人理を守れ、エミヤさん!
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剣なのか鞘なのか
突貫作業と云えども精度に狂いなし。絶賛すべきはカルデア職員諸氏の敢闘精神と優秀さ。僅か五時間にして大聖杯の改造が完了した。
題して『ダグザの大釜』である。嘗て幾度もの災禍を振り撒いた大聖杯が、食糧を無限供給する夢の器と化したのだ。災い転じて福と成すという諺の理想形であろう。
ふと思ったのだがアニムスフィアからの出資と称してこれを貰えないだろうか。真面目な話、ダクザの大釜があれば、極めて助かるのだが。俺がではなく、多くの人間が。これは要検討するまでもなく確定である。
……聖杯をコレクションしても、どうせ国連を通して魔術協会とか聖堂教会に引っ張っていかれるのだ。死蔵されるか悪用されるか分かったものではない。なら俺が有効活用した方が世のため人のためになる。
なぁに聖杯コレクションは多い、一つや二つ程度、ちょろまかしてもバレまい。決めた、ダクザの大釜は俺の物にする。異論は認めたくない。認めないわけではないのがミソだ。
もう一度真面目に言うが、断言する。特に魔術協会なんかの管理下に聖杯がいけば、絶対にろくな事にはならない。よしんば悪用されずとも死蔵される。道具は使ってなんぼだが、奴らの場合使われた方が最悪だ。
根源への到達だって、一つですら特異点化させるほどの魔力リソースのある聖杯が無数にあれば、充分に可能だと判断されるだろう。派閥争い、利権の奪い合い――果てに魔術世界全体で戦争でも起こるかもしれない。
それらの理由を鑑みて、大聖杯『ダグザの大釜』は是が非でも俺の手元に置きたかった。これも私欲という事になるのかもしれないが、カルデアの蒐集した聖杯も全て凍結し、決して誰も扱えないようにするか、或いはいつでも外部に持ち出して奴らの手に渡らないように手配する必要がある。
と言ってもだ。素直にダグザの大釜をおくれやす、なんて京都弁で言ってもカルデア職員を説得出来るか否か……彼らは運命を共にする戦友で善良な者達だが、彼らにだって立場はある。
まあ気長にやっていこう。時間は腐るほどあるなんて口が裂けても言えないが、彼らの賛同を得られるように努力する事から始めたらいい。もし俺の意見が誤りなら、それを指摘してくれる人はきっといる。全部を自分一人で決めていたら、それは驕りと堕落へ繋がるだろう。
頭がどれほど回ろうと、どれだけ特異な異能を持とうと、所詮俺も凡夫でしかない。人間生きていれば過ちの一つは必ずある。彼らが反対するなら俺も潔く諦めるまでだ。
さて、前置きが長くなった。早速だがダグザの大釜はフル稼働している。
というのも、すっからかんに近い食糧庫を満たさねばならないのだ。
幾らいつでも食糧を供給できるからといって、不測の事態というのはいつだって有り得る。ダグザの大釜が使用不能になった時、食糧庫が空でした、なんて事になったら笑うに笑えない。
ついでに俺の生き甲斐の為に素材を生み出しておく。無限に湧く食材――その品質も勿論最高峰だ。ランクEX宝具とすら言える大釜なのだからそこは心配要らない。そんな訳で取り出したるは無数の果実である。
――話は変わるが仕事の合間の飲酒は悪だろうか? 毛むくじゃらな小動物から、頭頂部に前肢でゲシゲシと連続打撃を受けながら自問する。
普通に考えたら悪だ。最悪の部類と言える。通常の企業であれば解雇一直線であるのは間違いない。
しかし生憎と、悪徳ブラック企業カルデアに通常の規定が通るだろうか。答えは否、二十四時間勤務もザラ、適度に気を休めねば過労死不可避。であれば独自の裁量で休んでもいいのではあるまいか。殊に俺なんてプライバシー大破壊視聴会を絶賛開催されている。傷心の俺には自らを慰める慰安タイムが与えられて然るべきだ。
うむ、理論武装に綻びなし。あったとしても裁決の権利は俺の手にある。俺議会満場一致で可決だ。
「フォーウ! ドフォーウ!」
「痛てて……待て、落ち着けフォウくん。というかだな、君は桜に付いていてくれるんじゃなかったのか」
四六時中一緒にいるわけあるかと顔面に尻尾が叩きつけられる。目に毛が入るので勘弁して欲しい。弓兵兼指揮官は目が命なので切実に止めて頂きたい。
