魔術師ルー&ヴィー
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第二章
Ⅰ
「で…何でこんなことになってんだ?」
「僕に言われても知りませんよ!」
なぜか…二人は船上にいた。
事の経緯はこうである。
マグナスタから例の仕事を請けて三日後、予定通りに大賢者マルクアーンが街へと入った。ルーファスは元々顔見知りであったため、スムーズに仕事に入ることが出来たのだが、そのニ日後…突然マルクアーンがゲシェンクへ渡ると言い出したのである。
ルーファスとヴィルベルトの二人はギルドと正式に契約を結んでいるため、嫌だ…とは言える情況ではなかったが、そんなルーファスの心を見透かしてか、マルクアーンは彼にこう言ったのだ。
「あぁ、この様な我を見棄てると言うのだろうか?その様なこと、お前の父も母も許すまい。お前が見棄てると言うのなら、我は侯爵家へ赴き、恨み辛みを述べ立てようぞ!」
殆ど脅しである…。
「ったく…あれが大賢者のすることかっつぅの!」
ルーファスは思い出して些か腹が立ってきた。
本音を言えば、ルーファスは今暫くはベズーフ内を旅して後、隣のトロッケンへと向かう予定だったのである。
それがまさか…船に乗ってゲシェンクへ向かうことになろうとは…。
「ルー、こんな所に居ったか。」
「賢者殿…何かご用ですか…?」
やる気無さを隠そうともしない彼の返事に、マルクアーンは苦笑した。
「そろそろ昼の用意が出来るからな、呼びに来ただけだ。それに、シヴィルで良いと言うておろうが。」
「一応仕事ですので。」
そう再びやる気のないつっけんどんな返事をするルーファスに、マルクアーンは少し眉をピクリとさせて言った。
「そんなことを言うと…食堂で待たしてあるお前の弟子に、お前の赤子の時からのあんなことやこんなことをうっかり話してしまうやも…」
「シヴィル、行こう!俺は腹が減って死にそうだ!」
そう言って、ルーファスはマルクアーンを引き摺って食堂へと向かったのであった。
三人の乗っている船は大型の帆船である。無論、この時代に客室は存在してはいないが、荷物の少ない時などは人も共に運んでいた。
今回はマグナスタの計らいで、丁度ゲシェンクへと向かう船に乗れたのである。そうでなければ、大金を出してわざわざ船を出してもらわなくてはならず、それが出来なければ幾月も待つことになる。それがこの時代の船旅であった。
「お、今日も旨そうだな。」
ルーファスがそう言って席に着くと、マルクアーンは苦笑しつつ席に着く。先に来ていたヴィルベルトは、些か不機嫌に「師匠…遅いです。」と言ったが、ルーファスは聞いているのかいないのか…早速用意されていたスープに口をつけ始めたため、ヴィルベルトは仕方なくマルクアーンを見た。
マルクアーンは「さて、頂くとしよう。」と言い、ヴィルベルトへと食事を始めるよう促したのであった。
「今日の夕刻にはゲシェンクに着きそうだな。」
スープを飲みながらマルクアーンがそう言うと、ヴィルベルトは食事の手を止めてマルクアーンへと問い掛けた。
「マルクアーン様は、どうしてゲシェンクに?」
その問いに、マルクアーンも食事の手を止め、少し影のある笑みを見せて返した。
「旧友に会いとうなってな…。」
「旧友って…シュトゥフ様ですか?」
ヴィルベルトは目を丸くした。だが、ルーファスは最初から分かっていたようで、小さく溜め息を洩らして言った。
「やっぱそうか。ここんとこ、シュトゥフ殿は体調を崩してんだ。ま、歳も歳だかんな。だから心配んなって、あの塔から出てきたんだろ?」
ルーファスはそう言ってマルクアーンを見ると、彼女も小さく溜め息を洩らして返した。
