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fate/vacant zero

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違和感の交錯



 盾つくえに身を隠もどした才人は、開口一番、タバサに謝った。


「なんか済し崩しに巻き込んじまって、ごめんな、タバサ」

「別にいい。囮はわたしの言い出したこと。自分が思うよう動けばいいと言ったのもわたし」


 そうタバサは呟くが、自然と眉が下がってしまっている。

 キュルケとギーシュが向こうに加わってしまって、人手が足りずに困ってる、のか?



「これからどうする?
 追い払うか、逃げまわるかしか選択肢がないのはわかってんだけど……」



 ……この中を逃げまわるのは無謀。

 そもそも、このパジャマでそういった機敏な行動はムリ。

 でも、追い払うのも二人では少し厳しい。


 せめてもう一人、魔法使いメイジが――



 タバサは2秒でそれらの考えを纏めると、ナイトキャップの裾野すそのと貫頭衣の襟元えりもとに手を突っ込んだ。


 ごそごそもぞもぞと手を動かしたタバサは、胸元に消えた左手には頼れる"武器"を、頭上に挿し込まれた右手には先日の木彫り人形を、それぞれ掴んで引き抜いた。

 その右手の人形を床に置き、左手のナイフを右親指に添える。



「な、なにやってんだ?」

「助っ人」


 タバサはそう呟くと、おもむろにナイフを引いた。

 当然ながら指の腹が切れ、血玉がじわっと膨らむ。

 それは重力に従って指先へと流れ、再び膨らんで人形にぽたりと垂れて。


 途端、才人は自分の目を疑う羽目になった。

 人形に落ちた血が吸い込まれたかのように薄れて消えたかと思うと、人形が見る間に膨れ上がったのだ。


 木目が薄れ、茶褐色が肌色へと呑みこまれ。

 やがてそれ・・は、タバサと寸分違わぬ姿へと変貌した。

 どういう仕組みかは分からないが、寝巻きまできっちり着込んでいる。



 ごしごしと瞼まぶたを擦ってみたが、見間違いというわけではない。

 これも魔法かと驚く才人をよそに、タバサは己の姿を映した人形――『物真似人スキルニル』に、左手に持ったままのナイフを手渡した。

 それを受け取ったタバサ(偽)は、ナイフを持った腕を上下左右に軽く振ったのち、にやりと口を歪ゆがめた。



「いや、なんというか……、考えたな嬢ちゃん」


 タバサの声でありながら、されどタバサではありえないぞんざいな言葉遣い。

 タバサにはあまりにもそぐわない、不敵な笑み。

 こういう雰囲気をしたタバサの関係者を、才人は一本ひとりしか知らなかった。



「お前、ひょっとしてシェルンノスか?」


「おう、ひょっとしなくてもシェルンノスだ。本体ナイフみりゃ分かるだろ?」



 そりゃそうかと頷いて、タバサが助っ人と表現した理由に得心した。

 ただでさえ頼もしいタバサが二人に増えるのだから、これは心強い。



「シェルを出したのはいいんだがよ、こっからどうすんだ? 娘っこ」


 才人がしきりに頷いていると、右肩に担いだままだったデルフが口を開いた。


「敵を炙あぶり出す」



 暗闇から矢を延々と撃たれ続けている現状では、こちらからの攻撃が有効打になりえない。

 ならば、避け場もないほどの広範囲攻撃をするか、視認できる場所までおびきだすか、暗闇の中でも視認できるように照らせばいい。


 それがタバサの要約された言い分だった。



「それで、嬢。今回俺は何をやりゃあいい?」


「『炎』」

「了解だ、嬢。三つ目だな」



「……あのー、俺はどうすればいいんでしょうかタバサさん?」


 二人のやりとりから置いてきぼりにされた才人が声を出すと、ナイフを握った方のタバサシェルンノスから呆れた目で見られた。

 しょうがないじゃねえか、こちとら素人なんだから。



「あなたは敵の狙いを惹きつけてくれればいい」


 えーと。

 それって、さっきみたいな感じでいいのか?


「いい。こちらを狙われると攻撃しにくい」


 なるほど。



「相棒、できるだけ二人の射線上には入らねえようにしなよ。後ろから魔法にしばかれたくねえんならさ」


 俺の呟きに、デルフがそう返してきた。

 言われんでもそうするっての。

 味方に攻撃なんかされたりしたらたまったもんじゃねえか。


 それに、無理言って残らせてもらったのは俺なんだ。

 邪魔なんかしちまったら申し訳ないにも程ってもんがあるだろう。


 一頷きした俺はいつでも飛び出せるよう、前傾みに構えた。



「よし。それじゃ、始めていいか?」


 タバサとシェルが頷いたのを横目に確認した。

 あいかわらず雨の様に矢が射ち出されている、外の暗闇を見据えて低く呟く。



「……お前らがなんで俺たちを狙うのかは知らねえ。
 さっきのもやもやした気持ちが何なのかも、正直よくわからねえ。
 でも――」


 隣で二つの同じ声が唱える同声異言の呪文を頼もしく感じながら、大きく息を吸い込んで、思いっきり思いの丈を叫んだ。



「俺はゼロのルイズあいつの使い魔だ! 指一本たりとも触れさせてたまるかよ!」


 目一杯虚勢も張ったことだし、さあ逝くか。

 昨夜ゆうべみたいな無様は、晒してやらねえぞ――!











Fate/vacant Zero

第十五章 違和感の交錯









 正直言ってもいいか。

 囮の意味、あったのか?



