶし、意にも介さないだろう。

 だが、ジャックは確信していた。まるで幾度となく見てきたように。
 この一手が、この男の急所を狙う一手だと。油断すれば、首を掻き切られるのはこちらだと。
「俺は、カードを二枚セットして、ターンエンド!」
 ジャックが伏せたのは二枚の罠。いかなる攻撃にも耐えうる全力の布陣だった。

 遊星の目が探るように、二枚の伏せカードを睨んでいる。慎重に行くべきか、果敢に攻めるべきか、見極めているのだ。
 遊星は、自制するように唇を噛む。興奮を逃しながら、遊星は長く息を吐いた。

(冷静になるんだ。呑まれれば、負ける)

 いま遊星の前には、いくつかの選択肢がある。カードの羅列が、連なるように複数の道を指し示す。

(切り崩すか、それとも機会を待つか。まだ本気は出していないはずだ。ジャックは、自分の竜を出していない)

 二枚の伏せカードと、たった一体の手薄な攻撃布陣。恐らく、誘っている。
 遊星は迷い、わずかにアクセルを躊躇した。その時だった。

「臆すな遊星!」
 鋭い一喝に、ハッと遊星は顔を上げた。
「こんなものか、貴様のデュエルは!」
 ジャックの目が、煌々と燃えて遊星を睨んでいた。
 出し惜しみを許さない、決闘者の覇気が、雪崩のように遊星を襲った。
「ッ‼︎」
 遊星の背を、電撃のような興奮が駆け上がった。挑発されている。それを知ってなお、止まらなかった。

 ジャックが突如加速し、遊星を追い抜いた。急旋回して、レーンに立ちはだかる。
 このままではぶつかる。
 逆走したジャックが、遊星に向けて突進した。

「全力をぶつけてこい! 貴様の───不動遊星のデュエルの全てを見せてみろッ‼︎」

 遊星の瞳が青く燃え上がった。
 遊星が、一気にアクセルを踏み込んだ。ハンドルを切らず、加速する。
 激突寸前、ジャックが巧みに方向を変えた。加速したDホイールが、ジャックと一瞬ですれ違う。
 皮一枚ですれ違った、二台のDホイール。
 ジャックの目は、不敵に笑っていた。獲物を狩るように強く強く飢えていた。
「そうだ! 来い遊星ッ‼︎」
「全力で行くッ!」
 遊星は、手札を素早く抜き去った。
「オレのターンッ!」


 ─── ターン3 ───


 かざした指先が風を裂く。
 遊星の目が、何も無い空間をギラリと捉えた。 
「相手フィールドにモンスターが存在し、自分フィールドにモンスターが存在しない時、このカードは特殊召喚できる! 現れろ、アンノウン・シンクロン!」
 赤い核に金属の外殻。
 未知のチューナーが、衛星のように遊星の周りを旋回した。
「チューナー、来るか」
 ジャックは見据えて目を細める。
 遊星の勢いは止まらず、手を勢いよく突き出した。
「墓地のボルト・ヘッジホッグは、自分フィールドにチューナーが存在する場合、自身を特殊召喚できる。さらに、墓地のモンスターが特殊召喚に成功したことで、続けて、このカードを特殊召喚できる。現れろ、ドッペル・ウォリアー‼︎」

 先ほど破壊されたハリネズミが、ヂューッ、と鳴き声を上げて勢いよく墓地から飛び出した。次いで、流れるように、マシンガンを構えた戦闘員が飛び出す。

「レベル2のボルト・ヘッジホッグとドッペル・ウォリアーに、レベル1のアンノウン・シンクロンをチューニング!」
 星が燦然と輝く。流れるような連続召喚。遊星は手を天に高く掲げた。
「集いし風が、新たな仲間を呼び起こす! 光さす道となれ!」
 五つの星が連なって、風が舞い上がった。

「シンクロ召喚! 駆けろ、ジャンク・スピーダー‼︎」
 ぶわりと巻き起こった風に、ジャックは口角を吊り上げた。
「来たか、シンクロモンスター‼︎」
「ドッペル・ウォリアーがシンクロ素材となったとき『ドッペル・トークン』を二体、攻撃表示で特殊召喚する!」
 ジャンク・スピーダーに重なって、ドッペル・ウォリアーの影が浮かび上がった。飛び出した光の玉が、にいっと笑った子供の姿に変化して、遊星の隣を走る。
「ジャンク・スピーダーの効果! シンクロ召喚に成功した時、デッキの『シンクロン』チューナーを可能な限り特殊召喚する! 現れろ、スチーム・シンクロン、ジェット・シンクロン!」
 蒸気機関車をデフォルメしたような小柄なモンスターと、飛行機のジェットエンジンがロボット化したコミカルなモンスターが並んだ。

 ズラリと並んだモンスター。
 モンスターゾーン全てが、またたく間に一瞬で埋まった。
「連続八体の特殊召喚だと?」
 ジャックは口角を吊り上げた。わずかな手勢からの、連続召喚。

 相手を利用しての特殊召喚
 それをトリガーとして墓地から蘇生
 蘇生を利用して手札から誘発
 シンクロからのトークン、デッキからの特殊召喚

 あらゆるすべてが緻密に組み上がった一手。さながらドミノのように、全てが引き金となって続いていく。
「見事だ、遊星。墓地のモンスターは、このための布石か」

 恐ろしいのは、この布陣を作り上げたのが、たった二枚(・・・・・)の手札だということだ。

「……この世に不要なカードなどない。全てに意味がある」

 遊星は、深く、熱く。瞳に、青い炎を宿していた。
 組み上がった星々の輝きが、遊星が掲げた手の中で、光の洪水のように、ジャックに迫ろうとしていた。
 遊星は勢いよく腕を振り抜いた。
「レベル1のドッペル・トークンに、レベル3のスチーム・シンクロンをチューニング、シンクロ召喚! 現れろ。レベル4、アームズ・エイド!」

 光の渦の中から、機械仕掛けの手甲が、鋭い爪をギラつかせて現れた。

「まだだ! レベル4のアームズ・エイドに、さらにレベル1のジェット・シンクロンをチューニング!」
「連続シンクロ召喚か!」
 ジャックは血が沸き立つのを感じた。
 これで、連続十体、三連続シンクロ召喚。

「集いし熱が、新たな嵐を巻き起こす。光さす道となれ! シンクロ召喚!」
 セカイが光に包まれる。
 吹き抜けた熱風。現れたエンジンが変形して、ロボットの戦士が飛び出した。

「吹き荒れろ、レベル5、ジェット・ウォリアー‼︎」

 飛び出した黒き戦士が吠える。攻撃力は2100。合計4300。ジャックは口角を上げた。
「これがお前のデュエルか、遊星。だが、これでは俺の首には届かんな」
「いや、ジャンク・スピーダーはこのターン一度だけ、攻撃力を倍にする効果がある!」

 ジャンク・スピーダーの体が巨大化した。
 攻撃力3600と、2100と、400。その合計、6100。ジャックのレッド・サイクロプスの攻撃力は1800、つまり。
 ワンターンキルだ。

「フ、ハハハ! 俺の首を取りに来たか、遊星! だがその攻撃、易々と通しはせんぞ!」
 ジャックの場には、伏せカード。誘うように悠然と、ジャックが笑みを見せつけて、挑発した。遊星は、畳みかけるように叫んだ。
「ジェット・ウォリアーのモンスター効果!」
 背負ったエンジンが加熱する。火を吹いて真っ赤にオーバーヒートする機体。そこから、熱風が竜巻のように舞い上がった。
「シンクロ召喚に成功したとき、相手のカードを一枚手札に戻す! ジャック、オレが選ぶのは──その伏せカードだ!」
「やるじゃないか! 俺の伏せカードを潰し、ワンターンキルを決めにくる。冷静に見えて、熱い男だ」
 襲い来る熱風の竜巻の中で、ジャックは高らかに笑った。声をスタジアムに響かせて、Dホイールごとぐるりと反転した。

「ならば見せてやろう! 王者は絶対にして至高、その程度のそよ風で、倒せはしないものと知れ!」
 熱風が巻き上げたはずの伏せカードが、発動する。
 熱風の嵐の中で、赤い結晶が炎を宿して燃え上がった。

「トラップ発動、《レッド・クリスタル》!」

 レッド・サイクロプスが咆哮する。
「王者の魂は滅びぬ! 『レッド』モンスターはこのターン、いかなる戦闘でも破壊されない! 全力でぶつかってこい、チャレンジャー‼︎」
「行くぞ、ジャック‼︎」
 遊星は一気に加速した。
「ジャンク・スピーダーで攻撃、スクラップ・エッジッ!」
「レッド・クリスタルの効果により、レッド・サイクロプスは破壊されない!」
「だがダメージは受けてもらう!」

 レッド・サイクロプス ATK 1800 VS ATK 3600 ジャンクスピーダー
 → ジャック:LP2200

 ダメージの衝撃がジャックを襲う。Dホイールが衝撃でスリップして、派手に回転した。
 ジャックはこらえて、顔を楽しげに跳ね上げた。
「やるな!」
「続けて、ジェット・ウォリアーで攻撃ッ! ストーム・シュートッ!」

 レッド・サイクロプス ATK1800 VS ATK2100 ジェット・ウォリアー
 → ジャック:LP1900

 ジャックのライフは残り半分。
 だが、ワンターンキルを狙えるだけの攻撃力を持ちながら、削り切れなかった。
「さすがだな、ジャック!」
「お前こそ!」

 きぃん、とDホイールが高らかに駆動する。

 迫るコーナー、タイヤが地面と摩擦で軋む。ジャックは身体を大きく倒した。
 コーナーをギュルン‼︎と派手な音を立てて曲がる。
 地面スレスレを追う遊星は、負けじと声を張り上げた。

「全力だった! まさか、たった一枚でいなされてしまうとは思わなかった」
「お前こそ、たった二枚の手勢から、よくここまで俺を追い詰めた!」

 コーナーを抜けた。前を走るのは、ジャック。遊星は口許にほのかな笑みをたたえ、カードを掲げた。
「躱されたな。モンスターをセット。カードを一枚セットして、ターンエンドだ!」


 ─── ターン4 ───


「……これで、ライディングデュエルが初めてだと?」

 この俺を相手に、ここまで食らいつく、お前が?

 笑い声が、爆発する。
 ジャックは楽しげに声を響かせた。

「俺の挑発に、正面から加速してみせる豪胆さ! 冷静な戦略からのワンターンキル! これが! 初心者だと! 笑わせる!」
 ニィッ、と遊星が不敵に笑った。
 物静かで、だが挑戦的な目で、ジャックを今か今かと待ち構えていた。ジャックは、口角をたまらなく引き上げた。
「とんだ獅子が眠っていたものだ! そうだ、俺はこれを待っていた! 俺の魂を熱く昂らせる決闘者を!」

 ゴウッと闘気が豪風のように遊星を襲った。
 ジャックが本気になったのだ。濁流のような覇気を、遊星は受けて立った。たまらなく、興奮した目で。
(おご)るなよ遊星! 貴様の戦略など、この俺が一撃で粉砕してくれる!」

 前を走るジャックが、ぐんっ、とハンドルを切った。
 見る見るうちに、レーンの壁を駆け上がっていく。

 ジャックは走りながら自在に反転し、追う遊星をDホイールごとぐるんと振り返った。
王者の覇気が、場を席巻する。ジャックが吠えた。
「小細工など、この俺の前では風前の灯火と知れ!」
 ジャックのDホイールが、変幻自在に宙を飛ぶ。
 遊星は、眩しくて、目を細めた。

「俺の……タァァァァァンッ!」
 ジャックのドローが輝いた。

「行くぞ遊星! 俺はレッド・リゾネーターを召喚、現れろ!」
 炎を纏う、調音の悪魔。初めて見たはずのリゾネーター。

 遊星には、それはまるで、酷く見慣れたモンスターに思えた。
 直感的に分かった。そうだ、これがジャックの本来の動きなのだ。遊星はそのとき、自分の中で、かちりと歯車が噛み合った音を聞いた。
「レベル4のレッド・サイクロプスに、レベル2のレッド・リゾネーターをチューニング!」
 宙に星が舞う。カッと光の輪が連なった。
「紅き竜よ、琰魔を呼び起こす道を、照らし出せ! シンクロ召喚!」

 地面を炎が走る。
 キンッと視界を覆う閃光。瞬間、世界が燃え上がった。

「魂の胎動、レッド・ライジング・ドラゴン!」

 炎をまとったまま、ドラゴンが、炎の中から咆哮した。

 そこに、竜の形の炎と光の塊があった。
 明確な形を持たない、生まれる前の火龍が。

 遊星は見惚れるように、瞠目した。
 その咆哮は、あまりに荒々しく、光の中で燃えて、燃えて、燃え盛り、目を逸らせないほど圧倒的な存在感を放っていた。
 まるで、生まれる前の炎の竜が、産声を上げようとするように。

「先ほどの礼だ! 俺も見せてやろう、俺の連続シンクロをな!」

 ギュルン、とアクセルを鳴らして加速したジャックが、曲芸師のようにDホイールを捻ってみせた。
 スピンした白の輪が、遊星に対峙する。
「レッド・ライジング・ドラゴンの効果。墓地の『リゾネーター』を特殊召喚できる!蘇れ、レッド・リゾネーター!」

 チューナーを墓地から呼び出したジャックは、悪魔を従えて高らかに宣言した。

「レッド・リゾネーターのモンスター効果! 特殊召喚に成功したとき、場のシンクロモンスターの攻撃力分のライフを回復する!」
「……これは」
 状況を把握して、遊星がはた、と察した。
「いま場にいるのはオレの───ということは、まさか」
「気付いたか!」
 ビシッと宙を指差す。観客を沸かせる、ショーのように。
「俺は貴様のジェット・ウォリアーを選択! 攻撃力分のライフを回復する!」

 +ATK 2100
 → ジャック:LP4000

「やはり、ライフが元通りに……まさか、読まれていたのか」
 ジャックは不敵に笑っていた。目を丸くした遊星は、やがて興奮したようにジャックを見返した。
「どうやらオレは、遊ばれていたらしいな、ジャック」
「キングのデュエルは、エンターテインメントでなくてはならないッ! さあ、遊星。ウォーミングアップは良いな。そろそろ期待に応えてやろう!」

 ぶわっ、とジャックの闘気が膨れ上がった。
 変幻自在に壁を駆け上がり、白銀のDホイールが、飛んだ。

「レベル6のレッド・ライジング・ドラゴンに、レベル2のレッド・リゾネーターを チューニング! 王者の咆哮、いま天地を揺るがす。唯一無二なる覇者の力をその身に刻むがいい! シンクロ召喚!」
 炎の中から、産まれる。火の龍が。

「荒ぶる魂、レッド・デーモンズ・ドラゴン・スカーライト!」

 炎を引き裂いて、その竜は生誕した。
 遊星は、打ち震えた。そのとき確かに、自分の中の何かが歓喜した。
 遊星はきっと、長らくこれを待っていたのだ。

 遊星は喉を静かに震わせて、蒼の瞳をふわりと綻ばせた。ジャックが不可思議に思い、眉間を寄せる。
「何を笑っている」
「楽しいんだ」
 子どものようなあどけない顔で、遊星は笑った。
「なあジャック。デュエルって、こんなに楽しいものだったんだな」

 その言葉に、ジャックは口角をニヒルに吊り上げた。
「遊星。お前、はしゃいでいるだろう」

 遊星と共に走る二体の戦士。ジャンク・スピーダーとジェット・ウォリアー。
 どちらも変形ロボットのようなニュアンスを持っている。男児が憧れるような、夢とロマンの詰まったフォルム。
 対するレッド・デーモンズ・ドラゴン・スカーライトは、灼熱の竜。ジャックの魂。
 君臨する絶対なる王者。
 この竜に相対しながら、畏怖こそすれ「楽しい」などと。
 こんなにもワクワクしてたまらないのだと、青い目で訴えながら、遊星は笑っていた。旧友に再会したような、酷く懐かしく、新しい懐古を宿した目で。
「ジャック、オレは待っていたのかもしれない。お前と、お前の竜を。こうしてお前とデュエルする日を」

 その言葉に、ジャックは、胸の内からじわりと何かが沸き立つのを感じた。
 ジャックのどこかが、俺もだと叫んでいた。ジャックは返答を、デュエルで叫んだ。
「レッド・デーモンズ・ドラゴン・スカーライトの効果! このカード以下の攻撃力を持つ、フィールドの特殊召喚された全てのモンスターを破壊する! アブソリュート・パワー・フレイム!」

 ゴウ、と炎をまとったスカーライトが腕を大きく振りかぶって、フィールドを薙ぎ払った。遊星の場のジェット・ウォリアー、ジャンク・スピーダー、ドッペル・トークンが立て続けに焼かれて破壊される。
 炎の暴風が、フィールド全てに襲い掛かった。遊星は炎に煽られて車体を揺らされた。
「くっ」
「さらに、この効果で破壊したモンスター一体につき、500のダメージを与える!」

 500×3=1500
 → 遊星:LP2500

「ぐああ!」と遊星は苦悶の声を上げた。
 気付けば、ライフは半分近く削られて、ジャックは元通りのライフ4000だ。
 先ほどまでこちらが追い詰めていたはずが、逆に追い詰められている。

 四体もズラリと並んでいたはずのモンスター。それも、気付けば最後の一体。

「これが、ジャックのデュエルか」
 遊星は興奮で流れる汗を、笑んだまま顎を拭った。
「だが、ジャック。オレのモンスターはまだ残っている!」
「いや、ここで終わりだ! 貴様に真のワンターンキルを見せてやろう! 魔法カード、《武闘円舞(バトルワルツ)》‼︎ シンクロモンスターを選択し、同じ攻撃力を持つ『ワルツトークン』を特殊召喚する!」
「なに⁉︎」

 スカーライトは、咆哮した。

 闘いの雄叫びが空高く響き渡る。遊星は目を覆った。光が晴れていく。そこにいたのは、絶望に相応しい光景だった。
 シンクロモンスターのコピーを生み出す《武闘円舞(バトルワルツ)
 二体のレッド・デーモンズが、遊星の前に天から降臨した。
「攻撃力3000のレッド・デーモンズが、二体──ッ‼︎」
「遊びはここまでだ、遊星!」

 遊星を守るのは裏守備モンスターわずか一枚。
 他に遊星を守る壁は無い。このままでは遊星の残りライフは、二体目のスカーライトの一撃で吹き飛ぶ。
「灼熱の中で踊れ! 行け、『レッド・デーモンズ・ドラゴン・ワルツ』よ! 灼熱のクリムゾン・ヘル・バーニング!」
 ゴウッ、と拳が迫る。
「これで終わりだ、遊星ッ!」

 遊星は、俯いて。────静かに、口角を上げた。
「……ダンスは、苦手だな」

 伏せモンスターが、パッと反転した。
 スカーライトの拳が、ピンクの小鳥のようなモンスターで容易く受け止められた。
「なに!」
「ロードランナーの効果! 攻撃力1900以上のモンスターとのバトルでは破壊されない!」

 ゴウッ、と燃え上がった拳は、柔らかくピンクの羽に包まれて鎮火した。

 しばし時が止まったように、ジャックは目を丸くした。次いで、爆発するような笑い声を上げた。
「我が魂がこんな小さなモンスターで、しかもノーダメージでかわされるとは! 面白い、面白いぞ遊星!」
 ジャックはカードを掲げ、素早く叩き付けた。
「ならばカードを一枚セット! もっとだ、もっと見せてみろ、遊星ッ! お前の魂のデュエルを! ターンエンド!」
「オレの、───ターン‼︎」


 ─── ターン5 ───


 遊星はアクセルを踏み込み、ゆっくりと、指先に力を込めた。風を感じる。
(余力は無い。ジャックのライフは4000のままだ。だから、……きっと、ラストターンになる)
 まだまだ戦っていたかった。名残惜しいくらいに。だが、ジャックの力がそれを許さない。
 場には君臨する二体のレッド・デーモンズ。ここで引けなければ、負け。
(応えてくれ、オレのデッキ)
 全身全霊で食らいつかねば届かない。ジャックには、この先には。
 風の世界で、遊星はカードに呼びかけた。

 オレは、この風の先が見たい。

「ドローッ‼︎」
 指先でパッと反転させたカードに、目を走らせる。

 指先が熱く、燃えた。

(───来た!)

