ノムさんの人生、その夢と現実
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少年時代のノムさん
私は「私の履歴書」シリーズでノムさんが著された「無形の力」を読んだ時に、ノムさんの少年時代が過酷であるものだと感じた。(戦前生まれの人間は何かと辛酸を舐めた少年・少女時代を送っている人の方が多いとは思うが)
ノムさんの出身地は丹後ちりめんの産地であり、裕福な家が多いはずではあるが、ノムさんの家は取り分け貧しかった。(これはwikipediaや「無形の力」にも記述がある。)何しろ、お父さんの要一さんが戦死(wikipediaには実はお供え物の柿を食べて亡くなったらしいという記述があるが、私には真偽は不明である)され、お母さんもそれで家事に仕事とやもめの身として一時癌で倒られれた事もあった為大変だったろう。克也さんはお母さんに楽させたいという気持ちが強かったろう。だから子供の頃からアルバイトに勤しんでいたと私は思う。また克也さんはその頃から将来の進路を模索していたのではないだろうか。美空ひばりさんに憧れて歌手を志して中学校進学時、コーラス部に入った。ところが高音が出ずに断念、コーラス部も退部してしまった。そして次には映画俳優になろうと思い、映画館を営む知り合いの人にタダで見せて貰った映画で俳優達の演技を必死に勉強して名台詞を言ってみた。だが、自身の顔が二枚目でないから向かないのかなと思ってこれも諦めてしまっている。
その後、三角ベースを中心に大活躍。ここから将来はプロ野球選手になろうとノムさんは志したのだ。
でも後になって私はノムさんが諦めた少年時代の夢が今でも生き続けていた事を知った。ノムさんは自身を王貞治さん、長嶋茂雄さんを「向日葵」と例えたのに対して自身を「月見草」と例えた。その名言からヤクルト監督時代にCD「俺の花だよ月見草」をリリースした。一時的とはいえ歌手デビューに成功したのだ。他にも2009年には「女房よ・・・」というCDをリリース。東日本大震災の復興応援ソング「花は咲く」についても東北にある楽天イーグルスの監督を務めた縁でボーカルの一人として参加した。
そして1970年代、南海監督時代に野球漫画のレジェンド・水島新司先生原作の「野球狂の詩」の映画版でも本人役で登場した。また、写真集「盲導犬クイールの一生」を原作とした映画「クイール」にも片岡智則役で出演している。野球とは殆ど関係のない作品でまさに「俳優」をこなしている。
ノムさん本人は以上の事をどう思われたか不明ではあるか、ノムさんが子供の頃に目指し、諦めた夢は野球選手になって以降、叶える事ができたのではないだろうか。一見皮肉にも聞こえるかもしれないが私は当時のノムさんに「子供の頃の夢が叶って良かったですね」と伝えたい。
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