| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

fate/vacant zero

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

軋んだ想い





 最近、同じような夢ばかり見る。



 朝、ベッドで目を覚まし。

 着慣れた制服ブレザーに、手早く着替え。

 階下に降りて、歯を磨き。

 リビングで、両親におはよう。


 ニュースを流すテレビを横目に、和食な朝飯を口にする。

 ゆっくりと食べ終え、時間に気付き。

 自室に戻り、鞄を片手にUターン。


 玄関に降りて、靴を履いて。

 行ってきますで、『目が覚める』。



 そんな夢から――





 ――覚めた朝。



 ぼやけた視界の捉える見慣れ始めた天井と、片腕に感じる軽い重みに、失意と安堵を天秤で吊りあわせ。

 "重み"の原因である、視界の下の方に転がるハネ気味の空色を揺り動かし。


 もぞもと動く寝ぼけた眼まなこに、挨拶して。

 ふにゃけて返されるおはように、至福と劣情を掻きたてられながら、全力で自制する。



 ここ、タバサのベッドで才人が寝起きするようになって、3度目の朝の一時ひとときである。



 たった3度ですっかり自制に手馴れてしまっている辺り、どういう適応力をしているのかこの男は。







Fate/vacant Zero

第二十四章 軋きしんだ想いココロ







 ことは過日の昼下がり。

 授業を終えて『風』の塔から現れたタバサが、ヴェストリの広場、その隅の風呂釜を前にして座り込んでいる才人を発見した時まで遡る。



 ここ一週間ほどの日課となりつつある"授業"の"生徒"を発見したタバサは、迷いなく本塔へと続く廊下から逸れた。

 そして、いつものように彼に"授業"の誘いを掛けた。


 ところが、いつもならそこで一も二もなく乗り気になるはずの彼は、

「悪い、今日はそんな気分じゃねえんだ」

 と、やけに落ち込んだ様子で誘いを断ってしまったのだが。


 様子が気になり、なぜと理由を訊ねてみれば。

「俺が、土竜モグラだからだ。
 情けない、しがない、惨みじめな土竜モグラだからだ」


 まったく要領を得ない答えが返ってきた。

 何やら強そうな土竜とやらについても気に掛かったが、彼が異常に卑屈になっているのもそれに輪をかけて気になる。


 ルイズと何かあったんだろうか。

 訊ねてみると、どうやらメイドと二人してベッドに倒れこんだところを目撃したルイズによって、使い魔をクビにされたらしい。



「あなたは」


 目立つ問題点から指摘してみよう。



「ギーシュと同じ?」

「……なにがだよ?」


 お前は何を言っているんだ、と顔で語られた気がする。

 どうして彼は、この手のことにこれほど疎いのだろう。

 恋愛小説の類を読ませてみた方がいいのだろうか。


 いや、わたしが少し遠回しすぎたのかもしれない。

 反省。


 もう少し、まっすぐ訊ねてみよう。



「浮気性」


 彼の膝と手のひらが、がくっと地に落ちた。

 いま、何か間違ったこと言った?



「……あのな。だから、俺とシエスタはそういうのじゃねえんだって。
 ただ単にシエスタが暴走しかけたのを止めただけだっつうに。

 ていうか、ルイズはただの主人で俺はその使い魔っていやクビんなったけどさ!」


 最後の方はやけっぱちになりながら彼が反論したので、それならそういう事にしておこうと思う。

 でも、ルイズはそういう結論を出した、というのは多分間違いないはず。



「ないない。自分で言ってたけど、あいつが怒ったのは平民が自分のベッドの上でそういうコトに及ぼうとしていたって勘違いしたからだぜ?」


 ルイズは、どうやらいつもの判り易い照れ隠しを使ったらしい。

 長くも短くもない付き合いだけれど、それぐらいは流石に分かる。



「ともかく、だ。そんなわけで部屋から追い出されちまってな。

 行くとこも、帰るあてもねえし。
 とりあえず幕舎テントでもつくらねえと、夜に風邪引いちまうだろ」


 いくら初夏が近いとは言っても、夜にその身一つで野宿なんてしてたら風邪をひくくらいでは済まないと思う。


 楽天家な彼の足元には、長めの木の枝や古びた大きな布、藁束などが転がっている。

 よく見れば、両腕も生傷だらけだった。既に何度か、建設に失敗しているらしい。


 ――うん。



「なら、わたしの部屋にくればいい」


 そんな努力の痕を目にしたわたしの口は、反射的にそう口走っていた。

 彼の目と口が点になった。面白い顔。


 そのまま待つこと10秒。彼は動かない。


 さらに待つこと20秒。彼は、動かない。


 待つこと30秒。それでも彼は動かない。


 40秒。一向に動かない彼の服の端を掴んでみる。反応ナシ。

 くいくい引っ張ってみたら、合わせて体が揺れた。

 目の焦点が合っていない。呆然と形容できる表情。


 今度は手を取ってみる。やっぱり反応がない。

 そのまま後ろへ下がってみたら、歩いてはくれた。


 でも、相変わらず目の焦点は合っていない。



 ……時間が勿体無い。



「緊急避難」


 という名目で、実力行使。

 彼の手を引き『飛行フライ』を唱え、わたしたち・・はヴェストリの広場を後にする。


 途中、地上を歩いていた何人かの生徒がこちらを見上げていた気がするけど、気にしない。

 早く授業を始めたかったから、これは仕方のないこと。

 以上、自己弁護終わり。


 なにも、問題は、ない。





 タバサは今なんと言った?

 『なら私の部屋に来ればいい』?


 んでもって、話の流れは何だった?

 部屋も行くとこも帰るあてもないからテント建てるって言ったんだったか?


 ならつまりタバサの言葉はどーいう意味になるんだ?



