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呉志英雄伝

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第六話~指針~

 
前書き
何か久しぶりな気が・・・

いや、事実久しぶりですね。

ようやくお仕事(バイトですが)も落ち着き、投稿できます。

 

 
重苦しい雰囲気と共にコツンコツンと乾いた音が屋内に響き渡る。
長沙城の玉座の間、そこには急な召集命令を受け集った孫呉の将たちが待機していた。そして面々の前には椅子の肘掛を指で叩く桃蓮の姿があった。
表情は真剣そのもの。それはこれから話されることが重要案件であることを如実に表していた。


「申し訳ありません。遅れました」


そんな中、急いだ様子で部屋に駆け込んできたのは江と思春。
洞庭湖の畔にある漁村を襲撃した賊の討伐に赴き、そして今しがた帰ってきたのだ。



「構わない。座ってくれ」



無言の桃蓮の代わりに、傍らにいた冥琳が江に着席を促す。江も雰囲気で察したのか迅速に席に着く。
桃蓮は一通り将たちの顔を見まわしてから、ゆっくりと沈黙を破った。



「…ほんの三月前、劉表の古狸が治める江陵から賊が流れてきた」



その声からは感情は感じられない。しかし目を見ると明確な憤怒が宿っている。



「劉表と孫呉は昔から隣接しているが、その仲がすこぶる悪いのは皆も知ってのとおりだ。そのために此度の件も、いつものような嫌がらせだと考えていた」



しかし、と言葉を切る。
その視線はさらに冷たく、鋭く、そして怒りに満ちたものへと変化している。



「つい最近中央から通達が来た。『大乱勃発。直ちに鎮圧せよ』と。…敵は賊、それも黄巾を象徴とした大規模なものだ。各地の兵力を総計すれば百万にも及ぶだろうな」



百万という言葉にさすがの孫呉の屈強な将にも動揺が走る。今の孫呉の総兵力で精々七万。内三万は主だった戦いを経験してはいない。相手が賊といえども、経験不足は否めない。
無論、それら全てを相手取る必要はないにしても、孫呉が本拠を置くここ長沙は荊州、つまり中央からより離れた辺境の土地。然るに当然賊の数も増える。
最悪の場合、二倍から四倍の相手と戦うことも覚悟しなくてはならない。



「敵の中核は冀州、総大将の名は張角とのこと。そのほかに豫州・許昌のすぐ近くの潁川、そして荊州南陽に大部隊が居座っています。あとはこの乱に乗じて好き勝手暴れている賊が各地にちらほら、といったところでしょう」



冥琳が補足説明をする。
つまり孫呉は当面各地に出没する賊を掃討しつつ、他勢力と連携をとり、荊州においての主力部隊を叩くのが大方針となってくる。
しかしここで問題が発生する。



「ではこの乱を治めたとして、その先どう動くのか。この武力蜂起はもはや漢王朝の権力が完全に失墜したことを示している。つまり、大乱を治めたところでこの国に秩序は戻らない」



大乱が起きる。
そしてその大乱を鎮圧するために中央の権力が各地の勢力を頼る。それはつまり中央が独力で押さえつけるだけの力を失ったということを意味する。
そのことを悟り、天下を獲らんという野望を抱く英傑がこの大陸にどれほどいようか。
そう、この大乱の後には間違いなく戦の世・乱世が待ち受けているのである。5年も前からその兆しは現れ始めていた。
江が賊だった頃にはすでに匪賊の横行、そして漢王朝の腐敗は始まっていたのだから。

-いずれは訪れる-

覚悟はしていた。
乱世の兆しを前に自分の国をしっかりと保ち、民を護らんがために牙をむく。江東の虎、孫呉の王はそう決意したはずであった。
しかしどれだけ武威を振るおうと、どれだけ知謀の限りを尽くそうとも敵は内に外にと溢れるばかり。中央で覇権を争い奪うものが現れれば、間違いなくこの荊州にまで戦禍が及ぶことになる。



「かつては天下の兵法家である孫武や孫臏を輩出した孫家だが、やがて衰え、そして私の代になってようやく南荊州の権威を取り戻すにいたった」



そういうと桃蓮はゆっくりと立ち上がる。
その瞳には先ほどとは色の違う感情が込められていた。



「もはや孫呉の名は地に堕ちていいものではない。よって私は孫呉の名を天下に轟かせることに決めた」



完全な離反宣言。
実質的な力など持ちはしないが、いまだに権力の象徴として存在する漢皇帝を天下に戴きながら、そしてその皇帝によって荊州の統治を任されながらも桃蓮は現状を顧みてそう宣言したのだ。
国を護るために外に打って出ることに決めたのだ。



