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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第八十八話 余波(その4)




宇宙暦 795年 9月16日    ハイネセン 統合作戦本部  バグダッシュ



情報部防諜課のドアが激しい音と共に開けられた。
「バグダッシュ!」
大声を上げてピーター・ザックス中佐が入ってきた。表情が硬い、怒っているな、眦が吊り上っている。皆が唖然とする中、ザックスは突進するような勢いで真っ直ぐに俺のデスクに向かって来た。やれやれだ、来るとは思っていたが予想以上に早かった。

お前の気持ちはとっても良く分かる。しかしな、ザックス、一応俺は准将で防諜課第三係の係長なんだ。士官学校同期生の気安さが有るのは分かるが准将か、係長か、どちらかを付けて呼んで欲しかった。例え声が怒鳴り声でも、いや怒鳴り声ならなおさらな……。

俺の部下達が慌ててザックスを遮ろうとする。有難い話だ、持つべきものは忠誠心溢れる部下だな。しかし残念なことは世の中は忠誠心溢れる部下よりも何を考えているか分からない上官の方が圧倒的に多いという事だ。ザックス、お前も俺もその被害者なんだ、だから俺に当たるのは止せ。俺に当たっても意味は無いぞ。

「良いんだ、皆、そのまま仕事を続けてくれ。……予想外に早かったな、ザックス」
「おい、あれはどういう事だ!」
「落ち着けよ、ザックス」
「ふざけるな!」

ザックスが俺のデスクの前に立った。いかんな、目が血走っている。かなり頭にきているようだ。
「向こうで話そう。その方が良い」
「……」
無言で立ち尽くすザックスを置いて席を立った。頼むから黙って付いて来てくれよ、いきなり後ろから殴りかかるのは無しだぞ。

有難い事にザックスは黙って付いて来た。俺の心の中の祈りが通じたらしい。会議室に入り席に着くと早速ザックスが身を乗り出すようにして話しかけてきた。同じ言葉だが口調はさっきとは違う、押し殺した低い声だ。さっきよりも怒っているのか?

「おい、あれはどういう事だ」
「お前さんが言っているのがフェザーンの一件、いや地球教の一件なら俺もどういう事だと聞きたい気分なんだがな」

「ふざけるな! ヴァレンシュタイン中将とヴィオラ大佐を繋げたのはお前だろう、こっちは調べたんだ!」
ザックスが激しい勢いで机を叩いた。頼むから落ち着けよ、と言っても難しいだろうな。溜息が出そうだ。

「確かに繋げたのは俺だ、シトレ元帥の依頼だった。しかしそれ以上はタッチしていない、これは本当だ」
「……」
おいおい、頼むからそんな睨むなよ。睨んでも答えは変わらんぞ、俺は嘘を言っていない。

「信じて欲しいな、こっちも今地球教のことで大騒ぎなんだ。知っていればこんな騒ぎにはなっていない」
俺の言葉にザックスは憤懣遣かたない、そんな感じで息を吐いた。

「……先日話した時、どうしてフェザーンで何か有ると言ってくれなかった。分かっていたんだろう、フェザーンで何か動きがあると……。俺達がどれほどヴァレンシュタイン中将の動きに注目しているか知らなかったとでも言うつもりか?」

そんな恨みがましい目で見るなよ、ザックス。後で酒の一杯も奢る必要があるな、或いは殴り合いか……。殴り合いの方が後腐れ無さそうだ。五、六発、いや二、三発多めに殴られれば良いか……。こいつとの殴り合いは士官学校以来だが、懐かしいとは言えないだろうな。

「知っていたさ、だからと言ってペラペラ喋れると思うか? ヴィオラ大佐との繋ぎはシトレ元帥直々の依頼によるものだ。そこから先は極秘だと言われ何も聞かされていない。例え俺とお前の仲でも喋れる様な事じゃない、違うか? お前が俺だったらどうする、喋ったか?」
「……」
ザックスは無言で俺を睨んでいる。理解は出来ても納得は出来ない、そんな感じだな。時間が経てば納得するだろう。

「ザックス、調査課はヴァレンシュタイン中将の動きに何も気付いていなかったのか?」
ザックスがきつい目で俺を睨んだ。済まないな、ザックス。しかし調査課がどういう状況に有るかを知るのも俺達の仕事でな。悪く思わないでくれよ、せっかく防諜課に来てもらったんだ、土産一つ貰わずにお前を帰すことは出来ない……。

「気付かなかった。艦隊司令官になって訓練に出ているからな、当分動きは無いものと思っていた。甘かったよ……、まさかフェザーンとは……」
確かに甘かった。訓練というのを真に受け過ぎたのだろう。動くとすれば出撃の前後と見たか……。残念だな、ヴァレンシュタイン中将を知ろうとするなら動きの有る時より動きの無い時を注視すべきだ。動いてからでは遅すぎる……。