 『寝床がない』+『自分の部屋に来るといい』=『泊めてあげる』。



 なるほどそいつは名案だ。


 タバサの部屋には一週間の"授業"ですっかり慣れたしな。

 ルイズの部屋とを行き来する必要もなくなってるんだし、一石二鳥――











「じゃねえちょっと待てってもう着いてるー!?」



 自分はまだ広場にいると思っていたが、よく見渡さなくてもそこはタバサの部屋だった。

 タバサはいつの間にか椅子に座って本を広げて、『準備おk』と言わんばかりに期待の眼差しを俺の顔に照射してるし。


 それはもう穴が空きそうなくらい。額とか胃とかに。



 促す視線から逃れる術を持たない俺は、すごすごといつものように、その隣に立った。

 まあ、後で寝床用の藁束を持ってくりゃ問題ないよな、と。


 部屋に泊まること自体は既に断るのを諦めていた才人だった。











 甘かった。

 元の世界で学友だった少女が好んで食していた、練乳ワッフル並に甘かった。


 風呂のついでに馬小屋から拝借してきた藁束は、つむじ風によって無常にも一本残さず空へと散った。

 つむじ風を起こした張本人の少女は、一緒にベッドで眠ればいいと言い。

 それはまずかろう、と反論を試みるも、



「あなたのことは信用している」

「裸で一緒のお風呂に入っても問題なかった」

「だから同じベッドで眠るくらい、どうということは、ない」


 なんぞと超理論をかましてくださいました。

 まあ、トドメになったのは、


「一緒に居ると、安心」


 の一言と縋るような眼差しだったんだけど。



 初日は当然ながらさっぱり寝付けなかった。

 タバサが説得の時にいらんことを思い出させてくれたお蔭だろう。



 一緒に風呂に入った、好みのタイプの女の子が、安心できるという理由で、一緒に寝て欲しいとおねだり(脳内補完)してきた。



 ……生殺しってレベルじゃねえぞ。



 だもんで真夜中、タバサが寝言で「父さま、母さま」と呟き、涙の雫を溢しながら抱きしめてきた時。

 その安らかな顔を見るまで、自制の糸が張り詰めすぎてて眠れやしなかった。





 ……聞くのも野暮かと思って訊ねてないんだが、タバサの家庭の事情ってどうなってんだろうな。


 そういえばフーケのゴーレムと戦う前ぐらいの頃、タバサが変な時間に学院から居なくなってたことがあった気がするんだけど。

 あれって、実家に帰省してたんだろうか?



 なんて考えていたら、かつかつと窓が叩かれる音がした。

 ああ、やってきやがったか最大のサプライズ。





「きゅいきゅい」



 窓の外。

 ばさばさと滞空するシルフィードが、四本の爪を器用に使って窓を外へと開いていく。


 窓の鍵は掛けていない。

 以前に一度、鍵を掛けて眠って朝起きたら、シルフィードの首が窓からにょっきり生えていたことがあったらしい。

 閉まったままの窓を、周りの壁ごと扉まで吹っ飛ばして。


 朝っぱらから苦手な『土』の魔法で修理をするハメになって、それ以来カギは掛けないことにしたんだとか。

 そんなお間抜けな風竜、シルフィードは、今日も元気に開いた窓から首を突っ込んで、


「きゅいきゅい、おねーさま、おにーさま! おはようなのね!」


 人の言葉で挨拶してきた。

 初日は驚いたものの、三日目にもなればもう慣れたもんだ。



「おう、おはようシルフィ」

「……おはよう」


 いつものようにそう返す。

 いや、いつもって言うほどは日が経ってないけど。


 ていうか俺、初日の朝にいきなり喋られた時もそれほど驚かなかったしな。

 『おお、竜って喋るんだな』って普通に流した覚えがある。

 好奇心は動かされたけど。


 ……なんか俺、こっちに来てから感覚が麻痺してんのかね?



 なんでもシルフィードは、風竜の中でも珍しい"知恵のドラゴン"とやらの『眷属』である風韻竜だそうで、会話は常識、魔法も軽々使いこなすんだそうな。

 ちなみに齢は200ぐらい、吐息ブレスは冷気を帯びているらしい。


 ファンタジーここに極まれりだな。



 あと、なんで俺の呼び名がお兄さまなのかというと。



「お姉さまのツガイなんでしょ? だったらお兄さまなのね! きゅい!」


 だそうだ。



 ツガイっておま、とか。

 そもそも俺とタバサはまだそんな関係じゃねえぞ、とか。


 色々とツッコミどころはあるものの。

 まあ別に悪い気はしないし、タバサも何も言わなかったからほっといた。



 なお、これらは一昨日と昨日の朝の実験の後、軽く雑談してみた時にシルフィード本人から聞いたんだが。

 きゅいきゅいきゃいきゃいと、よくもまあ舌が回ること回ること。

 とてもとても楽しそうに、デルフやシェルを加えてさらに倍ぐらいの勢いでマシンガントークをかましてくれました。


 フレンドリーだなドラゴン。

 確かにファンタジーだが、こんなんでいいのか伝説?





 伝説の使い魔平賀才人、伝説の剣デルフリンガー、伝説のドラゴンシルフィード。

 なんかもう空気すら伝説になりそうなほど伝説が密集した部屋の中、いつか伝説になるかもしれないいつもの日常が、今日も今日とて幕を開けていく。







 ちょうどその頃、二階下の部屋の中では。

 昨夜も眠れぬ夜を越したルイズが、日差しの注がれる被った布団の中で身じろぎしていた。


 ルイズは才人を放り出して以来、「気分が悪い」と授業を休み、日がな一日こうやって布団を被っている。

 ぶつぶつ呟く声を拡声器に掛ければ、「だいっきらい」「バカ」「守るって言ったクセに」と聞こえただろう。

 そしてそれらを口に出すたびに、胸の辺りをずきりと軋ませる。


 なんで、と心が叫びを上げる。



 目を部屋の片隅に向ければ、才人の使っていた藁束が散らばっている。

 それを目にする度に胸が痛くなるので、最初はソレを捨てようとした。


 杖を手に、『失敗の魔法』で吹き飛ばそうとした。

 だが、呪文を完成させることが出来なかった。


 窓の傍まで持っていって、投げ捨てようとした。

 けれど、いざ投げ捨てようとすると、腕には力が入らなかった。


 そんなわけで、捨ててしまいたかった藁束は、部屋の隅に置きっぱなしになり。

 それを目にしないよう、ルイズは布団を被って丸くなって。

 目覚める度にそれを目にして、胸を痛める悪循環。



 まあ、要するに。

 ルイズは才人のことで頭が一杯、というと語弊があるようでない状態に陥っていた。







 ふぅ、と溜め息を軽く吐いて、キュルケはその扉を見つめている。

 昨日、一昨日おとついと目の前の部屋の主が姿を見せなかった。

 それでいて、その使い魔のサイトは、何食わぬ顔で午後の授業を受けている。


 加えて、一週間ほど前から陰で囁かれはじめた、タバサに男が出来たっていう噂。

 おまけに昨日、昼の授業のあとでこっそり部屋を覗いてみたら、普通にサイトがそこにいた。



「……まさか、こんな結果になるなんてね。
 ヴァリエールの嫉妬深さを甘く見すぎてたかしら」


 自分としては、例のメイドとサイトの距離を縮めさせないのが目的だったのだ。

 それだというのに蓋を開けてみれば、応援しけしかけてみようと思ったルイズは部屋に閉じこもり、サイトは再び厨房へ通い始め、タバサの部屋で寝泊りするようになってしまった。


