ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~
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第53話 揺籠期は終わった
前書き
散々な1年でしたが、とりあえず時間ができて、文字書きが
復活してよかったと思うしかありません。
明日はもう来年ですが。
宇宙歴七八九年 二月 ハイネセン
建物全体が騒がしくなる定例人事異動の季節がやってきた。しかしながら現在の宇宙艦隊司令部は第四次イゼルローン攻略戦とそれに付随する別口の作戦でてんやわんやの大騒ぎなので、人事も出動しない艦隊や辺境哨戒などで、さらに小規模なレベルで収まっていた。ただし、いつもの名簿はいつも通りに送られてくる。去年一年でさらに一〇五人の名前が赤く染まっていた。
そして事前の予定通り二月一日を持って第四四九〇編成部隊は、俺の作った素案を司令部全員で再添削して、部隊編制骨格以外は全く別物になってしまった戦闘序列が宇宙艦隊司令部の承認を受け、正式に『第四四高速機動集団』発足とあいなった。
それに伴い機動集団次席指揮官であるジョン=プロウライト准将と、機動集団第三部隊指揮官となったネリオ=バンフィ代将の幕僚オフィスも開設されることになり、我々第四四九〇編成部隊司令部は機動集団中央司令部となるに伴い、宇宙艦隊司令部オフィスタワー内での引越しが行われた。
今までは編成部隊故に幕僚全員が集まることのできるスペースがあるオフィスではなかったが、これを機に二回りほど大きなオフィスが割り当てられた。町の中小不動産会社のオフィスが、中堅機械メーカーのオフィスに進化したようなもので、軍属として各部隊の指揮官に顔を知られることになったブライトウェル嬢も、ひっきりなしに応接対応している。
二月三日に行われた集団結成式には司令部要員は勿論のこと、集団に所属する全艦艇の艦長も集合した。人数だけで三〇〇〇人。当然統合作戦本部地下の集会場に比べればささやかな規模ではあるが、モンティージャ中佐が『適当にパーツを組み合わせて作ってみた』と自称する第四四高速機動集団の軍徽章を大写しにしたスクリーンの前で一同が揃って撮った記念映像を見ると、軍事浪漫チズムとは無縁だと思っていた自分でも何となく高揚したモノを感じたことは否定できなかった。作戦が終了した時、映像に映っていた人々がどれだけ残っているかわからないにしても。
結成式が終わり解散となった後、多くの艦長達が個別に爺様やモンシャルマン参謀長に挨拶に押し寄せて来た。傍にいる故に大抵の艦長達は俺にはついでに握手するという形だったが、最後に残った二人の艦長が爺様から何か言い含められたのか、参謀長や中佐達をすっ飛ばして俺に向かってきた。一人は一九〇センチ近い長身痩身の白人中佐、もう一人は俺と同じくらいの体つきの黒人少佐。肌の色も体格も顔のつくりも全く異なる二人だが、その顔は一様に疲労と苦悩が刻み込まれていた。
「ヴィクトール=ボロディン少佐でありますか?」
俺の右手指先が額にたどり着くより数段早く、直立不動で寸分の隙もない敬礼をしてきた中佐はそう問いかけてきた。
「ええ、そうです。失礼ですが……」
「戦艦アラミノスの艦長を務めます、イェレ=フィンクと申します。こちらは嚮導巡航艦エル・セラト艦長のモディボ=ユタン少佐です」
「これは失礼しました、フィンク中佐、ユタン少佐」
改めて敬礼した後、俺は敢えて失礼を承知で二人に右手を差し伸べた。顔見知りでも同期でもない。年齢から言えば間違いなく一〇歳は年上であろう二人は俺の行動に戸惑い、顔を見合わせた後からそれぞれ手を握り返してくれた。
「ビュコック少将閣下から伺いました。少佐のご判断で第八七〇九哨戒隊を解散させなかったと。ありがとうございます」
「いえ、感謝されるほどのことでは」
「いいえ、少佐のおかげで我々は『戦って死ぬ』ことが許されたのです」
そう言うフィンク中佐の顔にはほんの僅かにではあったが明るさがあった。それはユタン少佐にもある。
「戦場で少将閣下に『助言』される際には、是非とも我々をお使いください。どこでも、『いかようにでも』働いてご覧にいれましょう」
「ブライトウェル嬢についても伺いました。ボロディン少佐のご配慮、感謝します」
