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霊群の杜

作者:たにゃお
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囀り石

遅めの春一番が吹く、らしい。
天気図を示しながら喜々として春一番を連呼するキャスターをぼんやり眺めながら、俺は布団から出られず、くたりと首を落とした。
先週、変態センセイの病院で奇妙な樹木に触れて以来、熱が下がらない。
親に病院に行くことを勧められ、近所の内科で診てもらった。だが医師は首をひねるばかりだ。一応細菌検査もしたが、特に発熱につながりそうな細菌は発見されなかった。…先生は、小さく息を吐いて云った。
「これは…うちみたいなのじゃなく、大きい病院で診てもらわないとねぇ」
「そうよ、あそこなんか丁度いいじゃない!薬袋総合病院!」


―――死んでもお断りだ。ていうか今あそこに行ったらかなりの確率で人面樹の根元に埋められる。


変態医院行きを熱心に進める母親の言葉を完全にスルーし、俺はリビングの片隅を占拠して布団を敷き延べて包まっているわけだ。…最初の数日は部屋で寝ていたのだが、もう飽きた。昼の時間帯は親も妹もリビングにはいないし、俺を邪魔する者は何もないのだ。まだ小学生だった頃、風邪で学校を休んで家に誰も居ない平日、よくこうしてテレビを独占したものだったなぁ…などと思い出しながら、ぼんやりと興味もないワイドショーを眺めていた。
「……参ったなぁ……」
あの人面樹に祟られたことは確実なのだ。なのによりによって、この玉群神社への出禁が解けてないこのタイミングとは。単身であの変態センセイの縄張りに踏み込んでしまうとは、我ながら迂闊だった。
間延びした音色で、玄関のチャイムが鳴った。
やれやれ…ようやく出禁が解けたのか。待ちくたびれたぞ。俺は気怠いのをぐっと堪えて、ぼさぼさの頭と腹を掻きながら重いドアを押し開けた。
「奉」「あっ…あのっ…!」
俺は頭と腹を掻いた姿勢のまま凍りついた。『彼女』も、胸元に紙袋を抱きしめたまま凍りついていた。
「………静流………」
「ごっ…ごめんなさい急に!連絡もしないで!…寝てるかも…って思って…」
「あ、いやごめん俺こそ碌に連絡もしないで…入って、散らかってるけど」
「は、はいっ」
はいと返事はしつつ、静流は慎重に玄関回りを見渡した。
「あー、今日は夕方までは俺だけだから」
「……了解」
なんで『了解』なんだ、変な言葉遣いになる程、俺の家族を警戒していたのか。
「ああ…でももしかしたら姉貴が小梅預けにくるかもな…今日は勘弁してほしいとは云ってるんだけど」
「こっ小梅ちゃんが!?」
分かり易くあたふたする静流。小梅は静流を敵認定しているので、見つかると飛び蹴りで追い出されるのだ。
「…心配しないで。目にあまるようなら、ガツンと云うから」
「うぅん…キックくらい痛くないんだけど、小さい子にあれだけ嫌われること自体がその…落ち込んでしまって…」
なんて静流らしい弱メンタルだろう。なんかもう泣けてくる。しかも静流は脱いだ靴をさりげなく母さんのブーツの影に隠れるように配置し、1階の間取りを慎重に確認しながら忍び足でついてきた。
「ちゃんと確認すれば、意外と死角があるものですね…」


―――この子、小梅襲来を想定して逃走経路を確保してやがる…。


彼女のお見舞いってこんな緊迫感溢れるもんかな…と、熱でまだぼんやりした頭で考えながら、リビングに敷いた布団に潜り込んだ。…ワイドショーは相変わらず、さっき名前を知ったような芸能人の不倫報道で盛り上がっている。不倫のニュースを彼女と観るのは少し微妙な気分なので、そっとテレビの電源を切る。…本当は色々、気を使ってやらなきゃいけないんだろうけど、熱のせいで頭がうまく回らない。申し訳ない…と口に出しながら、俺は目を閉じた。…瞼が熱い。
「あっ…リンゴ、剥こうかな。擦ったほうがいいかな」
「…そのままでいいや」
ぱたぱた…とキッチンに向かう気配を感じながら、俺はほんのりと幸せを感じていた。


