人理を守れ、エミヤさん!
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幕間の物語「いつかどこかの時間軸」4
戦後処理だねカルデアさん!
変異特異点の人理定礎は復元された。
特異点の原因であった聖杯の回収にも成功し、掛けられた時間と、費やされた戦力比率を考慮すれば驚異的な戦果であったと言える。
しかし何も問題がなかったかと言われれば決してそうと言えるものでもなかった。
第一に、衛宮士郎の昏睡。
カルデア職員は、彼の活躍をよく知っている。特異点Fから第一、第二特異点の電撃的な攻略は今や語り草に成りつつある。その能力、人柄から精神的支柱に成っていたのだ。
予備役としてのマスターは確かに他にもいる。彼のローマ皇帝、ネロその人が。
しかし確かに目にした実績として士郎への信頼が勝るのは必然と言えよう。このグランド・オーダーが始まるまで、彼らは実際にカルデアで生活を共にしていたのもある。彼がいれば大丈夫、きっとなんとかなると信じられた。
その彼が、原因不明の眠りについたのだ。目覚める予兆はない。彼を蝕んでいた呪いは聖剣の鞘によって祓われ、体にはなんら不具となるものがないにも関わらず――士郎は眠り続けている。
士郎が倒れる事で、カルデアの士気は低下していた。カルデア職員の士郎への依存にも近い信頼は、本来なら可及的速やかに対処しなければならない問題である。しかし、打つ手がない。
これで心の拠り所となるマスターが、なんの力もない平凡な存在だったなら――まだ未熟な少年や少女であったなら――彼らも奮起しただろう。だが士郎は余りにも頼りになりすぎた。これを期に職員の意識改革に努めねばなるまい。
万能の天才は士郎の昏睡の原因を、心的衝撃によって生じた隙を、『この世全ての悪』に衝かれた反動であると推定した。彼……彼女も士郎との付き合いはそれなりだ。柔靭な精神的タフネスを誇る彼が今回の件で再起不能になる事はないと、事の顛末を聞いて判断していた。それもある種の信頼と言えるだろう。
だから彼の昏睡は問題ではあるが、そこまで問題視する必要はないと司令部は見ていた。必要なのは彼が目覚めるまでの時間のみ。ロマニやアルトリアは特に重苦しい面持ちだったが――彼らの問題は、士郎の意識が覚醒するまで持ち越しとなる。
第二の問題。それこそが、ダ・ヴィンチやアグラヴェインの頭を悩ませていた。当然、名目上の司令官代理であるロマニもなんとも言えない顔をしてそれを見詰めている。
「……困った」
「困ったねぇ……」
「……」
管制室のモニターに映っているのは、医療室のベッドでこんこんと眠っている男と、幼い少女である。
少女の名は――間桐桜。変異特異点の住人。なんの間違いか、彼女もまたカルデアへとやってきてしまっていた。
聞き込みを行った結果原因は明らかとなった。間桐桜は士郎と離れたくないと、その時強く願っていたのだという。その願いを、無色の聖杯が汲み上げてしまったのだ。特異点から退去する士郎らと共に、カルデアに現れたのはそれが原因である。万能の願望器は、事実万能であったからこその事故だった。
アグラヴェインは厳つい顔を一層厳つく顰め、こめかみを揉んでいた。
「どうする。我らに子守りをしている暇はない。そしてカルデアに来てしまった以上、放逐する場もない。冬木の変異特異点は消え去ったのだぞ」
「あんな幼子を放逐なんて、誰も認めないだろうけどねぇ……」
「というか士郎くんの前でそんな事言っちゃ駄目だからね。激怒不可避だよ」
やんわりと、合理性を突き詰めた発言をするアグラヴェインを窘めるロマニ。今の彼は白衣で、人間としての姿だ。