それまで口を開かなかったユタン少佐の口ぶりは、まさに窮地にある姪っ子を心配する叔父さんそのものだった。たったそれだけだったが、言いたいことを言ってすっきりしたのか、二人はもう一度俺に敬礼するときれいに回れ右をして会議場から去っていく。俺は彼らの背中から視線を逸らすことができなかった。
命令上従わざるを得ない状況下で許されざる罪を背負わされた彼らを、世間の人は常に責め立ててきたのだろう。ほぼ間違いなくエル・ファシル駐留艦隊の家族はヤンの奇策によって救われた。第八七〇九哨戒隊の乗組員はきっと生きて家族に会えたに違いない。たとえそれが地獄であると分かっていても、だ。だがだからといって……
「そんな簡単に死なせてたまるものかよ」
俺は退出者でごった返し、既にどれだかわからなくなった二人の背中に向けて、呟くのだった。
◆
二月一五日。結成式から一〇日余りで書き上げた第四四高速機動集団の訓練計画を、俺は爺様に提出する。
たった二四〇〇隻。俺が査閲部にいた時、一個艦隊の訓練査閲を実施したものだが、「チェックする側」と「チェックされる側」の違いをしみじみと感じざるを得なかった。結成したばかりの部隊訓練に、かつて第三艦隊が提出した訓練計画をそのまま焼き直しても意味はないと考え、評点を下げて難易度も相当落とした計画書を提出したのだが、果たして爺様の評価は惨憺たるものだった。
「ジュニア。訓練がこれではまともな戦闘が出来ん。もうちょっと厳しくすべきではないかの」
パピルスも含めれば産まれてより六〇〇〇年。いまだに死に絶えない紙の訓練計画書を右手で叩いた上で、俺をどんぐりのように丸い目で睨みつけてくる。だがその視線は言葉通りに酷評しているというよりは、なんでこんな計画を作ったのか説明を求めるものであるとはっきりとわかった。俺の左横に立つモンシャルマン参謀長は計画書に視線を落としたまま首を傾げているだけで何も言わない。爺様の左後ろに立つファイフェルは『僕は何も言いません』と直立不動で主張している。頼りにならない後輩を一瞥した後、俺は自分用に添削していた計画書を開いて爺様に応えた。
「結成されたばかりの部隊ですので、まずはどれだけ動けるか、各部隊の指揮官がどれだけ部下を掌握しているかを確認する上で、このレベルが一番良いと考えました」
「しかしマーロヴィアの特務戦隊であれば、ウィスキーを呑みながらでもできそうなレベルじゃぞ?」
「私見を申し上げてもよろしいでしょうか?」
「かまわん」
「どのような組織であれ、新たに結成するにあたり最も重要なものを小官は『相互確認』であると考えます」
誰が上司で、誰が同僚で、誰が部下か。どのような考えを持ち、どの程度のことができるのか。組織として集団行動を行う際、特殊な例を除けばそれを知ることで、個々が自らの立ち位置をはっきりと理解することができる。
おそらく俺が計画した訓練計画であれば、ほぼすべての艦が目標を達成することができるだろう。余程のつむじ曲がりでない限り、自らの立ち位置の確認と成功体験は人間の心に安定をもたらす。その積み重ねがより高度な目標を達成する糧になる。
原作における同盟末期、ザーニアル、マリネッティと言った中堅指揮官が率いていた分艦隊が暴走したのも、指揮官の優劣以前に普段から意思疎通の全くない警備艦隊や巡察艦隊を掻き集めた上、まともな訓練をせずに戦場へ放り込んだからに他ならない。
原作云々抜きにして大体そんなことを爺様に話すと、爺様は首を傾げ『どうしたものかな』とモンシャルマン参謀長に視線を送ると、参謀長は軽く咳払いをしてから俺に言った。
「君が上官の用兵術を解釈して訓練計画を立てたのは理解するが、逆にこの程度のレベルであると馬鹿にされたと各指揮官たちが不満を持つのではないか?」
「はい。参謀長のご懸念通りであると、小官も考えます」
「敢えてそこに踏み込むというのだね?」
「査閲部に一年ほど居りましたが、どれほど公平に評価したつもりでも、不満を持たない指揮官は一人としておりませんでした。このドリルにした目的は大きく分けて二つ。一つは『成功体験を獲得すること』もう一つは『艦隊火力統制の基礎を徹底的に身に染み込ませること』です」
「……まるで小学校教師の言うセリフだな」
「申し訳ありません。実際に初等教育要綱を参考にいたしました」