 最後はともかく、それ以外はいただけないにも程がある。

 そもそも、使い魔を追い出して困るのはほかならぬルイズだろうに何をやっているのか、と。


 何がどうしてこんなことになったのかを確かめるため、まずは目の前の扉を叩く。

 3秒待つ。



 返事がないので、強行突入。


 杖よし、呪文よし、精神力よし。

 『鍵空けアンロック』を唱えた。



 ……なぜか、手ごたえが無かった。


 もしや、とドアノブを掴んで軽く捻ってみると、抵抗もなくかちゃりと音を立てる。

 鍵が掛かってなかったらしい。

 無用心さに呆れながら、ドアを押し開いて侵入すると。




「トレイはそこのテーブルに置いて。すぐ出て行きなさい」



 そんなわけのわからない、やたら怒りの詰まった、くぐもったルイズの声が飛んできた。

 部屋の奥を見やれば、ベッドの毛布がぷっくり膨らんでいる。


 そこね。



「人違いよ、お邪魔するわ」

「だから出て――ぇ?」


 ようやくこちらの正体に気付いたらしいルイズが、毛布の端から顔を見せた。

 唖然とした顔ににやりと笑い返し、既に動かしていた歩を進ませて、隙だらけのルイズから毛布を剥ぎ取る。


 毛布を遠くに押しやって、ネグリジェ姿で女の子座りしたルイズの隣、ベッドの上に腰を下ろす。



「……何しに来たのよ?」

「ご挨拶ね。あなたがずっと休んでたから、見にきてあげたんじゃないの。
 ダーリン、心配してたわよ?」


 嘘ではない。

 口にはしていなかったけど、昨日教室に入ってきたサイトは、ルイズの空いた席を見て溜め息ついてたから。


 サイトの名前を出した途端、ルイズはぷいと顔を逸らしてしまった。

 それ、どうみても拗ねた恋人の仕草だっていう自覚はあるのかしら?



「で? どーすんの、自分の使い魔を追い出しちゃって」


「そんなの、あんたに関係ないじゃない」

「あら、そう。
 じゃあ、ダーリンはあたしが貰うわね?」

「ッダメ、絶対ダメッ!」


「どうして?
 あなた、あたしが何してても関係ないんでしょ?」

「ダメったらダメ! あいつは、わたしの――」


 ルイズは、激昂したまま叫びを上げようとして、途中で声を詰まらせた。



「……わたしの……」


 顔を俯かせ、止まっていた涙をまたぽろぽろと溢しはじめるルイズ。

 思わず溜め息が漏れてしまったけど、これぐらいは許されてしかるべきだと思う。



「あなたが意地っ張りで、嫉妬深くて、高慢ちきなのは知ってたけど……、ここまで寛容さが足りないとは思わなかったわ。
 仲良く食事するくらい、許してあげなさいよ」


「それだけじゃ、ないもん。よりにもよって、わたしのベッドで……」



 え。



「抱き合ってたの?」


 こくりと、ルイズが頷いた。


 ……あらま。

 ご飯を持ってきた子を押し倒すなんて、サイトもやるわね。

 でも、なんだかサイトらしくないのはなんでかしら?



 ……後で訊いてみましょうか。

 とりあえずはルイズの誘導が先だけど。



「まあ、好きな男が他の女と自分のベッドの上で抱き合ってたら、ショックよねー」

「好きなんかじゃないわ! あんなの!
 ただ、貴族のベッドを――」

「御託や言い訳はいらないの。

 だいたい、貴族だ平民だー、でそんなに泣いてるだなんて、信じられると本気で思ってる?」


 もし本気ならさっきの悪口の中に"真正のおバカ"を追加しなくちゃいけないんだけど。



「――ぅ」


 意地だと自覚はあったのか、ルイズは口を噤つぐんでしまった。

 なんか大きな涙滴型の汗が見えた気がするのは……錯覚にしておきたいわね。



「好きじゃなかったら、追い出すほど怒ったりしないでしょ。
 ルイズ。あなた、サイトに何かアプローチはした?」


 返事は、顔を俯かせることでなされた。

 また溜め息が口から漏れた。雰囲気のせい、ということにしときましょうか。



「あなたってヘンな子ね、ルイズ。
 好きなそぶりも見せてあげない男のことで、一人で泣いたり怒ったり。
 そりゃ、他の子といちゃつきたくもなるってものよ?」


 女の涙は武器だけど、見せない涙はただの敗北宣言なのよ?


