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魔術師ルー&ヴィー

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第二章
  Ⅷ


 或りし日のゾンネンクラール皇国。その帝都にある城の庭に、三人の人影があった。
「マリアーネ!ほら、この薔薇。」
「綺麗…こんなに大輪の薔薇、見た事ないわ…!」
「君のために改良したんだ。花が咲いたら一番に見せたくて…。」
 深紅の薔薇の前で、二人は見つめ合う。が、その隣ではもう一人…取り残されたように佇む少女がおり、その少女は溜め息混じりに言う。
「お二方、幸せそうで何よりですわ。」
「シヴィー、そう膨れ面で言われても…。」
 男性に手を取られながら振り向いた女性…マリアーネ・マルクアーンは、そう妹のシヴィッラに苦笑しつつ返した。
 すると男性はマリアーネの手を引いて、今度はシヴィッラへと「こっちこっち!」と手招きをして場所を移動した。
「…?」
 シヴィッラは首を傾げつつも彼について行くと、小さな花をつけている蔓性の植物を見せられた。
「これは?」
 何だかよく分からずシヴィッラは眉を顰めたが、男性はニッと笑みを見せて言った。
「シヴィーはいつも木苺が小さくてジャムが沢山作れないって…そうぼやいていただろ?だから、これは実が大きくなる様に改良したんだ!」
「おお!」
 シヴィッラは男性の答えに目を輝かせ、その植物に見入った。それは木苺のそれよりも蔓が太く、葉や花も大きかった。
「早く実がならないかなぁ…。」
「おいおい…まだ花が咲いたばかりだってのに…。」
 男性はせっかちなシヴィッラに苦笑し、そんな二人をマリアーネが見て笑った。
 ここにいる男性こそ、ゾンネンクラールの第三皇子シュテットフェルトである。
 彼はやや茶色がかった金髪に緑の瞳、背は高い方ではあるが、些か痩せ気味な所が玉に瑕ではあった。剣の腕前は国でもトップクラスであり、自然や文学を愛する心優しい青年でもあった。
「皇子、妹にまで有難うございます。」
「皇子はやめてくれよ!もう婚約したのだし、そろそろ名前で呼んでほしいかな…。」
 そう言ってしょんぼりするシュテットフェルトに、マリアーネは少し顔を赤らめて返した。
「それでは…シュテットフェルト…様…。」
「長い上に様付なんて…。」
 益々しょんぼりするシュテットフェルトに、今度はシヴィッラが事もなげに言った。
「シュティで良いのでは?」
 何やらコメディにでもなりそうな略し方だったが、当のシュテットフェルトはどうやら気に入ったようで、目を輝かせてマリアーネを見た。
 そんな彼にマリアーネは根負けし、クスッと笑って言った。
「分かったわ、シュティ。」
「うん!」
 この時、マリアーネ十六歳、シュテットフェルト十八歳、そしてシヴィッラは十四歳であった。
 シュテットフェルトは何にでも興味を示す皇子であった。他国の歴史や産業、自然の形態や宗教、はたまた天体や四季の農作物…詩や音楽、哲学に魔術・神聖術にも深い関心を寄せていた。
 シヴィッラは、そんな彼を姉の婚約者や皇子と言った肩書きに囚われず、彼を“友”だと思っていた。家族とは違うが姉を心から愛し、共に在りたいと言った彼を、シヴィッラは本当に嬉しく思ったのだ。
 シヴィッラの家…マルクアーン家の家格は侯爵である。故に、姉と皇子との婚約は何事もなく済んだが、もし家格がもっと下であったなら…それでもシュテットフェルトは彼女、マリアーネを選んだと言う。
「シュティ。この基礎魔術の式だけど、貴方ならどう変えますか?」
「そうだな…これは変換させるための術記号の様なものだろう?媒体が何であれ、強制的に変換させられてしまう。だから外枠に抑制術式が編み込まれている訳だから…外枠にある式へ特定のものを変換させる様に変えるかな…。」
「それじゃあ、その特定のものの元素に関わる全てが変換されちゃうわ…。」
「…そうだな…。式は人間が作った物の名を記しても意味がないからな…。それじゃ、縮小や拡大が出来る様に…」
「それはもうあります。」
「そうか…あ、元素の加減が出来る様にすれば…。」
「そうですね。この式は影響を必要最低限に維持するためのもの。でないと、行使した本人さえ元素から変換され、術式を止める術者がいなければ世界が消えてしまいます。でも、一つの元素の加減でだけであれば、内側にある式が逆に抑制して成り立つやも知れません。」
