ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~
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第57話 エル=ファシル星域会戦 その1
前書き
正月攻勢末期です。
出来れば近々に続きをあげれればいいなと思います。
宇宙歴七八九年 四月二〇日 エル=ファシル星域 エル=ファシル星系
爺様の作戦発令とほぼ同時に、エル=ファシル攻略部隊は跳躍宙点に浮遊していた帝国側の偵察衛星を咄嗟砲撃で撃破し、部隊毎に速やかに星域内航行へと移行した。作戦の主眼は一〇ケ月前に帝国側に奪われたエル=ファシル星系の奪還。同時進行中のイゼルローン攻略戦の戦略的攻勢を活用し、防備が手薄になるであろう辺境部を電撃的に奪い返すことにある。
攻略に際し基準となる戦略評価は、防衛しているであろう帝国艦隊の排除が作戦第一段階。惑星エル=ファシルの地上占領が第二段階。想定される帝国軍の再来攻を撃退し、最低でも一ヶ月の戦線維持をするのが第三段階となる。
既にエル=ファシル星域にある他の有人星系エストレマドゥラの駐留部隊より巡航艦分隊による隠密偵察が数度行われ、フェザーンから得た情報からの推測では四〇〇〇隻程度の部隊が駐留していると推測された。事実一〇日前に行われた偵察時の観測データでは、星系内部に約三〇〇〇隻程度の重力異常が確認されている。軍事常識的に考えれば二七〇〇隻前後の戦闘艦艇と三〇〇隻弱の補助艦艇を有しているとみるべきだろう。
エル=ファシルを除く他の三つの星系に居住可能惑星が存在せず、かつ同盟領であった時にも軍事的な施設は通信中継衛星と索敵衛星のみであったことを考えれば、帝国軍も防衛主眼をエル=ファシル星系に絞っているとみて間違いない。勿論一〇日前の話であるから、後方星域からの増援の可能性も否定はできない。
しかし占領したばかりで敵に近く防衛設備の確立が困難なこと、同盟領への攻勢策源地であるイゼルローンから距離があり大規模な補給線の確立が困難なことを考えれば、三〇〇〇隻という数字は帝国軍が配置しうる最大限の規模と言っていい。
その上、イゼルローン自体にほぼ同時期に同盟軍が大規模侵攻を仕掛けることを考えれば、よほど大規模な辺境巡回作戦が帝国側で展開されない限り、四四〇〇隻という実に微妙な戦力でも攻略は可能であると同盟軍首脳部は判断したわけである。
いずれにしても過去の情報においては同盟側が戦略優勢を確保しているが、必要なのは現時点での敵勢力情報だ。その為には当然偵察を実施しなければならない。そして幸いというか戦術的に意図したわけではない理由で、第四四高速機動集団にはエル=ファシル星系に最も詳しい哨戒隊が在籍している。事前の計画通り爺様は第八七〇九哨戒隊に隠密偵察を命じ、二〇隻は一〇ケ月前に見捨てた故郷へと散らばっていった。
だが爺様は彼らから送られてくる情報を止まって待ち受けるような気の長い人ではない。各部隊の戦列が整ったこと、各部隊に跳躍後の重大な損害(別箇所への跳躍による行方不明)がなかったことを確認すると、第四四高速機動集団を先頭とした単縦列陣形を麾下全部隊に命じ、警戒速度でひたすら一直線に惑星エル=ファシルへと向かうことを指示した。
なにしろ貴重な有人居住星系であるゆえに同盟軍は豊富な航路データと地理データを有しており、自軍規模の戦力を一撃で蒸発させることができる戦力が伏兵として配置できる箇所がないこともわかっているし、各部隊の指揮官も作戦会議の場で周知している。だがわかっていてもここまで即決できるかどうかは、指揮官の経験と気質だろう。
