緋弾のアリア ──落花流水の二重奏《ビキニウム》──
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かごのとり
遠山キンジは会議室の壁際に背を預けながら、窓硝子のその向こうを呆然と見遣っていた。武偵校の敷地と空とが二分されていて、その群青の帆布には入道雲が立ち昇っていた。梅雨が来るにはまだ早い。夏が来るのなら、尚更だ。けれども今日は、時期尚早な夏を肌で直に感じていた。
制服の裾を少しだけ捲りながら、彼は部屋の中央に視線を戻す。そこには『アドシアード準備委員会』の名を冠した集いが居て、キンジはその内容を聞くともなしに聞いていた。中央に向かい合う面々から外れた彼の存在は、一見して目立ちそうではあるものの、そこは彼らしくあった。
キンジは委員会活動とはほとんど無縁と言っていい。それなのに、どうして委員会などに出席しているのだろうか──それは、星伽白雪のボディーガードを担っているからに他ならなかった。
そうして事実、彼は答えたのだ。白雪を除いたこの委員会の面々に、怪訝な顔をされながら。無関係の集いを遠巻きに見ているとしても、彼としては一刻でも早く立ち去りたい心持ちでいる。
「星伽さんには是非、閉会式のアル=カタには出ていただきたいわ。生徒会長でもありますし、武偵校を代表して。清楚な印象ですから、メディアにも好印象でしょう」
「そうですねぇ、星伽先輩は美人ですし」
「そんなところで、枠も1名分空けてありますし……どうですか?」
白雪の両隣に座る女子たちが、何やら快活に話を交わしている。どうやら彼女を閉会式のイベントに出場させたいらしく、そんなわけで白雪の意向を窺っているところだった。
彼女は女子生徒たちの話に頷いて応じながらも、軽く苦笑を零す。申し訳なさそうに手を振る仕草は、彼女の性格から見ても妥当だった。何よりそれは、昔から変わっていないままだった。
「皆さんのご好意は嬉しいのですが、その……私は裏方で貢献させてください」
白雪がそう告げると、女子生徒たちを筆頭に残念がるような声が上がってくる。女子生徒たち以外からも同調の声が上がっているあたり、それだけ彼女が適任と思われているのだろう。
白雪もその意見は自覚しているのか、溜息混じりの苦笑を更に零しながら続ける。
「ですが、ですが……のお話ですよ? 教務科からも、我が校の印象改善についてのお話は、もちろん下りてきています。アドシアードは武偵校の特色を外部にアピールできる絶好の機会ですから、ここをどう活かせるかが重要になります。可能性の1つとして、検討はしておきますね」
方向の修正が白雪は上手だ。結果的に誰の不平も無さそうな話に収められている。本当に彼女が出場するかどうかは関係ないとして、やはり生徒会長を担うだけはあるなとキンジは感心した。
説明に納得する面々を見渡しながら、そのままキンジにも白雪は視線を遣る。彼には彼なりの、彼女には彼女なりの意向があるとはいえ、いま最重要視すべきなのは《魔剣》のことだ。
『目立ったことはするなよ』とアイコンタクトを送りながら、キンジは控えているアドシアードの危険性についてを脳裏に反芻させていた。白雪が表舞台に立つのは、どうにも都合が悪い。
彼の者が白雪を狙っているのならば、アドシアードは絶好の機会だ。出場生徒は東京武偵校の人間だけではなく、各地の武偵校からもやってくる。そういった中に《魔剣》が変装でもして、隠密行動を採っているとすれば……? ましてや、その中でも目立つ場所なら尚更のことだった。
キンジのその懸念を見透かしたかのように、白雪は小さく頷く。そのまま一同に顔を向けた。
「さて、上手い具合にお話もまとまったので、今日の委員会はここまでということになります。次回はまた必要な時に連絡しますね。このアドシアード、絶対に成功させましょうっ」