桜は士郎の横に付き添っている。食事、入浴、トイレの時以外は、片時も離れようとしない。無言で、感情の薄い貌が男を見詰めている。小さな手が、男の分厚い手を掴んでいた。
「あれ、どう見ても依存してるよね……」
ダ・ヴィンチは嘆息して髪を掻き上げる。
「曲がりなりにも心を開くのは、士郎くんを除けばロマニとマシュだけ。他の誰かは近づくだけで怖がる。士郎くんが地獄から救ってくれた、救ってくれた時に士郎くんの傍にいた、だから君達しか信じてない。――よろしくない状態だ」
「それだけならまだマシだ」
アグラヴェインは苦々しく吐き捨てる。それは何も、桜を毛嫌いしてのものではない。あくまで合理性を突き詰めた思考故のものだ。そこに情を介在させてはいない。
「あの少女は相当に欲張りだったと見える。よもや我がマスターと共にいたいと願うのみならず、強くなりたいとも願っていたとはな。キリエライト女史という具体的な例を見ていた故か現実的なイメージで力を欲し、あろう事かキリエライト女史と同じ存在になったのだからな」
管制室のモニターが示す、桜のパーソナルデータは、人間の物ではないのだ。そう、それはデミ・サーヴァントのものである。
ロマニが頭を抱えた。
「――大聖杯の中にあった湖の騎士の霊基と同化するなんて、しかもそれでなんの問題も起こらないなんて、どれだけあの娘はメチャクチャなんだ!」
「さしづめ桜ンスロットっていった所かな?」
あははー、と。言ったダ・ヴィンチ本人は乾いた笑いを溢している。笑うしかなかった。
桜が間近で直接見た、最も強いサーヴァントが彼だったのだろう。
アグラヴェインは忌々しげに桜の霊基パターンを睨み付けている。生前の彼を殺めた騎士が、堪らなく不愉快なのかもしれなかった。しかしその負の感情を桜へ向けている訳ではないあたり、流石に理不尽な八つ当たりのような真似はすまい。
「……アレは、マスターと共に在る事を望んでいる。どうする、万能の。そして司令官代理。特異点の攻略に、あのような娘を連れていくなど足手纒いにしかならないぞ」
「勿論ボクはあの娘を連れて特異点に行くのは反対だよ。論理的にも、感情的にも認められない」
「あの湖の騎士のデミ・サーヴァントなのに?」
ダ・ヴィンチの反駁に鉄の宰相は三白眼で一瞥する。
「あの男の実力は知っている。真実あの娘があの男そのものであったならば反対はしない。だが所詮は戦いの心得すらない小娘だろう。戦う術を知らない素人を、どうして戦力として計上出来ると思う」
「知ってる、言ってみただけさ。――問題はあの娘、かなりキテるぜ。士郎くんと離されそうになったら、あの力で暴れかねない。一番の問題はそこだ」
「……」
「……」
倫理の欠けた幼い少女が、癇癪を起こして暴れる光景。サーヴァントの力で、だ。人間には太刀打ちならず、カルデアに甚大な被害が齎されかねない。
具体的なビジョンが目に浮かぶようで、カルデアの最高頭脳達は揃って沈黙した。暫しの間を空け、そして彼らは決断する。
「全部士郎くんに丸投げしよう」
万能の天才の提案に、男達は異議なしと声を揃えた。
『死国残留海域スカイ』と銘打たれた特異点は復元されていた。士郎らが帰還する、ほんの五分前の事だ。
カルデアに帰ってきたネロは疲労困憊を極め、帰還するなりそのまま眠りについた。同道していたアーチャーのアタランテとエミヤはフェルディアによって撃破され、英霊召喚システムによる再召喚待ちである。
健在なのは光の御子クー・フーリンのみ。しかし彼もまた満身創痍だ。全身傷のない箇所は見当たらず、大儀そうに鉛色の吐息を溢している。
「……おう、お嬢ちゃんじゃねぇか。マスターの様子はどうだ?」
