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fate/vacant zero

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黒の地下水

Fate/vacant Zero

第四章 後編 黒の地下水









 さて、目的地であるグルノープルの街に到着した一行は、街をあげての盛大な歓迎を受けた。

 アルトーワ伯は、街門まで王女の一行を迎え上がりに来た。


 王家の分家筋であるアルトーワ伯は、やはり珍しい青髪の持ち主であった。

 ただし、その色にタバサやイザベラほどの鮮やかさは無く、ちょっとくすんだ冬空の色といった感じだ。


 老いて痩せた身体をゆっくりと折り曲げ、アルトーワ伯は一礼した。



「これはこれは、イザベラさま。ようこそ、グルノープルへ。
 我ら一同、殿下の行幸を首を長くしてお待ちしておりました」


 それからアルトーワ伯は、目を見開いてイザベラタバサを見つめた。

 ばれたのだろうか? と一瞬身を固くしたイザベラタバサだったが、相当強力な『解析ディテクト』でも掛けねば、『仮面フェイスチェンジ』は見抜けない。

 しかし、高貴のものに『解析ディテクト』をかけるなど、最大級の侮辱である。

 真っ当な思考を持っていれば、一発で怪しまれるのは分かりきっていることだ。できようはずもない。

 どうやら、心配は杞憂に終わりそうである。


 アルトーワ伯は人のよさそうな笑みを浮かべた。


「さらにお美しくなられましたな。
 リュティスに比べれば何もない田舎町ですが、どうぞおくつろぎくだされ」









 イザベラタバサたち一行は、アルトーワ伯の屋敷に通された。


 園遊会の催しは明日であるが、既に庭園にはパーティーの準備がなされていた。

 園遊会の目玉は、近在の貴族たちが行う『春の目覚め』というダンスである。


 地方貴族にとって、ダンスや歌は気のきいた暇つぶしなのだ。

 何かあるたび、演劇や詩歌の会が催される。

 このような園遊会は、絶好の披露のチャンスなのである。


 そのための大きな舞台が、庭園には用意されていた。





 イザベラタバサが案内された部屋は、一番上等な客室であった。

 王女には、どこであれ最も上質なものが与えられるのだった。

 アルトーワ伯は、夜になったら晩餐会が開かれるので、是非とも出席いただきたいと言い残して去っていった。


 窓の側に立つとシルフィードが嬉しそうに降りてきて、イザベラタバサの顔を舐めようとした。

 のだが。

 当然そこは窓ガラスである。

 シルフィードの舌はザラリと窓ガラスと窓枠を舐めただけだった。

 哀しそうに啼きわめく「きゅーん」という声は、なんだか子犬を連想させる響きだった。


 そんな泣き声が34を数えた頃、侍女姿のイザベラがドアから入ってきた。カステルモールを連れている。

 窓の外でそれに気づいたシルフィードが、慌てて上空へ逃げ出す。


「アルトーワ伯をどう思う?」


 開口一番、イザベラに尋ねられたイザベラタバサは、素直に思ったことを口にした。



「普通の貴族」


 正直どこにでもいそうな、温厚で人のいい地方貴族であった。

 反乱を企図するような人物には思えない。

 そこまで告げると、にやーっとイザベラの口元が歪んだ。



「そういう奴に限って、腹で何を企んでるかわからないものさ。逆もまた然り、ってね。
 ところで昨晩は早々に"地下水"に襲われたそうじゃないか。衛士たちが噂していたよ」


 イザベラタバサは頷いた。


「身内に襲われる気分はどうだい?
 おちおち眠れもしなかっただろう?」


 再度、イザベラタバサはこくりと頷く。



「あたしはね、いつもああいう恐怖に耐えながら過ごしているのさ。
 いつ家来や召使に寝首をかかれるやら、わかったもんじゃないからね。
 今この瞬間だってそうさ。例えば、そう。

 そこのカステルモールが唐突に杖を突きつけて『風』をぶっ放したりしないか? ……なんてね」


 笑ってそう言ったイザベラに、カステルモールは一瞬ぎくりとしたが、イザベラにとっては背後になっていて見えなかった、と思う。


「まあ、あんたもせいぜい、そういう恐怖に怯おびえてもらうよ。
 いまの自分の境遇が、どれほど恵まれているか分かるはずさ」


 相変わらず笑いながら、イザベラは部屋を出ていった。

 残されたカステルモールは、イザベラの姿が見えなくなって5秒後に再起動し、深く一礼した。


「隣の部屋にいながら、シャルロット様への無礼なる仕打ちを止められぬとは……、お詫びの言葉もありませぬ。
 昨晩はあの王女を僭称する娘により、宿の外の警備を申しつけられまして……」