 ……あ、その意味だと武器になっちゃったのかしら。

 あたしに効かせてどうすんのよ、って言いたいけど。


 軽い頭痛を堪えながら、ベッドに降ろした腰を上げる。



「サイトは、あたしがなんとかしてあげる。
 あなたはその間に、頭を冷やしておきなさい。

 殴られたり、蹴られたり、追い出されたり……、今までどおりじゃ、サイトがなんだか可哀想だわ。
 彼は、あなたの奴隷じゃないのよ?」


 後ろは振り返らないで、ドアに向かいながら助言を残す。



「使い魔は、魔法使いメイジにとっての相棒パートナーよ。
 ……こんなこと、あなた自身が一番よくわかってたんじゃなくて?」


 背後、空気が震えるのを感じながら、部屋の外に出る。



 ルイズの方は、これでいいとして……、サイトの方はどうしようかしら。

 現状に満足しちゃってるみたいだから、何かしら対価でも持ち出さないとダメかしらね……ああ、もう、主従して面倒なんだから。



「なんであたしがこんなことしてるのかしら……」



 Ans.ルイズを気に入っているから。


 なんというかつくづく損な性格であるキュルケは、"対価"の候補を考えながら食堂へと向かった。



 とりあえず今日の授業をサボることを内定したのは余談だろう。













 『士爵サー』ヘンリ・ボーウッドは、己が生粋の軍人であることを自負する、アルビオン空軍の士官である。



 彼は先の内戦――聖邦復興同盟レコン・キスタが称するところの『革命戦争』の折、同盟側巡洋艦の艦長として参戦した。

 同内戦中の『レキシントンの戦い』において王党派の戦艦2隻を撃墜した功績が認められ、現在は『レキシントン』号の改装艤装主任を任されている。

 艤装主任は艤装終了後、そのまま艦長に就任するのが王立時代からのアルビオン空軍の伝統であり。

 神聖アルビオン共和国とその国名を変えても、その伝統は変わることがなかった。


 彼は近い内に、共和国空軍旗艦『レキシントン』号の艦長となりおおせるわけだ。


 自ら同盟に参加した多くの貴族たちから見れば、出世街道をひた走る彼の姿はさぞかし輝かしく映ったことだろう。



 だが、今まさに輝いているはずの彼の心情は暗かった。


 繰り返すが、ボーウッド士爵は己が生粋の軍人であることを自負している。

 彼にとって軍人とは物言わぬ剣であり、盾であり、祖国の忠実な番犬であった。

 番犬は政治に関与するべきではないという意志を、彼は強く持っていた。


 それが為に、上官の艦隊司令が叛乱軍・・・側についた際、やむなく叛乱軍側の艦長として参加してしまったのだが――



「なんとも大きく、頼もしい艦ふねではないか。
 このような艦を与えられたら、世界を自由に出来るような、そんな気分にならんかね? 艤装主任」

「……我が身には、余りある光栄ですな」


 その叛乱軍の頭は、今まさに改装中の……否、偽・装中の『ロイヤル・ソヴリン』号を視察に訪れた、目と鼻の先に居るこの男。


 祖国が共和国へと名を変えさせられたその日の内に、国中から徴兵を行った愚者。

 供のものを引き連れ、僧籍に身を置く者でありながらもアルビオンの"皇帝"などと僭称する俗物、オリヴァー・クロムウェルであったのだ。



 ……自分は番犬であっても、貴族であることを辞めた覚えはなかった。

 高貴なものの義務を体現するべく努力を怠らぬ、誇りある番犬であったはずだった。


 それがこのような簒奪者を、貴族が守るべき民草すらも戦争へと駆り立てるような愚物を、祖国に君臨させてしまうことになろうとは。



 今となっては遅いことだが、あの日、自分が力尽くでも上官を止めておけば。

 この艦フネさえ墜としていれば、こうはならなかったのではないかと思うことがある。


 一介の巡洋艦艦長に過ぎない自分に、そのようなことが出来るはずはないと分かっていても。

 思わざるを、得ないのだ。



「見たまえ、あの大砲を! 余のきみへの信頼を象徴する、新兵器だ」


 褪めた視線の先で簒奪者クロムウェルが、舷側から突き出る今回の急な艤装の原因を指差す。



「アルビオン中の錬金魔術師を集めて鋳造された、長砲身の大砲だ! 設計士の計算では……」

「トリステインやゲルマニアの戦列艦が装備するカノン砲の射程の、おおよそ1.5倍の射程を有します」


 クロムウェルの傍に控えた、まだ少女といっても差し支えのなさそうな年若い女が答えた。



「そうだな、ミス・シェフィールド」


 シェフィールドと呼ばれたその女性を、さっと眺めてみる。


 口元に緩ゆるい笑みを浮かべ、濡れ烏の如く長い黒髪を無造作に垂らした姿が、どうにも印象的だ。

 髪の色からして、どうやらアルビオンの者ではないようである。


 服装は……、なんだろうか、このアンバランスさは。


 理知的な印象を与える、詰襟の白いシャツと、細くぴったりとした煤色の背広。

 そこに幼げな印象を与える、首元のネイビーブルーのリボンと、腰下を覆う白と浅葱の格子模様が入ったミニのフレアースカート。


 そして何より気になったのは、簒奪者クロムウェルの側近としてこの場を訪れているにも拘かかわらず、マントを羽織っていないこと。



 ……貴族メイジではないのか?



 疑問を脳裏に過ぎらせた時、肩の辺りをパシパシと叩かれた。

 見れば、簒奪者クロムウェルが何やら満足そうな笑みを浮かべている。


 いかん、どうやらいつの間にか見入ってしまっていたらしい。



「彼女は、東方ロバ・アル・カリイエからやってきたのだ。
 この大砲を設計したのも、彼女でな。
 彼女は未知の技術を……、我々の技術とは異なる、新たな技術を知っている。
 きみも"ともだち"になるといい、艤装主任」


