色を無くしたこの世界で
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第二章 十三年の孤独
第47話 対話
「長、本当にありがとうございます!」
「いえいえ……」
深々と頭を下げ感謝の言葉を述べる異形にシエルはそう笑いかける。
昨夜の騒ぎから一変、日も昇り空も白くなってきた頃。街の長である彼は倒壊した柱の下敷きになった子供の元に来ていた。
「体の方はもう心配いらない。あとは安静にしておくんだよ」
そう言って自分の腰程度の身長しかない少年の頭を撫でる。少年は顔こそ無いものの明るい口調で「わかった」と頷き、玄関前に立つ親であろう二人の異形の元に戻っていく。
その光景を穏やかな気持ちで見詰めると、一家に別れを告げ街の広場へと歩を進める。すると、ふと自分を呼ぶ声が聞こえた。
視線を向けた先に立っていたのはゲイルだった。
彼は真面目で賢く、何かと長である自身の元に来ては進んで街の為に働いてくれる。シエルにとっては頼れる参謀のような存在である。
意外にもカルムと仲が良いが、傍から見ている限り友人と言うよりも"おっちょこちょいなカルムの保護者=ゲイル"と言う関係性の様だ。
「ゲイル。どうかしましたか」
「長にお客です」
「お客……?」
そう告げたゲイルに連れられ広場までやってくると、この世界には似つかわしく無い茶色の髪に、青と黄色の映える服を着た少年が立っていた。
「シエル……」
「やあ、天馬。こんな朝早くにどうしましたか?」
「街の様子を見に来たんだ。柱の下敷きになった人も沢山いるって言ってたし、心配で……」
「大丈夫ですよ」。悲し気に目を伏せた天馬を安心させるように囁くと、シエルは言葉を続ける。
「聞いてると思いますが、俺達イレギュラーには生死の概念がありません。例え柱の下敷きになって大怪我を負ったとしても、しばらくすれば元に戻りますよ」
「でも、痛みは感じるんでしょう?」
悲し気に唱えた天馬の表情にシエルは言葉を止めた。
「アステリから聞いたんだ。イレギュラーでも痛みは感じるって。だから昨日の子だって『痛い』って泣いていて……。俺達のせいで……」
「貴方のせいじゃない」
「でも……ッ俺達がこの街に来なければカオスが襲ってくる事も、あんな事件が起こる事も無くて……関係の無いシエル達が傷付く事も、きっと……!」
「天馬」
だんだんと語気が強くなる天馬の言葉を遮るようにシエルが声をかける。ハッとして顔を上げる天馬に、彼は最初に会った頃のような柔らかな笑みを浮かべると一呼吸置き、穏やかな口調で言う。
「天馬。少し、俺に付き合ってくれませんか」
「え」
シエルに連れられやって来たのは、この街に来た時に見たあの白い神殿だった。
以前と変わらない巨像の傍には、いつの間に用意されていたのか、オシャレなガーデンテーブルと椅子が置いてある。
手慣れた様子で椅子をひき座るシエルに「貴方もどうぞ」と促され、天馬は不思議に思いながらも向かいの席に腰を下ろした。
自然と向かい合わせになる両者。少しばかりの気まずさの後、再度姿を現したゲイルの両手には何やらお盆のような物が握られている。
「お待たせしました」と言いながら、両者の間に置かれたのは灰色の液体が入った二つのティーカップだった。
「これは……」
「安心して、ただの紅茶ですよ」
そう言って右手でカップを持ち紅茶を嗜むシエル。その光景をしばらく見つめると、天馬は視線をカップの中へと移した。
カップの中で揺れ動く灰色の液体は、ツヤツヤと光沢を放ち天馬の顔を映しこんでいる。
恐る恐るカップを手に持ち、中の液体に口をつける。舌に絡み付く甘い感触に一瞬顔をしかめたが、よく味わってみるとなんて事は無いただの紅茶だった。ただあえて一つ言うならば、普通の紅茶では無くミルクティーだった事だけか。
それでも慣れ親しんだ味に、天馬は心の中で安堵の息を漏らした。
「お味はいかがですか?」
