同盟上院議事録~あるいは自由惑星同盟構成国民達の戦争~
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帝冠の共和国~アルレスハイム王冠共和国にて~(下)
執政官官邸の執政官執務室――マンフリート宮殿と称させている――に同盟弁務官のエドヴァルド・フォン・リッツと首相のリッカルド・ハンソン、そして元首である共和国執政官――あるいは王冠の守護者、マリアンナ・フォン・ゴールデンバウムは身を移した。
「陛下、お疲れさまでした」
お疲れ様は私が言うべきだと思うけど、と大演説を行った同盟弁務官に年若い王冠の守護者は笑って帰す。
「私は無難なことを言うのが仕事なのよ。実際の政治は人民の代表なのに選挙で4割くらいから支持されてないそこのお爺ちゃんが責任を持ってやることだから」
だから政策政略のお話はそこなお爺ちゃんとしてね、私は知らないから、とひらひらと無責任そうに手を振る。
「陛下‥‥‥」
マリアンヌはいいじゃないのよぉ、とだらけた格好で豪奢な椅子に身を預ける。
「そういうけどリッツ先生だって、逆に私が具体的な政策どうこうに一家言持つ方が問題でしょう?」
それはそうだけど、とリッツは苦笑する。
「はぁ‥‥‥私はそれでいいですけどねぇ」
刺すような視線が自分を突き破って目の前の国家の象徴たる尊厳者をチクチクとさしているのだが――
「そこのお爺ちゃんが私を睨みつけるのはいつもの事だから気にしないでね」
背後からの視線が更に鋭くなった気がする。
ちらり、と背後に目を向けると笊に大盛りの苦虫をほおばっている老人がいる。
「なんだ若造」「いえ、もういいです」
「はいはいじゃあさっさと終わらせましょうか――リッツ先生の演説はとてもよかったけど。実際のところ同盟政府の羽振りは悪くなるでしょ?
私はどの道やることは変わらないでしょうけど、民草が飢えに苦しまぬようセイムとセナトで議論して~とか、バーラトと粘り強く話し合って~、とかそういうことを言っておけばいいわけだし」
「むぅ」
ハンソン首相が不機嫌そうに唸った。
リッツはため息をついた。年若き王冠の守護者の即位の儀礼を取り仕切ったのはハンソンである。
意外なことに彼が公然と批判してたこの”国事行為”の為に熱心にアレコレと動き回っていたのは『黄金の自由』ですら認めることであった。
だが一方で自由惑星同盟有数の急進派労働運動家――組合主義者やプロレタリア主権を唱える階級闘争主義者との批判に一定の信憑性を持たせる言動については変わっていないのも事実である。
この複雑な側面はアルレスハイムの左翼政党『連帯社会運動』とシュラフタを中心とした『黄金の自由』の対立と無党派層として揺れ動く大衆層といくつかの中小政党で作り上げられたアルレスハイム政界ならではともいえる。
「えー、首相。それで『人民の資本』についてですが」
「実際のところ実現に向けて如何ですか?医師の定着や医療費を含めていろいろと問題がありそうですが」
『人民の資本』とはセイムの最左翼であるリッカルド・ハンソンが首相の座を射止めた最大の武器にして彼の政治的キャリアにおける最大の博打である。
社会インフラの再整備であり『国家とは人民が共有する社会資本に他ならない』とバーラトにおける自由主義の否定に近いものを掲げた政策綱領である。その意欲的な内容は貧困層に向けた社会保険補助の強化から労働組合を介した労災ホットラインの強化、更には地域中小企業を介した住宅開発支援制度への公的資金の投入など幅広いものだ。
だが問題はその財源と受け皿となる医療機関の強化である。
「人的資源委員会や地方社会開発委員会との制度的な調整は済んだ――亡命者以外の者も受け入れて復興の拠点となるように、という目論みも無論もある、問題は同盟の財務委員会共だ、貴様も同盟弁務官として働いてもらわねばならぬ」