原作でも爺様は本質的には戦術家であって戦略家ではないと評されていたが、戦略家ではないとは言わないまでも一流の判断力を持つ戦術家で間違いはなかった。警戒航行速度で一八時間後、敵勢力の情報が第八七〇九哨戒隊所属の嚮導巡航艦エル=セラトよりもたらされる。
「発見せる敵は総数三三〇〇隻前後。惑星エル=ファシル衛星軌道上に三部隊に分かれて集結中。戦艦二五〇ないし三〇〇隻、巡航艦七〇〇ないし八〇〇隻、駆逐艦一八〇〇隻ないし一九〇〇隻。宇宙母艦は現時点で確認できず。残余は補助艦艇……とのことです」
ファイフェルが戦艦エル・トレメンドの司令艦橋に集まった俺を含む第四四高速機動集団の幕僚達に報告する。
「以後エル・セラトからの通信はありません」
「思った以上の索敵成果じゃな。会戦が終わったら彼らにウィスキーの一杯でも奢ってやりたいものじゃ」
爺様が司令官席で顎を撫でながら感嘆すると、モンティージャ中佐が人差し指を自分のこめかみに当てながらファイフェルに聞いた。
「通信状況を知りたい。特にデータ通信に紛れ込んでいる雑音とタイムラグ。それに切れるタイミングだ」
「すぐにオペレーターに確認させます」
ファイフェルが司令官席のコンソールを操作しオペレーターと連絡を取っている間、俺はモンティージャ中佐に視線を向けると中佐は俺に諭すような視線を向けてから言った。
「通信中に地理環境以上のジャミングが入っているならば、敵はすでに臨戦態勢とみていい。入っていなければいまだ集結途上の可能性を考えるべきだろう。タイムラグは巡航艦の移動状況。切れるタイミングは……まぁ君の想像に任せるよ」
それはこれ以降、エル・セラトから情報が得られるかどうか、という判断を下すものであろう。最悪は通信中発見されての撃沈だ。敵に此方の意図を再確認させ準備されるばかりか、以後の情報が入らない。哨戒隊の他艦が触接をする可能性はあるが、司令部からの指示もなく自主的に索敵範囲を変更するのは別の危険をもたらす為、今回哨戒隊にその許可は出していない。だが果たして、戻ってきたファイフェルの報告は首を傾げるものだった。
「通信文に想定以上のエラーなし。また正常な手順で通信が切れたそうです」
「タイムラグは?」
「それもないそうです。オペレーターによれば艦が静止している状況からの送信と推定される、そうです」
「……かえって不気味だな」
攻略部隊が星系に存在していることは、外縁部跳躍宙点で観測衛星が撃破されたことで十分認識しているだろう。にも拘わらず仮に部隊を集結させるにしても、敵の索敵艦を触接できる距離に招き込み、妨害もせずにいるというのはどう考えても常識外だ。むしろエル・セラトが帝国軍に拿捕され、その通信機器を利用して偽情報を送り込んできていることすら疑わせる。
「まぁいいじゃろう。ここはエル・セラトにとっては遊び慣れた庭のようなものじゃし、帝国軍にとってみれば一〇ヶ月前に拾ったばかりのお化け屋敷じゃ」
「……よろしいので?」
言外に罠の可能性、追加の索敵艦派遣の有無を確認するモンシャルマン参謀長に、爺様は小さく頷いて善処不要と伝えると、俺を見て言った。
「敵艦隊迄の距離はどれほどじゃ?」
「このままなにもなければ六時間後です」
既に敵艦隊と戦うことを第一目標とし、把握している敵戦力が事前の情報とほとんど差異がない以上、爺様が必要としている情報は『時間』であろう。果たしてその通りであって、俺の答えに爺様は満足げに頷いた。
「部隊最後尾のアップルトンに、部隊後方半球範囲の索敵を命じよう。巡航艦小隊を一つばかり割いてくれと伝えてくれ。それ以外の麾下全部隊の将兵に一時間半の二交代で休養をとらせろ。人生最後になるかもしれんのじゃから、みんなせいぜい美味いものを食べるんじゃぞ」