 そんな風についつい悩んでしまうぐらい、タバサとシェルの連携は手際が良かった。


 シェルが唱えた魔法は、その本体から飛び出した炎が地面に落ちた途端、長く尾を曳ひきながら勢いよく玄関の外へと突っ走り、物陰に隠れた傭兵連中を炙り出した。

 その炎に照らし出され焦がされかけた敵は、タバサが杖を振るう度、撃ち出される何かに殴り倒された。


 たぶん、俺が今朝ワルドから喰らった魔法みたいなモンだと思う。


 シェルが炙ってタバサが狙う、そんなガンシューティングじみた光景を、二人目掛けて飛んでいく矢を叩き落しながら眺めること、感覚でおよそ2分足らず。

 インスタント食品真っ青な速さで、俺は矢を避けたり殴ったりする必要が無くなった。



 最後まで意識を保てていた連中は、炎に撒かれて撤退したらしい。


 外に残っているのは、タバサに吹き飛ばされた時に打ち所が悪かったのか、気絶したまま放置されてるのが数人。

 そして、もう1体――



「なあ、アレはどうやって倒せばいいんだ?」


 窓から見えるアレゴーレムに警戒を向けながら、近くに寄ってきた二人のタバサに尋ねる。



「ああいうのは、術者を倒せば動かなくなるって相場は決まってんぜ?」


 シェルが、本体を手で回転させて弄びながら――目ぇ回したりしないのかどうかそれが問題だ――答えた。



 術者、ねぇ。

 アレゴーレムを動かしてるヤツって意味なら、フーケだろうけど。



「フーケなら、肩の上に居たよな……、なんでそこで二人して俺を見るんだ?」


 視線を二人の方へ向けてみれば、片方はいつもどおり、片方はにやにやとこっちを見つめてきていた。

 なに、その意味深な視線。


「精神力は、出来るだけ温存するべき」

「いつ傭兵どもが戻ってくるかわからねえからな。
 それにほれ、お前さん魔法使いメイジ相手の経験は少しでも多く欲しいんだろ?
 援護はしてやるから行ってこいや」


 そりゃ確かに、ここで魔法使いメイジと戦えるのはありがたいけど。

 でも、フーケって魔法使いメイジつーより人形使いみたいなもんなんじゃ





 ちょっとまて。



 なんでシェルがそれ知ってるんだ、ってそういやさっきタバサが懐から取り出してたな。

 まさか間違いなくしっかり聞いてやがったんだな、さっきの上での話。


 ……ってことはつまりひょっとして泣いてたのもばれてるのか!?



 きっとシェルを鋭い視線で刺してみたが、にやにやとあっさり受け流された。

 どうでもいいけど、タバサの顔でそんな表情すんな。



「……行ってくる」



 襲い掛かる気恥ずかしさから逃げ出すようにして、俺は窓を乗り越えた。







 正面には、何かの柱みたいに岩人形ゴーレムがぽつんと佇んでいる。

 さて、肩までどうやって登ろうか?


 見上げる岩人形ゴーレムは、前より少し小さいとはいえ、20メートルぐらいは越えてるんじゃなかろうか。

 流石に、あそこまでジャンプするのは失敗した時がぺしゃったトマトになりそうでちょっと怖い。

 そういえば、ベランダからなら会話が出来るくらい距離が近かったよな。



 泊まってた部屋まで戻った方が早かったかとちょっと後悔するが、一端飛び出しておいてすぐ戻るってのも情けない。

 どうしたものかと真上を見上げれば、背後の宿から突き出たベランダが、1、2、3段ほど目についた。


 それらベランダに人の影がないのを確認して、軽く膝を曲げて跳びあがる。

 少し勢いをつけすぎたのか中途半端に3階の床辺りまで跳びあがってしまった。

 自由落下で落ちたりしないよう慌てて床に指をかけてほっと一息。


 そのままベランダへと腕力だけで体を放り入れ、背中を打ち付けてのたうちまわって、ふと妙なことに気がついた。



 これだけ隙だらけの姿を晒しまくっているにも関わらず、岩人形ゴーレムは攻撃はおろか、身動き一つしてこないのだ。

 どうなってんだ、とフーケの座っているはずの肩へ再び視線を向ける。



 おもわず顔がハニワみたいになった。


 ナナメ35度ぐらいの仰角になった視線の先、岩人形ゴーレムの肩の上には、暗闇以外に何もない。



 フーケの姿も、冷たい気配の仮面野郎の姿も、そこにはなかった。









 時間は少し巻き戻り、だいたいタバサが『物真似人スキルニル』を自らの姿に変えた頃まで遡る。


 巨大岩人形ゴーレムの肩に立つフーケは、宿の裏路地を駆けていく四人をきっちりとその双眸に捉えていた。

 だんだんと遠ざかっていくその姿を目端に据えながら、隣に立つ仮面のポニーテール男と、最後の打ち合わせをする。



「予定通り、ってとこかしらね」

「ああ。予定通り、分散してくれたようだな」

「恥をかかされた原因の坊やが向こうに居ないのが残念だけどね。
 これじゃあ、借りを返せそうにないじゃないの」


 ふん、と腰に手を当て勢いよく溜め息をつくフーケ。


「では代わるか? 俺としてはその方が直接出向けてありがたいが」

「まさか! 予定通り、わたしは向こうを追わせてもらうよ。
 ラ・ヴァリエールのお嬢ちゃんを捕まえればいいんだったね?」



「……ああ、その通りだ。まったく、『土塊』ともあろうものが、強引なことだな」

「あんたには言われたくないよ。
 あんたの名前とか、素顔とか、お嬢ちゃんを攫さらってどうするつもりだとか。
 肝心なことはさっぱり教えてくれないじゃないか」


 だが仮面の男はそれには答えず、その代わりにこんなことを言い出した。


「一つ、忠告だ」



「忠告? なんだい改まっちゃって。
 無駄な探りは入れるなってかい?」

「違う。忠告だ、と言っただろう?
 羽帽子の男のことだ」


 フーケが不思議そうに眉を顰しかめる。


 本当の意味での忠告とは、この男にしてはかなり珍しいことだった。

 いや珍しいどころか、あの日、坊やたちに捕らえられた日の夜、連れ去られるように牢から助けだされて以来、初めてのことではなかろうか?


