人理を守れ、エミヤさん!
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偽伝、無限の剣製 (後)
偽伝、無限の剣製 (下)
俺の厚かましさの具現とも言える蒼空は汚泥に染まり、取り繕ったような暖かみを持つ丘は禍々しい樹海を育む土壌とされた。
少しは見れる風景になったなと自嘲するも、結界が敵を討つ空間ではなく、俺やネロ達の逃げ場を無くす牢獄と化した事実は変わらない。もはやこの剣の丘を支配するのは俺ではないのだ。我が物顔で樹槍を振るう神祖の霊基の成れの果て――魔術王の名も知らぬ下僕こそがこの世界の王である。
魔神の意思によって機能する聖杯が、この結界を侵食しているのだ。未熟な魔術使い如きが支配権を取り戻せるほど甘くはあるまい。
お陰様で剣製の効率は低下し、カルデアからの魔力供給も著しく滞っている。おまけに地の利はほぼ喪失したと来た。結界の維持に費やすはずだった魔力こそ温存できているが手詰まり感は否めない。打つ手なし、挽回の余地なし、端から見れば絶望的な戦況だろう。
「――ク、」
可笑しくて笑ってしまう。俺もヤキが回ったか。こんなにも追い詰められ、間もなく終わりが訪れようとしているのに、気にしているのは他人の事ばかり。
脳裏を過るのは、やり残した事。カルデアの外にいる者。焼却された凡ての事象。
傍らの友。大切な相棒。庇護すべき少女。働きすぎる司令官。キャラの濃い万能の天才。
因縁の借金あくま。取り残した桜色の後輩。救った人、救ってくれた人。殺した相手、殺そうとしてきた敵。絶倫眼鏡、極女将。真祖に代行者に修道女に執行者!
まったく馬鹿げている、俺の世界は本当に、俺より尊いもので溢れているのだから。
足下から伸びた蔓が太股を貫く。即座に干将で飛び出た芽を切り捨てる。ネロを取り囲む樹林に剣弾の雨を降らせ脱出させる。只管に細かい枝葉を触手のようにうねらせ、オルタの消耗を狙う樹木を炎の剣で薙ぎ払う。
その隙に槍のような枝葉に腹を喰われた。そのまま呪いの黒泥を流し込まれ俺は笑った。遂に食人樹となったか、魔神の呪い! 枝葉の先、ヘドロの樹の幹に見るに堪えない乱喰歯が見える。大きく開かれた口が、俺を嘲笑っている。貴様は終わりだ、ここで終わりだ、そのまま呪いに溺れて死ぬがいいと。
腹から芽が咲いた。内臓を啄まれる心地に失笑する。生憎だった、この手の痛みと呪いなんて慣れっこである。この世全ての悪の方がまだ悪辣だ。こんな程度で死ねだと? こんなもので終わりだと? 俺がこれぐらいで死ぬだと?
「舐めるなよ……! 俺を殺りたきゃ心臓潰して首を飛ばしなァッ! この程度で勝ったと思ってんじゃねぇぞクソッタレがぁ!!」
血反吐を吐きながら剣製する。
激情に突き動かされるまま、両腕を開いたよりも太い幹を両断した。死狂い一騎、満足に片付けられもせず勝ち誇るとは底が見えたな糞魔神!
俺は嘲弄する。俺は確信していた。俺は勝つと、俺達は勝つのだと。
流麗な剣捌きで踊るネロを見ろ。豪快に樹海を滅する暴竜の如きオルタを見ろ。まだまだ余力を残している、余裕がないのは俺だけだ。ザマァない、死に損ないすら満足に殺せない輩が人理焼却? 笑わせる、せめて俺を瞬殺出来る程度でなければ、とても人を滅ぼせるものか。
人間の生き汚さをナメるな、この俺の面の皮の厚さを侮るな。どこまでも厚顔に、洗濯物に染み着いた油汚れの如くに居残り続けてやる。根比べで俺より上の奴なんていないって教えてやる。俺は雑魚だがしつこさだけは一級だ!
