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ソードアート・オンライン 穹色の風

作者:Cor Leonis
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アインクラッド 後編
  還魂の喚び声 2

 一体どうすればいい――マサキは大太刀を中段に構えるジュンを注視しつつ、現状を打破する方法を必死に考えていた。自慢の機動力は狭いフィールドとそこら中に仕掛けられたトラップによって封じられ、移動すらままならない。こちらはリーチにも劣る上、相手はソードスキルの技後硬直を無視、あるいは短縮できる何らかのスキルかテクニックを有している。更に言えば、彼が着ているような身体全体を覆うコートは体の輪郭をぼやかすため、筋肉の動きから相手の動作を予測することが極めて難しい。
 最も気がかりなのは硬直を無視するからくりだが、これはマサキにも見当がつかなかった。アインクラッドに来てからのことは一秒の例外もなく記憶している以上、分からないということはイコールマサキの知らない理屈によるものだと推定できる。そのため現段階での断定は不可能だと考え、ひとまずその件は保留することを決める。
 エミと言う人質を相手に取られている以上、このまま悠長に睨み合いを続けるという選択肢はない。今求められているのはどれだけ迅速にジュンを殺すかという一点だけだ。この一瞬にも彼女の命は弱りつつあるかもしれず、場合によっては既にこの世にいない可能性も――。

「――シッ!」

 最悪の事態と重なりかけた、未だ鮮烈に焼き付いている光景を切り捨てるように蒼風を振り上げる。その斬撃自体はジュンには到底届かないが、蒼風の刀身がするりと解けジュンに向かって高速で飛翔していく。この狭いフィールドを逆手に取った《鎌鼬(かまいたち)》だったが、ジュンはこの程度想定済みだと言わんばかりの涼しい顔で大太刀を振り下ろす。カタナスキル単発技《残月》。《鎌鼬》の弧に対して僅かに角度の付いた軌道から真っ直ぐに衝撃波が伸び、《鎌鼬》と衝突して対消滅を起こす。
 ならば、と、マサキは間髪入れずベルトに装備した投剣八本を全て投擲した。ソードスキルすら使わず雑に投げられたそれらは勝手な方向へ飛び散らかるが、マサキが今度は《神渡し》を飛ばす。狭い通路に吹き荒れた暴風はのんべんだらりと空中を浮遊していた投剣を巻き込みジュンに吹き付ける。

「その程度!」

 対してジュンが繰り出したのは三連撃技の《緋扇》だった。上下の二連撃に技がファンブルしない程度の角度を付けることで飛来する投剣のうち七本を迎撃し、残った一本に最後の突きをぶつけて撃ち落す。あわよくば強風で体勢を崩せないかと期待していたのだが、ジュンは僅かもよろめくことなく《緋扇》を放ちきった。その技術は見事だが、見惚れている暇は無い。マサキはジュンに向かい大きく、そして速く跳躍した。真正面から飛びかかるマサキにジュンは大太刀の柄頭を引き寄せ、素早く突き出す。出の速いカタナスキル単発技《射て星》だ。マサキは《スカイ・ラン》でジャンプの軌道を変え、ジュンの後方へすり抜ける。
 背後で金属同士が触れ合う澄んだ音。《射て星》は出の速さと硬直時間の短さに優れた技ではあるが、今頃はまだ技が最後まで完成していないはずだ。にもかかわらずジュンが次の動作に移っていることを示す聴覚からの情報は、マサキの脳裏に得体の知れない不気味さを改めて浮き立たせる。
 しかし、二回目の今回はそれを織り込んだ上で動いている。マサキは着地地点に先ほど投げた投剣が突き刺さっていることを確認すると、それを右足の中心で踏みつけ足場にし、鍛え上げた《軽業》スキルを総動員して振り向きざまに単発技《薫風(くんぷう)》を発動、マサキを追いかけるように迸る大太刀の剣閃をなぞるように滑らせ攻撃を逸らす。

