針女
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第三章
一家で棒や鉈を手に恐れる恐れる大戸を開けた、もう外はすっかり明るくなっていて日差しも強かった。
そして針女も何処にもいなかった、それで太兵衛も彼の家族もほっとしたが。
ふと大戸を見てぞっとした、何と。
大戸には釣針で付けられた無数の傷跡があった、母親がそれを見て言った。
「針女のだね」
「ああ、間違いないな」
太兵衛は真っ青になった顔で答えた。
「これは」
「そうだね」
「若し大戸じゃなかったら」
弟も真っ青の顔で言う。
「釣針で壊されていて」
「家の中に入ってきていたな」
太兵衛は弟にも応えた。
「それて憑かれてたな」
「そうだよね」
「ああ、本当に助かった」
大戸でというのだ。
「よかった」
「全くだよ」
一家で蒼白になりながら言う、そして。
家族でその場にへなへなと崩れ落ちた、恐怖とそれが過ぎ去った安堵で腰が抜けてしまったのである。
その話の後で長老は言った。
「針女は本当にいるからな」
「だからだな」
「海辺の道の女には気をつけろ」
「近寄ったら駄目だな」
「ああ、そして家はな」
そこの話もするのだった。
「いいな」
「大戸でないと駄目だな」
「少なくともこの村は」
「そうだな」
「さもないと針女を守れない」
だからだというのだ。
「いいな」
「ああ、そうだな」
「本当に気をつけないとな」
「針女がいるからな」
「用心しないとな」
誰もが長老の言葉に頷いた。そうしてだった。
この村では海沿いの道にいる美しい女に誰も声をかけないどころか姿を見れば一目散に逃げ出す様になった。
そして村の家は障子ではなく大戸を扉とする様になった、宇和に今も伝わる古い話である。
針女 完
2020・6・15
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