 珍しいものを見る目で見つめられる仮面の男は、それを気にした様子も無く言葉を続ける。



「ヤツとは決して真正面からぶつかりあうな。衝突が避けられないようなら、大人しく撤退しろ」

「わたしが、そいつに勝てないっていうのかい?」


 フーケの表情が苛立ちに染まった。

 子供にしてやられた身とはいえ、こうもナメられるのは我慢ならない。


「落ち着け。いかなお前でも、スクウェア相手に無傷で勝てるとは言わんだろう?
 こんな時に大怪我でもされては手間が掛かってかなわん」

「……そういうことなら、しかたないね」


 苦々しく言い捨て、大きく息を吐いて気を静める。


 ここから先は仕事の時間なのだ。

 無駄に気を昂たかぶらせていても、失敗の素にしかならない。



「それじゃ、この場は任せたよ。岩人形ゴーレムは好きに使っちゃっておくれ」

「任された。合流は例の酒場でな」


 わかってるよと呟いて、フーケは岩人形ゴーレムから飛び降り――



 とぷん、と岩盤の大地に沈んでその場から消えた。



 仮面の男はそれを見届けると、宿の方へと向き直って玄関口の戦場を見下ろす。

 ちょうどそれに合わせたように、蛇のようなオレンジ色が眼下で揺らめき瞬いて、玄関から伸びてきた。

 一瞬遅れて、そのオレンジに照らし出された傭兵の一人が吹き飛ばされ、岩人形ゴーレムの足に勢いよく激突した。


 地上の傭兵たちの間にみるみる動揺が広まっていき、そのオレンジ色――『炎壁フレイムウォール』が揺らめくたびに、浮き足立った傭兵たちは一人、また一人と『風』の魔法に吹き飛ばされていく。



「……やはり、傭兵などではこの程度か。俺も急ぐとしよう」


 男は冷ややかにそう吐き捨てると、眼下に見える砕けたベランダ……その開け放たれたままの大窓へと飛び降りた。

 そのまま空中でふわりと体を翻ひるがえし、身を縮め、音も無く絨毯じゅうたん張りの床に降り立った男は、気配を消しながら部屋から廊下へと駆け抜けていく。



「お前たちにアルビオンに来られては困るのだ。
 この地で果ててもらうぞ、『神の盾ガンダールヴ』……若き騎士シュヴァリエともどもな」



 静かに低く呟かれた男の目的は、誰の耳にも届くことなく、喧騒に包まれた夜の廊下へと溶け消えた。









 元の時間へと捻り戻し、場所を入れ替え。



 こちらは『桟橋』へ向かう、ワルドを先頭とした四人と一体。

 とある建物の間の長い長い階段を駆け上る彼らは、遠く大きな残響音と、微かな地震を感知した。

 最後尾をいくギーシュが一端立ち止まって後ろを振り向くと、街明かりに照らされ、闇にぼんやり浮かびあがっていたはずの岩人形ゴーレムが、いつの間にやら見えなくなっている。