「ジュニアの究極の目的は『基礎機動運用時間の短縮』じゃな?」
「はい」
爺様は一言で簡潔に纏めてくれた。イゼルローン攻略の付属作戦ということで少なくとも敵戦力がこちらよりも大幅に多い場合は、撤退を視野に入れてもいいという心理的余裕がある。なれば司令官の指揮能力を確実にこなせる戦力を整備し、その上で各層の指揮官達が不満を持ち、より高度に挑戦しようとする意欲を持たせなくてはならない。納得した上で作成した訓練計画だ。俺は睨みつける爺様の瞳をまっすぐに見返した。
「よかろう。訓練の基準はこれで行く」
爺様の決断に、俺は敬礼ではなく頭を下げて応えた。爺様がいずれ第五艦隊司令官となる時、この第四四高速機動集団が基幹部隊となるかはわからない。だがそうなってもおかしくないように整備すべきなのだ。
「それと貴官が提出していた有給休暇の件じゃが、作戦案が間に合うようであるなら許可する。だいぶジュニアには甘いかもしれんが、他の若い連中と羽を伸ばしてくるといい」
「ありがとうございます」
「なに、当日はファイフェルに代わりをやらせるからの」
腕を組んでウンウンと頷く爺様と、無表情の顔と対照的な含み笑いの目のモンシャルマン参謀長と……爺様から見えていないことをいいことにムチャクチャ渋い顔をしているファイフェルに対して、俺は完璧な敬礼で応えるのだった。
そして上司からの承認が得られれば、あとは量が多いだけのルーチンワークだ。フィッシャー師匠直伝の訓練査閲マニュアル(無断作成)という『チート』があるから、抑えるべき査閲側のチェック点と手続きに問題はない。これを第四四高速機動集団の各組織レベルに落とし込んでいく。ほぼ均等に割り振ったので、独立部隊三、戦隊は一五、小隊は八〇、分隊は四〇〇弱。第三艦隊の規模に比べればはるかに小さい。それでもフィッシャー班の実施した査閲規模の半分になり、一〇人でやっていた仕事を一人でこなさねばならなくなった。
徹夜につぐ徹夜。並行してモンシャルマン参謀長と共にエル・ファシル解放作戦の作戦骨子を検討する必要もあり、モンティージャ・カステル両中佐と共に宇宙艦隊司令部のオフィスから何度も朝焼けを見たことか。司令部の一番の下っ端はファイフェルだが、彼は爺様の副官でもあるので爺様が司令部を下がれば彼も帰宅する。必然的に、俺が徹夜組の夜食や軽食の準備をすることになる。
何度目かの徹夜明けの朝。司令部のキッチン冷蔵庫に残して置いた艦隊乗組員用戦闘糧食(放出品)を朝食代わりに温めつつ髭を剃っていると、軍属姿のブライトウェル嬢が両手に大きな袋を抱えてキッチンに入ってきた。こちらはヨレヨレのシャツに皺の寄ったスラックス。一方の彼女はショーケースから出てきたと言わんばかりにぴっしりとアイロンのかかった上下に身を包んでいる。
「……やぁ、おはよう」
「……おはようございます。ボロディン少佐殿」
なんとも気まずい遭遇に、気の利いた言葉を口に出すことはできない。だがこのキッチンは彼女の戦場であり、少なくとも主が帰ってきた以上、俺が暢気に髭を剃っていい場所ではない。電動剃刀とタオルを片手にキッチンから出ようとすると、背中から声をかけられた。
「少佐殿。少佐殿は何故そこまで熱心にお仕事をされるんですか?」
キッチンが本来の意図で使われるよう動き始めた音に交わり、かけられたその声には非難というより不満がこめられていた。そしてこの質問を浴びるのは三度目。一人は獄中にありもう一人は遠きマーロヴィアにあるが、いずれも歴戦の軍人からだった。
「何度か同じような質問を受けたことがあるけれど、それほど熱心に働いているように見えるかな?」
「はい」
手際よく給湯と食材洗浄をこなしつつ、ブライトウェル嬢は顔をこちらに向けずに応えた。
「卑怯者の娘の私が言うのも可笑しいですが、少佐殿の働きぶりは狂気すら孕んでいるように見えます」
「狂気……」
「父も……そうあの父もそうでした。ケリムでもハイネセンでも、遠征や星域哨戒以外でも家に帰って来ないことがありました。官舎で書類を処理していてことも一度や二度ではありません。私や母を顧みない、というわけではないのはわかっていましたが」
「……」
「でも父はああいう卑怯な真似をしました。市民を守るべき軍人が、民間人を見捨てて……少佐、少佐もそうなのですか? そして罪滅ぼしのつもりで私を」