 どうやら、イザベラタバサの護衛を申し出るも、イザベラにより却下されたらしい。


「別にあなたのせいじゃない」


 イザベラタバサがそう慰めると、感極まった面持ちになり、カステルモールは片膝をついた。


「もったいのう、もったいのうございます……」







 イザベラタバサの部屋を退出したカステルモールは、一人の衛士とすれ違った。

 護衛隊の一人である。なにやら、呆けた面持ちだった。


「おい」


 と彼は、その衛士を呼び止めた。

 彼は振り返るとまじまじとカステルモールを見つめ……、一本の短剣を、恭しく差し出した。

 む、とカステルモールはそれを手にし、しばらくの間受け取ったナイフを試すように玩もてあそんでいたが。



「今はお前が持っていろ」


 と、再び衛士に手渡した。







 その日の夜のこと。


 ベッドに入っていたイザベラタバサが、ぱちりと目を覚ました。

 なるべくなら、今晩中にはかたをつけたい。

 そう考えたタバサは、早めに仮眠を取っていたのだった。


 イザベラタバサは窓を開け、ぴぃ~~~、と口笛を吹いた。

 ばっさばっさと、シルフィードが上空から降りてくる。


「きゅ?」

 と人語を避けるシルフィードに、短くイザベラタバサは命令する。


「乗せて」





「それで、今からどこ行くの?」


 イザベラタバサを乗せたシルフィードが、夜の黒い空へと舞い上がった。

 月が雲に隠れているらしく、かなり見通しが悪いようだ。


「アルトーワ伯の部屋」

「寝てるんじゃないの?」

「かまわない」


 そう訊いたシルフィードは、屋敷の上空を飛び回る。

 庭のところどころに、松明たいまつが掲げられており、屋敷はそれらの明かりによって、闇の中にぼんやりと浮かび上がっていた。


「きゅい。どこかわかんないのね」


 きょときょとと見渡すシルフィードに、イザベラタバサが声を掛けた。


「あそこ」

「きゅ? どうしてわかるの?」


「最上階。もっとも日当たりの良い南向き。そして、あれは魔法の光」


「それだけで突撃するお姉さまって素敵ね」


 シルフィードは呟くなり、その窓に向かって下降していく。

 途中でイザベラタバサはシルフィードから飛び降り、『空中浮遊レビテーション』を使って窓枠に引っかかる。

 窓にかかっていた鍵を『鍵開けアンロック』で外し、ふわりと中に滑り込む。

 アルトーワ伯は、暖炉の前で本を読んでいるところで、窓から侵入したイザベラタバサに目を丸くして驚いていた。


「これはこれは姫殿下。こんな時間に窓からのご訪問とは……、いったいどうなされたのですかな?」


 さて、ここからが難題である。


「かくまってください」


 悲痛な声を選び、アルトーワ伯の前に進み出ながらそう告げる。


「かくまう? 穏やかでない!
 いったい、なにがあったのですかな?」



 ……おや?


 イザベラタバサは内心首をかしげながら、とりあえず演技を続けてみる。



「実は……、城から、逃げ出してきたのです」

「逃げ出した? ヴェルサルテイルで、いったい何があったのですか?」


 心底驚いた、といった風情でアルトーワ伯が尋ねてきた。



 ……あれ?


 物理的にも首を傾げるイザベラタバサ。

 身柄を押さえる手筈であるのなら、『かくまってくれ』などというセリフは好都合なハズである。

 だというのに、アルトーワ伯の口ぶりからは、そんな陰謀は微塵も感じ取れない。


 どうしたことなのだろうか?


「謀反騒ぎですか?
 いやはや、こんな田舎におりますと、首都で何が起こっているのかとんと疎くなりましてな……」


 ……仕方ない、率直に聞いてみよう。

 と、いうことで。



「そう。謀反騒ぎ」


 じっとアルトーワ伯を見つめながら、そう切り出す。


「実は、あなたに謀反の容疑がかかっている」

「謀反ですと! このわたしが? 謀反などと!」


 アルトーワ伯の顔が、一気に蒼白になった。

 いよいよもって、話があやしい。


「税の払いが滞っているとか」

「去年は不作だったのです! それは申し上げたではありませんか!
 なんなら記録もお見せします! ほれ!」


 とアルトーワ伯は壁際の書架に駆け寄り、一冊の記録簿を取り出した。



「……今年の降臨祭では、宮殿へ顔を出さなかったとか」

「またそのような言いがかりを!
 持病の通風が悪化して外出できなかったのです!
 きちんとその旨、お伝えしたではありませんか!」


 ……この剣幕は、どうも本物のような気がする。



 というよりも。

 また、って、ナニ?


「そう……」


 なんだか考え事に耽って遠い目になりつつあるが、イザベラタバサは頷いた。



「このわたくしの忠誠をお疑いになるとは!
 侮辱ここに極まれり! 生きる気力も失いましたわい!
 さればここで果てるゆえ、首をば王室に持ち帰り、この老貴族の忠誠の証とされい!」


 そう叫ぶなり、杖を振って己に攻撃呪文を放とうとしたので、イザベラタバサは風の魔法でアルトーワ伯の手から杖を弾き飛ばした。



「邪魔だてされるか!」

「あなたの忠誠は疑うところがありません。申し訳ありませんでした」


 タバサがイザベラを装い老貴族を慰めると、アルトーワ伯は、おいおいと泣きはじめる。

 さて、これはどういうことだろうか。

 こんな老人が、謀反を企てるなど考えるはずもない。


 では、"地下水"を差し向けたのは、いったい誰か?



