ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~
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第45話 マーロヴィアの後始末
前書き
フラグ回収終わり。
宇宙暦七八八年六月 マーロヴィア星域 メスラム星系
“成果は期待以上。結果は上々。帰投せよ。”
簡単な文面ではあったが、マーロヴィア星域管区司令部からの直接命令が届いた。ブラックバートを撃破した後も、軍輸送船団より『略奪』しながら海賊や独航船舶を追っかけまわしていたが、やはりというかブラックバート撃破以降は明らかにその数を減らしている。
メスラム星系に巣食う海賊の大半が、小惑星帯で機雷とゼッフル粒子に拘束させられるか消滅させられ、彼らの機動戦力は俺達や護衛船団の護衛艦に撃破された。そこでブラックバートが星域内で撃破されたという情報。バグダッシュが偽装した情報屋ルートで拘束されたバーソンズ元准将の映像が星系、星域、星域外へと流され、まだ僅かに生き残っていた海賊で船を持っているものは星域外へと逃げ出した。最近拘束した海賊達の証言でそれも立証されている。
偽ブラックバートの戦力はいまだ健在。中央の部隊ですら討伐に失敗していた本家ブラックバート拘束成功という勝利の興奮で、兵士たちの疲労は覆い隠されてはいる。しかし地上を離れることほぼ半年。交代で休息をとっているとはいえ、長期にわたる緊張の連続は肉体的にではなく精神的なダメージとして蓄積されている。中央の制式艦隊ほど人員に余裕があるわけではない。今後はゆっくりとだがミスは出てくるだろう。
それに本家が拘束されたことで、最近マーロヴィアで凶悪に暴れていたブラックバートは『本物』なのか、という疑問が情報屋界隈で流れているらしい。ブラックバートの名前を使った作戦は、もう潮時であろうと爺様達は判断した。特務小戦隊の面々もそれに同意し作戦を中断、作戦に従事した全ての将兵に作戦内容の機密保持宣誓書へサインをさせた後、本星メスラムへ二週間かけて帰投した。
「ひとまずは、ご苦労じゃった」
すでに送ってある報告書を読んでいるであろうビュコック爺様は、椅子から立ち上がるとまずはカールセン中佐の、そして俺の両肩を二度ずつ叩いて言った。
「厳しい作戦であったことは、作戦立案当初からわかっていたことじゃて。結果として星系内の海賊一掃と有力海賊を捕縛できたわけじゃから、大成功と判断できよう」
「は、ありがとうございます」
「カールセン。ご苦労じゃったな。後はわしらに任せろ。思うところはあるじゃろうが、今はゆっくり休め。ウエスカや他の艦も二週間はドック入りが必要じゃな」
「いえ、ウエスカに損害はありませんので二週間も……」
「航行機関部と長距離通信アンテナの損傷はかなり大きかったとラフハー八八号から聞いている。こんな辺境じゃから修理にも時間がかかる。今まで暇こいておったドック要員を鞭打っても、そのくらいはかかるじゃろうて」
「……ありがとうございます。閣下」
カールセン中佐が敬礼をして司令官公室から出ていくと、ビュコック爺様の顔付きは部下の苦労をねぎらう好々爺のそれから、老練で冷厳な辺境管区司令官へと変貌した。
「さて、ジュニア。わかっておるじゃろうが、貴官の仕事はここからが本番じゃ」
俺達が偽装海賊で暴れまわっていた頃、爺様たちは根拠地メスラム星系にあって小惑星帯に潜む宇宙海賊を蒸し焼きにし、慎重に情報操作して護衛船団計画を練り、動かせる数が著しく少なくなった艦艇でどうにかこうにか星域内のパトロールを必要最小限とはいえ実施していたわけで、その労苦は偽装海賊作戦を半年以上実施していた俺達と何ら遜色ない。爺様の横に立つファイフェルなど今にも死にそうな青白い顔をしている。
だが爺様の言う通り、本当の仕事はこれからだ。
偽装海賊を使っての討伐作戦と機雷とゼッフル粒子を使っての蒸し焼き作戦で、マーロヴィア星域内の海賊組織は認知されている組織の大半を撃破ないし投降させた。だがそれは全てではない。逃げ出した生き残りはしばらくすれば戻ってくるだろうし、星域外からの流入もあるだろう。駆除作業はこれからも続く。
同時に捕虜となった海賊に対する民事更生プログラムを着実に実行しなくてはならない。作戦の承認により、軍中央の支援は一応確約されてはいるが、『海賊捕虜収容所』としてメスラムを発足させる上で、その原資を全て軍が負担するのは些か虫が良すぎるし、現実的ではない。その為にマーロヴィア星域行政府経済産業庁の協力は取り付けたが、絶対的な資本力不足から中央政府の協力も必須となる。パルッキ女史だけで中央政府を説得できない場合は、当然作戦立案者が説明に行かねばならない。つまり俺だ。
