提督はBarにいる。
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艦娘とスイーツと提督と・57
~響:ブリヌイ~
「しかし……毎度毎度お前らはよくもまぁ色んな国のお菓子を見つけてきてリクエストしてくるよな」
「そうかい?私はただロシアが懐かしくなってね。久し振りに食べたくなったんだ」
今回チケットを携えてやって来たのは響……いや、今はヴェールヌイか。リクエストされたのは『ブリヌイ』、ロシア風の薄焼きのパンケーキやクレープに近い物だ。薄力粉やそば粉、燕麦や米粉なんかの粉に塩、砂糖、牛乳、卵、ヨーグルト等を加えて混ぜ、そこにイーストを加えて発酵させる。ただ、パン生地というよりクレープやホットケーキの生地に近い上に、ながく発酵させる事によって生地に大量の炭酸ガスが含まれる為に焼き上げた時の質感はパンケーキとクレープの間くらいの厚さにも関わらずフワリと軽い上に、焼き上がりまでの時間が短い。ファストフードと呼ぶに相応しいだろう。
食べ方としては焼き立ての温かい内にバターを塗って染み込ませ、そこにトッピングを乗せて前菜として食べたり、ジャムなどの甘味を足してデザートやお茶請けとしてたべたりする。響も俺も前者で食べてるから、スイーツチケットの前提から外れてる気がしないでもないが……ま、細けぇこたぁいいんだよ(暴論)。
「しかし、こんな時間にお前が起きてくるなんて珍しいよな。あんだけ生活リズムはきっちりしてるクセに」
響は駆逐艦の中でも1、2を争う酒豪だ。最大のライバルは九州艦娘の会での飲み比べで武蔵をKOした事もある望月という辺り、相当な物だ。だが、響は翌日に酒を残さない。どれだけ飲んでも総員起こしの時間には起きてきてシャンとしている。対して望月は飲み過ぎると寝坊したり酷い二日酔いに見舞われるのを考えると、響の方が強いのかも知れない。そんな響が昼過ぎまで寝ていて、寝起きのまま執務室までやって来てチケットを差し出し、
「司令官、ブリヌイを頼む。私は紅茶を淹れよう」
それだけ言うと、給湯室に顔を洗いに行ってしまった。そしてリクエスト通りに俺はブリヌイを準備し、響はロシアンティーを支度して2人でのランチへと洒落込んだ訳だ。
「……休暇に入ってから毎晩同志でっかいのに付き合わされてね。明け方まで1週間も飲み続けさせられれば、流石に私でもキツいよ」
「あ~……ガンちゃんか。アイツ静かに飲みたがるクセに独りで飲むのは寂しいとか言うからなぁ」
改めて響の顔を観察してみれば、成る程確かに若干顔が青い。ガンちゃんことガングートに毎晩明け方まで付き合わされればさしもの響も限界に近いだろうな。
「まったく、此方は出張から帰ってきたばかりだというのに」
そうボヤきながら、響は紅茶を啜っていた。
読者諸兄なら知っての通り、ウチの鎮守府では新人に1ヶ月間の地獄の新人研修を施す。その後も近接戦闘として格闘術・刃物をベースとした武器術等の訓練を行うんだが、最近はウチ程では無いにしろ艦娘にそういう技術を教える鎮守府が出てきた。そこで、パイオニアたるウチの鎮守府の艦娘達に教官として一時的な出向要請が出された。断る理由も無かったので受け入れたが、問題は教官役。ウチの訓練に順応出来た奴でも、他人に教えるとなると多少頭のネジが足りないのがチラホラいた。そんな中、響は訓練に於いて素晴らしい順応性を見せた上にその後も新規着任の艦娘達に訓練を施す教官役をやらせてみるとこれが上手いこと嵌まった。何しろ、適度に跳ねっ返りの心をへし折りつつ、限界ギリギリまで追い込むが、決して無茶はさせない。正に理想的な鬼教官だった。神通でもいいが、アイツは自分を基準に置くからちょくちょくやり過ぎるんだよな。下手すりゃ新人を壊しかねない。その辺を考慮して響を1ヶ月程各地の鎮守府に出向させてたってワケさ。そして先週帰ってきたんで、2週間の休暇をやった。まぁ、その休暇の前半はガングートの奴に飲まされまくって具合の悪い最悪の休暇を過ごしたらしいが。
