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稀代の投資家、帝国貴族の3男坊に転生

作者:ノーマン
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88話:演奏会

宇宙歴793年 帝国歴484年 12月上旬
首都星オーディン 帝国劇場コンサートホール
ラインハルト・フォン・ミューゼル

コンサート会場が少しの間、静寂に包まれたあと、観客たちが一斉にスタンディングオベーションを始めた。かく言う俺も、自然とその輪に加わっていたし、隣を見るとキルヒアイスも同様だった。兄のような存在が演奏したとはいえ、ここまですごいものだとは思っていなかった。演奏を終えたフレデリック殿が、優雅に一礼をすると拍手は一段と大きくなった。同じ貴賓席の一角に座っていた、マグダレーナ嬢もヒルデガルド嬢も俺たちと同じようにスタンディングオベーションをしている。

「歴史ある帝国劇場で、単独で演奏会を開くことが出来た事を光栄に思います。この場を借りて、私の才能に最初に気づき、磨き上げてくれたヴェストパーレ男爵家のマグダレーナ嬢に感謝を述べたいと思います。ありがとう。そしてこれからもよろしくお願いします」

拍手がおさまったタイミングで、フレデリック殿がマグダレーナ嬢へのお礼を述べられた。音楽の道を進まれ始めたときから、何かとアドバイスをされていたのがマグダレーナ嬢だ。彼女に目を向けると、涙ぐみながらハンカチでそれを押さえている。男女の機微に疎い俺でも、これはすごく嬉しいだろうと思うし、なんだか温かい気持ちになった。最後に演奏されたのは、フレデリック殿の新曲らしい。芸術の知識はあってもそこまで好んでこなかった俺が、なぜそんな事を知っているかと言うと、ご機嫌伺いに上がったディートリンデ皇女から事情を聞いていたからだ。
もともと経営や事業計画などの分野でもかなりの能力を示されたマグダレーナ嬢だったが、『芸術』の分野では、座学に参加していた面々の中では突出した鑑定眼を持っていた。そんな彼女が入れ込むフレデリック殿の演奏を、ベーネミュンデ候爵夫人も姉上も聴いてみたいと以前から思っていたようだが、後宮に男性を入れる訳には行かない。そこでディートリンデ皇女の10歳の誕生日に、『曲を贈る』という名目で内々に新無憂宮の中にあるコンサートホールで、陛下に近しい女性陣3名とマグダレーナ嬢、ヒルデガルド嬢の5名だけが観客となる、ミニコンサートが催されたらしい。
その時の様子を語る女性陣がやけにうっとりした様子だったし、いつもは大人しいディートリンデ皇女まで『素晴らしかったです』と目を輝かせていた。内心すこし怖かったし、魔法にでもかかったのかと思ったが、確かにこれは魔法だろう。観客席に視線を向けると、感激の為か涙を流す方もかなり見受けられる。本来の目的はこの後の意見交換の場にあるはずだが、なにやら変な充足感に包まれて、椅子に体重を預ける。キルヒアイスに視線を向けると涙をぬぐっていた。奏者のフレデリック殿や、その兄であるアルブレヒト殿は、関係者への挨拶などがあるため、しばらく貴賓席でゆっくりしていて欲しいとのことだったが、むしろ余韻に浸れる時間があるのが幸いな状況だった。おそらく一緒にご挨拶に回られるのだろう。

「少し席を外すわね。しばらくゆっくりしていて」

と言い残して、マグダレーナ嬢が席を外された。あの時と同様、ヒルデガルド嬢もうっとりした様子だ。彼女は俺同様、あまり芸術には関心が無かったはずだが、こんな魔法が世の中に存在するなら、もう少し早く芸術に親しんでいても良かったと思う。

「ミューゼル卿は私と同じでこちらの方面には関心をお持ちでなかったので心配しましたが、どうやらお気に召されたようで安心いたしました」

「ヒルデガルド嬢、おっしゃる通り今までは関心が無かったが、詳しくはわからないがまるで魔法にかかったようだ。変な充足感に包まれてしばらくはこの余韻に浸っていたい気分だ。こんな経験は初めてだ」

キルヒアイスに視線を向けると同意するようにうなずいた。

「人生で初めての演奏会がフレデリック様の演奏だったことは、他の方々にとっては幸運なことに思うかも知れませんが、私たちにとっては不運かもしれません」

何を言うのかといぶかしく思ったが、フレデリック殿の演奏を聴いてから、同じような充足感を得られるのではないかと、それなりに高名な奏者の演奏会に参加してみたものの、残念ながらそこまでの演奏ではなかったらしい。

「むしろ、それは帝国にとっては幸いなことかもしれませんよ?このような魔法を全ての奏者が使えるようなことになれば、臣民は演奏を聴くことに夢中になって、何も手につかなくなりましょう」