さあ来い、すぐ来い、もっと来い! 俺はまだ生きているぞ!
「シェロ! 無事か?!」
赤薔薇が舞う。
腹から鋼の剣を生やした俺を見てネロは息を呑む。
俺は快活に応じた。
「無事に見えるか?」
「うむ、見えぬ!」
力強く即答し、素早く俺の状態を確認したネロは飛来した数十の枝葉の渦を切り払う。
「しかし今すぐに死にそうにもないな!」
「ああ、なら問題はないな」
「問題はあろう!? どういう理屈で腹の中から剣に貫かれるのだ?!」
「腹の中に呪詛の類いを弾く剣を投影しただけだ。慣れたら意外と病み付きだぞ」
元々低い対魔力だ。他人に呪われること幾数回、俺の見い出した対策がこれ。最終手段だが意外と効果的で笑えてしまう。患部を直接投影宝具で貫けば、大概の呪詛はイチコロだ。
アルトリアの対魔力を貫通する以上、時間稼ぎにしかならない応急手当だが、やらないよりはましである。延命できて10分、その間に魔神を倒せれば呪いも解れて消えるだろう。
大地が波打つ。
聖杯の反応が一際強く脈打った。
敵主力の要を負傷させた魔神が攻め時と見たのか、一気にカルデアを滅ぼさんと仕掛けてきたのだ。
貴様ら人間の旅はここで終わりだと告げるように。分かりやすく、単純に、純粋な質量で圧倒的に圧殺せんと、顕在する全てのヘドロの樹海を天高く掲げ、鞭のように振り下ろす。
さながら褶曲のアンデス山脈そのものが倒壊してくるかの如き光景。
偽物の丘は暗影に覆い尽くされた。
無恥なる天空は汚辱され尽くした。
ちっぽけな人間を蹂躙せんと迫り来るのに、しかし人間に諦念はない。
爛々と燃える双眸は最後まで諦めない不屈の炎を宿す。
大地を踏み締める両の脚はまさに不退転。
ぎらりと目を光らせる。
此処だ、
此処しかない。
叫んだ。
「オオォォォ――ッ!」
全てを懸けた雄叫びに真っ先に応じたのはオルタだった。闇色のドレスを翻し、漆黒の刀身に奔る赤い紋様を指先で撫でる。黒の聖剣を下段に構えて闇の柱と化させ、渾身の逆撃を以て仕留めに掛かる敵の隙を狙う。
俺はほぼ喪失した固有結界の能力を全て導入する。干将を捨て、右手を天に掲げて汚泥の樹界、その降誕を遮らんと薄紅の花弁を剣の丘から取り出した。
「熾天覆う――七つの円環ッッッ!!」
崩落する天を支える。
全身の筋肉が軋んだ。魔術回路がひしゃげる感覚に魂が破裂しそうだった。
片膝をつく。体が圧力に潰れそうに、否、実際に潰れていく。断絶する筋繊維、ぶちぶちと手足の先から引き千切られていく実感に気が狂いそうだ。
しかし、見えた。
天に集めた汚泥の樹木。支えられるのはほんの数秒。天と地を水平に別ち、ヘドロの樹界を落下させた魔神は今、完全に無防備だった。
オルタが聖剣を振るう。こちらの狙いを悟った魔神が咄嗟に防御体勢を取ろうとする。ぐずぐずと爛れた黒体、無惨に崩れる樹槍でどう防ぐ? 決めに掛かる刹那、オルタの放たんとする卑王鉄槌に魔神が嘲笑を浮かべた。
悪寒がした。そんな程度の魔力ではどうにもならぬと余裕を見せている。強がり? いやそんな事をする意味は――もはや思考に費やせる時などあろうはずもなく、敗北を予感しながらもオルタの剣に託すしかなかった。
だが。
騎士達の王の参陣せし戦に、敗北など有り得ない。
金色の星の息吹が敗着の結末を吹き飛ばす。何もかもを圧殺せんとしていたヘドロの樹界が突如薙ぎ払われた。