―――小学校の頃の俺よ。大きくなった俺は、彼女にリンゴを剥いてもらっているぞ。


『おれ、このまま奉の面倒見ながら爺さんになっていくのかな…』と漠然とした不安を抱えて生きていた思春期入口の俺を、ぎゅっと抱きしめて安心させてやりたい。そんな気分だ。
≪…小梅は、3時にくるね≫
「ん!?」
思わず急に上半身を起こした。
「わぁっ……!」
静流が八つ切りのリンゴを皿に盛ってワタワタしていた。ふと炬燵の上を見ると、スーパーの特大ビニール袋からフルーツやらスポーツドリンクやらが盛大にはみ出して占拠している。スポーツドリンクはビタミンC入ってるやつだし、柑橘類がやたら入っているし、どうも俺の病気を風邪と決めつけてのチョイスである。
「あ、ごめん。…ビックリさせた?」
「急に起き上がるから…リンゴ、炬燵に置いていい?」
「うん…あのさ」
何か聞こえなかったか?と云いかけて、つい口を噤んだ。そんなことを聞いたらまた怯えさせてしまいそうだ。二重の意味で。俺はさりげなく声がしたと思う方向に視線を彷徨わせた。…変わったものはない。あるのは、静流の鞄くらいだ。
「あ、そうそう」
俺が鞄をガン視していた事で何かを思い出したのだろうか、静流は鞄を膝にたぐりよせた。…まだ何か出てくるのか。炬燵の上は既に、いつの間にやら広げられたリンゴやら、蜜柑やら、スポーツドリンクやら、ビタミンゼリーやらで埋め尽くされているというのに、まだ何か見舞いの品があるのか。もう炬燵に乗せきれないんだが。どうやって持って来たんだこれ。
「ここに来る途中、これ拾ったの」
綺麗な懐紙に大事そうに包まれたそれは、大理石…とは少し違った光沢の、青白い石だった。例えるなら…金持ちの家の庭に撒いてある庭石の中では綺麗な石というか。俺が子供の頃なら目を輝かせて菓子の缶にに貯めただろうが…。
「………石?」
静流は少し顎を引いて、頬を赤らめて頷いた。
「うん…石」
そう云って俺の手をとり、そっと石を乗せた。…不思議だ、何故だろう。静流の体温が移ったのだろうか。石は仄かに温かい。掌に包み込んでみると、それはしっくりと手に馴染んだ。…どういうことだ、これは、まるで…。
「……なんか、小さい動物みたいだな。産毛の気配すら感じる」
「だよね!?なんかね、ぎゅってしてると落ち着くの!」
嬉しそうにそう云って静流は身を乗り出してきた。膝の辺りにさらりと落ちてきた長い髪から、シャンプーのいい匂いがする。
…熱のせいか、頭がくらりとした。気が付くと俺は、静流の肩に額を預けていた。
「…すまん」
クッキーのような甘い香りを纏った体温が、じわりと額を温めた。怠さと気恥ずかしさで顔を上げられない。静流が密かに息を呑む気配を感じた。…何をやっているんだ俺は。熱があるというのに。…時計の秒針の音が、妙に大きい。
―――本当に、何をしているんだ。
炬燵の上に石を置いて、そのまま静流の眼鏡を外した。…長い睫毛だ。眼鏡越しだと分からなかった。静流は微かに差し込む陽の光を柔らかく照り返す瞳を、そっと閉じた。柔らかい頬に手を添えてみる。…感染る病気だったら…と一瞬躊躇った。
―――感染ってもいいよ、と云われた気がした。肩を引き寄せても抵抗しないのを確認して、桜色の唇に…