「墓地のジェット・ウォリアーの効果! レベル2以下のモンスターをリリースして、このカードは蘇る。ロードランナーをリリースし、復活せよ、ジェット・ウォリアー‼︎」
 墓地から再びジェット・ウォリアーが火を噴いた。エンジンでホバリングしながら、ゆっくりと降り立つ。
「守りを捨てたか! なるほどな、あえてレベルの低いロードランナーで攻撃を受け切ったのは、これが狙いか!」
「ジャック、出し惜しみはしない。オレの全力でお前を倒す! チューナーモンスター、ターボ・シンクロンを召喚!」

 遊星の呼びかけに応えたカードが、キラリとひらめいた。
 緑色のレースカーを模したモンスターが、しゃきんと音を立てて飛び出す。
 ゴロロロロ、とエンジン音を響かせて、背中のターボエンジンが火を噴いた。

「レベル5のジェット・ウォリアーに、レベル1のターボ・シンクロンをチューニング!」

 天に手を突き出す。
 遊星の青い目が、正面を鋭く射抜いた。ごうっ、と風が舞い上がった。

「集いし絆が、さらなる力を紡ぎだす。光さす道となれ! シンクロ召喚!」
 閃光が、カッと煌めいた。
「轟け、ターボ・ウォリアー‼︎」
 真っ赤な戦士は、赤いDホイールに並んで、轟々と爆音を響かせた。

「ターボ・ウォリアーに装備、《シンクロ・ヒーロー》! 装備モンスターの攻撃力は500アップし、レベルは1つ上がる!」
 カッと雷が落ちた。
 ビリビリと余波が響いて、真っ赤なターボ・ウォリアーのボディが、雷の覇気を纏う。
 攻撃力3000となった赤き『ヒーロー』に、ジャックはニィと不敵に笑ってみせた。
「スカーライトの攻撃力と並んだか!」
「決着を付けよう、ジャック! 行け、ターボ・ウォリアー‼︎」
「相打ち狙いか⁉︎ 甘いわ!」
「いいや、このターンでジャック、お前に勝つ‼︎」

 ギュイン!と加速した。遊星のDホイールが、壁を駆け、飛んだ。
「この瞬間、ターボ・ウォリアーの効果発動! レベル6以上のシンクロモンスターに攻撃するとき、相手の攻撃力を半分にする‼︎」

 スカーライトの攻撃力が、一気に1500まで急落する。
 相対するターボ・ウォリアーの攻撃力は3000。

「なに⁉︎」
「行け‼」

 これが通れば。
 ジャックは一瞬、伏せカードに手を伸ばして、手を止めた。ジャックが素早くカードを翻す。
「トラップ発動、《シフトチェンジ》! 相手モンスターの攻撃対象になった時、攻撃対象を変更する! 貴様の攻撃を、ワルツトークンへ変更!」
 遊星は瞠目した。
「これは…!」
「貴様のモンスター効果は、シンクロモンスター(・・・・・・・・・)を対象としたもの。ワルツトークンには効かん! 迎え撃て、レッドデーモンズ・ドラゴン・ワルツ‼︎」

 相打ち。
 双方が吹き飛ばされる。
 爆風に煽られて、遊星は腕で目を庇った。

「ぐっ…!」
「これで貴様のモンスターは破壊された。次のターン、俺のスカーライトのダイレクトアタックで終わりだ!」
「……まだだ、オレは諦めない! オレの攻撃は終わっていない!」
「なんだと⁉︎」
「これがオレの希望! 自分のモンスターが破壊されて初めて、このカードは発動できる‼︎ リバースカードオープン!」

 遊星が、天に手を掲げた。眩しいほどの光が、遊星のいく道を照らした。光の中で、遊星の青い瞳が、サファイヤのように硬質に輝いた。

「《奇跡の残照》‼︎ このターン戦闘で破壊された自分のモンスターを復活させる!」
「なに⁉︎」
「蘇れ、ターボ・ウォリアー‼︎」
 天から光が降り注いだ。流れ落ちた光は、頭上に降り注ぎ、遊星のゆく道を照らす。キラキラと美しく輝く光の帯が、形作っていく、復活する遊星のモンスターを。
 レッドデーモンズの前に、まばゆい星屑のように、それは現れた。

 ジャックの前に立ちはだかったのは、赤き戦士。倒されたはずのターボ・ウォリアー。
 ジャックは瞠目した。光の残照の中に、美しい星屑の羽ばたきを空目した。
「これがオレの全力だ、ジャック! 復活したターボ・ウォリアーは、もう一度攻撃ができる‼︎」
 ターボ・ウォリアーの拳の前に、スカーライトの攻撃力がみるみる下がる。
 1500 VS 2500 ジャックは瞠目した。

「スカーライトに攻撃! 撃ち砕けッ! ハイレート・パワー‼︎」
「……させん‼︎」
 ジャックは咆哮した。
 荒々しく、猛々しく。地を揺るがすほどに、叫んだ。

「我が魂は挫けん! あの日、(あま)の先で見た景色を見るまでは!」
 腕を突き上げる。
 圧倒的な存在感。そのポーズは、まるで、何度も何度も、テレビの前で繰り返した。
 遊星はつられて、思わず目をみはった。

「刮目せよ!」
 指を突き上げる。圧倒的な、存在感。
 ドンッ!と叩きつけるように、ジャックが吼えた。
「キングは一人、この俺だッ!」

 紫色でえがかれたそのカード。
 リバースカードが、オープンする。

「トラップ発動! 《プライドの咆哮》‼︎」
 地を揺るがす咆哮と共に、レッドデーモンズが巨大化した。
 竜の雄叫びが、スタジアムをビリビリと震わせる。

「これは…‼︎」
「スカーライトは破壊させん! 俺のライフを捧げることで、スカーライトの攻撃力は、いかなるモンスターをも上回る!」

 スカーライト ATK 2800 VS ATK 2500 ターボ・ウォリアー

「しまった…‼︎」
「返り討ちだ、スカーライト‼︎」
 ジャックは腕を掲げ、開いた手を、ガッと握った。
「ターボ・ウォリアー、粉砕!」

 スカーライトが、赤き戦士を叩き潰した。遊星は目を見張った。

「とどめだ、遊星‼︎ レッド・デーモンズ・ドラゴン・スカーライトの攻撃‼︎」

 ゴウッ、と迫る炎の拳。
 遊星の場には、モンスターも、伏せカードもない。

 打つ手は、無い。
 遊星は、迫る炎を前に、ふっと表情を緩めた。
「やられたな」

 これが、コモンズの王
 ジャック・アトラス、か────
「綺麗な竜だな、テレビ越しより、ずっと」

「喰らえ、灼熱のクリムゾン・ヘル・バーニング!」
 拳が、遊星を撃ち抜いた。

 遊星: LP 0


   ◇   ◇   ◇


 決着だった。
 ライフは0となり、Dホイールが急回転して動きを止めた。
 シュー、とブレーキから煙を吐きながら、遊星はメットを外して汗を拭った。
 遊星が見上げた空は高く、高く、青く澄んでいた。
「すごく、気持ちが良かった。これが、ライディングデュエルなんだな」

 キュインッ、とレーンの壁を登り上げ、白の輪のDホイールが宙を飛ぶ。
 ぐるりと宙でその身を自在に操って、コースを反転したDホイールは、轟音を立てて着地し、レーンを逆走して遊星の横で止まった。
 白のメットを外して脇に抱え、ジャックは遊星の隣に降り立った。
 汗で息の上がった遊星を見下ろして「まだまだ修練が足らんな」と告げたジャックに、遊星は口角を上げて応えた。

「遊星、もっと強くなりたいか」
「なりたい。もっと、この風の先を見てみたい。ジャック、オレに何が足りないのか、分かるのか」
「ああ、分かる。お前には理由が無い」
「理由?」
「勝利への渇望。求める理由、戦う意味だ。遊星、お前とのデュエルは、楽しかった。世辞では無い、今までで最も心地よい風だった。だが、お前のデュエルは、子供が初めて風に触れた時の物だ。お前のデュエルはこの街には優しすぎる。この街では、お前のデュエルはお前に不要な諍いを与えるだろう」
「!」

 遊星は、告げたジャックに驚いたように、目を見開いて苦く笑った。
「凄いな。デュエルをすれば、分かってしまうんだな」

 そうして遊星は、レーンを降りてジャックに訥々と語った。
 デュエルもDホイールも好きだが、この街で他を蹴落として挑む気になれないこと。無用な賭けを吹っかけられて以来、カードを持っていること自体を周りに告げなくなったこと。
 トップスに生まれ育ったが、レアリティの低いカードをぞんざいに扱って、コモンズに捨てる風潮が、どうしても相容れないこと。
「カードは、一枚一枚、大切にされて良いはずなんだ。なのに、この街はカードを捨てすぎる。それに混ざる気に、どうしてもなれないんだ」

 遊星はそうジャックに告げて、自分のデッキを手に取って見つめた。
 そのデッキは、カード一枚一枚が丁寧に扱われていた。
 レアリティの高いカードも低いカードも皆平等に、とても大切に子供の手でかき集められたような、デッキだった。
「カードは、拾ったんだ。昔、捨てられているカードを見るたび、可哀想で、こっそり集めた。周りにバレたとき、不動博士は息子にコモンズのようにゴミ拾いをさせるのかって。父さんは笑って相手にしなくていいって頭を撫でてくれたけれど、父さんに申し訳なくて」
 告げてから、その台詞に自分で傷付いたように、申し訳なさそうに遊星はジャックを見上げた。その程度の侮蔑中傷は物の内にも入らないほど聞いてきたジャックは、遊星に気にするなと手だけを振った。

「ジャック、……ジャックとのデュエルは、楽しかった。本当に。オレのデュエルは、まだまだ可能性があるって分かった。けれど、やっぱり、たとえばトーナメントに挑む気にはなれないし、周りを蹴落として上を目指そうとは思えない。オレが見たいのは、上じゃなく、この風の先だ。ジャックが言う『理由が無い』というのは、そういうことなんだろう。オレは仲間とこんなふうに、何も賭けずに戦いたい。仲間とスピードの先を見てみたい。父さんがくれた遊星粒子の名前のように、デュエルで人と人を繋ぐような、そんなデュエルがしていたい。……オレの望みは、贅沢なんだろうか、ジャック」

 そこに居たのは、まだわずか十九歳の、心優しい青年だった。
 トップスに生まれ、自慢の父と母を持ち、ジャックのように他を蹴ちらさずとも生きていけた、この街に似合わぬ優しい男。
 それは、ジャックから見ればあまりに確かに贅沢で、けれど贅沢だと責めるにはあまりにも優しく柔らかかった。同時に、ジャックの持たぬ父母を想う心は、とても尊い物だと、ジャックは思った。
 自分とて、己のデュエルを貫くことがマーサの妨げになったなら、とジャックは想像してみる。己は己を貫けと背中を押されて、その先が育ての母のためになると思ったが、この青年はどうだろうか。
 この青年のデュエルは、あまりに澄んでいた。欲望にまみれた街の中で、一雫の流れ星のように。
 このデュエルを無理に穢すことが、この青年のために本当になるだろうか。

「遊星、デュエルとは。モンスターだけでは、勝てない」
 ジャックは、静かに口を開いた。悩みを乗せた遊星の青い目が、ふっと、ジャックを見つめて色を持った。
 吸い込まれそうに蒼く澄んだ、蒼天の星空のような瞳だった。

「トラップだけでも、マジックだけでも勝てはしない。全てが一体となってこそ意味をなす。そして、その勝利を築き上げるために最も大切なものは、」

 遊星が見つめる中で。
 ジャックは、自らの心臓の上に、拳を置いた。
「ここにある」

 遊星は、ジャックの言葉を噛み締めるように、じっと、見つめる。そして自分の胸に手を置いた。
 目を閉じて、自分の心にそれを訊く青年は、やはり、あまりに柔らかかった。
 このまま諍いに放り込めば、この蒼天は理由を持つ前に失われてしまう。ジャックは、アメジストの瞳を細め、見定めて意志を強く持った。
「遊星。お前の中にあるものは、これからお前を無為に傷付けることもあり得る剣だ。だが、そのまま抜かずに錆び付かせるだけでは、守れん」
「なにを?」
「理由を。───お前がいつか、剣を取ると心を定めるその時の、守り抜くべき決意を」

 ジャックを見上げる遊星の蒼天の瞳は、キラキラと美しく望みを映しこんで、星屑のように純粋に守られている。
 だが、この男もいつか、守られる側から守る側になる。
 この男のデュエルは、そういうものだ。いずれ時が来る。運命でなく、この男の心がそうさせる。
 この男は、あまりに柔らかに周りを大切にしている。この男が何かを守り抜きたいと、己を盾にする時が必ず来る。

 そのときのためにジャックが出来るのは。
 この男が望みを果たせる剣の抜き方を、教えてやることだ。

「遊星、コモンズをその目で見たことはあるか」
「……いいや、ない。すまない」
「それを恥ずべき事だとお前が感じているなら、見てこい。紙を出せ。下り方を教えてやる。ただし、半端な覚悟では行くな。必ず何かが終わり、何かを失う。だが、何かを見つけるかもしれん。それが良い方に働くか、その逆かは、俺には分からん」

 ジャックに求められるまま、手帳とペンを差し出した遊星は、ジャックがサラサラとペンを走らせるのを、じっと、見つめていた。
 ビリッとそれを破り、ジャックが差し出したのは地図路だった。
「月に一度、最終週の月曜から火曜に移り変わる零時にゴミ収集車がこの関所を通る。金と身分証は絶対に持つな。必ず、ゴミの臭いがするボロボロの外套を用意していけ。靴もだ。髪は乱して、時計は月の位置で確認しろ。朝六時に全てのゴミを回収するのに合わせて、帰れ。戻れなかったら、最悪、お前の身分であれば、父の名を出せば南の関所が通れるかもしれん。そうでなければ、西ブロック六の三のマーサハウスを尋ねろ。褐色のレンガの袋小路を回り抜けたその奥だ。俺の名を出せば、匿ってくれるだろう」

 裏に『J・A』とサインを入れて、それはジャックの手の中にあった。
「受け取る覚悟がないなら、止めておけ」
 ジャックは、真っ直ぐに遊星を見下ろした。
 アメジストの瞳と、アクアマリンの瞳が、束の間交わる。蒼天が、ゆっくりと、手を伸ばした。瞳の中に、何かをもがき求める、強い意志を宿して。

「いいだろう」
 ジャックは、それを遊星へ手放した。


「ありがとう、ジャック」
 別れ際、遊星はジャックに手を差し出して硬く握った。
「次の月の夜、行ってみようと思う。求めていた『何か』があるかもしれない」
「健闘を祈る。俺の望みは、お前が最も手強いライバルとして、立ちはだかることだ」

 手を離したとき、互いの紫と蒼天の瞳には、強い強い意思が燃えていた。
「だがな、遊星。同時に俺は思う。お前はこのシティの喧騒に、最後まで呑まれぬままで在って欲しい、とな。俺もこの選択が本当にお前のためになるのか自信が無い。だが、遊星。何があっても、困ったら最後は俺の前に来い。お前に恨まれないことを祈る」
「恨んだりしない。何かを失ったとしても、今日ジャックは、オレに与えてくれた」
 ふわり、と青の瞳が綻ぶ。
「……本当は、デュエルの途中から、まるで兄がいるみたいに感じていたんだ」
「もしも、お前が弟だったら。俺は酷く嫉ましく、同時に誇らしいだろうな、遊星」

 それが、別れの挨拶だった。
 次の月の夜、ジャックは寝ずに遊星からの帰還の報を待った。

 朝の九時。携帯が震えた。
「無事に着いた。ありがとう、ジャック。オレは進む道を決めた」と、シンプルな報を受けて、ジャックは、口角を上げる。
 ライディングスーツのジッパーを上げて、トーナメントの歓声の中に身を躍らせた。

「待たせたな! オレがキングだ!」

 湧く歓声の中で、渇きはいつの間にか随分と薄らいでいた。


  ◇  ◇   ◇


『オレの見てきたものを聞いて欲しい』
 遊星からメールが入ったのは、さらに三日後のことだった。
 ジャックは『二日後、十五時から二十時の間であれば、時間を空けてやる』と返した。

 空っぽのグラウンドは、再び二人を迎え入れた。
 ジャックを待っていた遊星は、俯いて何かを耐えるような顔をしていた。だが、ジャックを見上げた途端、ジャックを真っ直ぐ睨むほど強く凛々しい顔立ちを見せた。
 柔和な青年の笑みは薄まり、鋭い決意を青の目に雄弁に乗せた、道を決めた男の顔だった。
 その顔に、ジャックは目を細めた。

 無愛想な程に凛々しい顔立ち、瞳だけが雄弁に物を語る。
 ジャックは、ああ、これがこの男の顔だ、と思った。

 柔和で幸福に彩られた少年のモラトリアムは終わりを告げ、そこには、戦い抜く意志を携えた、強い強い男が立っていた。

「東ブロックの入り口で、ラリーという子供と出会った」

 遊星が語るには、衝撃だったそうだ。
 ゴミの腐った酷い臭い。埃が喉を刺激して、咳が止まらなかったと。
「あんな環境では、すぐに身体を病んでしまう」
「ああ、そうだ。それがコモンズだ。そして、その中でまともに飯を食える子どもは、さらに少ない」

 自分なりに覚悟したつもりだったが、何もかも吹き飛ぶほどだったそうだ。
 絶句して立ち尽くす遊星に、小さな子どもが腕を引いて、「お兄さん、上の人?」と尋ねたんだそうだ。馬鹿正直に「ああ」と答えた遊星は「こっち来て」と子どもに腕を引かれて付いて行った。
「やっぱり。時々紛れてやって来るんだ。歩き方が綺麗なんだもん、あんなんじゃ変装してたって一発でバレちゃうよ、コモンズは鼻が効くんだ。突っ立ってたら危ないよ、上の人はケンカ慣れしてないから、良いカモにされちゃう」
 小さな隠れ家に案内されて、フードを取った痩せた子どもは、遊星にニッコリ笑いかけた。

「ナーブ、タカー、お客さんーっ‼︎」
「んだよラリー、お前また何か拾って来たのかー‼︎ いい加減懲りろよー‼︎」

 そう、笑って遊星を迎え入れた瘦せぎすの青年と、肉つきは良いが顔色の悪い青年。彼ら三人と一緒に、遊星は、束の間コモンズの暮らしを目の当たりにした。

 ゴミにあふれて、食うに困りながら、電気もなく、周囲にあふれた壊れた機械を直す知恵も無く、身を寄せ合って生きている。
 けれどその表情は、トップスがゴミと罵るには、あまりにあたたかで。行きずりの遊星にも優しく、あまりに遊星の罪悪感を刺激した。
 ここに入ってから止まらない咳が、ここで自分は異物だと言っているようで、育った幸福な環境の犠牲を突き付けるようだった。
「何か、工具は無いだろうか」
 遊星は、そのひっそりした隠れ家で、朝までずっと。そこらの釘や針金を駆使して、古いラジオやテレビを修理していたんだそうだ。
 遊星からみれば、学校の初歩的な、簡単な修理で生まれ変わっていくスクラップに、ラリーと名乗った小さな子供も、ナーブとタカと名乗った青年も、目を丸くして喜んだ。

「すごい、すごい! 遊星すごいよ‼︎ 自分のテレビだ! すごい、魔法みたいだ! ありがとう遊星! おれ、どんなに腹が減ってもぜったい最後までコレは売らない!」

 瘦せぎすの体で、そんなふうに。どうしようもなく嬉しそうに笑うから。

 遊星は、ああ、彼らの力になりたい、と。
 どうしようもなく思って、堪らなかったんだそうだ。

「遊星、差し入れを考えているなら、やめておけ。一度なら火遊びで済もう。だがな、コモンズに基盤を持たぬ者が繰り返し物を入れれば、煽動のあらぬ嫌疑を受ける。お前は良いが、セキュリティのガザ入れがあれば、その者たちは収容所送りだ」
「……タカたちも言っていた。ラリーは哀しむだろうが、お前を二度三度ここに入れてやることは出来ない、と。それはお前のためでもあると」
「……遊星、憶えておけ。その者たちは賢い。そして、性根がお前に似て善だ。お前ほどの腕があれば、コモンズの者にとっては、その身一つで金の塊だ。お前をトップスに返さねば、少なくとも次のひと月までは有り余る金をお前から得られたはずだ。お前がその者たちに拾われたのは幸運だった」
「判っている。なあジャック、ジャックの言っていた意味がようやく分かった。オレがずっと捜していた絆があそこにあった。受け容れてくれた、オレを。オレを心配して、安全を祈ってくれた。トップスも嫌なヤツばかりじゃないんだなって、笑ってくれた。もう二度と会えなくても、お前は仲間だと、そう言ってくれた。オレの腕じゃなくて、オレの心を必要としてくれた。オレはずっと、デュエルが好きで、研究が楽しくて、満たされていたと、ずっと思っていた。だけど、ずっと何かを捜していたんだ。オレは、彼らの力になりたい。学んできたこの研究が、いつか彼らの助けになると、信じたい」

 遊星は、ヘルメットを引っ付かんで、レーンに立った。
 ジャックもまた、隣に立ってレーンにアクセルを入れる。

「ジャック、父さんは数年前、遊星粒子とモーメントの研究を凍結したんだ。完成すれば、トップスもコモンズも関係なく、無限に電気を供給できるほど莫大なエネルギーが生まれると。そうすれば、今の彼らは、もっと楽だったかもしれない。でも、とても大きな事故の可能性が、ほんのわずかだけ、見つかって……父さんは、半生を捧げた研究の全てを白紙に戻して封印した」
 カウントが、鳴る。遊星は、グリップを握り締めた。
「どちらが正しかったのか、分からない。でも、オレは。父さんが『お前の名前を絶望の象徴にさせるわけにはいかない』と……半生を犠牲にしても、そう笑ってくれた父さんの想いが、英断だったと信じたい。オレは父さんの跡を継ぎたい。今度こそ、オレの手で、コモンズの隅々まで光を届けるエネルギーの開発をしたい。光を、コモンズに、ラリーたちの元に、光を、光さす道を、オレの手で、」
 ギュン、アクセルが、カウントを待って、止まったままエンジンを噴く。
「これをオレのラストランにしようと思う。ジャック、ありがとう。今なら風の先が見える気がする。この先に、彼らと笑い合う未来が繋がっていると信じて、全てを賭けて人生を走り抜ける。もし、オレがもう一度アクセルを踏む日が来るとしたら。それは、絆を紡いで笑い合う時だ」

 カウントが0を告げ、遊星とジャックは同時に飛び出した。
 ジャックはカードを引き、そうか、と答える代わりに、最初から全力でカードをかざし、吠えた。
 応える遊星は、ジャックの横面に拳を叩き込むほど力強いデュエルを見せた。それが二人の対決の結末であった。


  ◇  ◇   ◇


第3章 Infernity Zero

インフェルニティ
無限煉獄

地獄と同一視されるが、本来、inferno とは
罪をそそぎ、天の国へ導く、禊の火である。
「限りなき救済」「救いは必ず来る」

無限の火に清められ、罪はいつか消えていく
彼にも、この世界にも

夜明けは、近い


  ◇  ◇   ◇



 カーリーとは、時折細々としたメールをやり取りする程度の仲になった。

 ジャックはまめに筆を取るタイプではなかった。
 だから、カーリーが小さな、そう例えば「今日の取材はすごく素敵だった」とか、「次の記事もボツだったけど、その次は小さいけど端のコラムで取り上げてもらえた」とか「安売りのタイムセールに間に合ってラッキーだった」とか、そんな。
 ささやかで彼女らしい日常の報告に、ほんのたまに、ごく短い返事を、気まぐれのように返すだけだ。キングは、口は饒舌だが、文では寡黙な男であった。

 ただの箱と化していた折りたたみ携帯が、時折思い出したように震えるようになった。
そこに「遊星」と表示されたメールも並んだ。
 クリックすると、あれから数週間、前より一層研究に邁進する遊星の、わずかな息抜きの様子が紡がれていた。
 優しく少し寡黙な青年の、ジャック宛の日々の報告が、青年の努力と幸福を写し込んで、汗の匂いを伝えていた。