 そうですか、と適当に頷く。

 この男に向ける礼など持ち合わせてはいない。



「『ロイヤル・ソヴリン』号に敵う艦は、ハルケギニアのどこにも存在しなくなりますな」

「ミスタ・ボーウッド。アルビオンにはもう、『王権ロイヤル・ソヴリン』は存在しないよ?」


 苦笑しながら簒奪者クロムウェルがそう言ったことで、自分が何を口走っていたかに気付いた。

 どうやら、自分の中ではこの国は未だ、王国であるらしい。



「……そうでしたな。
 しかしながら、たかだか結婚式の出席のために新型の大砲を積んでいくなど、下品な示威行為と取られますぞ」


 話題をそらす。


 約半月後に控えたトリステイン王女とゲルマニア皇帝の結婚式に、初代神聖皇帝兼貴族議会議長の簒奪者クロムウェルや、議会の閣僚たちは国賓として出席する。

 その際に連中が乗艦するのが、この『ロイヤル・ソヴリン』号――内心だけでも言い張ってやる――なのだ。腹立たしいことに。


 だいたい親善訪問に新型の武装を積んでいくなど、この男の品性はどこまで腐っているのか。



「ああ、そうか。きみには、親善訪問の『概要』を説明していなかったな」


 この男が言う概要とは、陰謀の概要を指す。

 時ここに至るまでに何度もその『概要』を聞かされていた自分は、それをよく理解していた。



「また、何かあるので?」

「ああ。耳を貸すといい」


 簒奪者は自分の耳に口を寄せると、一言、二言。


 ――とんでもないことを呟いてくれた。



 その呟きを理解した時、耳を疑い、次に自分の意識を疑い、さらに現うつつを疑った上で、最後にこの男の正気を疑った。



「――バカな。そのような破廉恥な行為、見たことも聞いたこともありませぬぞ」

「見たことも聞いたこともないからこそ、奇襲というものは成立するのだ。軍事行動の一環だよ」


 顔色も変えずにしれっとそう答えた簒奪者に、脳裏のどこかで、これまで堪えていたものが音を立てて千切れた。



「トリステインとは、不可侵条約を結んだばかりではありませんか!
 このアルビオンの長い歴史の中に、他国との条約を破り捨てた過去はない!」


「ミスタ・ボーウッド、それ以上の政治批判は許さぬ」



 簒奪者の声が、唐突に氷点下まで冷めた。



「これは議会が決定し、余が承認した決定事項だ。
 君は余と議会の決断に逆らうつもりかな? いつから君は政治家になった」



 ……確かに、自分は軍人だ。

 物言わぬ剣で、誇りしか持てない番犬だ。

 政府の、上位指揮系統の決定である以上、黙って従うべきなのだ。


 だが。それでも確かに、誇りはあるのだ。


 自分の――いや、国家そのもののそれが踏み躙られようとしている今、それを指摘することもなくただ従うことなど、出来ようはずがない。



「……アルビオンは、ハルケギニア中に恥を晒す事になります。
 卑劣なる道理知らずの国として、悪名を轟かす事になりますぞ」


「悪名?
 ハルケギニアは我々聖邦復興同盟レコン・キスタの旗の下、一つにまとまるのだ。
 聖地を森人エルフどもより取り返した暁には、そんな些細な外交上の経緯いきさつなど、誰も気にとめまいよ」



 ――沸騰した。



「条約破りが、些細なことですと? あなたは祖国をも裏切るつもりか!」


 そう怒鳴りつけ、胸倉を掴もうと手を伸ばして。






「――殿、下?」


 クロムウェルの隣に控え、杖を突き出した男の、フードから覗いた見覚えのある顔に、全ての動きを凍りつかされた。

 バカな、と。



「艦長。かつての上司にも、同じ台詞が吐けるかな?」





 気付いた時には、その場に膝をつき、貴族としての王族に対する礼を取っていた。

 ゆらりと差し出された昔と変わらない司令の手に、接吻して。


 氷の精霊フラウに触れられたかと錯覚するほど、全身が強烈な寒気に襲われた。



 目の前を、共の者たちを促したクロムウェルが、その後を従順に続く皇太子が、ミス・シェフィールドが歩み去っていく。


 それらを呆然と見やりながら、抜け切らない寒気に体を震わせた。


 あの戦いで、ウェールズ司令は死んだのではなかったのか。

 先ほど触れた司令の体温は、紛れもなく死人のそれだった。


 だが、今、目の前で、紛れもなく司令は生きて、動いている。

 死人を蘇らせる魔法など、『水』のトライアングルの自分でも聞いたことがない。

 では、あれは人形ゴーレムなのか?



 ……いや、それはない。


 あの司令の体内では、確かに血が、水が、生気を伴って流れていた。

 人形ゴーレムでは無いと、それだけは断言してもいい。


 ならばあれは。


 もしや、あの噂は。



 神聖皇帝クロムウェルは、『虚無』を操るという噂は真実なのか。



 今、死んでいるはずの司令を確かに生かしている魔法は、始祖が使ったという伝説の『零』の系統なのか?





「……あいつは、この世界ハルケギニアをどうしようと言うのだ」


 唇から伝播した寒気は、結局一日中治まることはなかった。









 クロムウェルは、供をさせていた内の一人、羽帽子の貴族に話しかけた。



「子爵、きみは竜騎兵隊の隊長として、『レキシントン』に乗り組みたまえ」


 羽帽子の下、貴族の冷たい双眸が光る。



「目付け、というわけですか?」


 首を振って、子爵の憶測を否定する。



「あの男は、決して裏切りはしない。
 頑固であり、融通は利かない。
 実に軍人らしい男だが、だからこそ貴族の誇りも自らの手で握りつぶすことができる。

 信用はできるのだよ。
 これは単に、その若さで魔法衛士隊の隊長にまで登り詰めていた、きみの能力を買っているだけだ。

 ――竜に乗ったことは?」

「ありませぬ。しかし、わたしに乗りこなせぬ幻獣は、トリステインには存在しないと自負しております」


 だろうな、と口元に苦笑を湛え、子爵に振り向く。



「子爵、きみは何故余に付き従う?」


「わたしの忠誠をお疑いになりますか?」

「そうではない。
 だがきみは、あれだけの功績をあげておきながら、何一つ余に要求しようとはしなかった」


 それが不思議でな、と見やる先。



「わたしは、閣下がわたしに見せてくださるものを、見たいだけです」


 にっこりと笑う子爵は、そう答えた。



「『聖域』か」


「左様です。
 わたしが探すものは、そこにあると思います故」

「信仰か?  欲が無いのだな」


 視線を進行方向に戻し、これからの予定を思い浮かべる。



 空軍将校への『釘打ち』はここで最後だ。

 あとは、子爵を竜騎兵隊に顔通しするだけだな。

 ここから宿舎までの距離を考えると、少し急いだ方がいいかもしれない。


 そう思ってもう一度振り返ると、子爵はいつも首に下げている古びた銀細工のロケットを開いていた。

 見れば子爵は、なにやら熱っぽい視線をその開かれたロケットにそそいでいる。


 珍しいことだ。



「それは?」


 子爵はその視線をそらすことなく、口元の笑みを深めて呟いた。



「わたしの、欲望の象徴ですよ。閣下」









 とっぷりと日の暮れたトリステイン魔法学院、その寮塔の女子寮側の階段にて。



「なあ、キュルケ?」

「なによ、ギーシュ」


 何やら不満そうなギーシュと、頭の中で段取りの最後の確認をしているキュルケが、タバサの部屋を目指して足を働かせていた。



「昼間といい、今といい、なぜ、このぼくがこんなことをさせられているんだい?」



 そうぼやきながら歩くギーシュの両手には、大量の羊皮紙の地図の類が積まれていた。

 今朝、キュルケに捕獲されて街まで拉致されたギーシュは、魔法屋・情報屋・雑貨屋・露天商などを巡り手に入れたそれら――胡散臭い『宝の地図』を集めさせられたのだ。


 費用は折半。


 それだけで今月分の小遣いは露と消えたのが、少し哀しい。



「決まってるじゃない。
 ルイズとサイトに関係の深い男手って言ったら、あなたぐらいだったからよ」

「確かに、他のきみの知り合いにそんなこと手伝わせても、妨害しようとするだけだろうね」


 きみが彼と流した浮いた噂のせいで、とは口にしない。



「確かに、魔法使いメイジと使い魔はパートナーであるべきだ。
 その意見には賛成だし、それが彼女らならなおさらだがね。
 だけど、こんな野蛮な手段だなんて……」


「あら、貴族も平民も、チャンスは平等にあって然るべきよ。
 『メイジにあらずば貴族にあらず』なんて言ってるこの国トリステインは、人材が育たなくって国力を弱めた挙句、一国じゃアルビオンに対抗できなくなってゲルマニアに同盟をもちかけたんじゃなかった?」