賄賂か? 賄賂を求められているのか? 是非もなし、仕方がないのでフォウにも大人の味を進呈せねばなるまいて。
猪口を用意する。八十年ものに匹敵するワインとて、ダクザの大釜から取り出した素材を流用すれば簡単に仕上がる。いや、俺の酒造の腕もあるのだがな。多分に大釜のおかげでもあるが。
ワインを作り、大釜に注文して酒造したワインを浸すこと十秒。するとあら不思議、年代物に早変わりという寸法だ。ふはは、これは工夫次第で神代の酒を作り出す事も夢ではない。
竜の牙やら逆鱗、その他の貴重な資源を投じてまで酒を作る必要はなくなる。我が腕の研鑽の為に余裕があれば是非チャレンジしたいものだが、今ばかりは多少の怠惰も許されよう。
「ささ、一献どうぞ、フォウ君」
「ふぉ!? きゅうきゅい、ふぉーう!」
「味も知らずして批判するのはお子様だぜ。まずは味を知り、そしてその上で俺を批判するなら聞こうとも。これは心の栄養剤、俺の言い分を否定すると言うのなら――恐れずして掛かってくるがいい!」
「……」
フォウは物凄く微妙な目で俺を見ていた。
なんとなく言ってる事が分かるのは、何もサーヴァントのスキルのようなものの恩恵があるからではない。
単純な話だ。確かな知性を持つと認め、確りと向き合えば、言葉は通じなくても意思は通じる。俺みたいに言葉が通じない外人さんとの触れ合いが多くなると、相手の言わんとする事をなんとなく察せられるようにもなるのだ。
人間に最も大事な能力の一つは『コミュニケーション能力』である。まあどうしたって理解不能な奴はいるので、そういった手合いには「うんうんそれもまたローマだね」とでも言っておけば万事上手くいく。だって神祖ロムルス君がそう言ってたし。流石ロムルス、説得力が違う。
フォウは嘆息した。そんな姿すらラヴリー。しかし俺の詭弁に一定の理があると認めてくれたのか、猪口の中のワインをぺろ、と嘗めてくれた。
「……きゅぅぅ」
そして、ぱたり、と。フォウは目を回して倒れてしまった。
おやおや味覚はお子様のようですねぇ。それにしても一嘗めでダウンとは情けない。お前はチョロい系ヒロインなのかと小一時間ほど問い詰めたくなった。
可愛いから許す。いや俺が許しを乞わねばならないのか? まあそこはいい。とりあえずフォウを医務室に連れていく。
職員にフォウを預けると、呆れた目で見られてしまった。口止め料と称してワインを進呈する。後で仲間内で飲んでくれと渡す。ツマミは? と言われたので厨房の冷蔵庫に一通り揃ってるぞと伝えておく。酒好きとしてツマミの作り置きは万全である。
「……」
自室に戻り、独りチビチビとやる。
うーん、堪らんね。生きてるって感じがする。大人数でワイワイやるのもいいが、たまには独りで杯を傾けるのも乙なもの。――と言いつつカルデアに来てからは基本一人酒なのだが。
とりあえずデスクに向かい、酒を飲みながら特異点での出来事やデータを纏めたレポートを仕上げていく。酔ったからと雑な仕事はしない。気分が良くなるだけで記憶が飛んだりする性質でもなかった。
この後はどんな仕事が待ってるのだったか。雑務は百貌様が、総務はアグラヴェインが、開発はダ・ヴィンチとアーチャーが担当である。医療の総括はロマニ――ああ、そうだ。そろそろ一人、マスター候補として招集されていた人材の治療が完了し、凍結を解除するんだった。
そこに立ち会い、場合によってはカウンセリングしないといけないな。メンタルがどうなっているか見ておかないと。ロマニとかの医療部門の連中の管轄だが、俺だってその道のプロにも劣らない自負がある。伊達に精神崩壊者を幾人も立ち直らせてきた訳ではなかった。
いつ凍結を解除するんだったか。確か今日じゃなくて、明日だったか? ならする事はほとんどない訳だが――
「っ!?」
レポートを纏め終え、椅子を回して背後を向く――と、目の前にアルトリアとオルタがいて、俺は驚き余ってひっくり返りそうになった。
「な、なんだ……来てたのか。声ぐらいかけてくれても良かっただろ?」
「……」
「……」
「……あ、あの? アルトリアさん? オルタさん……な、なんでそんな、能面みたいな無表情をしていらっしゃる……?」
青と黒のドレス姿のアルトリアと、オルタ。二人は無言で俺を見ている。
な、なんだ。どうしたっていうんだ。こんなアルトリア達なんか見た事が……!