マシュが光の御子と出くわしたのは士郎のメディカル・ルームを出た廊下である。
クー・フーリンはサーヴァントだ。見た目を取り繕う事で、外見だけは回復しているように見せているが、その霊基は非常に損傷が激しい。マシュは彼を気遣うも無用だと手で示され、クー・フーリンの問いに答える。
「先輩は無事……ではないですが、命に別状はありません。近い内に目を覚ますだろうとドクターとダ・ヴィンチちゃんは言っています」
「そうか。……チ、オレがもうちょい早く始末つけられりゃよかったんだが」
番犬が聞いて呆れるぜ、と。士郎が聖杯の泥に呑まれた件を聞いていたのか、クー・フーリンは腹立たしげに舌打ちする。
「この失点は次の戦いで取り戻す。やれやれ……今回ばかりはオレも疲れた、ちょい休ませてもらうぜ」
「あ、クー・フーリンさん」
「あん?」
「その、そちらの戦いはどうなったんですか?」
マシュもまた、士郎に付きっきりだった故に、まだネロ達が攻略に当たった特異点での戦闘記録を知らなかった。
疲れたというクー・フーリンを呼び止めるのは気が引けたが、聞いておかねばならない気がしたのだ。
アイルランド随一の英雄は、心底から疲れきった声音で応じる。戦士は自らの手柄を吹聴するものではないが、求められれば口を開くものだ。
「わりぃが大分はしょるぜ。詳しく知りたけりゃ記録を見ればいいんだしな」
「はい」
「波濤の獣を討った所までは知ってるな? ソイツの中にあった聖杯を、フェルディアの野郎が回収して行きやがった。で、ちんたら鬼ごっこしてやる暇もなかったんでな、ネロとアーチャーの野郎、それからアルカディアの狩人にフェルディアを任せてオレは本丸に突っ込んだ。そこで待ち構えていた師匠――ああ、スカサハだな。ソイツと一騎討ちして、終わった」
「終わった?」
「悪いな。覚えてねぇよ。どんなふうに戦ったかなんてよ」
首を傾げるマシュに、クー・フーリンは片眉を落として苦笑する。実際覚えていないのだから仕方がないのだ。
記録を見た方が分かりやすいと言ったのも、それが理由である。
「本気でやったからな。変身しちまった」
「あっ」
「理性がトンで、何があったかなんざ記憶にねぇよ。だがまあ、それでほぼ相討ちだったんだから笑えねぇ。お蔭で正気に戻れたけどな」
此処穿たれたんだぜと笑うクー・フーリンの指は、心臓から指一本分逸れた位置を指している。
魔槍と魔槍のぶつかり合いに決着はなかった。故にその傷は、純粋なスカサハの技量によってつけられたものなのだろう。本来なら死に至る傷の深さである。しかし、
「ま、この程度で死ぬようじゃあ、オレは英雄になんぞなってねぇ。相討ちに近い形で、オレの槍がスカサハの心臓を抉って――仕舞いだ」
ゲイ・ボルクは不死殺しの魔槍である。死のないスカサハといえど、この魔槍で心臓を穿たれれば、死なぬ道理はない。例え死を剥奪されていたとしても、その存在を『殺す』のがゲイ・ボルク故に。
奇しくも生き汚さが生死を分けたのである。死ぬつもりのないクー・フーリンと、死にたがりのスカサハ。勝敗は最初から決まっていたのかもしれない。
「そういう訳だ。――お、そうだお嬢ちゃん。暇がありゃあマスターに伝えておいてくれ」
「あ、はい。何をでしょう?」
「『賭けはオレの勝ちだ。とっとと起きろ馬鹿野郎』だ。頼んだぜ」
ひらひらと後ろ手に手を振って、歩き去っていくクー・フーリンに、マシュは微笑んだ。そして実感する。今回も、カルデアに帰ってこれたんだ――と。
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