人理を守れ、エミヤさん!
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撹乱する意思の蠢き(下)
威容とは言えぬ、醜悪なる異様な肉溜まり。得体の知れぬ粘性のぬめりを帯びた触手と吸盤。高層ビルのそれに迫る巨躯は濃霧に覆われ、未遠川にて順調に巨大さを増す大海魔が動き出すのは時間の問題と言えた。
動き出せば、近隣のみならず、甚大な被害が出る。そして大海魔は決してサーヴァントになど意識を向けないだろう。そも、その自意識の存在すら不確かだ。幾ら傷を負おうとも瞬く間に修復する大海魔に、何度剣や槍を見舞っても全くの無意味なのだから。
このまま手をこまねいていれば、悍ましい異界の怪物は貪欲な本能に従って暴食を働き、生あるモノを悉く貪り尽くすに違いない。
断じて斃さねばならない。大海魔の召喚が完全に終えるまでに。――しかし打つ手がなかった。
「……!」
何度目だ。風の鉄槌を叩きつけ、渾身の剣撃を浴びせたセイバーは顔を顰めた。相応の痛手を受けて然るべきであるのに、まるで効果が見られないのだ。その事実に歯噛みする。
聖剣を開帳し極光を振るうべきだ。それならば大海魔の巨体を消し飛ばして余りある。しかし、その余りが大きすぎる。被害は大海魔だけではなく、極大の斬撃の先にある人里にも大きな爪痕を残してしまうだろう。
大海魔が齎す損害に比べれば、遥かにましかもしれない。だがそれは最後の手段だ。最悪の一手だ。セイバーは無辜の民草に被害を及ぼす無道を避けたかった。――そうも言っていられない時は、間もなく。苦渋を滲ませながらも聖剣へ魔力を充填し始めた時、その男はやって来た。
「――『壊れた幻想』」
飛来した剣弾の雨。大海魔の巨体に着弾した瞬間、投影宝具は爆音と共に炸裂した。大海魔の総体の、実に三分の一が消し飛ぶ。
その男は何時だってそうだった。どんな地獄にも、どんな窮地にも必ず間に合ってきた。手遅れになる悲劇など認めぬと。そして今も未曾有の殺戮を食い止める為に、間に合う。
「……ッ!? 今のは、宝具!?」
セイバーは驚愕と共に背後を振り返った。未遠川の畔、そこには白髪の男がいた。黒い戦闘服に外界への守りとなる赤布、射籠手を身に付けた男が黒弓を手に。
鷹のような瞳で黒弓につがえるのは、紛れもなく宝具の剣。捻れた刀身のそれが、弦と共に引き絞られるや形状を矢のそれへ変化させ、爆発的な魔力の昂りを発露した。
サーヴァントでもない者が何故宝具を――そんな疑問は戦場には不要。すぐさま意識を切り替えた。無数の宝具を持ち、平然と使い捨てるなど考えられないが、ともあれセイバーはその男へと問いかけた。
「――ランサーのマスター! サーヴァントはどうした!」
光の御子。この場に在ればこれ以上なく頼もしい援軍であるが、しかし。衛宮士郎は鼻を鳴らした。
「生憎と、此処には来ない」
「何故?!」
「敵に絡まれてな。そちらへの対処に回した。何、案ずることはない。こんなもの、俺が来るだけで充分というものだ」
――嘘の気配はない。勘はそう言うも、やはり違和感はある。空に展開される熾烈なドッグファイトは、英雄王と――バーサーカー、そして召喚した魔神の背に立つ魔術王によるもの。そちらに手を割かれているのかと歯噛みする。
しかしこの男はなんと言ったのか。この大海魔を相手に、自分が来るだけで良いと? それはつまりセイバーと、今も戦車の雷撃を大海魔に浴びせたライダーだけで対処が叶うという事か。
男は剣弾を放つ。真名はカラドボルグ、ケルト・アルスターサイクルの英雄、フェルグス・マック・ロイの螺旋の剣。
それは大海魔の肉塊を易々と貫き、中枢に至るや再び炸裂させた。巻き起こる甚大な爆発。内部の肉塊が爆ぜ、内部にいる黒化英霊の姿が垣間見えた。
「其処か」
