銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~
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見たいもの
宇宙歴792年 帝国歴483年8月。
自由惑星同盟軍情報部情報第三課課長室。
「アロンソ大佐、失礼いたします」
新たに配置された室内には、いまだに引っ越しの跡が残っている。
必要最小限度の荷物だけが机の引き出しに入れられ、多くの荷物は段ボールの中だ。
引継ぎ用の資料を読み返していたアロンソは、書類から目を離して、扉を振り返った。
「どうぞ」
「調査の件を持ってまいりました」
入って来たのは黒髪の狐のような顔をした男だった。
申し訳程度の口髭が鼻の下で整えられている。
入室前に敬礼をすれば、男は近づいて書類を差し出した。
それは配属される前から、アロンソによって調査するように申し向けられたもの。
顔写真付きの履歴書のような書類には、どこか没個性的な中年男性が映っている。
軍人にも、一般人にも、そして官僚にも見える。
あえて言うならば、真面目そう。
そんな印象をもたらすのだろうか。
「悪いな。急な仕事を頼んで、バグダッシュ少佐」
「いえ。情報第三課の任務はいわば、スパイ対策ですから。得意分野にすぎません」
書類を受け取って、アロンソが視線を向ける。
対面に立ったバグダッシュは、小さく肩をすくめていた。
バグダッシュの言葉を聞きながら、アロンソは書類に目を通した。
簡単な経歴が書かれている。
ロイ・オースティン、四十三歳。
生まれはエリューセラ星域出身。
自由惑星同盟内の星間貿易を行っている一商人だ。
決して稼いでいるわけではないが、主に食料品の貿易で手堅い商売をしている。
そんな情報を一通り見て、アロンソは顔をあげた。
「君はどう思う」
「まとめた士官たちの反応は白です。帝国にもフェザーンにも経歴からは一切のパイプはありません。何と言いますか――私も大佐の気にし過ぎではないかと思います」
わずかに言いよどむが、バグダッシュはまっすぐな意見を述べた。
最近フェアリーと取引をする予定があることは、既に調べられている。
公私混同だとの遠回しな批判を、黙らずに発言するのは見事とも言える。
「なぜこのような調査を」
「ある筋からの情報があって、な」
「情報ですか……」
「ああ。だが、これを見て確信したよ」
静かに置かれた書類に、バグダッシュはほっとしたように息を吐いた。
公私混同の調査など褒められたものではないが、それでいて上司と揉めたい理由もない。
これで終わればとの表情であったが、アロンソはそうではなかったようだ。
「確かに、情報部は――いや、我々は見たいものだけを見ている」
「それは」
どういうことかと問いかけたバグダッシュの顔に、アロンソの厳しい表情が視線を向けた。
「誰か。この人物に接触したものは」
「……いえ」
「だろうな。この者はエリューセラ星域の出身だったな、そこで大学卒業まで暮らしていた」
「ええ。学位の情報も上がっております。星間経済学を学び、学士を得ています。その後」
「地元の貿易商で働き、三十を目前にして現在の会社を設立」
その通りだとバグダッシュは頷いた。
「エリューセラ星域は――出身者が聞けば否定するかもしれんが、訛りがある」
「存じています。ハイネセンからの通信を、エリューセラ星域出身の通信士官が受けて、タッシリ星域出身の暗号士官が解読した。数日後、艦隊司令官から慌てて連絡がきた。『本当にフェザーンに攻撃を仕掛けてもよいのか』と。有名な笑い話ですな」
肩をすくめて笑う様子にも、アロンソの表情は変わらなかった。
「私は少し話しただけであったが――彼にエリューセラ星域の訛りはなかった。むしろ、フェザーンの訛りはあったが」
「それは人によっては、長年暮らせば訛りも消えるでしょう。フェザーンとの取引で培われたものでは」
「この経歴のどこにフェザーンとのつながりがある。先ほどフェザーンや帝国とのパイプは一切ないといったのは君ではないかね」
差し出された書類を目にして、バグダッシュが初めて笑みを消した。
受け取った書類に再び視線を這わせる。
そこには先ほど報告した通り――星間の貿易だけで、一切フェザーン企業との取引がない旨が書かれていた。
