探し求めてエデンの檻
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7-1話
前書き
それはさながら黒魔術の供物のようだった。
池のような夥しい血の跡、首を切り落とされた犬頭、異形の如き巨獣の死骸を残すその惨状。
突き付けられるおぞましさ―――それが現実に存在する不可解さに仙石は固まるしかなかった。
「死んでるん……だよな?」
オレは目の前の“ソレ”に視線が釘付けになりながら言った。
生死の確認というよりも、本当に“ソレ”は生き物なのかオレは疑問だった。
首から両断されて頭と胴体が泣き別れになり、血の池を作る“ソレ”の生命活動の停止に疑う余地はない。
だが“ソレ”の頭部は胴体と比べてあまりにも巨大すぎて…まるで架空の生物みたいなアンバランスさだった。
それは化け物だった。 怪物だった。
ダチョウに似た生物とは違う。 虎に似た生物とも違う。
何かに似ているけど、オレが知ってる生物とは特徴が大きくかけ離れていて“化け物”、“怪物”と表現する他にない。
だが、それは既に死骸なのにも関わらず、その姿形が現実離れしていてて“生き物の死体”である事にすぐに信じられなかった。
だってそうだろう?
こんなでかい犬の頭をしている生物が存在するか?
仮にいたとして、こんな怪物の首がなぜ両断されて転がっている? それも、こんなに鮮やかに…。
「……死体、だな…間違いなく」
死骸の状態を調べている真理谷は顔色を悪くさせながらも冷静だった。
だがオレは無理だ…凄惨さに眼線を逸らしてしまう。 そして大森さんは真っ赤な血の跡と、肉の断面がグロテスクさに吐き気を覚えていた。
「うっ……」
「大森さん、大丈夫か…?」
「…ぅ…ふぅ、ぐ……だ、大丈夫です……」
とてもそうには見えないが、昨日と比べればだいぶ気丈になってる様子だ。
宥めようと彼女の肩にそっと手を触れてやると、耐えるように震えているのが分かる。
「真理谷……そいつ、犬なの…か?」
「……いや、犬じゃない。 見ろ」
真理谷は膝に乗せたノートパソコンを片手で操作して、ソレをオレに見せた。
そこに映っているのは絶滅動物図鑑の一ページに載っている絵と同じ、そこの生首の姿だった。
「こいつは、アンドリューサルクス―――体長三メートル以上の体躯でありながら、その“全体の3割を占めるのが頭部”というワニのような哺乳類。 3600万年前に滅びた肉食獣だ…」
「肉食獣……」
こいつも絶滅動物……。
あの怪鳥にしても、サーベルタイガー…スミドロンにしてもそうだが…このアンドリューサルクスの見た目はあまりにも奇怪だ。
その体躯は熊に匹敵するほど巨大だが、胴体の半分ものサイズがある頭部はインパクトが大きい。
こんな顎…こんな大きな口だったら、人間の大人なら丸呑みとは言わなくても体半分は簡単に喰らいつける。
これが肉食獣だとしたら、この場所において獲物となるのは……?