「そう言うことだ。こうしてあれこれと言い訳を並べなければ会いにも行けぬ…。全く困ったものだ。」
マルクアーンはそう言うと、再びスープに口をつけたのであった。
その日は快晴で、空も海も穏やかであった。食事を終えた三人は、甲板へと出て風と景色を楽しむことにした。
三人は置いてある空箱に座ると、暫くは広大なる海を眺めていた。そこには波と煌めく光りだけがあり…それを眺めつつ、マルクアーンはしみじみと呟いた。
「この様な平和が訪れようとはな…。あの頃は微塵も思わなんだ…。」
それは誰に言うでもない独り言のようであった。在りし日々を水面に反射させているだけの…。
だが、その呟きにヴィルベルトが返した。
「あの頃って…先の大戦の事ですか?」
「ん?あぁ…そうだ。あの戦は…最早戦とすら呼べぬ凄惨なものであった。お前達の世代が知るのは、本の一欠片に過ぎんからのぅ。」
「一欠片って…。」
マルクアーンの言葉に、ヴィルベルトは顔を蒼褪めさせた。
彼自身、先の大戦のことはかなり調べ上げていたつもりであった。だがそれさえ…マルクアーンにとっては一欠片なのだと思うと、ヴィルベルトは自身の震えを止められなかった。
「そう怯えるな。あれは、もう過ぎ去りし幻影だ。お前達が大妖魔の一位と二位を浄化したお陰で、随分と世界は良くなった筈だ。残る三体も、そう悪さは出来まいて。」
「三体…だけ?」
ヴィルベルトは首を傾げた。彼が知っている妖魔を封じた塚は、少なくとも五十六ある。それに対し、マルクアーンが挙げた数は三体なのだ。
不思議そうにしているヴィルベルトに、今度はルーファスが苦笑しつつ答えた。
「大妖魔は別格だ。妖魔は人の言葉を理解し、その欲に付け込むが、大妖魔ともなれば人を操りさえする。んでもって、小者は封じられてる間に消えてって、残ってんのが三体…って訳だ。残ってんのは、ゾンネンクラールの北にある封、ミルダーンの東にある封、そして…今から行くゲシェンクの中央にある封だ。」
師からそう答えてもらったヴィルベルトは、「そうだったんですか。」と言って納得したが、まだ何か聞きたそうにしていたため、マルクアーンは苦笑しつつ言った。
「まだ聞きたい事がある様だな。構わんから言ってみろ。」
それに対しに、ヴィルベルトは神妙な面持ちで返した。
「では…一つだけ。先の大戦の…本当の原因は何だったんですか?」
その問いに…マルクアーンもルーファスも体を強張らせた。
一般的に知られる理由…謂わば表の理由としては、ゾンネンクラール皇国がリュヴェシュタン王国に戦を仕掛けたことが発端とされている。
この二国とフルフトバール王国との狭間に、レベンデヒ海と呼ばれる広大な湖がある。魚介類の宝庫としても知られ、ゾンネンクラールはリュヴェシュタンが保有する水域を領地にしたかったのだとされている。
だが、真実はそうではないのである。
戦当時の各国の内情は実に複雑で、一国の貴族達でさえ完全に把握することは出来なかった。謂わば他国の貴族へと姻戚関係を作り、富を増やそうと…どの国でも同じようにそれを行っていたため、酷い時は一つの公爵家の姻戚が全ての国に居ることさえよくあった。
それとは逆に、一つの国に全ての国の貴族の娘が集まっていたこともしばしばで、互いに易々と手出し出来ぬようになっていたとも言えよう。
だが、悪事を考える者はいつの世にもいるもので、その計略が戦を煽って戦火を拡大させたのである。
その名は未だに明かされてはいないが、発端を築いた一人はゾンネンクラールの皇族であったことは分かっていた。しかし…その名は明かされる事なく、皇族の家系諸共闇へと葬られたのである。
現在のゾンネンクラールは王国であり、元来は皇族家の分家に当たる。その王族すら、先の大戦については頑なに口を閉ざしている。
