異世界口入れ屋稼業
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はじめまして、口入れ屋です。
女が一人、歩いていた。その街のメインの大通りではなく、路地を一本入った裏通りとでも呼ぶべき場所を。こういう場所を年頃の娘が一人で歩くのは危ないのだが、女は今そんな事に構っている余裕は無かった。
女は仕事が無かった。宿代も、それどころか今日の夕飯にありつけるかどうかさえ怪しい程の金銭しか持ち合わせていなかった。生まれ育った田舎は貧しく、殊更女の育った家は貧しく、子供ばかりが多かった。両親は小さな子供を育てながらのその日暮らしが精一杯で、ある程度大きくなった子供は奉公に出したり、冒険者になれと言って僅かな路銀を持たせて独り立ちさせていた。しかしそれは言うなれば、大きくなったからと外に放り出すも同然だった。そしてそれは、上の兄や姉と同様に17歳になった娘にも降りかかった最初の災難であった。
何せ村を一歩外に出れば魔獣の闊歩する弱肉強食の厳しい世界が待ち受けている。剣や魔法の心得でもあれば戦えようが、ただの村娘にそんな技能があるはずもない。とりあえず大きな街に出ようと路銀の2/3を使い、乗り合い馬車に乗り込んだ。どこまで乗っても料金は同じ、との事だったので終点であるこの国の都……王都まで数日をかけての旅路だった。水も食糧もほとんど持ち合わせてはいなかったが、夜営をする際などに街道沿いの林等に入って、食べられる木の実や茸等を採ってきて食べて飢えを凌いだ。座り続けたせいで痛みを感じていた尻の感覚が麻痺してきた頃、ようやく王都に辿り着いた。
どうにか安宿に腰を落ち着け、さてこれからどうしようか?と思った際に、女は自分が大失敗を犯してしまっていた事に気付くべきであった。この王都には女の頼れる伝手などただの1つも無いという事に。
通常、どこかの商会や貴族の屋敷等に住み込みでの就職……つまりは奉公に出る場合には既にそこに勤めている親戚や知人を頼るか、あるいはそういった就職口を斡旋してくれる組合(ギルド)に所属するのが一般的なやり方である。しかし娘はそんな親戚もなく、組合に登録するには登録料が掛かる上にすぐ奉公先が見つかるとは限らない。そうなると乞食か娼婦にでもなるしかないかと追い詰められた際に、女は場末の酒場で耳にしたのだ。
『この王都には、非合法ではあるが仕事先を必ず見つけてくれる男がいる』
と。その男は『クチイレヤ』という耳馴れない職業を名乗っており、この辺では珍しい黒髪黒目の持ち主だという。その話をしていた男に残り少ない所持金で酒を奢り、そのクチイレヤとやらの居場所を聞き出した。そして今、女はその教えられた場所に向かっていた。
「裏通りの……『赤い煉瓦亭』の隣。ここだ」
特徴的な真っ赤な煉瓦造りの宿屋の隣に、その建物はあった。造りは隣にある宿屋と同じく、二階建て。しかし、その壁は見た事の無い白い土壁のような物で塗り固められていた。しかも驚く程真っ直ぐで滑らかな壁面は、まるで最初からそのような形の岩をくり貫いて作られたかのようだった。窓には貴重で高価なガラスが嵌め込まれており、この建物の主は実は王公貴族の中に名を連ねている人間なのでは?と疑わせた。
「えぇと、どうしたらいいのかしら……」
予想に反してあまりにも立派な建物の前で、狼狽える娘。
「おねーさん、どうしたの?」
不意に背後から声をかけられた。後ろを向くと、帽子を被った少年がこちらをジッと眺めていた。鼻の頭に煤が付いていて、真っ黒だ。
「え?えぇと、私の事かしら」
「そうだよ、美人のおねーさん。オイラここの宿屋のヤックってんだ!」
そう言って少年ーーヤックは、『赤い煉瓦亭』を指差した。どうやら、この宿屋の主人の息子らしい。
「あ!もしかして口入れ屋のオッチャンに用事があんのか?」
手をポン、と打ち合わせてヤックが話す。
「えぇ、そうなの。でも、あんまり建物が立派だからどうしたらいいのか……」
「オイラに任せといて!時々そういうお客がいるから、オイラ案内してオッチャンにお駄賃貰ってんだ!」
へへへっ、と自慢気にヤックが鼻を擦る。しかしそのせいで、鼻の頭に付いていた煤が鼻の下一面に延びてしまい、まるで髭のようになってしまった。それを言うべきか言わぬべきか女が迷っている間に、ヤックはドアの横に付いていた妙な物を弄った。するとどこからともなくブーッと音が鳴り響く。
「な、何!?」
「ビックリしなくてもいいよ。これオッチャンにお客が来たのを知らせる魔道具なんだ。ほら、ここを押すと音が鳴るの」