『それと、ジャック、正直とても恥ずかしいんだが、ジャックには、伝えたくてメールした。父さんにはまだ言っていないんだが、実は、その。……先週、告白されて、彼女が出来た。とても綺麗で、幸せそうに笑うんだ。彼女が傷付かないように、守りたい』

 添付された写真。
 バラ園を背景に、赤髪の美しい女が、照れくさそうに遊星に寄り添っていた。
 ジャックはぴたり、と手を止めて、つかの間、息を忘れた。そして、久方ぶりに表情を緩めた。
 それは、まるで最初から寄り添うことが決まっていたように、ジャックに幸福を伝えた。幾度か夢の中で見た女だと、すぐに分かった。

 ジャックは、久方ぶりに携帯の返信を起動して筆を取った。
 たった七文字。

「大切にしてやれ」


 返信は無かった。
 きっと、あまりに照れくさくて筆を取れなかったのだろう。

 ふっ、とジャックは鼻を鳴らして、気まぐれを起こしてカーリーへと筆を取った。「探し物のいくつかを見つけた」と。
 すぐさま折り返してきた返信は、はしゃぐようにジャックの幸福を喜んだ。それに、胸が満ちる気がした。
 苦笑をひとつ落として、ジャックは返信した。
「ただし、逃した鯛はでかかったがな」と。

 渇きは随分と癒えたが、まだまだ遊星とはデュエルを交わしていたかった。





 ジャックが久方ぶりにコモンズに降り立ったのは、リーグを終えたその日であった。

 少し回り道をして、マーサハウスまでの道を迂回する。
 辺りの変化と治安を見ておきたかったからだ。それはマーサたちの安全に直結する。いくら話に聞いても、刻一刻と変化するこの溝溜めでは、この目で見ねば安堵できない。
 不思議と、B地区を中心に、周囲は以前よりゴロツキがなりを潜め、飢えて道に横たわる子どもが減っていた。この辺りでだけ、変化は顕著だった。
 トップスの者では変化に気付かぬだろう。だが、町にあふれる落書きに紛れたサインが、明らかに一つのものへ集約されて変わっていた。
 この辺りは激戦区だったはずだ、代替わりがあったのか。

「よぉキング。里帰りか?」

 後方から、フードを被った見知らぬ男が、ザリッと砂を踏んだ。
 ジャックは、おもむろに振り返った。気配をまったく感じなかった。
 男のフードの陰で、身を寄せる幼い少女と少年が、縋るように男の裾を握っていた。
「大丈夫だ、ニコ、ウェスト」
 フードに覆われた目元で優しく子供たちに告げながら、けれど一分の隙も無い。
 油断ならぬ空気に、ジャックはすぐに察した。
 代替わりの主はこいつだ。

「お前の領域を荒らす意図は無い。古巣への帰宅途中だ、すぐに立ち去る」
「察しが良いな。なら、そうだな、オレのデュエルを受けてくれよ。ああ、誤解すんな、ちょっと興味が湧いただけだ。お前なら、オレを満足させてくれそうな気がしてな。 デュエルをすりゃあ、わかるだろ?」
「良いだろう。俺も興が乗った」
「場所を移そうぜ。ここは目立ち過ぎる。二軒先の廃屋にいい場所がある。まぁ袋小路だから、罠じゃねえって言葉を信用すんならの話だが」
「良かろう。信用以前に、俺は罠であっても切り抜ける自信がある。そうでなくては、キングなぞ務まらんからな」

 ジャックは逃げも隠れもしないとばかりに、堂々と相対した。
 男の視線が、フードの下で、切れるほど鋭く光ったのが分かった。
「俺が期待するのはただ一つ。俺を迎えるのが凡将な罠などでなく、想像を遥かに超えるデュエリストであることだけ!」
「……ははっ! そいつぁ良い! 気に入ったぜ、ジャックアトラス」

 男は喉を反らして、額から取り去るようにフードを落とした。
「まだ名乗ってなかったな」
 水色に澄んだ短い髪。それをコモンズの安い風に流して、男は好戦的に笑った。護るものを持つ芯を感じさせる、戦いに飢えたシリトンの眼をしていた。
「オレは鬼柳京介。チーム、サティスファクションのリーダーだ!」

 さぁ、オレを満足させてくれよ、ジャック!

 唇を舐めた男に、ジャックのデュエリストの血が湧いて、歓喜した。



【デュエルギャング、鬼柳京介】


 こいつが、コモンズをまとめ上げた男。

「先行は貰うぜ、オレのターン!」
 高らかに宣言した鬼柳は、ワクワクすると言わんばかりに勢いよく、デッキから手札を抜き去った。
「まずはこっちから行かせてもらうぜ! 速攻魔法発動、《手札断殺》!」
 パッと鬼柳の指先で反転したカード。手札を互いに二枚墓地へ送って、同じ数だけドローする手札交換カード。
 ピクリ、とジャックは眉を動かした。鬼柳は黄色の瞳をキラリと閃かせた。
「ジャック、イイ手札は揃ったか?」
 ニィ、と鬼柳が顔の前にカードを掲げる。

(油断ならんな、こいつ)
 ジャックは、初手に合わせて組み替えていたデュエルの流れを、脳内で素早く組み立て直した。悪くない手札だったが、今の一手でリズムが狂った。
 ジャックはさらに警戒を強める。今の一手は、ただの手札交換などではない。ジャックのペースを乱し、ジャックの捨てたカードから機を読むための、探る一手だ。
 ジャックは王者、情報はチャレンジャーが握っている。ジャックのデッキは、墓地で効果を発揮するものも数多い。にも関わらず容易く踏み込んで、ジャックの手札を荒らしてみせた。
(どう出る)

 鬼柳は手札に舞い込んだカードを見て、猫のように目を細めて笑ってみせた。
「オレはブラッド・ヴォルスを召喚!」
 血塗れの斧を持った獣戦士。効果を持たないノーマルカードだが、攻撃力は1900と高い。コモンズらしい、通常モンスターを多用するパワーデッキだ。

 好戦的な目でジャックを見据える姿に、ジャックは、脳裏に何かの映像が走った。

(なんだ…?)

 それは既視感、だった。
 まるで、この崩れかけた廃ビルを、かつてコイツと訪れたことがあるように感じた。それをジャックは、憶えている気がした。
「オレは手札を全て伏せるぜ!」
 埃っぽい廃屋。外壁の半分が崩れ落ちて風にさらされた、この廃墟マンションで。

 瞠目した。ジャックは知っている気がした。この男を。
 高らかとブラッド・ヴォルスを操る、熱狂的カリスマを持つ男の手強さを。
 ジャックは直感した。

(この男、強い)

「さあ、オレはこれでターンエンドだ。かかってこいよジャック、満足させてくれるんだろ⁉︎」



【壱に男、リーダーたるカリスマ】


 ─── ターン2 ───


「いくぞ、俺のターン、ドロー‼︎」
「おおっと! この瞬間、トラップ発動! 《ギャンブル》ッ!」

 鬼柳が勢いよく指を突き出して、パチンと鳴らした。
 ジャックのスタートダッシュに割り込むように、立ち上がった紫色のトラップカードが、ジャックのペースをまたも乱す。
 鬼柳はニィっと笑ってみせた。
「悪りぃなジャック。コイツはな、相手の手札が6枚以上で、自分の手札が2枚以下の時しか使えねえのさ」

 今のジャックのドローで、手札は6枚。対する鬼柳は、0枚。
 鬼柳が親指で、ピンッ!とコインを跳ね上げて、パシッと横から掴んでみせた。
「コイントスをして、裏表を当てる! 当たれば5枚ドロー! 失敗すれば次のターンをスキップだ!」
「なに?」

 ジャックは眉をひそめた。
(コイツ、正気か? それとも、ただの無謀か)

 怪訝なジャックに、水色の髪の下で、男の目が鋭く光った。黄色に底光る目が、猫のようにしなる。
「なあ、ジャック。当ててやろうか。お前がいま考えてること」

 ジャックが顔を上げた。男の瞳が、三日月のようにニンマリと細まる。
 指先を突きつけて、ジャックに見せつけるように、パチッと鳴らした。

「無謀すぎる、俺は2ターンあれば(、、、、、、、)コイツを仕留められる、ってな!」
「‼︎」
「なぁんでだろうな、ジャック。お前とは、初めて会った気がしねえよ。まるで、昔のダチみてえだ。手に取るようにわかる」

 鬼柳は、ふっと、瞳の熱を和らげて、一瞬だけ、何かを懐かしむような、穏やかな顔をした。
 そして額に手を当てて、前髪をくしゃりと勢いよくかき上げた。
「どうしてだろうなァ、ジャック! 楽しくって仕方ねえ!」

 鬼柳はギラギラ燃えた目をしていた。
 掲げたデュエルディスクの向こうから、ジャックを喰らわんばかりに見据えていた。

「オレはずっと、お前とデュエルしたかった気がする! この埃まみれの町で、思いっきり、お前みてえなヤツらと!」

 目が離せなくなる。この男の一挙手一投足から。
 ジャックは衝撃を受けた気がして、瞠目した。

「出し惜しみなんざ満足できねえ! なあジャック!」

 バッと、鬼柳が腕を広げた。

「ここは一か八か、どでかいことしようぜ!」

 言うや否や、ピンッ、とコインが天井高く弾かれた。
 宙でくるくると、コインが高く高く停滞する。

「もちろん細工なんてつまんねえ真似はしねえ! 外せばオレの負け、当たれば──」

 落下。コインが床スレスレまで迫る。ジャックはハッと正気付き、舌を打って叫んだ。

「オモテッ!」
「オレはウラだッ! さあッ!」

 キンッ、と高い音を立てて、コインが跳ねた。
 むきだしのアスファルトを転がって、コインがキラリと光を弾く。瓦礫にぶつかって、チャリンと倒れた。出たのは。

 ジャックが反射的に眉を寄せ、鬼柳はニマリと笑った。

「裏だ! ギャンブルはオレの勝ちだな、ジャック!」

 使い切ったはずの鬼柳の手札が、勢いよく補充される。
「手札が5枚になるまでドロー‼︎ オレの手札は0枚、フルで5枚ドローだ!」
「やりい!」と喜びの声を上げる鬼柳に、ジャックは呑まれてしばし愕然とした。

 この俺が、翻弄された?
 エンターテイナーとして数多くのスタジアムに立ち、観客と対戦相手を翻弄してきた、このジャックアトラスともあろうものが?

 鬼柳が見せつけるように唇を舐める。指をゆっくりと銃の形に構えて、「バァン!」とジャックに片目をつぶってみせた。
「さあてコイツで『弾』が出来たぜ。どうした、遠慮なくかかって来いよ、ジャック!」
「ッちい! 相手の場にのみモンスターが存在するとき、攻撃力と守備力を半分にして、このモンスターを特殊召喚する! 現れろ、バイス・ドラゴン!」

 現れた紫の小型ドラゴンは、緑の翼を逆立てて吠えた。
 それを鬼柳は、楽しそうに見つめていた。鬼柳の余裕の態度に、ジャックが顔をしかめた。

「手札からチューナーモンスター、ドレッド・ドラゴンを召喚! レベル5のバイス・ドラゴンに、レベル2のドレッド・ドラゴンをチューニング!」
 ドレッドヘアを携えて、茶褐色の小型ドラゴンがバイス・ドラゴンに並んだ。ジャックがまなじりを決した。
(認めん、この俺が、魅せられたなど!)

 ジャックが腕を突き上げた。

「王者の叫びがこだまする! 勝利の鉄槌よ、大地を砕け! シンクロ召喚!」

 星が並び、カッと光を放った。

「羽ばたけ、エクスプロード・ウィング・ドラゴン!」

 光が炎となって爆発し、中から紫色の翼が雄叫びを上げた。鬼柳はゆっくりと微笑して、まるで懐かしむように目を細めた。
「エクスプロード・ウィング・ドラゴンか。不思議だな、初めて見た気がしねえ」
「くらえ、ブラッド・ヴォルスに攻撃! こいつは自分の攻撃力以下のモンスターを攻撃するとき、ダメージ計算を行わずに破壊し、その攻撃力分のダメージを相手に与える!」
「なぁーるほどなあ、ジャック。こっちの攻撃力は1900、次のターン、ダイレクトアタックを決めちまえば、合計4200でお前の勝ちだ。ギャンブルに勝てなくて残念だったな、ジャックよお!」

 スラリと立ったまま、鬼柳が腕を真っ直ぐに突き出した。

「だがなあ、甘ぇ! 永続トラップ発動、《デプス・アミュレット》ォ! コイツは、手札を一枚墓地に送ることで、一ターンに何回でも攻撃を無効にする!」

 床から立ち上がった紫のトラップが、ジャックの行く手を阻む。鬼柳の手札が素早く墓地に送られる。ジャックの攻撃は届くことなく防がれた。
 にぃ、と鬼柳が挑発するように口の端を吊り上げてみせた。
「どうした、もう終わりか?」

 ジャックは警戒を強めたまま、場にカードを一枚セットして、ターンエンドを宣言する。ジャックが静かに口を開いた。

「なぜだ」
「ああ?」
「手札だ。オモテが出れば負けていた。そんなリスクを負わずとも、手札を伏せず一枚温存しておけば、安全に守りを固め、その上で《ギャンブル》の発動も出来たはずだ」
「だが、それじゃ引けるカードが一枚減る」
 ニィ、と鬼柳が口角を吊り上げた。
「そんな小細工じゃ満足できねえ」

 バッ、と鬼柳は両手を大きく広げた。
 まるで親しい友にハグするように、底抜けに明るくジャックに笑いかけた。

「見た瞬間わかったぜ、ジャック、お前は強いってな! なあ、お前もそうだろ!」

 強い熱をぶつけられて、ジャックは武者震いした。頭が痺れる。感じた懐かしさを、言い当てられた気がした。
(そうだ、俺も感じていた。この男は強い、俺が倒すに値するデュエリストだと)

「だったらオレも出し惜しみなんかしてられねえ! そんなつまんねえやり方じゃ満足できねえ!」
 にいっと、悪童のようにデュエルディスクを構える。

「痺れるようなデュエルをしようぜ! オレたちのデュエルは、ギリギリのスリルと駆け引きであるべきだ! そうだろ、ジャックよぉ!」
 鬼柳がガッと前に差し出した手に、興奮が伝染して、熱くなった。
「……ッ‼︎」
「もっと本気出せよ、ジャック! 行儀良く様子見なんてしてねえで、お前の最強の竜をみせてみろ! そうじゃねえと───」

 鬼柳がゆっくりとドローして、カードにキスするように顔の前に掲げた。

「このターンで、オレがお前を潰しちまうぜ?」


 ─── ターン3 ───


 鬼柳が掲げるのは、旧式のデュエルディスクだ。ジャックが子どもの頃に見ていた、古く、型落ちの、ジャンク品だった。
 なのに。
「オレの、ターンだぜ…?」
 ニタリ、とかざされる、この旧式ディスクを。こんなにも。
 脅威だと。思ったのは。
 初めてだ。
「……ドローッ‼︎」
 埃だらけの廃墟に舞う、カードの軌跡が。
 窓の光を切り裂いて燦然と輝いた。

「来い、トリック・デーモン!」
 ドクロの杖を掲げて魔球を操る、巻き角の女性的な悪魔が、ヒールを鳴らして鬼柳の前に現れた。
「一気に行くぜ? 手札一枚をデッキの上に戻すことで、墓地からこのカードは蘇る! 現れろ、ゾンビキャリア!」
 墓地から土を掘り返して、グロテスクなゾンビ型モンスターが地面から這い出した。にいっ、と鬼柳が腕を掲げた。
「もういっちょ! ゾンビキャリアが復活したことで、こいつの出番だ! ライフ半分を差し出して、コイツを復活させる! 蘇れ、亡龍の戦慄―デストルドー!」

 鬼柳 LP 4000 → 2000

「ライフを半分捨てたか。仕掛ける気だな」
 ジャックは警戒に目を細めた。

 白骨を半分むき出しにした赤い龍が、目から青い鬼火を揺らめかせながら、四つん這いで、のっそりと鬼柳にまとわりついた。

「亡龍の戦慄―デストルドーは、場にレベル6以下のモンスターがいるとき、そのモンスターのレベル分だけレベルを下げて墓地から特殊召喚できる。デストルドーのレベルは5になるぜ」
 鬼柳はゆったりと目線を落としながら、その恐ろしい怪物を、まるで従順な犬にでもするように撫で従えた。ずらりと並ぶ四体のモンスター。内二体は墓場から蘇ったもの。
 知らぬ内に墓地に落ちていた二枚のキーカードに、ジャックは記憶を辿って眉を寄せた。
「コイツら、最初の手札断殺で」
「その通り! レベル4のブラッド・ヴォルスに、レベル2のゾンビキャリアをチューニング!」

 鬼柳は両手を掲げた。

「地獄より来たりて悪魔は蘇る! 招き来る災いよ、オレに勝利を寄越せ! シンクロ召喚! レベル6、デーモンの招来!」

 カッと落雷を背負って、静電気をまとったシンクロの輪が顕現する。リングの中から悪魔の腕がぬっと這い出て、デーモンが姿を現した。

「奇しくも悪魔(デーモン)対決になったなあ、ジャック」

 悪魔を従え、指先でちょいちょい、とジャックを挑発してみせた鬼柳は、いたずらっぽくウィンクした。
「お前はレッドデーモンズを使うんだろ? どっちが真のデーモン使いか、ケリ付けるのも面白そうだと思わねえか?」

 ビッとカードを前に突き出して、鬼柳は笑った。

「ふさわしい舞台を用意してやるよ! フィールド魔法、《伏魔殿(デーモンパレス)―悪魔の迷宮―》を発動だ!」

 ジャックたちの周囲に、次々と塔が立ち上がる。
 デーモンパレス。悪魔たちの王宮。悪魔の角をかたどった不気味な塔は、ジャックたちを取り囲んで、雷を背にそびえ立った。

「コイツがある限り、オレの可愛い悪魔たちは攻撃力アップだ。トリック・デーモン、デーモンの招来の攻撃力を500アップ!」

 トリック・デーモン ATK 1000 → 1500
 デーモンの招来 ATK 2500 → 3000


「攻撃力3000か…‼︎」
「いいだろう? 群雄割拠! 悪魔はびこるオレの城だ」
「ふん、仮初の城など、すぐに滅びる。この俺が蹴散らしてくれる!」

 その言葉に、鬼柳の目が、すう、と凪いだ。
 まるで潮が引いていくように、騒がしい気配が消えていく。
 ジャックは妙に思って、鬼柳を見やった。
「鬼柳……?」
「仮初の城、か」

 鬼柳は俯いて、前髪の下から静かな声を出した。

「なあ、ジャック。ここは地獄みてえだと思わねえか」

「……なに?」
「道を歩けば飢えたガキがゴロゴロいて、どっちを見ても奪い合い。生きるために毎日が骨肉の争いだ」

 顔を歪めて、鬼柳は両手を広げた。

「どこへ逃げたって変わらねえ。少し前まで、オレはこの地獄で、ただ奪い奪われる側だった。つまんねえ生き方だった」

 吐き捨てるように鬼柳は言った。

「奪って奪って、一時は辺りを牛耳って、まさに一城の主だったこともあったさ。けど、お前の言う通り、所詮は仮初で空っぽだった。危ねえ橋を渡って、いつ死んだって構わねえって、スリルで誤魔化して満足しようとしてた」

 若かったな。
 苦く片眉を落として、自嘲するように静かに肩を竦めた鬼柳は、顔を上げた。
「けどな。そんなんじゃ、一生オレは満足できねえって、命がけで教えてくれた奴がいたのさ」

 鬼柳の目線がふわりと緩んだ。誰もいない傍らに、ゆっくりと優しい視線が流される。まるで、すぐ隣で子どもが二人。鬼柳の裾を、しっかと掴んでいるように。
 ジャックは目を見張った。

「あいつらと出会って、オレは変わった。オレはもう、生きる意味を知ってる。戦い抜く意味も、この手の中にある」

 握った拳を、胸に当てる。

「この街で、かつてオレは一度死んだ。古いオレは死んで、生まれ変わったんだ。だから今ここにいる。なあ、ジャック。お前はどうだ?」
「なに?」
「ジャック、お前はコモンズを飛び出して、何を見つけた?」
 黄色の目で、キラリと鬼柳は、ジャックを試すように見据えた。
「ジャックアトラス。コモンズに生まれ、コモンズを飛び出し、頂点に立ったコモンズの王。このコモンズを誇りに思えるか?」
「なんだと?」

 誇りだと?
 このドブ溜めの町に、誇り?