「わしはな…戦の切っ掛けを作った者を知っている。」
マルクアーンが口にした言葉は、ヴィルベルトの表情を固くさせた。未だ表に出せぬその者の名を、目の前の大賢者は知っているのだ。
ヴィルベルトはそれを聞きたい半面…それは永久に眠らせておくべきものとも思え、暫くは黙して考えていた。
隣に座るルーファスも口を閉じたまま、時は静かに過ぎて行く…。
そして、その静寂を破るように、マルクアーンが口を開いた。
「あやつとは…友であった。わしと同じく魔力は無かったが、その知識たるや、わしのそれを凌駕しておった。あやつが皇族の子でなくば、きっと…あやつが賢者と呼ばれて居っただろう。」
ヴィルベルトはマルクアーンの話しぶり、その人物と彼女の間に友情以上のものがあるように感じたが、人の過去を探るような自分を恥じて、マルクアーンの話に集中した。
「思えば…トロッケンへと共に留学していた際、魔術式を二人で考えた事が切っ掛けだったやも知れん。その式は無機物に妖魔を定着させて使役するものであったが、あやつはそれを…人間に応用したのだ。あんなもの考えなくば…今頃は…。」
マルクアーンはそこまで話すや、ハッと顔を上げた。
「いや、済まん。詰まらぬ話だったな…忘れてくれ。」
そう言うや、彼女は煌めく水面へと視線を落とし、それ以上語ろうとはしなかった。
暫くは風にあたっていた三人だが、夕も近く日が陰り始めたため、皆部屋へと戻って下船の支度に取り掛かったのであった。
水平線へと日が沈み切る頃、船はゲシェンクの港町であるシークへと入った。そこは夜になろうと言うのに活気に溢れ、多くの人々が行き交っていた。
三人は下船するや、先ずは宿を探しに街中へと進んだが、そこで思わぬ人物に声を掛けられた。
「済みません…旅の方。」
それは美しい女性で、この港町には不釣り合いなドレスを纏っていた。ヴィルベルトが思わず心の中で歓喜する程の容姿で、直ぐに返事をしようとした矢先…ルーファスが顔を引き攣らせて叫んだ。
「何でお前がここにいる!」
「あらやだ…もうバレましたの?」
「バレねぇ訳ねぇだろうが!それに何だ、その格好は!自分が浮いてるって自覚あるのか!?」
話から察するに、どうやらその女性はルーファスの知り合いのようである。
それを横目でヴィルベルトは苦々しく思いつつ、未だ顔を引き攣らせている師へと言った。
「お知り合いですか…?」
その問いに、ルーファスは盛大な溜め息をついて答えた。
「残念ながら…そうだ。こいつは叔母上の姪のエリーザベトだ。ベズーフの中流貴族ヘルムート・フォン・アントーネ伯爵の奥方だよ。」
それを聞くや、ヴィルベルトはガックリと肩を落とした。そんなヴィルベルトを見て、マルクアーンはさも可笑し気に笑って言った。
「ヴィルベルト。そなた、この御婦人の様な容姿が好みなのか?」
「い、いえ…別にそうではなく、ただ…」
「ただ…何だ?」
マルクアーンはニヤニヤしながらヴィルベルトに迫ったため、ヴィルベルトは「もう、その通りです!」と、自棄っぱちな返事をしたため、マルクアーンは堪え切れずに大笑いしたのであった。無論、ルーファスも隣で腹を抱えて笑っていた。
笑いが収まった頃、マルクアーンはエリーザベトへと向き直って問い掛けた。
「しかしなぜ、ベズーフの伯爵夫人がこの様な所へ来ておる。暇でも出されたのか?」
「大賢者様、お初にお目にかかります。エリーザベト・フォン・アントーネと申します。…って、いかな大賢者様でも失礼ですわ!私は六日ほど前から、主人と共にシュクの街のコレンテ公に会いに来ていたのです。あちらのギルドに話を通して来ていたので、弟が魔術で大賢者様方が来られる事を伝てくれたのです。もう宿も手配してありますので、私が案内役としてお迎えに上がったのですわ。」
