レーヴァティン
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第百六十三話 治の仕組みその三
「国を豊かにしてもらう」
「そしてその富をじゃな」
「使う、重い年貢等ではなくな」
「そういう考えじゃな」
「だから年貢は重くて四割だ」
それだけだというのだ。
「民は六割、これで重い位だ」
「もっと軽くじゃな」
「していきたい、重い年貢よりもな」
「国が豊かになることぜよ」
「それが第一だ」
「そうっちゃな、ならっちゃ」
愛実も言ってきた。
「年貢は軽くっちゃ」
「そして検見でなくな」
「定免っちゃ」
「年貢の取り方もだ」
これもというのだ。
「考えたが」
「収穫の割合で決めるのでなくっちゃな」
「あらかじめどれだけか定める」
その年貢をというのだ。
「その方がいい、それがだ」
「経済が安定するっちゃな」
「このことは徳川吉宗公が定めたが」
江戸幕府の八代将軍であり名君と言われる彼がというのだ。
「年貢の割合を低く定めてな」
「そしてだったっちゃな」
「民の負担も軽くした」
天領のそれをだ。
「あれはよく年貢を高く取ってな」
「民を苦しめるものと言われるっちゃが」
「大きな間違いだ、幕府の年貢は軽かった」
それが現実だったというのだ。
「諸藩はそれぞれだが」
「少なくとも幕府自体は」
「あれはただ年貢が安定して入ってだ」
そうしてというのだ。
「幕府の税収そして物価を安定させたかったのだ」
「年貢を多く取るものではなかったっちゃ」
「そうだった、むしろ幕府にしてはな」
「多く取れたところをっちゃな」
「低くしたのだ」
「かえって財政が苦しくなったっちゃ」
「幕府は年貢は取るが」
米によるそれはだ。
「しかしだ」
「他はあまり取らなかったっちゃ」
「百姓が米以外の作物を売って利益を得てもだ」
野菜や麦、豆、綿、菜種等それは色々あった。勿論八条もそうしたものを民達にどんどん作らせている。
「そういったものは殆どだ」
「お百姓さんの取り分だったっちゃな」
「そして町の方もな」
「町人さんの税は軽かったっちゃな」
「だから民の暮らしは楽になったが」
「幕府は苦しかったっちゃな」
「幕府の歴史は長いが」
およそ二百六十年以上に渡る。
「そのうち百六十年位は財政状況が悪かった」
「何か中期以降は」
謙二が首を傾げさせつつ話してきた。
「幕府は常にそうでしたね」
「赤字に悩んできたな」
「そうでしたね」
「財政基盤が弱かったからだ」
まさにそれが理由だった。
「それがそうした年貢の取り方だったこともだ」
「大きかったですね」
「今俺は民は六分でだ」
「幕府は四分と言いましたね」
「だが江戸幕府はな」
この政権はというと、
「二分程だった」
「十に分けたうちで」
「それだけだった」
まさにというのだ。
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