「バーソンズがとっ捕まったことで、首都の防衛部連中はさぞ枕を高くしておることじゃろうて……いずれジュニアには一度ハイネセンに行って、その後頭部を蹴り上げてもらわねばならんじゃろうな」
「覚悟はしております。レンタルしているバグダッシュ大尉とコクラン大尉を返却する前に、星域管区の管理システムも固めねばなりませんし」
「まぁ交代メンバーにはあまり期待しておらんから、そちらは儂とモンシャルマンで進めておくとしよう。ジュニアには行政府側との折衝に当たってもらおうかの」
「民生分野に関しては行政府経済産業長官のパルッキ女史が指揮官であると思いますが」
「儂の主義には反するが、憲兵隊の二個小隊を貴官とバグダッシュに付ける。孤立無援のお姫様を救いに行くのは王子様の仕事じゃろう」
「地上での警察権はあくまで治安警察……ですが」
「どこをどうめぐったのかは知らんが、ハイネセンの中央法務局から統合作戦本部防衛部を経由して儂宛に怪しげな書類が届いての。今はバグダッシュに預けておる」
それは元警察官僚の国防委員様から届いた『印籠』だ。バグダッシュから情報部、情報部から防衛部会、防衛部会から国防小委員会・憲兵審議会、そしてそこから何故か中央法務局にジャンプして、来た道を折り返してきた。口利きだけなら大した労力でもない。後で面子やら区割りやらが問題になるかもしれないが、そこは口先から生まれた巧言令色の権化だ。あくまで口を利いただけで『直接的な利益を得たわけではない』し、『正義を実現する為に手を貸した』だけなのだ。
間違いなく。そう間違いなくこの草刈りと種蒔きが終わった後、俺は例の国防委員様にお会いすることになるだろう。彼自身が俺の能力をどう評価しているかはわからない。だが現時点において、俺は彼にとって利用価値がある人間であろうとは思う。職業軍人一家の御曹司。シトレ中将の秘蔵っ子。士官学校首席卒業者。フェザーンでの失態も既に耳にしているだろう。硬軟両手を使い分けて俺を軍内部における飼い犬にしたいと考えているのは、このマーロヴィアの草刈りに対する彼の一方的なボランティアでも明らかだ。
社会にとっての悪性がん細胞、信じてもいない正論を吐く人間、どんな時も傷つかない男。原作における同盟側の最大の悪役。まだ実力も何もない時点で黒狐とご面識を頂いて、次に寄生木と出会うというのは前世の俺はどんな悪いことをしたのだろうかと思い返したが、家屋に発生する特定の昆虫類に対する虐殺行為以外、大してないはずだ。
「……自分の家と道路を清掃し終えたのに、今度は隣家の倉庫掃除の手伝いもしなくてはいけないとはツイてないです」
「私もそこまで面倒を見なくてはならないのかとは思わないでもないが、不愉快であっても法的根拠がある以上これも仕事なのだ。何しろここはハイネセンから四五〇〇光年離れているのでね」
モンシャルマン大佐の検察当局に対する嫌味を含んだ返答に俺も頷いたが、これも軍外で孤軍奮闘していたパルッキ女史の助けになるならと思わないでもなかった。
「連邦警察からの委任拘束令状があるとはいえ、憲兵隊が民間人それも行政府高官を拘束するというのは実に外聞が悪い。くれぐれも行動は慎重にな」
「了解しました」
「すでに宇宙港内部の監視も実施している。貴官から連絡があり次第、検問を設置する。正直そこまでしたくはなかったのだが……」
憲兵隊の規模が小さいとはいえ宇宙港に検問を設置するとなれば、クーデターと疑われても仕方がない。いくら中央から遠く離れているとはいっても、民間施設における検問を警察ではなく軍が行うことへのアレルギーは当然ある。一般に星域軍管区が海賊討伐作戦を大規模に実施していることは公表されているが、だからといって自分達に不都合が及ぶことを容認しているわけではない。
小惑星鉱区の操業認証の取り消し。護衛船団という事実上の航路統制。小惑星帯で何故か頻発する(ゼッフル粒子)大火災。航路で暴れまくる暴虐不遜なブラックバート(偽物)とその首謀者(本物)の逮捕。大手海賊集団の降伏など、メスラム星系を波立たせるニュースは事欠かない。海賊に半ば支配されていたようなド田舎の民心は大きく揺れ動いている。
救われる点はド辺境であるが故に報道機関の存在が極めて少ないことだ。ローカルなメディアはあるが、基本的には星域内というより星系内でしか活動しないレベル。ハイネセンにいるような、政府に対する反骨溢れる独立系ジャーナリストであれば、マーロヴィア星域軍管区司令部の傲慢さはたちまち紙面の標的となっただろう。だれも見向きもしない、ニュースのネタにすらならないド辺境の強みだ。