胸の前で小さく手を掲げながら、彼女は満面の笑顔を振り撒いた。活気のある面々の声が一挙にこの部屋を覆い尽くして、果たして委員会はこれで終了──という運びに収まる。その後は各々が談笑なりしていて、専門科目に行こうとか、遊んでから帰ろうとか、そんな声がしていた。
その声の中をキンジと白雪とは一緒に通り抜けて、そのまま昇降口へと向かっていく。
昇降口を出ると、すぐさま斜陽が目に射さった。それは東京湾に腰を掛け始めていて、地上に爛々と茜を降り注いでいる。目を細めながら2人は武偵校の校門を抜けた。
付近にはもう半袖制服が点在していて、見計らったかのようにキンジの額には汗が滲んでくる。まだ春過ぎの時期という割にはやはり、今日は時期尚早の夏が訪れているようだった。
帰路につきながら、2人は歩調を合わせて歩いていく。夕食のメニューはどうしようとか、そんな他愛のない話をしているうちに、不意に白雪は後ろを振り返った。キンジもつられて振り返ってみると、少し向こうの通りの方で武偵校の生徒たちが集まって遊んでいるらしかった。
それがいったい何だというのだろう、と彼は訝しむ。その答えはすぐに白雪が告げた。
「早くお家に帰った方が安全なのにね。何でみんな、遅くまで遊ぶんだろ……?」
「そりゃあ、遊びたいから遊ぶんだろうが。たまには白雪も遊んでみたらどうなんだ。遊びたいとか、そういうのを全く思わないっていう年頃でもないだろ、お前の年齢は」
「お店を回ったりするくらいなら、少しは、思うけど……。それでも──」
──星伽の巫女は、護り巫女。
詩歌の一節を淡々と諳んじるかのような、そんな泡沫のようなものを内包している声だった。そうして、その事実も声色も、キンジが聞いたのは初めてのことではなかった。むしろ何回も何回も聞いていて、彼女はその言葉を諳んじるたびに、実家の掟をも口にすることを知っていた。星伽の人間は、生まれてから死ぬまで身も心も生家を離れてはいけないのだ──ということを。
「だから、神社と学校以外は許可なく外出しちゃいけないんだよ」
哀傷を吐きながら、白雪はキンジを横目で見詰め返した。凝っと据えられたその瞳の最奥に、彼女が零した哀傷よりも更に深いものがある──そう感じずにはいられなかった。
少なくとも彼女は、生家にあるこの慣習が平々凡々なものだとは微塵も思っていないだろう。だからこそ、彼女なりの懊悩や煩悶といったものを──その平和の象徴の鳩のような、いじらしい胸の内に多くを秘めているのだということは、分かりすぎる以上に分かりきっていた。
その瞳の色を、とうの昔から彼は知っている。その記憶を、懐古するともなく懐古してみた。
彼と彼女とは幼馴染である──幅を広げて言えば、遠山家と星伽家の間には関係があるらしい。そんな縁故から、キンジは星伽の総本山である星伽神社に赴くことも度々あった。男子禁制の神社のはずなのに、遠山家だけは出入りが許可されていたのだ。そうして、そこには白雪が居た。
少女たちのうちの1人に、白雪が居た。キンジが「神社の外で遊ぼう」と言った時の、その少女の瞳の色は、彼女がいま見せているその色とまったくの同色だと断言できる。子供ながらに、この神社は何か異様なのだ──と感じずにはいられなくて、思わず亡き兄に零してしまっていた。
そうして兄もまた、該神社は尋常一様ではないというような意味を零したのを覚えている。
「彼女たちはさしずめ、かごのとり──だろう」
それに哀憐の意味が込められていると気が付いたのは、昔のことではない。
永遠に星伽神社の境内というかごに囚われた、巫女というとりだ。
──一族ゆえの、制約という名の手枷。
──逃れられぬ運命と、藻掻いても変えられぬ運命。
──虚弱な小鳥は、籠の中。悠久の刻を、身を滅ぼすまで。
今も昔も変わらず、その現状に彼は、酷く憐情と瞋恚とを覚えた。
そうして、胸の中で小さくその言葉を転がすのだ。何度も何度も、かごのとり──と。
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