「はい、首相閣下。予算を奪ってくるのが弁務官の仕事ですので」
リッツがニヤリと笑うとハンソンも唇を歪めてみせる。
「ふん、である限りは貴様は俺と違いまだ『黄金の自由』と殴り合うことはないわけだ」
「いじめちゃだめよー、リッツ先生は立派なインテリゲンチャなんだから、喧嘩して成り上がった爺様とは違うのよ」
飛んできた野次を歴戦の議会政治家は一睨みで黙らせる。
あら怖い怖い、と口を挟んだ王冠の守護者にして尊厳者はにやにや笑って引き下がった。
「‥‥努力はしますがこれから取り分を維持できるかは難しいですよ、階層対立を煽るのは得策ではありません」
「俺を誰だと思っている、その辺りはうまくやるさ」
「連帯の右派系を上手く使ってるのよこのお爺ちゃん、見かけより狷介よこの爺ちゃん」
財源の少なからぬ部分が中央政府からの交付金を利用しているのであるが――だからこそ同盟弁務官のみならず王冠共和国の政治家たちは政敵である『黄金の自由』ですら同盟政府の動向を注視しているのである。彼らとて金が入ってくる方がありがたいのは変わらない。
問題はその使い道を支持層の利益に誘導する事が仕事である。
『連帯社会運動』の右派は中小企業や自営業者も多い『黄金の自由』との間で落としどころ探る時には彼らが裏で動くのが常だ。
「わかっておりますが、絶対量が少なくなってしまえばその手段も難しくなりますよ」
だが同盟財政は火の車である。第三次ティアマト会戦による第十一艦隊の半壊に加え、アスターテ会戦の二個艦隊の喪失。
同盟政府の財政的な危機を重視し、補充を最低限に抑えて再編を行うのであれば、少しずつ浸透する帝国政府の公然とした支援を受けた海賊(貴族たちが雇った私掠艦隊、事実上の傭兵である)をカバーする能力が著しく低下する。
とはいえそのまま現状復帰しようとすれば――「軍事費!即ち無制限の出費!」と叫ぶのが財務委員会の官僚団と政治家の役目である。
「敢えて先のスピーチでは触れませんでしたが首都圏と地方の対立は広がっています。
反戦市民連合は今度はいよいよ議席を伸ばして自由党と張り合うようになるかもしれません。
そうなれば【縦深】と明確に敵対することになる」
都市政党の色が濃い自由党は与党の座を射止めた際に財務委員会の幹部の比率が伝統的に多い。それはその叫びがバーラトを中心とした都市市民達の少なからぬ割合がそれを支持しているからである。
だが一方で彼らは彼らで第五次イゼルローン攻略戦など数多くの武勲で彩られた前線指揮官畑の実戦派、シドニー・シトレを最高評議会指名人事の重要ポスト、統合作戦本部長に推薦をするなど軍を軽視しているわけではない。これ以上の拡大ではなく効率化を主軸にしているのだ。
だがそうなると地方駐留艦隊の削減など経済的な要衝ではない【交戦星域】に直接的な被害が及びかねない改革に手を出すことになる。
「自由党系とは利害が対立しますが調停を前提とした対立です。良くも悪くもサンフォード議長のような国民共和党の地方議会出身の者達がそれを調整するのが伝統でした。だが反戦市民連合は違う」
彼らにとって軍事費の増大は無制限の収奪を受けて顔も知らぬ辺境の連中の手で浪費させられているのと同義である。そして従軍すれば――その地を護る為に親族や友人が殺されるのだ。
負けが込んでくると【交戦地域】では国防委員長でも統合作戦本部長でもなく、財務委員長が公然と憎まれる不可思議な事象はこのような極めて民主的な事情によって発生するのである。
「――被害者意識が肥大化すれば代議を務めるものですら調停ができなくなる。防衛戦争が長引きすぎた、バーラトの一般市民がこちらに来る事も少ない。断絶されてるのだよ、我々は。経済への不安、社会の病根だな」