 ……考えるまでも無い。

 疑わしきは間違った事前情報を渡した者。


 加えて"地下水"が来ると知っていた人物。

 そう、その張本人は、言っていたではないか。



 『面白そう』だと。



「――許せない」


 ポツリと、呟く。

 タバサは、己の父をアルトーワ伯に重ねていた。

 何の咎も無く、ただ『王位を揺るがす者』というだけで殺されたオルレアン公を。


 ギリ、と音がする。


「やはり許せませんか!」

「あなたじゃない」


 そうやや強い口調で告げた時、背後で、扉がカタリと開いた。

 イザベラタバサが振り返ると、衛士の出で立ちをした男が立っている。



 顔を隠すためか、顔の上半分を覆う仮面マスケラを被っていた。

 それは東方から伝わった、精霊を模した仮面であった。

 つりあがったデザインの目穴の奥に、鋭い光をたたえた目が光っている。



「こんな時間に祖父ほども歳の離れた紳士の部屋を訪れるとは……、王女の所業とは思えませんな」





「"地下水"?」


 嵐の前のように静かな声ソプラノで詰たずねると、男は優雅な一礼を見せた。

 それは、昨夜の侍女が見せた礼と寸分たがわぬ動き。


「二晩も続けてお会いできるとは……、光栄至極」


 イザベラタバサは、怒りを顕著に含んだ声で告げる。



「誰に雇われたの? 言いなさい」

「生憎と、それは言うわけには行きませんよ。これも仕事ですので」


 "地下水"の慇懃な態度に、イザベラタバサは強い不快感を覚えた。

 だが、迂闊に攻撃しては二の舞に……。


 その警戒心が、ここで逆に命取りとなった。

 驚くべき速さで"地下水"は魔法を放ってきたのだ。


 『氷刃アイスカッター』。

 『風刃エアカッター』より、さらに威力の高くなった上位魔法ラインスペルである。

 4つの氷の刃が、風を切り開きながらイザベラタバサを襲う。


「Verticis 逆巻くAura!風よ」


 イザベラタバサは咄嗟に身体を守るつむじ風を纏ったが、3つめを弾いたところで威力が弱まってしまった。

 イザベラタバサの着ている薄い寝巻きが切り裂かれる。

 昨日の魔法の威力とは桁が違う。どうやら、彼が"本物"らしい。


 薄く腕から血を流しつつ、イザベラタバサは血の上った頭で呪文を紡ぐ。


「Ferocio 猛れVaporatus 水よIs Isa 吹き荒べBoreas風よ――!」


 紡がれたのは、得意の『凍える風ウィンディアイシクル』。

 だが、タバサは重要なことに思い至っていない。


 なぜ"地下水"は『風刃エアカッター』ではなく『氷刃アイスカッター』を使ったのか? ということだ。


 それは、水蒸気を減らすことを目的として放たれた。


 すなわち――"雪風"の威力を殺すこと。


 "地下水"の杖から炎が翻る。

 『火壁ファイヤーウォール』と呼ばれるその防御・・魔法は空中にとどまり、"地下水"へと飛んだ氷の矢をことごとく溶かしつくす。


 彼は、『水』の使い手だったはずだ。『風』も『火』もかなりのレベルで使いこなす"地下水"に、タバサは畏怖を覚える。

 後ろに跳び退りながら、呪文詠唱の時間を稼ぐイザベラタバサ。

 畏怖で衰えつつある精神力を振り絞り、その呪文を唱えつくす。


 さきほど溶かされた『凍える風ウィンディアイシクル』の分、蒸気量に大差は無い。

 唸りを上げ始める魔力を、限界まで練り上げ……、放った。


 『氷嵐アイスストーム』。


 未だ未完成ながらも『スクウェア』の域に辛うじて届く、タバサの切り札である雹を孕む嵐ストームが、包み込むように"地下水"へ向かう。

 攻撃範囲の広いそれであれば、かわす事は出来ないと踏んだのである。


 そう、それは実際、"地下水"にかわされることは無かった。

 あろうことか"地下水"は、そっくりそのまま『氷嵐アイスストーム』を使用し、狭い部屋の中でそれらをぶつけ合ったのである。


 荒れ狂う二つの嵐ストームが、瞬く間に部屋中を戦場に変えた。


 ベッドやクローゼットなどの家具はバラバラに引き裂かれ、布が宙に舞った。

 暖炉の炎はかき消され、部屋の中が闇に染まる。

 そして、片方の嵐ストームが消え――



「ぅあっ!」


 吹き飛ばされたのは、イザベラタバサだった。

 自らの放った嵐ストームを突き抜けて荒れ狂う雪嵐に呑まれ、壁に身体を叩きつけられる。

 かは、と口から苦悶の吐息が搾り出された。


「おやおや、"雪風"が"雪風"に吹き飛ばされるとは……、ご自分の二つ名に裏切られたようなものですな」


 嘲るような口調の"地下水"の一言で、疑いは確信へと移る。


 自分の正体を知っているのは、わずか二人。

 そして、自分をここへと誘導ミスリードしたのは――、イザベラだ。



「……卑怯よ」


 奥歯が、再びぎりりと鳴った。

 あの従姉姫は、気まぐれなイザベラは、いったいどんな理由があって自分をこんな目に合わせているのか?