 それを確認すると、ギーシュは『戦乙女ワルキューレ』を供に、再び走り出した。



「どうやら、彼らは、うまくやった、ようだね」

「そうね。岩人形ゴーレムを倒せたなら、あとはもう心配いらないでしょ。フーケは一度、ダーリンが倒してることだし」


 まったくだ、と息を切らしながらも相槌を打つギーシュ。



 中ほどからでも泊まっていた宿を遠く見下ろせるほどに長い長い階段をひたすら登り、ようやく丘の上に辿り着いた。

 そこでキュルケは、その幻想的な光景に思わず見惚れた。


 月光に照らされた一本の巨大な樹が、星空を切り抜いて聳そびえたっている。

 その枝は全方全周に満遍まんべんなく伸ばされ、その一つ一つから木の実のような何かが規則正しく並んでぶら下がっていた。


 視線を地上に戻せば、隣で息を整えているルイズとギーシュ、ギーシュの隣で静かに佇む『戦乙女ワルキューレ』。

 そして、樹の根元へと駆けていくワルドが見えた。



「この樹が目的地なのかしら」

「そうよ、ツェルプストーは港に来るのは初めて?
 これが『桟橋』。上の方にぶら下がってるのが『凧フネ』よ」


 誇らしげなルイズにいつものような嘲わらう視線を向けることもなく、キュルケはもう一度だけ上を見上げた。

 頭上をびっしりと網目状に覆う枝、そこに吊り下がる凧フネの大群……。



「……すごいわね」



 思わず圧倒されるほどの威容。それがこの『桟橋』にはあるような気がした。

 再び顔を前に向け直すと、ワルドの姿は既に樹の根本、洞うろの中へと消えていくところだった。



「いっけない、置いてかれちゃいそうね。急ぎましょ」


 キュルケが走り出し、ルイズとギーシュ、『戦乙女ワルキューレ』がそれに続いた。

 そして、キュルケがホール状の洞うろへ足を踏み入れようとした時。


「ひゃっ!」


 突然横合いから伸びてきた壁に、ばこん、と音を立ててキュルケは顔から突っ込んでしまった。



「ちょ、ちょっと大丈夫? なんか今、凄い音したわよ?」

「いたた……、な、なんで急に壁が……?」


 勢いよく打ちつけた顔をさすりながら起き上がるキュルケ。

 それを尻目に、ギーシュはその壁をぺたぺたと触っている。



「ぬぅ。どうやらこの壁は、この化石樹を基礎ベースにして捏こねられたみたいだね」

「……そういえば、敵にはフーケが居るって話だったわね。
 ってことは、これってばひょっとして……」


 そう呟くルイズの背後から、



「ご明察」



 と女の声が響いた。



 その声に聞き覚えのあったルイズとキュルケが、ぱっと振り向く。

 だがその視界には声の主の姿はなく、あるのは開けた広場と階段の降り口のみ。



「隠れてないで、さっさと出てきなさい! フーケ!」


 ルイズが叫ぶと、再びその背後……、閉じられたハズの入り口の方から声がした。



「は、誰が隠れてるんだい?
 相変わらず元気そうでなによりだねぇ」



 慌てて三人が声のする方に向き直ると、塞がれた入り口に背を預け、不敵に微笑むフーケの姿がそこにあった。


「いったい何しに来たのよ、おばさん。
 あたしたち先を急いでるの、あなたにかまっている時間は無いんだけど?」


 ぴくりと、フーケのこめかみに青筋が走る。



「ふ……ふふふ。
 言ってくれるじゃないの、小娘……。
 そういえば、あんたにも借りがあったねぇ。
 この場で、返してやるよ!」


 フーケがそう叫ぶと同時、キュルケは二人の襟首を引っつかんで、全力で後ろに跳んだ。


 一瞬遅れて、さっきまで三人の立っていた辺りの地面が手を模かたどり、拳となって勢いよく天を突いた。

 放置されたギーシュの『戦乙女ワルキューレ』がそれをまともに喰らい、四肢を砕かれて宙を舞った。



「うわ……、絶対に喰らいたくない威力ね」

「なんであんたはそう無駄に相手を怒らすのが得意なのよ、ツェルプストー!」

「怒らせて冷静さを奪うのは戦術の基本でしょうが、ヴァリエール! 黙ってなさい!」

「なんですって!」


 襟を掴まれたままキュルケを責めるルイズと、それに張り合うキュルケだったが、その間にも時間は動いているわけで。



「そんなこと言ってる場合じゃないぞ二人とも! フーケはどこだねッ!?」


「なにバカ言ってるの! フーケは拳の向こう……、え?」



 キュルケがフーケの姿を捉えようと向けた視線の先には、崩れゆく岩の拳と、塞がれたままの『桟橋』の入り口しかない。



「ど、どこに行ったの!?」

「こっちよ、おバカさん」


 三度みたび背後からフーケの声が耳に届く。

 反射的に振り向こうとしたが、それすら許されることはなく。


 拳大の尖った岩が、背後からキュルケの左肩にずぶりと突き刺さった。



「か、――ッ」

「キュルケ!?」


 肺からこぼれる息と、体に伝わる軽い衝撃、そして傷に異物が残留することによる激痛。

 痛みと熱さは刹那的に肩を灼き、視界が流星雨の如きノイズに覆い隠される。


 完全な油断の産物は、一時的にキュルケから思考を奪いかけた。



「これで借りは返したことにしといてあげるわ。さて、次は――仕事の時間だね」


 そんなフーケの声が、どこか遠くで聞こえた気がする。

 ここで気を失うわけにはいかなかった。


 自分が倒れると、この場にはギーシュドットとルイズゼロの二人だけだ。

 至極すごく、拙まずい。



 ギーシュが『戦乙女ワルキューレ』二体を新たに生み出すのを横目に見ながら、キュルケは必死に意識を繋ぎとめようとしていた。









 さて、こちらは岩人形ゴーレムの崩落現場。

 土煙がもうもうとたちこめる中、才人は動かぬオブジェと化した岩人形ゴーレムの掌、だった大岩に着地した。



「いったい、なんだったんだ?」

「さあねぇ。なんか、歩きそこねてそのまんまコケちまったみてえに見えたけどなぁ」


 ?マークを大量に発生させながら、辺りをきょろきょろと見回す。

 ベランダに立って、岩人形ゴーレムの肩に誰もいないのを確認した直後のことだった。


 いきなり岩人形ゴーレムがぐらりと横転したのである。


 見ればその片脚は根元から折れ、立っていた時のまま地面に刺さったままだ。

 その他、腕や胴体、もう片側の脚などはバラバラに砕け、大量の岩塊が路面に散乱していて危なっかしい。


 才人は、突き立ったままになっている脚に近づいて、その足元をじっと観察してみた。



「……なんだこりゃ?」

「落とし穴ー、に見えなくもねぇなぁ」


 なにやらその足は、すっぽりと地中に埋まっていた。

 それが踏みしめていたはずの地面が、消失してしまったかのように。

 どうやら、バランスを崩した原因はコレらしい。


 ……しかし、なんでこんなところに穴が?

 っていうか、落とし穴って歩いて乗っかった時に落ちるんじゃねえのか?