 ジャックは耳を疑った。冗談のようなセリフを、鬼柳は大真面目に、高らかに謳ってみせた。
「オレはコモンズの鬼柳京介。この町で生き、コモンズを誰もが誇れる町に変えてやる。それが!」

 両腕を大きく広げて、晴れやかに笑った。

「コモンズに再誕した鬼柳京介の、新しく見つけた生き様だ!」




【二に男、地獄より蘇りたり】


   ◇  ◇   ◇


 じりっ、とジャックは冷や汗を落とした。
 ジャックのライフは全て残っている。一方の鬼柳はライフを半分捨て、大きく隙を作った。状況はジャックに不利ではない。

 だが、これはなんだ。
 得体の知れない凄み。
 追い詰めているはずが、逆に追い詰められている、そんな、圧倒的存在感。

 鬼柳の足元で、じり、と割れたガラスが踏みしめられる。
 ジャックは、無意識に、わずかに足を引いた。
(気圧されている、だと……この俺が? ばかな)

「デストルドーってのは、『破滅に向かいたがる衝動』のことでな」

 ライフを半分支払う召喚方法が、破滅や死へ加速する『命知らず』って意味だろうな。

 そう肩をすくめた鬼柳は、その怪物を、犬にでもするように、親しげに撫であげる。

「オレはよ、このカードのそんなトコが気に入ってた。強力だがリスクが大きくて、一歩間違えれば破滅へまっしぐら。コイツでずいぶん破滅的なデュエルをしたもんさ」

 だが、もうオレは呑まれねえ。

「このターンでケリつけようか、ジャック」
「世迷言を。デーモンの招来で俺のエクスプロード・ウィング・ドラゴンを突破し、《伏魔殿》で底上げした攻撃力で総攻撃を掛ける気か? それでは、俺のライフを削り切るには足りな───」
「それは、どうかな?」

 ぞわっ、とジャックの背中が泡立った。

「カードを交わせば分かるんだよ、お前はオレと似てるぜ、ジャック」

 男が本心を隠すように目許に手札を掲げ、ニィッと口許だけで、笑った。
「このドブ溜めみたいな腐ったセカイで、『なにか』を求めてあがいてる!」

 ジャックはゾクッとした。鬼柳は楽しそうに、高らかに笑う。

「なあ、ジャック。オレたちはコモンズだ!」
 魅せられる。この男に。この、悪魔より悪魔のような、享楽的でタチの悪い、麻薬のような男に。

「トップスの連中とはちげえ。生まれたときから手札が違う(、、、、、、)

 声音一つで場を席巻する。天性の才、底なしの魔力。引きずり込まれる。

「だがジャック、お前も知ってるはずだ。コモンズでも、いやコモンズだからこそ! 爆発的に力を発揮する瞬間があることを!」

 バッと、手札の尽きた両手を、高らかに広げる。

 ハッとする。いつの間にか、鬼柳の手札は全て伏せられていた。
 男の手札がゼロになった瞬間、背筋を逆立てるような緊張が走った。

「オレはコモンズだ! 手に何もないからこそ、強くなれることを知ってる!」

 鬼柳が下げた視線の先に、幼い少年少女を空目した。
 空っぽの鬼柳の両手をそっと握る、幼いまぼろし。鬼柳が笑った。

「手札があることは、強さじゃねえ! オレは、オレのデッキは! 手札がゼロのとき(、、、、、、、、)こそ力を発揮する‼︎」
「なんだと⁉︎」
「見せてやるぜ、ジャックアトラス! これがオレの、オレたちのチームサティスファクションの力だッ!」

 デストルドー。死へ奔る亡龍が、輝く星へと変化する。そのときようやくジャックは、そいつがチューナーだったと気付いた。

「ッしまった! 《伏魔殿(デーモンパレス)》は注意を逸らすためのおとりか!」
「もう遅い! オレは、レベル3のトリック・デーモンに、レベル5となったデストルドーをチューニング!」

 八つの星が連なりあう。闇から、龍の咆哮が響き渡った。

「死者と生者、ゼロにて交わりし時、永劫の檻より魔の竜は放たれるッ! シンクロ召喚ッ‼︎」

 伏魔殿に、カッと雷が落ちた。

「いでよ、インフェルニティ・デス・ドラゴン!」


 黒き龍。亡龍は喰らわれ、無限煉獄の彼方から、死すら呑みこむ龍が鳴く。

 ジャックは瞠目した。

「馬鹿な、インフェルニティだと⁉︎」
「さあ、ジャック!」

 舌なめずり。
 圧倒的覇気が、場を席巻して舞い上がった。
「満足、させてくれよッ‼︎」






【三に男、無手札必殺(ハンドレス)の境地で笑う】


   ◇  ◇  ◇


 追い詰めれば追い詰めるほど真価を発揮する、インフェルニティ。
 爆発的な力を発揮する、鬼柳のデッキの真の力。

無手札必殺(ハンドレス)で発動! インフェルニティ・デス・ドラゴンの効果!」

 鬼柳は獰猛に瞳孔を開いて、腕を振り上げた。

「一ターンに一度、相手モンスターを破壊して、そいつの攻撃力の半分のダメージを相手に与える!」
「なんだと⁉︎」

 カッと開いた黒竜の(あぎと)
 無防備なエクスプロード・ウィング・ドラゴンに、黒炎が迫る。

「くらえ! インフェルニティ・デス・ブレス!」
「ぐあああ!」

 ジャックLP 4000 → 2800

 煉獄の吐息が場を焼き尽くし、ジャックのライフが一気に削られる。

「言っただろ? このターンで潰しちまうぜってな! さあ行け、デーモンの招来! ジャックにダイレクトアタックだ!」

 デーモンが腕を天に伸ばし、カッと空から落雷が迸る。
 ジャックの残りライフは残り2800。デーモンの攻撃力は、3000。

「こいつで終わりだ!」
「そうはさせん! 手札から効果発動ッ、来い、バトルフェーダー‼︎」

 ぶおん、振り子時計のように、金の針が時を告げる鐘を鳴らす。回転しながら現れた時計の針を模した悪魔が、ジャックを守るように立ち塞がった。

「こいつを特殊召喚し、バトルフェイズを強制終了する!」

 デーモンの落雷を受け止めるバリア。ジャックの裾が舞う。
「くっ」
「上手く防いだじゃねえか、ジャック。そぉこなくっちゃなあ!」

 興奮して開いた瞳孔で、鬼柳は高笑った。

「オレの場には、お前の攻撃を無効化する《デプス・アミュレット》がある。油断なく行かせてもらうぜ、オレはリバースカードオープン、《悪夢再び》!」

 鬼柳が地面にかざした手に呼応して、魔法カードが立ち上がる。
 悪霊が墓から湧き出るイラストを前に、鬼柳が目元を歪めて笑ってみせた。

「墓地から守備力0の闇属性モンスター二体を手札に加えるぜ。オレが選ぶのはデーモンの騎兵、トリック・デーモンだ!」

 ひゅん、と飛んできたカードを、パシッと受け取る。
 先ほどデプス・アミュレットで捨てたデーモンの騎兵を回収、無駄のないプレイングだ。

(強い…! だが、俺には成さねばならぬことがある。こんなところで止まるわけにはいかん!)

「さあ来い、ジャック! ターンエンド!」
「俺の、タァァァン!」


 ─── ターン4 ───


「鬼柳、認めよう。貴様は確かに俺の予想を超えるデュエリストだった。だが、だからこそ、俺は止まるわけにはいかん!」

 室内で、風が、ぶわり。
 ジャックの白の裾が舞い上がった。

「俺はチューナーモンスター、トップ・ランナーを召喚!」
 ジャックがディスクに素早くカードを叩き付けた。
 コミカルにデフォルメされた白い機械走者が、力を持て余したように高く跳ぶ。時計の針の悪魔が、光球に変化した。

「レベル1のバトルフェーダーに、レベル4のトップ・ランナーをチューニング!」
 五つの星が飛び交って、瓦礫の廃屋を照らす。

「破邪開闢、輪廻転生! 巡れ、命の鼓動よ! シンクロ召喚!」

 カッと廃墟を照らす明かりの中で、ジャックが腕を掲げた。

「レベル5、転生竜サンサーラ!」

 胸に《死者蘇生》の金のアンクを携えて、紺青色の竜が飛び出した。

 神々しいその竜を、鬼柳は、まるで意表を突かれたように見やった。
「転生竜サンサーラ、か。確か……生まれ変わり、とかって意味だったな。粋なカード使うじゃねえか、ジャック」

 サンサーラとは、輪廻転生という意味だ。

「……なあジャック。生まれ変わりを信じるか」

 怪しい宗教でも説くような戯言を、鬼柳は竜を見上げたまま、真摯に言った。
 ジャックは答えなかった。だが、笑い飛ばしもしなかった。

「……知らんな。俺の領分ではない。だが」

 ジャックはカードを掲げた。シンクロ召喚に成功したことで、手札からチューナー、『シンクロ・マグネーター』が音もなく飛び出す。

 掲げたカードは、ひどく指先に馴染んだ。

 昔から、既視感を感じていた。
 ある時は育ての母に。ある時はかしましいオレンジ頭の同胞に。あるいは、この手に触れたカードたちに。
 この世には、セカイを越えて、魂で繋がる深い絆があるのだと、聞いた。

『童話なの。世界の向こうには別の自分が居て、魂は繋がってる』
『別の世界の、別の自分…?』

「だが、ひとつだけ言おう。鬼柳、貴様はこの町で生まれ変わったと言ったな」

 ただひとつ、ジャックに言えることがあるとすれば。
 ジャックもまた、変わったのだ。
 このドブ溜めの町に生まれて、トップスで────いや、ひとつの出会いを以って、変わった。

「レベル5の転生竜サンサーラに、レベル3のシンクロ・マグネーターを、チューニング!」

 ジャックは惑わなかった。

 唯一無二なる覇者が。ジャックの荒ぶる魂、レッド・デーモンズ・ドラゴン・スカーライトが。
 光の中から、再誕する。

 鬼柳京介。貴様が生まれ変わるというのなら。

「ならば俺は、貴様の目指す先へ行く!」

 ジャックの魂が燃え上がった。 

「レッド・デーモンズ・ドラゴン・スカーライトの効果! この攻撃力以下のモンスターをすべて破壊し、破壊したモンスター一体につき、500のダメージを与える!」

 燃え上がる炎、振り上げた拳。全てを薙ぎ払う豪腕が、インフェルニティ・デス・ドラゴン、デーモンの招来を立て続けに焼き払う。

「アブソリュート・パワー・フレイム!」
「ぐ、ああ!」

 鬼柳 LP 2000 → 1000

 吹っ飛ばされた鬼柳が、埃っぽい廃墟を派手に転がって、サッと立ち上がって埃を払った。
「いいダメージだぁ! だが、これじゃ終わらねえ! デーモンの招来が相手によって墓地へ送られたとき、デッキから悪魔は蘇る! 来い、デーモンの召喚!」
 カッ。雷が、悪魔の城に落ちる。

 城の背後から、巨大な悪魔の手が伸びて
 倒したはずのデーモンが、蘇る。

「デーモンの召喚も、《伏魔殿(デーモンパレス)》 の効果で攻撃力3000にアップ! さあどうする!」
「このまま攻撃しろ、スカーライト!」
「なにっ⁉︎」
 ゴウッ、と炎の豪腕が、振りかざされる。

「相打ち狙いか…⁉︎」

 鬼柳は一瞬手を止めた。
(このまま引くか? いや…‼︎)

「発動、《デプス・アミュレット》! 手札を墓地へ送って、攻撃を無効にする!」

 ドーン!と轟音が響き渡って、シン……と廃墟に静寂が落ちる。
 デーモンの鼻先で、スカーライトの一撃は止まっていた。

 口角を静かに上げたジャックに、鬼柳は、目をパチクリさせた。

「おっと、乗せられちまったか? 手札を消費させられたか」
「さてな」
「だが、墓地へ送ったトリック・デーモンの効果! デッキから、トリック・デーモン以外の『デーモン』を手札に加える! オレはデーモン・ソルジャーを選択!」

 無駄なく補充され、鬼柳の手札はまだ尽きない。奥の手をどれだけ隠しているのか、底知れなかった。
 今のジャックにヤツを破れるカードは無い。
 ジャックは、逆転の勝機になり得るカードに、全てを託した。

「俺はカードを一枚伏せてターンエンド!」
「オレのターン!」


 ─── ターン5 ───


「来い、デーモン・ソルジャー! 伏魔殿(デーモンパレス)の効果で、攻撃力は2400にアップ!」

 デーモン・ソルジャー ATK 1900 → 2400

「さらに魔法カード《デビルズ・サンクチュアリ》を発動! 自分のフィールドに、『メタルデビル・トークン』を特殊召喚。このトークンは攻撃できねえ、だが」

 にっ、と笑ってみせた鬼柳に、ゾワッと背筋を伝うものを感じた。

「《伏魔殿(デーモンパレス)》の隠されたもう一つの効果! 悪魔族モンスターを除外することで、場の『デーモン』と同じレベルの『デーモン』をデッキから特殊召喚する! オレはメタルデビル・トークンを犠牲に───来い、迅雷の魔王―スカル・デーモン!」

 激しい雷。悪魔の城を背後にした最後のデーモンが、鬼柳の場に降臨する。

「二体目の、攻撃力3000のデーモン…‼︎」
「正真正銘、最後の小細工なしの真っ向勝負だ。デーモンの召喚で、レッド・デーモンズ・ドラゴン・スカーライトを攻撃! 蹴散らせ、魔降雷ッ‼︎」

 デーモンが振りかざした腕から、雷が落下する。
 激突する。悪魔と悪魔が。雷と炎が。

 雷と炎は激しく燃え上がり
 廃墟を覆い、破裂した。

「スカーライト!」

 ここ数年、破壊されたことすら無かったスカーライトが、打ち破られる。
 鬼柳のデーモンも破壊され、互いに吹き飛ばされる。鬼柳が埃だらけの床に片手をついて、ザッと体勢低くこらえた。片膝をついたジャックの場は、無防備。

「これで仕舞いだ、ジャック! ダイレクトアタック‼︎」

 ゴウッと、スカル・デーモンの一撃が迫る。

「ットラップ発動! 《デモンズ・チェーン》‼︎ スカル・デーモンを対象とし、攻撃と効果を封殺する!」

 背後から、鎖が飛び出した。
 ジャックを襲ったデーモンの爪を、鎖がギチッ、とスレスレで拘束する。

「おおっと、そいつぁ困るな、スカル・デーモンのモンスター効果! このカードが、相手の効果の対象になった瞬間、効果発動!」

 鎖が、バリンッと振り解かれ、デーモンが吠えた。
 膝をついたジャックの背後には、鎖がまだ主人を守るように幾重にも飛び出している。睨み合う悪魔と、悪魔の鎖。

「サイコロを振って、1・3・6が出た場合、効果を無効にして、破壊だ!」
(無効にされた瞬間、ダイレクトアタックで俺の負け…‼︎)

 ジャックの背を、冷たい汗が伝った。

(確率は、二分の一…‼︎)


「陽が落ちてきたな」

 ふっと、鬼柳が
 崩れかけたビルの向こうに目をやった。

 傾き始めた夕陽は、廃墟の中に茜色の光を差し込み始めていた。

「そろそろケリ、付けようか」

 足でコインを踏んで
 ピンッ!と

 高く跳ね上がった。

 キャッチしたコインを握って、鬼柳はゆっくり手を開く。
 そこには、硬貨の替わりに、ダイスが存在していた。弾いたダイスが人差し指で回る。
「手品か、よくやる」
「遊び心だよ。おまえ流に言やぁ、エンターテイメント、ってヤツさ」

 だってよ、こんな面白えデュエルが
 もう、終わっちまうんだぜ

「名残惜しくも、なるってもんだろ」

 鬼柳は瞳の色を濁して、目を伏せた。
 ジャックはしばし、無言だった。

「くだらんな」

 鬼柳は顔を上げた。ジャックのアメジストの目が、夕陽の中で煌々と、鬼柳を射抜いた。

「デュエルに果てなど無い。俺はキングだ。挑戦は何度でも、何万回でも受けて立つ! それが俺のデュエルだ!」
「そうか。……それが、オレには無いお前の強さなのかもしれねえな」

 ピンッ、と宙に、運命のダイスが舞う。

「ダイスロール!」

 この瞬間、運命が動こうとしていた。


 舞ったダイスは、ゆっくりとコンクリに着地して。

 埃をわずかに舞い上げて
 コトリ、と目を示す。

 傾いたダイスの目は、いま回転して、6の、目を

(まずい……!)

 瞬間、だった。

「うわっ!」
「……っ⁉︎」

 風が、ぶわりと
 壁の崩れた外から、舞い上がった。

 ジャックは見た。
 夕陽を。眩しいほどの、橙を。

 真っ赤に染まった海の果て。
 美しい夕焼けの先から舞い込んだ

 吹き荒れる風の中に潜む
 赤い風。竜の息吹を

(風が、)

 俺に、この先に行けと言っている。

 パタン、と風が止んだとき
 そこにあったダイスは

 ひとつ、転がって
「五」の目を、示していた。

「出目は……ファイブ!」

 鬼柳は瞠目した。
 ジャックは叫んだ。

「デモンズ・チェーンの効果は、有効! スカル・デーモンを封印だ!」

 飛び出した鎖が、悪魔の首を縛り上げる。
 スカル・デーモンは封じられ、ジャックは首の皮一枚繋がった。

「……ふ、ははははは!」

 鬼柳は顔に手をやって、耐えきれないように高笑った。

「やるじゃねえか、この土壇場で! 堪らねえ、最高だぜ、ジャック!」

 鬼柳はターンエンドを宣言した。
 これがきっと、真のラストターンになる。

「見せてくれ、ジャックアトラス! お前の目指す未来を!」
「俺の……タァァァァァァアアン!」

 赤い夕陽を、ドローが引き裂いた。


 ─── ターン6 ───


 崩れたビルに、風が吹き込む。
 パッとカードを反転する。夕陽で、ドローが赤く煌めいた。
(来たか!)
 うなじを撫でていくビル風を、その身に受ける。
 白のコートが、ジャックの背後でぶわりと高く舞い上がった。
「王者の魂は滅びぬ! 魔法発動《死者蘇生》ッ! 甦れ、レッド・デーモンズ・ドラゴン・スカーライト!」

 ガアアアアと灼熱の咆哮が迸る。
 世界は赤々と燃え、廃墟は夕陽で真っ赤だった。

「この局面で引きやがったか!」
「行くぞ、スカーライトの効果‼︎ フィールドの特殊召喚されたモンスター、迅雷の魔王―スカル・デーモンを、破壊する!」
「二度も同じ手を食うかよ! トラップカードオープン《ライジング・エナジー》!」

 鬼柳は、ビシッと指を差す。

「ジャック、お前は強い‼︎ だからこそ、致命的な弱点がある!」
「この俺に弱点だと⁉︎」
「そうさ、それは───自分より強いデュエリストを、知らねえってことだ‼︎」

 ぐぐん、と突如スカル・デーモンが巨大化する。
 高い廃墟の天井を突き破らんばかりのデーモンに、ジャックは瞠目した。

「手札を一枚捨て、スカル・デーモンの攻撃力は、1500アップ!」
「攻撃力、4500…!」
「スカーライトは自分より攻撃力の低いモンスターしか破壊できねえ、そうだろ⁉︎」
「くっ…!」

 ジャックは足を引いた。ぐるん、と半回転した体に、白のコートが舞う。

「いや、まだだ‼︎ 俺は負けん! この瞬間、トラップ発動ッ! 《リバイバル・ギフト》ッ‼︎」

 バンッ、と叩きつけるように手のひらを突き出す。踏み締めた足が、廃墟のガラスを踏み割った。
「自分の墓地に存在するチューナー一体を選択し、特殊召喚する! オレは『トップ・ランナー』を選択! そして相手フィールド上に、『ギフト・デモン・トークン』二体を特殊召喚する!」
「なに⁉︎ オレの場にトークン⁉︎」

 はっと鬼柳は見上げた。

「しまった、これは、バーンコンボ…‼︎」
「そうだ! 俺のモンスター、貴様の場のトークン、全てを破壊する! さあ焼き尽くせ、スカーライト! 三体のモンスターを破壊しろ!」

 ゴウ、と振りかざした灼熱の腕が、廃墟を焼き払う。

「貴様のライフは残り1000! 1500ダメージで、終わりだ‼︎ アブソリュート・パワー・フレイム!」
「ぐ、あああああ!」

 灼熱の熱風に、鬼柳が吹き飛んだ。
 廃墟の壁に背を打ち付けた鬼柳が、腕だけ前に突き出して、座り込んだまま叫んだ。

「こんな、ところで、終わってたまっかよ! リバースカードオープン、《ダメージ・トランスレーション》! オレが受ける効果ダメージを、半分にする!」

 鬼柳 LP 1000 → 250

「防いだぜ、ジャック…! 次のターンで、オレの勝ちだ…!」
「いいや、お前の負けだ、鬼柳京介! 俺にはまだ、攻撃が残っている!」
「……!」

 無防備なデーモン・ソルジャー。攻撃力2400、対するジャックは、3000
 鬼柳の残りライフは、250

「くっ、デプス・アミュレットで、……っ!」

 手札切れ。
 脳裏に、手札を消費させてにっと笑ったさっきのジャックが思い起こされる。

「しまった、さっきの…!」


「これで最後だ、行け、レッド・デーモンズ・ドラゴン・スカーライト!」

 真っ赤なセカイに、灼熱の一撃が迫る。

「灼熱の、クリムゾン・ヘル・バァァァァニング‼︎」
「ぐ、あああああ!」


 鬼柳 LP 250 → 0


   ◇  ◇   ◇


 ソリッドビジョンが、消えていく。

 はあ、はあと荒い息で膝をついたジャックを、劫火の中から、悪魔が見下ろしていた。倒し切れなかった攻撃力4500越えのデーモンが、揺らめく炎の中で。
 ジャックを見下ろして、ゆっくりと消えていった。ジャックは、唇を噛んだ。

「……かー、負けたぁ!」

 ジャックはハッとした。
 鬼柳が叫んで、足を投げ出してガバッと座り込んだ。
 悔しがるような、それでいて堪らなく喜ぶような、後腐れない明るい声だった。

「強ぇな、ジャック! このオレとしたことが、満足しちまう所だったぜ」
「……お前こそ」
 指先に残る興奮を抑えながら、ジャックは極力抑えた声を出した。今にも叫びたくなるほど高揚していて、武者震いしそうだった。
 最後は時の運だった。一ターン前のデーモンのダイスが別の目を示せば、負けていたのはジャックの方だ。
 ここまで追い詰められたのは初めてだった。掛け値なしに、ジャックの想像を遥かに超える男だった。
「鬼柳、と言ったな。いったい何がお前をここまで強くする。お前の腕なら、上を目指すのも夢想ではない。掛け値なしに、俺の地位を奪い取る力を持っている」
「興味ねえな。元々トップスは、反吐が出るほど気に食わねえ。まっ、オレとしちゃあ、トップがお飾りじゃねえって分かってちょいと溜飲も降りたけどな。強えな、ジャック。でも、お前迷ってんだろ。そんなんじゃ足元すくわれるぜ」
「!」