 タバサは非常に、そう。ムカついていた。


 その表情は――『仮面フェイスチェンジ』でイザベラのものに変えられたタバサの顔は、その怒りによって、よりイザベラそっくりに歪んでいた。


 立ち上がろうとするイザベラタバサだったが、『スクウェア』スペルの直撃を受けた四肢は痺れてしまっており、まだロクに動きを取り戻せていない。

 "地下水"は、おそらく『スクウェア』クラス以上の力を持っているのだろう。


「では、あなたさまを捕獲して、任務完了としましょうか」


 ゆっくりと、タバサに近づいていく"地下水"。

 その時、ドアから一陣の風が室内に飛び込んできた。



「曲者!」


 それは、カステルモールであった。

 彼は仮面をつけた衛士"地下水"と、倒れているタバサに気付き、唇を噛み破る。

 "地下水"は唇をにやりと歪ませると、開いた窓から飛び出していった。


「おのれ! よくもシャルロット様を!」


 と叫び、部屋に飛び込んだ勢いそのままにカステルモールも窓から飛び出していく。



 タバサも後を追おうとするが、どうにも足に力が上手く入らない。

 悪戦苦闘していると、部屋の隅でガタガタ震えていたアルトーワ伯が這いながら、イザベラタバサの元へとやってきた。


「い、いったい何事ですか! 何が起こっているんですか!」


 今回の事件で一番不幸であろう老貴族は、何度も繰り返しタバサに尋ねた。



 その時である。

 魔法のショックか、効果時間の途切れかは分からないが、タバサにかけられていた『仮面フェイスチェンジ』が解けた。

 元に戻ったタバサの顔を見て、アルトーワ伯は目を白黒させた。


「あなたは、シャルロットさまではありませんか!
 いや、先ほどの騎士の言うとおり! 外国に留学したと聞きましたが、なぜにこのような――」


 そこまで一気に捲くし立てて、アルトーワ伯は電池が切れたように突っ伏した。



 どうも一辺に色々なことが起こりすぎて、意識がパンクしてしまったらしい。

 明日は誕生を祝う園遊会だというのに、つくづく不幸な人物だった。


 それを尻目に、杖を杖として使いながらなんとか立ち上がることが出来たタバサの前に、シルフィードの顔が現れた。

 窓から、首ごと生えて。



「お姉さま。いま、この窓からすごい勢いで二人ほど人間が飛び出していったけど……、何が起こってるの? きゅい?」


 きゅい? の所で、タバサの状態に気付いたシルフィード。


「きゃあああああ!?
 お姉さま傷だらけ!? 何があったの! きゅいきゅい」


 言葉を紡ぐ風圧で吹っ飛ばされそうになりながらも、よろよろとシルフィードに命令を下す。



「乗せて」

「ど、どうするの? ボロボロなのに!」


「追いかける」

「あんな怖い人たち追いかけるなんてヤなの! きゅい!」


 シルフィード、図体はこれだがまだ竜の年齢的には幼児である。

 ついでに根が臆病なので割と本気でいやがったが、タバサの命令である。

 しかも、据わった目でじーっとこっちを真剣に見つめている。気配がちょっといやかなり怖い。


 う~~~。あ、あとでお仕置きされるよりマシなのね!と、結論を出したシルフィードは、タバサをひょいっとくわえて、背中に放り跨またがらせる。


「あとで、いっぱいお肉ちょうだいね! きゅい!」









 夜空を低空飛行で飛びまわりながら、闇に消えた二人の魔法使いメイジを探すのは、ぶっちゃけ人の身ではあまりにも無理がありすぎた。


 見えない。

 まったくもって見えない。


 耳を澄ましても、あっちこっちで風切り音がするばかりなのだ。

 どうしようもない。

 いつの間にやら月明かりは射しているのだが、それでもこんな広大な庭園ではどこがどこやらさっぱり分からない。

 どうしたものかとタバサが途方にくれていると、人よりは夜目の利くシルフィードが索敵に成功したようだ。


「お姉さま、あそこに誰か居るわ」


 昼間見た、庭園に設営された舞台がそこにあった。

 月明かりの下、黒々と横たわった大きな板作りの台の上。

 そこに、人影らしきものが見えた。

 タバサは杖を構え、シルフィードに降下を命じる。


「ええええええ? あそこに降りるの? 怖いよぅ」

「い・い・か・ら」


 タバサの語気が、珍しく強い。


 こういう時のお姉さまにはむかっちゃうと……?


 どうなるんだろう、なんて正直その先を考えたくもなかったシルフィードは、窮めて迅速に降下した。





 舞台に近づくに連れ、人影が大きくなってくる。

 どうやら、戦いは既に終わったらしかった。

 一人が、倒れたもう一人を覗きこんでいる。

 "地下水"とカステルモールだろうが……、勝ったのは、どちらだろう?