「うわっ!?」


 首を傾げていたら、足元からぼこぼこぼこっと気色の悪い震動が伝わってきた。

 思わず跳び退り、べきべきいいながら盛り上がりだしたその地面を凝視する。


 やがて、地表の岩を横に撥ね退けてそこにひょっこりと現れたもの。

 ひくひくと鼻をひくつかせながら、こっちを見つめてくるトゲだらけのそいつは――。



「おまえ、ギーシュの使い魔じゃないか! ええと、確かヴェルダンデ! なんでこっちに!?」


 ヴェルダンデは超音波チックな高い声で一鳴きすると、抜き身のままのデルフを鼻をヒクつかせながらじーっと見つめはじめた。


 一歩、一歩と近づきながら。

 じーーっ、と。



「え、なに? なに? オレっち、なんかした?」


 デルフがなんだか慌てている。

 冷や汗をかく機能があったら、滝みたくドバドバ垂れ流してそうだ。



「そういやこいつ、宝石が好きとか言ってた気がするな。ギーシュが」


 デルフにも宝石がついてんだろうか。

 ぱっと見、それっぽいのは見あたらねえんだが。



「……オレっち、ひょっとして命の危機だったりする?」

「さあな。とりあえず、岩人形ゴーレムは壊れちまったし……、宿に戻るか」


 不完全燃焼にもほどがあるけどな。

 敵がいなくなっちまったから、外に居たって意味ないし。


 はあ、と最近ずいぶん回数の増えた溜め息をついて、宿の入り口へと歩いていく。



「な、なあ、相棒?」

「なんだよ」


「あのモールベア、こっち見ながらついてきてんだけど」


「いいじゃねえか、減るもんじゃないし」

「なにが!? なんか減ったりするようなことされんのオレ!?」


 気にすんな、俺は気にしないから。

 わめくデルフや、ついてくるヴェルダンデを華麗にスルーしながら宿の玄関をくぐる。


 するとすぐに、



「よう、なんかあっさりと倒しちまったけどいったい――ありゃ、そのモールベアどうしたんだ?」



 とシェルが尋ね、



「………」



 とタバサに見つめられ、



「―――」



 と階段の昇降口の陰から、冷たい空気を垂れ流している仮面の男が杖を振り上げ――





















 は?



 何かの見間違いかと一瞬まばたきしても、そいつは確かにそこにいた。


 そいつは、紛れもなくフーケの隣に居た仮面男だった。

 あのちょんまげなんだかポニーテールなんだかわからん長さの金髪は、まず間違いない。

 あんな奇抜な格好のヤツにそう何人もいられてたまるか。


 それらの確認と認識をほんのコンマ秒で済ませ、そいつの周囲、青っぽく見える冷たい空気を視認して。

 そいつ・・・が魔法の発動寸前だと直感が認識した途端、俺の体は勝手に動いていた。



 何故そうしようと思ったのかは、わからない。



「あぶねえ――!」


 仮面の男が誰を狙っていたのかもわからなかったし、その魔法がどんな軌道をとるのかも知らないはずだった。



「……!」

 けど、気付いた時には二人の前に出て、



「お、おい相棒!? いったい何を――」

 射線を塞ぎ・・・・・、デルフを両手で構え、



「な、待てヒラ――」

 ヤツの杖から放たれた指向する電流の群れを、真っ向から受け止めていた。



「―――」

 口から溢れた吐息ぜっきょうは目の届く限りを覆い尽くし、視界に天の川が映った、気がした。















 ……いま、何が起きたのだろう?

「てめえ、待ちやがれ――!」

 岩人形ゴーレムが突然崩れて、

「キィ!」

 彼が、モールベアを連れて戻ってきて、

 ツンとした匂いが辺りを覆って、

「――ナイスだ―グラ――そのま――すなよ――」

 彼が、目の前に現れたと思ったら、『雷撃ライトニングクラウド』に灼かれ――

「キゥッ――」

 そこにようやく思考が至り、バッと目の前に倒れた彼の胸に耳を当てた。

 ――どくん、どくん、と低い音が聞こえる。

 どうやら、死んではいない、らしい。

 少しほっとしながら、『雷撃ライトニングクラウド』の直撃を喰らったところを見てみる。

「よっ―――しとめ……なに?」

 剣と共に前に突き出され、『雷撃ライトニングクラウド』を一身に受け止めた両腕は、ともに肘までが焼け焦げた服に覆われて、診ることができない。

「キ――」

 パリパリと音の立てて炭化しかけている袖を切り取り、怪我そのものを診て。



「……っ」


 絶句。

 だいたい二の腕の中ほど辺りから指先に至るまでの皮膚が黒ずみ、びっしりと浮かびあがった血管は破裂しているのか全てがみみず腫れと化していて、一回りほど腕が膨れ上がってしまっている。


 かなりの重傷。

 とはいえ、『雷撃ライトニングクラウド』によるものとしてはかなり軽度な症状でもある。

 あの魔法は、直撃を受けると魔法使いメイジでも傷を炭化させられかねない程の威力があるのだから。


 ……ふと。

 先ほどから沈黙を続けている、彼の手の中の両刃の知恵持つ長剣インテリジェンスソードを見やる。



 自分が契約している知恵持つ短剣シェルンノスは、自力で魔法を使い、持ち手の体を操る能力があった。

 ひょっとしたら、この知恵持つ長剣デルフリンガーも何かの力があるのだろうか?



 つらつらとそんなことを考えながら、タバサは『再生ライフ』の呪文を唱え……ようとして。

 精神力が足りず、やむなく『治癒ヒール』の呪文を唱えた。


 『再生ライフ』ほどの急速治療を行うことは出来ないが、それでもこれはラインスペルである。

 幸いにも体の構成物質が体外に流れ出てしまったりしたわけではないので、秘薬無しでもしばらくこれを繰り返せば、充分完治は可能だった。


 そうして何度か『治癒ヒール』を唱え、才人の腕に多少の血色が巡りだした段になって、シェルンノスとモールベアがようやく戻ってきた。





「嬢ちゃん、ヒラガは生きてるか?」


 シェルンノスは開口一番、そんな風なことを聞いてきた。


 さすがに自分で直撃を受けたことのある者の心配は重みが違う。

 直撃させたのは自分だが。



「大丈夫」


 そう口にしたとき、なんだかふわっとした感覚を覚えた。

 試しにもう一度繰り返す。



「――大丈夫」



 また。

 今度も確かに、ふわりと、温かくなった。


 これは、何だろう?