「これから先は全てが天下を取ることに直結すると思え。とはいえこれは反逆に等しい。少しでもそれに抵抗があるなら、この場を去っても構わない」






シンと静まり返る場。
しかし不思議と将の表情には困惑や疑念といった感情は現れていなかった。一番に目につくのは何らかを決意したような、そのような表情であった。
そんな中で最古参たる祭と焔が黙って臣下の礼を取る。
するとその場に居合わせた将たちは次々と臣下の礼を取っていく。その中にはもちろん江の姿があった。
自らの産みの親である施氏の言葉を思い出しながら。


『いつか孫呉の大黒柱となりなさい』


ただそれだけをかみしめていた。
一途に。盲目に。狂信的に。
それでもこのときは、何の疑念も湧かなかったのだ。その言葉が到底自分の軸になりえない『枷』であることに気付かなかったのだ。
















とある都市の玉座に鎮座する白髪に白ひげを蓄えた老人。
彼からは普通の老人に感じるような雰囲気は感じない。そばにいるだけで絡みとられそうな、決して心の音を聞かせてはいけないような狡猾な雰囲気。
仏頂面の彼の手には、仰々しく漢皇帝の印を添えられた一枚の書状があった。


「ふむ…ようやく起きたな。蒯良よ」


書状の内容をあらかじめ予測していたような口ぶりである。無論書かれていることは黄巾の乱についてだ。傍らにいる文官姿の男はその言葉に合わせて、薄く笑みを浮かべる。


「はっ、ようやく起こってくれました」


男はどうやらこの大乱の勃発を喜んでいるようだ。


「これで」


ここで仏頂面だった老人の表情に変化が起こる。
そこには憎しみ、妬み、狂気を湛えた笑みが浮かんでいた。


「長きにわたる因縁にケリをつけられる」


玉座の間に狂ったような高笑いが長く響き渡った。




――――――――――――――――――――――――――――



指針は決まった。
しかし、それでも急激に日常が変わるわけではない。それには二つの理由がある。
一つは、桃蓮が天下を獲ると決めたこと自体が、大陸の覇権の象徴たる漢王朝に対する反逆行為に他ならないからだ。事を明るみに出すにもタイミングを見誤れば、ただの蛮勇だ。
二つ目―これが一番大きいのだが―は、内政や鍛錬は常日頃から取り組むべきことであり、例え天下を狙おうとも狙わないとしても、やっておかなければ国が成り立たなくなってしまう。
特に内政は国民の生活に影響する。殷王朝、秦王朝、そして現在の漢王朝を見れば分かるとおり、民を蔑ろにした国に未来などないのだ。
故に孫呉陣営は敵の主力部隊と合間見えるまで各地に出没する少数の団体を相手にしなければならない。つまり何が言いたいのかというと………




「いい加減執務室での飲酒はお控えください…」



江の胃痛の種が無くなる日は未だ遠いということである。
いや、江だけでなく、それは夕にも言えることだろう。現に形のよい額に青筋を浮かべている。穏においてはその限りではないのだが。



「そう硬いことを言うな。わしらとてただ飲むためだけにここにいるわけではないのじゃ」

「…へぇ、理由を是非聞いてみたい」

「まあまあ、夕ちゃん落ち着いて。今回ばかりは祭の言うとおりなのよ」




しれっと抜かす祭に、苛立ち混じりに問いかける夕。そしてそれらを仲裁する焔。最近度重なる激務とある意味無神経な重臣の態度が、夕の理性の砦をガリガリと削り取っている。
祭に対しての言動も、夕の苦労を知る者であれば間違いなく注意はできない。むしろ江のようにいつまでたっても礼儀正しいのが異常なくらいなのだ。




「……確かにいつもとは様子が違うのは確かですね」




江はそういって執務室の中を見渡す。
その場には、江、夕、穏、祭、焔のいつもの面々以外にも雪蓮、冥琳、蓮華、思春がいた。明命、蒼―徐盛―はまだこの会合に名を連ねるだけの経験も知識も、そして権力もないのだ。
いつもより遥かに豪華な面々をそろえた執務室。その中央に座す焔と祭。それらを取り囲む呉の将たち。今回の会合の議題が祭たちから切り出されることは明白であった。
と、村を賊たちにより廃村とされた民の移住問題に関する最後の竹簡に目を通し、印を押した江はフゥと一息つき、視線を義母へと向けた。



「大体予想がつきますが、此度の召集の理由は何でしょうか?母様」

「あなたはホントにからかい甲斐がないわね。昔はあんなに―――」

「母様?」



聡い息子に対してほんの少しの当てつけ。それも不穏な雰囲気を噴出しながら自らを呼ぶ江によって遮られる。実のところ、最近の江の焔に対する態度は一時期に比べてやや冷たい。
無論江は何の理由もなしに人を遠ざけたり、蔑ろにすることは有り得ない。つまり冷たくされる理由は多分に焔にあるのだ。
具体的に言うと