「また来たな!!めがね星人!!」


唇が軽く触れた瞬間、お団子頭のモンスターが弾丸のように飛び込んで来た。
「ひぁっ」
何故か炬燵の上の眼鏡をひったくるようにして掛け直してから静流が飛び上がった。…なんだそれは、体の一部か何かなのか。
「こっ小梅!?どうした一人で!!ママはどこに行った!?」
心臓がバクバクいうのを必死に押し殺し、辛うじて声を出した。
「小梅はもう、ひとりででんしゃに乗れるのです!」
「いや乗せちゃダメだろ!?何やってんだ姉貴は!!」
「ママはママ友とおしゃべりちゅう!!ひまだからきた!!」
「ちょっ…ママにここに来る事伝えてないのか!?」
「にんじゃは、しのぶもの!!」
「幼稚園児は忍ばんでいい!!」
その時、キッチン脇の電話がけたたましく鳴り始めた。…絶対姉貴だ。今更、小梅が居ないことに気が付いたのだろう。…熱のせいだろうか、頭がくらくらする。
「あ、私出ます…」
髪で横顔を隠すようにして、静流がふらりと立ち上がった。…悪い、今日は色々と無理だ。厚意に甘える。
「出んでいいっ!めがね星人め!!」
横合いから小梅の飛び蹴りを受けて静流がふっとぶ。静流が崩れ落ちるその脇をすり抜けて小梅が電話に飛び付いた。
「あっ…やめたほうが…」
―――静流、優しーい。
「はいっ小梅、5さいです!!…あっ…」
スピーカーに切り替えたのかと思われる程の怒声が受話器から洩れ聞こえる。ちびりそうな顔で震え上がる小梅。
「……いえ、ちがい…ます、小梅では、ありません…まちがいです…」
怒声がしっかり聞こえた。なに云ってんのー!今すぐそっち行くからねー、今度こそ動くんじゃないわよ!!…って聞こえる。あと半刻もしたら、カンッカンに茹で上がった状態の姉貴がドアを叩き割る勢いで現れるのだろう。…熱のせいだろうか、頭がくらくらする。
「あの…私…」
ママが来るまで居ます…そう云って静流は力なく微笑んだ。
熱と頭痛が冷めやらぬ頭で、ぼんやりと見上げた時計は。


―――3時を、指していた。




リビングに一人取り残された俺は、掌に包み込んだ石をぼんやり眺めていた。
『どうじょうは、いらん!!』
とちびりそうな顔で叫ぶ小梅の横に座り、静流は背中を軽く撫でた。
『私がいたら、ママは怒りにくいでしょ。だから、ママが怒るの忘れるまで一緒にいるよ』
そう云って微笑んだ。…そして言葉通り、小梅と姉貴と一緒に帰っていった。…天使か。まじ天使か。
で結局大量の見舞い品と共に置き去りにされた俺は一体何なのだとか、そういう些末なことはどうでもいいのだが、問題は静流が置いていった謎の石だ。
結局彼女が何を思って拾った石を見舞いに置いていったのかは全く謎なのだが、この際はそれも些末なことだ。


この石は『小梅が3時にくる』と呟き、俺に教えた。


災難…とまでは云わないが、少々都合の悪い未来を教えてくれた。何故そんなものがそこら辺に落ちているのか、そして何故静流がピンポイントで拾ってしまうのか、本当に謎なのだが、もう今の俺にはそれすら些末なことでしかない。
―――問題は、この石がどんな意図をもって俺のもとに流れ着いたのか、それに尽きる。
こういう事は奉に確認するのが一番確実なのだろうが、俺は桜が咲くまで出入り禁止の身の上だ。…まてよ、そもそも俺の元に持ち込む前に、どうして静流は奉に相談しなかったのだろうか。
未来視の静流が無警戒に持ち込んだということは、この石について『未来の危険』は感じていない…ということだろう。ならば出禁が解ける期間くらいは、前情報なしで手元に置いても害はない…


……けど厭だなぁ!なんかボソボソ喋る石とか置いていかれるの!!


仮に皆が寝静まった真夜中とかに急に喋り出したら、こいつの仕業と分かっていてもビクっとするわ。安眠が出来んわ。かといってこういうものをそこら辺に捨てたりしたら変に恨まれたり呪われたりしそうだしなぁ…。俺は急に思いついて、引き出しからマッキーをとりだし、簡単な目と口を書いてみた。これで喋ってもちょっと可愛く…


いや駄目だろこれ!得体の知れない石に落書きとか!