当然だ。それをまとめたのは自分であるから。
だが、星間取引の際にフェザーン側の人間と取引をしたということは。
そう考えて、バグダッシュはあり得ないと考える。
恒星間の小規模な食料品の取引までフェザーンが噛んでくる可能性はあるのかと。
現在のところ、その現状はないというのが結論だった。
一つは儲けのためならどんな所でも行くフェザーン人だが、逆に言えば儲けがなければ行動することもないという事。
小規模な食料品の取引など、確かに需要はあるが、大きな儲けにはつながらない。
さらに、食料の輸送ということも問題だ。
食糧輸送を抑えられるということは、自由惑星同盟の食糧事情を抑えられるということ。
帝国側の情報を集める第一課、フェザーン側の情報を集める第二課。
そして、それ以外に発生しうる危険の可能性を調査するのが第三課の仕事だ。
そんな第三課でフェザーン人が星間の食料品取引などしていれば、すぐにわかる。
「バグダッシュ少佐。情報を集めることは大事だ――だが、情報から見えない情報を見ることが最も大切なことだ」
感情の乏しい声を向けられて、バグダッシュは手にした書類をわずかに震わせた。
「経歴を見るに、今まで星間の小規模な取引しかしていなかっただろう。そこになぜ大企業のトップに話を食い込ませることができたのか。その理由は」
もはやバグダッシュは言い訳の言葉もなかった。
静かに書類を下げる。
「もう一度、調査をいたします。人数を何名か送りますがよろしいでしょうか」
「君の言う杞憂であれば、問題はない。だが、見たところ杞憂ではなさそうだな」
アロンソが苦い表情を見せた。
+ + +
食卓に並ぶのは、簡素な料理だ。
元より年をとれば、油物は受け付けなくなる。
野菜をメインにして、わずかばかりの子牛のローストが並ぶ。
黙々と口に運ぶ姿に、リアナはワイングラスを手にして、小さく笑った。
「マクワイルド様は……優秀な方のようですね」
かちんと音を立てて、フォークが止まった。
ゆっくりとアロンソが、顔を動かす。
悪戯な笑みが目の前に浮かぶ様子に、だが、アロンソの反応はリアナの予想していたものとは違った。
戸惑うでもなく、ただ難しく頷いた。
「彼も昇進したのですわね。いまはどちらに」
「まだ第八艦隊の司令部だよ。近く異動するだろうが、若いからな――上層部もどこか決めかねているようだ」
「彼に後を継いでいただけると、フェアリーも安泰ですわね」
そんなリアナの言葉にも、ああと一言だけ口にして、ワイングラスをあおった。
「だが。難しいだろう」
「あら、ライナは魅力的ではないかしら」
「そうではない。いや、ライナもフェアリーも……彼にとっては目的の外なのだろう」
そんな言葉に、さすがのリアナも小さく顔をしかめた。
自分の娘や大切な会社が、つまらぬものだと言われた気がしたからだ。
「勘違いするな。彼の目は、人や一企業には向いていないと思う」
「ならば、どこに」
「わからんよ。ただの一軍人である私にはな」
アロンソは首を振って、口にしたローストを飲み込んだ。
「そう。では、今度ご本人にお聞きしますわ」
「教えてくれるとは限らないが」
「あら。人の本音を見抜くのは得意ですのよ」
「本音か……。リアナ、最近商売は」
小さく目を開いたリアナの表情に、アロンソは失礼したと謝罪。
ナプキンで口を拭った。
「いや。何でもない――目を通したい資料がある。先に失礼させてもらうよ」
「あまり根を詰めないでくださいね。最近、夜遅くなっておりますから」
「若いころに比べれば、大したことではないさ」
「もう若くはないのですから」
「そうだな。気を付けよう」
アロンソが笑い、静かに食卓を後にする。
メイドが残された食器を下げていく。
そんな様子に、リアナは追加のワインを頼む。
ゆっくりと白い液体がワイングラスに注がれる様子に、リアナは表情を消した。
細い指先が机を撫でる。
昇進して、新しい仕事で悩んでいるのかと思った。
だが、それは違ったようだ。
なぜか。
そして、今までは決して聞くことのなかった仕事を口にしようとした。
なぜか。
リアナの頭の中では、最近起こった出来事がゆっくりと思い出されていく。
アレスとライナが知り合いだったことにショックを受けたのか。