「それで、調査課はどう見ているんだ、あれを」
俺の言葉にザックスが視線を逸らした。答えたくない、いや答えられないと言ったところか……。どうやら調査課ではまだ意見がまとまっていないらしい。となるとザックスがここに来たのは……。

「お前はどう思うんだ、ザックス」
「……ある程度、いや、かなりの部分が真実なのだと思う。俺の周囲にはそう考える人間が多い。だとすると厄介な事になると思う、形の無い敵を相手にする事になる。……防諜課は如何なんだ」

ザックスがちらりと俺を見た。今度はそちらが御土産を仕入れる番という事だな。なるほど、目的はむしろこちらか……。ザックスはこっちが、いや俺が情報を持っていると見た。それを入手するために敢えて怒っている振りをしたか……。ザックス、まさかお前と駆け引きをする事になるとはな、やれやれだ。

いや、怒っているのは本当かもしれんが、それだけではないという事だな。素直に頭を下げて教えて下さいとは言えんか。ザックスはともかく、調査課にも面子が有るからな。まあ分からないでもないが、そんな事を言っている状況じゃないとも思うんだが……。

「控えめに言っても深刻と言って良い状況だろうな。表では今も地球教団と憲兵隊が撃ち合っている。昨日まではちょっと変わったところは有るが善良な市民だと思っていた地球教徒が実は破壊工作員だと分かったんだ。もちろん全ての教徒が破壊工作員という訳ではないだろうが、見極めが難しい。うちの人間は皆頭を抱えている」
「……」

「……フェザーン方面で何らかの行動を起こす。おそらくはフェザーンを独立させる、或いはそう見せかけて帝国軍を混乱させる、そんなところだろうとは思ったが、まさかこんなことになるとは思わなかった。とんでもない事になったよ」
「本当にそう思っているのか?」
いかんな、ザックス。それじゃこっちを探りに来たのがバレバレだぞ。

「本当だ、そんな疑い深い目で見るな、ザックス。大体シトレ元帥も何処まで知っていたのか疑問だな……。もし地球教の事を事前に知っていたのなら防諜課に対して何らかの指示が出ていてもおかしくない、そうじゃないか」
「出ていないのか?」
「言っただろう、皆頭を抱えていると」

俺の言葉にザックスはホッとしたような表情を見せた。やれやれだな、シトレ元帥が何処まで知っているのか、本人には確認できんからな。まあこれだけでも十分な収穫だろう。

「調査課に戻ったらどうだ」
「……」
「御土産は十分に渡したはずだ。これ以上の事が知りたいならヴァレンシュタイン中将に直接訊く事だな。もっとも訊けるのならだが……」

ムッとするかと思ったがザックス中佐は苦笑して頷いた。
「気を付けろよ、バグダッシュ。調査課にはお前がヴァレンシュタイン中将と組んで調査課を出し抜いたんじゃないかと疑っている人間が居る」
「……」

「嘘じゃないぞ。先日、俺がお前と話していたことで俺が本当は知っていたんじゃないかと疑っている奴さえいる始末だ」
「……それで此処に怒鳴り込んできたのか」
ザックスが頷いた、もう笑ってはいない。

「それだけじゃない、お前は嫉まれているんだ、出世したからな。お前を凹ませたいと考えている連中がいる。調査課だけじゃないぞ、防諜課にもいる。今回の一件にお前が絡んでいるという情報も防諜課から調査課に流れた可能性が有る」
「まさか……」
ザックスが肩を竦めた。

「お前がヴァレンシュタイン中将と親しい事に目を付けた連中がいる。中将の動きを補足するためにお前を監視している連中がいるんだ。連中の情報源はお前を快く思っていない防諜課の人間だ。思い当たる節は有るだろう」
「……」

無いとは言えない。階級が上がった事で今の地位に就いたことは事実だ。本来なら俺の代わりに係長になっていたかもしれない人間も何人かいる……。俺が監視対象か……。ゾクッとするものが背中を走った。

「気を付けた方が良い。……少しヴァレンシュタイン中将に怒るんだな。自分も被害者だと周囲にアピールした方が良い、そうじゃないと情報部での立場が無くなるぞ」
「……」
「忠告はしたからな」
そう言うとザックスは席を立ち部屋を出て行った。足音荒く大きな音を立てて……。



宇宙暦 795年 9月17日     巡航艦パルマ      エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



ベリョースカ号から巡航艦パルマに移乗するとゼノ中佐が艦橋で俺達を待っていた。敬礼と共に俺達を迎えてくれる。嬉しいよね、こういう風に迎えて貰えると。思わず顔が綻んだよ。シェーンコップ達も笑みを浮かべている。やっぱり商船より軍艦の方が身体が慣れているのかな。

