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ラインハルトを守ります!チート共には負けません!!

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第百三十七話 作戦準備

 会議が始まる前、アレーナはフィオーナと二人きりで自室にいた。アレーナはいつになく真剣そのものの表情をしていた。フィオーナは青い顔をしていたが、何とか気丈にアレーナと向かい合っている。

「シャロンのオーラを抑え込むために、フィオーナ、あなたにローレライの騎士として歌い手になってほしい」
「・・・・・・・・」

 フィオーナは俯いた。アレーナは飄々さを消し去った声で彼女に語り続ける。

「イルーナが死んでしまった今、彼女の意志を継いで歌い手になれる者はあなたしか残っていない。どうあってもあなたには歌ってもらわなくてはならない」
「・・・・・・・・」
「ショックが大きすぎていることは承知しているわ。そしてあなた自身も傷を負っていることも承知している。けれど、私たちはもう後に引き返すことはできなくなった。立ち止まっていることもできなくなった」
「・・・・・・・・」
「私を恨んでくれても構わない。けれど、私は引きずってでもあなたを戦場に連れて行く」
「アレーナさんは」
「ん?」
「もう、こんなことになって・・・・今、何のために戦おうとしているか、わかっていますか・・・・・?」

 フィオーナの声にアレーナは口を閉じた。

「私は・・・これまでずっと教官のために、そしてミュラーとティアナ、アレーナさんたちと共に戦ってきました。けれど、教官は死んでしまった。私にはもう、目的がないんです」
「・・・・・・・」
「戦場に立つ意義もないんです。あるのは何のために戦うんだっていう気持ちだけ・・・・」
「・・・・・・・」
「もう、嫌なんです!!!」

 フィオーナの悲痛な叫びがアレーナを打った。

「どうして放っておいてくれないんですか?どうして私ばかり駆りだすんですか?どうして私だけ・・・・どうして」

 取り乱した彼女をアレーナは氷の表情で見つめる。

「だからあなたに聞きたいんです。こんなことになって、どうしてあなたは前に進もうとすることができるんですか?」
「泣きたいから」

 フィオーナは顔を上げた。そして、表情が凍り付いた。
 アレーナ・フォン・ランディールの眼には涙が溜まっていた。

「すべてを終わらせて、全部を片付けて、思いっきり泣きたいから」
「・・・・・・・」
「そのためには嫌な事、終わらせなくちゃいけないから」
「・・・・・・・」
「フィオーナ、ごめん。不器用だからこんな言い方しかできない」

 かすれた声で、涙を目の中にためながらも、鋼鉄の意志でそれを流すことをしなかった。アレーナはフィオーナから顔をそむけた。そしてそのままの姿勢で声を出し続けた。

「終わらせる、そのためにまた新しい悲しみが出てくるとしても、今を耐え続けることはできない」
「・・・・・・・」
「すぐに、とは言わないけれど、でも、できるなら――」
「わかりました」

 アレーナはフィオーナを見た。

「私、やります」
「フィオーナ」
「私こそ、ごめんなさい。アレーナさんがその覚悟なら、私も同じです。今泣いたってどうにもならない。だったら、全て終わらせてから泣きたいです」

 アレーナはフィオーナの手を両手で握りしめた。

「ありがとう、フィオーナ。本当に・・・・ありがとう」

 アレーナが出て言った後、フィオーナは一人、部屋の外の漆黒の宇宙を眺めた。遥か彼方に光るサファイア色の星系に思いをはせて。

「・・・・教官見ていてください」

 フィオーナはイルーナに語り掛けた。彼女は知っている。ローレライの歌は強大な精神力と気力を求められるものだ。まして相手がシャロンである以上、こちらも死ぬ覚悟で歌わなくてはならない。

 けれど――。

「私、必ず、歌いきって見せます。あなたに教わった旋律を、私は心を込めて歌います」

 決意を秘めた声とオーラが部屋の中に満ちた。

* * * * *
準備は進められている――。

 ヘルヴォールをカスタマイズするなんて、とヴェラ・ニール艦長が生きていればぼやいただろうが、最大エコーをフィオーナの歌声そのままに発信するために、艦の全機能をシールド効率強化と歌声のクリアな放射を行うべく、改装が行われていた。

 合わせて歌声を中継し、増幅して発信するための特務艦がいくつも建造され、合わせて再編した各艦隊に付属されることとなった。

 歌い手集めを任されることとなったフィオーナは、各艦隊を回って歌い手をテストすることに追われた。彼女の発するオーラとリンクすることができる人間を集めるのは並大抵のことではない。単に歌が上手いという事では駄目なのだ。波動をリンクさせ、それを増幅して相手にぶつけなければ、意味をなさないのである。

