人理を守れ、エミヤさん!
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地獄の門へ (下)
――あれは、ヤバイな……。
しとしとと、雨が降り始めていた。陽は落ち、夜となっている。
樹木の影に身を隠し、草木に紛れて敵陣に接近したのだが、ケルト戦士を率いる将を目にした俺は顔を顰めた。
どうやらこの森で、奴らも夜営をしているらしい。ケルト戦士が歩哨に立ち、周囲を警戒している。休憩をしているのではなく、防備を固め夜間に敵から襲撃されるのを警戒しているようだ。
陣幕は女の戦士が守りを固めて、将であるらしいサーヴァントは戦士に周りを固めさせたまま切り株に腰掛け、目を閉じて静かに佇んでいる。油断や慢心は見て取れない。夜間の行軍は控え、居るかも分からない敵に備える様からして、相当に優れた指揮官らしい。
周囲の女戦士はアマゾネスか。サーヴァントは見事な白髪をした、幼げな少女の容姿をしているが、見た目で侮っては痛い目を見るだろう。棘のついた二つの鉄球と、凶悪な鉄爪、大振りの剣を装備している。剣を解析すると真名が分かった。
ペンテシレイアだ。
アマゾネスの女王。アカイアとトロイアの戦争で、ヘクトールの死後にトロイア側へ援軍として駆けつけ、アキレウスと交戦した。彼に殺されるも末期に呪いのような予言をしたという。
軍神アレスの血を宿し、勇猛なアマゾネス族の女王として君臨していたのだから、かなりの力を持っているだろう。神代の英雄という奴は大体が化け物揃い故に。
伝承によるとペンテシレイアは、相当にアキレウスを憎んでいたらしい。クラスはライダーか、セイバーあたりか? 理知的な様子だが……いや決めつけはよくないな。大穴で実はバーサーカーでしたというのも有り得るのがサーヴァントだ。
なんであれ仕掛けるのは得策ではなさそうだ。守りが固い。幸い感知力は高いわけではなさそうだ。俺に気づいた様子はない。ペンテシレイアの陣の向こう側にいる小太郎にハンド・サインを送る。あらかじめ取り決めていた「仕掛けた罠」「そのまま」「素通り」のサインである。
幾らなんでも無謀だ。危険を犯すべきじゃないだろう。彼女の軍勢が何処を目指し、何者と戦う気なのかは知らないが、ペンテシレイアに奇襲を仕掛けても動揺してくれまい。攻撃しても跳ね返され、殺される様がありありと目に浮かぶ。
気配を消して足音を一切立てず、ゆっくりと離れていきペンテシレイアをやり過ごす。ペンテシレイアとの交戦を避け、夜通し歩いて山脈を抜けた。小太郎が言う。
「……人がいませんね」
「……」
アマゾネスの女王が、何故ケルトに味方しているのかは不明だ。力で敗れ、傘下に収められたのか。それとも召喚された義理を通しているだけなのか。なんであれ厄介である。将として優れ個としても強いサーヴァントは敵に回したくはない。
だが、敵だ。いずれ戦わねばならないだろう。ケルトに荷担しているという事は無辜の人々を殺めている可能性は高い。これからも殺すだろう。本当なら見逃すべきではなかったが、俺は殺される訳にはいかないのだ。
……情けない。小太郎というサーヴァントがいるから、捨て身で人を助けなくても、長期的に見て多くを助けられる方策を探るという言い訳で、短期的に人が殺められる可能性を見過ごした。俺は汚い奴だ。……嫌悪感を抱く。
幾日か更に歩き、オレゴン州に入った。しかし相変わらず人を見掛けない。時折り山岳部でケルトに遭遇するが、一撃離脱を繰り返してそのまま逃げ去った。
ケルトとの遭遇率が高い。俺はこめかみを揉んだ。マズイ、下手を打った予感がする。そう思ったなら即座に行動を移すのが吉だ。
「……小太郎、進路を変えるぞ」
「え?」
「ワシントン州は敵地だ。奴らとの遭遇率が高すぎる。北は敵だらけだろう。南東に進路を移す」