「ヴァレンシュタイン提督がこの艦に無事戻られた事を何よりも嬉しく思います」
「有難う、ゼノ艦長。人数が少し増えましたが宜しくお願いします」
「はっ」

ゼノ艦長は嬉しそうだな。俺が戻ってホッとした、そんなところだろう。死なれたら責任重大だからな。……いかん、大事な事を忘れる所だった。
「それとベリョースカ号、その他の商船に対して感謝を伝えてください。彼らには随分と御世話になりました」
「承知しました」

ようやく帰ってきた、そんな感じだな。何と言ってもベリョースカ号はちょっと居辛かった。コーネフもマリネスクも露骨には出さないが俺には関わり合いになりたくない、そんな感じだったからな。まあ俺達がフェザーンでした事を思えばそういう態度も仕方ないんだが……。

最後のお別れの時も俺が“色々と御世話になりました。感謝します”と言っても二人とも“どうも”とか“まあ、その”とかだからな。最後なんだし、もう二度と会えないかもしれないんだからにこやかに別れたかったよ。その程度の雅量も無いようじゃ立派な船長にはなれないぞ、コーネフ君。

「閣下、チュン参謀長から連絡が欲しいと有りましたが如何されますか、着いたばかりですし少し時間を置いてからにされますか」
ゼノ艦長が気遣わしげな表情を見せている。俺が疲れていると思っているのかな。まるで久しぶりに戻った息子を気遣う母親みたいだ。

「艦長はハトホルと連絡を取るのでしょう?」
「はい、これから閣下が無事パルマに移乗された事を伝えます」
「ではその時に私も参謀長と話しましょう。その方が二度手間にならずに済む」
「はっ、了解しました」

多分お小言だろう。チュン参謀長にしてみればあんな騒動を起こすとは思っていなかったに違いない。ゼノ艦長がハトホルに連絡を入れると直ぐに繋がった。正面のスクリーンにチュン参謀長が姿を現す。いかんな、額に皺が寄っている、大分気を揉んだのだろう。

「巡航艦パルマ艦長、ゼノ中佐であります」
「うむ、参謀長のチュン少将だ」
チュン少将が俺の方をチラリと見た。認識はしたのだろうが先ずはゼノ艦長の報告を受けようというのだろう。視線をゼノ艦長に戻している。

「ヴァレンシュタイン提督を当艦にお迎えしました」
「そうか、何か問題は有るかな」
「小官の知る限りにおいては有りません」
「うむ、御苦労だった、ゼノ艦長。ではヴァレンシュタイン提督に代わってもらえるかな」
チュン少将が満足そうに頷くとゼノ艦長がホッとした様な表情を見せた。

互いに敬礼するとチュン参謀長が話しかけてきた。
「御無事で何よりです、ヴァレンシュタイン提督」
「心配をかけたようですが、この通り無事です」
俺の周囲で苦笑する音が聞こえた。ローゼンリッターだな、悪い奴だ。後で御仕置きをしないと。

「余り無茶をされては困ります。我々の艦隊は第一特設艦隊なのです、常設の艦隊ではありません。閣下にもしものことがあればどうなるか……。これまでの訓練が全て無意味なものになりかねません」
「……」

参謀長が心配そうな顔をしている。なるほど、確かにそうだな。場合によっては解体という事も有り得る。それは避けたいだろうな、二万隻の艦隊の司令部要員ってのはやはり周囲からは羨望の的だろうし、やりがいも有るはずだ。本来なら俺を怒鳴りつけたい気分だろう。

「以後はお立場を考え、今回のような無茶はなさらないでください」
「分かりました、気を付けます」
素直に答えるとチュン参謀長は満足そうに頷いた。そうか、ゼノ中佐が嬉しそうなのも艦隊が解体されずに済むと思ったからかもしれない。俺ならこんな死亡率が高そうな艦隊に居るのは嫌だけどな。

「巡航艦パルマがこちらと合流するにはあと一週間ほどかかると思います。おそらくはポレビト星系付近での合流になるでしょう」
「……」
ちょうどいい、色々と考える必要が有る。ハトホルでは一人で考えるなんてなかなか時間が取れないからな。

「合流するまでの間、油断は出来ません。くれぐれも無茶をなさらないでください」
「参謀長の言うとおりにしますよ」
俺の返事に参謀長はゼノ艦長の方に視線を向けた。
「ゼノ艦長、必ず提督を我々に送り届けるのだ。巡航艦パルマの指揮権は貴官にあることを忘れないように」
「はっ」
俺、あんまり信用されていないな、何でだろう……。多分周りにいる人間が悪いんだな。きっとそうに違いない。俺の所為じゃないさ……。




 
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