「な……っ!?」

 二つの剣閃が照らすジュンの顔に、今日初めての驚愕が翻った。地面や壁、天井以外のものを足場にしている以上、トラップが起動することはない。そしてマサキの目の前に、涎が出るほど無防備なジュンの体が晒される。
 しかし、今回の戦闘に限ってはその隙こそ最も警戒しなければならない瞬間である。ジュンの攻撃を完璧にいなしたように見えたマサキだったが、ソードスキルをぶつけ合った際、マサキの腕も予期していたより少し大きく弾かれてしまったため、ジュンに例の硬直無視攻撃を仕掛けられる前に離脱可能な攻撃タイミングを寸でのところで逃してしまっていた。マサキは早期決着のため攻撃を声高に主張する自分の声を必死に制し、もう一度回避に徹するべく彼の動きに集中する。

「……何?」
「……ッ!」

 しかし、マサキが予想していたような攻撃は襲ってこなかった。図らずも睨み合いの形となるが、技後硬直が通常通りに解ける頃にジュンが慌てた様子で攻撃してきたため、マサキは飛びずさり同じく地面に刺さっていた別の短剣を足場に着地した。
 今硬直を無視して攻撃してこなかったのは何故か。マサキはまずジュンが打った布石である可能性を考えた。今のことで「硬直無視を利用した攻撃は二回連続で使えない」という思考にマサキを誘導し、後に同じ状況を作り出した上で仕留めにくるというブラフだ。しかし、それにしてはジュンの焦りようは真に迫っていた。それさえも演技であった可能性も否定はできないが、ジュンにとってもマサキが短剣を足場に使ったことで近距離での睨み合いに発展する、などという展開は想定外だったはずで、一瞬でそこまで高度なブラフを思いつき即座に実行に移すとは考えにくいはず。となれば、素直にあの硬直無視攻撃には何らかの制約が存在すると考えるべきか。
 しかし、悠長に敵を観察している暇はない。時間の経過は向こうを更に優位にするだけなのだから。
 マサキはちらりと自分のHP残量を確認すると、ジュンに真正面から飛び掛った。《風刀》スキル単発重攻撃技《春嵐》。塚頭を右肩に付けるように構え突きを放つ寸前、マサキは飛び上がって天井を走った。するとたちまちマサキの両脚を地面から生えた鎖が絡め取り、マサキを逆さ吊りに捕らえてしまう。

「馬鹿が! 遂に頭が狂ったか!」

 ジュンが目を血走らせ歓喜に打ち震えるが、これは半分ブラフだろう。既に《瞬風(ときかぜ)》のクールタイムは終わっているし、それは彼とて想定しているだろう。その上でこちらの作に乗り、転移後の攻防で勝負を決める算段か。だからこそ、ここでこいつはボロを出す――!
 ジュンが得物を肩に担ぐようにして構えると、その周囲にバチバチと青白い火花が散り、稲妻を纏ったような轟音を響かせてカタナスキルではトップクラスの威力を誇る《霹靂神(ハタタノガミ)》がマサキの身体に迫る。マサキはそれを、避けることなく喰らった。

「そんなっ……本当に狂ったのか!?」

 ジュンの叫び声と同時にマサキのHPが減少を始める。
 この時マサキはジュンの硬直無視攻撃について、ソードスキル発動後一定時間以内に追加で入力を行うものだと見当をつけていた。マサキが回避した方向に空ぶることなく次のソードスキルを打ち込んできたことから、マサキの回避より後に二発目のソードスキルを入力したことは明らかだし、先ほど硬直したのはマサキがその場に留まり続け攻撃もしなかったために、カウンターの攻撃を入力できないまま制限時間が過ぎてしまったからだと考えれば矛盾がない。だからこそ、この一発目を受けたままにしてしまえば、普段どおりの技後硬直に襲われるはずだ。
 しかし、そんなマサキの推測は意外なところから崩れ去った。順調に尽きつつあったマサキのHPが、二割台に突入したところで止まっていたのだ。

「馬鹿な……!?」

 マサキの貧弱な防御力で重攻撃技などを受けてしまえば、一発でHPを全損してもおかしくはない。四割ほどのHPで耐えるなんてことはまず有り得ないのだ。
 そしてもう一つ。上下逆に映るジュンの足が、強烈な違和感を伴ってマサキの脳に襲来した。《霹靂神》はその性質上、全体重を前に掛け、前側の足と後ろ側の足はほぼ一直線に並ぶ。しかしジュンの前側にある左足は、次に身体を回転させることを見越しているかのように一足分後ろ、かつ外側にあった。ソードスキルのシステムアシストに逆らった動きをした場合、そのソードスキルは不発(ファンブル)となるが、今の《霹靂神》には不発に終わった形跡は無い。しかし、ジュンの左足の位置は明らかにアシストの許容範囲を超えている。
 この二つの矛盾が、マサキを真の解へと導く鍵となった。