そうであったならば、最初の言葉に反応があったはずだ。
むしろ、それを期待して話題を口にしたのだから。
ワインを口に含み、しばらくして、リアナは指先をはじいた。
「TEL。秘書官につないで」
その言葉で、食卓の脇――棚に置かれたテレビがついた。
しばらくのコール音の後、出たのは信頼する部下の一人だ。
夜遅くであるのにスーツ姿は崩れてはおらず、はっきりとした口調で応対する。
『フェアラート様。いかがいたしましたか』
「夜遅くにすまないわね。先日我が家に招いての商談を覚えているかしら」
『はい。既に今秋を予定している会議の資料は整っております』
「それは一旦保留にして。会議はしばらく延期とするわ――その前に彼を紹介した人間を洗って」
そんな言葉に、秘書官は若干驚いた様子だった。
だが、否定の言葉は見せない。
『かしこまりました』
「お願い」
端的な言葉を口にして、手を動かすと、モニターを消えた。
気のせいならば良い。
だが、石橋は気のすむまで叩くのがリアナの性格だ。
橋はいつか渡ればいい。
その前に崩落してしまえば、築いたものは一瞬にしてなくなってしまう。
それこそがリアナの身上。
「あの子もあの人も、本当にわかりやすいわ」
どこか楽しそうな表情を見せて、リアナはワインを喉へ流し込んだ。
+ + +
惑星シャンプール。
首都ハイネセンとイゼルローンの間に位置する惑星は、気候は穏やかであり、農業惑星としても有名な一方で、イゼルローン回廊へと向けた大規模な前線基地が設置されている。
最も食料品などの糧食の多くは惑星で生産が可能であるため、倉庫に置かれているのは武器や弾薬の数々。
イゼルローン回廊へ向かう艦艇の中継基地であり、最終的な補給基地でもあった。
なぜなら、ここより先は帝国軍に遭遇する可能性が非常に高い星域になるためだ。
アスターテ、アムリッツア、ヴァンフリートなど多くの星域につながるが、それらの多くでは帝国軍との遭遇戦が繰り返されており、今もなお一進一退の攻防が続いている。
そのため惑星シャンプールを含む、シャンプール星域は辺境警備隊が常駐しており、また各宇宙艦隊が係留できる宇宙港も備え付けられている。
大規模な敵が来た場合には、すぐに迎撃が可能な体制が作られているともいえた。
そんな倉庫の一つ。
現在では第五次イゼルローン要塞攻略戦が終了し、その時に入れていた物資が空になったはずの倉庫で、一人の男が電話を片手に立っていた。
どこか陰湿な印象を与える、暗い同盟軍の士官だ。
それは猫背によるところか、あるいはにやけた表情によるところか。
周囲には誰もいない。
だが、男は自分の存在すらも隠すかのように、ぼそぼそと電話口でしゃべった。
「本当に大丈夫なんだろうな」
疑いを込めた声に、穏やかな声が電話口で回答する。
『問題ありません。全ては計画のとおりになっております』
「前回もそう言っていたじゃないか。だが、結果的に半年近く延期をしている。私だっていつまでこの基地にいられるかわからない」
『延期については申し訳ありません。何分、相手もあることですので』
「誤魔化すな。知っているぞ――延期したのはアース社が」
『ベイ中佐』
厳しい言葉が、男――ベイの声を止めた。
『僭越ながら――言葉は慎まれたほうがよろしいかと。今までも十分な報酬は払ってきているはずです』
「それは……そうだが」
『そして、今回はさらに倍をお約束します。それだけあれば、あなたのさらなる栄達も可能では』
ベイが小さく唸った。
「だが。私ができるのはこちら側で荷物を回収するだけだ。本当に帝国は来るのか」
『ご安心を。既にオーディンを出立して、イゼルローン要塞に向かっているとの一報がありました。そちらに到着するのは、九月ごろを予定しております』
不安げに落ち着かないベイとは対照的に、電話口の声はひどく優しく、温かい。
子供に言い聞かせるようにゆっくりとした口調。
「わかった。近くになったら教えてくれ」
『はい。では、今後ともよろしくお願いいたします』
電話の電源が切れれば、真っ暗な倉庫に明かりはない。
ただ外の街灯の光だけが、空虚な倉庫を照らしていた。
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