 何に対して、自分は安心している・・・・・・んだろう?



「……そうか。そりゃよかった。よくアレを喰らって生きてたもんだな」

「キィ」


 そう呟くシェルンノス、というか自分の姿を見て、ふとあることに気づいた。

 尋ねてみよう。


「『再生ライフ』、使える?」

「ん?

 ――ああ、いや無理だ。
 さすがに、今日はもう精神力の打ち止めだ。
 さっきコレ相手にぶっ放したので尽きちまった」



 シェルンノスが、手のひらサイズの平べったい何かを投げ渡してきた。

 胸元に飛んできたソレを見て、思わずぎょっと――問題ない、わたしは『雪風』。


 それは赤い液体が斑点のように複数付着した、先ほどの襲撃者が着けていた白い仮面だった。



「すまねえ、どうやら本体は取り逃しちまったらしい。
 さっきの覆面ヤロウは、こんなんに化わっちまったぜ」


 そう言ったシェルンノスの手の上には、その体に使ったものと寸分違わぬ――



 木彫り人形が、あった。







 さて、場面を戻そう。



 キュルケは傷の痛みに耐えながら、フーケがどこから攻撃をしてきているのかを探っていた。

 先ほどから、ギーシュは『戦乙女ワルキューレ』を三体に増やして、飛来する岩をその槍で叩き落としている。


 それらの攻撃は、全てがギーシュの死角から行われているのだ。

 突然居なくなったり、音も無く背後に移動したり、姿もなく声だけが響いてきたりするような魔法。


 そして、相手は『土塊』のフーケだ。

 『土』属性の魔法である可能性は高いだろう。

 それらを踏まえると、一つの魔法に思い至った。



 『遁行グランドダイブ』の魔法。



 以前、ミセス・シュヴルーズの授業で教わった、地中を泳ぐように進むことの出来る魔法だ。

 たしか、実用性に関して、何か注意するべきことがあったような気がするのだが――





 ……なんだっただろうか。



「……ねえ、ヴァリエール」


 傷口の手前をハンカチでキツく縛ってくれている"宿敵"に、小さな声で尋ねる。



「何よ。っていうか喋るんじゃないわよ!」


 そういうわけにもいかないので、後半は無視して再度尋ねる。



「あなた、『遁行グランドダイブ』の欠点って、なんだったか覚えてない?
 覚えてたら、小声でお願いするわ」


 怪訝な顔をした"宿敵"が、耳元でぼそぼそと囁き。

 そうして作戦は決定した。







 その足元の地中深度約3メイル、歯噛みをしているフーケの姿がそこにあった。地上からは見えないが。


 (あの新顔の坊や、なかなか粘るじゃないか…、マズイわね)


 フーケの精神力は、『巨大岩人形ゴーレム』、『遁行グランドダイブ』とトライアングルスペル二つに加え、攻撃用の『石矢ストーンエッジ』の多用により、既に底が見え始めている。

 早くケリをつけて『遁行グランドダイブ』を解かなければ、地中で意識を失ってしまうだろう。


 それだけは避けなければいけなかった。

 まだまだ、こんなところで死ぬわけにはいかないのだから。



(そろそろ息苦しくなってきたし、次の潜行中にケリをつけましょうかね)


 『遁行グランドダイブ』は、地続きである限りはどんな場所であろうと移動できる便利な移動手段であり、同時にまたとない奇襲の手段であった。

 ただ、この術には厄介な欠点が三つもある。


 一つ。

 一度体を完全に"地中"から放り出した時点で効果が切れ、潜り直すには再び『遁行グランドダイブ』を唱えなおす必要があること。


 二つ。

 完全な個人用魔法であること。自分の体と身につけた物以外は、地中に引き込めないのだ。

 これのお蔭で、こんな手間の掛かる方法で、標的ターゲット以外を行動不能に追い込まなくちゃいけなくなったわけだが。


 そして三つ。

 ……これが致命的な欠陥なのだが、地中に潜行している間は、息をすることがまったく出来ないこと。

 地中だから当然といえば当然なのだが、このため、一定間隔で酸素を補給しに地上へ顔を出す必要が――


(あづッ!?)


 地上にかけようと伸ばした手が、強烈な熱に晒されて慌てて引き戻す。



 息苦しさが増していく中、天井、もとい地上との境目をぐるりと見回す。

 するとそこには大きく、真っ黒な円形に広がる影が、頭上にゆらめきながら存在していた。


(マズイ、火を放ったね、あいつら!
 ど、どこか火の回っていないところは……)


 そんな黒い円の中、よく目を凝らしてみると、一ヶ所だけ円影の途切れている場所があった。

 代わりにそこには、手形や足形の影がいくつもある。

 どうやら、待ち伏せているつもりらしい。



(そうは、いかないよ……)


 『遁行グランドダイブ』は地続きならどこにでもいけるのだ。

 もうあまり考える時間もないが、一端、連中の見えない所で呼吸を整えれば問題はない。


 となると、一番近くて適しているのは……。



 フーケは、その場所へと体を取り急いで泳がせた。



 ……ちなみに、仮面の男の忠告など完全に忘れてしまっていた。

 まあ、これも酸欠のせいだったのかもしれない。







「出て……、こないわね」


 ヴァリエールから『遁行グランドダイブ』の弱点を聞き、酸欠を狙ってギーシュに錬金で油をばら撒かせ、地面を燃やして、待つこと数分。

 油が尽き、火は衰え始めたというのに、フーケは一向に現れない。



「ひょっとして、精神力が尽きちゃったんじゃない?」

「そうだとしたら、もう浮かんでは来ないだろうが……」


 ……もしそうじゃなくて、機をうかがってるだけだったら?

