ここは民宿風水。いつもの日常、大切な場所。
時崎「あれは・・・七夏ちゃん?」
七夏ちゃんは、庭で洗濯物を干している。とても慣れた手付きで手際が良い。手伝おうかと思ったけど、もう少しこのまま眺めていたい。
七夏ちゃんは、俺の方へと近づいて来たけど、俺に気付く様子はなく・・・ん!?
何か違和感を覚える。もっとよく目を凝らして見ると、七夏ちゃんでは無い!? 凪咲さん!? でも、とても若くて七夏ちゃんにそっくりだ。
凪咲さんは、さらに洗濯物を干してゆくけど、途中で手が止まった。その手を額にかざして空を見上げている。そして、側にあった「ゆりかご」から大切に何かを抱きしめ、再び空を見上げる。
凪咲「七夏、見て! 虹!」
七夏「・・・・・」
凪咲「綺麗ね・・・って、まだ分からないかしら?」
七夏「・・・・・」
七夏ちゃん!? とても幼いみたいだけど・・・。
凪咲さんは、七夏ちゃんに微笑んでいる。
凪咲「でも、いつか、きっと・・・一緒に♪」
七夏「・・・・・」
凪咲さんに揺られながら、幼い七夏ちゃんは目を開ける。その瞳の色は翠碧色のままで変化せず、空に掛かる大きな虹がふたつ、映り込んでいた。
時崎「な、七夏ちゃんっ!!!」
はっ! ・・・ゆ、夢!?
・・・なんでこんな夢を見たんだ?
<<七夏「昔ね、お母さんと一緒に見た虹は、七色だったような気がして・・・でも、はっきりと覚えてなくて・・・」>>
時崎「・・・・・」
<<凪咲「七夏が5、6歳の頃かしら・・・ほのかに瞳の色が変わるように見えてきて・・・」>>
七夏ちゃんの魅力的な「ふたつの虹」。だけど、その引き換えとして、虹の七色を失ったとすると・・・。俺は「ふたつの虹」を失っても、七夏ちゃんに、七色の虹を見せる事ができるなら、迷わずそっちを選ぶ。そんな方法があるのならば・・・。
瞳の色が変わらず、虹が七色に見える人。いわゆる普通の人・・・普通・・・つい、こんな言葉を使ってしまう。
時崎「何が普通だ!? 七夏ちゃんだって普通の女の子じゃないか!?」
いや、俺にとっては普通ではなく大切な・・・。
そこまで思って、この想いが届くのかは、これからの俺次第だ。
相手の事を想って、喜んでもらおうと意識しても、少しの事が引き金になり、思うようにならなくなる事が結構あった。これから先も、そのような事が起こると思う。だけど、それを乗り越える事が「より強い想い」へとなるのかも知れない。
布団から出て、1階へ降りようと部屋を出る。
七夏「柚樹さん、おはようです☆」
時崎「なぎ、な、七夏ちゃん!?」
七夏「!?」
ほぼ同時に七夏ちゃんも部屋から出てきて声を掛けてくれたけど、夢で見た若い凪咲さんと七夏ちゃんが重なってしまった。
時崎「い、いや、なんでもない! おはよう! 七夏ちゃん!」
七夏「くすっ☆ 今日、とっても楽しみです☆ 」
時崎「あ、ああ! 俺も!」
七夏「はい☆ 私、急いで宿題終わらせます☆」
時崎「俺もアルバム作り、頑張るよ! 宿題で分からない事があったら聞いて。分かる範囲なら答えられるかも知れないから」
七夏「ありがとです☆ 頼りにしてます☆」
少し、七夏ちゃんの頬が赤くなっているような気がしたけど、照れてくれているのだろうか。気のせいかも知れない。七夏ちゃんの事が気になり過ぎて自意識過剰にならないよう、気を付けなければならないな。