 シルフィードが、舞台に降り立つ。

 タバサは油断せずに杖を構える。

 さっきの怒りで、精神力が随分回復している。

 殺る気や きは満天だった。

 そんなタバサに気付いたのか、片膝をついていた方の影が立ち上がる。



「シャルロット様?」


 タバサはほっとしながら、残念に思った。

 どうやら、カステルモールは勝利してしまった・・・・・・らしい。

 倒れた男のほうを見ると、仮面が外れていた。

 その顔は、昨日、タバサの部屋に飛び込んできた衛士の一人だった。



「彼が……"地下水"?」

「ええ。最近入隊したうちの一人です。
 今後は、身元をしっかりと確認する必要があるようですな」


 タバサは倒れた男を見つめた。

 まだ若いのに、随分と強力な使い手である。

 この歳で、『スクウェア』クラスとは……ん?


 何かいま引っかかった気がする。はて。

 男を、もう一度注意深く見てみると、奇妙なことに気付いた。



 着衣に、まったく乱れが見られないのだ。

 魔法の攻撃を受けた場合、その痕跡が何かしらの形で残るはずである。


 『火』であれば焦げ痕が。

 『風』であれば切り傷が。

 『水』であれば、当然ぐっしょりと。

 『土』であるのなら……、衣服がどうたら言う問題ですらない。


 辺り一面土まみれになるか、そうでなければ体の原型も残らないだろう。


 だがそんな痕跡など、衛士の衣服はもちろんのこと、舞台にもまったく残っていない。



 ……と、いうことは?



 カステルモールをじーー……っと眺める。

 彼はロープとナイフを取り出すと、衛士を縛り始めた。


 なんだか、とっても既視感デジャヴな光景。



 と、いうことは。



 抑揚の欠け落ちた小さな声で、杖でソレを指さしながらタバサは尋ねた。



「そのナイフ、どうしたの?」

「え? ああ、彼が持っていたんですよ」


 そう答えたカステルモールは、ナイフを持ったまま振り向きざまに杖を抜いた。



 しかし、流石に今度ばかりはタバサが早かった。

 彼が杖を向けた時、既に詠唱は終わっていたのだから。


 杖を振り下ろし、『凍える風ウィンディアイシクル』が宙を駆ける。

 氷の矢は、その全てがカステルモールの左手へと集中した。



「くッ!」


 カステルモールは咄嗟に身を捻ってかわそうとしたが、一本の氷の矢が左の手のひらを貫通した。


 ナイフがその手から滑り落ち……、同時に、糸の切れた操り人形マリオネットのごとく、カステルモールが崩れ落ちた。

 それでもなおタバサは油断せず、次なる呪文を詠唱する。


 大気が震え、小さな稲妻が周囲を走る。

 『雷撃ライトニングクラウド』。


 殺傷能力が非常に強い『火』と『風』の上位魔法ラインスペルを、タバサは解き放つ。

 稲妻は、カステルモール……


 が手放して地面に突き立っていた短剣を直撃し、まとわりついた。


 その瞬間、



「ぅぎぃああぁあああぁあああああぁああああ!?」


 と、よく通る低い声バリトンで悲鳴が上がった。

 無論、それはカステルモールからでも倒れた衛士からでもなく……、『短剣』からである。



 その間も、タバサは詠唱を止めない。

 あと、こめかみに十字というかX字というか……、青筋、と一般に呼称されるものが浮かんでいる辺り、相当頭に来ているらしい。



「二発め「わ、わかったわかった! 降参だ!
 降参するから、『雷撃』だけはもう勘弁してくれぇ!!」……(チッ)」


 とっても残念そうに小さく舌打ちをするタバサがそこにいた。

 こわい。







「知恵もつ短剣インテリジェンスナイフってわけなのね」


 未だに突き立っているナイフを前にして、シルフィードがつぶやいた。


 そう、"地下水"の正体は、一本の短剣だった。

 意思をその身に写された魔剣、『知恵もつ短剣インテリジェンスナイフ』だったのである。

 握ったものの意思を奪う能力を持ち、次々に宿主を変えてきた短剣。


 謎の傭兵"地下水"。

 正式銘めい『黒シェルンノス』は、そうして世界を渡っていたらしい。

 そりゃ正体不明で当然だろう。


 青筋が浮かんだままのタバサはというと、そんな傭兵ナイフを脅しながら事情を聞きだしていた。

 ちなみに、脅し文句は「『雷撃』ごうもん、水没まっさつ、土葬むきちょうえき。どれがいい?」だった。

 どれもこれも金属の身では地獄ではなかろうか。


 まあそんなわけで。ぺらぺらと"地下水"シェルンノスは知っている限りのことを話し始めた。

 相槌は主にシルフィードが担当している。



「お姉さまを苦しめるなんて、あなた強いのね」

「ああ、意思をのっとった魔法使いメイジの精神力が、俺自身の魔力に加算されるんだ」

「だから侍女の体をのっとったときはあまり強くなかったのね? 魔法使えないから」

「そういうこったね」


 悪びれない声で、"地下水"は言った。


「どうして、イザベラに雇われたの」


 今度は、タバサが質問する。

 いや、むしろ詰問というべきだろうか?