 ふん、と鼻から息を漏らして、ギーシュは話題を変えた。

 不利だから逃げるわけではない。断じてない。



「……この地図、本当に本物だと思うかい?」

「ま、殆どはゴミでしょうね。
 でも、これの中から、見つけ出すしかないのよ」


 目的を達成するには、と言葉を倒し置くキュルケ。



「彼を金の力で貴族に仕立て上げて、ルイズと対等な立場に立たせる、ね。

 ……逆効果になるんじゃないかい?」


 あのルイズが、ゲルマニアの貴族になったサイトを貴族として扱うかどうか、と聞かれると。


 …………『あんたなに勝手に貴族になってんのよ』と怒鳴るルイズの幻覚が見えた、ような気がする。脳内で。



「あたしもそこは考えたんだけど……、ダーリンの方を納得させるのが今回の目的だからね。
 そこは、後でダーリンに苦労してもらいましょ」

「彼がなんだか憐あわれに思えてきたよ……。

 ところで、これを届けたらぼくは帰っていいかい?」

「あら。ギーシュ、あなたお宝に興味はないの?」


 うぐ、と動きを止めるギーシュ。


 それはもちろん見たい。

 宝探し、浪漫があって実にいいじゃないか。

 それにのるのが男というものなのだが、流石に賭けの分が悪すぎて……。



「モンモランシーだって、そういう珍しいものをプレゼントしたら機嫌を直してくれるかもよ?」



 ギーシュが綺麗に石化した。

 ぎぎぎ、と足を止めたまま首を振り向ける。



「……な、何故それを?」

「一昨日だか、モンモランシーがぼやいてたわよ?
 あなたの浮気癖を治す効率的な方法は何か無いかしらって、魔法薬のレシピとにらめっこしながら」


「うう……、参ったなぁ」


 ギーシュは、がくりと肩を落として嘆息する。



「ぼくが愛しているのは、モンモランシーだけなのに……ああモンモランシー、きみはぼくのなにがいけないと言うんだ」


 あら、とキュルケは首を傾げる。



「あの一年生はいいの?」

「ケティかい? ……あの後、謝ってからは会ってもくれなくてね。
 ケティとは手を握っただけ、モンモランシーにだって軽くキスぐらいしか出来てないというのに、酷い話だよ」


 キュルケは、情熱仲間だとばかり思っていたギーシュが意外と奥手だったらしいことに驚き、かつその段階で激発したモンモランシーに、軽く眩暈めまいを覚えた。



 ……トリステインの女ってば、どうしてこう揃いも揃って嫉妬深いのよ。

 それぐらいのことに目くじら立てなきゃいけないほど、自分に自信がないの?



 と。



「いっそ、直接訊ねてみたら面白いかもね」


 なにを?と首を傾げるギーシュはスルーする。

 話している間に到着したタバサの部屋のドアを、キュルケは遠慮なく躊躇なくノックもなく声すらかけずに開いた。





 その一拍後、声ぐらい掛ければよかったかと、どっさり砂をかぶりながら少し後悔した。







 少しだけ時を戻して、タバサの部屋。



「なあ、タバサ。本当にこれ、貰っちまっていいのか」


 小枝かと見紛うほど短く細い、先端に翼をあしらわれた杖を眼前にかざして、才人はそう尋ねた。



「かまわない」


 先ほどその杖を手渡してきたタバサは椅子に座りなおし、いつもと変わらない様子でそう答えた。



「そ、そうは言うけど……、タバサの、ちっちゃい頃の杖だろ?
 思い出とか、あるんじゃないのか?」

「いい。今のわたしには、これがあるから」


 いつもの大きな樫の杖を軽く掲げて言うタバサは、使われずに倉庫くらに死蔵されるよりは、使いたい人に使われた方が杖も嬉しい、と重ねて主張する。



「……そっか。そうだな。なら、大事に使わせてもらうよ。ありがとな、タバサ」


 頷いたタバサも、心なしか嬉しそうだ。


 ここしばらく一緒に過ごしてみて分かったことだが、タバサの表情は大きく動かないだけで、よく見てみると結構わかりやすい。

 眉と目、眉間、それに口元。

 ミリ単位ぐらいでしか動かないけど、よく見ていればだいたい今どんな気持ちなのかがわかるようになった。


 そのおかげで、沈黙がまったく苦にならなくなったのがすごく嬉しい。


 ただ、会話の時にじっと顔を見つめすぎると、頬を軽く染めて目を逸らされたりもするようになった。

 避けられてるのかなってちょっとヘコんだけど、これはこれでかわいいからおkだ。

 襲い掛からないように犬の本能をねじ伏せるのが大変だけど。



「それじゃ、今日も授業、お願いしていいか?」


 粘土玉を手で弄びながら、こくりとタバサが頷いた。



「ん、それじゃよろしくな」


 この"授業"も、今日でもう11回目になる。


 初回はトリステインやガリアで使われてるキイルっていう文字と単語、それと魔法ルーン語がチート気味ながらもだいたい読めるようになった。


 二回目の時はシェルを借りて、四系統の基本魔法を使ってみて、『風』だけを成功させた。


 バケモノみたいな回復力に呆あきれられたのは三回目だったか。


 それから一週間ほどかけて八回目、ルイズにクビにされた日には『火』を披露することができた。


 その一週間の間にキイル語・魔法ルーン語は一般的なものを粗方制覇できたので、ちょっとしたバイリンガル気分だ。

 なにやらタバサに嬉しそうながらも恨めしそうに睨まれたり、実際に読んでるのが殆ど日本語だったりはしたが、嬉しいものは嬉しい。



 ――話題を戻す。


 『発火ソース』をタバサに見せた後、『土』と『水』の状況を説明してみたんだが。


 『水』の方は、染色が出来ない以上、完全に無理だと判断された。

 要するに、どう頑張っても治療は出来ないというわけで。

 一人旅なんて、もってのほかになってしまったらしい。

 浪漫が潰れて、少し残念だ。


 で、『土』の方なんだが……。



「まずは、何からやるんだ?」

「『捏土ニィド』のおさらい」


 了解。

 一頷きして、タバサの差し出してきた粘土玉に杖ステッキを向ける。


 魔法のイメージがどうしても出来なかったため、使う魔法の種類を変えてみることにしたわけだ。

 その結果は、というと。



 呪文を唱え終えたら手首をスナップして、こねあげた魔力を杖ステッキの先端から、ムチの様に伸ばすイメージ。

 そして粘土の塊に絡ませた魔力に、変化した後の形のイメージを再度送り……待つこと十数秒。

 タバサからの終了の合図と同時、俺は集中のために落ちていたまぶたをこじ開けた。


 タバサの手に持たれたままだった粘土の塊は、なにやらずんぐりとした丸みをもった十字架、のような形に姿を変えていた。



 ……ほんとは、デルフの形をイメージしてたんだが。

 三日ぐらいじゃこんなもん、なんだろうか?