 ここはシュテットフェルトの私室。この日は魔術のことを学びたいと、シュテットフェルトがマリアーネに頼んでシヴィッラを呼んでもらっていた。
「今日はこのくらいにしておきましょうか。」
「そうだな。しかし、十四歳でこれ程の知識があるなんて…マリアーネもそうなのか?」
「どうでしょう?私は魔力が全く無かったので、こうして他で補ってるだけです。」
「それを言うなら、私もさして強い力はない。それでも幼い頃より学んできた私より、シヴィーの方が余程ものを知っている。それは充分“力”だよ。」
 そう言われたシヴィッラは、何だかよく分からないと言った風に首を傾げて返した。
「知識は力…ですか。でも、知っているだけでは意味はないのでは?」
「いや、君はきっと偉大な人物になると思うよ。私が保証する。」
 そう言ってシュテットフェルトは笑ったが、その時のシヴィッラには冗談にしか聞こえなかった。
 皇子と姉マリアーネの婚礼の儀が盛大に行われた後、シヴィッラは皇子専属の教師として正式に招かれた。
 それというのも、彼女は農作物及び耕作地の改良の知識、それらに加え、天文学、地学、気象など、様々な分野を独自に学び取り、他にも文学、芸術にも精通し、宗教、倫理、哲学さえも修めていた。その上、魔術と神聖術の理論もマスターしていたのである。
 シヴィッラは当時の皇帝にも認められており、この当時から賢者の資質を備えていたと言えよう。
 マリアーネも妹を大層誇りに思い、妹が好きなだけ学べるようにと取り計らっていた。その一つが夫シュテットフェルトへ教師として仕えることが出来る様にしたことであった。そうすれば、城の大図書館にある各国から集められた書物を自由に閲覧出来るからである。
 妹がいつまでも自由に学び、それを好きなだけ発展させられるように…。
 国のためでもあるのだが、やはり妹が可愛くて仕方ないのだ。
 数年後、そんな幸せの中で、きな臭い話が出始めた。戦が始まる…と言うものである。
 何故そんな話が広まり始めたかと言えば、各国が魔術式の実験を本格的に行い始めたからに他ならない。
 そんな折、マリアーネが城から少し離れた丘の中程で倒れているのが発見された。
 昼には戻ると言って供も連れずに出掛けたが、それはいつものことであった。いつも行く場所は決まっており、守衛もシュテットフェルトから好きにさせる様にと言われていたのだ。
 だが、その日は違った。夕近くなっても戻らず、衛兵が何人かで探しに出たのである。
 しかし、彼らがマリアーネを見付けた時には、彼女は既に冷たくなっていたのであった…。
 シュテットフェルトもシヴィッラも、その報告に耳を疑った。いつもと同じ…それなのに、なぜ…と。
 報告に拠れば、マリアーネは丘の中腹にある巨石の脇で発見された。躰には噛み傷があり、持っていたバスケットの中は食い荒らされていた。恐らくは野犬がバスケットの中身欲しさに襲い掛かり、マリアーネは運悪く岩に頭をぶつけたと考えられた。
「姉らしい…。魔術を行使すれば良いものを…。」
 シヴィッラは姉マリアーネが描かれた肖像画の前に座り、一人溜め息をついた。
 マリアーネの葬儀の後、シュテットフェルトは気力を全く失っていた。私室に塞ぎ込んで誰も近付けず、シヴィッラも一月以上会っていなかった。
「友として…姉の夫として…彼を立ち直らせないと…!」
 シヴィッラは自ら頬を叩いて気合を入れ、亡き姉へと誓った。そして支度を整え、彼女は城へと赴いたのであった。
「シュテットフェルト皇子にお取り次ぎ願いたい。」
 良く見知った守衛にそう言うと、守衛は寂し気な表情を見せて返した。
「シヴィッラ様。皇子は今、誰とも取り次がぬ様にと仰せです。」
「私でも…ですか?」
「いえ…特定の個人名は誰とも…。」
「無理ならば良いのです。ですが…一度だけ、私が来たことを告げてはもらえませんか?」
 守衛は少し間を置いて「分かりました。」と言い、シヴィッラの来訪をシュテットフェルトへと告げに行った。
 その間、シヴィッラは辺りを何気なく観察していたが、ふと…ある事に気が付いた。
「やはり…兵が増えているわ…。本当に戦になるのかしら…。」
 マリアーネの亡くなる前は守衛しか見掛けなかった場所でさえ、今は多くの兵がいる。気付かぬふりをしていたが、街中でさえ兵の姿が目立ってきていたことにシヴィッラは胸を痛めた。
 そして…税が少しずつ上がっていることにも気付かぬ彼女ではなかった。