其は輝ける命の奔流――固有結界を侵食していた泥を圧し流し、圧倒的な魔力の光が固有結界を崩壊させる。獲物を追い詰める為に空間を維持していた魔神は、魔力の氾濫を纏めて受け止める事となり、期せずして魔神はその霊基の四分の一を損壊させてしまう。
星の燐光は主君のソラを取り戻し、誇らしげに散った。
――貴方に勝利を。
俺の、俺達の勝利を確信して消えたアルトリアの気配に、俺は気を取られ。
樹界を一掃し、あまつさえ魔神の半身を両断した聖剣はカルデアに勝機を齎した。
「っぅ……!」
だが動けない。体はとっくに限界だった。ぐつぐつと煮え滾る闘志は無限、しかし体の方がついてこない。声すら出なかった。
今、魔神は喪った半身を再生するために停止している。この隙を逃す訳にはいかないのに、瞬時に駆け出したオルタは間に合わない。アタランテの脚でも届かない。魔神の再生速度は常軌を逸する。折角見えた光明を掴めぬまま死にゆくしかないというのか。
いや。
「っ……? ……ふ、はは、ははは、」
笑い声が漏れた。
なんてこった、こんな時に、いやこんな時だからこそなのか。
予期せぬ気配に、轟いた雄叫びに、絶望に硬直していた空気は打ち砕かれた。
穴だらけの結界の外。
激しい馬蹄が迫り来る。
遥か高く跳躍して一騎の英雄――愛馬は力尽き消え去って。英雄も殆ど消えかけていながら、なおも豪快に咆哮していた。
「我が朋友コナルの名に懸けて!」
ルーンを象った刺繍入りの外套を靡かせ、
白銀の籠手が包む逞しい腕が担ぐのは。
巨大な、
城であった。
「――勝利の栄冠は、諦めねぇ奴の頭上にこそ輝くのさ!」
高らかに謳う益荒男のスケールに、誰しもが圧倒される。
「ダンドークの城を枕に逝きな、『圧し潰す死獣の褥』!」
字面としても滑稽な形容である。投擲された城が、再生し尽くす直前の魔神を、いとも容易く押し潰したのだ。
軽やかに着地した蒼い槍兵は、獰猛に牙を剥いて、消えかけの体で礼を示した。
「マスター! 報告するぜ。世界の一端、確かに撃破して来た。今のはちょっとしたサプライズって奴さ」
「ランサー……お前、」
「んだぁ? だらしねぇ、男ならしゃんと立ってろ」
膝をついたままの俺に、最強のランサーたるクー・フーリンは呆れたように手を差し伸べ、無理矢理にでも立たせてくれた。
脚が消えている。体も、ほぼ全てが光の粒子となって消えていた。だがそれでも、ランサーは言う。肩を叩き、活性のルーンを俺に刻みながら。
真剣に、男が、男に、告げるのだ。
「テメェはオレに言ったな? 二つの世界の片割れをオレに任せる、テメェらはもう一つの方を始末するってな」
「……」
「オレは勝ったぜ。なら、今度はそっちの番だ。オレの認めたマスターなら、きっちり勝ちきってみせろや」
ドン、と胸の中心に拳を当てられる。
消えていくクー・フーリンは、やれやれ、これでオレの仕事は一旦終わりだなと言って消滅した。
まるで、俺が勝つのは当たり前だと言うような、余りにも爽やかで、後腐れのない退場。
拳の触れた胸が、熱い。
負けてたまるか、なんて分かりやすい気力が湧いた。
元より勝利への想いは無限、溢れるものも勝利への渇望のみ。俺は、自身を潰す城を膨大な量の樹木で押し退けた魔神に向かう。
そうだ。まだだ、まだやれる、やれるとも。剣化する肉体はまだ動く。なら行こう。勝ちに行こう。休んでろと言ったのに勝手に逝ったアルトリアに文句を言わなきゃならない。俺にはまだ『先』が必要なんだ。まだ生きていたいのだ。