だがそれも時間の問題。ロバート=バーソンズ元准将の逮捕は、数日中に中央法務局・国防委員会・憲兵隊本部・統合作戦本部防衛部および法務部の連名で正式に公表される。その場でマーロヴィア行政府要人の逮捕も発表されるだろう。そうなればジャーナリストの二個小隊ぐらいの来訪は覚悟する必要がある。彼らが来訪するまでの一~二週間で、掃除を終えなくてはならない。どうしたって批判されるだろう。だが結果の良し悪しで、批判の大きさは変化する。
「一週間で片づけましょう。またしばらくバグダッシュ大尉をお借りします」
「今までだってほとんど司令部に顔を出しておらん奴じゃから、好きに扱き使うといいぞ。せっかくの無料レンタル品なんじゃからな」
まったく面倒なことじゃなと、まだまだ皺のよりが深くない顎を撫でながら、爺様はそういうのだった。
◆
そうして司令部での打ち合わせを終え、実質八ヶ月ぶりに戻った自分の執務室の扉を開けると、そこにはさも当然と言った表情のバグダッシュがパイプ椅子に座ってワインのラベルを眺めていた。俺が白けた眼で狭い部屋の中を見回すと、腰高ぐらいのワインセラーがいつの間にか壁脇に鎮座している。
「……バグダッシュ大尉」
「おぉ、お久しぶりですな、ボロディン大尉。実働部隊の引率お疲れ様でした」
「えぇ、バグダッシュ大尉がいかに偉大な存在であるか、十分すぎるほど認識できましたよ」
「なんだか気持ち悪い褒めかたですな。これは小官のワインですからいくら煽てても差し上げませんぞ」
「しばらく酒はNGです。憲兵隊を率いて長官の頸を取りに行くんですよね?」
検察長官の頸を取る前に、業務時間内の飲酒で自分が捕まったらどうするんだと言ったつもりだが、ワインセラーがあるのは俺の執務室(笑なので、この場合、捕まるのは俺になるわけか。非難を諦めて自分の椅子に座ると、バグダッシュはジャケットの胸ポケットから白い封筒と記憶媒体を取り出して俺に手渡した。封筒の中身は中央法務局から憲兵隊本部に出された委任拘束令状。記憶媒体の方は降伏した海賊から搾り取った行政府内の金銭授受についての証言調書だった。
「ケリムでも痛感しましたが、情報部の方々の有能さはまるで魔法使いのようでホントに頼りになるというか……コレ、造り物じゃないですよね?」
「造り物でここまでリアルにできれば、情報部員として超一流といえるんですがねぇ」
「結果としてバグダッシュ大尉はお一人でマーロヴィアに巣食う海賊を手玉に取ったわけですが、後学の為に伺いたいんですが、テクニックはともかく情報部員として必要な才覚って何です?」
「冷静さと度胸ですよ。それも大して難しいことじゃない」
バグダッシュは鼻で笑うと、パイプ椅子を逆にして座り、背もたれに肘を当てて意地悪そうに言った。
「相手にするのは所詮人間で、異世界のバケモノじゃない。人間である以上、欲があり、感情がある。金も異性も名誉も、つまるところ形を変えた欲でね。物を取引する貨幣と同様に、欲を取引するのは情報なんだ」
「ただ情報はベクトルであって、金銭のように数値だけじゃない」
「おっしゃる通り。ベクトルから方向性を取り除くのが冷静さ。好きな方向に無理やり動かすのが度胸ってわけだ」
「そうなるとブロンズ准将の言われる通り、自分には無理ですか」
「いや素質はある。単純に性格が向いてないだけですよ。人生経験が少なくて隙だらけってのもありますが、一番問題なのはあまりに欲がないということですかな」
「欲がない? そんなことはないと思いますが?」
「一見すると生活苦とか経験したことのないお坊ちゃま特有の青臭い無欲さに見えるんです。そういう世間知らずは『正義』とか『道義』とか調子のいい言葉でいくらでも操れる」
こちらから話を振っただけだったが、バグダッシュはどこからともなく出したコルク抜きを、左手の指の間をグルグルと回しながら饒舌に話し続ける。
「貴方は違う。事に当たって必要とあれば法を踏み越えることも躊躇わない。かと言って良心や善意や遵法精神のないサイコパスでもない。今は上官がいて、命令があり、任務がある。そういった拘束が無くなった時、あなた自身が何をしたいのか、正直なところ分からなくてね」
「……」
「ただ今回、ご一緒して分かったことが一つだけありますよ」
「……それは?」
「貴方が私の上官になった時は結構楽しいだろうな、ってことです。適度に難易度があって好きなように仕事ができて、勤務中に酒が飲める職場って、そうそうないですからな」
バグダッシュの手にはいつの間にかワインボトルがあり、今まさにキュポンと音を立てて栓が抜かれたのだった。
後書き
2020.05.22 事前投稿
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