・執務中にも関わらず酒に酔って、同じく執務中である江に抱きつく
・やたら江の体を触る
・食事や酒に怪しい薬を混ぜる
・朝起きたら、隣に焔がいる(おそらく貞操は無事)

正直江は恐れ慄いていた。これは母の子に対する態度としては常軌を逸している。
他にも掘り返せばいくらでも出てくるのだが、それは今回の本題ではないので割愛する。


「江の過去か…聞いてみたい気もするの―――」

「蓮華?」

「ひゃ、ひゃいすみません!」

「江様、お仕事お疲れ様でした」

「ありがとうございます。思春」


思春の、労いの言葉とともに差し出された茶を受け取る江にはもしかしたら暴君の素質があるかもしれない。尤もあるとしたら間違いなく君主に戴くことは有り得ないが。


「さて、話が逸れたの。まぁ江以外にも察しのついている者は当然おるじゃろうが、桃蓮の言葉についてじゃ」


祭に話を立て直されるあたり、江も相当に壊れているかもしれない。忙殺という言葉がぴったりである。
何はともあれ、祭の言葉により弛緩していた場の雰囲気も引き締められる。



「発言とは『天下を獲る』というものでいいのか?」

「ええ、それで構わないわ。蓮華ちゃん」



この面子を集め、尚且つ桃蓮の発言とくれば導き出されるものも自ずと見えてくる。さらに言えば、まだ
孫呉の中でも最高幹部しか知らない内容なのだ。
それを下の者たちに伝えるにも幹部同士で整理や打ち合わせをしておかなければ、のちに障害となるのは容易に想像できることであろう。


「あの発言を受けて、各々はどう思った?どう感じた?」

「まぁ私はそんな予感がしてたわね」

「策殿には聞いておらぬ」


桃蓮と同等かそれ以上の直感を持つ雪蓮の意見は正直当てにならない。そう判断した祭はあっさりと雪蓮の言葉を流した。当然雪蓮はいじける。しかし放置する。


「強いて言えば、意外、でした」


とは冥琳の言である。


「へぇ、意外って言うのは?」

「桃蓮様は以前より、この南荊州の統治を任されたことに対して、誇りを持っているように見受けられました。それだけに今回のことは予想外だったのです」

「…まぁ…確かに、の…」


統治に誇りを持つということは、漢への忠誠を意味することと同義である。冥琳はそう解釈した。もちろん一般的な解釈としてそれは正しい。しかし何事にも例外というものがある。


「…なるほど。桃蓮様の心のうちでは『漢』より『国』のほうがおおきくなってしまったということですか」

「『国』とはまさしく『漢』ではないのか?」

「蓮華、この大陸には古来よりたくさんの国がありました。『趙』、『燕』、『斉』、『韓』など様々です。しかし大陸を統一した勢力は『殷』、『周』や『秦』、そして今の『漢』くらいのもの。そして統一した勢力によって、桃蓮様は南荊州の統治を任されたのです」

「つまり江が言いたいのは『漢』は国家群の総称であって、孫呉は孫呉で独立した国だということ」

「その通りです。いかに強大な国とはいえ、この広大な大陸を一勢力だけで治めるなど不可能。だから各地に有力な諸侯を封じました」

「そして母様は『漢』への忠義を、この地への愛情が超えてしまったと?」


蓮華の問いに首肯で応える江。
腐敗した国の中枢と自らが命がけで護り育んできた土地、どちらに愛着がわくか自明の理であろう。その場に居合わせた諸将は桃蓮の苦悩を察し、皆押し黙る。
いくら相手が最早体をなしていない王朝とはいえ、忠臣である桃蓮の今回の決断には余程の覚悟が必要だったろう。
その覚悟は称賛にも尊敬にも値した。




「でもそうなると厄介になるのが『山越』よね~」


しかし空気を読まない者がいた。
先ほど祭によってのけ者にされた孫伯符その人である。


「………。まぁ、それは避けては通れんじゃろうな」


少しばかり冷やかな視線を送りつつも、言っていることに間違いはみじんもないので素直に祭は同意する。これは孫呉が勢力を拡大したからこその弊害ともいえる。

『山越』
会稽以南に広く分布する少数民族の「総称」である。その血は様々なものからなり、かつて戦国の一雄として存在した『越』国の末裔も含まれている。
無論、末裔たちは、そのほかの少数民族に比べて先祖や漢から流れてくる知識、更には技術により『山越』内でも存分に優位性を示し、確固たる地位を保持していた。
そして古来より『山越』は漢の国民にとって敵という認識が大きかった。孫呉に関してはその限りではないのだが…