 うかつに動くと、その瞬間に串刺しになる怖れがある。


 困ったわね、と閉じられた『桟橋』の入り口に何気なく目をやった時……、



「え?」



 ドカッ、ビシッ、ガラガラガラッと立て続けに破滅的な音を生み、塞いだ壁が内から砕けた。

 中からは一つの影が飛び出し、それは先ほど登ってきた階段の方へと、放物線を半ば無視して吹き飛ばされていく。


 空中と地上で平面軸が交差する一瞬、その影と目が合った。



「フーケ!?」


 それは紛れもなく、自分たちが先ほどまで交戦していたフーケであった。

 フーケはその勢いを緩めることなく、街に向かって落ちていく。


 唖然としてそれを目で追っていると、『桟橋』の方から声を掛けられた。



「ルイズ! 三人とも! 無事か!」

「ワルド!」



 ルイズの喜色が混じったその声が、援軍の到来であるとだけ認識してすぐ。



 キュルケは、安堵感とともに意識を手放した。









 倒れたキュルケの肩に応急処置をした一行は、取り急いで『桟橋』の中を昇り始めた。

 キュルケは、ギーシュの『戦乙女ワルキューレ』におぶられている。


 樹の中は巨大な吹き抜けになっていて、壁に点々と設置された松明たいまつが、枝に出る穴を螺旋に繋いだ階段を照らしていた。

 その階段は吊り橋調の造りになっていて、一段ごとによくしなり、実に危なっかしい。

 お蔭でギーシュは、『戦乙女ワルキューレ』が踏み抜いてしまわないかと戦々恐々しながら最後尾をゆくことになった。


 というか、実際に上りきるまでに三回ほど板を踏みやぶってしまったため、その都度『錬金』で足場を補完する破目になった。


 結果、目的の枝に出る頃には、ギーシュの精神力は『戦乙女ワルキューレ』の維持にも支障をきたしそうなほど磨耗していた。

 あまりにも心臓に悪すぎたのか、その息はかなり荒い。



 まあ、それはさておき。

 四人(と一体)の出た枝には、一隻の凧フネが停泊していた。


 見た目は帆船に近く、その舷側げんそくからは風を切るための皮翼が一対突き出ている。

 上に伸びた枝から何本も伸びたロープは、錨いかりの役目を果たしているらしい。


 ワルドたちのいる枝には、甲板へと続くタラップが設置されていた。

 タラップを上り、四人が船上に現れると、甲板で蜜葱オニオン酒のボトルを片手に寝こけていた船員がうとましそうに身を起こした。



「……なんでえ? おめぇら」


「船長を呼んでくれ」

「寝てるぜ。用があるなら、明日の朝にでも改めて来な」


 男は酔いに濁った目で答えると、ラッパ飲みで瓶の中身を空にした。



 ワルドはすらりと杖を引き抜くと、息をついて口を拭う男の鼻先に突きつける。


「貴族に同じことを言わせる気か?
 僕は、船長を呼べ・・と言ったんだ」

「き、貴族!?」


 船員の目から、酔いが一瞬で吹っ飛び、勢いよく立ち上がると凧フネの中へと消える。



 何分かして、寝ぼけ眼まなこでつばの高い帽子を被った初老の男を連れて戻ってきた。

 どうやら、彼が船長らしい。



「なんの御用ですかな?」


 船長は、戦乙女ゴーレムとソレに背負われたキュルケを胡散くさげに見つめた。



「女王陛下の魔法衛士隊、獅鷲グリフォン隊隊長のワルド子爵だ」

「――これはこれは。して、当凧とうせんへはどういった御用向きで?」


 船長は身分を知るや否や、一瞬の内に態度を改めへりくだった。



「アルビオンへと、今すぐに出航してもらいたい」

「そんな無茶な!」


「無茶でも、やってもらわねばならん。これは勅命でな。王室に逆らうかね?」

「あなたがたが何をしにアルビオンへ行くかは知ったこっちゃありませんが、無理なものは無理です!」

「どうしてだ?」


「今日は風雅エオーの日ですよ! 風の外気マナが強化される日です!
 せめてもう三時間は待たなけりゃ、『風石』の加速がつき過ぎてアルビオンの絶壁に突っ込んじまう!」


 風石とは、風の魔法力を蓄えた鉱石のことだ。


 凧フネは風の魔法力で空を進む。

 よって、魔法を使えない平民が凧フネを飛ばすためには、何かしらのパワーソースが必須となる。


 そのパワーソースがこの場合は風石なのだが、この鉱石に代表される自然製魔力石の魔法力は、外気マナの影響を非常に受けやすい。

 風石の場合、風雅エオーの日に爆発的に強化され、そこから鉱石ユルの日まで七日掛けて弱まって行く。


 このバランスが実に厄介で、アルビオンが遠ざかっている時は、風雅エオー以外の日に出航すると数日掛かりの大航空となってしまう。

 逆にアルビオンが近づいている時は、風雅エオーの日に出航してしまうと力が強すぎて向こうの港町までの高さを稼ぐ時間が足りなくなるのである。


 そのためどちらの場合でも多めに風石を保持していなければならないのだが、生憎と今のこの凧フネにそれほどの風石の余裕は無い。

 船長はそこまで一気にまくしたてると、一度大きく息を吸って頭を冷やした。



「子爵様、当凧とうせんの積んだ風石の量では、この距離と時間タイミングで出航しても、どこぞで上昇気流でも捉まえられない限り壁にぶつかって全員お陀仏ですゆえ。
 したがって、今は出港することが出来んのです」