「苦手分野としては上出来の部類」


 そんなもんか。



 まあ、ご覧の通り……、まだまだ精進が必要、ってとこだ。

 形を変えることが出来ただけ、ご愛嬌なんだろう。


 ちなみに、ギーシュやフーケの人形ゴーレムを形作って動かしているのは、この魔法らしい。

 そのことを知った時は、少しギーシュを尊敬したくなった。


 す、少しだけだぞ?

 これを七つも、あんな綺麗で精密に捏こねれるのか!? なんて、驚いたりなんかしてないんだからな?



 ……ま、まあそれは置いといて。

 これで『土』に対するイメージを掴んで、"芯"に向かって空気中の埃を集める……ようなイメージを練ることが出来れば、『精製レフィネン』は曲がりなりでも使えるようになる。



 ――というのが、タバサの言い分なんだが。


 埃から、土を作るのか?



「土というより、砂」


 大差ない気がするぞ。

 なんとなく分かる気はするけど。



「ものは試し」


 やってみろ、ってことね。

 で、何を芯にすりゃいいんだ?



「これ」


 これ……って、それ十字架もどきか?

 いいのか、そんなにでかくて。



「大きさは、たいした問題にならない」


 そうか。



「じゃあ、試してみるぞ」


 こくりと返事したのを見ながら、杖ステッキを再び十字架もどきに向けて掲げ、イメージを膨らませる。


 細かい粒が、十字架もどきに引き寄せられるイメージ。

 十字架もどきが、細かい粒に覆われるイメージ。

 十字架もどきを、細かい粒で覆い尽くすイメージ。


 そうしてイメージの中で、十字架もどきが砂塗れになったのを確信し。



「Constitutum集い来たりて Ostendise生まれ出でろ」


 短い呪文を正しく唱え。

 杖ステッキを振り、魔力を飛ばした。



 あわせて、ドアが開いてキュルケとギーシュが顔を見せ。



 同時に、タバサの手の内にあった粘土塊が、ルイズの使った魔法のごとく弾けた。







「そこは、ルイズを真似なくていい」

「ごめんなしゃい」


 部屋中に飛び散った砂の堆積層をつむじ風で集めるタバサと、平謝りする才人。



「まさか、本当に魔法が使えるようになってるなんて……やるじゃない、ダーリン」


 二人のやりとりを眺めながら、感心したような呆れたような顔のキュルケは溜め息を漏らした。



「だが、たかが『精製レフィネン』でこんなありさまとは、先が思いやられるね」


 手に抱えていた紙切れを脇に置いたギーシュは、心底不思議そうに才人に尋ねた。



「んなこと、俺に訊くな。そう言うんならギーシュ、ちょっとやって見せろよ」

「なんで偉そうなんだねきみは。まあいいさ、ほら――Constituere集え」


 と。

 ギーシュが何気なく振った杖の先、積もっている砂の一部がもこもこと盛り上がり、いつもより小さな砂の彫像――『戦乙女ワルキューレ』がそこに現れた。


 ……一呪ひとことかよ。ほんとにドットか、おまえ。



「生憎とドットなのさ。先は長いぞ、頑張りたまえよ駆け出しくん」


 はっはっは、と背中を叩きまくりながら笑うギーシュが、なんだか腹が立ってしかたないんだが。



「おまえら、いったい何しに来たんだよ?」


 ぴたっとギーシュの動きは止まり、キュルケの表情が真剣なものに変わる。



「ねえ、サイト」


 いつもと違い、俺の名前を呼ぶキュルケ。

 差し出された右手が、頬をするりと撫であげていく。



「な、なんだよ?」

「あなた、ルイズを見返してやりたい、って思ったことはない?」


 ある。

 その質問が耳に届いた途端、脊椎がそう答えを返してきた。


 勝手にこっちの世界に引き込んで、勝手に一人で突っ走って、勝手に人を追い出しやがって。

 人が助けてやった恩も忘れて、たかがベッドに乗っかってただけで、言い分も言わせずに放り出されたわけだ。

 これで、見返してやろうと思わない方がおかしい。


 んだが。



「あのやろ、俺が平民だってだけで怒りやがるんだぜ?
 どうやって見返しゃいいんだよ」


 一瞬だけ眉をひそめたキュルケだったが、すぐに不敵な笑みを浮かべなおして、さも簡単そうにこうのたまった。



「あら、単純なことよ。サイト、あなた貴族になってみない?」





「……へ?」


 はて、いまキュルケはなんと言った。

 貴族になってみないかって?

 ……貴族って、そんな簡単になれるもんなのか? と、いつの間にやら本を読み始めていたタバサに訊ねてみる。



「平民が貴族になるには、領地の購入、公職への就任、士爵位シュヴァリエの授与、のいずれかが必要」


 ふんふん……って、どれもこれも、俺らの年齢じゃ手が届きそうにねえな。

 いや、タバサが士爵シュヴァリエなのは知ってるけどさ。



「ただし」


 ただし?

 なんか楽のできる条件でもあるのか?



「この国では、平民が領地を購入すること、公職に就くことは法律違反」


 待たんかい。

 いや待ってください。


 それはなんですか、要するに俺に犯罪を犯せとおっしゃいマスか?



「ちょっと、落ち着いてよサイト。
 確かにトリステインはそうだけど、あたしの国だったら話は別よ?」


 キュルケの国?

 って、ああ。そういえばキュルケって留学生なんだっけ。



「ジャーマn、じゃない、ゲルマニアだったか?」

「そ。お金さえあれば、平民だろうと奴隷だろうと土地を買って貴族の姓を名乗れるし、公職の権利を買って中隊長や徴税官になることだって出来るのよ」


 ……それって、どんな無能でも役人になれるってことじゃ……大丈夫なのか、ゲルマニア?