「その件に関してはきちんと考えていますよ」


この発言により、執務室に偏在する意識は江へと集中する。


「昔から山越と仲良く、もしくは服従させるという考えが存在しました。しかしそれも全て失敗に終わりました。それぞれの集落が独立しているがゆえに」


山越は先にも記したとおり、単数民族ではなく多くの少数民族からなる総称である。故にその内情は一枚岩では断じてなく、対立することもしばしばだった。


「しかし近年山越内でもある集団が抜きんでるようになりました。越国の末裔を中心とする集団です。彼らは先祖の知識や、我々と多少なりとも言葉が通じるという利点を以てのし上がってきたのです」

「よく調べておるの」

「江様はかねてより孫呉の繁栄と山越の動向は密な関係であるとお考えでしたので~」

「力の大きい集団には当然、周りの矮小な集団も取り入ります。そして今回はそのことを利用しましょう」


ここで江は冥琳に視線を移す。
その意図を感じ取った冥琳も口を開き、言葉を発することによってそれに応える。


「つまり山越内でも一大勢力であるその集団との『同盟』を提案しているのだな?」

「同盟!?」

「言葉も通じ、もし通じないとしても孫呉の兵の中には山越出身の者もいるので通訳に回せましょう。そして今の我々に山越と戦う余裕がないのもまた事実。更に同盟によって国力を増すこともできます」


江が山越との同盟を推す理由のもう一つが交易であった。
山越からくる象牙などの装飾品は漢国内でも非常に高値で取引される。つまり、その交易によって国外からの金の収入を増やそうというのだ。


「まだ桃蓮様の耳に入れてはおりませんが、恐らく桃蓮様も同様のことを考えているかと」

「…利点を見ると悪くはないわね。ただ信用できるの?」

「交渉次第で如何様にも」

「クッ、違いない」




この会合において、ひとまず家臣団の総意として『山越との同盟』という案が採用されたのだった。










諸将は去り、夕も処理を終えた竹簡を運びに行き、執務室には江と穏だけが残っていた。
江はさすがに疲労がどっと押し寄せたのか、机に突っ伏したままピクリとも動かない。ふと穏は笑みを湛えながら言った。


「山越との同盟にまで国力を増大させることを考えるなんて、さすがですね」

「おや、穏は考えてなかったのですか?」


穏に対し、江は首を動かし、顔だけ向けて反応する。傍から見ればえらく滑稽である。


「いえ、考えていましたよ~。でも江様の場合、他でもやっているじゃないですか。益州相手に塩を売買したり」

「はて、何の事だか」


江はとぼけてみせる。しかしこれにも理由がある。江たちがやっていることは法に触れているからだ。
塩の販売は漢王朝が政府直々に行っていることであり、その他の取り扱いは許容されていない。その結果民の生活は圧迫されることになる。
そこで江はまず塩の密売に目を付けた。初めは桃蓮も反対してはいた。しかし政府が管理する塩はあまりにも高すぎる。あまりにも民に厳しい。そうなると桃蓮が折れるしかなかった。

当然それらの動きを監視する役人もこの荊州、揚州にいる。
だから役人には賄賂を握らせた。幸か不幸か赴任してきている役人は皆汚職を重ねてきた愚図ばかりであり、二つ返事で了承した。何より彼らはどう塩を製造するのかさえも知らなかった。

塩を作るのにはどうすればいいか。
江は考えた。簡単なことだと。海水を蒸発させればいいと。
知っての通り海水は塩辛い。ならば絶対塩が含まれている。海水を整備した海浜に引き、天日で蒸発させれば、より塩辛い海水が出来る。
あとはそれを火で熱すれば、塩が残るのではないか?江はそう考えた。そしてその考えは間違っていなかった。
とはいえ、これは揚州まで勢力を広げた呉だからこそ出来たこと。それを益州でやろうにも海がない。塩は高級品。結果塩は足りなくなり、民に負担がかかる。
そのことを察し、江は益州太守・劉焉に密使を送った。そして密売経路を確保し、今に至るのだ。今となっては二つの勢力の仲は良好。これも今後にいい影響を及ぼすだろう。







「賊上がりだからこそそういった思考も出来た。そう考えるとあの5年も無駄ではなかったようですね」


そう昔に思いを馳せる江。彼が思い浮かべているのは、亡き実母のことか。あるいはその地獄の日々か。はたまたその両方か。
いずれにせよ、儚げに物思いにふける江に、穏は声をかけることができなかった。 
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