大阪の山姥
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第一章
大阪の山姥
大阪は平地である、だからこそ栄えた一面が強い。
しかし茶臼山の方に仕事に行った帰りに高森舞美は考える顔で一緒にいた先輩の山本琢磨にこんなことを言った。
「大阪にも坂とか山とかあるんですね」
「それそのまま大阪にすぐ来た人の言葉だな」
琢磨は五歳年下の後輩にこう返した、きの強そうな勝気な感じの目だが薄い唇の口元は微笑んでいてきりっとした細い付け根だけ太く斜め上に向かっている眉と白くホームベース型の顔が赤いロングヘアに似合っている、大きな胸が目立つ見事なスタイルが膝までの黒いタートンチェックのスカートとセーターの服装を映えさせている。背は一六〇程だ七三分けの黒髪に垂れ目に眼鏡、痩せた一七五位の背の琢磨よりも目立っている。
その舞美にだ、琢磨は言うのだった。茶臼山の方から港区の方にある自分達の勤務先である八条レストラン大阪支社に向かいながら。ここで八条レストランの大阪府の業務を統括していて二人は経理担当なのだ。二人は茶臼山の方にある天王寺店の方に行ってそこで店長と店の経理のことで話をしていたのだ。
「本当に」
「だって私実際名張出身で」
「三重県だよな」
「周り山で」
「山に慣れていてか」
「大学八条大学でしたけれど」
「俺もだよ」
琢磨は文学部、舞美は経済学部だ、尚舞美は大学時代成績優秀で知られていた。
「神戸の大学だからな」
「後ろ山ありますね、神戸は」
「六甲な」
「そういうところにいましたから」
それでとだ、舞美は琢磨に話した。
「大阪は私から見れば」
「山ないか」
「そんなところですよ」
「いや、確かに平地だけれどな」
琢磨もこのことは認めた。
「大阪人の俺から見てもな」
「先輩西成生まれですよね」
「天下茶屋な」
琢磨は天下茶屋で生まれ育ってきたのだ、高校から八条学園に入って大学もそこから八条大学に入ったのだ。
「いいところだよ」
「下町で」
「そのままのな」
「東京で言うと葛飾ですね」
「そんなとこだな、寅さんいないけれどな」
「その西成におられて」
「言えるよ、本当に大阪はな」
実際にというのだ。
「平地だよ、けれどな」
「山あるんですね」
「茶臼山だってそうだよ」
今まで自分達がいた四天王寺の方にあるこの山もというのだ。
「大阪市の中にあるな」
「山ですか」
「低いけれどな」
「標高三十もないですね」
「二十六メートルだよ」
これが茶臼山の標高だ。
「それだけだよ」
「本当に低いですね、何か」
舞美はそこまで聞いて琢磨に考える顔で述べた。
「山じゃないみたいですね」
「名張や神戸から見たらな」
「本当に何でもない」
「だから大阪はな」
大阪市のことだ、この場合は。
「平地だよ」
「やっぱりそうですね」
「それで山があってもな」
「低いんですね」
「そうだよ、けれどあの山有名だろ」
その茶臼山はというのだ。
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