駄目だ今日の俺は。熱で思考能力が下がっていると碌なことを思いつかん。…この問題は熱が下がるまで凍結だ。ひとまず熱さましを飲んで、一時的に熱を下げて考えをまとめよう。そう思って立ち上がった瞬間。
掌の中で、青白い石がもぞりと動いた。
『熱を出しているのは、己自身』
またしても呟きが聞こえた。…さっきはよく分からなかったがこれは、なんという声だ。あらゆる人の声色から年齢や性別、それぞれの特徴を差っ引いた、純然たる『声色』。言葉は聞き取れるのに、何処か楽器の音色でも聞いているような、無機質な印象だ。…石の声とは、そういうものだろうか。
「…俺が、わざと熱を出している?」
一応、問いかけてみた。…危ないかな、とは思ったが、あの用心深い静流が能天気に置いて帰ったということは、俺に危害を加える石ではないのだろう。問いかけること自体が正しいのかどうかは分からないが。
『熱が出れば、外に出ない。地面に触れることはない』
俺の問いに対する答えとは云い難いが、石の声は続いた。
『土地神の呪いと、人面樹の執着が絡まり合い、地面に触れれば贄となる…』
「えっ!?」
『場合もないでもない』
「どっちだよ!?」
なんかはっきりしないが、どうやら今の俺は外に出ると地味~に危険、と、この石はそう伝えている…ように感じる。
『呪いが解けるのは、桜が…咲い…』
言葉は徐々に細くなり、やがて俺には聞こえない呟きへと変わって消えた。
桜、桜。また桜か。
誰も彼も、桜が咲くまで俺を封じ込める気か。俺はリモコンを引き寄せてテレビをつけた。…そろそろ、午後のニュースの時間だ。天気予報に桜開花前線でもついてないだろうか…と思ったが、不倫報道のニュースが繰り返し、映し出されるだけだ。ネットで調べる気にもなれず、俺は目を閉じて体を横たえた。…熱を出しているのが俺自身の防衛本能なのだとしたら、桜が咲く頃になったらこの熱も下がるのだろう。…ああ、散々な春休みだ。


眠る直前、ふっと『囀り石』という言葉が脳裏をよぎった。


群馬県の何処かにあるという巨岩のことではなかったか。…正直、これが奉の知識なのか、俺の記憶なのかは定かではない。ただ、俺は『囀り石』のことをおぼろげながら知っている。仇討ちのために諸国を旅する男が巨岩の上で寝そべっていると、探す仇について話す声が岩の中から聞こえた。…果たして、仇は岩の話した通りに…。
それからも囀り石は、付近の人々の役に立つようなことを話し続けた。だがある日、岩の話声に驚いた男が刀で岩を斬りつけると、それ以来岩はぴたりと喋らなくなった。
男が斬りつけて云々…というのは、伝説を終わらせるための口実のようなものだろう。岩は恐らく、元より話などしなかったのか、あるいは…岩の声を聴ける人間自体が、居なくなってしまったのか。


『石は、話なんざしねぇよ』


何処からか、良く知っている声がした。
『ありゃ、ただの媒体だ。んー、そうだねぇ…スピーカーみたいなものかねぇ』
―――じゃあ、そのスピーカーを通じて喋っているのは誰なんだ。
夢うつつながら、問いかけてみる。返事があるかは知らないが。
『…知ると、後戻りはきかねぇよ』
―――危険、なのか。
『スピーカーが転がっている分には危険はないんだよ。ただ、スピーカーを転がしておいた奴には、それなりの思惑がある』
―――思惑。
『俺ですら、抗いようがない。まぁ、そうだな』
それは持っておけ。そんな風に云われた気がしたが、俺の意識はもう眠気に呑まれていた。


『桜は、あと少しで咲くよ』


奉の声に重なるように、石の声が響いた。 
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