なんという――セイバーは驚嘆した。破壊力の凄まじさはAランク宝具に匹敵する。炸裂させた分を計上すれば、A+ランクにも届くだろう。大海魔本体と環境への宝具の相性と、使い方も良い。貫通弾は周辺に余計な被害を及ぼさず、そのままでは遠くまで飛来するそれを爆発させる事で最大効果を発揮したのだ。
それによって召喚の核となっている黒化英霊の位置を把握した。次に放てば決して外さないだろう。再び同一の宝具を右手に顕し、弦につがえる。セイバーは目を見開いた。宝具の投影――言うまでもなく異能の業である。
しかし大海魔は本能的に危険を察知したのだろうか、無数の触手を震わせ衛宮士郎に襲いかかる。完全な召喚が果たされる前に黒化英霊を屠られれば、存分に食欲を満たす事は叶わないと。――或いは大海魔すら、聖杯の意思の支配下にあるのか。セイバーはすぐさま衛宮士郎の傍に駆け寄ると、その触手を切り払う。
だがそれだけで諦める大海魔ではない。更に倍する触手を放ち、是が非でも自らの脅威を食らわんとした。
雄々しい雄叫びが雷鳴を伴って轟く。二頭の雷牛に牽かれた戦車が、セイバーだけでは払いきれない超重の肉の鞭を焼き払ったのだ。
「乗れッ、ランサーのマスターよ!」
つぶさに戦局を見据え、故に士郎の放った剣弾の効果が必殺になると確信したのだろう。士郎を回収し空へ逃れ、戦車の機動力で大海魔の手を避けんとしているのだ。
本来ならば敵である士郎を戦車に乗せるのは愚の骨頂なれど、今はそのような事を言っている場合ではない。英霊として断じて大海魔の存在を許しておけぬ。その思いはライダーも同じだった。
唐突に言われ、しかし萎縮して物怖じする男でもない。士郎は一切躊躇わずに戦車に飛び乗ると、宝具の投影を目の当たりにして固まっていたウェイバーに笑い掛ける。
「お邪魔させてもらう、ウェイバーくん」
「は? えっ? ……ちょっ、らららライダー! コイツも乗せるとか正気かよ!?」
言われつつも、ライダーは雷牛に鞭をくれ、戦車を暗い上空へと駆け上がらせている。征服王は十を超える触手を巧みに躱しながらも己のマスターを叱責するように諭した。
「ウェイバーよ。彼奴に今、最も有効打を与えられるのはランサーのマスターだ。しかしその男には機動力がない、一ヶ所に留まっていては餌食となろう。なに、心配するな。もし不埒な真似をすれば、その瞬間に余が貴様の仇を討ってやる」
「そういう事だ、俺が君に手を出せる所ではない。安心しろ」
小心なウェイバーが、そう言われても安心出来る訳もなかった。
宝具の投影など、封印指定されるのも確実の異能である。明らかに人間業ではないそれを目の当たりにし、魔術師の端くれである少年が気を抜けるはずもなかった。
だがウェイバーの不安など考慮していられる状況ではなかった。ライダーは触手が戦車に触れそうになるのをキュプリオトの剣で斬り、雷撃で払うも、こうも集中砲火を浴びれば危うくなる。ライダーは士郎へ詰問した。
「ランサーのマスターッ! 足場を安定させてはやれん、狙えるかッ!」
「厳しいな……狙えはする、しかし些か触手が目障りだ。ああも射線上に肉塊の柱があれば、狙いが逸れるかもしれん」
それに人の身で過度の投影を繰り返しているのも問題だ。顔色一つ変えていない士郎だが、魔術回路は焼ききれる寸前。英雄王との戦線を離脱するまでに魔力を使いすぎ、今も魔術王やマシュへの魔力供給を続行しているのである。
ジジジ、と士郎の右耳の皮膚が壊死し、黒ずんでいる。もはや螺旋剣の投影は後一射が限度だろう。必中を確信するまで放てはしない。
征服王は舌打ちする。しかし士郎はなんとなしに見抜いていた。
――知能の欠片もない怪物が、何故俺に狙いを絞る? 危険を察知する本能すらない類いだろうに……。……なら、こんなのはどうだ?