凪咲「おはようございます!」
時崎「凪咲さん、おはようございます」
凪咲「柚樹君、どうぞこちらへ」
七夏「おはようです☆ 遅くなってごめんなさい」
凪咲「いいのよ。二人がいつものようになってくれて嬉しいわ。七夏も柚樹君と一緒に♪」
七夏「はい☆」
昨日、凪咲さんに、七夏ちゃんと仲直り出来た事は話しだけど、凪咲さん自身はもう少し時間が掛かると思っていた様子で驚いていた。
凪咲「まあ! 今日は七夏と水族館へデートなの?」
時崎「はい! 七夏ちゃんと一緒にいいでしょうか?」
七夏「あっ!」
凪咲「もちろんいいわよ! ありがとう♪ 柚樹君!」
時崎「ありがとうございます!」
七夏「・・・・・」
七夏ちゃんと、一緒に食事を頂く。俺は昨日、七夏ちゃんに「お帰り」って話したけど、それは七夏ちゃんだけではなく、今、こうしていつものような風水の日常に対しても「お帰りなさい」なのだと思う。「あたり前の事」が、いつまでその状態を保ってくれるかなんて分からない。だからこそ、この一時をひとつひとつ大切に想いたい。
七夏「? 柚樹さん? どうしたの?」
時崎「え!?」
七夏「お食事、あまり進んでないみたいです」
時崎「あ、ごめん。ちょっと考え事」
そう話してきた七夏ちゃんは、まだ少し頬が赤い気がした。
七夏ちゃんは、自分の事以上に相手の事をよく見ている。でも、必要以上に声は掛けて来ないから「言われる」という事は、ある域値を超えているのだろう。俺も、七夏ちゃんの事をもっと気に掛けてあげたい。
七夏「・・・・・」
時崎「・・・・・」
七夏ちゃんの瞳が澄んだ翠碧色になり、頬はより赤くなった。頬の色に関しては多分、今の俺も同じかも知れない。
七夏「・・・えっと、おかわり、ありますので・・・」
時崎「あ、ああ」
もう一度、この、なんとも言えない「こそばゆい朝食」を取り戻せた事を嬉しく、大切に想う。距離を取る事の意味を噛みしめた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
朝食を済ませ、七夏ちゃんは宿題を行っている。俺はアルバム作り・・・ではなく、今日出掛ける水族館の事をマイパッドで調べていた。七夏ちゃんが喜んでくれるように、色々と訊かれても、迷う事なく答えられるように、そして、少しでも沢山の場所を見て周れるように、館内のレイアウトを把握しておく。なんだかんだと理由を付けてはいるが、俺自身も楽しみにしているということだ。
時崎「休憩出来る場所は・・・」
人が多いかも知れないから、水族館の外も含めて休憩できる場所がいくつあるか把握しておく。七夏ちゃんは俺に気を遣ってくるはずだけど、俺はそれを望んではいない。七夏ちゃんが純粋に楽しんでくれる事を第一に考えたい。
水族館の周辺についても、ある程度調べておく。隣街は以前、天美さんの浴衣選び、オルゴールの修理で出掛けているから、駅周辺の事はある程度分かる。水族館へはバスもあるみたいだけど、歩いてでも大丈夫そうだな。この辺りは、七夏ちゃんに訊いてみよう。
色々とネットで調べていると、結構な時間を使ってしまう。つい関係ない事まで見てしまったり・・・これは気を付けなければと思いながらも、なかなか直せない。こうして得た知識が無駄になるかどうかは俺次第だけど。無駄と言えば、少しの時間も無駄にしたくはない。アルバム作りに戻ろうとしたら、扉から音が鳴った。七夏ちゃんだ! 俺はすぐに扉を開ける。
