海で見たもの
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第一章
海で見たもの
その逸話を聞いてだ、最初リヒャルト=ワーグナーは興味深そうな顔を見せはしただけであった。
「面白い話だとは思うが」
「それでもだね」
「喜望峰以外で出ないということは」
そのことがというのだ。
「信じられない、海は何処でもつながっているんだ」
「それでかい」
「私が思うのはこのことについてだよ」
「喜望峰にしか出ないということは」
「ないだろう」
その話をしてくれた友人に言うのだった。
「その幽霊船はね」
「さまよえるオランダ人はだね」
「どの海にいてもだよ」
「出会う可能性がある」
「そして若しかすると」
友人にこうも言うのだった。
「出会って」
「そしてだね」
「何かがあるかも知れない」
「君はこの逸話を信じはするんだね」
「シェークスピアでは亡霊は常に出て来るではないか」
それならばというのだ。
「無碍には否定出来ないだろう」
「成程、シェークスピアでは確かに亡霊が出て来ることは常だ」
「シェークスピア以外にも話が多い」
「だから否定しないんだね」
「私自身観たいと思っている、そして若し観たら」
その目でというのだ。
「面白いとは思う」
「この話はハイネ氏も書いているがね」
「それではそちらも読ませてもらおう」
ワーグナーは友人に応えその本も読んだ、そのうえで友人に話した。
「面白い話だった、余計にだ」
「この話に興味を持ったかい」
「そうなった、余計に見たくなった」
さまよえるオランダ人をというのだ。
「それが他の幽霊船であろうとも」
「見たいかい」
「海に出たなら、しかしオランダ人は何時救われるのか」
ワーグナーはここでこうも考えた。
「このことが気になった」
「それはやはり」
「永遠にか」
「救われないだろう」
「呪いによって」
「そう、最後の審判の日まで」
キリスト教の教えにあるこの日までというのだ。
「彼は救われないのだろう」
「恐ろしい呪いだ、そしてだ」
「そして?」
「悲劇だ、これだけの悲劇は」
まさにと言うのだった。
「救われるべきだが」
「そうあるべきというのだね」
「シェークスピアの作品は悲劇も多いが」
それでもというのだ。
「その悲劇はだ」
「救いがあるというのだね」
「死ぬ者の心は救われている」
「だからオランダ人も」
「救われるべきではないか」
まさにと言うのだった。
「そうも思うがね、私は」
「オランダ人は救われるべき」
「本当にね」
ワーグナーは友人からさまよえるオランダ人の話を聞いてこう言った、彼はリガでそうした話をしていたが。
彼はリガの歌劇場で楽長を務めていた、しかしそこで彼の悪癖である借金癖が如何なく発揮されてだった。
借金が増えていった、それにだった。
歌劇場の支配人とも衝突していた、それでだった。
「リガを去ろう」
「そうしてなのね」
「別の場所で働こう」
妻のミンナにもこう言った。
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