「高さは、僕が稼ごう。僕は『風』のスクウェアだ」


 船長と船員は、思わず顔を見合わせた。

 ありがたいことに、風石を多少なりともケチれる可能性がでてきたのだ。

 そうであるなら、こちらとしても願ったり叶ったりだ。

 風石は高いのである。


 二人は頷き合うと、船長の方がワルドに向き直って頷いた。



「ならば結構で。料金ははずんでもらいますよ」


「積荷はなんだ?」

「硫黄イオウで。
 アルビオンに新しい秩序を建設なさっている貴族の方々は、いまや黄金並みの値段をつけてくださいますんで。
 新たな秩序の建設には、古き秩序の破壊が必要だそうでしてな」


「では、その運賃と同額を出そう」


 にまっ、と船長は何かをたくらんでいそうな笑いを浮かべた。

 商談も成立したことで、やる気が一気に引きあがったらしい。


 機敏な動きで近くに突き出た伝声管をひっつかむと、それに向かって思いっきり怒鳴りつけた。



「野郎ども、起きろ! 出港だ! 舫もやいを放て! 帆を打て!」





 それから30秒も立たない内に、どやどやと船員たちが甲板に上がってきた。

 彼らはよく訓練されているのだろう、叩き起こされたことに文句を言いながらも命令を忠実に、かつ滑なめらかに実行していった。


 凧フネを枝に繋ぎとめていた舫綱もやいづなは解き放たれ、マストによじ登った二人組たちにより三枚の横帆が張られる。

 空中を一瞬沈んだ凧フネはその皮翼で大気を叩き、発動した風石によるゆるやかな上昇軌道の強風が三つの帆をそれぞれ裏打ちした。

 それぞればっと広がって風を受けた帆と翼により、すっと凧フネは動き出した。



「アルビオンにはどの程度で着く?」

「向かい風にぶち当たらなければ明日の夜明けごろ、まあどんなに遅くとも昼前には間違いなくスカボローの港に着きまさぁ」


 そう話し合うワルドと船長。

 キュルケを船室へと運んでいく船員と、それに付き添うルイズを横目に、ギーシュは甲板の手すりに背を預けた。


 凧フネの後ろ、ぐんぐん遠ざかっていく『桟橋』の枝の隙間からは、ラ・ロシェールの街灯りが見える。



 ああ、ヴェルダンデ。

 無事だろうか。

 怪我はしていないだろうか。

 ちゃんと、彼らの手助けをしているだろうか?



 過保護としか言い様の無いほどに、己の使い魔ばかりを心配するギーシュだった。


 確かギーシュも精神力はそろそろ空になるんじゃないかというほど疲弊していた気がするのだが。

 そこはそれ、(偏)愛は肉体を超越するのだろう。多分。


 そんなギーシュに、船長との話を終えたワルドが話しかける。



「ギーシュくん、ルイズは中かい?」

「は、はい」


 相手が憧れの的であるためか、やや緊張した声でギーシュが返事をする。



「そうか。……ちょうどいい、きみにも話しておこう。
 きみは、今回の任務の内容は知っているんだったね」

「はい」


「船長の話によると、ニューカッスル付近に布陣していた王軍は既に陣を放棄し、篭城する段階にまで至ってしまったらしい。
 ニューカッスルは、完全に包囲されて封鎖中だそうだ」

「では、皇太子殿下はニューカッスルの城に?」


 ワルドは首を横に振る。



「それがわからないんだ。戦死の報が未だにないところを見ると、生きてはいるようだが……」


「しかし、王軍が既に篭城してしまっているということは、王党派に連絡を取るためには叛乱軍のど真ん中を突っ切る必要があるのではないですか?」

「そうなるだろうな。
 港町や宿場町の類は、まず間違いなく反乱軍の手の内だ。スカボローからニューカッスルまで、馬で丸一日かかる」


「その間、もし見つかってしまったら……、そこで終わりですか」

「そうだ。まあ、反乱軍も公然と他国の貴族に手出しするようなバカな真似はせんだろうが……な。
 どうにか隙を見つけて、包囲網をすり抜け、ニューカッスルに入城するほかない。夜の闇には注意せねばならんな」


「ですが、子爵。今回は獅鷲グリフォンがおりませんが、馬はもつのでしょうか?」


 そうギーシュが尋ねると、ワルドは不敵に唇の端を吊り上げ、上を指差した。

 つられて上を見上げると、ちょうど話をしていたその獅鷲グリフォンが、この凧フネ目掛けて着陸態勢に入るところだった。


 周りで船員たちもそれに気付いたのか、しきりに驚いた声がそこかしこから聞こえてくる。



「この通り、僕の獅鷲グリフォンはもう来ているよ。何も問題はないさ」


 なるほど。

 しかし、そうなると……、ぼくはまた一日がかりで馬に揺られないといけないのかな?


 そう考えると、今から憂鬱になれそうで。

 考えを打ち切り、深く深く溜め息をついて、少しでも精神力を回復しておこうと、近くの船員に船室へと案内してもらうことにした。



 そうでもしないと明日一日、気力を保てそうになかった。






 
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