「民衆は正直だもの。
 ゲスな上官なんて、成り上がった三日後には淘汰されるのがオチよ。
 頑張ってね、サイト」


 おう、肝に銘z……ちょっとタンマ、キュルケ。



「なあに?」

「つまりその、なんだ。

 金の力で、俺に貴族になれと? お前の国で」

「その通りよ」


「その金は、どうやって払やいいんだよ。
 俺、文無しだぞ?」

「そりゃもう、これから探しに行くに決まってるじゃないの」


「探すって……どっから」


 金なんか、道端に普通に落ちてるもんでもないだろうに。



「ここからよ」


 と、キュルケはギーシュの持っていた紙切れから一枚を無造作に抜き取り、手渡してきた。

 何かが描かれているそれを見つめてみる。


 表には、地図らしき絵柄。そして裏には、



「――『アングル地方』、『旧寺院跡』、『叶えの骨片ウィッシュボーン』、『鼠鬼ポロンのねぐらアリ』?
 ……なにこれ?」

「宝の地図よ」


「宝ぁッ?」


 素っ頓狂な声が、喉から洩れた。

 驚き、じゃなくて反射的な歓喜の声。



「そうよ! あたしたちは宝探しに行くのよ!
 でもって見つけたお宝を売って、お金に変える!
 そうして貴族になったらサイト、あなた……"自由"よ?」


 『お宝探し』。

 『自由』。


 なんかこう、漢心をくすぐられる響きだと思わないか、タバサ?



「お薦めしない」



 へ?



「地図には、偽物が多い。宝にも、贋物が多い。加えて、危険も多い」


「肩すかしくらうハイリスク、ってことか?」

「そう」


 そうなのか? と視線に込めてギーシュを振り返れば、肩をすくめて両掌を上に向けていた。

 いや、どっちなんだそれ。



「まあ、確かにそうだけどさ。
 ヘタな"銃"も数撃ったらあたるじゃない?
 試すに越したことはないわよ。
 正攻法の士爵位シュヴァリエ授与なんて、いまのトリステインじゃ絶望的なんだから」

「……」


 顎に手を当て、何やら考え込むタバサ。

 キュルケがその耳元になにごとかを囁くと、タバサはキュルケと視線を交わし、俺の視線を眉尻の落ちた瞳で真っ直ぐ包んだ後、いつものように短く一言。



「わかった」


 頷きと合わせて、そう呟いた。

 ……なんか、タバサが寂しげなんだが。



「おい、キュルケ」


 いったい何を吹き込んだんだ、と訝いぶかしんでキュルケを見れば、タバサを軽く見開いた目で見つめている。



「……キュルケ?」


 どうみても驚いていたキュルケは、ゆっくりと俺の方を振り向いた。


 ……表情を変えろといいたい。

 目ぇ見開いたままこっち見んなよ、怖ぇぞ。



 一秒。



 二秒。



 三秒待って、正視するのに限界が来て目を逸らした。


 その途端、がっしと両肩を掴まれた。

 いやまて、いまどうやって距離を詰め――



「ねえ、サイト」

「ひ、ひゃい?」


 (抑揚の失踪した)温かい声で名前を呼んだキュルケが、手で口許を隠しながらゆっくり顔を近づけてくる。

 び、びびってない、びびってなんかないぞ。



「貴族になれたらきちんとした手順を踏んで、タバサにプロポーズなさいね。
 泣かせちゃったりしたら――炭も遺さないから」


 ぼそぼそと耳元で囁かれた。

 だからさらっと怖いこと言うなって。


 心配しなくても、タバサの泣き顔なんて俺だって見たくねえや。



「そう、じゃあ大事にしてね。あたしの大切な親友なんだから」


 当たり前だ。

 ちゃんと大事に…………ぁん?



「ちょちょちょちょ、ちょっと待った!」

「だーめ。頑張ってね、ダ・ァ・リ・ン?」


 問答無用ですかいやほんと待ってくれ。

 ぷろぽーずって何のことかとよく考えたら考えるまでもなく求婚じゃねえかなんで俺がこの年でそんな真似。



「いいから、いいから。それとも、サイトってばタバサの哀しむ顔が好みだったりするのかしら?」


 ふざけろ、そんなわけあるか。

 んな鬼畜が居たら、俺がデルフの錆さびにしてるぞ。

 もう錆さびなんて残ってないけど。



「でしょ。じゃあ、タバサが嫌いなんてことは?」


 ありません。

 というかあったらいまここに居ないだろ。



「なら、問題ないでしょ?」


 う、む?

 確かに、問題ない。


 ……のか?



「ないの。さ、そうと決まったら時間が惜しいわ!
 タバサ、サイト、準備して!
 今夜の内、学院にバレない内に出発するわよ!」


 むぅ。


 なんだかはぐらかされた気がするけど、まあいいか。

 プロポーズするのだって、別にイヤなわけじゃないしな。


 むしろ、チャンス到来ってとこだ。玉砕しそうな気はするんだが。


 ……あれ? じゃあ、なんでさっきは嫌がったんだ?



 …………あれ?



「サイトー? ほら、ぼーっとしてないで早く早くー」


 キュルケの呼び声で、意識を世界に戻された。

 気付かない内に随分と時間が浪費されていたらしい。


 宙に浮いていた視界を声のした方に向ければ、もう三人とも準備万端といった様子で窓際に立っていた。

 準備万端といってもタバサは杖を持っただけだし、キュルケとギーシュはそれぞれ革袋に荷物をまとめてから来てたみたいだから、見た目の上で大して変わってはないんだが。


 三人の向こう、窓の外にはシルフィードが滞空中。

 頭の上にはフレイムが寝そべり、口元にはヴェルダンデが咥……ってまたあの運び方されてんのか……合掌。


 とにかくどう見ても、準備出来てないのはもう俺だけのようだ。



「わるい、今行く!」


 服装、よし。

 当然だ、いま着てる半袖パーカーとスラックスしか服なんて持ってない。


 杖ステッキ、よし。

 ちゃんとさっきしまったとおり、内ポケットに入ってる。


 武器デルフ、よし。

 ……前の鞘にはもう入らねえし、そろそろ新しく鞘作るなり買うなりしねえと。

 抜き身で持ち歩くなんて、物騒にもほどがある。


 ……しかし、今日は静かだなこいつ。剣でも寝たりするのかね。


 以上。準備完了だ。







 なんだか妙な寂寥感を覚えたりもしたけど、それも今はとりあえずどうでもいい。

 ハルケギニア、二度目の旅。

 俺は弾む胸を押さえきれずに、待っていた三人の誰よりも早く、窓の外のシルフィードに飛び乗った。






 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