 何人集めるのか、という問いを受けた時、フィオーナは難しい顔で考えていたが、

「百人・・・・」
「ひゃく、ですか?!」

 サビーネは眼を見開いた。歌い手が多く必要なのは分かったが、提督と同じ「オーラ」とやらを発する人間を百人も集めるなど、できるのだろうか。
 しかも、先の大敗北のせいで将兵の数が決定的に不足しているというこの状況下で。現在のローエングラム陣営においては、もはや自由惑星同盟のシャロンに対してまともに挑むだけの戦力も残っていない。ダイアナ・シャティヨン・シルヴィナ・アーガイル上級大将の10万余隻の増援を得たといっても、自由惑星同盟に存在する艦艇はおよそ数十万隻。勝負にもならない。
 数で劣る帝国軍側としては奇策をもってシャロンを打ち破らなくてはならなかった。それが「ローレライの歌」なのである。

「やってみなくてはわからないわ。けれど、やらなければならない。そうでないと皆を解放することはできないのだから」

 フィオーナはサビーネに強い決意の眼差しと共にそう言った。

 他方、ラインハルト以下帝国軍首脳陣、各提督たちも艦隊整備及び再編に余念がない。ブライウング・ローレライ作戦の命題は、歌い手であるフィオーナを守ることである。そしてそのためにはどんなことをしてもフィオーナの搭乗するヘルヴォールを守り切ることが課題だった。

「帝国各地から稼働可能な移動要塞を集めるだけ集めろ」

 という指令がラインハルトから後方の帝都にいるケスラーたちに飛んだ。帝国領内の要塞は、元々移動式ではなかったが、ラインハルトらローエングラム陣営が自由惑星同盟領に侵攻するにあたって補給と補充の機能を持ち込むために再開発を行っていた。
だから、レンテンベルク、ガルミッシュを始めとする各要塞は軒並みその機能を有していた。このうち、ラインハルトは対反勢力用としての抑え以外の要塞をすべてフェザーン、イゼルローン回廊方面に集結させることを決めた。
 さらに、自由惑星同盟が保有する数十万隻の艦艇に対する対策も行わなくてはならない。

「特攻兵器として体当たり攻撃を行おうとするのであれば、それを無力化するだけの事です」

 キルヒアイスが提案したプランを聞いた諸提督は一様に驚きを示した。

「なぜこんな簡単なことに気が付かなかったのだろう」
「いや、まるでコロンブスの卵ですな」

 などと、諸提督は感心しきりだった。しかし――。

「自由惑星同盟の数十万隻の艦艇を無力化できたとして、あのシャロンとやらが放つ禍々しい閃光にどう対処するか」

 という最大の課題は解決できていない。これについては転生者であるアレーナ以下も「打つ手なし」といった結論を下していた。

「一発の威力が凄まじすぎるのよ。あれに対抗できるオーラを放つことができるのは、ティアナ、私、フィオーナくらいかな。それも数発が限度。けれどシャロンは無尽蔵にそれを撃ってくるわよ」

 という、アレーナの言葉によってこの課題に対する対抗策を打ち立てる努力をラインハルトたちは捨てた。しかし「ローレライの歌」さえその威力を発揮すれば、シャロンのオーラを無力化できるのだから、この心配をしていても始まらないだろう。

* * * * *

「閣下、少しお顔の色が優れないように思います。どうかお休みください。宇宙には閣下が必要です」

 激務がようやく一区切りついて部屋に戻ったラインハルトはエミール少年から声をかけられた。ヴァーミリオン星域直前、たまたま廊下で敬礼をささげる彼を認めて、その態度から彼を従卒としてそばに仕えさせたのである。

「そうか、私はそんなに疲れた顔をしているか」
「はい、とても」
「お前に心配されるようでは彼奴に勝つことはできぬであろうな」

 ラインハルトは寝間着に着かえ、ベッドに入ると、上半身を起こし、エミール少年の持ってきた紅茶に口を付けた。

「心配は無用だ。今夜はお前の助言を聞き入れて休むことにしよう。お前も下がって休むがいい」

 ラインハルトはエミール少年を見た。彼は眼を細めた。不安そうな瞳を認めたのだ。

「そんな顔をするな、大丈夫だ。最後に勝つのはこの私だ。彼奴がどのような存在であろうと我が軍はそれに対する策を講じるだけだ」
「はい、閣下。心からご武運を。そして閣下の御身に勝利があらんことをお祈り申し上げます」
「いや、エミール。それでは依怙贔屓というものだ。私だけではない。此度の作戦に参加する全員、いや、彼奴に抗する人類すべての上に勝利があらんことを願ってくれ」
「はい」