魔道具、と聞いて女は内心腰を抜かしそうになった。魔道具とはその名の通り、魔法の込められた道具の事だ。しかしそれを作るのは並大抵の技術ではなく、ほとんどはダンジョンと化した古代の遺跡などから発掘するか高名な魔道具師に特注するかだ。そのどちらも目玉が飛び出る程の高価な代物だと聞いた事があった。それをたかが人を呼び出す為に使うとは。呼び出し用のベルか何かを設置すればいいだけなのに。女は頭がおかしくなりそうだった。しかし、更なる驚きはそのすぐ後に待っていたのだった。
『へ~い、どちらさん?』
なんと、どこからともなく男の声がきこえてきたのだ。
「へへへ、ビックリした?これ部屋の中にいるオッチャンとも話が出来るんだぜ?『いんたーほん』っていうんだってさ!」
またも自慢気に語るヤック。女は本当に頭が痛くなってきた。
「オッチャン、オイラだよ!」
『生憎だが、俺にオイラって名前の知り合いは居ないねぇ』
「からかうなよ、もう!隣のヤックだよ。オッチャンにお客さんだぜ?」
『あいよ、上がってきな』
するとガチャリ、とドアの鍵が外れるような音がした。
「さ、ついてきて!」
ヤックは躊躇いも無くドアを開け、建物の中に入っていく。女も中に入ると、そこはだだっ広いホールのようになっていた。
「すげぇだろ?昔はここで酒場をやってたらしいんだけどさ、オイラん家が隣だから商売の邪魔にならないようにって今はやってないんだってさ」
ヤックの家である『赤い煉瓦亭』は1階は食事処を兼ねた酒場、2階を泊まりの客に客室として貸しているらしい。そのため、隣に立派な酒場が出来ると客の奪い合いになってしまうらしい。
「その……クチイレヤさんって、昔からあるの?」
「う~ん?どうなんだろ。オイラが小さい頃にはもうあったけど、父ちゃんが言うにはある日突然この建物が生えてきたって言ってた」
「は、生えてきた?」
「うん。そう言ってたよ?」
ますます訳が解らない。
「ほら、こっち」
ヤックはそう言って女の手を取り、グイグイと引っ張っていく。そこには再びドアがあった。それも、分厚い鉄扉が。ヤックはまたしても、扉の横に付いている何かを弄っている。すると、目の前の鉄扉が独りでに開いた……が、中には何もない。
「さぁ、入って入って!」
「え?え?」
ヤックに尻を押されて狭い部屋に入る。中は窓もランプも見当たらないのに何故か明るい。中にも外にあったような丸い物が縦に並んで3つ付いていた。
「え~と、これ!」
ヤックはその3つの内の一番上の丸を押すと、扉がまた勝手に閉まり、ガタンという僅かな揺れと共に妙な感覚が襲ってきた。
「凄いでしょ?これ部屋が上や下に動いてんだってさ。『えれべぇたぁ』って言うらしいよ?」
またもとんでもない物が出てきた。遠くの人と話せる魔道具に、部屋が上下に動く仕掛け?この建物の主である『クチイレヤ』とは、一体どんな人物なのか?最早生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされていたハズの女は、『もう、どうにでもして……』
と、疲れきった声色で呟くのだった。
チーン、とベルを鳴らしたような音が鳴ると、三度扉が勝手に動く。確かに、さっきまでいたホールとは違う。少し薄暗い通路のような場所だ。ヤックは手慣れた様子でそこを奥に進んでいく。そこを進んでいくと突き当たりに、何やら文字らしき物が書かれたドアがあった。しかし、見た事の無い文字だ。村にあった教会で簡単な読み書きと計算は教わっていた女は、少しは文字が読める。だが、全く見た事の無い文字だった。異国の文字だろうか?等と考えていると、
「『クチイレヤ・マガミ』って書いてあるんだってさ」
とヤックが説明してくれた。ニッと歯を見せて笑うと前歯が大きく欠けているのが判った。『クチイレヤ』が職業の名前だと聞いていたから、マガミと言うのが主の名前だろうか。ヤックはそんな思案顔の女を気にする様子もなく、ドアをノックした。
「入んな」
ドアの向こうから声がした。『いんたーほん』とやらから聞こえてきたのと同じ声だ。ヤックがドアを明けると、
「ど~もはじめまして、口入れ屋の真上 柊人(まがみ しゅうと)です。姓がマガミ、名がシュウト……まぁ、気軽にシュートさんとでも呼んでくださいや」
ニッコリと笑みを浮かべた男が一人、待ち構えていた。
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