― やはり…戦は始まると言うのかしら…。 ―

 シヴィッラには分かり切っていた。本来なら、疾うに戦は始まっていたのだ。
 問題は三国間に跨がる〈レベンディヒ海〉なのだ。
 レベンディヒ海は魚介類の宝庫として知られ、外海では得られない魚や貝なども豊富に獲れる。故に、その漁業権を巡りフルフトバール、リュヴェシュタン、そしてこのゾンネンクラールが争いを繰り広げていたのである。そこにミルダーンが介入してきたことから、随分と前から戦の話はあったのである。
 しかし、ゾンネンクラール皇帝ゲルハルト四世は、フルフトバールとリュヴェシュタンの二国と和解を結び、自国の権利を最小限に留めることで、この危うい和平を保っていたのだ。
 この和解により、フルフトバールもリュヴェシュタンも一応の解決と見做していたが、ミルダーンだけは事ある度にこの和解を崩そうとしていた。
 そこにミルダーンの魔術式の開発の話が上がり、それに危機感を募らせた各国は兵を増強し始め、魔術及び神聖術の研究が盛んに行われる様になったのである。
「たかが十年…されど十年…。」
 少し高くなった空を見上げ、シヴィッラはそう呟いた。
 三国の和解の際、マルクアーン姉妹はシュテットフェルト皇子と出会った。
 マルクアーン家の当主ベネディクト・フォン・マルクアーンは、当時皇帝の側近として仕え、彼が先に話した条件を皇帝に進言していたこともあり、和解条約の調印式には姉妹も同席を許されていた。その後の晩餐会にて、シュテットフェルトからマリアーネに話し掛けたことが切っ掛けであった。
 だが…こうも立て続けに不運が訪れるとは…シヴィッラさえ、この先に何があるのかは見当もつかなかった。
「シヴィッラ様、皇子はお会いになられるそうです。」
 不意に言葉を掛けられ、シヴィッラはハッとして守衛を見た。
「そうですか。それは良かった。」
「はい。少しはお元気になられたのやも知れません。」
 そう返すや、守衛はシヴィッラを皇子の私室まで送った。
 守衛が扉をノックして「お連れ致しました。」と告げると、中から「入れ。」と返ってきたため、守衛は扉を開いてシヴィッラを中へと通して後、静かに扉を閉めて立ち去った。
 中に入ると、椅子に掛けているシュテットフェルトを目にしたが…以前とは別人の様に見えた。
「シュティ…窶れましたね…。」
「そう…かな。」
 シュテットフェルトはそう呟くように返して椅子から立ち上がり、シヴィッラの元へと歩み寄った。
「どうしても…マリアーネの事が忘れられない…。」
「それは当たり前です。私とて姉の事を忘れられません。しかし…姉が今の貴方を見たら、きっと怒りますよ?」
「そうだろうな…。だが…彼女はいないのだ…。」
 そう言うや、シュテットフェルトは椅子へと戻り、疲れた様に座ると、シヴィッラにも座るよう促した。
 シヴィッラはテーブルを挟んだ向かいに座ると、テーブルの上にバスケットを置いた。
「大して食べていないのでしょう?」
 そう言って、彼女はバスケットからサンドウィッチやパイなどを取り出した。それらは全てシヴィッラが作ったものである。
「何だか懐かしい…。あれから然して経っていないと言うのに…。」
 それを見て、シュテットフェルトは思い出していた。
 以前には、こうしてシヴィッラが作ってきてくれたものを囲み、三人で談笑しつつ過ごしたものだと…。
 そしてシュテットフェルトはパイを一口頬張ると、それは甘酸っぱいベリーの味がいっぱいに広がり、後から薔薇の香りが鼻を擽った。