「そ、それじゃあ皆は!? りおんはどうなったってんだ!?」
「それはわからん。 いや、まだ情報が足りない……僕たちはここで何が起きて、どんな状況になっているのかわからないんだ」
「状況よりも、今すぐ調べるべきなのは人がいるかどうかだろ!!」
せっかく皆に会えると思ったのに、ここでじっとしていたくなんかない。
オレは二人を置きざりに見上げる位置にある航空機に向かって走り出した。
真理谷は静止する声を投げかけるが、それを無視して自慢の大声で呼びかけをした。
「おおぉーーーい! 誰かいないのかー!?」
声をかけるも五体満足の航空機からは反応がなかった。
「(何で…何が……何が起こったってんだ!?)」
状況を把握できない事がオレを焦らせる。
皆の安否を…ひいてはりおんの事が気掛かりだった。
搭乗口から滑り台の脱出シューターが一つだけ出ているのが見えた。
他にも搭乗口は開いているがどれもシューターが落ちていて地面にゴム材の山を作っている。 唯一残っているシューターから航空機の中に入るため、オレは真っ直ぐそこに駆け寄ろうとした。
「―――寄るなあぁぁっっ!!」
切羽詰った声と共に何かがオレに向かって飛んできた。
「っ…うわぁ!?」
咄嗟に反応して飛び退くと、飛来してきた物体は足元の地面に落ちて跳ねた。
カラァン、と軽い音を立てたのは木の棒で、声に反応していなければ回転して投げられたそれは体のどこかに当たって怪我をするのは間違いなかった。
「それ以上近づくな、あっち行けぇ!」
それは男の声だった。
成人男性と思われる太い声が航空機の中から発せられていた。
「お…おい! いるのか…? 人がいるのか!?」
「…………」
「なあ! 人がいるのか、それなら…訊きたい事があるんだ!!」
人がいる。 幻聴なわけがない。
声はしていたから姿は見えなくとも、航空機の中にはたしかに誰かいるのは間違いなかった。
それをこの眼で確かめるために、一歩前に踏み進めようとする。
だが…。
「寄るなって言ってんだろうがあっ!! 殺すぞ!!」
それは、オレが思っていた声とは違った。
生還を喜んでくれる声とは全く違う―――敵意を剥き出しにした拒絶の声だ。
航空機の割れた窓から顔がいくつも現れた。
そのどれもが穏やかそうには見えない形相をさせていて、鋭い視線をオレに集中する。
そしてそいつらは男の怒号が号令として、窓の物陰から何十ものの石を投げ付けられた。
「なぁっ!?」
拳ほどの大きさの石つぶてが一斉に殺到する。
目の前の光景に圧倒されてしまっていて、反射的に回避行動を取れず硬直した。
だがそんな時オレの腕を掴み、引っ張る手があった。
「何やっているんだ仙石!!」
「真理谷!?」
真理谷は小柄ながらに引っ張る力は強く、間一髪のところで石の雨から逃れた。
そのままオレを引っ張っていき、連中の視界の外へと走った。
背後に聞き取れない罵声を受けながら、途中で遅れてきた大森さんと合流して脇目を振らず逃走する。
そのままオレ達は近くの森の中へと逃げ込んで身を潜める事にした。
「はぁ……はぁ…」
「はぁ、ふぅ……どうやら、追ってくる様子はないようだな」
飛行機の方向からは見えないように身を隠した木陰から顔を出して窺う真理谷はそう呟いた。
「はぁ…はぁ~……あ、あの、一体なにが……」
「はぁ……はぁ……」
状況を理解できていない大森さんはそう言うが、オレはそれを答えなかった。
答えるには…疲れていた。 体力ではなく、精神的に…だ。
とんでもない獣に襲われて、それでも心が狂れないで皆と合流できるかと思ったのに……どうしてこうなってしまったんだ?
同じ人間なのに、問答無用に襲われる謂れなんてないのに、彼らの行動が理解できない。
こんな所にいたら皆で生きて無事に帰れるように考えるのが当然じゃないのか?