時崎「七夏ちゃん!」
七夏「あ、えっと柚樹さん」
今朝もそう思った。今日の七夏ちゃんは、少し頬が赤い気がするけど、とにかく俺の疑問よりも、七夏ちゃんの事を優先して先にお話しを訊こう。
時崎「どうしたの?」
七夏「えっと、宿題で分からないとこがあって・・・今日は、急いで終わらせたくて、その・・・」
七夏ちゃんも、今日の事を楽しみにしてくれている事が伝わってきて嬉しくなる。恥ずかしそうに頬を染めながらのお願いは、とても可愛い。
時崎「そう言う事か! 俺で分かる事なら!」
七夏「ありがとうです☆」
七夏ちゃんの部屋に招かれ、宿題の内容を見る。結構難しい・・・けど、ここは携帯端末の力を借りて・・・そう言えば、七夏ちゃんもマイパッドを持っているはずだけど、それを使っていないみたいだ。後で俺が検索した履歴が残るように、七夏ちゃんのマイパットを借りた方が良いと思った。
時崎「七夏ちゃん、マイパッドを借りてもいいかな?」
七夏「はい☆ どうぞです☆」
時崎「ありがとう! ・・・なるほど!」
俺は問題の答えを導き出す方法を理解し、七夏ちゃんに教えてあげた。いくつかあった七夏ちゃんの分からなかった箇所を、次々と調べて、問題を解く方法を付箋に書き込む。
七夏「柚樹さん、凄いです!」
時崎「そ、そう!?」
検索慣れ・・・とでも言うのだろうか? 普段から色々な事をマイパッドで調べている事が、今は効いている! さっき水族館とは関係ない事まで調べてしまっていたけど、今は関連検索機能に感謝する。
時崎「!?」
検索する時、「に」で始まる文字を打ったら、予測候補として出て来た文字列・・・「虹色」「虹の色」「虹は七色」「虹見えない」・・・七夏ちゃん・・・。
七夏「!? どうしたの? 柚樹さん?」
時崎「え!? あ、ごめん! 七夏ちゃんは、宿題でマイパッドは使わないの?」
七夏「えっと、なるべく自分で考えたくて・・・それに、マイパッドを使うと、つい宿題と関係ない他の所も見てしまうから・・・」
時崎「・・・・・」
七夏「ご、ごめんなさいっ!」
恥ずかしそうに顔を赤くして謝ってくる七夏ちゃん。その気持ちはとても良く分かるし、俺も人の事を言えない。
時崎「・・・俺もだよ!」
七夏「え!?」
時崎「マイパッドは便利だけど、誘惑も沢山あるからね」
七夏「はい。だから今日は・・・」
七夏ちゃんは、いつもよく頑張っている。今日だってそうだ。だけど、頑張り過ぎて楽しい事の前に疲れてしまっては本意ではない。俺が調べて書き加えた付箋の内容を見ながら宿題を進める七夏ちゃん・・・何か今までと違うような気がしてならない。
七夏「ふぅ・・・」
七夏ちゃんが小さく「ため息」をこぼした。俺は念の為、七夏ちゃんに訊いてみる。
時崎「七夏ちゃん、大丈夫?」
七夏「え!?」
時崎「ちょっと、疲れてない?」
七夏「疲れてはないですけど、少し、頭がぼーっとしちゃって、宿題も急いでるのに、なかなか集中できなくて・・・」
宿題に集中出来ない・・・今日の水族館の事が原因!? いや、それもあるかも知れないけど、それだけではないかも知れない。俺は思い切って行動に出る! 七夏ちゃんの為に!