断じるように俺がそう言うと、小太郎は困ったように眉を落とした。
「しかし……主殿。主殿の食糧と水の備蓄は……」
「……」
戦闘背嚢の中身はほぼカラだ。後一食分しかない。舌打ちした。今更進路を変えても飢えに苦しんで野垂れ死ぬかもしれない。
武器や悪路の歩行に必要な装備は投影でなんとか出来るが、食い物関係だけはそういう訳にもいかない。こればかりは仕方がなかった。最寄りの都市があるから、そこに寄って調達してから進路を変えるしかないだろう。
最寄りの都市とは、オレゴン州最大の都市があるポートランドだ。と言っても、今の時代にポートランドはない。オレゴンシティとバンクーバー砦の中間に位置する其処は、ウィラメット川流域に広がる空き地である。
1843年にウィリアム・オバートンがこの地を発見し、商業都市として開発する事業に乗り出すまでは小さな集落があっただけだろう。別名が「麦酒の町」であり、俺は現代のポートランドで麦酒の醸造の仕方を勉強したものだ。
故に都市と言うのは正確ではない。未来に都市となる場所、と言った方が正解だろう。ともあれ其処に向かった俺と小太郎は、後のポートランドである集落の惨状を目の当たりにした。
人は既にいない。しかし夥しいまでの破壊の爪痕が残されている。家屋は倒壊し、燃えて崩れ落ちた痕跡があり、幾つものクレーターに地面が抉られている。ここでなんらかの戦闘があったのは明白だ。――それも、比較的最近に。
風魔の頭目が顔を引き締める。
「……危険だ。深入りし過ぎた」
「はい。退きましょう。川で魚を釣るか、海岸に出て漁をするしかなさそうです」
余りにも危険だった。まだ敵が近くに――
「おお、これはまた数奇な客人だ。折角来たというのにもうお帰りかな?」
「ッ――!」
「主殿、下がってください!」
咄嗟に飛び退いた俺の前に、苦無型の短刀を構えた小太郎が出る。
崩れ落ちた家屋の影からゆっくりと姿を表したのは、筋骨隆々の男だった。上半身は裸、胸に獣に引き裂かれたような傷が三本ある。身に纏う覇気、充謐した魔力、間違いなくサーヴァントだ。
それも螺旋に捻れた大剣を肩に担いでいる。漲る戦意が陽炎のように揺らめいていた。
俺はその男を知っていた。その伝説の魔剣をよく知っていた。驚愕に目を見開く。
「フェルグス・マック・ロイ……!」
細い目を微かに開き、豪傑は意外そうに言う。
「む、一目見ただけで俺の真名を見抜くとは……さては俺を知っているのか?」
「……は。よくよく知ってるさ」
吐き捨て、思考を回す。意識に火花が散るほど現状を打破せんと、思考の歯車を高速で回した。
偽・螺旋剣――そのオリジナルを持つ英雄。アルスターサイクルに於いてクー・フーリンの養父にして友であり、剣の師であった事もある男だ。精力絶倫にして剛力無双、超自然的な人間として語られ、後世の有力者は彼の子孫を自称し権威を高めたとされる。
謂わばクー・フーリンが超自然的な魔人であったなら、彼は超自然的な超人である。彼の螺旋剣を幾度も投影している俺はこの英雄の力をよくよく知っていた。故に――
「逃げるぞ、小太郎。俺達だけでは絶対に奴には勝てん……!」
――フェルグス・マック・ロイに対して勝ち目はないと、即座に判断した。
小太郎は反応しない。真っ直ぐにフェルグスだけを睨み付けている。冷や汗がその顔には浮かんでいた。風魔小太郎がフェルグスから目が離せないのは、目の前の超人が突き刺すような戦意を叩きつけているからである。
目を離した瞬間に首が飛ぶ。胴に風穴が空く。確実に死ぬ。その確信が小太郎を縛っていた。それが分かるからこそ歯噛みする。
風魔小太郎は暗殺者だ。忍の者だ。白兵戦は、専門ではない。しかもこんなに見晴らしのいい所で戦うなど自殺行為。小太郎の宝具も、この英雄相手には相性が悪かった。