「そりゃ簡単な話さ。
 ガリアの"北花壇騎士団"は設立当時からのお得意さまでね。
 今回も、いつものように雇われた。そんだけさ。

 お前さんの知らないところで、俺は結構活躍してたんだぜ?
 まあ、北花壇騎士には横の繋がりがねえから知らないで当然なんだがね」


「では、なぜ傭兵をしているの」

「もっと簡単な話さ。暇だからだよ」


 淡々と"地下水"は答える。


「こちとら、短剣の身でね。寿命なんざねえんだ。
 "意思"を吹き込まれたら最後、退屈との戦いが始まっちまうわけだ。
 俺の知り合いなんかは、それで結構苦しんでたな。

 で、だ。
 どうせ戦うんなら、何かしらの目安なり目標なりが欲しいわけだよ。
 それこそ、金とか。名声とかね」



「最後の質問。なぜ、イザベラは、私を襲わせたの?」

「――暇だからさ。退屈しのぎだよ」


 なんでも、南ガリアで盛んな"闘竜"のように、魔法使いメイジ同士を戦わせて楽しむつもりだったのだという。


「イザベラは、自分のお抱えの騎士なんざ、将棋チェスの駒ぐらいにしか思ってねえ。
 俺も、あんたも。その遊びに付き合わされたってわけだ」


 それを聞いたタバサの周りの風がぶわりと揺らぎ、帯電しはじめる。

 肩は怒りで震え、珍しいことに眉はひそめられ、唇は噛み締められている。

 タバサのそんな様子に、シルフィードと"地下水"が震えだした。


 ヤバイ、と。


「お、おいおい! そんなに怒るなって! 俺は命令されただけだよ!
 頼むから溶かすだの埋めるだの沈めるだの雷撃だのは勘弁してくれ!」

「そ、そうなのね! まずは落ち着くのねお姉さま! 深呼吸! 深呼吸!」


 すぅ…はぁあああああ。

 思いっきり呼の方が長い深呼吸をかまし、どうにか溢れ出る精神力で青筋を押さえ込みながら、声を出すタバサ。


「許してあげるから、少し話を聞いて」

「あ、ああ。命を助けてくれるっていうんなら、大抵のことは聞いてやる」


 "地下水"はふるふると震えながら、タバサの言葉を待った。



「わたしに、雇われてみない?」



「……ナヌ?」


 意表をつかれたのか、マヌケた声を上げる"地下水"。


「契約条件」



 しばらく、タバサの言う条件を黙って聞いていた"地下水"だったが、最後の条件を聞いたとき、思わず噴き出してしまった。


「い、いいよ、やってやるさ。
 退屈しのぎには、丁度いいからな。
 そんじゃ、これからよろしく頼むぜ。嬢ちゃん、竜の子」


 なんだか焦った様子の"地下水"が気になったものの、とりあえずその場は頷いたタバサだった。









 翌朝。

 イザベラは、カステルモール……に握られた"地下水"から、任務完遂の報告を受けていた。


 操られている間の記憶は、"地下水"の任意である。

 消すもよし、夢を見させるもよし、意思だけを残して体の制御を奪うもよし。

 この辺りは、『水』の使い手の本領である。

 今のカステルモールは消されている状態だ。

 "地下水"が手を離れたとたん、どうしてここに? と思うことだろう。


「それにしても、素晴らしい読みでしたなイザベラ様。
 まさか、あれほど尽ことごとく律儀に予想通りの反応を返されるとは思いませんでした」

「ふん、お世辞はいらないよ。あいつが単純にすぎるだけなんだからね。
 読めないあんたの方がどうかしているのさ」


 イザベラは大きなあくびをした。

 目の前では、ちょうど園遊会の目玉であるダンスが行われているところである。


 庭園にしつらえられた舞台の前、イザベラは家臣を従えて一番前の席に座っている。

 隣にはアルトーワ伯の姿も見える。

 彼は会うなり昨日のことを尋ねてきたのだが、イザベラは「軽い謀反騒ぎだ」との説明のみを行い、放置した。

 適当にあしらわれたアルトーワ伯は憤慨したが、首を突っ込んでこれ以上面倒ごとに巻き込まれてはかなわぬと悟ったのか、それ以上は尋ねてこなかった。


「それで? あんたは、これからどうすることになったんだい」

「はい。当面、"地下水"は廃業になりそうですなぁ」


「そうかい。

 ――あいつのこと、よろしく頼むよ?
 無茶しないよう、ちゃんと手綱を引っ張ってやっとくれ」


「……ええ」


 舞台では、演目がたけなわであった。

 薄い布を幾重にもまとった美しい娘たちが現れて、春の訪れに対する喜びを表現し始めた。

 鮮やかな、咲き乱れる花のような見事な踊りであった。

 イザベラは、その典雅な踊りに見入った。


「ただ、困ったことが一つございまして」


 "地下水"が囁くようにイザベラに告げたが、移り気な今のイザベラは、すでにダンスに夢中であった。

「あとにして。今、ダンスが面白いのよ」

「では……、お渡ししておきます」


 すっと差し出されたソレを、イザベラは反射的に握った。


「……ん? これは」

 なんだい?