時崎「七夏ちゃん!」
七夏「は、はい!?」
時崎「ちょっと、ごめん!」
七夏「え!? ひゃっ☆」
七夏ちゃんの額に手のひらをあてた。少し熱い気がした。七夏ちゃんは少し驚いた様子だけど、そのまま目を閉じて大人しくしてくれている。俺は七夏ちゃんの前髪を優しく掻き分け、額に手の甲をあて直す。やっぱり熱い。
七夏「・・・・・」
時崎「七夏ちゃん、少し熱があるかも知れないよ」
七夏「え!?」
時崎「体温計ある?」
七夏「はい。お部屋にあります」
時崎「俺、凪咲さんに話してくるから、体温測っててくれるかな?」
七夏「・・・はい」
凪咲さんに、七夏ちゃんの事を話す。もし、熱があるなら今日は・・・。
凪咲「あら? そうなの?」
時崎「まだ分からないですけど、今、七夏ちゃんに体温を測ってもらってます」
凪咲「そう・・・七夏も色々とあったから少し疲れが出たのかも知れないわね。あ、ごめんなさい。色々とあったのは、柚樹君も同じはずなのに・・・」
時崎「いえ。俺の事は構いません。念の為、タライとタオルを借ります。あと、熱を冷ます薬はありますか?」
凪咲「ありがとう。お薬は用意しておきますから」
時崎「はい。お願いします」
洗面所でタライに水を入れ、タオルを浸けて冷やしておく。
時崎「七夏ちゃん、もう体温測れたかな?」
俺は七夏ちゃんの部屋に急いだ。
時崎「七夏ちゃん!」
七夏「柚樹さん、どうぞです」
時崎「お邪魔します」
扉を開けると、七夏ちゃんはベットに座り、体温を測っていた。
七夏「・・・・・」
時崎「どう? ・・・って、な、七夏ちゃん!」
体温を測る七夏ちゃんの浴衣から少し見えた下着に視線を奪われてしまう・・・こんな時に何を考えているんだ! いや、七夏ちゃんだから気になってしまう・・・などと自分に言い訳をしているが、七夏ちゃんは見られている事に絶対気付いているはずだ。
七夏「!? どうしたの? 柚樹さん?」
気付いているはずなのに、気付いていないかのように尋ねてくる。これは、試されているのかも知れない。俺は正直に話した。あくまでも直接的ではない言い方で。
時崎「な、七夏ちゃん・・・そ、その、浴衣から七夏ちゃんの可愛いのが・・・」
七夏「あっ、で、でも、こうしないと、測りにくいから・・・」
時崎「そ、その・・・ごめん」
七夏「くすっ♪」
今の七夏ちゃんをまともに見れない。
時崎「・・・・・」
七夏「・・・・・」
この、もどかしくも静寂な時間を割ったのは、体温計の無機質な音だった。
ピピッ! ピピッ! ピピッ!
七夏「あ・・・」
七夏ちゃんが体温計を見る。
時崎「どう?」
七夏「37.2度・・・です」
時崎「やっぱり、熱があるみたいだね」
七夏「・・・・・」
時崎「今日は、ゆっくり休んで---」
俺がそう言いかけると、
七夏「そんなっ! 私・・・大丈夫です!!」
七夏ちゃんが、慌ててそう返してきた事に驚いた。普段の七夏ちゃんは、あまり我侭を言わないから。七夏ちゃんのお願いを聞いてあげたいけど、どうする?
時崎「七夏ちゃん。無理はしないほうがいいと思う」
七夏「だって! 今日、楽しみだったのに・・・宿題も頑張ったのに・・・どおして!?」
今にも泣きそうな七夏ちゃんを見て、胸が締め付けられそうになる。
七夏「柚樹さん・・・うぅ・・・」
また、泣かしてしまった。なんでこうなってしまうのか?