「断じて違う」
俺は思わずキッチン入口の三方枠を思いっきり平手で叩いて大声で言った。その声に彼女の体はびくりと緊張し、驚愕と恐怖が半々のはじめて見せる表情で俺を見つめる。そのダークグレーの瞳には怒りに震える俺の顔がきっと映っていることだろう。
「君に言うのは酷な話かもしれないが、聞いてくれるか?」
そういう俺に彼女は水栓を止めて体をこちらに向けると、小さく無言で頷いた。それを了承と判断した俺は、小さく腹の底から息を吐いてから彼女の視線を受け止めるように見つめて言った。
「リンチ少将閣下は民主主義国家の軍人として果たさなければならない義務を怠った。仮に選択肢が『死』しかないかもしれないとしても、だ」
「……」
「それは軍人としての罪であり、非難に値する閣下の罪だ。だが軍組織の根幹たる命令服従の原則に従っただけの閣下の部下と、ただ閣下の家族というだけで世間から非難されることなど断じてあってはならない。それはこの国が自由と民主主義と法治主義の下にある原則どうこうだけでなく、俺自身の心がそれを許せないからだ。まず君を庇うように見える俺の行動は、罪滅ぼしなどという『善意』ではなくただ単に俺自身の信念に従っているだけに過ぎない」
軍は国家の持つ武器であり、武器である以上、その使用には慎重を期さなければならない。つまり一度下された命令は確実に実行されるべきだ。リンチの部下に瑕疵があるとすれば、それはリンチの作戦に異議を唱えなかったこと、その命令が軍憲章に反することを指摘しなかったことだ。だが一戦艦の艦長や乗組員にどうしてそれが出来ようか。まして軍作戦と全く関係のない彼女や彼女の母に、いったいどんな非難に値する罪などあろうか。
「自分の考えた作戦なり下した命令が、多くの将兵の生死を分け、その家族の心に重荷をかける事を考えれば、どれだけ考えを尽くしても考え過ぎるということはなく、それを任務とする一介の参謀の労苦などそれに比べれば些細なことに過ぎない」
どんな作戦でも犠牲者は少なからず出る。敗北すればそれは大きくなる。戦争がゲームなら、かかっているチップは人命だ。それは数字であるが、その数字には積み重ねてきた過去と家族がある。戦略目標を達成するための犠牲をいかに減らすか。彼女がいうように狂気に見えようとも、軍の命令上位者は前線だろうが後方だろうが常にそれを考えているべきなのだ。
「リンチ少将閣下もそれは理解していた。少なくともケリム星域第七一警備艦隊司令官の時は。だが理解していても、人は危機に陥った時、自らの生存本能に思考を引き摺られ理解していることを忘れてしまう。一般市民ならそれでもいいだろう。だが少なくとも市民を守るために武力を行使する立場の自由惑星同盟軍の軍人はそうあるべきではない」
俺がそこまで言いきり口を閉ざしてブライトウェル嬢を見ると、嬢もまた口を一文字にして俺を見つめている。その瞳はこの司令部で初めて会った時のような冷たい厭世感漂うものではなかった。かつてケリムで戦う時に見せたリンチの、戦意と自らの信念に誇りを持っていた時の、熱い情熱的な瞳だった。
「君には俺が狂人に見えることがあるかもしれないし、事実他の軍人から見れば狂人そのものかもしれないが、まぁそういう信念の持ち主だと理解してほしい」
「理解しました」
彼女は歴戦の下士官のように自信に溢れた、若造の士官を叱咤するように敬礼した後、さらに俺に言った。
「ですので、今後ボロディン少佐殿が徹夜される際は夕刻までに私まで必ずご連絡ください」
「え? なんで?」
俺が全く関係ない返答に戸惑っていると、電子レンジがチーンと鳴り、温め中の戦闘糧食が自動的にスライドしてきて、キッチンにハンバーグの匂いを漂わせる。その音に一度ブライトウェル嬢は視線を動かした後、俺に向き直っていった。
「兵員二四万名の命を預かる少佐殿の平時の朝食が戦闘糧食などというのは、司令部軍属としての任務を十全に果たしていないことになりますので」
そう言うとかなり熱くなった戦闘糧食を彼女は俺に差し出した。その顔はケリムの司令官官舎で会った時の彼女の笑顔そのものだった。
後書き
2020.12.31 更新
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