「セイバー!」
地上、水面上を駆け、大海魔に剣撃を浴びせ続ける少女騎士に要請する。予想が正しければ行けるはずだ。
士郎は一旦螺旋剣を戦車の中に置き、なんの変哲もない矢を投影する。その鏃もつけていない木の矢に文字を刻印する。その矢をセイバーに緩く放った。
殺意もなく、直前に呼び掛けられたこともあり、直感に従ってその矢をセイバーは掴み取った。瞬時にその一文を読み取ったセイバーは素早く大海魔から距離を取り始める。
――流石ッ、判断が早い。
士郎はライダーに言った。
「ライダー、大海魔の直上へ行ってくれ」
「おうッ、任せよ!」
螺旋剣を手に取り、黒弓につがえる。触手が追い立てて来るが、しかしその動きが鈍った。
セイバーだ。大上段に聖剣を構え、黄金の輝きを魅せている。エクスカリバーの魔力の奔流に、大海魔はライダーを追う触手の半数を割いた。同時、セイバーが離脱する。聖剣を放つ気など毛頭無かったのである。
ライダーが笑った。愉快そうに。
「そういう事か、味な真似を……! やれい、ランサーのマスター!」
「――我が骨子は捻れ狂う……! 『偽・螺旋剣』!」
魔力の限界が来る。士郎は唇の端を噛み切りながらも魔力を振り絞り――傍らのウェイバーは一瞬、幻視した。ガゴンッ、と廻る、途方もなく大きな歯車が回るのを。
幻覚なのだろう。瞬きの瞬間に消え去る歯車のイメージ。しかし剣弾を放とうとするや、限界を超えたはずの魔力が底上げされたように膨れ上がる。触手の脅威が半減した刹那、大海魔の直上に至った戦車から、士郎が螺旋剣を射ち放った。
大海魔の本体を、過たず穿つ螺旋の剣弾。肉の層を掻き混ぜて進み、中枢に至るや炸裂させる。黒化英霊を確実に仕留めたのだろう、士郎は大海魔の存在が解れ、異界へ送還されていくのを見ると残心を解く。
「やるではないかっ、ランサーのマスター! 流石は余の見込んだ、この聖杯戦争で最たる敵なだけはある!」
「お褒めに与り光栄だな、征服王。それより地上に下ろしてくれないか。飛行機の類いは苦手でね」
皮肉を飛ばす士郎にライダーは豪放に笑う。
戦略的にはここで士郎を仕留めてしまうのが合理的だが、その前に士郎はウェイバーを斬るだろう。それにそんな合理、ライダーの辞書には存在しない。
戦車を地上に下ろすと、士郎は戦車から飛び降りる。大海魔は消えた。ならば共同戦線は、そのまま聖杯の調査に向かうべきである。問題は、今も空で繰り広げられる熾烈な空中機動戦だろう。そちらをなんとかしなければ、と士郎が考え始めるや――こちらに合流しようとしていたセイバーが、鬼気迫る声音で喚起してきた。
「シロウ――ッ!」
その声に、体が反応する。ライダーも気づいた。だが、遅い。
――最速の座に据えられるに相応しい黒影が、背後から士郎へと迫り。不気味に脈打つ呪いの黄が、閃く。
「――穿て、『必滅の黄薔薇』」
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