リッツはため息をついた。であるからと疎外しろと言えないのが苦しいところである。
「あぁもちろん彼らも被害者だとも、だからとて我々が滅ぼされていいはずはない。だが彼らが我々を同じ同盟市民と認識できないのも責めきれぬ。全部あの忌々しいイゼルローン要塞のせいだ」
「和睦を示唆しているようだけどねぇ」
王冠の守護者陛下は冷やかな物を滲ませた声で謳うように言った。
「現実的な見通しとしては不可能。追われた者は知っている。連中にそんな統一された意志など持ちようがない事を。そして奪われた者は感じるの、奴らは何かあれば殺され、犯され、攫われて奴隷とされるのは自分達だと。
だから――バーラトの市民と私達とエル・ファシルやアスターテやティアマトの人間がみる現実は違い過ぎるのよね。私がアルレスハイム王冠共和国民意の最大公約数を穏当に話してもバーラトでどのように受け止められるのかしらね?セイムと同盟議会で同じことを語っても受け止められた方どれほど違うのか」
その声は朗らかだがどこか冷やかな空虚さを感じさせる。
「本当に私達とバーラトは同じ国なのか民草は信じられるのかしらね――異国の者と見なせばその行く末は――」
「陛下!」
鋭い声でリッツが止めに入った。
「はいはい、ごめんなさいね、いい子にしてますよ」
もういいかしらね、と言ってゴールデンバウム女史はさっさと執務室を出ていく。
もとより実権を持つ気はないと振舞っているが、彼女も政治の現実に思うところがあるのだろうか。
「‥‥‥悔しい事だが間違っておらんな、人が死に過ぎた。アルレスハイムが、ヴァンフリートが、アスターテが、エル・ファシルが、落ちれば次はどこだ、そのまた次は――、という意識が辛うじて自由惑星同盟としての連帯を保っている、露悪的な言い草だがそうした理由は間違いなくある」
ハンソン首相はフリープラネッツ労働組合総連合の中央執行委員会に身を置いたこともある。アルレスハイムだけではなくあちらこちらの組合幹部と伝手を持っている。
それだけに同じ労働者といえど見えるものが違うというのは事実として受け止めているのだ。
「首相閣下」
「リッツ、あの忌々しき陛下はな、アレで物が見えているのだ。何も考えとらん振りをして形式通りに物をこなしているだけだ。俺はそれが気に食わん!」
「見えても立場上口にしたくない、ということでしょうね」
それを冗談に紛れ込ませて語る程度には信頼を得ているのだと受け止めている。ハンソンもそれを分かっているから憎まれ口をたたいているのだろうが。
だからだよ、とハンソン首相は唸る。
「民主共和制にもいくらか悪い点があるのはわかっている、だがそれでもアレは共和制国家の方が生きやすかろうよ」
そうすればセイムでコテンパンにしてやるわい、と左翼のオジキが鼻を鳴らす。
いや、この国も王冠共和国ですが、というツッコミをする人はいない。
「どうでしょうか、いえそうかもしれませんが――」
しかし万民にとってはどうだろうか、とリッツは思考を巡らせる。ある意味で同盟のような国にこそ、彼女のように俗世の利害関係から切り離した――と多くの人に信じさせナショナリズムを象徴する存在は必要なのかもしれない。あぁだがもちろん、亡命者でもアルレスハイムで生まれ育ったわけでもない人間が系統は違えどゴールデンバウムを戴くなどできるとは思っていないが。
リッツは年若い象徴元首の言葉を反芻する。
――かくのごとく戦争が続き社会は分断されつつある、同盟という国家の国民として生き残らねばならぬがそれすらも悲嘆により分断されつつある、ではそれを乗り越えるとして自由惑星同盟とは如何様な国となるのだろうか?我々は何をもって自由惑星同盟という国家を構成しているのだろうか?
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