 胡座で頬杖をついた鬼柳は、ひどく懐大きな目で、からかうように忠言した。
 見抜かれたのは初めてで、本当にこいつがジャックを凌駕する実力者なのだと強烈に知らしめた。
 鬼柳はジャックに、まるで親しい兄であるかのように、ゆったりと目を細める。
 口角を上げた鬼柳は、もしもジャックがキングの地位を持っていなければぐらつくほどの、強烈な底無しの魅力を持っていた。
「オレはここで守りてえもんが出来た。それまではまぁ荒れたモンだがな。ジャック、お前は強い。正しいカードの抜き方を知ってる男のデュエルだ。オレには分かる。けど、お前、その先が定まってねえよ」
 ずばり言い抜いた男は、ジャックが心根で捜していたものを言い当てた。
 腹の底がドクンと鳴動した。飢えて捜していたものに、指先が掛かった気がした。

「お前、何を守りてえんだ。そいつを捜して、ここに迷い込んだんじゃねえか?」

 喉が、渇いた。
 ごくりと、ジャックは唾を飲み込んで、ゆっくりと、導かれるように口を開いた。

「俺の、守りたい者は、」

 告げるそれを、鬼柳は面白げに、三日月のように目を細く笑ませた。
 キングたる己が傅きたくなるような、タチの悪い麻薬のような男であった。


  ◇  ◇   ◇


第4章 dawn

セカイの、夜明け


  ◇  ◇   ◇


「わぁ! ジャック、ビックリした! ラフな格好も似合うね!」
「カーリー、そんな大声で呼ばれたのでは、変装の意味が無い」
「あっ! ……ごめんね? 誘ってくれてありがとう、移動しよっか。楽しみだなぁ、遊園地。久しぶり」

 サングラスとキャスケット帽を直して、ジャックは歩みを一歩進めた。
 擦れたズボンのポケットには。

 ケースに入った指輪が、ある。

 自分の求めるものを知っていた。
 出会った日。いや、きっと、夢で求めた遥か昔から。
 ジャックは、自分の手でこの女の幸せを作りたかった。他人の幸せを我が事のように喜ぶカーリーの、綻ぶような笑みを自分の手で作り出して、守りたかった。
 他人の幸せであんなにも頬を高揚させる、心優しく、そして脆い女の頬を、女自身の幸せで赤らめて触れたかった。
 柄にも無く緊張していた。マーサに遥か昔に習った作法が通用すると良いが。
 上の空だったジャックは、改札に見事に引っかかってカーリーに噴き出された。全くもって格好が付かなかった。

 ジェットコースターにコーヒーカップ、メリーゴーランドにホラーハウス、鏡の館にウォータースライダー。
 顔には出さなかったが見るもの全てが初挑戦だったジャックも、実のところ鉄仮面で随分楽しんだ。それ以上に隣の女が、大袈裟に一喜一憂して笑うのがとても胸を満たした。
 腕を組んだジャックのいつも以上に無愛想な鉄仮面に、カーリーがふわりと「ジャック、楽しそうだね」と微笑んだのが、最も心臓を跳ねさせた。

「そう見えるか?」
「んー、なんとなく、わかるよ、ちゃんと」

 ポケットの中の指輪が、火を持っているように熱かった。


「あー、楽しかった! ありがとう、ジャック!」
 夕陽を見に上がった屋上で、ジャックは風の中、カーリーと二人きりだった。

 風は、駆け抜けるライディングデュエルの中よりも、熱く、酩酊する。
 握り締めて、取り出しかけたケースが、指先を焦がして火のようだった。

「これで私、またがんばれる。夢に向かって走れる」

 指先が、ピクリと動きを止めた。
 背中を夕陽に晒しながら、長く美しい黒髪を風に流すカーリーの後ろ姿が、真っ直ぐに伸びる。
 凛と胸を張って、空を仰いで、瞳が夕陽を映し込んでキラキラ輝いた。
 ジャックが惹かれた、眩しい、瞳。
「私の願いに向けて、走れる。私の、私自身の願いに向かって。走っていいんだって、ジャックを見てると思える。だから、私、これからも走る。走れる、きっと」
「カーリー、お前の願いとは、なんだ」

 心臓の奥が、深い熱を湛えて、あふれる。
 火のような、熱を持った感情の源泉が。胸の深くから指先まで満ちて、震える。

「取材に行くの、誇らしいって、私に胸を張れる記者になって。それに相応しい、私になるの。そこに向かって、走っていくの。これから。今から。古い私は死んで、新しい私を、始めるの」

 いちばん素敵な、記事を書きにいくの。
 この先の未来で、ずっと先の未来で
 眩しくて、いちばん素敵な、記事を書きにいくの。


「あなたの記事を、書きにいくの」

 振り返って、笑った。


「待っていて、必ずいくから。あなたの未来まで、必ず行くから」

 グルグルの眼鏡に、たとえようもない愛しさを、知った。

「私の本当の願いは、あなたが全ての人に愛され、みんなに幸せを与えられる、本物のキングになること!」


 風が舞い上がって、夕陽の空に、笑顔が。


「あなたなら、きっとなれるわ! ジャックアトラス!」


 舞い上がる風に、生きる意味を知った。



 懐の、選ぶまで悩んで悩んで、悩み抜いた。
 紫色に煌めくサファイヤが、役目の引き際を知って、静かになりをひそめる。
 ジャックは、渡すはずだった指輪から、手を、離した。
「待っている」

 目を閉じて、瞼の裏に未来を焼き付けた。眩し過ぎる世界が、そこにある。
 ジャックの選んだ女は、幸せを与えられるのを待つ女では、なかった。

「見ていろ、カーリー。最後まで、決して、目を離さずに」
 ジャックの心は、決まった。

「真のキングを、お前の目に見せてやる」

 新しいジャックアトラスは、この場所で、生まれ落ちた。




【セカイの、夜明け】



 ───鬼柳、お前に問いたい。このコモンズに、街の未来を待つ輝ける子供たちに、いま最も必要なものは、なんだ。

 ───んなこたぁ簡単だ。人が満足するには何を差し置いてもまず飯だよ。いちばん手っ取り早いのは、学校さ。給食だよ。

 ───給食? なんだそれは。

 ───トップスのガキどもは、学び舎で昼に配給を貰うのさ。学校は最初は形だけでいい。字を覚えに来るガキだけの特権だ。半端な量じゃダメだ。少なくとも、コモンズのガキ全てに必ず椀一つ当たる、莫大な量が一斉に要る。そうじゃねえと不満が必ず出る。暴動の引き金に必ずなる。夢みてえなとんでもねえ金が要る。それも、常に行き届く量を、何年も続く量を、必ず与えられる仕組みが要る。そんな学校が実現したら、コモンズは変わる。ガキが飯を食いながら未来を得られる日が来る。

 ───鬼柳、薄々感じていたが、お前の出生は……

 ───おおっと、そこまでだ、ジャック。察しが良すぎんのも困りもんだな。だが、オレはそういうの、嫌いじゃねえぜ? オレのチームに入れてえくらいだ。んな満足できねえ話はやめて、もっと満足できる話をしようぜ。

 ───ああ。ならば問おう。鬼柳、お前ならば出来るのではないか。

 ───オレ?

 ───ああ。あの激戦区を収めたお前ならば、わずかな金からのスタートでも、暴動を起こさずに夢物語を実現できる。コモンズの学校、その先駆けを、お前が。

 ───へぇ? そいつは、満足できそうな話だな。だがな、いくらキングだろうと、半端な覚悟で入ってくるなよ? そっから先は、泥沼だぜ。

 ───俺は俺のライディングを賭ける。俺が走り続ける限り。

 ───甘いぜ。その程度の覚悟じゃ満足できねえ。トップスの歴代の栄華は、今まで長くて二年だった。ジャック。その十倍が要る。お前の半生だ。走り出したら、足が折れようが止まることを許されねえぜ。背負うってのは、そういうことだ。

 ───賭ける。だから、鬼柳、お前も俺に賭けてくれ。俺は、お前に賭けたい。
お前ならば、なれる。俺には確信がある。
鬼柳京介、このコモンズの、俺たちの救世主になってくれ。




 ───オレを、満足させてくれるんだろうな?



「『ロード・オブ・ザ・キング』だと?」
「はい。キング、貴方の成功を、ぜひ映画に。トップスの全てが注目しています。貴方は雑誌もインタビューも、今まで全くと言っていいほど受けてこられませんでした。それゆえ余計に、その強さだけが、浮き彫りになって神話じみた盲目を生んでいます。絶対王者は倒れない、と。強さの秘密をトップスの全ての者が欲しています。莫大な注目は間違いないでしょう。ですが、私は撮りたい。どんな形だけの虚構でも益は出るでしょう。ですが、私は真の映画を撮りたい。失礼を承知で申し上げますが、消えゆく栄華の頂点だけを撮った所で、意味はないのです」
「……お前のアポイントを受けたのは、カーリーの記事を読んだからだ」
「彼女の記事をご存知でしたか。あれは面白い記者ですな。多くの取材を受けてきましたが、『トップスの映像作家で最も金に興味がなく、変革を求める芸術家』でしたか。面白い二つ名を付けてくれたものです。なかなか的を射ていて気に入っているのですよ」
「それが真であるのなら、『コモンズの歴史を変える映画』に興味はないか」
「……ぜひとも。お話を伺ってもよろしいですかな」




「学校? ねえクロウにぃちゃん、学校ってなぁに?」
「読み書きとか計算とか教えてくれる場所らしいが、オレは行ったことねえからなぁ。なんでも、給食っつーのが出るらしいぜ」
「きゅーしょくってなぁに?」
「ガキだけタダ飯が食えるらしいぜ」
「えっ! ご飯! ほんと⁉︎」
「らしいがな。にしても、ジャックのヤツ、面白ぇこと考えるモンだよな。ちゃ、ちゃ、あー、チャリティ? 映画、だったか。すっかりトップスにかぶれちまって。マーサハウス出て二年も音沙汰ねえから、てっきりトップスに寝返っちまったモンだと思ってたが…」
「ねえクロウにいちゃん! がっこ! がっこ! 早くできるといいね!」
「ああ、そうだな。……悪かったな、裏切りモンとか思っててよ。頑張れよ、ジャック」





「さぁて、滑り出しは上々、なかなか満足できる量だ。でも、こっからだな。この備蓄の量だけで、どこまでやれっか……まだまだ満足できねえな」
「すごいダンボールだねえ、鬼柳にいちゃん」
「うかうかしてっと、あっという間に無くなるぜ。ウェスト、どうだ、学校でダチはできたか?」
「うん! 昨日はさ、ユーゴって奴と遊んだんだぜ! めんこ教えてもらった!」
「そーかそーか、そりゃあ良いことだ。ダチは大事にしろよ。お前らの親父さんに託された分も、オレがお前らを守ってやるからな」

「くっ…いやぁ、素晴らしいですねぇ、鬼柳センセイ?」
「俺らにもちょいとそれ、恵んで頂けませんかねえ?」

「……さぁて、ゾロゾロおいでなすった。ここまでは予想通りだ」
「鬼柳にいちゃん……」
「大丈夫だ、ウェスト。んー、そうだな、そろそろ金勘定が得意な、小狡くて小賢いのが欲しいと思ってたところだ。活きがイイのが居たらチームに引き抜くか」
「何ごちゃごちゃ抜かしてやがる!」
「黙ってそいつを寄越せっつってんのがわかんねーのか!」
「ラモンの兄貴、やっちまいましょう!」

「うん、あの辺良さそうだな。さぁて、オレを───満足させてくれよッ!」






「キング、私どもの娘の願いを叶えて下さって、ありがとうございました。重ねてお礼申し上げます。特に兄の方が、テレビ越しの貴方に憧れていたのです。きっと、力になったことでしょう」
「俺は何もしていない。ファンレターを受け取って、のこのこ病室へやってきて、のこのこ帰っていくだけの非力な男だ。無力だな、キングと持て囃されても。……龍可、と言ったな。血液の難病だと聞いた」
「はい。移植を受けなければ、成人まで生きることはできないでしょう。ですが、娘の型はとても希少で、ドナーバンクに登録された者には、適合者がおりません。私どもには、もはや奇跡を信じて祈るしかないのです。キング、どうか、力を貸して下さい。私たちの娘に、奇跡をもたらして下さい」
「コモンズからドナーを探すという話だったが、俺にそんな権限は無いぞ。いくら頼まれようが、コモンズを売る真似は出来ん。金で己の血を売ることは、評議会で禁じられているだろう」
「判っております。ただ、呼びかけて下さればいいのです。あくまで正規の制度に則った、無償の提供であれば許されます。キングが学校を作り、コモンズの子どもの希望と呼ばれていることは存じております。貴方の声ならば、コモンズに届くかもしれない」
「生きるのも必死なコモンズが、見ず知らずの他人に己の血を分ける確率は低いぞ」
「わずかな可能性でも。娘の命に代えられようはずもありません」
「重々わかっているだろうが、ハッキリ言う。上手くいったとして、周りのトップスの者は、コモンズの血を入れられた娘を忌み嫌うぞ」
「構いません、そのときは、私たちが命を賭けて娘を守ります。どうか」





「ねーねー、クロウにいちゃん、テレビ、ずっとキング出てるね」
「ああ。ドナーだかドーナッツだが知らねえが、まぁたワケわかんねえことしてんな。ジャックがコモンズを売るたぁ思いたくねえが、トップスのために血だぁ? いくら子供ったって、しょせんトップスだろ。今までトップスがオレらに血を払ってくれたことがあったか? ケッ。……龍可、って言ったか、あのテレビの。可哀想だけどな」
「ねえ、クロウにいちゃん、おれやってもいいよ」
「ッ⁉︎ ちょっと待て! 何されっか分かったもんじゃねぇんだぞ⁉︎」
「でも、調べるだけだったら、注射するだけなんでしょ? イタイのガマンできるよ」
「ンなもん信用できっか! ダメだ、お前を危険な場所にやるわけにゃいかねえ!」
「でも、マーサ、いつも言ってたよ。『ひとにあたえられるひとになりなさい』って。『コモンズもトップスも、同じ人間です』って。あの子、もう死んじゃうんでしょ? かわいそうだよ」
「……ッ‼︎ ……わかった、オレも一緒に受けてやる。だが、少しでも危ないと思ったら、連れ帰るからな! なあ、オレはな、お前の気持ちは誇らしい。立派な男だ。けど、それ以上にお前らが大事なんだ。騙されて酷ぇ目に遭ってきた仲間もたくさん見てきた。……わかってくれ」
「うん、ちゃんとクロウのいうこときくよ」


  ◇  ◇   ◇


【セカイが変わる瞬間】


「キング! こちらにも一枚!」
「コメントお願いします!」
「キング‼︎」

 フラッシュの光と音の嵐だった。

 小さなコモンズの少年の肩を支えながら、ジャックは記者会見のフロアで、シティの関心を一身に受けていた。
「大丈夫か」
「うん。へーき」
 子どもの肩を持ちながら、フラッシュの中で小さく言葉を交わしたジャックは、子どもの表情が変わらないのを見てとって、頷いた。肝の座った子どもだ。

「先の発表に相違無い! コモンズの少年から、ある一人のトップスの少女が救われた。これは評議会の正規の法令に則り、公正に、無償で行われている。コモンズであろうと、移植提供の意思は強要されてはならない。ドナーバンクの広告塔の依頼は俺個人が無償で受けている。俺自身がバンクに登録済みだ。この少年も一切の見返りは得ていない。セキュリティの第三者監査も同様に受けている」

 焚かれるフラッシュの音が増す。
 視線をやった子どもは、やはり顔色ひとつ変えず、フラッシュに眩しそうにしている。

「トップスとコモンズの双方から、賛否両論あろう。だが、俺はあえて言う。一人の少女を救いたいと申し出た、この意思は尊い物だ。決して、誰にでも出来ることではない。一人の命を救ったそれに、俺は心から敬意を贈ろうと思う」

 フラッシュが騒めく中、ジャックは少年の前で膝をついて。
 少年を肩に乗せ、高く上げた。

「誇れ! お前は今、キングたる俺でも成し遂げられぬことをした‼︎ お前の献身と勇気に、心から敬意を表そう!」

 シティの頂点。誰にも膝を屈さぬ絶対の王。

 そのキングが、その日。
 何も持たぬコモンズの少年を肩の上に抱き上げて、堂々と記者の前に立った姿は。


『最上の頂点の上に置かれる、コモンズの少年』という。
 この社会において、最もセンセーショナルな光景となった。


 この光景は翌朝全ての新聞の一面を飾り、のちに長くこの社会の革新的象徴となる。

 娘を救われた資産家の両親は、莫大な私財を、財団を通しコモンズの医療に献金することを公にした。そこから、トップスの風潮は、急速に姿を変えていく。

「俺は教えられた。真の強者は、分け与える勇気を持つ者であると」

 それは、強者が絶対的な規範とされた
 トップスだからこそ生まれた、新たな潮流だった。

「真の強者は、弱者に施さねばならない! 他を蹴散らし、自らを誇るのは二流に過ぎない。真に富み、真に力ある者ならば、何も持たぬ者に施したとて、懐が痛もうはずもない。ならば富と力に固執し、施さぬ者は、それを維持する力がない無能だと宣伝して回っているようなものだ」

 ノブレス・オブリージュ。
 王者は謳う。真の強者とは、分け与えてなお、揺るがぬ者である、と。

 この先、五年。
 トップスの中でも、さらに富める層を中心に、この精神は息づき始める。

 やがて『施さぬ怠慢に、真なる品格は無い』という風潮が生まれ、コモンズのインフラ投資と公共事業は競って数を増す。
 雇用が生まれ、飢える者を減らし、学校と診療所が相次いで建てられるようになる。

 評議会の政策は、その大きなうねりを受け、変わった。
 コモンズに教育を受けた者が相次いで生まれ、一定の雇用が見込めると目されたのだ。街の公的資金から、それまでバラバラだったコモンズの学校にも、教科書の配布が行われることが決定した。
 同時に、のちに長く街の歴史に残る、コモンズとトップスを繋ぐ橋。
『ダイダロスブリッジ』の建設が、始まる。

 潮流の火付けとなった、キング、ジャックアトラスは。

 自らの賞金を、なおも孤児たちの福祉に与え、トップスの難病の子どもたちの慰問をやめず、コモンズの学校建設に尽力し続け、それでもなお、揺るがぬ頂点として。
 あらゆる挑戦者を、蹴散らし続けた。

 かつて、その出生に眉をひそめたトップスの者も、時を重ねた今すでにない。

 その白き姿はコモンズの希望となり
 コモンズもトップスも、シティの全ての者たちが、彼を真の賞賛を込めて、こう呼ぶ。

 絶対王者
 ジャックアトラスと。

「キングは一人! このオレだ‼︎」

 湧き上がる歓声は爆発し
 就任から八年の歳月が経った今もなお、シティの隅々まで絶える日はない。










「……ジャックのヤツ、痩せたな」







  ◇  ◇   ◇


第5章 Yusei to Jack

(ジャックへ、お前の友より)

なあ、ジャック。お前に。
手紙を書くのは、嫌いじゃなかった。

返事は少なかったが
だからこそ、いつだってオレたちの言葉に
真摯に耳を傾けてくれていたのが分かったから

ジャック、お前は。
手紙だと、何もかも伝わってしまいそうで
だから、なにも言わなかったんじゃないか

いや、いい。
答えは、直接聞きにいく。


  ◇  ◇   ◇



 ジャックへ

 ジャック、忙しくしているみたいだな。
 例のテレビを見た。報告が遅れたが、オレと両親も移植バンクに登録したよ。

 不思議だが、あのテレビの少女、なぜか他人に思えないんだ。アキも同じことを言っていた。ジャックも同じだったんだろうか。

 オレも、なにか力になれることはないだろうか。もしあれば、いつでも言ってほしい。
 オレも、お前の仲間のつもりだから。



 追伸。映画を見た。正直感動した。チャリティ活動、応援している。


   ◇   ◇   ◇


 ジャック、元気か?
 記者会見、オレたちも見たよ。アキの学校もその話題で持ちきりらしい。しばらく、周囲が騒がしいだろうが、忘れないでくれ。オレはお前の進む道を信じている。

 最近、シティ全体が、大きく変わろうとしているのを感じる。

 今までは、どこを見ても、ひどくコモンズに無関心だったように思う。オレも昔は、どうしていいか分からなくて、足踏みするばかりだった。
 今も、ラリーたちのためにオレになにができるか、考えるばかりだ。
 今の流れを作ったジャックを、本当に凄いと思う。応援している。

 父さんはデュエルしない人だが、お前の活躍を喜んでいた。最近、ジャックをテレビで見ない日は無いからな。
 短い時間だったが、自慢の教え子だと言っていた。良かったらいつでも来て欲しい。オレも父さんも歓迎する。


   ◇    ◇    ◇


 ジャック、調子はどうだ。今日連絡したのは、報告したいことがあったからなんだ。

 実は、最近、父さんの代理で、デュエルアカデミアの講師を頼まれたんだ。
 そこで、龍亞という子どもと会った。

 ジャック、憶えているだろうか。お前が救った難病の少女の、双子の兄だそうだ。

 お前に憧れていると言っていた。そして、本当に感謝していると。
 将来、お前のようなライディングデュエリストになりたいそうだ。腕はまだ未熟だったが、想いは本当にまっすぐだった。

 妹を守るために、強くなりたいと言っていた。ジャックの言っていた『戦う理由』が、この子にはある。お前が言っていたことが、少しだけ分かった気がする。
 いつかお前のライバルになるかもしれないな。そうなればいい、とオレも思う。


   ◇    ◇    ◇


 ジャック、やっと良い知らせが出来そうだ。
 実は、新型のモーメント装置の研究が大きく動きそうなんだ。

 これでようやく、ラリーたちとの約束を果たせる。しばらくこもりきりになる。連絡できなくなりそうだ。
 オレも目標に向けて頑張る。お前も次のリーグ、がんばってくれ。応援している。

 そういえば、先月のエキシビジョンだが、少し顔色が良くないように見えた。
 やっぱりリーグは過酷なんだろうな。しっかり食べているか?
 実は、忙しい中でも食べられると思って、カップラーメンを一緒に送ろうと思ったんだが、アキに物凄い剣幕で叱られた。アキは医者を目指しているから、最近そういうのに厳しくてな、お前が好きそうだと思ったんだが……
 代わりに、日持ちする菓子を詰めた。野菜入りで体に良いらしい。アキが言っていた。トレーニングの合間に、良かったら食べてくれ。