七夏ちゃんは何も悪くないのに・・・頑張っているのに・・・。
今、俺が七夏ちゃんに出来ることは何だ? 水族館へのお出掛けは今日は無しになると思うけど、それを補うだけの事はしなければならない。泣いている七夏ちゃんに、納得してもらえるようにする事が大切だ。
時崎「七夏ちゃん。今日無理して出掛けても、辛い思い出になるだけだよ・・・しっかりと、治して元気になってからにしよう!」
七夏「・・・・・」
時崎「明日、明日は予定ある?」
七夏ちゃんは、軽く首を横に振る。
時崎「じゃ、明日までにしっかり直す為に今日は、ゆっくりお休みしよう!」
七夏「・・・・・」
時崎「今日は、七夏ちゃんの側に、一緒にいるから!」
俺がそう言うと、七夏ちゃんは、頷いてくれた。
七夏「・・・・・ごめんなさい・・・ありがとうです・・・」
時崎「ああ。凪咲さんに話してくるから」
七夏「はい」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
時崎「七夏ちゃん、熱があるみたいですから、今日は家でお休みします」
凪咲「そう・・・柚樹君。ありがとうございます」
時崎「水族館は、明日、七夏ちゃんが元気になったら、一緒に出かけようと思います」
凪咲「はい。 柚樹君、お薬とお水、用意してます」
時崎「ありがとうございます」
凪咲「七夏の事、よろしくお願いします」
時崎「はい」
凪咲「今日、お泊りのお客様が来られる事になりまして」
時崎「え!? 俺も手伝える事があれば、話してください」
凪咲「ありがとう。でも、お一人様ですから、私1人で大丈夫。柚樹君は七夏の事をお願いできるかしら?」
時崎「はい! 分かりました!」
七夏ちゃんの部屋に薬とお水を持ってゆく。
時崎「七夏ちゃん!」
七夏「柚樹さん、どうぞです」
時崎「七夏ちゃん! 宿題はもういいから、休んで! 薬も持ってきたから」
七夏「は、はい。ありがとうです」
時崎「薬を飲んだら、ベッドで休む事!」
七夏「はい☆」
洗面所に向かい、水を入れたタライとタオルを持って、七夏ちゃんの部屋に入る。
七夏「柚樹さん☆」
七夏ちゃんは、ベットに休んでくれていた。少し嬉しそうで、綺麗な翠碧色の瞳に少し安心する。
時崎「タオルで冷やすから、上を見て」
七夏「はい♪」
時崎「ちょっと、ごめんね」
七夏ちゃんの額に冷たいタオルを乗せてあげた。
七夏「ひゃっ☆」
時崎「どうかな?」
七夏「冷たくて、心地いいです☆」
時崎「よかった。じゃ、時々、タオルは交換するけど、とりあえずおやすみ」
七夏「くすっ☆ とりあえず、おやすみなさいです☆」
そう話すと、七夏ちゃんは目を閉じた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
雨音・・・今日、午後の天気は穏やかではなくなっており、七夏ちゃんの容態は先程より悪くなっていた。
七夏「はぁ・・・はぁ・・・」
七夏ちゃんの額に手のひらを当てると、明らかに今朝よりも熱い。とても息苦しそうな七夏ちゃんを見て、不安になる。
時崎「七夏ちゃん、ちょっと待ってて! すぐ戻るから!」
七夏「はぁ・・・はぁ・・・」
俺は、凪咲さんの所へ急いだけど、お泊りのお客様の対応をしているようだ。
時崎「いらっしゃいませ。ごゆっくりどうぞ!」
凪咲「柚樹君!?」
時崎「凪咲さんっ! 氷と、お皿を借ります!」
凪咲「はい」
俺は、その一声だけかけて、冷蔵庫から氷を皿に乗せて、七夏ちゃんの部屋に急いだ。
時崎「七夏ちゃん! 氷、持って来たよ」
七夏「はぁ・・・はぁ・・・」
俺はタライの中の水に氷を入れる。タオルを氷水で冷やし、七夏ちゃんの額に乗せる。
七夏「うぅ・・・はぁ・・・」
こんな事しか出来ないなんて・・・。雨粒が窓を叩く音は、不安な気持ちを増幅させられる。七夏ちゃんも同じ気持ちなのかも知れない。