 ラインハルトがうなずくと、エミール少年は一礼して茶器を片付けて退出した。ラインハルトはベッドに横たわった。少し熱があることを彼は自覚していた。これまで駆け抜けてきた中で初めてだった。

(考えてみると、そう、熱が出たのは少年時代の頃だったか、姉上が買い物で不在で、イルーナ姉上に看病してもらったかな)

 ラインハルトはそんなことを思いながら眼を閉じた。


* * * * *

 激務の合間を縫って、アレーナは帝都の留守を守っているヴァリエから報告を受けていた。後方における危機排除はもともとアレーナの所管であり、幾重にも手をうっているが、それでも不安が残っていた。

『・・・・以上が報告です。現在までのところ、ゼークト、ブリュッヘル、シュターデン以下の残存部隊の発見はできていません』
「正確に言えば、一度はその尻尾をつかんだのよね」
『はい』

 ヴァリエはディスプレイ越しで悔しそうな顔をしながら言った。一度、というのはフィオーナがブラウンシュヴァイク公爵討伐を終えた時期のやや後になる。ゼークト、ブリュッヘル、シュターデン一派が、ティディス伯爵領内に潜伏していることを知ったヴァリエは、ダイアナ・フォン・アーガイルと相談協議して演習中だった彼女の麾下の艦隊を派遣して強襲した。もちろんラインハルト、イルーナに相談し、許可を取った上での事である。
 極秘裏に事を進めた電撃的な作戦だったが、どうしたことかシュターデン、ブリュッヘル、ゼークトは姿を消していた。かろうじてフォーゲル、エルラッハ両名の艦隊を捕捉、撃滅することに成功したが、彼らはことごとく爆沈してしまったので、詳細を聞き出そうにもできなかった。
ティディス伯爵が旧リッテンハイム侯爵派閥の残党であることが判明したのは、つい最近である。彼はリッテンハイム、ブラウンシュヴァイク両派閥にも加わっていない数少ない貴族家の一員だったので、アレーナたちは彼の存在を見逃していた。

「考えたくはないけれど、私たちの中に内通者がいるんじゃない?」

 ヴァリエの顔が信じられないというように引きつった。

「それ以外に考えられないのよ。だって、あの強襲作戦、ローエングラム陣営の主だった提督にすら伝えていない極秘事項なのよ」
『では、一体誰が――』

 そこまで言いかけたヴァリエがはっとした眼をした。

『まさかと思いますけれど、この事象についてもシャロンと繋がっているとお考えですか?』
「そう考える方が筋があっていると思う。たとえ、転生者であったとしても、ヴァリエ、油断は禁物よ。自分以外の者がすべて敵であるかのようにもう一度洗いなおして」
『・・・それは、あなたに対しても、ですか?閣下』

 アレーナは屈託無げな表情から一転、闘志を秘めた冷笑を浮かべた。

「そうよ。そのつもりで調べ上げなさい、ヴァリエ」
『主席聖将のこと、無念です。その復讐の対象の一端が、私たちの中にいるという事は考えるだけで吐き気がしますが、もしそうなった場合、私が真っ先にその者を討ち取ることを明言させてください』

 そう言うと、ヴァリエは通信を切った。
帝国暦488年9月23日0900――。

 ラインハルトはブリュンヒルトに搭乗し、彼の席の前に立った。背後にはキルヒアイス、幕僚総監としてレイン・フェリル、特別幕僚ヒルダ、そして副官のリュッケらが立つ。
 キルヒアイスはその後別艦隊を率いることになっていたが、この時はラインハルトのそばにいたいと願い、ラインハルトもまたそれを欲していたのである。

「戦いに先立って、卿等に告げておきたいことがある。通信はどうか?」
「準備完了しています」

 ベルトラム艦長の指示で、部下の一人がラインハルトに通信機を渡す。

「戦いはなおこれからである!!」

 ラインハルトの朗々とした声が全宙域に放たれた。

「過日我々は、自由惑星同盟に敗北し、多くの僚友を失った。これはひとえに敵の実力を顧みなかった私の責任である。しかし!!」

 ラインハルトのアイスブルーの瞳が艦橋を睨み渡した。そこに全将兵が佇立しているかのように。そして、一隅のディスプレイには、ヤン・ウェンリーが映っていた。

「我々は新しき友を得た。此度の戦いにおいては、もはや自由惑星同盟も帝国もない。我々が挑むのは人類の敵、すなわち我々を滅ぼさんとする敵に対しての生存をかけた戦いとなる。思想、信条、門地、そのような違いなど、存亡の前には些細なものである。今日、我々は敵を撃ち、新たなる出立をすることとなろう!!」