 イザベラは手に握ったそれを見つめようとしたが、体が言うことをきかない。

 これって、と呟いたつもりだったが、声も出ないことに気付いた。


"姫殿下。実は、七号殿との契約の際、ちょっと厄介なことになってしまいまして"


 "地下水"の声がダイレクトに心に届く。

 間違いない。いま握らされたのは、"地下水"自身だった。

 右手に光る、交差する輪の鍔つばを持つ銀色の短剣。

 自分の体はいま、"地下水"に乗っ取られている。


『や、厄介なことってなにさ』


 あまりイザベラは動揺していない様子だったが……、それでも、自分の体が急に立ち上がったのには少し驚いたらしい。


"ええ。姫殿下の予想を、一つだけ七号殿が越えてしまいまして。
 あることを貴女の体を用いて行え、という条件を契約条件の満了のために示さねばならなくなったのですよ"


 ぴしりと、固まった(もとより体は動かないけど)。


『………………そ、それは、何?』


"つまり、彼女は貴女様の予想よりも……、まあ、年相応だったわけでして。
 無駄に振り回されたのが相当気にくわなかったらしいのです。

 いやぁ、アレは恐ろしかった。
 姫殿下の怒りより、百倍は恐ろしかった。
 どうやら私たちはちょっと引っ掻き回しすぎて、竜の咽喉鱗まで踏んづけてしまったようですなぁ"


 なんだか"地下水"が震えているような気がする。

 いったい何なのさ!? と、イザベラは思った。


『ってそっちはいいから! いったいあたしは何をやらされるのよ!?』

"えーとですな。まず、先に謝っておきます。
 申シ訳ゴザイマセン、きれタ七号殿ニハ正直逆ライタクナインデス"


 何で片言なのよ、とつっこみを入れつつとっても不吉な単語を反芻するイザベラ。


 きれた?


 ……って、キレた? あの人形娘が?


 それは、感情を表に出眉を動かさせたことを喜ぶべきなの?

 それとも、こんな事態になっちゃったことを悲しむべきなの?



『っていうか、だからあたしゃ何をさせられるの? ねえってば!?』


 "地下水"は応えない。

 代わりに、"わたし"の口が開いて、妙なことを口走りやがった。


「アルトーワ伯の誕生日を祝うためにわたくしがダンスを披露しますわ」


 観客から、歓声が湧いた。

 ふらふらと舞台に向かうイザベラ(の体)。


『なによ、ダンスなの? 別にいいわよ、それぐらいなら』


 ほっ、っとしながらその様子を眺めていたイザベラの視界に、さらに危険なものが映った。



 "地下水"の切っ先。それが震えながら、ゆっくりと持ち上がってくる。





 ナニゴト?





『ちょ、ちょっと地下水?
 なに、ダンスって、ただのダンスじゃないの?』


"……それがですな。えげつないことに七号殿は、全裸ダンスをご所望でして"













 ナンデスト?


『ちょ、ちょっと待って地下水。それってば、下着だけ残すのとかは……』

"まあ、ダメでしょうなぁ……そんなわけで、申し訳ありませんが姫殿下。

 あなた様は悪くありませんが、あなた様の立てた計画が逝けなかったのデスヨ"


 ぴたりと、イザベラの体を貫くような位置に、色々コワれ気味の"地下水"が持ち上げられた。


"一応、出来る限り誤魔化せるように頑張ってみますので……、そんじゃ失礼します"

『ちょ、ちょっと待っ、きゃーーーーーーッ?』


 ざっくり、服が切り裂かれた。








 シルフィードは舞台の上空を旋回しながら、眼下の騒ぎを見物している。


 園遊会はもう、大騒ぎであった。そりゃそうである。

 仮にも王女が、生まれたままの姿になってナイフ片手にダンスを披露しているのだ。


 慌てて目を覆うものがいた。

 普通なら目にすることなど出来ようハズもない王女の肢体に釘付けになるものがいた。

 早く止めろと騒ぐ良識あるものだっていた。

 いやあれは王女の芸術である止めるのは侮辱、と言い張っているのはカステルモールだろうか。


 まあなんにせよ、イザベラはガリア史上初、裸で舞った王女として名を残すことになるだろう。



「すごい! ちょっと可哀想だけど、あれだけお姉さまに意地悪してるんだから当然なのかしら! きゅいきゅい!」


 そう快哉を叫ぶシルフィードの背びれにもたれ、タバサは軽い自己嫌悪に嵌はまっていた。



 昨夜の自分は頭がどうかしていたのだろうか?

 これでは、アルトーワ伯がさらに哀れなことになってしまうのではなかろうか?

 いくらなんでも、ここまでやる必要は無かったのではないか?

 というかそもそも、何故昨夜の自分はあれほど怒っていたのだろうか?


 考えれば考えるほど、深みに嵌っていく気がする。

 段々と後悔が押しつぶしにかかってきたことだし、そろそろ頃合ではないだろうか、と現実逃避気味にタバサは思う。


「見て! お姉さま! あの王女ってば、もうお嫁にはいけないわね!
 見て見て! わぁ! ちょっと! いまの格好夢に見ちゃいそう!」


 地味に傷をざくざくぐさぐさ抉ってくれるシルフィードの後ろ頭を、とんとんと杖で叩く。


「なぁに?」

「そろそろ」


 シルフィードのまなじりが残念そうに落ちる。


「えー。もうちょっと見たい」

「趣味が悪い」

「うー、お姉さまに言われたくない……、わ、分かりましたお姐さま!」


 何か言いかけたシルフィードをじーっと見ると、変なイントネーションでわたしに了解の合図を返してきた。

 昨夜のわたしって、そんなに怖かったの?