   ◇    ◇    ◇


 なあ、ジャック。
 最近、お前痩せたんじゃないか?
 オレの思い過ごしならいいんだが。

 シティはいま大転換期だ。重要な時期で忙しいのは分かる。
 だが、自分を大切にしてくれ。


   ◇    ◇    ◇


 ジャック、昨日のリーグ中継を見た。
 以前は気のせいかもしれないと思ったが、ジャック、お前また痩せただろう。
 あの日はカードにもキレがないように感じられた。

 ジャック、返事をくれないか。
 少し前まで、たまに返信をくれていたが、ここ最近は、とんと連絡がつかなくなっただろう。オレも父さんも心配している。


   ◇    ◇    ◇


 ジャック。シティで、お前が病気じゃないかと噂になっている。心配している。


   ◇    ◇    ◇



「ねぇ、クロウ、キングが病気ってほんと?」
「お前らのとこまで噂が広まってんのか。……くそっ、こんなとき、何もできねえ」
「大丈夫かな、大丈夫だよね、キング、負けないよね」
「ああ。そうだ、あいつは病気なんざに負けねえ。……信じて、祈ろうぜ」



「ゲホッ、…くっ」
「アトラス様!」
「ゲホッ…ゴホッ……こほ」
「アトラス様、僭越ながら今一度申し上げます。どうか、専属医の忠言を聞き入れて下さい。お願いです、治療に専念を。まだ間に合うと、この街は貴方を喪う訳にはいきません、どうか」
「……深影、お前にはこの三年あまり、世話になった。だが、だから判っているだろう。止めても無駄だ」
「アトラス様……」
「俺はライディングに人生を賭けた。キングが戦わずしてコースを降りるなどあり得ん。 俺は、この身が焼き尽くされようと、走り続ける。俺の命は、ライディングの中だ」



「不動博士、新型エネルギー機関『フォーチュン』受賞、おめでとうございます」
 掛けられた声に、遊星はゆっくりと振り返った。書きかけの手紙は、静かにゴミ箱に送った。
「よしてくれ、父さんと同じ呼ばれ方をすると、照れくさいんだ」
「では、遊星助教、本当に行かれてしまうのですか?」
「ああ。これを最後に、オレは研究を降りる」

 手袋を嵌めて、布を取り払った先の。
 赤いDホイールが、息を吹き返す。

「オレに道を示してくれた友が待っている。約束を果たすときだ」
 ギュイン、この十年、手入れを欠かさなかったDホイールが
 再会を渇望して、エンジンを震わせた。

「次にアクセルを踏むときは、絆を繋ぐ時。オレは友を救う。上を目指す理由ができた。
ジャックは、倒れるその日まで、走り続けるだろう。だから。
───オレが、キングを倒して、次の王になる」





 ジャック、お前の返事を待つのは、もうやめにする。
 オレから行く。待ってろ。





  ◇  ◇   ◇


第6章 Last Duel

Last とは、続いていくこと
物事の「最も今に近い瞬間」を指し
必ずしも物事の終わりを示さない。

いつかは終わる時間の中の
この先も続いていく、一瞬の「いま」

これが、オレたちのラストラン



  ◇  ◇   ◇


「そうか、遊星が上がってきたか。あれから十年、戦う理由を見つけたか。待ち焦がれたぞ。ようやくだ」
 ゲホン、と血溜まりを白の手袋に吐き出して、ジャックは、拭い落とした。
 ジャックの余命は、白の手袋に少し黒く跡を残した。

「レッドデーモンズ、お前も血が震えるか。きっと今夜が、俺の走り抜いた中で、最も熱い風になる。これが最期でも後悔はせん。────いくぞ」

 十年の栄華を誇ったキングの病は、もはやシティの全てが知る所となっていた。
 歓声とフラッシュがあふれ返る中で、トップスとコモンズのすべてが、固唾を呑んでその一戦に注目していた。
 痩せこけた頬でスタジアムに姿を現したキングを、見つめる誰もが、予感していた。勝利でも敗北でも、十年の栄華を誇ったキングの、最後の一戦となる予感を。
 戦いの開始を告げる、サイレンが鳴る。
『デュエルが開始されます、デュエルが開始されます。ルート上の一般車両は、直ちに退避して下さい。デュエルが開始されます、デュエルが───』
 アナウンスが告げ、空中にレーンが展開する。
 スタジアムを駆け、シティを大きく走り抜けて、再びスタジアムに戻るサーキット。ジャックは、ゆっくりと見上げた。スタジアムの歓声を、浴びる。挑戦者の入場だった。
 遊星は、フラッシュの嵐の中、まっすぐに、青の眼差しを友に向けていた。
「ジャック」
 十年ぶりの再会だった。全てを蹴散らし、登って来た、ただ一人のデュエリスト。
「あれから十年、か。ずいぶん遅かったじゃないか、遊星」
 ジャックはフッと口許に笑みを掃いた。
「待ちくたびれたぞ」
「ジャック。止まる気は、ないんだな」
「愚問を」
「そうだな、───お前は、そういうヤツだ」
 ひどく懐かしい思いだった。かつては誰もいないスタジアムだけが、ジャックと遊星を見届ける決戦の地だった。今は大歓声の渦の中、雌雄を決そうとしている。
「ジャック、もう止めない。お前が口で止まるような男じゃないのは、よく知ってる。だからオレはここに来た。お前が繋いでくれた絆を信じて、オレは走って来た。多くのものを得て、時には失うこともあった。だが、その全てが、オレを支えてくれた」
 遊星の青い眼が、ギラリと鋭く光を持った。
「ジャック、お前は言ったな。戦う理由が、オレを強くすると。そして、何があっても、最後は自分の前に来い、と」
 瞬間、遊星から殴りつけるような闘気が迸った。
「登って来たぞ、ジャック。お前を止めるために」
「それがお前の『戦う理由』か。変わらんな、遊星」
「悪いが、力尽くで行く。オレの全霊を賭けて」
「フン、大言を! やれるものならやってみろ、叩き潰されるのは貴様だ、不動遊星!」
 エンジンが同時に火を噴く。
 運命のラストデュエルが、アクセルと共に火蓋を切った。
「ジャック、お前を必ず止めてみせる。先行は貰う! オレの、ターンッ‼︎」


 ─── ターン1 ───


「レベル2のクリア・エフェクターを墓地へ送り、パワー・ジャイアントを特殊召喚‼︎ このカードのレベルは墓地へ送ったモンスターのレベルの分だけダウンし、4となる!」
 かざしたカードが、墓地にスッと吸い込まれていく。走る遊星のDホイールに並んで、超合金ロボットが飛び出した。遊星は腕を振り抜いた。
「さらにライティ・ドライバーを召喚し、効果発動! レフティ・ドライバーをデッキから特殊召喚する!」
 プラスとマイナスのドライバーが揃い、ぐるりと回転する。十字に交差して、カッとぶつかり合った。
「レフティ・ドライバーが特殊召喚に成功したとき、レベルが1つ上がる! レベルの合計は8!」
「来るか、遊星!」
 まなじりを決した遊星が、アクセルを踏み込んだ。赤いDホイールが加速する。
「レベル4のパワージャイアントと、レベル3のレフティ・ドライバーに、レベル1のライティ・ドライバーをチューニング!」

 ロボットに二つのドライバー。
 八つの星が、飛翔する。

「集いし願いが、新たに輝く星となる! 光さす道となれ! シンクロ召喚!」
 風が、光った。
「飛翔せよ、スターダスト・ドラゴンッ‼︎」

 銀に煌めく翼。星くず色に光を弾く尾。
 白銀の翼が、舞い上がった。

 美しかった。

 銀河から流星が降り立ったように、風の中でキラキラ光をまとっている。
 そよ風が、優しい光を残して、穏やかに舞う。風とともに、思考の霧が晴れていくようだった。
 スタジアムは無音に包まれた。観客すべてが息を呑むほど、光景は神秘的だった。
 ジャックは、つかの間、言葉を忘れた。

(いま、ようやく分かった)

 ああ、このためにあったのだ。

 (あま)の先。あの日、路地で飢えながら見上げた、空から舞い降りたカード。
 光の先で出会えと、魂が訴えた、その竜は。
 ジャックは歓喜に打ち震えた。

「お前と戦うために、すべてがあったのだ‼︎」

 ジャックの叫びに、呪縛を解かれたように、スタジアムが歓声に沸いた。
 腕の傷が疼く、無いはずの痣が疼くのだ。
「ようやくだ、待ち焦がれたぞ…! スカーライト‼︎」
 デッキに眠る魂に叫んだ。デッキが熱い。お前も感じるか、この燃えるような魂の震えを。
「来い、ジャック! カードを一枚伏せて、ターンエンド!」
「俺の、タァァァァァン‼︎」
 ジャックは咆哮した。ドローが燃えるように熱く、叫んだ。
「相手の場にのみモンスターが存在することで、バイス・ドラゴンを特殊召喚する! さらにダーク・リゾネーターを召喚!」
 きぃん! リゾネーターが鳴らした音叉で、鈴のように音の波がさざめいた。
「王者の咆哮、いま天地を揺るがす。唯一無二なる覇者の力をその身に刻むがいい!」
 八つの星が燦然と輝く。ディープレッドの炎が、雄叫びを上げた。
「シンクロ召喚! 荒ぶる魂、レッド・デーモンズ・ドラゴン・スカーライトッ‼︎」
 灼熱の翼を広げ、炎の竜が咆哮した。煌々と熱する右腕の傷に刻まれた、白銀の竜との宿命の邂逅が、いま燃え上がった。

 灼熱の竜が、空に吠えた。
 星屑の竜が、宙を裂いた。

 天高く、高く、空を貫いた咆哮は、雲を裂いて、二体の竜は共鳴し、戦慄いた。
 そのとき、ジャックと遊星は、同時に瞠目した。

「⁉︎ これは」
「なにっ⁉︎」

 その日、シティのすべてが目撃した。
 上空に突如として現れた、巨大な赤きドラゴンの咆哮を。
『な、なんということでしょう!』
 女レポーターが、実況するヘリの上から叫んだ。

 空高く、厚い雲を裂いて、姿を見せた
 その、赤き神話の竜の、咆哮は。

「赤き、竜──……」

 無意識に、言葉が零れ落ちた。腕が、燃えるように熱い。
 次元を超越して、見届けんと現れた、赤き神話の竜が、雲を割り、天高く咆哮した。

 ジャックは、雷が落ちたように打ち震えた。
 向こうで、遊星もまた同じように打ち震えたのが分かった。理解した。
 自分たちの宿命は、いま、この時のためにあったのだと。同時に叫んだ。

「スカーライト‼︎」
「スターダスト‼︎」

 レッドデーモンズが、赤く熱した右腕を、振りかざす。
 スターダストが、白銀のバリアで受け止めた。

 拳が、バチバチと雷を弾きながら、バリアとせめぎ合う。

「スターダスト・ドラゴンの効果!」
 せめぎ合い。拮抗を破ったのは遊星。
 スターダストの全身から、まばゆい光線が発射される。

「このカードをリリースして、カードを破壊する効果を無効にし、スカーライトを破壊する! ヴィクティム・サンクチュアリ‼︎」
「無駄だ! 手札から効果発動、レッド・ガードナー‼︎」
 ジャックが吠えた。悪魔のツノで飾られた真っ赤な盾が、レッドデーモンズの前に立ち塞がる。
 ドンッ、とスターダストの光線を弾き返して、レッドデーモンズは吠えた。
「俺の場に『レッド』モンスターがいるとき、俺のモンスターは破壊されない!」

 スタジアムがビリビリと震撼する。
 光の残照を残して、キラキラと消えていく白銀の竜。灼熱の拳が遊星に迫る。
「行け、スカーライトッ‼︎ ダイレクトアタック!」
「トラップカード、オープン! 《くず鉄のかかし》‼︎ 攻撃を無効にする! そしてこのカードを再びセット!」
 遊星を打ち砕こうとした拳が、鉄くずの人形に弾かれる。ジャックは叫んだ。
「カードを伏せて、ターンエンドッ!」
 ターンが遊星に渡るその瞬間。
「スターダストの効果! リリースしたこのカードを墓地から特殊召喚する!」
 遊星が、天に腕を突き上げた。

「蘇れ、スターダストッ‼︎」

 ああ、これだ
 懐かしい、何もかもが
 魂が震える。血が歓喜する。
 これこそが、俺の求めていたもの!

 ジャックは、無意識に、流れるように手札に手を伸ばした。
 ああなぜだろうな、手に取るようにわかる。初めて見るモンスター? いいや、違う。この日を、どれほど夢にみたことか!

「速攻魔法、《おろかな転生》! 相手の墓地のカードを選択し、デッキに戻させる!」

 バンッと速攻魔法を叩きつけて、ジャックは吠えた。
 美しく反魂の花が舞う。花弁を舞い散らせて、白銀の竜は、白い花嵐に煽られながら、遊星のデッキへと静かに消滅していく。
「……ッ! スターダストッ‼」
「デッキに戻されては、蘇れまい! 効果は不発だ!」
「やられた…!」


 ─── ターン3 ───


 消えたスターダスト。がら空きの場。前に出たのは、ジャック。
 逆境を目の当たりにして、鬼気迫る遊星の闘志が、炎のように立ち昇った。
「オレの、ターンッ‼︎」
 パッと反転したカードに目を走らせて、遊星は、ゆっくり目を見張った。
 指先から語りかけるカードの声なき声に、遊星はつかの間、目を閉じた。

「思い出すな、ジャック」
 お前と初めてレーンを走ったとき。
 あのときもこうして、お前にしてやられた。
「そうだったな、ジャック。……全てを賭けなければ、お前は倒せない」

 カッと目を開いた遊星が、ドローしたカードをドンッと叩きつける。
「魔法カード、《ブラスティング・ヴェイン》! 自分の魔法・罠カードを破壊して、二枚ドローする!」
 レーンが燃える。くず鉄のかかしが破壊される。散った破片がレーンに落ちる。遊星は走った。
「守りの要を自ら捨てるか、いい度胸だ!」
「同じ手は通用しないだろう、ジャック。オレはデッキを信じている! ドローッ!」

 ドローが風を裂く。舞い込んだ手札に、遊星が目許を和らげた。
 よく来てくれた、と見知った仲間を歓迎するように、遊星はカードを掲げた。
「来い、ジャンク・シンクロン‼︎ 召喚に成功したとき、レベル2以下のモンスターを墓地から特殊召喚する! 復活しろ、クリア・エフェクター!」
 青い目が、煌々と燃えてジャックを射抜く。
 無言で叫ぶ嵐のように激しい視線。天高く突き上げた拳。遊星は叫んだ。
「レベル2のクリア・エフェクターに、レベル3のジャンク・シンクロンをチューニング!」
 ジャンク・シンクロンが、スターターの紐を握って、勢いよく引っ張った。
 ギュルンッ、音を立ててバックエンジンが燃える。光に吸い込まれたモンスターが、光球になって舞い上がる。

「集いし星が、新たな力を呼び起こす。光さす道となれ! シンクロ召喚‼︎」
 すみれ色の拳が、うなりをあげた。

「切り拓け、ジャンク・ウォリアー‼︎」

 高速で回転し、飛び出した紫の拳。遊星に並び立つ、くず鉄の戦士。
 目にするや否や、レッドデーモンズが咆哮した。

 それは威嚇のようで、決着を求めるようで、そして、待ちわびた歓喜のようであった。

「ジャンク・ウォリアー、か…!」
 レッドデーモンズの右腕の傷が、赤々と燃える。
 無意識に同じ場所をさすって、ジャックはニィと口角を上げた。

「クリア・エフェクターがシンクロ素材となったとき、デッキから一枚ドローする‼︎」
「引くがいい遊星! お前の運命のカードを!」
 ドローした手札が、キラリと光った。
「貴様のジャンク・ウォリアーの攻撃力は2300! その程度では俺のスカーライトは倒せん!」
「その通りだ。オレはこれでターンエンド!」
「何を企んでいる。俺の、ターンッ!」
 ジャックのドローが煌めいて、尊大に指を突き付けた。
「スカーライトの効果発動! ジャンク・ウォリアーには消えてもらおう!」
 腕の炎が、一際激しく燃え盛った。
「アブソリュート・パワー・フレイム!」
「ッ‼︎」
 レッドデーモンズとジャンクウォリアーの拳が、ぶつかる。
 遊星を巻き込んで、大爆発が、迸った。

 視界が煙で途切れる。落ちた沈黙に、ヘリからレポーターが、かしましく声を上げた。
『これはひとたまりもないかーっ⁉︎』
 爆風の煙がくゆる。

 ゆらり。煙が揺れた刹那。
 赤いDホイールが煙を裂いた。傷ひとつないジャンク・ウォリアーが飛び出す。
「なにぃ⁉︎」
「クリア・エフェクターをシンクロ素材としたモンスターは、効果で破壊されない!」
「面白い! だが、戦闘破壊は防げまい! バトルだ、スカーライト!」
 煙の切れ目で、遊星が小さく口角を上げた。
「それを待っていた! 手札の『ラッシュ・ウォリアー』を墓地へ送り、効果発動! ジャンク・ウォリアーの攻撃力は倍となる!」
 金色に輝く戦士の幻影が、ジャンク・ウォリアーに力を与える。
「なんだと⁉」
 紫の拳が巨大化し、大地が震撼した。拳が金色に唸り、巨大な覇気を纏っていく。
 表示された攻撃力の数値が急上昇する。

「攻撃力4600だとッ…!」
「迎え撃て、スクラップ・フィストォ‼︎」

 金色の拳を前に、レッドデーモンズが咆哮した。
 大気が震えた。ジャンクウォリアーの巨大な拳が、轟音と共に空から叩き付けられた。
「させんッ! 速攻魔法、《禁じられた聖槍》!」
 ジャックが手札を勢いよく振り抜いた。ビュン、銀の槍が飛んだ。
「そこだッ‼︎」
 銀槍が、金色の巨大な拳を貫いた。パリンッと高い音を立てて砕け散った金色の拳。ジャンクウォリアーが動きを止めた。残ったのは、剥き出しの紫の拳だけ。
「ここだ、今この瞬間ッ! 攻撃力が800ダウン!」
 鉄くずの戦士の攻撃力が、4600から3000まで一気に急落した。
「ッ‼︎ なに⁉︎ ジャンクウォリアーの攻撃力が…!」
「本来《禁じられた聖槍》で下げられる攻撃力は、800だけ! だが、今は違う! 下がる攻撃力は、1600! 貴様の『ラッシュ・ウォリアー』の威力も半減する!」
「……ッ‼︎ ここで使ってきたか…! だが攻撃力はまだ3000! スカーライトと並んだ! ここは臆せず攻める! 行け、ジャンク・ウォリアーッ‼︎」
 二つの拳が、雷鳴のようにぶつかる。レッドデーモンズ VS ジャンクウォリアー。巻き起こった嵐が、スタジアムを震撼させた。
「くっ…!」
「ぐあっ…!」
 レッドデーモンズが咆哮した。ジャンクウォリアーが唸りを上げた。互いの横面に、同時に拳が入った。吹き飛ばされたDホイール。ジャックは回旋し、かろうじて持ち堪えた。遊星が勢いをいなして加速する。僅差の二人の位置が、逆転した。
 同時に倒れ、破壊されたレッドデーモンズと、ジャンクウォリアー。
 相打ち。不敗神話の火竜の破壊に、スタジアムの空気があぜんとして、一気に沸いた。
『ス、スカーライト、倒れたぁッ! 信じられません、長年無敵を誇ってきたキングのエース、敗れた! こ、これは、これは大番狂わせかぁ⁉︎』
 ヘリからレポーターがマイクで叫んだ。音響がビリビリと震える。
「おのれぇ…! あえて効果だけを防いで挑発し、誘い込んだな⁉︎ くず鉄のかかしを破壊したのもこのためか!」
「さっきのお返しだ! これでお前のフィールドはガラ空き!」
「ぐっ……カードをセット! ターンエンド!」
「ジャック、オレは負けない。みんなの思いを背負って、お前に勝つッ! ドロー!」


 ─── ターン5 ───


 タイヤが摩擦で火花を上げる。ドローが風を切り裂く。遊星は声を張り上げた。
「ジャック、ここに来るまで、多くのデュエリストと凌ぎを削った! お前の前に立てるのは、勝ち上がった一人だけだ。オレは今、その全てを倒して、ここにいる!」
「そうだ、頂点は、キングは常に一人。孤高なものだ。遊星、貴様もいま、その高みにいる!」
「それは違う。ジャック、いまお前がデュエルしているのは、オレ一人じゃない!」
「なに?」
「多くのデュエリストと戦った。夢や憧憬、野望、決意。皆 、戦う理由は様々だった。だが、ただ一つ、共通していたことがある」
 遊星の青の目が、光を持った。
「お前だ、ジャック。全てのデュエリストが、お前とのデュエルを望んでいた!」
 射抜いた視線に、ジャックは紫水晶の瞳を細めた。駆け抜ける遊星の背に、赤く繋がる想いのバトンを、空目する。

「託されてきた。お前と戦い、越えるために。今も共に戦っているんだ。オレの背には、相手と交わしてきたデュエルの絆がある。オレはその絆を信じている!」

 遊星がカードを閃かせる。 
 そのカードの名は、ひとりは皆のため、皆はひとりのため、勝利を目指す一人一人の結束を示すもの。
「魔法発動、《ワン・フォー・ワン》! 手札のマッハ・シンクロンを墓地へ送って、レベル1のチューニング・サポーターを、デッキから特殊召喚する!」

 飛び出したチューニング・サポーター。ボロ布をマフラーに、帽子がわりに中華鍋を被った、チグハグな機械族モンスター。遊星の操るカードはどれも、捨てられた廃材を見事に繋ぎ合わせたような、ジャンクで埃の匂いのする小さな戦士。
 ジャックは目を細め、アクセルを踏み込んだ。駆ける風の中に、埃っぽさが混じる。だからだろうか、こんなに懐かしいのは。何かが「帰ってきた」と胸が熱いのは!
「墓地のラッシュ・ウォリアーのさらなる効果! このカードを除外して、墓地から『シンクロン』を手札に戻す! 舞い戻れ、マッハ・シンクロンを召喚!」