そこまで一気に言うや、「さぁ、こちらへ。」と、さも何も無かったかのようにエリーザベトが歩き始めようとした時、ルーファスは半眼でエリーザベトへ言った。
「お前…ヘルムートはどうしたんだよ…。」
「邪魔なので置いてきました。」
笑って言ったエリーザベトの答えに…三人は亭主であるヘルムートを、心から哀れに思ったのであった。
さて、エリーザベトは街の外れに待機させていた馬車へと三人を乗せ、街の外周にある大きな宿へと来た。
宿…とは言え、そこはやはり港町。豪奢な作りではなく、素朴ではあるが頑丈な作りの二階建ての宿であり、一階には食堂も併設されている。
「エル…ここに泊まるのか?」
「そうですわ。もう四人分部屋を用意しましたもの。」
何故だかエリーザベトはご機嫌である。その裏に何か隠しているのをルーファスは感じていたが、それが何なのか分からず、ご機嫌なエリーザベトを先頭に、皆はその宿へと入ったのであった。
「いらっしゃい!あら、エリザちゃん。その方達が言っていたお友達かい?」
「そうですわ。で、あいつは来てますの?」
「ええ。エリザちゃんが出発した直後に到着されてるよ。」
どうやらエリーザベトは、ここの女将と顔見知りのようである。だが、その話し方からルーファスは嫌な予感がした。察するに、どうやらもう一人の客を呼んでいるらしい。それはきっと、自分の知り合いだとルーファスは考えたのだ。
故に、ルーファスはニッと笑みを見せてエリーザベトへと言った。
「俺ら、少し用事を思い出した。」
師の顔に驚愕したヴィルベルトは、マルクアーンの傍らに後退して「そ…そうですね…。」と弱々しい声で答え、マルクアーンも何かあるとみて、取り敢えず相槌を打った。
だが…それはもう遅いと言えた。
何やら階段からドタバタと走り下りてくる音がし、それが四人へと近付いて来たからである。
「ルーファス兄上〜!」
そう叫びながら男性が走って来たため、皆はギョッとして思わず避けた。故に男性は止まり切れず、そのまま奥の壁へと強かにぶつかったのであった。
「クリス…何でお前まで…。」
その男性はクルッと向き直り、ルーファスの前に来て言った。
「お久しぶりです、兄上!」
「お前の兄になったつもりはねぇよ!」
「そんなつれないこと言わないで下さいよ!折角ここまで来たのに!」
そう言うや、男性はシクシクと泣き出した…。
この男性はクリストス・フォン・バーネヴィッツと言い、伯爵位を与えられている。その名の通り女公爵の血縁であり、女公爵からして甥にあたる。エリーザベトとは従兄弟で、ルーファスも幼い時分からの親しい間柄であった。そのためか、彼はルーファスを「兄上」と呼ぶのだが、ルーファスはそうを呼ばれることが嫌なようである。
「ちょっとクリス!こんな所でメソメソしないで!全く、こちらが恥ずかしくなりますわ。」
「エル、それちょっと酷くない?」
「何を言いますの?曲がりなりにも伯爵なんですから、こんな人前で泣くなんて…恥ずかしいに決まってるじゃありませんか。酷くなんてありませんわ!」
「また言った!君だって女のクセに何かと口煩く言い過ぎなんだよ!」
「何ですって!」
今度は言い争いに発展したため、マルクアーンは眉をピクリとさせて言った。
「お前達、場を弁えぬか!続きは部屋にでも入ってから存分にするが良かろうが!」
大賢者に叱りつけられ、二人はしょんぼりして「申し訳ありません…。」と項垂れて言ったため、ルーファスは今にも噴き出しそうになった。
そんな笑いを堪える師を、やれやれと言った風に見る弟子のヴィルベルト…それを見ていた宿の女将は、既に堪え切れずに噴き出していたのであった。
ページ上へ戻る