フェルグスは面白くなさそうに鼻を鳴らした。剛毅にして快活、豪快な性格の英雄には似つかわしくない、「戦い」にしか注力していない獣の眼光だ。
「いきなり逃げ腰か……つまらん、それはつまらんぞ。戦う力のない女子供を手にかける反吐の出るような仕事ばかりで辟易しておったところに見掛け、骨のありそうな男と漸く相見えられたと喜んでいたというのに」
「……英雄フェルグスともあろう者が、罪もない人々の鏖殺に荷担しているとはな。失望したぞ」
「俺自身はそんなつまらん真似などしておらんが……そうだな。看過している時点で俺も同じ穴の狢という奴だろう。否定はせん。で、どうする。俺もつい先刻サーヴァントを一騎屠ったはいいが……昂りを抑えるには物足りなかった。見れば中々の男ぶり、逃すには惜しい。 どのみち此処で殺すのだ。 せめて剣を執り俺と戦え」
歯軋りしながら干将莫耶を投影する。マズイ、マズイ、マズイ――ケルト戦士が多数現れた。囲まれる、囲まれて、戦わされ、殺される。最悪の展開だ。
フェルグスはしかし、言った。
「お前達は手を出すな。この益荒男達は、俺の獲物だ」
虹霓剣を構えたフェルグスが、天上が落ちてきたような威圧を放ちながらケルトの戦士らを退かせる。戦士としての矜持か? 自信か?
分かっている、誰よりも分かっている、この英雄は――ほんの僅かな時間で、俺と小太郎を殺せると見切っている。
故に、情けだ。
雑兵に殺されるのではなく、自分という英雄が殺してやるのが、戦士としてせめてもの情けだとこの英雄は――原始の豪傑は信じているのだ。
理解はしない。だが知っている。雑魚に首を獲られるよりも、名のある将に首を刎ねられるのを望むのが古代の将らの思想だ。彼は悪ではない、ただ決定的に俺との価値観が違うだけの事。
小太郎が吐き出すように言った。
「――血路を拓きます。主殿、どうか撤退を」
「撤退はする、だがお前も一緒だ」
「馬鹿ですか貴方は!?」
小太郎は嘆き、しかし笑った。
こんな使い捨てられても文句の言えない乱波と死地を共にし、あまつさえ見捨てる事なく危機を脱しようと言う主。得難い主だ、嬉しかった。だが、だからこそだ。小太郎は何に換えても絶対にこの主を逃がす事を誓う。何があっても彼に仕えると――この心命の全てを捧げて、彼に尽くそうと。
フェルグスが笑った。久し振りに笑い方を思い出せた、というように。
「――いい主従だ。益々、殺したくはないものだ……だが。今の俺は、喩え悪鬼と謗られようとも、お前達を殺す。せめて名だけでも聞かせてはくれんか?」
「……衛宮士郎だ。覚えておけ。俺は逃げる。だがいつか必ず、お前を打ち倒してやる」
「は――はははは、はははははは!! そうか、そうか! 俺を倒すか! 面白い、だがそれには問題がある。衛宮士郎、お前は此処で死ぬ。次の機会などないぞ。残念ながら、な……」
「いいや、主殿は死なない。そしてお前を必ず倒すだろう。何故ならこの僕が、風魔忍群五代目頭領、風魔の小太郎が主殿を逃がすのだから」
は……と。フェルグスは、最後に快活な笑いを一つ溢す。
それで終わりだった。交わす言葉はそれで最後だった。神話最強に限りなく近い豪傑が、笑みを消して敬意を示し、虹霓剣に魔力を送る。
讃えるべき敵手に最大の敬服を。その高潔な魂に祝福を。以て英雄は認めたのだ。全力で彼らを倒すに値すると。ならば、どうして出し惜しむものがある。フェルグスは、本気だった。
――雨が、降っている――
そして。魔剣から漏出していく虹が、螺旋の断層を生み出していく。フェルグスは吼えるようにして螺旋の魔剣を地面に突き刺さず、その切っ先を鉄心の男へと向けて。
「――『虹霓剣』」
螺旋の渦が、奔った。
――ハ、ハ、ハ。
まるで狗のようだと自嘲する。溢れ落ちていく臓物に苦笑する。