「これは…。」
「シュティ…貴方が私達姉妹のために改良してくれた薔薇と木苺を使って作ったものよ。」
 シヴィッラがそう答えるや、シュテットフェルトは涙を零した。
「逢いたい…。」
 たった一言。だが、それはどこまでも重く響いた…。
 シヴィッラとて姉に会いたい…こんなに早く逝くとは、夢にも思っていなかったのだから…。
「そうですね…。私も会いたいです…。」
「では…会おう…。」
 そのシュテットフェルトの言葉に、シヴィッラはハッとして顔を上げて彼を見ると、その表情は危ういものであった。
「まさか…まさか貴方、あれを使おうなんて思ってませんでしょうね?」
「·····。」
 シヴィッラの言った「あれ」とは、二人で考え出した術式のことである。それは偶然の産物であったが、ある種"悪魔的"と言えるものであった。
 その術式は、虫や獣などに実体を持たぬ悪魔を術で縛り合成し、新たな生物…所謂キメラを創り出すもの。悪魔はその力を残して精神は消滅し、力を得た媒体は急速に変化して意思を持つ…。
「あれは…あれは駄目です!あの時も言いましたが、あの術式では死者を甦らせることなど不可能です!あれは妖魔を創り出す元となります。絶対に行使してはなりません!」
「なら…どうすればマリアーネを取り戻せると言うのだ!」
 そう言って椅子を倒して立ち上がるシュテットフェルトに、シヴィッラは瞳を逸らさずに返した。
「禁忌を破ってまで姉を甦らせても、姉は絶対に喜びません。それは貴方も良く知っていることではありませんか。」
 そう言うシヴィッラに、シュテットフェルトは背を向けて「帰ってくれ…。」と一言呟くように言った。
 シヴィッラもまた、ここで何を言っても今は無理だと判断し、そのまま彼の私室を後にしたのであった。
 暫く一人で考えれば、彼ならば正しい道を選択してくれる…シヴィッラはそう考えたのだ。きっと時が解決してくれると…。
 だが、それが逆に仇となった。その日、シュテットフェルトが考えを口にしたその日に、彼女は研究資料を全て処分すべきだったのである。
 その数日後、シヴィッラの元へと見知った守衛が訪ねてきた。
「どうされましたか?」
「こちらにシュテットフェルト皇子はお見えではありませんか?」
「えっ!?皇子が…城から居なくなったのですか?」
「はい…昨日の夕刻までは確かに居られたのですが…。」
 シヴィッラは嫌な予感がし、守衛と共に以前研究に使っていた小さな屋敷へと馬を走らせた。
「やはり…。」
 屋敷に入って見ると、幾つもの資料が消えていることにシヴィッラは直ぐに気付いた。そのどれもがシヴィッラの予想していたもの…彼女自身が禁忌としたものはがりであった。それらは全て生命と魔の融合魔術である。
 キメラと呼ぶには余りにも禍々しいそれを、シュテットフェルトは行使しようとしているのである。
「全く…急がなくてはなりません!あなたは直ぐ、皇帝に皇子を大々的に探すよう進言して下さい。このまま下手をすれば…国を滅ぼす大惨事になりかねませんから。」
「しかし…私なぞがどう申し伝えれば…」
「皇子が禁呪を行使ししようとしている…それだけで充分です!」
 そう言って守衛を直ぐに城へと向かわせるや、シヴィッラも馬を走らせて彼を探した。
 しかし、それらしい場所には彼を見つけ出せず、シヴィッラは馬を止めて考えた。そして、一つだけ行っていない場所があることに気が付いた。