「一体何の意味があって…―――」
殺そうとするなんて、と言葉が喉に引っかかった。
だがその生々しい言葉を口にするにはオレには恐ろしい。
「知るか。 ただ、あれがまともな統率下にあるように見えないから…十中八九暴動が起きただろうな」
「ぼ、暴動!?」
「そ、そんな!?」
真理谷の言葉にオレは愕然とした。
だが同時に大森さんは信じられないと言う風な声を張り上げた。
「あそこには土屋機長がいるんですよ! 責任感が強くてとてもイイ人なんです、それが暴動なんて…!」
「わからないぞ」
戸惑いながらも大森さんはその機長を信じようと…信じたいと思いたいが、真理谷はその弁を遮る。
「その機長がその責任感で今でもリーダーシップを取れているとは限らない。 それに、疑うわけじゃないがこの特殊な環境でまともに統率が取れるか怪しいものだ。 ましてや彼が“あそこ”にいるかどうかすらわからないんだ、僕らはその姿さえ見ていない」
それはオレでもわかる理屈だ。
悔しいことに、大森さんと同じように希望を抱いていたから真理谷の冷たい言葉は思いの外堪える。
「……っ…」
だから、コイツの淡々した言葉に、大森さんは反論を返せないまま泣きそうな顔をする。
だが真理谷はそれを気にせず言葉を続けた。
「仮に機長が“あそこ”にいるとしてだ、そうなると何らかの原因で心変わりしたか…あるいは」
「あるいは?」
「いや……(あの集団の中で同調しない者がどうなるか……まさかな、とは思いたいが…)」
どうやら、そこで真理谷の考えが終わったのか、顎に手を添えて何か考え始めてそれ以上言葉は続かなかった。
それをよそに、オレは次はどう行動していいものか目の前の状況に直視する。
「それより、これからどうするつもりなんだ真理谷?」
「正常でない人間には近づかないのが道理―――…と言いたい所だが」
言葉を区切り、真理谷は目線と共にオレに向けて問いかけてきた。
「こんな環境だ。 怪物か、人間か…比べるまでもないだろう?」
「っ……!」
それは…ある意味究極の選択肢に聞こえた。
どちらも危険で、どちらも不明な要素が付き纏っていて“安全”から程遠いものだ。
「せっかく人間の集団を見つけたのに、すぐに離れるべきだと判断するには早いだろう」
「そう…だな。 今は様子見に、するべきだよな……」
疲れる。 疲れた。
体だけでなく、心が落胆しただけに気分が重かった。
まだ…まだダメになったわけじゃない。 そう思いながらも、投石の雨が地面降り注いだ光景が瞼の奥に残っている。
「……」
フラリ、と足が動いた。
「ん、おい仙石。 どこに行くんだ?」
「……」
「おいっ!」
「…ちょっと、そこらへんを歩いてくるだけだよ……一人になりたいんだ…」
煩わしい……。
声を荒らげる真理谷に、オレは振り返らずに足を止めて返事を返した。
そして返事を待たずに、夢遊病者のような足取りで森の中に入っていった。
―――――。
あてもなく歩きながらオレは考えていた。
頭の中が思考がグルグルと廻っていて、モヤモヤがスッキリしなかった。
それと言うのも…頭の中で浮かんで忘れられない幼馴染の存在が気掛かりだった。
だが、真理谷の言葉がどうしても…りおんの安否を不安なものにさせる。
暴動…など、そんなのないと思いたい。 だけど実際に見てしまった暴挙がオレを不安にさせる。
あの中にりおんがいるのなら…あの男達に囲まれていたら、どんな目に遭っているか…。
りおんは凡庸じゃない容姿だから…今頃は…。
「くそっ…!!」
拳を手近な木に叩きつけた。
力いっぱいに殴ってもそびえ立つ木はビクともせず、逆に樹皮に打ち付けた拳は焼けたように痛む。
だがそれ以上にりおんの事で頭が熱くなっていた。
あの鉄クズの中で、暴徒達にメチャクチャに穢されているかもしれない…そんなの想像だけでも、オレには耐え難い。
あいつは…幼馴染で、一緒に育ってきて、どんどん可愛く…綺麗になっていくのをずっと見てきた。
幼い頃は平気で接する事が出来たけど、時間が経つ毎に大切になっていく幼馴染…。
いつからか届かないほど高嶺の存在になっても、いまだに手放せないほど惹かれていた。
その彼女が…りおんが壊される。
出来ない。
我慢なんて出来ない。
様子見なんて…出来るか!!
真理谷には悪いけど、ここはオレ一人で忍び込んででも…りおんを助ける。
そうしなければならない気持ちがオレを突き動かす。 確かめなければならないのだ、自分の目で。
手頃な棒を拾い、航空機へと向かうため歩き出した。
「―――」
だがその時、息遣いと共にフッ、と影が差した。
ゴッ……!
頭の中で硬い音が鳴った。
視界が揺さぶられ、後頭部に凄まじい痛みが襲い、オレの意識が沈んだ。
「―――クッ、ハッ……アハハハッ!!」
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