時崎「七夏ちゃん」
俺は、タオルを交換する間隔を短くする。
七夏「はぁ・・・はぁ・・・」
ただひたすらに、七夏ちゃんのタオルを交換するだけになっていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
タオルを裏返して、冷やして・・・の繰り返しで数時間経過していた。だけど、その効果なのか、息苦しそうだった七夏ちゃんは、今、落ち着いて休んでくれている。雨も上がったようだった。
七夏「すー・・・すー・・・」
時崎「七夏ちゃん・・・ちょっと、ごめんね」
俺はタオル交換の時、七夏ちゃんの額に手の甲をあてた。
時崎「・・・良かった。熱は下がっている」
七夏「すー・・・すー・・・」
タライの氷は解けて水になっていたけど、追加の氷は必要なさそうだ。
そのまま、冷たい水で、七夏ちゃんの額を冷やす。
七夏「んん・・・」
時崎「!?」
七夏「・・・ちゃ・・・」
ちゃ? 七夏ちゃん、天美さんと一緒の夢でも見ているのだろうか? 夢を見るという事は眠りが浅くなった事を意味する。もう少しで目覚めてくれるかも知れないな。
七夏「すー・・・すー・・・」
一時はどうなるかと思ったけど、落ち着きを取り戻してくれたみたいで本当に良かった。あのまま、七夏ちゃんの希望を聞いて水族館へ出掛けていたら、大変な事になっていたと思うと、少し寒気がした。ちょっとした変化に気付いてあげられるようになりたい。
七夏「・・・さん」
時崎「!? 七夏ちゃん!?」
七夏ちゃんは、俺の方を見て微笑み、そのまま目を閉じた。これにもきっと意味があるはずだ。だけど、分からない。ん!? お布団から七夏ちゃんの手が出ている。俺はその手を優しく両手で包んだ。
七夏「くすっ☆ 柚樹さん☆」
時崎「ん?」
七夏「ありがとうです☆」
時崎「あ、ああ。気分はどう?」
七夏「はい♪ 今はとても楽です♪」
時崎「そう・・・よかった」
俺は恥ずかしくて、七夏ちゃんの顔を見れずにいた。
七夏「夢・・・」
時崎「え!?」
七夏「夢を、見ました。大きな虹が架かってて・・・一緒に見ていたのは、誰だったのか思い出せなくて・・・」
今、七夏ちゃんに色々と考えさせるのは良くない。それよりも、虹の色の事まで話し始められるのが怖かった。
時崎「七夏ちゃん!」
七夏「はい☆」
時崎「喉、乾かない?」
七夏「はい♪」
時崎「ちょっと待ってて! 飲み物、持って来るから?」
七夏「ありがとうです☆」
1階へ急ぐ。
時崎「凪咲さん!」
凪咲「柚樹君、さっきはごめんなさいね」
時崎「いえ。七夏ちゃんの熱が引いたみたいで、何か飲み物をお願いできますか?」
凪咲「まあ! 良かった。飲み物、すぐに用意しますから」
時崎「ありがとうございます!」
凪咲さんは、お茶と、切ったりんごを用意してくれた。
凪咲「柚樹君、七夏の事。お願いします」
時崎「はい。ありがとうございます!」
時崎「七夏ちゃん!」
七夏「はい。どうぞです」
時崎「飲み物とりんごを持ってきたよ」
七夏「くすっ☆ ありがとうです♪」
お茶とりんごを頂く七夏ちゃんを見て、もう大丈夫だと思うと、一気に疲れが襲ってきた。
七夏「ん・・・冷たくて美味しいです♪」
時崎「良かった」
七夏「柚樹さんも、食べませんか?」
時崎「え!?」
七夏「りんご・・・こんなに沢山は・・・」
時崎「じゃ、一緒に頂くよ!」
七夏「くすっ☆」
時崎「んー冷たくて美味しい!」
七夏「はい☆ あ!」
時崎「どうしたの?」
七夏「雨・・・降ってたの?」
時崎「え!? ああ、そうみたい」
七夏「柚樹さん、さっきは、ごめんなさい」
時崎「え!?」
七夏「私、我侭だったから・・・」
時崎「俺も楽しみにしてたから、七夏ちゃんの気持ちは凄く分かるよ」