分身、空蝉の術、火薬玉……持ち得る全ての誤魔化しの術を用い、死に物狂いで遁走したというのにこの始末。担いでいる主は意識がない。事もあろうに道具であるサーヴァントを、道具でしかない乱波を庇い、あろう事か超雄の拳打を受けて昏倒していた。
宝具を使い、風魔忍群総力で虹霓の暴風を齎す英雄を足止めした。しかし、次の瞬間には螺旋の虹によって暗闇は払われ、風魔の忍らは一掃されてしまっていた。
意識を失った主を担ぎ、全速力で逃げ出したが――何処をどう走ったのか、不覚にも記憶から抜け落としてしまった。
英雄は言った。
「潔いまでの逃げの一手、見事。この俺から逃げ切ったのだ、いつか再び挑むがいい。その日の為に俺は追わん。逃げ切ってみせるがいい」
逃げ切れたのか、と己に問う。
確信はない。ケルト戦士の追跡は執拗だった。だが、何者かが追ってくる気配はない。
森の中、樹木に背を預けさせる形で主を下ろす。それで、力尽きた。倒れる。
まだだ、まだ死ねない。サーヴァントとして、死を遠ざけるスキルなんて持ち合わせてはいないが、そんなものは関係ない。今、主の意識もない状態で死ねばどうなる? サーヴァントも、味方もいない孤立無援。そんな中に主を一人にする不忠は認められない。
息が、切れる。それでも呼吸する。
どれほど経ったろう。雨は止まない。手足が熔けて消えている。マズイ、もう、保たない……諦念が意識を遠退かせる瞬間、主は目を覚ました。
「ッ……? ……! 小太郎!?」
「主、殿……目が、覚められました、か……」
「お前……」
主殿は聡明であられる。こちらを見るなり、その状態を察してくれた。
悲痛に歪む顔に、今後の己の危機を憂う様子はない。ただただ風魔小太郎を惜しみ、悔やむだけの心情があった。
それが嬉しい。人でなしの風魔小太郎を、こんなにも惜しんでくれている。
「――よかっ、た。なんとか、不忠を、働かずに済みました……」
「……っ」
「主殿……一つ、お訊きしたい」
「……なんだ?」
答えは、聞かなくても分かる。きっとこう言ってくれる、そう信じてくれると、僕は知っていた。それでも、訊くのだ。
「僕は……風魔は、如何でしたか……?」
「決まっている。最高の忍だ。どんな忍でも、風魔以上は有り得ない」
――やっぱり、そう言ってくれた。
分かりきっていたのに、やはり嬉しい。胸が震えるほどに、歓喜する。
そしてそう言ってくれる主だから、僕は言えるんだ。主殿は今、破損してはいるものの聖杯を所有してる。なら、きっと出来る。
「主殿……僕は、死にます……」
「……」
「しかし……敵地に、主殿だけを残す、事だけは避けたい……だから、主殿……お願いです。僕が、死ぬ前に……消える、前に……
僕の霊基を使って、サーヴァントを召喚してください」
「なっ――」
主殿が否定する。そんな真似できるか、と。
不可能なのではない。ただ、それは、触媒と生け贄になるサーヴァントに、地獄の苦痛を与える事になるから――僕を苦しませたくないから、否定なさっている。
「お願い、です……僕の、任務は……主殿を、お守りする事……風魔の矜持にかけて……務めを、果たさせてください……最後の奉公を……短い間でしたが、僕の主に、果たさせて、ください……」
吐血する。
主殿は、苦悩し、一筋の涙を右目から流してくれた。
嗚呼――
「――告げる。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。
誓いを此処に。
我は常世総ての善と成る者、
我は常世総ての悪を敷く者。
汝三大の言霊を纏う七天、
抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――!」
僕は、善き主人に巡り会えた。それだけで、全てが報われている。
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