回復(ヒール)!」

 ――そういうことか!
 全てに合点がいったマサキは、瞬風でトラップを脱出すると同時に用意していた回復結晶でHPを回復し、またもジュンの正面から飛びかかる。

「ッ、こ、の――!」

 対してジュンは再び《射て星》で大太刀を突き出してくる。

「せッ――!」

 マサキは掛け声を発すると、蒼風の切っ先を真正面から大太刀の切っ先に衝突させた。瞬時に衝突時のデータによる物理演算が行われ、その結果蒼風は見事ジュンの大太刀を彼の手から弾き飛ばした。
 武器同士が衝突した場合、攻撃の速さや武器の重さ等によってその結果が算出される。当然、速い、重い方が有利となるが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は別だ。ソードスキルによる攻撃はただ武器を振っただけの攻撃よりも強く、速いため、ある程度の重量差であれば簡単にひっくり返してしまう。
 つまり、ジュンが硬直無視攻撃に見せかけていたのは、何らかの方法でエフェクトだけを後付けした猿真似だった。ソードスキルではないから硬直時間など存在せず、足の位置を間違えても不発にはならない。防御力がないとはいえレベルのおかげで量だけは多いマサキのHPを一撃で四割削り取るだけの威力もない。逆にそこから派生したソードスキルは威力を重視して本物を使ったため、通常の硬直を課せられた。

「ようやく、化けの皮が剥がれたな――!」
「マ、サキィィィィィ!!」

 大太刀が彼の背後に落ちると同時に、ジュンは歯をギリギリと擦ってがなり立てる。その姿はまるで月の光を浴びた狼男のようだった。
 マサキは大太刀を弾き飛ばした後も、足元に落ちた短剣の柄を足場にしつつ突きを放った。同じ場所に攻撃を当て続けることで攻撃力が上がる特性を持つ九連撃の刺突技《吹断(ふきたつ)》。弱点である頭部に残りの八発を全て命中させ、ジュンのHPがガクッと削られる。更にマサキは至近距離まで接近し、強烈なアシストを受け蒼風を神速で振るう。《風刀》スキル三連撃技《刃風(はかぜ)》。

「……あーあ。せっかくあの世で再会させてやろうと思ってたのに。結局殺れたのはあの女一人だけかよ」
「何……!?」

 もはや雀の涙ほどになったジュンのHPを削りきろうとしていたマサキの手がピタリと止まる。それを見て、ジュンは開き直ってフンと笑い、濁った目でマサキを見た。

「あ? 何だよ、早く殺れよ。もう何人もそうしてきたんだろ、《穹色の風》さんよォ」
「お前……今……!」
「何だよ、疑ってんのか? それなら証拠を聞かせてやるよっと」

 死を間近にして急にチンピラのような口調に変わったジュンが一つの記録結晶を取り出し、再生。間髪入れずに流れたのは、音だけで恐怖に震え上がったと分かるエミの声だった。

『い、や……嫌ぁ……っ』
『嫌……助けて、マサキ君……っ』
「お前……お前、お前――!!!」

 マサキ君、マサキ君と、縋りつくようにマサキを呼ぶエミの声を認識した瞬間、マサキの世界からジュン以外の一切が消え失せ、噴き上がった殺意だけが意識を支配した。
 殺す。殺してやる。純粋な殺意が腕を持ち上げ、おかしそうにけたけた笑う少年の命を刈り取るために振り下ろそうとする。しかし、マサキの身体はそこで止まった。
 動け。動け。何をしている? 目の前の奴を殺せ。それ以外はどうなってもいい。自分が死んだって一向に構いやしない。なのに何故動かない? 何故――

「……あーあ。これじゃ、一から十までボスが言ってたとおりじゃないか」

 ジュンの声色が戻っていることに気がついたのは、マサキが前のめりに倒れた後のことだった。眼球だけを動かして前を見上げると、黒いなめし皮で出来たブーツの横に小さなナイフがカランと音を立てて落ちた。