− マリアーネの墓所…。 −

 最初、シヴィッラは術式に必要な生命力溢れる場所を中心に探したが、死者の眠る墓などは念頭になかった。
 だが…誰か、または何かを贄とするならば、生命力のない墓所でもそれは可能。いや…寧ろそうした方が成功率が上がる可能性があった…。
「シュティ…この考えが間違ったものであってほしい…。」
 彼女は直ぐに馬を駆けさせ、マリアーネの葬られた墓所へと向かったが、その途中で不意に轟音が響き、向かう先には真っ黒な雲が湧き立った。
「まさか…!」
 シヴィッラは驚き惑う馬を宥め、その先を急いだ。
 ただ、何事も無ければと祈りながら…。
 そこに着くと、暗雲に覆われたその下に目を疑った。まるで焔の塊が落ちたかのように地面が抉れ焼けており、その中心に彼…シュテットフェルト皇子が立っていたのである。
「シュティ!一体何をしたんです!」
 馬から降りて彼へと駆け寄ると、シヴィッラは彼の表情に戦慄した。
 その表情は正しく…狂気に満ちていたからである。
「シュティ!目を覚ましなさい!」
 そう怒鳴るものの、彼は「マリアーネ…。」と名を連呼しながら一点を凝視するだけであった。その先をシヴィッラが見ると…。
「あ…あれは…!」
 視線の先にあったもの…それは正しく〈妖魔〉と言えた。
 それは世に言う第四位の大妖魔〈シャッテン・ガイスト〉である。
 直訳すれば"影の霊"であるが、それは正しく❛影❜そのものであった。
 この妖魔は人の影の中に潜み、精神を腐食させてゆく妖魔であり、中程の街の住人全てを狂わせた記録も残されている。それでも第四位なのだから、妖魔と言うものはそれだけで人智を超えている。
 シヴィッラがそれを見た時、それはまるで女性…いや、そう思いたくはなかったが、彼女には姉のマリアーネのように見えた。
 恐らくは…シュテットフェルトにも同様に見えていたに違いない…。
「シュティ、しっかりなさい!」
 そう怒鳴りつけるや、シヴィッラはシュテットフェルトの頬を思い切り平手で打った。
 すると、今まで何の反応も見せなかったシュテットフェルトが我に返り、心配そうに見ているシヴィッラに気が付いた。
「シヴィー…私は…。」
「分かっています。姉を…マリアーネを取り戻したかったのでしょう?でも…そんなこと人の身では不可能な事くらい、貴方にだって解っている筈です…。」
 そう諭すようにシヴィッラが言うと、彼は俯き唇を噛みしめた。
「それでも…会いたかった…。」
「その想いは分かります…ですが、あれをご覧なさい。あれはただの影…。あんなものは姉どころか、人ですらありません。」
 そえシヴィッラが言った時、ふと…誰かが喋った。
「あ…ぁ…シュ……ティ…な……ぜわ…た……しは…」
 その声は紛れもなく…マリアーネのものであった。その声を聞いたシヴィッラは目を見開き…あることを思い出して戦慄した…。
「シュティ…貴方、まさか…姉の亡骸を…。」
 シヴィッラの問いに、シュテットフェルトは答えようとはしなかった…。だが…その沈黙こそが何よりも“答え”なのだと分かると、シヴィッラはシュテットフェルトを見据えて怒鳴った。
「何と言う事をしたの!姉の…貴方の妻の亡骸を冒涜するなんて!」
 シュテットフェルトが行使した術は、本来ならば獣を使って行うものである。それも、生きた獣で…。
 だが、シュテットフェルトはそれを人の亡骸で…自分の愛した人の死せる肉体で行ったのである。シヴィッラに許せる筈もない…。
「いくら会いたいと言って…まさか…こんな真似をするなんて…。」
 シヴィッラがそう責めると、シュテットフェルトは何を思ってか、未だ揺らぐだけな影へと向かって歩き出した。
「何をする気!?駄目よ!それに魔術は効かないわ!神聖術者であれば今なら…」
 シヴィッラがそこまで言った時、"影"は一気にシュテットフェルトへと近付き、まるで彼を抱くような素振りを見せた。
「…は……はや…く……に…にげ…て…。」
 細々とした声はやっと紡いでいるかのようで、やはりそこには意志が宿っているとしか思えなかった。
「シュテットフェルト、早く離れろ!」
 そこへ不意に声が上がった。振り返ると、そこには魔術師と神聖術者らを従えた第二皇子クラウェンの姿があった。
 クラウェンは直ぐにシヴィッラに駆け寄って問った。
「シヴィッラ殿、これは一体どうなっているのだ。」
「説明は後です。先ずはあの"影"を神聖術者の光の術で拘束して下さい。」
「相分かった。」
 そう言うや、クラウェンは直ぐ様神聖術者らに伝え、術の行使を促した。術者らは直ぐに詠唱を始めたが、その刹那…。

− グシャッ… −

 目の前の光景に、シヴィッラは茫然と立ち尽くした…。
 "影"に抱かれていたシュテットフェルトが…まるで人が虫でも潰したかの様に潰されたのだ…。その力は凄まじく、彼の首が落ちて転がる程であった。
「あ…あああああ…!」
 シヴィッラは叫んだ。そして…死したシュテットフェルトの元へと駆け寄ろうとした所をクラウェンに羽交い締めにされた。
「止せ!もう間に合わん!」
「嫌です!彼は私の親友!私の姉の夫であり家族なのです!」
「それでもだ!貴女には何の力も無いではないか!」
 クラウェンにそう言われ…シヴィッラは我に返った…。
「あ…ああ!」
 そうして天を仰いで泣いた。
 神聖術者らは光の鎖で"影"の周りを包囲し、徐々に追い詰めてゆく。
 しかし、その"影"は瞬時にシュテットフェルトの屍を取り込んで膨張するや、四方に巡らされた光の鎖を撥ね退け、一瞬で霧散して消えたのであった。
「クソッ!取り逃がしたか!」
 クラウェンは舌打ちし、直ぐ術者へと気配を追うよう指示を出して後、未だ泣き崩れているシヴィッラを立たせて力強く抱いた。
「私とて悲しい…。あれは人一倍優しく、皇族には不向きであったが、誰よりも優れた人物になった筈だ。悔やまれてならないよ…。」
「クラウェン皇子…。」
「今は泣け。明日からは泣いてはいられまいから…。そして覚えておけ…私も家族だからな。」
「…皇子…。」
 そしてシヴィッラは、クラウェンの胸で涙が枯れるまで泣いた…。



 
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