「確かにそうですわね。毎日聴けたらと思う日もありましたが、確かにすべきことがおろそかになりそうです」

しばらく余韻に浸っていたが、まだ時間があるだろう。どうしたものかと思っていると、キルヒアイスが備え付けられたティーセットでお茶を入れてくれた。

「ありがとうございます。やっとグリューネワルト伯爵夫人がお話になられる大尉のお茶が飲めました。夫人から聞いていた通り、手つきがリューデリッツ伯にそっくりで驚きました」

キルヒアイスは恐縮する様子で『光栄に存じます』と返していた。今でもたまに振る舞って下さるが、同じように入れても何かが違う。マリーンドルフ伯との関係を思えば、ヒルデガルド嬢も過去に飲んだ事があるはずだ。手つきはそっくりでも、味は何かが違う。その違いも分かったからこそ手つきを褒めたのだろう。だが不思議と悪い気はしなかった」

しばらく無言で、紅茶の香りと演奏の余韻を楽しむ。観客席に目を向けると、やっと余韻から立ち直り、少しづつ観客たちが劇場の出口へ向かい始めていたが、まだまだ時間はかかりそうだ。

「そう言えばミューゼル卿、絵画の方はもうご覧になられましたか?開演までの待ち時間になにか別の機会を用意できればとマグダレーナ嬢がお考えになられて、パトロンをされている方々の作品を展示しているのです。絵画の方もあまり詳しくないのですが、リューデリッツ邸によく飾られているメックリンガー中佐の作品は、風景画以外観た事が無かったので驚きました。あのような作風の物もお描きになられるのですね。少し意外でしたので印象が強く残っております」

「リューデリッツ伯がどちらかと言うと自然の風景画をお好みなので、ヒルデガルド嬢には新鮮だったかもしれませんね。中佐は様々な物をモチーフにされていますよ。今回の作品は淑女の皆さまにはすこし過激かもしれませんが、艦隊戦がインスピレーションのきっかけになったそうです。色彩が今までの作品とは異なるので、私も意外に思った印象があります」

「それで納得できましたわ。色彩が夜景のようでしたのに、なぜが美しさだけでなく猛々しさみたいなものを感じました。絵画に疎い私にも、何か感じるものがありました」

「それを聞けば中佐も喜びましょう。私からも伯にお伝えするようにいたします。もっとも中佐の絵はこれからはかなり貴重なものになりそうですよ?昇進されてもともと多忙でしたし、自分の絵が評価される事は嬉しいそうですが、あまりにも高額で取引されると、それも忸怩たる思いを感じるそうで、現在は親しい方の昇進の際や、ご結婚など慶事に贈答する形にされていますから」

「そうなのですね。何か心に響くものがありましたから、ご縁もありますし一作購入をとも思いましたが、私の予算では難しいかもしれませんね」

「私も絵の価格には詳しくないので、お答えいたしかねる部分がありますが、軍部系貴族の間で人気になっているのは間違いない話です。人気と言えば、軍部系貴族では肖像画を遺す風潮があるのですが、実質パトロンであるリューデリッツ伯が肖像画をまだ打診されていないのです。いくら何でも、伯を差し置いて依頼する訳にもいかないので、機知に富んだシェーンコップ男爵になんとか伯の肖像画を中佐に描かせるようにと方々から打診があるそうです。一部では、どんな口実で伯に肖像画を打診させるか、賭けになっているそうですよ?」

「シェーンコップ男爵は確かに機知に富んだ方でいらっしゃいますものね。どんな口実を使われたのか?結果が出ましたら是非教えて頂きたいです」

ヒルデガルド嬢とそんな話をしていると、貴賓席の入り口がノックされ、アルブレヒト殿が入ってこられた。

「お待たせして済まない。あこぎな商売をしている評判がよくない画商がメックリンガー中佐の絵を買い受けたいと強引に迫って来てね。あの作品はRC社で買い取ったものだからとお断りしたのだが、しつこくて難儀した。付き合いのある貴族家の名前を出して脅迫気味の交渉をしてきたから、そのまま宮廷警察に突き出して来たよ。フレデリックの方はまだかかりそうだ。先に貴賓室の方へ移動しよう。ミューゼル卿の任務に関わる話だから、お茶と軽食は用意してあるがアルコールは無しにしておいた。その方がよかろう?」

「はい。アルブレヒト様。ありがとうございます」

コンサートホールの熱気も落ち着いてきていた。音楽でここまで心が揺さぶられることになるとは夢にも思っていなかった。まだ余韻が残っているが、貴賓室までの道中で心を静めておこう。それにどんな意見が聞けるかも昨日から楽しみにしていた。気を引き締めなおさなくては。 
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