「挑発で注意を引き付けて、《クイックチェンジ》で麻痺毒を塗ったナイフを取り出して一撃、か。こんな初歩的な手に引っかかってくれるなんてね」

 感情を感じられない平坦なジュンの声と一緒にブーツの底が床を叩く音が降って来る。声が少し遠くなったかと思うとすぐにまた近づいてきて、今度は弾き飛ばした大太刀の黒い波紋が入った切っ先が、ナイフが落ちた反対側に見えた。

「まあ、どんな手だっていいんだけどっ!」

 地面が半分を占める視界から切っ先が消えて、体を貫く感触に襲われた。ソードスキルも使わずに、ただ刃を振り下ろすだけ。それでも装甲のないマサキのHPを削るには十分で、胴体に異物が入ってくる不快感に襲われる度、マサキのHPは確実に減っているだろう。だろうというのは、最早マサキに自分のHPを確認する気力さえなくなって憶測で語っているにすぎないからだ。

「死ね、死ねよ。死んで皆に詫びろよ。そんで、死んだら地獄で皆に殺され続けろ」

 息が上がり、興奮のような喜悦も混じるようになったジュンの言葉を浴びても、マサキは何を喋ろうとも、何をしようとも思わなかった。結局一言も発さぬまま、マサキは目の前が漂白されて初めて自分のHPが尽きたことを知った。
 自分のHPが尽きる時、やっと終われる、とどこかすっきりした気分になるものだと思っていた。事実、マサキは瞼を静かに閉じて胸の内でそう呟いた。しかし考えていたような清々しさはそこにはなく、思おうとすればするほどに湧き出すのは、宇宙空間に一人放り出されたような肌を刺す寒さだった。清々しいわけでも澄み渡っているわけでもなく、ただ何もないだけ。無を透明と言い張ろうとする空しさに呆れたマサキは、全てを投げ出して思考の海を漂った。
 目の前を編集された動画のように様々なシーンが目まぐるしく流れていくが、現れる頻度が突出して多いのは、爽やかな印象の茶髪の青年と、美しい黒髪をポニーテールに結わえた、花が咲くように笑う少女だった。交通事故によって手に入れた決して色あせない記憶は、過去のことを今目の前で起きているように投影してみせるが、景色も表情も、匂いも手触りも完璧に思い出せるのに、僅かばかりの満足感も与えてはくれなかった。それどころか、思い出せば思い出すほどに、二人から向けられた友情や好意の欠片ほども返せていないという事実が深い悔恨と謝意を湯水の如く湧き出させるのだ。
 白に染まった世界が暗転していく。最後、世界の中心にたった一粒残った光が消え去るその瞬間に去来したのは、何とも身勝手なことに自分の名を呼ぶ声だった。
 ああ、済まない。済まない。何度言っても尽きることは無い。本当に……

「――マサキ君っ!!」

 その声は、燃え尽きた灰燼から再び不死鳥を生み出すようにマサキの精神を震撼させた。これは未練が呼んだ過去の記憶の集合体か、或いは願望が生み出した幻聴か。しかしそう考えるにはその声は余りにも瑞々しく、干からびた喉を撫でる一滴の果汁のように芳醇だった。

「エミ……?」
「マサキ君……よかった、よかったよぉっ……!」
「そんな……嘘だ、何で……!?」

 自分でも聞こえないような小さな呟きを聞き取ったのか、涙に震える声が返ってくる。気が付けば、目の前には再び薄暗い通路が見えて、体の麻痺も取れていた。顔を起こすと、うろたえるジュンの足の間から、誰かが手を膝につき肩で息をしていた。肩まで届く黒の髪は振り乱されてボサボサになっていたが、アインクラッドでただ一人、彼女にだけカーディナルが贔屓をしているのではないかと思ってしまうような艶やかさは失われておらず、見間違うはずもなかった。

「間に合った……!」

 シルエットの右手で、還魂の聖晶石――去年のクリスマスにマサキが入手し、エミに渡したままになっていた結晶が高く澄んだ音を立てて壊れる。
 ぼろぼろと大粒の涙を零し、顔をくしゃくしゃにして泣き笑ったエミの顔を、虹色の残照が柔らかく輝かせた。 
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