 首がかくりと前に倒れる。


 ちょっと落ち込んでいると、シルフィードが約束の合図、よく通る「るーー」という長い声を放っていた。



 しばし待つ。



 やがて園遊会の会場から、桃色の何かの花びらと突風を尾引かせながら"地下水"……、いえ、"シェルンノス"が飛び立ってきた。

 わたしはそれに『空中浮遊レビテーション』を掛けると、杖に絡めてキャッチする。


「よう。あんなもんでよかったのかい?」


 こくり、といつもの調子で一頷きする。


「きゅい? ねえねえ、さっきこっちに来るとき、あなたがばら撒いてた花びらって何?」

「ん、アレか?
 ……あー……、あれなぁ。

 イザベラの服の中に『眠り草』の花びらがこれでもかと詰め込まれてたから、騒ぎをでかくしないようにばら撒いてきたんだよ」



 ……つくづく気の毒に、アルトーワ伯。

 せっかくの誕生日なのに、いきなり王女は裸で踊りだすわ、無理やり眠らされるわ……、目が覚める頃には昼を過ぎてしまうだろうか。

 しばし瞑目して彼の幸せをお祈りする。

 自分も原因の一端であるので、念入りに。



「んー。なあ、竜の子。
 あんまり長く居座ってると怪しまれそうだし、そろそろお前さんたちの住処すみかに連れてってくれや。
 トリステインだっけ?」

「きゅい、そうするのねー。あと、わたしはシルフィードっていう名前があるのね」

「ははは、風の精霊シルフィードって呼ばれるにはもう2・300年は我慢しねえとなぁ」

「ほっとくのね! どうせわたしは子供ですよーだ! きゅい!」


 なにやら口げんかをしながらも、ばさり、と風を叩いてシルフィードが空を滑り出す。


「さて、と。
 そんじゃあ嬢ちゃん、契約は成立でいいな?」

「いい」


「よし。そんじゃ、これから"地下水"は廃業だ。
 嬢ちゃんの腹心として働くことにしよう。ただ、退屈だけは勘弁してくれよな?」


 こくりと頷く。


 今回のイザベラの気まぐれには随分と苛立たせられたが、それでもこの二千年を越えて生きているらしい凄腕の傭兵という協力者を得られたのは僥倖と言うべきだろう。

 頬を撫でていく風を心地よく思いながら、タバサは本を取り出した。

 どこにしまっていたかは……、乙女の秘密である。



 それに気配で気がついたシルフィードが振り向き、お説教を始めた。


「もぅ、またぁ~! これからもそんな調子じゃ、剣が退屈しちゃうわよ!
 少しは会話を覚えなさいなのね! もう!」

「はっはっは、大丈夫だぞ? 俺は俺でそこの竜の子からかって愉しむからな!」


 こくり、と頷いておく。


 さっきのお返しだ。

 誰が姐さんキワモノだというのだろうか。失礼な。



「きゅぃいいいいい!」


 シルフィードの悲痛な聲さけびを聞き流し、本に没頭する。


 とりあえずは、シェルンノスの『氷嵐アイスストーム』を突き抜けるぐらいの『氷嵐アイスストーム』を使えるぐらいには強くなろう。うん。




 北花壇騎士、"雪風"のタバサ。

 本名、シャルロット・エレーヌ・シュヴァリエ・ド・パルテルは、無表情ながらも負けず嫌いな女の子だった。







 最後に、蛇足ながら二つの契約について述べておく。



 1つめ、"雪風"のタバサと"地下水"シェルンノスの契約。



 1.シェルンノスは、タバサを豊富な実戦経験でサポートすること。

 2.タバサは、シェルンノスに対して暇つぶしを提供すること。

 3.以上2つの契約は、シェルンノスが園遊会でイザベラを操り、公然で裸体の舞を披露させることにより承認するものとする。





 2つめ、王女イザベラと"地下水"シェルンノスの契約。



 1.イザベラ(以下、【甲】)は長期に渡り、シェルンノス(以下、【乙】)に退屈凌ぎを提供するものとする。

 2.乙は北花壇騎士七号(以下、【丙】)に対し、実戦の駆け引きを学ばせること。

   【乙】は誰の体を使おうとも構わないが、【丙】の殺害および意思干渉は許可しない。

   また、可能なれば【丙】を信頼している者を使うのがより好ましい。

 3.本契約の存在は、【丙】本人はおろか、【甲】と【乙】以外の何者にも悟られてはならない。

   【丙】が万一この契約に勘付いた場合、【甲】の短絡的な暇つぶし、メイジの決闘を愉しむためであるとせよ。

 4.【丙】が何かしらの条件と引き換えに【乙】に契約を持ちかけてくる場合、【乙】はそれに乗ること。

   【丙】と契約後は条件3に抵触しない限り、その条件に沿うべし。その際、【乙】は傭兵を休業するように。





 どうやら駆け引きは、二枚も三枚もイザベラが上手のようであった。



 
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