「それでは当司令部が随分と虫がいい話になりますな」
思わず俺は爺様に軽口を叩くと、爺様はギロッと大きな目で俺を一度睨んだ後、ファイフェルを手招きして言った。
「ブライトウェル嬢ちゃんに、嬢ちゃんの分も含めて六人分の食事を用意するよう伝えてくれんかの。たしかジャンバラヤと言ったかな。嬢ちゃんの得意料理」
「? 失礼ながら閣下、七人分では?」
糞真面目に応えたファイフェルに、爺様はウィンクして応えた
「ココに一匹、口賢しい鼠を置いておくからそれでいいんじゃよ。参謀長、鼠の餌には何がいいかの?」
「まぁ普通はパンとチーズでしょうが、初陣の鼠ならパセリで十分でしょう」
そういうモンシャルマン参謀長の顔はすでに緩んでいた。
「だそうじゃ。ボロディン少佐。他の哨戒艦から連絡が届いたら、居眠りなどしとらんですぐに会議室に連絡するんじゃぞ。わかったな?」
そう言うと爺様は笑いながら司令席から立ち上がりポンポンと俺の肩を叩くと、もう肩を揺らして笑いを隠さない参謀長や中佐達を引き連れ司令艦橋後方のエレベータへと消えていった。
二時間後。このままほっておけば後で俺から報復されることに感づいたファイフェルが、士官食堂のトレーに少量のジャンバラヤと山盛りのバターロールとチーズとポテトサラダを乗せて持ってきてくれたのは余談である。
◆
日を跨いで四月二一日〇三〇〇時。エル=ファシル攻略部隊は、全艦に第二級臨戦態勢を通達する。それと同時に、単縦陣から横隊陣へと陣形を変更した。中央に第四四高速機動集団。右翼にアップルトン准将の第三四九独立機動部隊とダウンズ准将の第四〇九広域巡察部隊。左翼にモリエート准将の第三五一独立機動部隊とメンディエタ准将の第五四四独立部隊。それぞれが横に長い長方体の陣形を上下に形成している。ただし中央の第四四高速機動集団のみ円錐陣を三つ、それも中央部隊をやや後方に下げて、配置している。
一方でエル=ファシルを『防衛』する帝国側にも動きはあった。
流石に同盟軍接近は理解したようで、今更ながらに四方八方に強行偵察艇を発進させて索敵に勤めていたが、その一部が第八七〇九哨戒隊の各艦と触接した。しかし強行偵察艇はその速度と機動性と小型さが持ち味であり、哨戒隊の各艦とは艦自体の戦闘能力に大きな差がある。哨戒機能をパッシブのみにして待ち構えていた彼らは、単独航行する強行偵察艇をハエのように叩き落としていった。
その被害の大きさに驚いたのかどうかはわからないが、彼らは方形陣を形成し防御態勢を整えるとともに、増援の要請を行っているように思われた。内容までは不明だが超光速通信の飛躍的な増大が各所より報告されていることからもそれを疑う余地はない。
故に爺様が選択すべきはただ一つ。艦隊を急進させて数的優位の内に帝国軍を心理的に追い込み壊滅させることである。そして爺様はその通りにした。〇四一五時、既に双方の艦隊がお互いの戦力をお互いの探知装置で確認する距離に至り、惑星エル=ファシルの惑星軌道上、同盟時代D三宙域と呼ばれた宙域にて砲火が交わされた。
「撃て!」
爺様の老人とは思えぬ鋭い指示の下、最初に戦艦エル・トレメンドが砲門を開き、次に直属部隊、第四四高速機動集団、そして攻略部隊全艦と順次ビームを吐き出していく。一方で帝国艦隊もただ撃たれっぱなしでいるわけではない。彼らの砲門もこちらを指向しており、エネルギーの刃でこちらを嚙み千切ろうと反撃してくる。