 遊星がハンドルを切った。疾走する二台のDホイール。ぶつかる寸前まで凌ぎを削る。ほんのわずか、遊星が前に出たまま、ジャックが並走する。地面に火花が走った。
 僅差ながらジャックが追う展開に、スタジアムが湧いて、興奮している。ギュルン、カーブの内側を取ったのは遊星。遊星が叫んだ。

「チューニング・サポーターを対象として、魔法カード《機械複製術》を発動する! 攻撃力500以下の同名機械族モンスターを、デッキから二体まで特殊召喚する!」
 ぶおんと音を立てて複製される、小さな機械戦士。並んだ三体が、光球になって舞い上がる。遊星が加速して前輪を跳ね上げた。
「チューニング・サポーターは、レベル2扱いでシンクロ素材にできる! レベル2のチューニング・サポーター三体に、レベル1のマッハ・シンクロンをチューニング!」

 キィンと星が舞った。

「集いし夢の煌めきが、新たな夜明けを駆け抜ける。光さす道となれ、シンクロ召喚! 跳躍せよ、シグナル・ウォリアー!」

 光の中、遊星の明け色のDホイールにそっくりな機体が、共に前輪を跳ね上げた。
 着地し、まるで並走するように並んだ二台。後から現れたDホイールが、変形して、ロボットに変身する。ブン、と腕を振って赤い戦士が走り出した。

「マッハ・シンクロンがシンクロ素材となったとき、墓地からジャンク・シンクロンを手札に戻す。さらに三体のチューニング・サポーターの効果。シンクロ素材となった時、デッキからドローできる! オレは3枚ドロー!」
 遊星の指先が、風を切り裂く。尽きた手札に、次々とカードが舞い込む。絶えず回り続けるデッキに、ジャックの視線が鋭く煌めいた。
「使った手札が次々舞い戻り、シンクロすら一手として、加速するほどさらに加速する。まるでモーメントだな。これがお前の選んだ進化の形か」
 ジャックの指が、迷いなく風を切り裂く。エンジンが火を噴いた。
「だが、進化の先を行くのが貴様だけだと思うな! この瞬間、俺はトラップ発動ッ! 《逆転の明札》! 相手がカードを手札に加えた瞬間発動し、手札が貴様と同じ枚数になるまでドローする!」
 キラリとジャックのドローが煌めく。ジャックと遊星の手札は並び、わずかな差は均される。接戦だった。摩擦で火花が舞い散る。
「来いっ! ゆうせ、」

 ゲホッ
 不吉な音が、落ちた。

「ジャック…?」
 不自然な沈黙に、遊星が、目を見張った。

 それは、数秒の出来事だった。
 観客席は湧いている。誰もが熱狂し、夢中ですべてをかき消す大歓声を上げている。スピードのセカイは激しく流れる。同じ速度、同じセカイを走るのは互いのみ。
 だから、それに気付いたのは、遊星だけだった。

 ジャックが、手の甲で素早く口を拭った。

 遊星は見た。
 掠れた白い手袋が、口許に赤く線を引いたのを。遊星は蒼白になった。

「ジャック、お前、まさか」

「っ、いま俺の手札はゼロ! よって、4枚ドロー!」
 わずかな永遠が動き出す。煌めくドロー。レーンに火花が散る。ささいな違和感は、一瞬で均される。歓声が燃えている。

 アメジストの瞳は、命を燃やしていた。
 迫真する、灼熱の瞳。
 無意識に、握ったグリップが、緩む。
 遊星は、ジャックの燃えるような目で射抜かれて、ほんの刹那の、永遠を見た。
 グリップを強く握った。

「オレは、ためらわない。……お前を必ず止めると誓ったんだ‼︎」
 掲げた腕を、勢いよく振り抜いた。
「シグナル・ウォリアーでダイレクトアタック! エンブレム・オブ・ボンドッ!」
「ぐわああああああああああああああ!」

 シグナル・ウォリアー ATK 2400
 → ジャック LP 4000 → 1600

 ジャックはバランスを失い、派手に回転した。不安定な操舵に、遊星が「ジャック!」と思わずハンドルを切った瞬間、ジャックが「構うな!」と一喝した。
「黙って見ていろ遊星、この俺の生き様を‼︎」
 叱責で大気がビリビリ震えた。遊星は咄嗟に飲み込んで、唇を強く噛んで叫んだ。
「カード、を…、一枚セット! ターンエンド!」
「くっ、俺の、ターン!」
「この瞬間、シグナル・ウォリアーの効果が発動する! このカードとフィールド魔法に、シグナルカウンターを1つずつ置く! カウンターは2つ!」
「決して破壊されぬ《スピード・ワールド―ネオ》を利用して、鉄壁の守りとして戦術に取り込むか! そうだ遊星、死力を尽くして、この俺を討ち取ってみせろ! 現れろ、レッド・スプリンター、ミラー・リゾネーター‼︎」

 大きな丸鏡を携えたコウモリと共に、リゾネーターがジャックのそばに舞い降りる。
 キラン、と鏡の中で、映り込んだ遊星が瞠目する。

 鏡の中に映った遊星。そこには、黄色のマーカーを刻んだ男が居た。
 鏡の中で相対するジャックの腕に、赤の痣が浮き上がる。

「俺の魂は滅びん! 幾度倒れようが、討ち果たされようが、何度でも燃え上がる‼︎ 見せてやる、レベル4のレッド・スプリンターに、レベル1のミラー・リゾネーターをチューニング! 破邪開闢、輪廻転生! 巡れ、命の鼓動よ! シンクロ召喚!」
 握った拳がジャックの左胸にかざされる。燃え上がる魂が、胸を焦がした。
「再誕せよ! レベル5、転生竜サンサーラ!」

 ギャァァァァァオ、スタジアムをつんざく咆哮。
 蒼く美しい竜が、ジャックの翼のように背後で蒼く羽を広げた。

「バトルだ! 転生竜サンサーラ!」
「なにっ⁉︎ 攻撃力100のサンサーラで攻撃⁉︎」
『な、なんと、キング血迷ったかー⁉︎ これが通ればキングのライフは0、自滅か⁉︎』
 ヘリからレポーターが叫んだ瞬間、遊星が気付いてハッと目を見開いた。
「ッ違う、これは!」
「リバースカードオープン、《反転世界(リバーサル・ワールド)》! フィールドの全ての効果モンスターの、攻撃力と守備力を入れ替える!」
 空が、ぐにゃり、と歪んだ。ブワリと発生した霧が、モンスターを包む。
 霧のように蒼き竜の姿が、天を覆った。赤き戦士が小さく縮んで、攻撃力が1000まで急落する。ガバッ、と遊星が見上げた。
「しまった、シグナル・ウォリアーの攻撃力が!」
「サンサーラの攻撃力は2600にアップ! 食らえ!」
 蒼き竜が、ロボットの喉元を食いちぎった。
 衝撃が遊星を巻き込む。
「ぐああああああ!」
「はっ、良い声で鳴くじゃあないか。どうした遊星、これで終わりか!」
「シグナル、…ウォリアーの、効果! カウンターの乗ったシグナル・ウォリアーは、戦闘と効果で破壊されない!」

 遊星 LP 4000 → 2400

 睨み合う蒼き竜と赤い戦士。互いの火竜と星屑の竜は退けられ、互いに大ダメージ。
 一歩も譲らぬ熾烈な接戦。ジャックはカードを素早く叩き伏せた。
「借りは返したぞ! さあ、このキングの首、掻き切ってみせろ、遊星!」


 ─── ターン7 ───


「オレのターン、ドロー! この瞬間、カウンターは4つ! シグナル・ウォリアーの効果、カウンターを4つ取り除き、相手に800のダメージを与える!」
「ぐっ……! こざかしい!」

 ジャック LP 1600 → 800

「そしてオレは、魔法《埋葬呪文(まいそうじゅもん)の宝札》を発動! 墓地の《ワン・フォー・ワン》、《ブラスティング・ヴェイン》、《機械複製術》を除外し、二枚ドロー‼︎」
「なるほど、見事なものだな。あらゆる全てを組み上げて、力に変えるか!」
「……デュエルは、モンスターだけでも、マジックやトラップだけでも勝てはしない。全てが一体となってこそ、意味を成す。そうオレに教えたのは、お前だ、ジャック!」
 遊星がアクセルをギュイン、と踏み込んだ。
「お前がオレをここに導いた。絆がオレを強くしたんだ。あの日、友と交わした約束を、オレは果たす! ジャンク・シンクロンを召喚し、効果発動! 墓地から再び、チューニング・サポーターを特殊召喚する!」
 立て続けに並ぶモンスター。散る火花。掲げた遊星の指先が、さらなる先へ閃く。
「このモンスターは、シンクロモンスターを素材とした時だけシンクロ召喚できる!」
「! シンクロの先の、さらなる進化……!」
「見せてやるジャック、オレの目指す未来を! レベル7のシグナル・ウォリアーに、レベル3のジャンク・シンクロンをチューニング!」
 キラン。赤い戦士のバックエンジンが燃えた。世界が光に包まれる。

「集いし星のまたたきが、新たな未来を切り拓く! 光さす道となれ!」

 眩い光が、衛星のように輝いた。
「シンクロ召喚! 照らし出せ、サテライト・ウォリアー‼︎」

 蒼く煌めく光電パネルを翼に変えて
 金色の戦士が、光臨する。

「サテライト・ウォリアーのモンスター効果! 墓地のシンクロモンスターの数だけ、相手のカードを破壊する! いま墓地にいるのは、ジャンク・ウォリアーとシグナル・ウォリアーの二体! 転生竜サンサーラと伏せカード、どちらも破壊させてもらう!」
「ぐうっ!」
 立て続けにカードが破壊されて、煙が周囲に立ち込める。視界が途切れるほどの煙幕に巻かれながら、ジャックが切れるほど鋭く視線をきらめかせた。
 ジャックの場はガラ空き。ダイレクトアタックが決まれば、ジャックの負け。
「甘いッ! 破壊されたことで、転生竜サンサーラの効果発動! 墓地のモンスターを復活させる! さあ、蘇れッ‼︎ 我が魂ッ‼︎」

 蒼き竜が咆哮した。蒼い炎に包まれて燃え上がる。
 再生の蒼火の中から、赤き豪腕が火を引き裂いた。

「レッド・デーモンズ・ドラゴン・スカーライトッ‼︎」

 赤き咆哮が、天をつんざいた。灼熱が世界を覆う。ワッと客席が湧いた。
『復活したーッ‼︎ 我らがキングの不滅のエース! サテライト・ウォリアーの攻撃力では、遠く及ばないかー⁉︎』
 空気がビリビリ震える。咆哮し、炎の中で猛るレッドデーモンズを前にして。遊星は、ふいに、凪いだ目でひとつ、言葉を落とした。
「なあ、ジャック。『サテライト』とは。飽和した、ゴミにあふれた、という意味だ」

 ジャックは顔を上げた。
 遊星の蒼い目は、真っ直ぐに何かを訴えかけていた。

「オレのカードは、弱いと蔑まれ、道ばたに捨てられていたカードばかりだ」

 確かに一枚だけでは意味をなさない。だが、だからこそ。
 ひとりひとりの輝きは小さくとも、組み上げたとき、眩しい光を放つ。

「サテライトには、星という意味もある。クズと蔑まれた小さな存在は、だからこそ、手を取り合うことで、誰より眩しい星になるんだ」

 ぎゅん、アクセルペダルが二度踏まれる。
 ギアが加速する。摩擦で火花が散った。

「今までシティは、オレたちは。キングという一人のスターに全てを頼りすぎていた。だが、これからは違う!」

 ジャックは瞠目した。客席で、遊星の言葉にハッとしたように、固唾を飲んで、祈るように見守るひとりひとり。
 そのときジャックは。遊星の背に集う、小さなデュエリストたちの祈りを見た。

「キングと呼ばれたお前より、眩しく! オレたち一人一人が、未来を担ってみせる! それがオレの、オレたちの目指す絆だ!」

 遊星がハンドルを切った。壁を駆け上がり、コースアウト寸前まで壁を駆け登る。
 客席が息を飲んだ。危険と紙一重なショートカット。壁を跳躍台に、遊星が飛んだ。

「サテライト・ウォリアーは、破壊したカードの数だけ、攻撃力を1000アップする!」
「なに⁉︎」
 蒼く煌めく光電パネルが、輝く。
 ぶわっと巨大な光を纏って、サテライト・ウォリアーが、飛んだ。
「攻撃力、4500…⁉︎」
「いくぞジャック‼︎」
 宙を飛んだ遊星が、空から滑空する。
 瞬間、赤いDホイールが発火する。滑空してジャックに迫った。
「これで決める! スカーライトを攻撃ッ! メテオ・シューティング‼︎」
 Dホイールが風と一体となって、隕石のように流れ落ちた。
「…ッ!」
 降り注ぐ光。巨大な光線がジャックに襲いかかって、Dホイールが巻き込まれた。

 音が絶える。
 決着。誰もが思った、その瞬間。爆発の中、Dホイールの駆動音がした。

 観客の前に飛び出したのは。
 煙を裂いて疾走するキングと、無傷で咆哮するレッドデーモンズだった。
「なに⁉︎」
「俺は破壊された瞬間、このトラップを発動していた! 《威嚇する咆哮》! 貴様の攻撃は無効となる!」
 脳裏に蘇る、煙の下で鋭く睨むジャックの姿。サテライト・ウォリアーが破壊した、伏せカード。
「……あのとき!」
 遊星は唇を噛み、カードを伏せてターンエンドを宣言する。

 風の中。遊星の声を聞きながら、ジャックはひどく長く感じる一瞬を味わった。
 残りライフは800。風前の灯。デッドラインだ。

 よく、ここまで俺を追い詰めた。
 いつぶりだ。こんなにも滾るデュエルは。

 デュエルを通して、遊星の想いは、鮮烈に伝わってきた。
 遊星の目指すもの。誰かと共に目指す未来。そして、ジャックが目指すものは。
「ッ、ゲホッ、ゲホッ」
 繰り返す咳。ジャックの白い手袋を染める鮮血。観客もざわつき始める。

 感じる。シティは、未来は変わろうとしている。この一戦は、未来を決めるデュエル。
 再誕の時だ。しかし、殻を破るにはまだ足りない。

 限界が近い。おそらく今が、キングとして何かを為す、最後のチャンス。
 ざわめきを振りほどくように、ジャックは叫んだ。

「聞け‼︎ 牙を忘れた者共よッ‼︎」

 音響が、ビリビリと震える。瞬間、スタジアムが静まった。
「この街は久しく忘れていた。誰もが爪を持ち、未来を、掴み取っていけるのだと! 立ち上がれ‼︎ 今このとき、コモンズもトップスも関係ない! 望みがあるなら、手を伸ばせ‼︎」
 力を振り絞って吠えた。ジャックが燃やした魂の全てを、いま、声に乗せて叫ぶ。
「富める者よ! 今すべきことは、華美な衣装でおのれの弱さから目を背けることでも、弱き存在を見て見ぬふりすることでもない‼︎」
 豪華な特別室から見下ろしていたトップスの者が、ジャックの気迫に呑まれたように、がた、と椅子から腰を浮かせた。
「貧しき者よ! 貴様のすべきことは、自らを弱いと決めつけ、嘆き、俯いて歩くことではない‼︎」
 地べたに座り込んでいた浮浪者が、街頭テレビを見上げて、がたっと立ち上がった。
「相手が誰であろうと、共に高め合い、眩い未来を掴んでいけるのだと! その真髄がデュエルにはある‼︎」
「ジャック…!」
 遊星が見開いた、青の瞳。
 映り込んだジャックの姿が、決意で遊星をブワリと射抜いた。
「今まで打ち捨てられてきた弱きカードを束ね上げ、ついに一人の挑戦者が王の前にやって来た‼︎ コモンズもトップスも隔てなく、願いを託されて来たというデュエリストが!」
 ジャックのDホイールが、またたく間に壁を駆け上がった。だれもが目を離せない。見事に逆さに安定させ、ジャックが挑戦者を振り返る。指を突きつけた。

「問おう、チャレンジャー! 貴様の目指すデュエルは何だ!」

「───っ、コモンズもトップスも‼︎ 全てを超えて絆が未来を作るのだと、証明してみせる! それがオレの、……オレたちの、デュエルだ‼︎」
「ならば俺が最後の壁となろう‼︎ この俺、キング、ジャックアトラスが!」

 ぶわりと覇気が襲いかかる。濁流のような激しさに、遊星は思わず片腕で目を庇った。風の中、必死に目を開けて、遊星は、声にならない言葉を口にした。
「ジャック、お前は、……ッ!」

 身を以て、最後の障害になろうとしているのか。
 この街が生まれ変わる、最後の礎に。倒されるべき敵として。

 遊星が訴えた眼差しに、ジャックは向き直った。一瞬の視線の交差。時が、止まる。ジャックは、全身で雄叫びを上げた。瞬間、大気が震えた。
「俺は誓った。真のキングとは、皆を導き幸せを与える者だと‼︎ 俺にそう説いた者がいた! 王が与えるのを待つのでなく、自ら掴みに来た挑戦者よ‼︎ いまお前に、望むものがあるのなら───」
 ぶわっと、ジャックのデュエリストの覇気が、雪崩のようにシティ中のすべての者に襲いかかった。
 その瞬間、スタジアムの客席も、テレビを見る者も、誰もが知らず立ち上がっていた。

「王を超え、討ち果たしてみろ! このキング、ジャックアトラスを‼︎」

 怒号のような歓声が、爆発した。
 この瞬間、シティはひとつだった。

「さあ行くぞッ‼︎ 俺はクリムゾン・リゾネーターを召喚し、効果発動ッ! デッキから特殊召喚! 来い、ダブル・リゾネーター、チェーン・リゾネーターッ‼︎」
 悪魔の炎が燃え上がる。一瞬でずらりと並んだ、三体のリゾネーター。悪魔を従えて、火竜が吠えた。
「見よ、これが限界を越えた先! 俺の望んだ未来! トリプルチューニング‼︎」
「トリプルチューニングだと⁉︎」
「レベル8のレッド・デーモンズ・ドラゴン・スカーライ、……ゲホッ!」

 ご、ぽっ
 白のライダースーツが、真っ赤に染まる。

「ぐっ……こんなときに……ッ!」


 ビチャリと赤く大量にあふれた鮮血。レーンに点々と落ちる赤。広がる鉄さびの臭い。ついに吐血したジャックに、客席から悲鳴が上がった。
「ジャックッ!」
「アトラスさま! ッお願い審判、止めて!」
「止める、なぁッ‼︎」
 ビリビリと音が震える。

 誰もが息を呑み、目を見張った。
 ぐらついたDホイールを立て直し、ジャックは血の滴る唇を噛みしめた。

「まだだ。俺の魂は尽きていない、倒れるわけにはいかん、決して」
 ガッとアクセルを踏み込む。
「たとえこの身すべてが焼き尽くされようと!」

 ギュイッ、タイヤが唸った。
 道なき道に舵を切る。
 エンジンが火を噴いて、白き姿が、彗星のように燃え上がった。

「クリムゾン、チェーン、ダブル・リゾネーターを、トリプルチューニングッ‼︎」
 灼熱の竜が咆哮する。瞬間、スカーライトの姿が、眩しい炎に包まれた。

 羽化のようだった。激しい炎の塊が、形を失って、吠える。
 炎を突き破って、二枚の翼が、大きく広がった。
 竜の背に、さらに巨大な翼が、生える。第三、第四の、炎の翼が。

「王を迎えるは三賢人。紅き星は滅びず、ただ愚者を滅するのみ! 荒ぶる魂よ、天地開闢の時を刻め‼︎ シンクロ召喚ッ!」
 解き放たれる。真の姿が。ジャックは飛んだ。いま、待ち望んだ、最後の対決を。



「君臨せよ、スカーレッド・スーパーノヴァ・ドラゴンッ‼︎」







 刮目せよ。コモンズに生まれ落ちたジャックアトラスの、最期の生き様(ラストデュエル)を。






  ◇  ◇   ◇


第7章 Super Nova

スカーレッド・スーパーノヴァ
超新星爆発
星が一生を終えるときの、最期の大爆発

夜空に明るい星が突如輝き出し
星が新しく誕生したように見える。

死と引き換えに生まれる
爆発と、新たな星

刮目せよ
いま、再誕のとき



  ◇  ◇   ◇


 灼熱の星が生まれ堕ちた。
 存在だけで大地が炎で震撼し、Dホイールが揺さぶられる。
 厄災の暴竜。一瞬でも気を抜けば焼き尽くされる。爆炎がレーンを走った。フィールドを襲った炎に巻き込まれた遊星は、灼熱から必死に目を庇った。
「これがジャックの、本当の力…!」

 天まで燃え上がる火柱。その前で天に腕を突き出し、君臨するジャック。

「スーパーノヴァの攻撃力は、墓地のチューナー一体につき500アップする! 俺の墓地には、四体のリゾネーターがいる!」

 炎の王を讃えるように一斉に鳴り出した音叉の音。鳴り響く四重奏(カルテット)。中心で燃え盛る業火の竜が、天を覆うほど巨大化した。炎が勢いを増す。
「攻撃力、6000、だと…⁉︎」
 対するサテライト・ウォリアーの攻撃力は、4500。灼熱が加速する。
「バトルだ! サテライト・ウォリアーを攻撃ッ‼︎」
 地を炎が走る。振り上げられた拳は隕石のように加熱して、戦士の横面をなぎ払った。

 スーパーノヴァ VS サテライト・ウォリアー
 = 遊星 LP 2400 → 900

「ぐ、あああああ!」
 機体が衝撃で激しく揺れる。腕で顔を庇いながら、遊星はかろうじて持ち堪えた。
 攻撃力6000を前に、フィールドはガラ空き。スタジアムに絶望的な空気が漂う。
「くっ、まだだ! 破壊されたサテライト・ウォリアーの効果ッ! 墓地から復活しろ、ジャンク・ウォリアー、シグナル・ウォリアー‼︎」
 遊星の声に呼応して、二体の戦士が復活する。火の中、睨み合うシンクロモンスター。
 ジャックのライフは800、遊星は900。どちらもデッドライン。誰もが思った。
 次の攻撃を制した方が、勝つ。