 ラインハルトの言葉は、数秒後、万雷の叫びとなって返ってきた。

『ジーク・アトミラール・ラインハルト!!ジーク・アトミラール・ヤン・ウェンリー!!』
『ジーク・アトミラール・ラインハルト!!ジーク・アトミラール・ヤン・ウェンリー!!』
「・・・・・・・・・・」

 ヤンはその叫びの木霊を聞きながら、唇を結んでいた。

「人類存亡の前には、か。ローエングラム公の言う事は正しい。だが、この戦いにケリがつけば、その先はどうなる・・・・」
「ヤン提督」

 振り向くと、アルフレートが立っていた。アルフレート、そしてカロリーネ皇女殿下はヤン・ウェンリーの旗艦ヒューベリオンに搭乗することとなっていた。ヤンとしては後方にいてもらった方がいいのではないかと思い、再三提案したのだが、アレーナ、そして二人自身からの申し出が強く、やむなく搭乗を許可した格好である。

「あなたはまだ、自由惑星同盟と、帝国という図式を思い描いていらっしゃるのですね」
「・・・・・・・」
「ですが、帝国は変わると思いますよ。提督が想っていらっしゃる民主主義についても帝国は受け入れると思います。時間をかけて、ですが」
「今はカザリン・ケートヘン女帝が即位しているし、もしかするとローエングラム公自身が即位するかもしれないという未来もあり得るだろう?」
「はい。ですが、立憲君主制という未来もあり得ると思います」
「・・・・・・!」
「ヤン提督、それを成しえるかどうかはまだわかりませんが、少なくとも僕・・・自分、そしてカロリーネ皇女殿下は帝国と同盟とが共存できる関係を探っています。提督もお考え下さい。争いを前提とするのではなく、争わない事を前提として、未来を切り開く方法を」
「君は変わっているなぁ」

 ヤンはそう言っただけだったが、先ほどまでの陰のある表情は綺麗に消えていた。

「あぁ、そうだね。そして今は、この戦いを乗り切ることだけを考えよう。でも、君たちの言う未来とやらの構図、楽しみにしているよ。むろん私も考えるさ」

 ヤンはそれだけ言うと、ゴロンとテーブルに寝転がろうとして・・・やめた。ソファーではない事を思い出したようだった。

* * * * *

 決戦である。
決戦に向かう銀河帝国・自由惑星同盟連合軍の主な陣容は以下のとおりである。

 先陣として
 ヴォルグガング・ミッターマイヤー艦隊1万5000余隻
 次鋒として
 ティアナ・フォン・ローメルド艦隊1万5000余隻
 そして、第三陣として
 ダイアナ・シャティヨン・シルヴィナ・アーガイル艦隊10万余隻
 内訳として
 第一陣
 シュリル・レーテマン中将8500余隻
 コリン・フォン・ハルテンベルク中将8500余隻
 第二陣
 ミュッツェル・ライトハウサー大将1万余隻
 第三陣
 ダイアナ直卒艦隊3万余隻
 第四陣
 ニーナハルト・フォン・レインディア大将1万余隻
 予備部隊大小
 計33000余隻
 
 右翼エルンスト・フォン・アイゼナッハ艦隊1万5000余隻
 左翼コルネリアス・ルッツ艦隊1万5000余隻(ケンプ、メックリンガー残存艦隊を臨時に指揮下に編入)
 本隊として
 ラインハルト・フォン・ローエングラムの指揮する直属艦隊2万余隻(イルーナ・フォン・ヴァンクラフト艦隊残存艦隊を臨時に指揮下に編入。)
 

 これらはすべて囮であり、敢えてシャロンの前に立ちはだかる部隊だった。ラインハルトは艦隊そのものを囮として、ローレライの歌が発動された後、一気に決戦を挑むつもりでいたのである。
 
 そのブライウング・ローレライ作戦の要役であるフィオーナ艦隊1万余隻はミュラー艦隊1万6500余隻及びキルヒアイス・アレーナ連合艦隊5万余隻に守られ、ローエングラム本隊の後方につく。
 さらに、共闘する自由惑星同盟のヤン・ウェンリー及びコーデリア・シンフォニーの艦隊2万余隻、そしてヤンの麾下に臨時に配属された転生者であるジェシカ・ミルワーズ中将の艦隊1万余隻は遊軍として全軍を俯瞰できる位置に臨んでいる。
 彼女は燃える様な深紅の赤毛を肩まで伸ばした理知的な女性であったが、ヤンとあった際に、開口一番、