向かいの席で尋ねたシエルに「美味しいよ」と笑って答えてみせる。
やはり色が無い物を口に運ぶのは躊躇いがあったが、一度飲んでみればそんな心配は杞憂であると分かった。
だが、なぜだろうか。確かに味は美味しいのに、それでも普段自分達が飲んでいる物とはどこか違う気がする。
「シエル達、イレギュラーも紅茶を飲んだりするんだね」
「ええ。空腹になると言う事はありませんが、嗜好品として楽しむ事はありますよ」
「まあ、それも俺達のような顔のある存在に限るけど」と自らの顔に触れ言葉を続ける。
儚げに笑う彼の表情に「そう言えば」と、天馬はこの世界に来て空腹はおろか喉の渇きすら無い事に気付いた。
時間の概念が無いとお腹も空かないのか。どこか違う味のように感じるのも、もしかしたら色が無い影響かもしれない。喉元を過ぎていく生ぬるい感触に、そう一人結論付けた。
「少しは落ち着きましたか?」
「え?」
カチャリと持っていたカップを置き、シエルが唱えた。突然の言葉に天馬は間抜けそうな顔で首を傾げる。
「先程の貴方は俺達に対し強い罪悪感を感じ、冷静さを失っていた。だから俺はこうして貴方をお茶に誘ったんです」
「あ……」
シエルが言うと、天馬は持っていたカップを置き目を伏せた。
悲し気に沈むその表情にシエルは目を細めると、変わらぬ様子で話し続ける。
「貴方の他人を思いやる気持ちはとても美しい物です。それが貴方が沢山の人を惹き付ける所以であり、貴方自身の長所でもある。でも、強すぎる思いやりと責任感は、時に自分を縛る鎖にもなると言う事を理解してください」
理不尽に今回の事故を起こしたカオスに対する怒り。
自らの目的の為に無関係なシエル達を傷付けてしまった負い目。
複雑に混ざり合った天馬の気持ちを、先程から今に渡る数分の間で全て見透かしていたのか、シエルは淡々と言葉を続ける。
「悩む事は良い事です。ですが、他人の事を思うあまり自分を殺しては意味がない。……天馬、貴方が今するべき事はなんですか? 貴方にしか出来ない事とは、何?」
「俺にしか、出来ない事……」
「貴方には、守りたい物があるんでしょう?」
自分の事を射貫くように向けられた言葉に、天馬は心の底で渦を巻きながら濃くなっていた悩みの靄に一筋の光が差し込んだ気がした。
それと同時にようやく思い出す、いつの間にか忘れかけていた、自分の成すべき役割を――
「そうだ、俺……忘れかけていた。自分が何をする為に、この世界に来たのか」
椅子から立ち上がり、前を見詰める天馬の凛とした表情には先程までの曇りなど一切無く、どこかスッキリしたような印象を受ける。
――ようやく、分かってくれた。
自分を見据える少年の姿にシエルは嬉しそうに目を細めると、何かに気付いたのか。神殿の外へと続く道に視線を移した。
「天馬。どうやら、お仲間達が貴方を捜しているようですよ」
「え、本当?」
「ええ、そろそろ戻った方が良い。神殿の外まではゲイルが案内します」
「ありがとう、シエル」
穏やかに笑みを浮かべるシエルに別れを告げると、長い柱に囲まれた道をゲイルと共に歩きだす。道中、相変わらず無口な少年の後ろ姿にカルムやシエルとの性格の違いを感じながら歩を進めていくと、見慣れた二人の少年を見つけた。
「剣城。それに信助も」
白と黒の濃淡だけで造られた世界では色のついた彼等は嫌でも目に留まり、遠目でも簡単に見つけ出す事が出来た。
ゲイルに礼を言い、自身を捜しに来た二人の元へ駆けだそうとした時。ふと背後で名を呼ばれ、天馬は踵を返す。
そこには顔さえ無い物の真っすぐに天馬の事を見詰めるゲイルが立っていた。
「……今日の試合、勝ってくれ。俺達の為にも」
先程までの無口ぶりとは一変した彼の言葉に、天馬は驚きを隠しつつも一つ頷き「ああ」と強く言葉を返した。
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