ケリムやマーロヴィアで海賊を相手にしていた時とは文字通り桁違いのエネルギーが宙域に充満し、幸運にも命中しなかったビームによってそれが不安定性を増していく。そしてそこにエネルギー中和磁場を突き抜け、さらには物理装甲を引き裂き核融合炉に達した瞬間、不運な艦は秒よりも短い短命の恒星を化す。その恒星が生み出す一瞬の高エネルギーが引き金となり、本来は真空で伝播することのないはずの宇宙空間に振動をもたらす。
戦艦エル・トレメンドのメインスクリーンには敵と味方が生み出す無数の恒星が煌めいている。その度にメインスクリーンの左上に映し出されている数字が大きくなっていく。最初はゆっくりと、次第にはやく。双方の砲門が開いてからまだ三〇分が経過していないのに、既に五〇隻もの戦闘艦が乗員と共に消滅している。重防御の戦艦も、軽快な駆逐艦も関係ない。まさに生と死を分けるは「神のみぞ知る」神聖な場所。
俺が半ばぼんやりとその光の舞台を見つめていたが、カツンという縞鋼板を軍靴が叩く音で我に返った。それはファイフェルが無意識のうちに体幹を崩し、右足を慌てて下げたゆえに発した音だったがその瞬間に、俺の脊髄の中を冷水のような冷たい電流が駆け抜けたように感じた。
今自分が立っているのは戦場にある戦艦の司令艦橋であって、テレビが置いてあるリビングでも、動画サイトのページを開いたPCの前でもない。ヘッドホン越しに聞いていたビームの音もミサイルの爆発音もないが、比較にならないほど眩しい白色光と艦の機関と衝撃波による振動が、この体に直接響いてくる。現実であると骨の髄から理解できる。
もし並走していた巡航艦を貫いた中性子ビームがこの艦を直撃すればどうなるか。ラップのように艦橋構造物に串刺しされるか、それともホーランドのように青白い光の中で消滅するか、はたまた灼熱の熱風によって丸焼きにされるか、腸をまき散らして大量出血するか、漆黒の真空中へと吸い出されるのか。一度経験したはずの『死』への恐怖が、見えない霧となって俺の体を包み込む。
これが戦場。前世でも地球上の何処かで繰り広げられていた命と命のやり取り。視線を下に向ければ、啓いた両手が僅かに震えている。膝は震えていないが、果たして自分はまっすぐ立っているのか自信が持てない。視線を横に向ければ蒼白な顔色のファイフェルと、厳しい眼付きのモンシャルマン参謀長。そして司令官席に深く腰掛け、両手を机の上で組んで敢然と戦場を睥睨するアレクサンデル=ビュコック。
「そうだった」
なぜ俺がこの世界に転生したかはわからない。いくら努力したところで原作通りの結果が自由惑星同盟に待ち受けているかもしれない。だが今はそんなことを考えるのではなく、今何をすべきかを考えるべきだ。原作の知識を持つ、宇宙歴七八四年士官学校首席卒業者にして第四四高速機動集団次席参謀たる自分が、戦艦エル・トレメンドの司令艦橋で果たすべきことはなにか。
俺は震える両手で自分の両頬を二度叩いた。そしてこの司令艦橋で自分に与えられた席に向かい、端末を開く。次席参謀という『無駄飯喰らい』に課される給与分の職務とは何か。各部隊から上げられる定期報告、損害状況、陣形、戦闘宙域の空間情報、そして順次更新される帝国軍の情報を開き、知識として整理し、読み解くこと。
端末に向かっていたのはどのくらいだったか。一〇分だろうか、一時間だろうか。現在の状況をおおよそ把握できたと思い、顔を上げてメインスクリーンを見上げた時だった。
「ジュニア! 彼我の戦況についてどう見る。意見を言ってみたまえ」
声の先にはまだ若干灰色が残っている『おっかない親父さん』が、厳しく鋭い目つきで手招きしている姿があるのだった。
後書き
2021.01.04 更新
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