「ある意味同じジェシカ同士でごめんなさい」

 と言ったことにヤン艦隊の面々はくすくす笑い、ヤンが何とも言えない顔をして彼女を見たというエピソードがあった。グリーンヒル大尉は一瞬はっとした顔でヤンを見た後、何故か安堵した表情を浮かべていた。

 全作戦部隊が出立する直前、フィオーナとティアナはイゼルローン要塞の軍港の一角にいた。

 そこには菖蒲色の気品のある一隻の艦が係留されている。イルーナ・フォン・ヴァンクラフトの旗艦、ヴァルキュリアだ。
 主を失った艦はもう二度と、飛翔することはない。それは原作におけるキルヒアイス亡き後の旗艦バルバロッサ、そしてラインハルト亡き後のブリュンヒルトと同じである。
 そして、その艦の前に佇む一人の女性指揮官の姿があった。
その姿はヴェラ・ニールそっくりだった。
彼女は、二人に気が付くと、振り向いて敬礼をささげたが、構わずに二人は彼女をはさんで隣に立った。
しばらくは三人とも無言だったが、フィオーナが不意にぽつりと、

「教官が生きていらっしゃったら・・・・・」
「教官、ですか?」
「女性士官学校では数期上だったけれど、あの方は私にとって師であったから」

 怪訝そうな顔をするジル・ニールにフィオーナは穏やかに答えた。前世のことは口にしなかった。フィオーナの顔に悲しみがにじみ出た。

「ヴェラのことは――」
「いいんです」

 ジルは手短にフィオーナの言葉を遮断した。

「今、そのことを言わないでください。お願いします。すべて吐き出すのは、全てが終わってから。でも、一つだけ」

 ジルは息を吸って、眼を閉じた。

「妹から元帥閣下のことはよく聞かされていました。その時妹は本当に幸せそうな顔をしていました。不思議ですね、艦長になって今までよりも激務になったはずなのに、艦長になってから妹が作るお菓子は今までよりもずっと、本当においしかったんです。本当に・・・・」
「・・・・・・・・」
「私、この戦役が終わったら軍をやめて故郷に帰ります。妹の夢だったパティシエを継いで妹と寄り添いたいと思っています」
「・・・・・・・・」
「ですが、それまでは新艦長として精一杯やらせていただきます。よろしくお願いします」

双子の姉でイルーナの旗艦ヴァルキュリアの艦長だったジル・ニールは重傷を負ったが、妹の職を継いでヘルヴォールの新艦長になったのである。
 眼を閉じたにもかかわらず、彼女の眼から一筋の涙がすっと零れ落ちた。それでも声は最後まで震えを見せていなかった。

「すべてが終わったら、あなたの作ったお菓子を食べさせてください。こちらこそよろしくお願いします」

 フィオーナはそう言い、彼女の手を握った。

「フィオ」

 ティアナがフィオーナに話しかけた。

「敵の攻撃はあなたを狙うけれど、絶対に最後まであなたを守り抜くわ」

そういってティアナは不意に笑みを見せた。フィオーナが不思議そうな顔をすると、

「私は攻撃することしか知らないし、今までもそうして闘ってきたけれど、今回は守りに徹するなんてね、まるであなたの十八番を奪うような感じがして」
「ティアナに守ってもらえるなら私は安心して歌えるもの」
「ええ」

 ティアナは拳をさしだした。フィオーナは軽く拳を合わせた。前世から重大な場面で、二人がやる儀式のような物だった。二人の間にもう言葉はいらなかった。
 ティアナは軽くフィオーナの肩を叩くとそのまま背を向けてフレイヤが係留されている方角に向かっていった。ヘルヴォールの隣にフレイヤは係留されている。
 イゼルローン要塞の軍港から次々と準備を終えた艦が飛び立っていく。遠ざかっていく親友の後姿をフィオーナは艦が起こす風に吹かれながら見送っていた。

 一人、とフィオーナは胸の中でつぶやいた。前日束の間ミュラーと別れを惜しんだ時もそうだった。誰しもが普段通りに振る舞い、そして誰しもが明日また会うのだから、という調子で去っていった。

 本当に幾人が生き残れるのだろう。

 新艦長はじっと自分にとって新しい艦となるヘルヴォールを見つめている。そのひたむきな視線を捉えた時、フィオーナの中から迷いは消えた。

「行きましょう、艦長」

 声をかけると、新艦長は小さく、けれどしっかりとうなずいた。


 
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