「シロウ、何か私に言う事はありませんか?」
静かに口を開いたアルトリアに、俺は咄嗟にこれまでの事を振り返る。――か、考えろ。俺は何かアルトリアの逆鱗に触れるような事をしたか?
まずい、全く分からん。飯か? お腹減った? いやしかしさっき――と言っても五時間以上前か。小腹が空いたに違いない。いや待て、俺は今酒を飲んでいる。……分かったぞ、アルトリア達も飲みたい気分だったんだな!
「……飲むか?」
「飲みません」
「ああ、ツマミがないな。今持ってくる」
「要りません」
「なん……だと……?」
アルトリアが……食べ物を、要らない、だと。顔が一気に青ざめた。
「ど、どこか悪いのか!? 大変だ急いでメディカル・ルームに行かないと……!」
「シロウ。私達に悪い所はありませんよ」
オルタが言う。豚を見るような目だ。俺は本気で分からなくなった。
「……まあ座れ。悪いが、二人が何を言わんとしてるのか全く分からない。事情を説明してくれ」
言うと、アルトリアはベッドに。オルタは俺が先程まで向かっていたデスクに腰掛けた。
俺の言に視線が絶対零度となる。……嫌な予感がする。ここは真面目な話をして矛先を逸らすべきだ。
「アルトリア達ならもう知ってるかもしれない。今俺の体の中にはアルトリアの聖剣の鞘、その現物がある」
「……」
「これは召喚された宝具じゃない。聖遺物として現存していた物だ。変異特異点にいたアルトリアから譲り受けた。担い手から譲られたものだから所有権は俺に移ってるが……戦力拡充の為にアルトリアかオルタのどちらかに返還しようと思っていたんだが――」
「鞘は無用だ。シロウの生存力を上げる為に、シロウが持っておくべきです。それと、話を逸らそうとしても無駄ですよ」
「……」
鞘を要らないとはね除けるアルトリアの表情に変化はない。もともとそう言うつもりだったのだろう。
どうやら作戦は失敗したらしい。どうしてだ。いや俺の心眼が言っている、長引かせれば後が怖いぞと。ここは単刀直入に安楽死を選ぶべき場面だ。断頭台に立とう。なぁに簡単には死なんぞ。幾度もの裁判を経て不敗の身、赤い悪魔なくしてこの俺を止められる者などいない。
「何をそんなに怒ってるんだ。言っておくが、俺に後ろ暗い事なんて――」
「シロウ。私とあの丘で別れて以来、何人の女と寝ましたか?」
「――っ?」
「……」
「……」
「……」
「…………うん、ちょっと待って」
落ち着け、クールになるんだ衛宮士郎。アルトリアは今、なんて言った?
何人の女と寝たか、と訊いてきたのか? ははは、馬鹿な。乙女な彼女がそんな下世話な事を口にするはずが――
「中東での思い出は私には聞かせられませんか」
「――」
「バゼットなる女性は、綺麗な方でしたね」
「ちょ」
「シエルという方とはどういった関係で?」
「待った。待って。え? 何? ……なんでそんな事を?」
中東の思い出とかバゼットとかシエルとか、そんな想像が働かない編集が入っているはずでは……?
「……」
「黙りですか」
「正直に答えなさい。シロウ、何人と寝ました? 名前を挙げなさい。私が理性的である内に」
オルタとアルトリアが代わる代わる口を開く。同一人物だからか息ぴったしで実によろしい。双子のようだ。
――レオナルドぉぉおお! おまっ、悟られるような雑な仕事してんじゃないよもぉぉおお!
雑じゃない仕事をしたらバレたんだぜ☆ みたいな事を言いそうなダ・ヴィンチである。彼奴とのチーズ契約は此処に破られた。絶対に許さない絶対にだ。
冷や汗が浮かぶ。俺は諦めた。直感の鋭い彼女達に誤魔化しは利かない。嘘も無理。人間やっぱり諦めが肝心みたいだよ、白野……。下手に苦しみを長引かせるだけだ……。
だが足掻く。諦めたのは事態の露呈。しかし被害は最小限に留めてみせよう……!