状況は振り出しに戻った。だが、負ける気がしない。声もなく、俺は駆け出す。何も持たず、拳だけを握って、衝動的に一直線に走り出した。
オルタが前を行く。その前をアタランテが馳せる。傍らのネロが高揚するままに何かを歌っていた。
嗚呼――負ける気がしない。その俺の心に呼応するように、声が響いた。
「真名、開帳。わたしは災厄の席に立つ」
――霊基と身体が合一する。
どこか甘かった機構の歯車が、がっちりと噛み合った。
――嗚呼、本当に。なんて人達なんだろう。
少女は想う。
青い騎士王の鮮烈な輝きを。黒い騎士王の凄絶な煌めきを。優美に咲く赤薔薇の皇帝、神話の時代の伝説の狩人、一つの神話で最強を誇る蒼い槍兵。そして、
「――其は全ての疵、全ての怨恨を癒す我らが故郷……」
無色の世界に、色彩を齎してくれた、大切なひと。
まだ、人理が焼却されていなかった頃。
ドクターと、所長と、一緒に歌ってくれた。一緒に美味しいものを作って、一緒に食べてくれた。
外の世界の事を沢山話してくれた。
苦手だったけど、楽しい運動を一緒にしてくれた。
壮絶に戦う彼の背中は、等身大の生への渇望だった。
――守りたい。
自分なんかがそう想うのが厚かましいぐらいあのひとは強いけど。それでも、助けになりたい、どこまでも一緒に在りたい、これからの未来を一緒に見たい。
その想いが、少女を走らせた。
一生懸命に駆ける。遠い、遠い背中に追い付きたくて。あのひとの見ている景色がどんなものなのか、知りたくて。
絶望が見える。
未来を無くそうとする、とても怖い、魔神。
瞬く間に樹界を復活させ、全てを呑み込もうとしていた。
だけど、大丈夫。
雪花の楯を駆けながら構えて、裡から導かれるままに唱えて。
「顕現せよ」
顕すのは、想い。
形にするのは、それだけでいい。
素直に見つめよう。迷いなく見据えよう。
四方から取り囲むように迫る暗い樹界を、決してあのひとには届かせない。
「『いまは遙か』ッッ――」
頑張って、力を振り絞る。
驚いて振り向くあのひとに、楯の少女は全力で微笑んだ。
「『理想の城』!」
――そうして顕現した白亜の城壁は、あらゆる不浄を祓い、あらゆる穢れを落とし、あらゆる脅威を打ち払う鉄壁の守りと化した。
ここに絶大なる質量は無力に堕す。
城壁の外から押し潰さんとするヘドロの樹木は悉く弾かれ、白亜の城に取り込まれた魔神は一切の穢れを放てない。腐り落ちていた樹槍は純潔の領域に赤みを取り戻し、人の心なき魔神の瞳に、微かに光が戻った。
アタランテが気合いと共に『火』の灯る大剣を魔神に突き刺した。
『火』が魔神に吸収される。本来あるべき器へと。
そして、あたかも自分から刃を受けるように魔神は止まった。
オルタが黒き聖剣で袈裟に叩き切る。
ネロが大剣を思い切り振り抜いた。
そして、
剥き出しとなった聖杯を、男の渾身の拳が撃ち抜いた。
霊基から聖杯が飛び出る。駆け続けていたマシュが、それを走り抜き様に回収した。
仁王立ちする魔神は、身体を崩壊させながら眼前の男に――否、この場全ての者に向けて短く告げる。勇者らの健闘を讃えるが如く。
本来の、神祖の威厳を伴って。
「――見事。お前達の勝ちだ」
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