二国の英雄
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第一章
二国の英雄
タデウシュ=コシチュシュコは俗にコシューシコと呼ばれていた、彼は常に自ら先頭に立ちポーランドそしてリトアニアの為に戦った。
その頃祖国はプロイセンやロシアの間に挟まれ台頭する二国の間で貴族達の勢力争いもあり衰退していった、だが。
彼は常に陣頭に立ち戦っていた、それで常にその精悍で大きな目と高い鼻を持つ彫がある顔で言うのだった。
「必ず、必ずだ」
「ポーランドとリトアニアの独立を守る」
「そうされますか」
「そうだ、何があろうともだ」
その顔に強い決意を宿らせてだ、彼はいつも言っていた。
「私は祖国を守り抜く」
「ロシアとプロイセンが狙い続けていますが」
「そしてオーストリアも」
「ですがそれでもですか」
「我が国を守り抜きますか」
「私は我が国で生まれたのだ」
コシチュシュコは答えた。
「ならばだ」
「我が国を守り」
「そしてですね」
「我が国の為に戦う」
「そうされますね」
「そうだ、どれだけ彼等が攻めてきても」
ロシアとプロイセン、そしてオーストリアがだ。どの国も今のポーランド、リトアニアには強敵である。
「私は戦いそしてだ」
「国と民を守る」
「そうされますか」
「その為に私は生きているのだ」
こうまで言うコシチュシュコだった、彼は実際にロシアに対してもプロイセンに対しても果敢に戦った。民兵も率い百姓達の鎌も使ってだ。
彼は必死に戦い続けた、しかし敵はあまりにも強く彼は敗れ遂にロシア軍の捕虜になった。祖国も遂に三国の分割でこの世から消滅してしまった。だが彼を捕虜とした女帝エカテリーナがこの世を去り。
彼の息子で母と折り合いが悪く憎悪さえしていたパーヴェル一世は彼女とは正反対の政策を行った。それでだった。
コシチュシュコも釈放されて金まで渡されて解放された、だがこの頃にはもうポーランドリトアニアはなくコシチュシュコは一旦アメリカに亡命しそこからフランスに移った。その中でかつて彼がアメリカ独立戦争に参加した時に触れた自由思想、ポーランドとリトアニアを守る中でも前面に出したそれへの思いは残っていた。
それでナポレオンにも興味を持って彼について調べて話も聞いたが彼はやがて失望した様に親しい者達に言った。
「彼はポーランドそしてリトアニアにとってよくない人物だ」
「いつもポーランドそしてリトアニアの独立を言っておられますが」
「それでもですか」
「両国にとってよくないですか」
「そうした方ですか」
「我が国はロシアとプロイセン、そしての間にある」
コシチュシュコはこのことから周りに話した。
「そうだな」
「はい、それが為にです」
「我々の国はあの三国に分割されてです」
三度に渡るそれによってだ。
「この世からなくなりました」
「そうなってしまいました」
「そうだ、そしてあそこに国があれば」
ポーランド及びリトアニアのこの連合国家がだ。この二国は一つになってから長い間共に生きてきたのだ。
「三国に楔を打てる、だからだ」
「ボナパルト殿は我が国に再興を言われていますか」
「ご自身の為に」
「そうお考えなのですか」
「彼は確かに自由主義を持っている」
このことはコシチュシュコも認めた、間違いのないことだと。
だが彼がナポレオンについて認めていることはもう一つあった、それは何かというと。
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