七夏「夢を、見ました」
時崎「え!?」
七夏「さっきの続きですけど、夢なら思い通りに描けます☆」
時崎「思い通りに!?」
七夏「はい☆ 夢は自分で描ける世界だから、夢の中の虹はきっと・・・」
時崎「『夢は自分で描ける世界』・・・なんか、七夏ちゃんの言葉じゃないみたいだけど」
七夏「え!? くすっ☆」
時崎「???」
七夏「お父さんの言葉・・・借りました☆」
時崎「直弥さんの言葉か。なるほど、良い言葉だね!」
七夏「はい☆」
七夏ちゃんが虹をどのように思っているのかは、まだなんとなくしか分からない。けど、七夏ちゃんは虹に対しての考えを変えようとしている事だけは分かる。
七夏「雨が上がって、虹が見えています☆」
時崎「え!? 虹!?」
俺は、反射的に窓の外を見てしまう。けど、雨は上がっているけど、虹は見えない。目を凝らしても虹が浮かび上がってくる様子も無い。
七夏「柚樹さん♪」
時崎「な、七夏ちゃん!?」
七夏ちゃんを見ると、両手を胸の辺りに持ってきて目を閉じていた。
時崎「???」
七夏「七夏は、今日とっても幸せです♪」
虹が見えると話した七夏ちゃん。俺には見えないけど、それは、七夏ちゃんにしか見えない「しあわせの虹」なのだと理解した。その虹が見えない、分からなくても嬉しい・・・この感覚は、七夏ちゃんだからこそ、俺に伝える事が出来るのだと思う。
七夏「柚樹さん?」
目が熱い。俺は、嬉しくて、泣きそうになっていたのだと思う。
時崎「あ、ごめん・・・安心したら、眠くなって・・・」
七夏「くすっ☆ 柚樹さん、ありがとうです☆」
時崎「じゃ、少し、部屋で横になるよ」
七夏「はい☆」
時崎「七夏ちゃん、お大事に!」
七夏「はい」
部屋に戻り、今朝から敷かれたままの布団の上で横になる。今日は、アルバム制作が殆ど進まなかったけど、まあ仕方がないかな。俺は、少し休む事にした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
少し休んだ後、お泊りのお客さんのご対応をする凪咲さんを手伝って、七夏ちゃんと一緒に夕食を頂いた。七夏ちゃんは「おかゆになってごめんなさい」と話していたけど、俺は七夏ちゃんと一緒の「おかゆ」がいいと話した。
夕食後、少しアルバム制作を進める事にした。明日は、七夏ちゃんと水族館へお出掛けする予定だから、その分、少しでも進めておいた方が良いと思う。
トントンと扉が鳴った。七夏ちゃん、まだ起きているのだろうか?
時計を見ると、日付が変わろうとしていた。少しのつもりだったけど、結構長時間、作業を行っていたようだ。
七夏「柚樹さん。七夏です」
時崎「七夏ちゃん。どうぞ!」
七夏「こんばんはです。柚樹さん、まだ起きてました?」
時崎「あ、ああ。七夏ちゃんも!?」
七夏「私は、お休みしていたのですけど、ちょっと眠れなくて・・・」
時崎「七夏ちゃん、今日はお昼も寝ていたからかな?」
七夏「はい☆ それに、明日、水族館、楽しみで☆」
時崎「今日の二の舞にならないように、早くお休みしよう!」
七夏「はい☆ 柚樹さんもです☆」
時崎「ああ! おやすみ! 七夏ちゃん!」
七夏「おやすみなさいです☆」
お休み前に、七夏ちゃんと少しお話しができた。このようなちょっとした事が、とても大きく感じられる。俺は七夏ちゃんに「しあわせの虹」をもっと届けてあげたいと思うのだった。
第四十一幕 完
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次回予告
幸せは見える物ではない。だけど、幸せかどうか気付く事は出来る。
次回、翠碧色の虹、第四十二幕
「見えない虹に気付く時」
虹を見て幸せかどうかは、人それぞれだ。それが見えなかったとしても・・・だ。俺は「見えない事」の意味を理解する。