「…さすがだな、遊星。俺が限界を超えるたび、お前も限界を超えてくる!」
「お前こそ」
 懐かしい応酬だった。相手がやればやり返す。その繰り返し。まるで、ずっと一緒に育ってきた兄弟のような、宿命のライバルのような。鏡写しのデュエルだった。
 極限のやり取りの中で、ふっ、とジャックが笑った。
「感じるぞ、遊星。この十年、どれほどお前が俺のデュエルを見てきたか。やはり俺の目に狂いはなかった。願わくば、永遠にこうして居たいと思うほどにはな」
「ジャック……」
「だが、それは無理というものだ」
 げほん、と隠そうともしなくなった吐血を、レーンに吐き捨てて、ジャックは吠えた。
「なぜなら、ここで俺がお前を倒すからだ! お前は俺に届かん!」

 引いた手札を全て伏せ、ジャックは圧倒的覇気で迎え撃つ。火竜が咆哮した。

 ギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァア
 吼えるスーパーノヴァ。超新星爆発の竜。

「教えてやろう、遊星! 我がスーパーノヴァは、攻撃や効果に対し、貴様のあらゆるカードを除外できる効果を持っている!」
「なに…⁉︎」
「覚悟があるのなら。超えてみせろ、遊星。我が魂を! 圧倒的不利すら覆して、不可能を可能にしてみせろ! これが、お前にやるラストチャンスだ!」


 ─── ラストターン ───


 鏡のようなデュエルだった。

 最初はスターダストが倒され、次はレッドデーモンズが倒された。
 先に遊星が大ダメージを与え、次はジャックが大ダメージを。

 ジャックの蒼き竜が倒されて、レッドデーモンズは蘇り
 遊星の戦士が倒されて、二体のウォリアーが蘇った。

 そしていま、
 ジャックが限界を超えた先で
 遊星もまた、限界を超えていく。




 シティは熱気に沸いている。
 挑戦者と共にキングに挑み、夢中になって大歓声を上げる。沸くセカイの中、渦中の遊星は、ただ。揺らめく炎の中で、一度だけ静かに問いかけた。

「ジャック、お前はどこまでも孤高を貫くんだな」

 血を吐き、白のライダースーツを赤く染め、それでも折れぬ強者の魂。
 揺らめく火。限界を超え、コモンズの未来を背負って、ひとり、走ってきた、王。

「ああ。それが俺の生き様。俺のデュエル」
「キングだからか?」
「そうだ、キングだからだ」
 ジャックは問うている。遊星に、その覚悟があるのかと。
 キングとして全てを捨て、街の全てを背負う覚悟はあるかと。
 遊星は、静かに首を横に振った。
「ジャック。オレとお前の道は違う。オレの道は、風と共にある」
 遊星は、胸の前で握った拳を、ゆっくりと、ジャックに向けて突き出した。
「オレは遊星粒子のように、みんなの心を繋ぐ絆でありたい。オレが目指すのは、絆を繋ぐデュエルだ。何も捨てない。誰も独りにはしない。ジャック、お前のことも」

 変わらぬ遊星の青い目。ジャックはフッと紫の瞳を和らげた。お前らしい、と。

 並んだDホイール。ジャックもまた、拳を突き出して。
 遊星の拳を叩き払った。
 それは、認めた強敵を讃えるハイタッチであり、決別を示すものだった。

「来い、遊星! 貴様のラストターンだ!」
「ドローッ! 魔法カード《能力調整》! モンスター全てのレベルを一つダウン!」
 発動と共に、二体の戦士のレベルが下がった。
「来い、ジェット・シンクロン! レベル1のチューニング・サポーターに、レベル1のジェット・シンクロンをチューニング!」

 きぃん、高らかに星が舞った。

「集いし願いが、新たな速度の地平へいざなう。光さす道となれ! シンクロ召喚! 希望の力、フォーミュラ・シンクロン!」
 炎を裂いてレーシングカーが飛び出し、ロボットに変形する。遊星は腕を振り抜いた。
「この瞬間、チューニング・サポーターと、フォーミュラ・シンクロンの効果発動! シンクロ召喚に成功したとき、それぞれ一枚ドロー‼︎」
 立て続けに二枚ドローして、遊星は勢いのまま腕を突き出した。
「そしてシンクロ素材となったジェット・シンクロンの効果で、デッキから『ジャンク・ジャイアント』を手札に加える!」
 ドリルを背負った一つ眼の巨人が遊星の手の中に舞い込んだ。ジャックは訝しんだ。
(おかしい。魔法でレベルを下げたのはなぜだ。場には、シンクロモンスターが三体。遊星が得意とするのは、連続シンクロ……)

 まさか。

 ジャックはハッとした。遊星がジャックを見据えていた。まるで心を映したような、青く透明な瞳で。
「遊星、お前も越えようというのか、スピードの限界を…!」

「共に走れば、相手の全てが、深く、熱く、分かる。それが、ライディングデュエル。ライディングデュエルは、人生。誰かと人生を共に走ることだ」
 遊星の声は、積年の友人にかけるような温かみに満ちていて。それでいて熱く、熱く、酩酊するような風の中にあった。

 風が。赤い風が、燃えている。

「ジャック、お前は待っていたんだろう。この頂点で、ずっと。お前を倒しに来るデュエリストを」

 ジャックは感じた。遊星もまた、限界を越えようとしている。
 そうだ、ジャックは待っていた。こんなにも、こんなにも、ずっと。
 終生のライバルが、お前が。スピードの限界を超えて自分の前にやって来るのを。

「いま、行く」
 青く透明な瞳にキラリと映り込んだ、澄み切った心。
 遊星の纏う空気が、風が。金色にどこまでも澄み渡っていく。

「シンクロは、絆。思いが積み重なって、新たな未来を切り開く。お前が、チューナー三体でシンクロするなら、オレは───シンクロモンスター三体で、シンクロ召喚する!」
「なんだと⁉︎」
「見せてやるジャック。これがオレたちが走る、未来への絆! トップ・クリアマインドッ‼︎」
 三枚の白く輝くカードをかざし、遊星は風を切り裂いた。
「シンクロモンスター『ジャンク・ウォリアー』『シグナル・ウォリアー』に、シンクロチューナー『フォーミュラ・シンクロン』を、チューニングッ!」
 切れるような鋭い風が頬を掠めて、遊星が手の甲で鋭く拭った。
 きぃん。加速して、黄金の風が、燃えた。
「集いし星が絆を繋ぎ、祈りと共に未来へ翔けるッ‼︎」
 カーブに差し掛かる。地面スレスレに体を倒す。タイヤがうなりをあげる。グリップを握る手に汗がにじむ。
「光さす道となれッ‼︎」
 アスファルトが擦れる。火花が散る。
「デルタアクセルシンクロォォォォォォ‼︎」

 風が唸った。

 キィィィィィィン。加速して残像だけ残して姿を消した遊星に、ジャックが瞠目した。
「消えた⁉︎」
 瞬間。音速を貫いて、音が爆発した。

 後ろから現れた、光速の影が、空へ飛んだ。
 永遠に思えた一瞬。宙に浮かぶ姿。

 音速を飛び越えて、赤きDホイールで宙を舞った遊星を見上げて、誰もが、思った。
 伝説───英雄、と。

「生来せよ、コズミック・ブレイザー・ドラゴンッ‼︎」

 宇宙を抱いた白銀の竜が、大いなる翼を広げた。


 セカイが白むほど眩しい。ジャックは限界まで目を見開いた。星の輝きが迫る。
「デルタアクセルシンクロだと⁉︎」
「バトルだ! コズミック・ブレイザー・ドラゴンで、スーパーノヴァを攻撃ッ!」
「なに⁉︎ 攻撃力4000で、俺のスーパーノヴァに挑むだと⁉︎ 何を企んで……!」
「トラップ発動、《罠蘇生》!」
 遊星の伏せカードがバッと立ち上がった。
「ライフを半分払い、相手の墓地のトラップの効果をコピーする!」

 遊星が、腕を突き出して、叫んだ。 
 その瞬間、カードから、天を覆う霧が発生した。赤き神話の竜が、戦慄いた。

「オレが選ぶのは───《反転世界(リバーサル・ワールド)》‼︎」

 瞬間、コズミック・ブレイザー・ドラゴンが、咆哮した。

「ッ‼」
 瞬間、霧の中に突っ込んだ二人は、霧を裂いて疾走した。
 何も見えないほどの濃霧。ジャックは目を凝らしてグリップを握った。

 その時だった。
 一瞬。まばたきの間に。高速に流れる霧の中で、ジャックは、誰かとすれ違った。
(今のはッ……⁉︎)
 白いDホイールを疾走させる、その影は。

 燃え盛る超新星爆発の竜が、一瞬の邂逅を名残惜しむように吼えた。

 霧が晴れる。
 わずか数秒の出来事だった。ジャックは、ハッと夢から覚めたように正気付いた。
 霧の先で、遊星が射抜くようにジャックを見つめていた。遊星のライフは僅か450。ジャックのスーパーノヴァの攻撃力は3000まで下がっていた。だが、対する遊星は。
「攻撃力が、変わっていない…⁉︎」
「コズミック・ブレイザー・ドラゴンは、攻守ともに4000、攻撃力は変わらない!」
 見上げたジャックの瞳に、焦燥が走った。
「ジャック。世界がどれほど移り変わろうと、オレは変わらない」
 遊星は、挑むように低い声を出した。霧の中で、遊星は見た。
「絆は変わらない。世界がどんなに変わろうと、オレはオレのデュエルを貫く!」

 赤いDホイールを疾走させ、静かに熱く笑った、誰かの面影を。

「っ、この攻撃が通れば、俺の負け……っ、だが! スーパーノヴァは、自身と共に、相手のすべてのカードを除外できる!」
「それはどうかな!」
 遊星が叫んだ瞬間、白銀の竜が咆哮した。
「コズミック・ブレイザー・ドラゴンの効果! エンドフェイズまで除外することで、相手の効果の発動を無効にし、破壊する!」
「なんだと⁉︎」
 宇宙を抱いた白銀の竜が、翼を広げた。瞬光が広がった。
 攻撃を無効にしたはずのスーパーノヴァ。それが、コズミックブレイザーによって、無効化される。無効に次ぐ無効合戦を制したのは、遊星。ジャックは吠えた。

「まだだ…俺は負けん‼︎ トラップ発動、《竜の転生》‼︎」

 ジャックの最後の伏せカードが立ち上がる。
 超新星爆発の竜が、白銀の竜に引き裂かれる寸前で、光の残照を残して消えていく。効果の先を失って、コズミックブレイザーの爪が空ぶる。
「なに⁉︎」
「スーパーノヴァを除外し、甦れ、我が魂ッ‼︎」
 地面から、灼熱が噴き出した。
「レッド・デーモンズ・ドラゴン・スカァァァライトォ‼︎」

 君臨する、灼熱の竜。大地を走る炎。火竜は吠えた。効果の先を失って消えていく、コズミックブレイザー。瞠目した遊星の、場はがら空き。
「遊星、貴様の負けだ‼︎ 貴様に次のターンは来ない!」
「……ああ、ジャック。次のターンは来ない。───このターンで、決着を付けるッ‼︎ 速攻魔法、《ツインツイスター》‼︎ オレは、自分の伏せカードを二枚とも破壊する!」
「なに⁉︎ 伏せカードを自ら手放すだと⁉︎」
「そうだ、この世に不要なカードなどない、破壊されることにもまた、かけがえのない意味がある!」
 バッと遊星が腕を天に突き上げた。
「これがオレの切り札! 自分のカードが二枚以上破壊されるとき、トラップ発動ッ! 《スターライト・ロード》‼︎」

 遊星の前に、美しく光の道が伸びていく。遊星は駆け抜けた。
「バトルフェイズは終わっていない! デッキから甦れ、皆の想い、希望の絆‼︎」
 天まで伸びた光。セカイが白くホワイトアウトする。

「飛翔せよ、スターダスト・ドラゴンッ‼︎」

 再誕する、星屑の竜。美しく、白銀の翼が広がる。
 ジャックは打ち震え、歓喜した。命を燃やして、最後のアクセルを踏み込んだ。

 叫ぶジャック。叫ぶ遊星。

 火龍の竜と共に、ぐらついたDホイールを立て直し、なおも、ジャックは吠えた。
 遊星もまた、カードを手に叫んで止まらなかった。
「スカーライトォォォッ‼︎」
「スターダストォォォッ‼︎」
 火の竜と星屑の竜は激突し、互いを焼き尽くしながら、二人の決闘者は雷鳴のようにぶつかり合った。





 永劫に思えた風の中で、ジャックは。
 求めた風の先に、目が眩むほど眩い、友と肩を抱き笑い合う未来を見た。




  ◇  ◇   ◇


 ポタン、…ポタンと、揺れる視界の先で、点滴が落ちる。

 目を、覚ましたのは。白いベッドの医務室だった。
 ゆるり、と、瞬いた先で、視界が揺れる。
 ポタン、ポタン。雫が降っている。降り続けている。随分と疲れて、視界が滲んでいたが、手を強く握るぬくもりが、誰のものかは。
 不思議と、すぐに分かった。

「カーリー、俺は、負けたか」
「……うん。強かった、ずっと、見てたよ」

 ポタン、ポタンと、雫の降る中で、「そうか」と息を吐き出して。耳の奥に残った、友の声を、反芻する。
 弱きモンスターの力を束ね上げ、輝きを増した星屑の竜に。
 ジャックは、敗北した。




『速攻魔法、《イージーチューニング》‼︎ 墓地のジャンク・シンクロンを除外して、スターダストの攻撃力を3800にアップ‼︎』
 星屑の竜が、輝きを増した。眩しく、まばゆく、あふれる光の中で。
 レッドデーモンズの攻撃力は、3000。残りライフは、800。
 ジャストキル。

『響け、シューティング・ソニィィィィック‼︎』

 セカイから、音が遠のく。
 撃ち抜かれたジャックは、極限まで引き絞った意識を、手放して。
『ッ⁉︎ ジャックッ‼︎』
 Dホイールから、滑落して、放り出された。

 友の叫び。観客の悲鳴。
 空中に放り出されながら、浮遊するわずかな永遠に、ジャックは、意識を落とした。

(ああ、)


 長い、長い孤独な戦いだった。
 この世界に生まれ落ち、独り歩んできた。だが。
 悪くは、なかった。

 カードと出会い。育ての母と出会い。
 孤児院で騒がしい同胞と出会い。愛機と共に駆け。
 そして、愛する女と、友と出会った。

(多くと、出会った人生だった)

 これが絆なら、俺の走ってきた人生は。
 きっと、誰よりも上々だった。

 そうだろう、我が魂、レッドデーモンズよ。

 ジャックは、静かに笑った。
 遠い咆哮で、火竜が応えたのを、知った。


『ジャックッ‼︎』
 世界がスローモーションのように流れる。遊星は血の気が引いて、アクセルを踏んだ。筒状レーンをぐるりと回り抜けて、追って、宙に飛んだ。
『ジャックーッ‼』
頭から墜落するジャックに、限界まで手を伸ばす。投げ出された、指先が、掠めて、空ぶった。

(───だめだ、届かない!)

 サイドを開いて、遊星は、Dホイールを蹴って、跳んだ。

クラッシュする二台のDホイール。
乗り捨てられて壁に激突する轟音。上がる爆炎と煙。

観客席が、声を失って、煙だけがレーンを覆う。ヘリのカメラがズームアップする。
そこには、ライダースーツを激しく地面に擦り付けて。全身でジャックを受け止めた、遊星の姿があった。

観客席が、わっと一斉に湧いた。
キラキラと、ソリッドビジョンが消えていく。

スターダストが、ゆっくり形を失って、光に溶けていく。
光が、柔らかに降り注ぐ。宿命の対決を求められた星屑の竜は、願いの役目を終えて、静かに消えていった。
 ジャックは、遊星の腕の中で、満たされたように気を失っていた。

 街を背負って走った、気高い背中。受け止めた痩躯は、思っていたよりもずっと軽く、小さく感じられた。
 十年の歳月を走り抜けて、力尽きたように金色のまつ毛を伏せる、ライバルを前に。遊星は、噛みしめるように、告げた。


『ジャック、友の意志はオレが継ぐ。……だから、どうか、休んでくれ。ありがとう』




「ねえ、ジャック、…ジャック、スタジアムの声、聴こえる?」
「ああ、聴こえている。……名を呼んでいる。俺の名だ」
 聞こえる、歓声が。
 キングでなくなった男の名を、シティの全てが呼んでいた。
「ジャック、コモンズとトップスがひとつだよ、聴こえる?」
「ああ、ちゃんと聴こえている。判っているから、───泣くなカーリー。俺は死なん」

 ポタン、と。
 女の頬から、またひとつ、ジャックの手に、雫が落ちた。

「キングの俺の役目は、終わった。俺は、もう一度ここから始める。キングではない、ただのジャックアトラスとして、病を癒して、今度はゼロから挑戦者として挑もう」
 うまく力の入らない指を、ゆっくり、ようよう。女の指に、絡めた。
「カーリー。俺はもう、王座を持たぬただの男だ。俺は今、心の全てをかけて、願う。真に愛する者、お前と在りたい」
 ぎゅっと。
 無言で強く、強く握り返した指が、答えだった。
「俺の復活の日の記事はお前が書け。俺も、ずっと見ていた。本当に、良い記事を書くようになったな、カーリー」




  ◇  ◇   ◇


最終章 TG-EX(テックジーナス・エクスパンション)


探していたラストピース



安心して。
風の中を走るとき

ボクはいつも、きみたちと共にある

未来で待ってるよ


  ◇  ◇   ◇


 ジャックは、カーリーに肩を貸されながら。
 スタジアムの地下駐車場に降り、破損した愛機と相見えんとしていた。

「ジャック、ほんとうに行くの?」
「ああ。肩を貸せ、カーリー」
 ジャックはこれから、長い闘病生活に入る。
 だからこそ、クラッシュした愛機を、この目で直視しておかねばならなかった。長く苦しい道が待っている。現実から目を背けてはいられない。
 大破した愛機と共に、ジャックは文字通り、ゼロから出発する。

 試合の最後、ジャックは負けて、放り出された。ジャックはかろうじて無事といえる状態だが、Dホイールはそうはいかない。
 走者を失い、主人の代わりに激突した愛機の破損は免れなかった。
 いくら決意しても気は重い。まして、今、この身体では。
 敗北を肩に下げたジャックの体は、病で酷く重かった。カーリーに肩を貸されても。

 愛機も、ジャックの体も、ボロボロだ。
 走れるのだろうか。俺は。もう一度。

「だいじょうぶ」
 不意に、耳朶を打った、男の呑気な声。

 誰もいないはずの駐車場。Dホイールの前に。
 勝手に愛機を弄りながら、青い髪の男が、しゃがみ込んでいた。
 ジャックは目を見開いた。

「まだ走れるよ」

 ドライバー片手に、勝手に座り込んで、ジャックを振り返った不思議な男。大きな背中を人懐っこく丸くして、掴みどころなく、笑った。
 知らない男だった。知らない、はずの男だった。
 屈託無くジャックに笑いかけ、男の手の中で『それ』は直されていた。
 くるりと工具を回した手は、左。
「忘れ物を取りに来たんだ。彼によろしくね」

 ジャックは、限界まで目を見開いた。

「おまえ、は、」
「ジャック?」
 呼びかけられて、ハッとする。
 見れば、カーリーが、肩を貸しながら、困惑したように見上げていた。
「ジャック、誰と話してるの?」

 ハッと、ジャックが前を見たときには、もう誰も居なかった。しばし、ジャックは、あぜんと動かなかった。幻か、幽霊か。だが、直視したDホイールは。
「えっ、なんで⁉︎」
 カーリーが素っ頓狂な声を上げた。ジャックのDホイールは、青の装飾パーツが極限まで取り払われ、銀の輪の形に見事に再編されていた。
 艶やかに光を弾く、傷ひとつない、運命の輪。ジャックの、もうひとつの相棒。
 エンジンが焼き切れ、走行不能とまで、判断されていたはずの、Dホイールは。
「そう、か」
 ジャックは、震えながら愛機に触れ、くしゃりと双眸を細めた。
「まだ、走れるか。俺は」

 ジャックの脳裏には、いつも幻視する光景があった。
 星屑の竜、薔薇の香りの女、双子の子ども。そして。
 Dホイールを弄る、青い影。ジャックは、それらを追うように、この青を基調としたパーツを自ら編成した。
 Dホイールに宿った未練の魂か、亡霊か。いずれでも、構わない。
 胸に満ちる充足感。飢えの消えた心。最後の探し物は、見つかった。

 ジャックは輝くDホイールに触れて、決意を口にした。

「俺は、未来へ行く。もう迷わん」
 スタジアムに復活のコールが響くまで、あと───

「お前に再び、勝利を見せてやる。共に行くぞ‼︎」


  ◇  ◇   ◇


「クロウ、クロウ! ねえ、見て!」
「ああ、わかってる。こうしちゃいられねえ。やっとだな。オレも挑むぜ、祝いだ」




「龍可、おれ行くよ」
「うん。ずっと待ってたもんね。いってらっしゃい、龍亞。きっと勝ってね」
「うん、おれ、負けないよ。ぜったい勝ち抜いて、挑むんだ」




「遊星、やっとね」
「ああ。アキ、オレはずっと待っていたんだ。信じていた、ずっと。
 ────おかえり、ジャック」









「待たせたな‼︎」








 シティの歓声は、その日一つになる。
 名を呼び熱狂する声援も、親しみを込めた元キングのコールも、全てが、一人の男の復活を喜んで、歓喜を上げていた。

 指をさした左手。その薬指には、銀の輪。

 指先は宙を指し、ひたり、と王座の席に在る蒼天の瞳の決闘者に定められた。
「そこで待っていろ遊星! 今度は俺がチャレンジャーだ!」
「ああ、登って来い、ジャック!」

 再び始まる。全てを賭け、人生を駆け抜くライディングデュエルが。
 カウントが鳴り響く。
 アクセルの音が、キィンと高らかに復活の雄叫びを上げた。











 ライディングデュエル─────




「アクセラレーション‼︎」






 
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