「その前に一つ。誓って言うが、俺から迫った事はないし、遊びだった事なんて一度もない。それは――いいでふか?」
噛んだ。遺憾の意を表明する。酔ってるから呂律が回らなかっただけだ、本当だ。動揺なんてしてない。
「いいでしょう、言ってみなさい」
「……名前だけ。セレン、アスリ、ファティマ、バゼット、桜、イリヤ、遠坂……です、はい」
シエルとはそんな関係じゃない。時々妙な空気にはなるが、一線越えてないからセーフのはず。
「……」
「……、……」
沈黙が痛い。
俺は……ここで死ぬのか? 聖剣で斬られたりする……?
なんか凄く俺が遊び人に聞こえる経歴だけど、本当に俺から迫った事なんてないんだ。遊びでもない。というかちゃんと定期的に彼女達の様子は見に行っている。
待って欲しい。切実に迫られて断れなかったんだ。俺も男だ、色んなものを溜め込んでるんだ。
「シロウ……」
ふと、アルトリアは俯いた。オルタはデスクから離れて、背中を向ける。その声が、肩が震えている。
「私の事は……忘れたんですか……?」
「忘れる訳がないだろっ!?」
声が濡れている。――泣いてる、のか?
咄嗟に反駁するが、空々しく響いても仕方がなかった。俺はもうアルトリアとは死別した気でいた、もう二度と会えないと思っていた。だがそんな事はアルトリア達には何も関係がないんだと、今更ながらに思い当たった。
「だったら、どうして……!」
アルトリアが顔をあげる。滴が頬を伝い、顔を濡らしていた。哀しみに染まったそれに、俺は絶句する。
「どうして、そんなにも……!」
「……」
「黙ってないで、何か言ってください!」
「――待て、私の側面」
返す言葉が見つからない。何を言っても空虚になる、軽薄になる、そんな気がしてしまった。
アルトリアが激昂するも、しかしオルタは静かに振り返り俺を見た。
「仕方がないだろう。我らの感覚ではシロウと別れて一ヶ月も経ってはいない。しかしシロウの時間は十年も経っていた。責めるのは酷だと自分でも分かっているはずだ」
「分かっています! でも、だからって……簡単に呑み込めるはずがない!」
「受け入れろ。我らはもとより、最後には別れる事になると、あの時から覚悟していたはずだ」
「――それはっ! ……そんな、事は!」
「過去は大事だ。しかし、数奇な運命の巡り合わせで、我らは再び縁を結んだ。ならば大事にするべきなのは過去ではなく現在で、そして我らとシロウの紡ぐ未来だろう。――シロウ、私は貴方を愛している。シロウは……どう、なんですか」
「――愛してるに決まってるだろう」
愛、という言葉に照れ臭さを感じる青さはなくなっている。彼女の事を忘れたことなんて一度もなかった。だからこれだけは自信を持って言う事が出来た。だが、
「信じられません」
オルタは、そう告げる。……当たり前だった。俺には言い返す資格がない。
しかし不意にオルタは微笑んだ。予想しなかった表情に戸惑う。
「ですので、信じさせてください。貴方は私の鞘です。故に――言葉は要らない。行動で示した事だけを信じましょう」
オルタはそう言って、そっと俺の胸の中に収まってきた。
「――いい、のか?」
「言葉は要らないと言ったはず。ええ、シロウの一番が私であるなら、それでいい。私から言えるのはそれだけだ」
「オルタ……」
――そうまで言われて、尻尾を丸めて逃げる腰抜けではない。腹を決めた。
「俺がセイバーという剣の鞘なのは否定しないが、俺の起源も剣だぞ。実はオルタの方が鞘なんじゃないか?」
「ほう。面白い冗談です。確かめてみましょう」
不敵に笑い合う。
俺はオルタを抱えあげ、ベッドに向かい。
「何をしてるんですかぁぁあああ!?!?」
既にベッドにいたアルトリアに殴られ、ぐふっ、と苦悶の声を漏らして、ぱたりと倒れた。
「――あっ」
「し、シロウ……?」
「シロウぉおおおおお!?!?」
「ばっ、馬鹿か貴様!? 折角そういう空気に修正したというのに……! シロウ、無事ですかシロウ! 起きてください、シロウ――!」
返事はない。士郎くんは鳩尾へのナックルに轟沈していた。
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