ドリトル先生と琵琶湖の鯰
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第三幕その七
「ここだよね」
「あの井伊直弼さんがいたお城だね」
「あのとんでもなく悪い人がいたね」
「そのお城だね」
「そうだよ、ただこのお城にいたことは事実でも」
その井伊直弼さんがとです、先生は皆にお話しました。
「藩主そして大老になってからは殆どいなかったよ」
「そうだったんだ」
「自分のお城なのに」
「それでもだったの」
「藩主、お殿様になると江戸と領地を行き来していたね」
先生はここでこのことをお話しました。
「そうだったね」
「あっ、参勤交代ね」
「江戸時代にはそれがあったんだ」
「三年のうち一年は絶対に江戸にいる」
「奥さんとお子さんもそっちにいるんだったね」
「この制度があったからね」
だからだというのです。
「藩主になってからはね」
「江戸と彦根を行き来していて」
「ここにいない時もあったんだ」
「そういうことだね」
「そして大老になると」
そうなると、というのです。
「もうね」
「その時はだね」
「幕府のお偉いさんだから」
「その立場になったから」
「だからだね」
「江戸にいたんだね」
「ずっとね、それでなんだ」
彦根城の見事な黒い屋根と白い壁の三層の天守閣を見上げながらお話します。
「この彦根にはね」
「あまりいなかったんだ」
「そうだったんだね」
「実は」
「うん、ただ藩主になるまではね」
その時まではとです、先生はお話しながらでした。
お城の中を歩いていきます、そうして言うのでした。
「この彦根にいたよ」
「じゃあ結構長い間なんだ」
「このお城にいたんだ」
「そうなのね」
「そうだよ、ただね」
ここでこう言うのでした。
「お城には住んでいなかったよ」
「じゃあ別のところに住んでいたんだ」
「お城じゃなくて」
「他のところになんだ」
「埋木舎というところに入ってね」
そしてというのです。
「そこに住んでいたんだ、何しろ藩主になる筈のない人だったからね」
「あっ、もう十数男でね」
「跡継ぎになる様な人じゃなくて」
「養子のお話もなくて」
「それでだったんだね」
「うん、もうそこで朽ち果てるのみと思っていたから」
井伊直弼さん自身がです。
「そこに住んで学問や芸術や武芸に励んでいたんだ」
「あれっ、学問とかしていたんだ」
「芸術も」
「そういう人だったの」
「和歌や座禅、儒学、陶芸、茶道、鼓、居合とね」
そうしたものをというのです。
「学んでどれもかなりのものだったんだ」
「おかしいね」
「そうだよね」
ここで皆は首を傾げさせました、お城の中を歩きながら。
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