「暫くは雷が朝ごはんを作ってくれてたんだけど、今日ついに愛想を尽かされてね」
「雷が匙投げるとか相当だな」
「そりゃあ、自分達が起きる時間まで飲んだくれて帰ってきて、昼過ぎまで寝ていて、起きたら食事を求められたら……ね?」
「寧ろ4~5日やってくれただけでも奇跡に近いな」
「だろう?だから今日は司令官にご飯を集りにきたのさ」
「まぁ、チケット持ってきてるし別に構わねぇけどよ……」
そう言って暫く2人で他愛もない会話を交わしながらブリヌイを食べ進めていく。響はサワークリームにガングートから貰ったのだというキャビアを乗せて、俺はスモークサーモンにクリームチーズ、スライスした玉ねぎを乗せて。少し小洒落た昼飯だが、たまにゃあこういうのもいいだろう。
「ふぅ……美味しかったよ、御馳走様」
「そうか?まだ生地が残ってるからデザート用にもう少し焼こうと思ってたんだが」
「勿論、デザートは別腹さ」
「調子のいい奴め」
再び厨房に立ち、残った生地でブリヌイを焼き上げる。そこにバターを塗って染み込ませ、ジャムやクリーム、フルーツ等を乗せてやればデザートの完成だ。
「うん、やはりブリヌイにはロシアンティーが合うね」
「しかし、ロシア人はジャムにまでウォッカを入れるとはな」
「提督の中には紅茶にブランデーを入れてるのか、ブランデーに紅茶を入れてるのか解らない様な飲み方をする人もいるだろ?」
「ヤン・ウェンリーは物語の中の人間だろが」
ロシアンティー、と聞くとジャムを紅茶に入れて飲むと思われがちだが、実際の所はウォッカで延ばしたジャムをお茶請けに、濃く淹れた紅茶を飲むのが本式だったりする。
「それより……『アレ』は書き上がったのか?響」
「あぁ、持ってきていて忘れてたよ。はいコレ」
響から手渡された紙の束をパラパラと捲る。そこには、響が巡った鎮守府で聴いたブラック鎮守府や各地の鎮守府の不正に関する噂がびっしりと書かれていた。
「手間をかけてすまんな」
「いいさ、司令官がやけに素直に大本営の言う事を聞くと思っていたら、出発前にあんな事を頼まれたからね。納得したよ」
そう、響が教官役として各地を回ると聞いた時、俺はある密命を響に託した。それは、各地の鎮守府にいる艦娘達に不正や酷い目に遭っていないか等の極秘の聞き取り調査だ。
「まぁ、信憑性は何とも言えん所だが……この中の半分でもビンゴなら助かるねぇ」
「何に使うんだい?そんなもの」
「決まってんだろ?ネタを売るもよし、交渉材料に使うもよし。使い道は幾らでもあらぁな」
「……やれやれ、顔に似合ってウチの司令官は極悪だね」
「あぁ、俺ぁ根っからの悪党だぜ?ってか、軍人やってて正義の味方気取りの奴の方がよっぽどイカれてると思うがな」
戦争はどんな理由があれやる物ではない。そこには大義も糞もない、ましてや正義なんてあるハズも無い。戦争に正義なんて言葉を持ち出してくる奴は、現実を見たくない阿呆さ。
「それに、聞き取り調査の時には私も美味しい思いをさせて貰ったからね。別に手間ではないさ」
「何?」
「報告書の最後のページ」
響に促され、ページを捲るとそこには、びっしりと領収書が貼られていた。飲み屋の。
「なんだこりゃ?」
「情報を引き出し易くする為に、飲みながら話を聞いたんだ。それは経費だろう?」
「あのなぁ……」
「よく言うじゃないか、チョコはお口の恋人。酒は心とお口の潤滑油ってね」
成る程、酒は心とお口の潤滑油か。飲めば口も軽くなるしな、だが……差しすぎると思わぬスリップを起こす。言い得て妙だな。
「だが、聞いた事ねぇぞそんな言葉」
「当たり前だよ、作ったのは私だもの」
「こいつ……」
響はそう言ってドヤ顔をすると、すまして紅茶を啜っていた。やれやれ、経理部に俺がどやされそうだ。
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